2007/12/28

朝青龍問題とは

大相撲もこのところ随分と話題が多い。若い力士が死亡した事件から部屋でのカワイガリ(シゴキ)が問題になったかと思えば、大横綱朝青龍が腰の疲労骨折という診断書を提出したのにモンゴルで子供達とサッカーをしていた事が発端となり日本中が大騒ぎをしているような報道ぶりである。

朝青龍問題と力士死亡の問題は同時期に相撲界を騒がせた事件ではあるが、全く性格の違う事件だと思う。なぜ全く性格の違う問題かといえば力士の死亡という事件は場合によっては刑事事件になりうる重大な問題である。

一方の朝青龍事件のほうはその様な性格の問題ではなく、朝青龍という力士が好きか!嫌いか!で大きく見解は異なるようである。主に大きく彼の非を指摘して糾弾している人達のほとんどは朝青龍自身が嫌いだ!という事に尽きると思う。

大相撲の世界にあって横綱の地位は大したステータスであろう。しかし歴代の横綱がすべて人格的にも素晴らしい人達ばかりであっただろうか? ここ数年の大相撲の世界にあって一人横綱で頑張ってきた(少なくとも本人はそう信じているのではないか)、日本人にしてみれば憎らしいほど強くモンゴル出身の横綱が肩を怒らせ我が物顔に角界で振舞う事に少なからぬ感情的な嫉妬を抱いていたとしても不思議ではない。

そんな折モンゴルでの子供とサッカーをした朝青龍の映像が流れ、疲労骨折の診断書は嘘ではなかったか?と言わんばかりのバッシングが始った。少し考えれば分かりそうなものだがプロの力士が全力でぶつかり合う本場所の相撲と、子供達と遊ぶサッカー(中田氏も参加していた)を同列で論じ、診断書は嘘であるかのような論調はこの問題の根源が本当は何処にあったかを見事に映し出している。

朝青龍は立場を変えればメジャーリーグで活躍する日本人プレーヤーのイチローや松井、そして松坂と同じ立場ではないか。モンゴルの人達にとって日本という大国(経済先進国)で活躍する国のヒーローだ。その誇るべきヒーローが国に凱旋し地元の子供たちにサービス精神を発揮した事がそれ程攻められなければならない事件であろうか?

もし仮に松井が日本に帰国し故郷の町で何かのチャリティーイベントに出ていた事をアメリカのマスコミが取り上げ 『手首の故障をして充分な活躍もしなかったのに日本で遊ぶとは何事だ』 などと騒いだとしたら多くの日本人は何と感じるだろうか。

確かに朝青龍自身にも全く非が無いとは思わない。しかしモンゴルでのフットボール事件が2場所休場というペナルティーを押し付け、そのうえ国を挙げての非難とは日本も何と自信の無い国になったのであろうか?

マスコミの論調を煽るように横綱審議委員会とか言う、訳の分からない年寄りたちが雁首そろえて朝青龍を腐す光景は見て決して『なるほど』とうなずけるようなものではない。大相撲の横綱が強さは今一つだが、品格は申し分ないという方が大切だとは思わない。そんなことになれば大相撲そのものの価値がなくなってしまう。

朝青龍が騒がれたときと時を同じくしてボクシングの亀田ファミリーがバッシングを受けたが、これは仕方が無い事であろう。世界選手権で反則を指示した父親や兄弟の姿勢はボクシング以前の問題だ。3人兄弟のボクサーと父親の言動は日本人としての常識ではとても一般社会人のものではない。その様な態度に日本のマスコミがバッシングを煽るのは日本人社会の自浄作用としてある程度は納得のいく事ではある。

しかし、朝青龍問題はこれとは大きく異なった要素を含んでいる。先ずモンゴルという日本に対する国民感情で数少ない好感情を持っている国民に冷や水をかぶせた事だ。『モンゴルなど我々にとってはどうでも良い国だ!』と言うのなら話しは別だが。現実の世界の中で日本に対して好感情を持っている国は非常に少ない事をどれだけ日本国民は知っているであろうか。

確かに日本と険悪な関係の国も少ない事は事実である。しかし険悪で無いという事と、好感情を持っている事は別問題である。日本政府が国連常任理事国になりたいと世界中にODAや無償資金援助をしても、国としての文化的結び付きが無い国では日本国自体にそれ程興味が無い、その様な国にいくら頭を下げたところで常任理事国入りの助け(一票)にならない事は明白である。トルコやポルトガルそしてモンゴル等、親日国は世界中でも少数派である。その数少ない親日国の国民感情を逆撫でするような論調を何時までやるつもりなのか。

奇しくも朝青龍が日本に戻りNHK初め民法のTVニュースもこぞって彼の謝罪する姿を当日のニュースの第一報で伝えた。当日のニュースには防衛省全体を揺るがせた守屋前次官(容疑者)の件や、社会保険庁の照合が出来ない事、またテロ支援国指定解除で米が北朝鮮に追加3条件、やガソリン価格が1リットル155円等を押さえてトップニュースであった。

防衛省や年金問題は国民の税金や年金に関わる重大事件であり、北朝鮮問題は拉致事件につながりガソリン価格は日々の生活に直結するにもかかわらず、なぜ朝青龍なのであろう? 意地の悪い見方をすると意図的に国民の目を朝青龍に向けさせる事により他の重要案件から国民の視線を逸らそうと企んだ輩が居るとすれば恐ろしい事ではないか。

国家の品格の著者、藤原正彦氏の言葉を借りれば『成熟した民主主義などという事は妄想に過ぎない』という事かもしれない。
それにしても横綱審議委員会の人達の胡散臭さは自分だけが感じるのであろうか。

2007/12/25

国家の品格

自分がこのブログを書き出してから、何人かの友人から『国家の品格』という本が売れている、いちど読んでみたら!と言う事を聞いた。何でも内容的には自分がブログ内で指摘した日本で現在起きている事象を似た視点でとらえていると聞かされたのだ。著者の藤原正彦氏は高名な数学者で自分などとてもおこがましくて対比されたものではないが、氏も長年英国やアメリカで暮らされた経験から日本の近況を見て、憂いて色々な視点から指摘されている事が良くわかる。

先月日本に行った折親しい友人からその著書を渡され、ロンドンに戻ってから読んでみた。なるほどさすがに洞察の鋭い!頭の良い人は文章も美しく、非の打ち所が無いほどの内容だった。自分でも『うん、うん』と頷いて直ぐに読みきってしまった。

この本は面白いし、一つ一つの指摘が日本人には痛快で全く言われるとおりだと思う。99%は同意できる内容だったが一箇所これはそうなのかな?と単純には頷けない箇所が自分にはあった。氏は自分の祖国を愛さない人間はぶっ飛ばす、ガーナ人でガーナを愛さない人間はぶっ飛ばす。『ぶっ飛ばさないまでもその様な人間とは付き合わない!』とまで言われている。

そう言った人達は氏の言い方を借りれば『根無し草』と言うらしいが、この箇所だけはどうも引っ掛かって心にスッと入らなかった。国家、国籍は大切ではあるが氏が指摘されるほど意識して愛さなければいけないか?又その人の人格はどこかの国一国を愛してさえ居れば信頼に足るのか?挙げ足取りのようで恐縮だが、人は願ってどこかの国や人(両親)の下に生まれてきた訳ではないのではないか。氏も海外での生活が長かったにも関わらずこの一文だけは自分とは異なる見解のようだ。

小生が教えている拳士を見ていると実に多彩な人達が居る。特にロンドンは人種と言う事においては世界でもニューヨークやパリと並んで多人種都市の筆頭であろう。自分の支部に居る純血種のイギリス人(失礼な言い方だが)は果たして何人居るのだろうか?、もしかしたら一人も居ないのではないか?何をもってイギリス人なのであろうか?等など、考え始めると藤原氏ほど頭の良くない自分には答えが見つからなかった。

イギリスの道場で教えているのにイギリス人(純粋な?)が一人も居ない等と信じられるだろうか。確かにほとんどの拳士メンバーは英国籍の人達が大多数である。しかしその中で純粋な(変な言葉ではあるが)と言うと日本のようにはいかない、10人居ても10人とも髪の毛や目の色から肌の色まで異なる事は珍しくない。

ヨーロピアンと言うカテゴリーで括れば、ほとんどがその範疇に収まるであろう。白人でも一人ひとりの肌の色は違っているし現在の国籍は英国籍でも両親がイタリア人とドイツ人等と言う例はいくらでもある。英国は多重国籍を認めている為、人によってはパスポートを3つ持っている者も特段珍しい分けではない。そんなことを考えているとはたして『イギリス人でイギリスを愛さない奴は信用ならないので友人にはしたくない!』と簡単には自分は言えないのだ。

自分の子供達にしても我々を両親と選んで生まれてきたわけではないと思う。たまたま自分の場合は家内も日本人であり比較的人種的な分類はわが子に限って言えば簡単かもしれないが。それでも『両親が日本人だからお前たちも日本を愛さなければならない!』とか、『我々は英国で生活しているから、英国を祖国と思って愛さなければいけない』とは言えないのだ。『それでは祖国愛が足りない』と言われればそのとおりかもしれないが、自分は日本人である事に誇りを持っているし、日本という国にも人一倍強い祖国愛も感じてはいるが。子供たちには彼らが何を(何処)よりどころとして生きるかによって、何処の国に親近感を感じ、何処の国に祖国愛を感じるかは彼ら次第のような気がする。

ケニア人とフランス人の間に生まれた子が、イギリスで教育を受け成長し英国に祖国愛を感じる事もあるであろうし、両親のどちらかの国か両方の国に好感情を持つことは自然な事だと思う。この様に人種による国籍や祖国愛の強制には自分としては今一つ納得できないのが正直な感想だった。

藤原氏の書かれた内容の99%以上に共鳴し、且つ又氏の日本や日本人に対する情愛も充分に感じられる名著である事には疑う余地も無い。久々に日本を憂う優れた見解に触れ本当に清々しい気分になれた事も正直な感想である。

2007/12/19

階級社会

日本人には中々理解できない事の一つにヨーロッパの階級社会がある。

その中でも英国は階級社会を現在も保っている国であることは誰もが知っている。 階級社会はインドのカースト制度のように非常に厳しい制度(同じカースト意外との婚姻は認められない)や英国のように主に所属する社会制度によるもので婚姻等の自由はどこのクラスであろうと自由なものとに区別される。 おそらく19世紀辺りまでは英国においても階級を越えた結婚など考えられなかった事は容易に想像されるが、現在の英国における階級社会はそれらの問題は聞いたことが無い。

日本でも江戸時代には士農工商と言う階級制度があった事は歴史で習って知っている。 現に明治、大正、昭和と時代が過ぎてはきたが個々の家庭における明治以前の社会制度の出自は21世紀に入った現在でも知る事は可能である。

しかしながら江戸社会の階級制度が崩壊してから150年近くにもなると、ほとんどの日本人にとってはなかなか階級社会そのものがイメージできないのも事実である。自分も渡英するまで階級社会など意識した事が無かった。幸いな事に我々英国に住む外国人は一般の英国人からすれば自分達の社会に帰属(昔から)する人達とは違うわけで、単純なクラス分けをする事が出来ない為いわゆる彼らの階級社会に当てはまる事はない。

外国人でも旧植民地から移り住んできた人達には階級社会を当てはめる事は可能である。主に英国内で単純労働に従事した人達が多かった為そのほとんどがワーキング クラス(労働者階級)と呼ばれるクラスに所属する事になる。生粋の英国人達のほとんどがこのワーキング クラスになるわけであるが、そのほとんどが自分達の所属するクラス(労働者クラス)に強い誇りを持っている。

この事実をはじめて知ったときには意外な気もしたが、彼ら労働者階級に所属する人達は自分達のクラスそのものに何のコンプレックスも持っていない。そしてそれ以外のミドル クラス(中産階級)やアリスト クラテス(貴族社会)と呼ばれる人達に対する対抗意識は有っても嫉妬や羨望が無い(本当は有るのかも知れないが)事は事情を良く知らない(分らない)外国人には中々理会出来ないことである。

労働者階級の上にミドルクラス(中産階級)と呼ばれるクラスがある。日本で一頃統計を取ると80%以上の人達が自分の事を中産(中流か?)と答えたそうだが、これなどは英国流に判断すれば確実にワーキング クラスの分野に入る事になる。

英国内で中産階級と呼ばれる人達は職業で言えば大学教授や弁護士がローワ ミドルクラス(中産階級の下部)で入れ替わりも存在する。ではアッパー ミドルクラスと呼ばれる中産階級の上層部に属するクラスにはカントリーマン(郊外に住むジェントルマンと云う意味で田舎者ではない)やレイディと呼ばれたりするらしい。

こんな社会を見ていると江戸時代以後の日本という社会は実に急速に近代化を成し遂げたかが良く分る。そして日本と比較すると現在でも階級社会を引きずっているイギリスという国は我々の基準では計る事の難しい社会構造であることが良くわかる。

自分としてはその様な階級社会の無い国(時代)に生まれた事を良かったと感じているが。

2007/12/11

タマには負ける

家で飼っている犬がジャックラッセルという事は前にも書いた。犬の可愛さは姿、形もある程度あるかもしれないがその飼い主に対する100%の愛情表現ではないだろうか。しばらく出張等で家を空けても、帰った時に犬が見せる喜びの表現には全身で喜びを表するのを見ると思わず頭の一つも撫でてやりたくなる。

先日TVの番組(日本の)で犬を調教する名人と称する人達の事をやっていたが、確かに見事に調教師の言う事には従うが果たして彼らや彼女ら調教師に犬たちは飼い主に対する愛情を感じているのであろうか?

犬の世界には序列があると聞いた事がある。家の中でもその序列は確かに存在し犬が自分より下だと極めた人の言う事は中々言う事を聞かない。幸い我が家のタマは小型の犬種でメスなので比較的家族にもなじみやすかった。

以前のリキ(秋田犬)はオスで大型犬だったため家の中では飼えず、散歩にも苦労した事は前にも書いたとおりである。

タマはジャックラッセルと言う犬種で1歳と9ヶ月、ケンブリッジ近くのブリーダーから我が家に来た。イギリス生まれのタマではあるが家族が日本人なので理解する言葉は日本語である。『座れ』『伏せ』『外』『良し』『寝る』『お手』『待て』等の言葉は理解している。と言う訳で日本人以外の人が英語で話しかけても当然理会出来ない。日本人でもそれ以外の言い方をすると通じない!限られたボキャブラリーしか理解しないタマなので仕方が無い。

我が家に来た当初は子犬だったため家の中にある色々なものを噛んでいた。最近は昼間の間庭に出してあるので庭に置いてある物は噛む事もあるが家の中の物は噛まなくなった。昼間でもキッチンの入り口に1時間でも一人でジッとしている事が可能になった。

家に入ると『ハウス』と言えばタマ専用のバスケットに入り寝ている。夜10時頃に『寝る』と声を掛けると自分でタマの寝室まで走っていく、手が掛からなくなった。こんなとき飼い主の自分は思わず『いい子だね』と呼びかけている。

タマに対する呼び方も我が家はめちゃくちゃだ。自分は『タマ』『タマやん』『金太』などと呼んでいるが、他の家族は『タマちゃん』がもっぱらの呼び方で叱るときだけ『タマッ!』と云う。タマにとってもどれが自分の名前なのか複雑だろうな。

一応すべての名前に大小の反応はするみたいだが。

2007/12/04

国家権力とは

のっけから国家権力等と云うといきおい政治がかった話と思われるかも知れないがそうではない。どこの国でも外国人が最初に入国しようとする時に出会うのがイミグレーション オフィサー(出入国管理官)である。

ロンドンに住んでから少林寺拳法の指導や家族とのホリデーなどで国(この場合は英国)から出入りする事が多くなった。 年に何度も出たり入ったりを繰り返し、ほとんど要領は飲み込めているので英国においてもはや問題は無いのだが、それでも労働許可証を貰った後にも入管での受け答えには注意をした事を未だに覚えている。

なぜ注意が必要かと言えば彼ら出入国管理官(入官)には外国人の入国を許可しない権限も含まれているからだ。

もし入管の心証を悪くすれば例え労働許可証があったとしても入国を拒否されかねない。また最終的には許可が下りたとしてもそれまでに掛かる手続き等色々と面倒な事になるからだ。

日本に入国する外国人の大半は成田の入官の対応をうけることになる。これから日本に入国しようとしている外国人にとってある意味緊張する場所である事は同じなのであろう。 しかし自分が見た全く反対の光景は今でも鮮明に覚えている。

それは成田に限らずどこの国のイミグレーションでも自国民と外国人を入国審査するゲートは異なっている。自分が見た光景は日本人のゲートに平然と並んでいる30歳くらいの外国人(白人)が居た。不思議だなと思ったが家族が日本人でそこに並んだのかな?と想像したがそれらしい人も近くには居なかった。やがてその男の番が来て入管の前に立った時、入官から『外国人は向こうに並んで』と日本語で告げられた。当然の帰結であろう。

普通であればまた外国人のゲートの前に並びなおさなければならないはずであるが、なんとその男は『○uck off』と言葉を残してパスポートに入国許可のスタンプも無く平気でbaggage reclaim(手荷物受け取り)の方向にあるいて行った。

この男もすごいが、自分がもっと驚いた事は、入官がその男を追っかけ捕まえるわけでもなく、只手を2,3度横に振りそのまま放置して何もしなかった事である。

同じ事を日本人がロンドンのヒースロー空港の入官の前でやったらどうであろう、間違いなく国外退去で日本まで官憲に付き添われて強制送還させられる。イミグレーションのオフィサーとは言い換えれば国家権力の対面を持った仕事とも言える程強力な権限を持たされているのが普通である。そう信じていた自分はこの成田の出入国管理官の態度にはどう考えても納得が行かなかった。入官がそこまで馬鹿にされると云う事は、言い換えれば日本人全体が馬鹿にされたことと同じ意味合いを持つ。本来ならば自分の間違いを詫びて並びなおし入国を許可してもらわねばならないはずの外国人から侮辱の言葉を投げつけられて、何もしないとは一体彼らは何の仕事をしているのであろうか。

別の実例も紹介したいと思う、3年ほど前に日本から来た3人の指導員と共にアフリカ地区講習会に行った時のことである。

ヒースロー空港からケニアの首都ナイロビ行きの飛行機に乗り込んだ我々に、何か男の声で叫んでいるような声が聞こえた。

声は益々大きくなり、よく聞くと『イタイ!イタイ!』『助けてくれ』と言うような事を泣きながら訴えているようだった。

そしてその方向には屈強な2人の警官が上から毛布のような物を被せて、下にいる黒人の男の頭を上から押さえつけている光景が飛び込んできた。婦警が周りの乗客に説明して回っている。しばらくして我々のところに来たので聞いてみると国外退去命令(強制送還)の男のようである、今日の朝ナイロビからロンドンに着いて入国しようとしたのを拒否されたらしい。

婦警が『飛び立つとあきらめて静かになります』というのでホントかな?と見ていると、婦警の言ったとおり飛行機の車輪が滑走路を離れた瞬間叫び声は聞こえなくなった。手には手錠が掛けられていたが男は平気そうな感じだった。 フーン官憲とはそこまでやるんだ!と言うのが偽らざる印象だったが、果たして日本の官憲がこの様な場合手錠を掛けた外国人を頭から布を掛けて、座席の間に押さえ込んでいる姿はなかなか成田の一件を知っている自分には想像できなかった。

本来の任務(この場合不法入国者の国外退去)を遂行しようとすれば周りの乗客に対する配慮(説明等)は必要であろうが、第三者の視線を気にしているばかりではこの様な措置は難しいと云う事である。国家権力にはこれ程の強い権限が与えられている訳で、その事を思うとき日本の官憲には果たして周りの目を気にせずに、ロンドンの空港で目の当たりにした強行手段が取れるかどうか。

日本人の資質が問われているようでもある。

2007/11/19

英語の読み方は難しい

英語表記の中で読み方が未だに難しいと感じるのは地名である。

外国人、特にアルファベットを母国語に含まない国民にとって名前や地名は本当に複雑なルールがあるようだ。確かに日本語でも漢字文化で教育を受けている小生にも名前や地名には難しくて読めないものはある。こう考えると、どこの国でも人名、地名は無理やり付けた読み方が定着したと言えるかもしれない。

ロンドンに来た当初住んでいたフラットの近くにGloucester Road(グロスター ロード)と言うのがあるのだが、どうしてもグロセスター ロードと読んでいた。また別の駅でFulham Broadway(フラム ブロードウェー)というのも、どうしてもフルハム ブロードウェーと呼びたくなる。その他にもHampstead(ハムステッド)やEuston(ユーストン)など簡単そうで、その実なかなか難しい。

あるとき日本人の友人が「エドガワ ロード」と言うので何所かナァと詳しく聞いてみるとEdgware Road(エッジウェアー ロード)の事だった。確かにエドガワと読みたくなるのも分かるが...地名や駅名の読み方は30年以上過ぎた今でも正直苦労する。 それはおそらく学校教育をこの地で受けていないからであろう。ある種のルールがあるのであろうが日本でいい加減な勉強しかしてこなかった報いがこの様な形で現れるものなのであろう。

このところ会話には余り不自由する事は無くなったがそれでも苦労する事は、人によって大きく異なるアクセントの癖と方言だ。初めてグラスゴー大学に講習会で行ったときは8割くらいの会話が理解できなかった。その後何回も行くうちに少しづつ独特のアクセントも理解できるようになってきた。何よりもグラスゴー出身の大学OB拳士が小生の支部に転籍して来てから大いにその癖のある訛りにもやっと聞き取れるようになってきた。

日本でも地方により方言や訛りが強い地域があるが、グラスゴーも地域の言葉(アクセント)に強いプライドを持って居るのかもしれない。しかしその独特のアクセントを初めて耳にする外国人が聞き取りに苦労する事は言うまでもない。

英語の発音で耳学から入った自分は時としてTVや映画でアメリカ物を見ると相変わらず聞き取りに苦労する。幸いにして、ホリウッドの映画はそれ程ストーリが複雑ではないため大方の会話や成り行きは映像で理解は出来るが、瞬間的な言い回しが英国のそれと異なった発音の時には理会出来ないときもある。

ヨーロッパで英語に非常に強い国はオランダやスウェーデンが筆頭であろう。オランダ人の話す英語は普通に聞き流していると英国人の会話と区別がつかないほどだ。スウェーデンはどちらかと言うとアメリカン アクセントの方が近いのではないかと思うが、子供から年配者まで実に流暢に英語を話す。その点フランス人やイタリア人、スペイン人の人達の英語には少なからず癖がある。その多くはすぐ何処の国か分るほどに違っている。フランス人の話す英語とイタリア人の英語では聞き間違える事は少ない、もちろん両方とも完璧な発音が出来る人達も居るので例外は付き物だが比較的分りやすいと思う。

それは我々日本人が話す英語も他の国の人にとっては同じであろう。中国人の話す英語と同じ東洋人でも日本人の英語では少し癖がでる。それは母国語のアクセントが大きく影響しているからであろう。これは何処の国でも言える事なのでとりたてて問題にするほどのことでもないと思う。

母国語にアルファベットを使っている国でも英語の読み方は難しいらしい。我々日本人に比較的容易に発音できたり、読む事がローマ字読みに近いスペイン語やイタリア語等は、逆に英国人には難しいようだ。前にも別の項で書いたと思うがどうしても自分達(母国語)の読み方や発音の仕方(癖)が出るからだろう。同じアルファベット表記でも英語とフランス語、イタリア語ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、ギリシャ語などなど全く違った言い回しや表記になる事は珍しくは無い。そんな事が何処の国の言葉でも一筋縄では習得できない難しさではないのだろうか。

2007/11/11

イメージ重視

日本人の外国に対する何らかのイメージが存在することを時々認識することがある。

それは日本で発刊されている本の内容や、外国を紹介するTV番組の映像なども限られた情報を発信していることに気がついたからである。

例えばイギリスの事を紹介した本ではそのほとんどに礼賛本が多く、現実の姿をかなり誇張した部分的なことをステレオタイプのイメージで事実よりも良く紹介する例が多いからである。

それらの著者は日本人でしかもイギリスをよく知っていると自画自賛している人達である。そして極端な例で日本と英国を比較して日本を揶揄したり、英国を礼賛したりと言ったことをよく見かける。英国人が自国の事に誇りを持って良く紹介することは理解できる。しかしながら日本人が薄っぺらな知識で単純に特定の現象や例外的な事柄をとらえ、いかにもその事をして英国が素晴らしく、日本は未熟な社会であるなどと言う決め付けは読んでいても片腹痛い。

『バカも休み休み言え』と小生等は思ってしまう。

しかしよくよく考えてみると英国通を自認する人達がなぜその様な陳腐な英国礼賛を繰り返し書くのであろう。これは日本人の中にこの様な内容の本を好む人達が多いからではないだろうか。別の言い方をすれば正直(正確)な現実だけを取り上げて書いても誰も喜ばないし、そのような本は売れないからであろう。ちょっと落ち着いて考えればどこの国にも日の当る部分と日陰の部分がある事はすぐに分かるはずである。

しかしこれらの本を買って読もうという人にはファンタジー(幻想)の世界を期待して居る人達が多いようで、現実をそのまま紹介したものや日本と共通する問題などには興味が無いのではないかと思われる。

TVでの取り上げ方も本とよく似ている、まず映像として美しいものや珍しいものに偏ることはある程度理解できるが、現実の世界には世界中どこの国でも影の部分は存在する。政治的に関係が上手くいっていない国の取り上げ方を見ればより見えてくると思うが、日本のマスメディアで取り上げられる北朝鮮の映像や情報には否定的な表現が多い。これはメディアにしても国民の感情やテイストを無視することが出来ない為であろう、特に民放等はこの様な傾向がより強く出ることが度々感じられる。

では公共放送を謳うNHKはどうかと言えばドキュメンタリー番組などでは中々見ごたえのある番組にも出会うこともあるが、全体的な印象はやっぱり大多数の日本人の趣向に合わせた番組作りをしていることには変わりない。また英国でも同じ立場となるBBCと比較すると世界に発信する情報のプレゼンス(存在感)に大きな差がある事は残念ながら認めなければならない。

NHKに言わせれば『お金の掛け方が違う』と言うかもしれない。確かに英国では公共放送に対する受信料拒否は許されていない。

不払いが発覚すれば有無を言わせず自動的に罰金となるから徴収漏れは日本より少ないかもしれないが、それだけで番組に対する信頼が上がるとは思われない。日本のメディアが民法そして公共放送を問わず日本人の趣向に合った番組作りをしている以上海外で多くの信頼(支持)を得ることは中々難しい事ではないか。

現在の日本のTV番組の中で世界中に圧倒的なプレゼンスを持っているものが有るとすればそれはアニメーションではないか。

これは世界でもっとも進んだ制作技術を持っており、且つ又日本人が得意とするファンタジーの世界を扱っているからだと思う。

優れた漫画家や製作者が世界でも最も多い国が日本であることは世界中が認めている。しかし残念なことに世界が認めたアニメーション技術の素晴らしさや、世界中に進出しているこれらの作家やプロダクションの日本国内での認識度は今一つ低いのではないか?

日本がいち早くこの分野で成功を収めたプロダクションも現在ではアメリカのウォルト ディズニー社が筆頭株主である。その優れた作品が生み出す巨額の利益を世界で娯楽をビジネスにする巨大企業ウォルト ディズニーが見逃すはずがない。

ここにも日本の社会が持つ自分達の文化に対する認識度が外国よりも低い事が分かるのではないか、外国企業に乗っ取られる前に先に日本国内からこれらの優れたアニメーション作品を認める風潮がおきなかった事を残念に思うのは小生だけだろうか?

アニメーションの趣向も確かにアメリカと日本では異なる。アニメの中で歌や踊りが必ず登場するディズニー作品とストーリー重視の宮崎駿氏の作品には、アメリカ人と日本人のアニメーションに対するテイストの差が見て取れるが、この差こそが実は日本アニメのアイデンティティー(身分証明)なのではないか。外国から認められなければ本物では無いと多くの日本人が考えているとしたら書籍やメディアに限ったことではなく永久に日本人のアイデンティティーは世界で認められる事は無いと思う。

2007/10/27

個性ある先生達

少林寺拳法はこれまで数多くの指導者を輩出しているが、草創期開祖の直弟子と呼ばれる人達には個性の強い先生達が数多く居た。それぞれに異なった個性の持ち主ではあったが個々に得意分野を持ち、それがまたそれぞれの先生達の大きな魅力でもあった。

ある先生が『もし開祖に出会っていなかったらどんな人生を歩んで居たか分からない』と言っていた事を思い出す。考えてみると開祖はそれだけ幅広い人材を受け入れる度量があったことが、結果としてそう言った人達を指導者にまで育て上げたわけである。

自分が少林寺拳法を始めて影響を受けた先生は結構な数になる。すべての分野で影響を受けたと言うわけではないが個々の先生や先輩から自分が感心したことや共鳴したこと等は、その後の少林寺拳法に対する自身のあり方にも少なからず影響している事は間違いない事実である。
多くの場合それらの先生から影響を受けるのは技の場合が多い。技と一口に言っても少林寺拳法は剛法、柔法、整法その他にも尺丈や如意棒等数が多い。それら自分が未熟な部分を満たしてくれる指導者には技術修練を通して技術と共に考え方まで学ぶ事が多い。

そんな中で『これは自分とは違うな』と感じることも勿論あるが、多くの場合素晴しい技に出会った時などそれに至る修練の過程でその先生が培われた経験などは大いに参考になることが多かった。

ある先生は整法や活法に大変秀でた実績があり講習会の都度当身や絞め技で手本を見せ、見事に甦生させて拳法の当身の仕方や活法のやり方まで指導して頂いた。学生合宿や国際講習会等どのような場所や相手でもその切れ味は変わらなかった。

当然急所の捉え方は的確で指1本で相手を制す圧法も見事であった。また同時にその先生は整法も深く研究されており多くの拳士が講習会の後で体調の悪いところを直してもらっていた事を思い出す。

また別の先生には柔法に対するヒントを数多く学んだ。直接手を取って指導頂いた時には長年悩んできた技が『眼から鱗が落ちる』とはまさにこの事か思うほど理解できた。とは言ってもすべての柔法の技が理解できた訳ではない。数多くの失敗や別の先生からのアドバイスでは理解できず悩んでいた技である。それが氷解した時のうれしさから余計にその先生の技に対する信頼とそこに至るまで技を極められた先生に尊敬の気持ちが強く感じられたものである。

総じてこれら開祖の直弟子と呼ばれる先生方は強面の人が多かった、顔が怖いと言うのではない。開祖から厳しく妥協の無い指導を受けた直弟子達の物事に対する姿勢、そこから醸し出される言葉や雰囲気が強面に感じられたのではないかと想像する。

その様な先生達が少林寺拳法の歴史を創ってきたと言っても過言ではない。少林寺拳法独特の剛柔一体の演武を完成させた先生方や尺上や如意と言った法器を得意とした先生も居る。この様な多様な個性の先生達をひとまとめに指導できた開祖宗道臣の偉大さには今更ながら感服させられる。

こうした多様性のある人達を擁する事が出来た少林寺拳法と言う武道が比較的短い歴史の中で組織がこれほどまでに急成長してきた主な理由ではないかと思う。

2007/10/16

ゲイ プライド

毎年夏になるとロンドンのマーブルアーチから始るデモンストレーションの一つにゲイ プライドと言うものがある。

当初は何のデモか分らなかったが何十万人ものゲイとレズビアンのデモだと分った。毎年この日にはハイドパーク沿いのパークレーンという道(ロンドン北部から南部へ行くための中心地を通る道)は2時間以上交通規制が敷かれ車の通行は完全に麻痺してしまう。

アメリカが発祥の起源らしいが、毎年この季節には世界中の都市でゲイ プライドと銘打ったパレードに何十万人ものゲイやレズが参加して祝うらしい。一種のお祭りなのであろう。

道場への道のりなのでこのデモにぶつかるとその日の練習には出られない。それ程延々とゲイ プライドは続くのである。

断っておくが、ゲイやレズの事をとやかく言うつもりはない。個人的な事で他人が傍から中傷するものではない事は充分承知しているが、同時に「それ程自慢(プライド等と)する事か?」とも思ってしまう。

ある時、道場で練習に遅れた理由を説明するときに『今日はゲイ プライドのデモがあるとは知らなかった。全く迷惑なことだ。』と言うような事を話したと思う。道場が終わって更衣室に行くときに一人の男の拳士から『先生、余り彼らの事を批判しないほうがいいと思います』と言われた。

自分はゲイの人達を攻撃したわけではなく、デモが迷惑であると言いたかったのだが、結果的に(聞き方によっては)ゲイそのものを批判しているように聞こえたのかも知れない。彼の言い分によるとゲイの人達は長年歴史的に差別されてきたので、この自由な時代において、自分達の権利(人権)をあのように主張しているのだという事だった。

それは理解できる。しかしそれでも性的指向をそれ程誇りを持ってこれ見よがしに主張するべきことなのか?小生には未だ正直なところ答えを出し切れていない。

ゲイの人権が大切と主張するのであれば、ストレート(普通人)の権利も大切であるはずだと思う。歴史的にキリスト教等では確かにゲイを認めてこなかった(違法だった)。特にカトリック教会等は避妊すら認めていない団体であれば、ゲイやレズといった存在を認められるはずもない。

しかしこれには理由が有るからではないのか。世の中の人達のマジョリティ(大多数)がゲイやレズになってしまえば、人類は滅亡に向う事は避けられないのではないか?

ゲイ プライドのデモを見ていると実に様々な人達がいるものだと認識できる。個人の人権が尊重される事は何の問題もなく、大切な事だと自分も思う。多様化する人間文化ではあるが果たしてこのままの価値観で良いのかどうか。考えても容易に答えは見つからないのが、この問題の難しさではないだろうか。

人類などと大上段に構えなくともヒトは間違いなく地球上のスピーシーズ(生き物)の一つである事には疑問の余地がない。生き物であれば種の存続には♂と♀という二つの異なった性の調和こそ『種』の存続や発展には欠かせない要素だと個人的には思うのだが。

2007/10/11

マルタという国

マルタ共和国 今年のホリデーで行った島(独立国)である。
マルタは地理的環境から古くは北アフリカのハンニバル、カルタゴの支配を受け後にアラブ人やノルマン人そしてスペインなどの支配を受けてきた。ナポレオンによるエジプト遠征時にはフランスの支配下におかれ、その後英国が支配するといっためまぐるしい変革を経てきている。
行く前には地中海の真ん中にあるし、イタリアのシシリー島に一番近いためイタリアの影響があって食事は上手いかな?と期待していたのだが、残念ながら期待していたとおりには行かなかった。

現在の首都は世界遺産にも登録されたバレッタで、城壁に囲まれた旧市街地は歴史的な建物に現代のビジネスが織り成す独特な雰囲気を醸し出している。

     

我々が滞在したところはバレッタとは島を挟んで反対側に位置するリゾート地であった。島の反対側といっても島(国)自体が淡路島の半分程度と小さい為バスの移動でも30分程度で行けることになる。我々は英国の旅行会社を通して行った為、滞在先のホテルや周りの観光客などはイギリス人ばかりでロンドンに居るのとそれ程変わった環境とはいえなかったが、唯一地中海のさんさんと注ぐ太陽だけは何ものにも代えがたい精神的喜びだった。

首都バレッタの市街地に入った時、目に飛び込んできたストリート名“Wembley St.”を見た時にいったい何処に居るのか?と一瞬迷った。(Wembleyはロンドンの家のある地区だ。)ホテルの食事はそのほとんどが英国からの年配のホリデー客と言う事もあって、朝はイングリッシュ ブレックファーストから始まり夕食もロースト ビーフやポテトがどっさりと言う典型的な英国料理で締めくくられるのには、イタリア料理等を期待していた我々を大いにがっかりさせた。

町に出ると道路はイギリスの植民地時代の名残か日本やイギリスと同じシステム、車は左側通行なので比較的道を横断する場合にも他のヨーロッパや北アフリカの国に比べて緊張する事も無かった。

交通システムの中では町を走るバスに興味があった。何十年も前のバスを思わせるデザインの車が現役で走り回っている事だった。何かに似ているなと考えていたら『となりのトトロ』に出てくるバスのイメージそっくりではないか!何枚も写真を撮った。愛くるしいノスタルジックを感じさせるバスであったが不思議にも1台として黒煙を上げているものには出会わなかった。おそらく外観をそのまま使っていてもエンジン等の動力機関は最新の物に交換してあるように思われた。



マルタ滞在中隣のゴゾという島にも渡ってみた。ゴゾ島はフェリーで25分と目と鼻の先に位置する小さな島である。こんな小さな島にも協会がいくつもあることには感心した。中でも一番古い教会は第二次世界大戦でドイツから空爆を受け協会の天井に穴が開いたが、落下した爆弾は不発(神の救いか?)だったらしくその爆弾(レプリカだと思う)が陳列されていた。

滞在先でもゴゾ島でも日本人観光客に何度も出くわしたが、こんな小さな島にまで数多くの日本人が観光に来るという。日本という国の豊かさはやっぱり近年特に経済力を付けてきた韓国や中国とは未だ格段の差が有るのかも知れない。

       

2007/10/06

高級車とは

車にことのほか思い入れが強かった自分はロンドンに来て驚いたことがある。英国には車を所有するのにガレージや保管場所を証明する必要が無い事である。その為夜になると路上のいたるところに(シングルイエロー、黄色の単線区域)には駐車した車で一杯になる。

昼間は駐車違反となるこの様なシングルイエローの道路も夜6時半を過ぎるとほとんどの場所で問題なく駐車可能である事も驚きだった。日本ならば昼間であろうと夜であろうと駐車違反の場所に車を留めれば何時でもレッカーのお世話になることだろう。さすがにロンドンでもダブルイエロー(黄色の二重線等)は厳しく何時でも取締りの対象となるが。

そんなことからロンドン中心地には多くの高級車が路上駐車をしているのを見たときには驚いた。今小生の道場があるメイフェアー地区はロンドン中心地でも一際高級車が多い。70年代には100メートルを歩く間にロールスやベントレー等の高級車が何台も留まっている光景を見かけた。このごろではSクラスのメルセデスやフェラーリも良く見る。

しかし本当の意味でイギリス人の彼らが高級車と認める車はロールス ロイスやベントレー アストン マーティン等のように一つ一つクラフツマン(熟練工)によって手作業で作られた車であることが説明を受けて分かった。この様な高級車は皮シートやウォールナッツのダッシュボードばかりでなく車のボディーも手作業で造られている。

ドイツ製高級車がウイング(フェンダー)からドアまでビシッとチリの合ったラインで極められているのに対してふっくらとしたラインでドアも緩やかなカーブを熟練工の手作業だけで打ち出したロールスやアストンの車体は日の光も時として柔らかな反射となる。チリの合わせ方などはドイツ車や日本車には及ばないが手で打ち出したシェイプはなんとも言えない高級感をかもし出す。

70年代まで作られたロールス ロイスのコーニッシュやアストンDB6くらいまでの英国製高級車には色濃くこの様な熟練工の技が見られた。残念ながら今日ではこの様な車を見かけることがなくなってしまったが、プレスによる何万台でも同じ形に型押しされた大量生産車が今では高級車の部類になってしまった事は少々寂しくもある。

もともと車はすべて高級車であった。フォードによる量産車の生産が車社会に革命を起こしたことは言うまでもないが、そのお陰で世界中で普通に誰でも車を所有することが出来るようになった。そういう意味では車における産業革命も感謝すべき事なのだろう。アメリカでT型フォードが成功する以前の車と言えば内燃機関のエンジンにコーチビルダーと呼ばれる馬車を作る熟練工に車体を作らせていたのだから、一般の庶民に買えるわけがなかった事は容易に想像がつく。

1920年代、30年代の車はどれも高級車だったことは言うまでもない。 ブガッティー ロワイヤル、イスパノ スイザ、昭和天皇が3台所有されたグロッサー メルセデス、どのクルマをとっても一般人が買える車ではなかった。

では現代の高級車はどうか? フェラーリ、ポルシェ、は言うに及ばずメルセデスやBMWそして日本製のレクサスまで高級車の範囲は広くなったがクラフツマン(熟練工)の技は残念ながら必要なくなってしまった。

マイバッハ(5200万円)やブガッティ ヴェイロン(1億7000万円)そして最近売り出されたロールスのファントムドロップヘッド クーペ(5200万円)等は現在の超高級車だが、さすがに70年代とは異なり、これまでのところ夜中の路上駐車でお目に掛かったことは無い 。

2007/09/27

自己責任型社会

ロンドンに来たばかりの日本人が先ず驚く事は、歩行者のマナーの悪さではないか?歩行者用の信号機が赤であるにも拘らず車が近くまで来ていなければ堂々と横断する。小生も当初良いのかな?と思いつつ何時の間にやら他の人達と同じ様に渡っている。

これは警察官が近くに居ても全く同じである。それを見た警察官が注意をする事など見た事がない。この様な街は多分ヨーロッパでも少数派であろう。なぜならばスウェーデンやフィンランド辺りから来た人達にも初めは驚きのようである。何も外国人ばかりでは無く英国の地方都市から来たイギリス人やスコットランド人にもこの様な習慣は無いようだ。

ではパリやローマと言ったヨーロッパの他の大都市ではどうかと言えば、やっぱりロンドンと同じ様に歩行者は赤信号無視の人達が多い。 さすがに車は信号を無視する事は少ない。なぜなら信号機の近くにはカメラが据え付けられている場合があり信号無視の車が通るとピカーッと来るからだ。後で罰金を払わされることでもあり一応ルールは機能している。

ロンドンの拳士が日本に行って先ず感じることは、東京のような大都会でも歩行者が赤信号で皆行儀良く待っている事だ。当たり前の事だがロンドンの交通システムに慣れている彼らには逆に新鮮に映るのかもしれない。『先生日本人は行儀が良いね』と聞かれた時には何とも答えようが無かった。

この習慣を考えて見ると日本では法律を厳格に運用しようとする。市民の便宜性よりも法律が優先される事は当然な事としても警察官が規則通り歩行者にも車と同様の取締りの対象とする事も歩行者が信号機を守る一因ではないかと想像する。

今一つ社会の中での人々の法律や官憲に対する信頼も大きな違いと言えるのかもしれない。ヨーロッパ人の彼らにとって法律は最後の手段であってそれが個々のケースで市民を守ってくれるとは考えていない事だろう。

自分の身は自分で守る、つまり交通環境の中にあっても車や機械(信号機)を100%は信用しない(信用できる機械を作っていないとも言えるかもしれないが)。事実ロンドンを車で走っていると点灯していない信号機を時々見かける事がある。

彼らにとって信号機を信じて青信号で横断中に車にはねられる事も自己責任の範疇(自損という意味で、治療費や慰謝料は支払われるにしても)に入るわけで、そうであるなら『赤で横断しても責任は自分にあるのだから文句は無いだろう』式の言い分だと想像する。

翻って日本人のメンタリティーとしては、法律がある限り法(お上や法律)が市民を守ってくれる式の信頼型、悪く言えば社会依存型メンタリティと言えるのかもしれない。

現実問題としていくら法整備が整っていても最終的に身を守る(交通事故から)のは自分自身だという事は日本もヨーロッパも同じはずだが、お上や機械に対する信頼がヨーロッパでは今一つ低いことも自己責任型社会の原因として挙げられるのかもしれない。

交通システムでその他気付いた事は東京などの大きな交差点で時々見かける縦横同時に車が止まり、横断歩道が交差点の真中にX字に書かれており、歩行者がどの方向にも自由に渡れる交差点はヨーロッパでは見たことが無い。

それに歩行者、なかでも特に視覚不自由者の為に音楽やヒヨコの泣き声が流される交差点も見かけない。横断歩道にはこれも視覚不自由者の為に歩道の一部にパターンがブロックに入っている事も親切なシステムだと思う。自分が視覚不自由者ではない為イギリスでのシステムがどの様に作られているか分からないが、日本のこの様な装置は小生がイギリスのシステムが分からないのと同様に外国人の健常者にもなかなか分からないと思う。

自己責任型の特徴を一つの事故が起きたことを例に見るとかなり異なる結果になる。例えば歩行者が携帯電話などに夢中で赤信号に気付かず横断歩道に入り車と接触する事故が起きたとすると、日本のシステムであれば歩行者に非があるこの様な場合でも車の運転者は前方不注意と言うペナルティを少なからず問われ、歩行者が怪我をしたような場合には治療費を支払うばかりではなくお見舞いにも行く事になるのではないか?

しかし自己責任型社会においては歩行者が携帯電話をしながら信号無視という責任が問われる為、状況にもよるので一概には云えないが運転者に責任が及ぶ事は考えにくい。もしその事故で歩行者が軽い怪我で、車にダメージが生じたとすれば歩行者に修理の為の賠償責任が課せられる事も充分にありうると云う事である。

この様に考えるとお上が守ってくれる(依存型)社会にあっては法律も強い立場(この場合歩行者よりも車)の方により厳しい責任を要求する事になり、自己責任型社会においては車(運転者)も人も同じ立場におかれると言うわけである。

2007/09/22

ミュージシャンの素晴らしさ

世の中でミュージシャンと呼ばれる人達は数多い事と思うが、時々彼らを羨ましいなァと思うことがある。

それは音楽のジャンルを問わず、そのジャンルの好きな人々を魅了することが出来ると言う事ではないか。クラッシックが好きな人、ポップスのファン、演歌や歌謡曲の好きな人とそのジャンルは様々であるが、それぞれの音楽を愛する人達にそれぞれの分野で感動や勇気を与える事もミュージシャンには出来ると言うことだ。

音楽を聴き涙する人や、その音楽と接することによって生きる希望を見出す人が居ても何の不思議も無い。音楽や歌が人に与える力は我々が想像するよりもはるかに大きいと思う。

自分の場合はジャズが好きであるため何度も好きなミュージシャンのコンサートには足を運んだことがある。いくら好きなミュージシャンでもその日のコンディションが当日のプレーに大きく関わっている事を時々その日のコンサートで知らされることがある。

彼らもある意味アスリート達に近いのかも知れない。期待した音が出なかったり、今一つ乗りが悪かったりすることも時々経験した。 ジャズと言う音楽の持つ特徴かもしれないが、総じて大きなコンサートホールでのギグは今一つミュージシャンが乗れなかったり、観客とのコミュニケーションが上手くいかない事を目の当たりにしたことが何度かあった。

もちろんこの様な例ばかりではなく、大きなコンサートホール全体を巻き込んだ素晴らしい演奏を聞かせてくれるミュージシャンも幾度も経験しているので、やっぱりその人個人の問題なのか?得意、不得意があるのか?はたまたその日の体調や精神状態が影響しているのかは断言できない。

ミュージシャンのすごさはその本人が自覚しているかどうかは別に、かなり本能的なところで音楽に向き合っていると言うことではないか。言い換えるとミュージシャン本人の持つ文化的特長(民族的と言い換えても良い)が全面に出ている場合が良くある。

これはその文化を共有しないものにとっては少しも楽しくは無い。ジャズのプレーヤーが黒人でなくても良いが、マイルスやコルトレーンの演奏にはどこか音楽の中に彼らの血から出たのではないかと思わせるフレーズや表現があるように思う。

これはテクニック(演奏技術や音楽的教養)とは異なった部分での音の使い方であったり、白人のジャズ ミュージシャンが努力して出せる音ではないように感じるのだ。勿論マイルスやコルトレーンの演奏技術や音楽的教養は人一倍優れていることは誰しも認めるところだが。  

同じように演歌の好きな人にとっては日本や韓国に見られるコブシの利いた歌い方こそが、魅力の一つであろうがこれとてもそれ以外の文化を共有しない国の人達にとっては理解できない部分だと思う。

インド系の人達が聞く民族音楽も我々にはどれも同じに聞こえるし、フランスのシャンソンやイタリアのカンツォーネそして悲哀を全面に出したポルトガルのファドも、寂の部分では言葉は分からずとも悲しさは充分に伝わってくる。しかしながらポルトガル人が感じる事の出来るファドの持つ音楽的な深さは残念ながら小生には理解できなかった。

マリアゴンザレスと言うファド名手(ポルトガルの美空ひばりとニックネームを付けた)のCDからは彼女の声の素晴らしさと歌の上手さは理解できても、本当の意味での感動は我々日本人にはなかなか難しいように感じられた。

別の言い方をすれば、美空ひばりの良さがヨーロッパやインド、アラブ、アフリカ等の国で理解されることは難しいだろう。

そんな音楽の世界でクラッシック音楽だけが洋の東西を問わず、ミュージシャンの国籍や文化的背景にも関係なく愛されている事は基礎としての音楽の持つ要素が世界的に統一されているからであろう。勿論ジャズの世界においても黒人ミュージシャンばかりが素晴らしいと言うことではない、白人のミュージシャンや優れた日本人のジャズマンも知っている。

どのジャンルの音楽についても言えることはクラッシック音楽で確立された基礎としての音楽的要素を充分に習得せずには一流と言われるミュージシャンにはなりえないと思う。

冒頭にも書いたがミュージシャンの素晴らしさ(羨ましさ)は、自分の好きな分野で人々を幸福にする出来ると言う事だ。そしてレコードやCD等の記録媒体により何十年でも多くの人々に感動を与え続けられることではないかと思う。

2007/09/19

常勝の日本がそれ程喜ばしいか?

現在少林寺拳法は世界で32ヶ国まで広まってはいるが柔道や空手などと比べるとまだまだ少ない数である。歴史的に世界へのデビューがこれらの日本武道よりも遅かった事も影響している。

これまでの少林寺拳法の国際大会では日本がほとんどの部門で優勝している。別に優勝することが悪いわけではない。インドネシアも時々良い結果を出してはいるが、優勝はそのほとんどが日本の拳士が独占していると言っても過言では無いだろう。

よく空手の国際試合等で日本人選手が外国の選手に負けると『空手よお前もか』みたいな見出しが新聞などに出る事がある。日本人の心情としては理解できないことも無いが、現実的に考えれば世界的に普及したスポーツであれば例えそのスポーツを創造した国であっても常勝できることは考えられない。

イギリスはフットボール、ラグビー、クリケット、ゴルフ、テニス等世界でメジャーなスポーツとして定着ているスポーツを生み出した国である。しかしその多くがほとんどの国際試合やワールド カップ等の大会においてイギリス人選手がいつも勝つと言う事は無い。

つまりフットボールを例にとっても世界中で最も広く愛されるスポーツであり、どこの国でも統括組織が整備され、優秀な選手は国境を超えてプレーをしている。4年に一度のワールド カップにおいてもイングランドは強豪国の一つではあるが、優勝したのは1966年の自国開催の1回だけである。

このことはフットボールと言うスポーツがもはやイギリスと言う発祥国のアドバンテージが通用しないほど世界中に広まっている事を指し示している。言い換えるならばいつも毎回同じ国しか優勝しないようなスポーツは、その発展段階がまだまだ世界規模では無いという証ではないだろうか。

柔道もオリンピックでは毎回全てのカテゴリーで日本人選手が金メダルと言う事は不可能に近い。なぜならばオリンピック ゲームはどこの国でも政府が振興に力を入れている。日本からも優秀な指導者を招き技術力アップに余念が無い。その様なスポーツこそ世界中で認められた、言い換えれば市民権を得たスポーツと言えるのではないか。

その意味においては日本が常勝の少林寺拳法は、現時点においては残念ながら真の意味で世界中で認知されたスポーツ(武道)とは言えないように思う。逆の意味において空手が世界大会で勝てなくなって来た事は、それだけ空手が世界中で普及している証でもあり日本の一般市民の心情は別にして、空手家としては喜ばしいことであるとも言える訳だ。

ここで言いたい事は『だから少林寺拳法もオリンピック ゲームになるように努力するべきだ』と言う様な短絡的なことではない。少林寺拳法がオリンピック競技を目指していないことは承知している。しかしオリンピックの普及力を利用せずに、どうやってに少林寺拳法を発展させてゆくのか?その発展はどの様に世界中で広まることが好ましいのか?等のストラテジー(戦略)が必要ではないか。

オリンピック スポーツの持つネガティブ ポイントを単に羅列する事は簡単な事である。しかしながら『オリンピック競技でないからその害を受けない』というのは無理があると思う。我々少林寺拳法の指導者はオリンピックから何を学び、少林寺拳法がその様にならない為にはどうすべきかを提示しなければなるまい。

卑しくも少林寺拳法は『理想境建設に邁進す』と言う崇高な理想を掲げる団体である。その目指すところがいくら崇高なものであっても賛同者(この場合拳士)の数が少なくては実現は難しい。

また『世界の平和と福祉に貢献』しようとする団体であれば、世界中に少林寺拳法を修練する拳士が必要になる。こんな状況を見るとき国際大会において日本が常勝と云う事は余り嬉しくない現実ではないか。

本当の意味で世界中のあらゆる国に少林寺拳法が普及してゆけば国際大会での日本の常勝は無くなると思う。しかしその時こそ我々が掲げる理想にはいくらかでも近くなったと言えるような気がする。

2007/09/15

運転免許証の話

英国と日本の自動車運転免許証には少々異なった事情がある。

1975年に日本から持ってきた国際免許証が切れたのを機に英国の運転免許証を取ることになった。当時は日本の運転免許証からの切り替えはできなかったので、新しく英国の免許を取ることが必要になったわけである。日本で運転免許を取得してから8年、その間日本でも渡英後もずっと運転をしていたし、日本と同じ左側通行なので特別難しくはないだろうと考えていた。

英国の自動車教習には日本のような自動車学校のようなものはない。いきなり路上で車の前後に「L」のプレートを付けて練習することになる。自分は運転そのものは問題無いだろうと思っていたのでそう言った路上での教習も受けなかった。

それよりも交通ルールを試験官から聞かれたときにどう答えるのかが心配だった。筆記試験などは無くドライビングの実技試験が終わると口頭での質問である。幸い当時は通訳者を入れることが許されていたので英語の出来る友人に頼んだのだが、友人が免許証を持っていれば役立つ事も考えられるが自分の場合そうではなかった。

試験当日は自分の車を持って行き、試験官が車に問題が無いか簡単にチェックした後、助手席に同乗して試験となる。通訳者は後ろの座席に座って試験官が言うことを受験者(この場合は小生)に伝える。試験が一通り終わって問題なく出来たのでルールの口頭での試験になった。

始めに道路標識の質問があった、何問か質問される中に十のマークが出てきたのでよく考える前に『病院』と答えてしまった。十字路のことだったが通訳に入った友人が答えた後にしまったと思ったが後の祭りだった。

そのほかにも日本と英国での実技試験で異なるルールがあった。日本で禁止されている"送りハンドル、たぐりハンドル"がイギリスは重要で日本のようなクロスさせるハンドリングはだめとの事であった。そんな事とは知らず無事問題も無く実技は合格だろうと思っていたらそれを指摘された。国によってルールも実技の評価も随分違うものだなと改めて考えさせられた。

2度目の挑戦では問題なくオーバー気味にハンドリングのアクションをして合格だったが、その時もらった免許証は現在でも同じものである。書き換えが70歳まで無いのだ!また当時の免許証には写真も無く住所と生年月日、免許証番号等が書かれているだけで、免許証を見ただけでは誰のものか判らない事にも驚きであった。

現在は日本の免許証を持っていれば申請すれば英国の免許証を発行してくれる。同時に日本と同じようにクレジットカード大で写真付の物に変わった。

そうなると70歳まで書き換えの無い免許証は可能なのだろうか?と思ってしまう。なぜかと言えば17歳で取った免許証の写真が50歳でも通用するとはとても想像できないからだ。

確認してみると免許自体は70歳まで有効だが、免許証は10年ごとに更新するらしい。更新は申請用紙に古い免許証と新しい写真を添えて提出するだけでよいらしい。日本で更新の講習を受けて、更新料をとられることを考えれば何と簡単なことか。

自分は英国の免許証を取得してから日本の免許証の更新をやめてしまった。
その代わり今では毎年どこの国でも運転が出来るように国際免許証を取るようにしている。

2007/09/11

人材育成には時間がかかる

大阪で開かれた世界陸上が終了した。日本人選手の成績が女子マラソンの土佐選手の3位を除いて中々思うような結果に結びつかず、当初期待された日本人アスリート達が予選から決勝に進めない事に、多くの日本人が歯痒い思いをしたかもしれない。

しかし考えてみればこれは順当な結果ではないだろうか。今回期待された多くの選手は確かに過去の海外における世界クラスの大会において良い成績を収めた実績もあるが、彼らや彼女らの過去における好成績は日本新記録を出して3位入賞や2位で銀メダルと言う結果がほとんどである。

確かにハンマー投げの室伏選手のように先のオリンピックで金メダルを取った選手も含まれては入るが、塚原、末続、高平、朝原という日本短距離界のスター選手達が日本新記録を出した400Mリレー決勝の結果が5位と言う事は何を物語っているのか。現時点における日本人選手の短距離における実力はこの辺りではないのか。

メディア等には日本での開催が選手にとってプレッシャーになり結果に結びつかなかったと言う論調もあったが自分は逆だと思う。

海外での大会に比べれば日本人選手は大きなアドバンテージを持っていたはずである。数多くの観客の応援は何のスポーツでも自身の持つ力のプラスには働いてもマイナスになるとは思われない。また体調管理においても海外の選手に比べれば食事も普段のものだし、気候や時差などによる変化も少ないはずである。この事は陸上競技短距離界においてまだまだ世界のトップ アスリート達と優勝を争うまでにはなっていないと考えられる。

水泳競技は早くから日本は比較的数多くの優れたスイマーを輩出してきた。オリンピックにおける金メダルの数も他競技に比べれば多い方であろう。もちろん日本のお家芸柔道などに比べれば少ないが、この事を考えると世界で戦えるアスリートの人材育成には時間が掛かると言う事ではないか。

そして今一つ見過ごされそうな要素に人種による適正性は無いのか?陸上競技の圧倒的分野で短距離から長距離までアフリカ系選手のしめる層の厚さである。少林寺拳法をロンドンで教えているからこそ感じる人種による肉体的特長と言うものは確かに存在する。

アフリカ系(黒人)選手は骨太で筋肉が非常に強い!これは陸上競技に限って言えば大きなアドバンテージである。アメリカも英国もそしてアフリカ系の国民が居る国の陸上競技の代表は間違いなく黒人中心である。つまりよほどの例外的なタレント性を持った人材が現れない限り白人や黄色人種がアフリカ系民族を陸上競技で打ち負かす事は非常に難しいと思う。

しかしながらその黒人の持つ身体的特徴は水泳には不向きのようだ。一頃は人種差別が理由で黒人が充分な練習が出来ず優れたスイマーが現れないと言われた事もあったが、どうもこれは陸上競技のアドバンテージが逆に働き、骨太で強靭な体(重さ)が水の中ではディスアドバンテージになっているのだと考えるようになった。この様な人種による特徴は確かに競技種目において色濃く現れる事はスポーツ競技の集大成であるオリンピックを見てみればよく理解できるのと思う。

話を戻して、ハードウエアーの世界では日本の工業製品は殆んどの分野において世界で最も競争力の強い製品を送り出す国である。明治以来産業革命で遅れを取った日本はヨーロッパの国々から新しい技術や人材教育法をどんどん入れて日本の競争力を付けてきた。

富国強兵もその一つでヨーロッパの国から学んだ大きな要素である。その結果明治から今日に至るまで140年以上を経て日本の工業製品に対する世界の人々からの認識には確固たる地位を築いたと言える。

自分は車が好きな為GPレースにも興味があり殆んどのレースを見ているが、日本の車メーカー ホンダが60年代から参戦して比較的早い80年代中期には圧倒的な強さを誇った時期がある。その後他社メーカーの参戦もあったが中々結果を出すまでには至らなかった。最近では世界のトップメーカーにまで成らんとするトヨタが参戦してはいるが結果は未だ出して居ない。

しかし、もの作りに対する日本人の実績には疑問を持たないからトヨタやホンダが良い成績を出すのも時間の問題であろう。

残念ながら日本人ドライバーは佐藤琢磨になって初めて世界の一流処と戦えるドライバーが出てきた、彼もおそらく日本の陸上競技短距離選手と同じ様な立場なのではないか?彼が今年のフェラーリやマクラーレンに乗っていればアロンソやハミルトン、ライコネンと言ったドライバー達と対等に戦えたであろうか、小生は可能だと信じる。F1の日本人ドライバーには過去に中島や鈴木、片山といったドライバー達が出ているがその世代のトップ ドライバーとの間には大きな差が存在した。

その点、車のF1と同じくレースだけの為に作られたオートバイのグランプリである。MotoGP(モーターサイクルのグランプリ)には比較的日本チームや選手が早くから参戦していると言う実績もあり、世界チャンピオンも250ccクラスで過去に輩出している。

近年のグランプリ500ccクラスにも玉田誠が参戦して、時にはワールドチャンピオンのバレンチーノ ロッシに勝つ事もある。その他のカテゴリーでも日本人選手の層は厚く時々優勝のポデュームに上がる選手を見ている。

逆にひところ日本のバイクメーカーの独壇場だったMotoGPの世界にこのところイタリアメーカーの台頭が著しい。 レースには車のフェラーリと同じくらいの実績を持つドゥカティ、そしてアプリリアと言った新参ティームが結果を出すようになってきた。

これも世界の巨大メーカー ホンダ、ヤマハ、スズキと言ったGP常連組に挑戦する姿は、かつてのホンダがマン島TTレースに挑んだ姿に重なる。英国のバイクメーカーBSEやトライアンフ、ノートンと言った名だたるメーカーを打ち負かしてしまった事が結果的には極東の小さなバイクメーカーが世界のホンダにのし上がるきっかけであったことは歴史が証明している。

ホンダの創始者である本田宗一郎氏が世界に挑戦し続けた事が結果として人材を作り、バイクメーカーとしての確固たる地位を築いた事は言うまでもない。いまやホンダと言うメーカーはバイクばかりではなく車メーカーとしても世界屈指の巨大製造者となった。

この様に観察してみると完成度の高い工業製品やそれを可能にする為の産業の育成、そしてそこから作られた優れたハードウエアを使いこなすGPレーサーやライダー、又優れたスポーツ競技者を輩出する為には多くの時間と情熱そして環境が大切な要素である事が理解できるのではあるまいか。

2007/09/03

スペック重視

自分は好きなものを買うときかなりの部分で直感的に決めることがある。昨年デジカメを買い換えた。それまで使っていた奴が古くなり機能的にも最新の物に比べて使い辛くなったからである。デジカメやパソコン等日進月歩の今日、昨日買った新型が数日で旧型と言う事も起こりうる。

デジカメなどは非常に数が多く出ているため選ぶのに大変である。そんな時にはスペシファケーション(通称スペック)と呼ばれるものを参考にする。スペックを参考にすれば比較が出来選ぶ場合の参考になりやすいからだ。

往々にして男の場合にはスペック派が多い。小生も好きなハイファイや車を比較する時などついついスペックを調べたりする事がある。しかし現実にそのアンプが良い音を出すのか、その車が期待通りの走行性能があるのかは実際に音を聞いたりハンドルを握り運転して見るまでは分からない。スペックの優れた機種がいつも必ず良いとは限らない事を何度か経験した。

車の場合には何を基準に選ぶかでその満足度も違ってくる。一口に走行性能と言ってもオフロードをラリーの様に走れる車か、またレーシング サーキットのようなところを超スピードで走るのか、または街の中や一般的な運転で心地よい乗り心地を大切にするかで全く異なった印象となるであろう。この様なことはなかなか数字で表されるスペックでは判断が難しい。

しかしながら男の場合往々にしてスペックに頼る事が多い。では女はスペックに頼らないのか?そんな事は無いと思うが男に比べたらより感覚的に選ぶ人の割合が多いのではないかと想像する。これは何も女性が数字に弱いと言う事ではない。男の場合に比べ勘が鋭く、直感的に自分の好きなものかどうかを判断する能力に優れているからではないか。それに比べると男の場合はやっぱり物事の判断をする場合数値に表れたスペックを頼りに物を見ていると思うのである。

日本人は世界でも割と数字信仰が高いと思う。確かに数字で表されると一目瞭然である。その数値にこだわる日本人の特性を上手く利用して居るのが日本のメーカーではないか。こと細かく数字を羅列して、はたしてこの数値が何を指し示すのか余り詳しく知らない人でも数値が比較できると、数値が高い方が良いのか、低い方が良いのか知ろうとする。何かの理由で高い方が良いと分かると他の要因は無視しても知っている数値は非常に大きな比較の原理として働く事になる。

オーディオの場合スピーカーの許容入力やアンプの出力、レコード プレーヤーのSN比、等などこれらのスペックはほとんどのメーカーのカタログにも出ている。それらの数値が良い値であってもイコール良い音が出ると言う保障ではない。ではあるがオーディオ ファイルの機器を判断する材料の大きな要素をこれらの数値が左右していることも事実である。

もしスペックの数値なんか売り上げに関係ないと言うのであればその様な数値を羅列することなどやめてしまえば良さそうなものだが、そんなに単純なものでは無さそうである。

車についてもこれらのスペックは重要であろう。最高出力や発進加速のタイム、最小回転半径からボディー サイズまで数字はありとあらゆる事まで出してある。では実際にその車を使っている人がそれらの数値(スペック)を意識して乗っているのであろうか?

おそらくNoだと思う。普段の車を運転する時にその様な数値などどうでも良い事ではないか。それよりもシートの座り心地が良いか、高速時の直進安定性が良いのか、ステアリングの反応、ブレーキの踏み具合等々、なかなか数値に表しにくい要素の方が日々の運転には気になる事ではないかと思う。これらの感覚に頼らなければならない部分での新型車の煮詰め方(開発)に未だ少し日本のメーカーとヨーロッパ メーカーとの差があるように思う。

経済性、故障率の低さ、部品品質の良さ等においては日本の自動車メーカーに勝るヨーロッパ メーカーは少ないと思う。しかしスペックに表れない感覚での車の価値で言うのであれば安い車種のシートでも日本メーカーでは真似の出来ない車造りのノウハウを持ったヨーロッパのメーカーは存在する。

こんな事を考える時、スピーカーから出る音や、ハンドルを握って運転する人がどう感じるのか等、数値で表せない事をスペックと言ういかにも良い(分かりやすい)判断材料であるように考え付いた日本のメーカーの広報は賢い人達だなと感心してしまう。

2007/08/28

どこまで行くのパワー戦争

戦争と言っても実際の戦争の事ではない。車社会のパワー競争の事を言いたかったのだ。 

つい先日英国車の代表ベントレー(スポンサー並びに技術はVWから借用だが)がコンチネンタルGT Speed を発表した。

スペックを見ると6,000ccの12気筒、最高出力は610ps最大トルク76.5kg 最高速度は322km/hらしい。らしいと言うのは自分で運転した訳ではないので発表されたデータを並べただけであるが、世界中でこのスピードで運転できる高速道路なんぞ無いと思う。速度無制限を誇るドイツのアウトバーンでさえこの様なスピードは無理であろう。

随分前の話で恐縮だが小生は実際のアウトバーンをメルセデスの190Eと言う車で1,500kmくらい走った事がある。時速200キロを超えるスピードも何度か試してみたが速度無制限のアウトバーンは意外にも2車線区間がかなりある。ただし1車線がかなり広い為追い越しでもそれ程緊張することは無かった。

合法的に速度無制限と云う事は、ある意味安全かもしれないと思った。それは運転に集中でき、それ以外のパトカーや取締りのカメラに気を使う必要が無いからだ。そんな200キロで走行している小生の背後から鼻先がくっつきそうになるくらい接近してパッシングを浴びせる車が少なからず居た。メルセデスの大きな奴がそのほとんどで自分より小さな車を蹴散らしているように感じたが、意外にも若者ではなく年配のドライバーが多い事にも驚いたが、若者にはビッグ メルセデスが買える層はドイツでも少なく金持ちのオヤジ ドライバーが我が物顔でアウトバーンを飛ばしていると言う感じで、なるほどこの国(ドイツ)では暴走族はオヤジか!と言うのがその時の強烈な印象として残った。

それから20年近くが経った昨今、車のパワー戦争は益々エスカレートしている。先に上げたベントレーばかりではなくジャグアのXKRクーペは426psのパワーと57.1kgのトルクである。メルセデス・ベンツS65 AMGに至っては612ps/102.0kgmを謳っているし、フェラーリ612スカリエッテはV12DOHC48バルブから540ps/60.0kgm、ランボルギーニ ムルシェラゴは6.5リッターV12DOHC48バルブ640ps/67.3kgm、そしてブガッティ ヴェイロンに至っては空前絶後の市販車(F1ではありません)W型16気筒4ターボチャージャーで8リッターの排気量により、最高出力何と1001ps!!!!、最大トルク1250Nmを発揮する。おったまげたマーク(!)が10個くらい必要ではありませんか?いったいこの様な車に誰が乗るのだろう。ここまでくると環境に優しいとか省エネだとかはバカバカしくてやっていられない、まったく別次元の話になってしまう。

人間の欲望がすべて悪いとは思わない。欲望があるからこそ人は色々な事に挑戦して成し遂げてきた。テクノロジーの進化や経済的目的による努力、科学的トレーニングによるスポーツ アスリートの記録更新などがそれである。

その様な車社会において環境破壊が叫ばれ、『人と車の共存がどう図れるのか?』が問われているときに奇しくも日本の誇るハイブリッド技術はそんな中にあって、環境に配慮した技術を売り物にして世界にアピールし成功したと思っていた。しかし最近発売されたレクサスのフラッグシップLS600hは5リッターV8DOHC32バルブから394ps/53.0kgm、交流同期電動機224ps/30.6kgmつまりパワーでは合計が618ps、トルクは83.6kgm単純計算のようには成らないのであろうが、これだけ見ればメルセデスのS65AMGも真っ青の力持ちではないか。

一体トヨタのハイブリッドは環境技術ではなかったのか? いつの間にやら環境技術を謳いながらパワー戦争の仲間入りでは余りにも節操が無さ過ぎませんか?ブガッティ ヴェイロンがおったまげたマーク(!)10個なら、レクサスLS600hは?が10個でしょう。

2007/08/24

夏季合宿2007

今年も英国連盟の夏季合宿が無事終わった。
年間スケジュールの重要なイベントの一つが夏季合宿である。

思えばこの地で少林寺拳法を教え始めたかなり早い時期から夏季合宿を続けている。
確か1976年の夏から毎年サマーキャンプと称して夏季合宿をやっているはずだ。

当初は20名ほどの拳士が自分が教えていたロンドンとレッドヒル、そして吉田支部長のボーンマスの3支部から参加して始めた。その記念すべき第1回のサマーキャンプのゲスト指導員は現財団法人日本少林寺拳法連盟新井会長その人である。

丁度本部を降りられた時で3ヶ月間ほどヨーロッパ各地を回られている時で我々の夏季合宿と英国滞在がタイミング良く重なった。新井先生にそのことを話すと快く参加して下さった。当然その時の合宿は大いに盛り上がったことは言うまでもない。

合宿場所はRedhillと言うロンドンから南に車で1時間ほどかかる場所で、滞在先は拳士の個人宅である。大きなプール付の家であったが朝食と夕食は自分達で作り、昼食は毎日(2日間)フィッシュ&チップスを買ってきた。それでも仲間と一緒に食べるフィッシュ&チップスがやたら美味かったことを昨日のように思い出してしまう。若いと云う事はそれだけで何ものにも代えがたく素晴らしいと思うのは、この様な簡単な食事さえも一緒に食べる気の合った仲間達との記憶が鮮明に思い出されるからではないだろうか。

練習場所は近くのラグビー グラウンド、朝9時から始まって昼までグラウンドを往復の移動突や蹴、そして大声を出して読む道訓。何しろ100メートル以上離れた相手に聞こえるように道訓を読む訳だが少々大声を出しても簡単には聞こえない。勢い怒鳴るような読み方になるが幸い我々以外誰も居なかったので続けられた。合宿2日目には皆声はかすれ声、足はまともに歩く事が出来ないほどの筋肉痛であった。

合宿から帰った週の練習では皆合宿での成果を参加しなかった拳士達に話していたようである。そんな合宿だったが不思議に毎年参加者は増え続け、数年後にはドーバー海峡沿いにあるリトルハンプトンと言う小さな港町の民宿(B&B)を3,4軒借り切って続けるようになっていた。

        

当時の合宿は2泊3日、禁煙禁酒、朝6時起床、海岸沿いを5キロくらいジョギングして海に向かい道訓を読み鎮魂行を行うというもので、後は基本突、蹴である。

3日間の練習には千本蹴もメニューに含まれていた。今から考えれば馬鹿げた練習に思われるかも知れないが20代の自分や吉田支部長にとって熟練したと言えるほどの技が有る訳ではなく、体力勝負だけが唯一英国人拳士達に何とか指導者として受け入れられる手段だったのだと今にして思う。

合宿の最後には支部対抗の乱捕り大会が催され、体力的にかなり疲れているはずの拳士たちであったが皆が自分たちの支部の拳士を応援した。そして来年の再会を誓って帰路に着くのが毎年の合宿の風景だった。

近年は大学拳法部の数が多くなった為、学生合宿を春2月末、一般の拳士を対象としたサマーキャンプを夏8月末と分けて行うようになった。そんな中でも毎年の合宿参加者数は150名くらいが参加する一大行事になっている。

今年は6月のヨーロッパ大会と国際合宿、11月日本での60周年記念大会に参加するなどという事情が重なったため90名と例年に無く少ない参加であった。しかしこの合宿を楽しみにしている拳士達にとっては我々指導する側も全力で当たらねばならない。今一度合宿の原点に立ち返って毎年の合宿に心新たにして指導にあたりたいと思っている。

2007/08/21

眼光紙背に撤す

我々が学生の頃、開祖が法話で話された一つに『眼光紙背に撤す』と言うものがあった。始めは何の事か分からず漠然と聞いていたが話が活況に入る頃にはウーンと呻ると言うよりは、感心することばかりだった。その時ばかりではなく開祖宗道臣の話はいつも引き込まれる内容だったが、今にして思えば独自の視点と経験を通しての話には説得力にあふれていた。

眼光紙背に撤すと言うことわざの持つ意味は『行間を読む』と言う意味が最も近いのではないか。英語にもこの様な言い回しはあり、"Read between the lines" と言う。これらの言わんとする意味は伝えられても実際の『眼光紙背に撤す』は容易な事では得られない。

現実の社会に現れる政治や経済、そしてその他諸々の現象は表面に見られる情報とは往々にして随分かけ離れているか、時として全く逆の真実が隠されて居る事があるからだ。それらの事を今現在おきている世界の事に当てはめて説明しようとすると、特に政治の世界などは随分と生臭いものになってしまい、その意図する所を伝える事はなかなか難しいのも事実である。

今日のように情報があらゆる世界で溢れていても、そのソースが正しいかどうかは全く保障の限りではない。極端な例になるが同じTVニュースでもアメリカのFoxやCNNと中東のAl Jazeera では180度違った見方が出てくる。特に中東情勢など政治的な分野においては双方の主張は全く逆になる事がほとんどである。

どちらの主張が正しいかはなかなか読み取る事が難しいが、相反する二極の主張ばかりでなく独自のスタンスを取るフランスTVやどちらかと言えばアメリカにより近い英国のBBCもその判断の参考になる。

今日では衛星放送による英語のニュースがこれらの国々で24時間発信されるようになったとは言え、視聴者が往々にして表面に現れる映像や文面に流されやすい事は洋の東西を問わず同じであると思う。逆にそれを充分に計算できる人間にとっては世の中を上手く扇動したり、利用してビジネスにも成功する者も出てくる。

最近の日本で普通に信じられて居る情報として『日本国内で生産された牛肉はBSEの全頭検査が義務付けられているから安全である』しかしながら『アメリカから輸入される牛肉は生後20ヶ月以下は安全と言っても抜き打ち検査であり、どこまで検査や管理が行き届いているか信用できない』と言うのが社会的な雰囲気である。アメリカが90年代からBSEの監視を続けてきた事は余り知らされていない。(生後20カ月以下については2008年8月以降、国の全額補助が打ち切られるので日本でもアメリカと同じ抜き打ち検査になる可能性が指摘されている。)

ご承知のように初めにBSE問題が起きたのはイギリスである。その後英国内でも厳しい検査体制が敷かれ現在ではこの様な問題は起きていない。その後ヨーロッパ各地で同じ様なBSEの牛が発見されEU域内でも英国と同等の監視体制が定着している。日本で安全と言われる牛肉だがBSE発生数ではアメリカの3頭に対して日本は25頭くらいではなかったかと思う。その中には和牛も含まれていた。

別にアメリカを弁護するわけではないが、日本で飼育される牛の数 430万頭に対し、アメリカの12000万頭と比較すれば、必ずしも日本の方が安全だとは言い切れない。

この様に表面で流される情報には関係機関(生産者)や行政の都合でかなり色付けされている事は度々目にする。BSEに対する正確な情報よりも感染する恐怖心や、それらに対する険悪感を適度に信じさせていた方が好都合(利害関係者)な人達が国内に少なからず居ると言う事である。

80年代初めに日本に帰国した時に東京で献血をした事がある。しばらくしてBSEが問題になった以後は英国に6ヶ月以上滞在した者は献血できないと言われた。それが現在では「1日の滞在もダメ」と言う事である。なぜ英国滞在者だけなのか?フランスやアイルランドなどといった国も英国同様に多くのBSE感染牛が報告されているいう事実があるのに。

正確な情報があればこの様なばかげた措置はいかに無駄な事か理解できると思う。それ程BSEが危険と言う事であれば英国では国内での献血を受け付けないのか?とっくに患者が蔓延しているはずだが現実にはHIV患者よりはるかに少ない例しか報告されていないのに。と言う事で英国連盟OB拳士は日本国内での献血は免除されます。*注

ついでにもう一つ、ちょっと政治がらみで申し訳ないが自衛隊がイラクに派遣される時に『戦争をしに行くのではない。人道支援でイラクの人達に対する復興支援が目的である。』と言われていたが、今となっては誰も信じて居る人は居ないのでは?

現在、航空自衛隊がやっている支援は復興支援でも人道支援でも無くアメリカ軍に対する後方支援活動になっている。決して自衛隊の派遣された隊員達に文句を言っている訳ではない。日本政府の命令と有らば個々の自衛隊員の責任が攻められるはずも無い。又現地へ派遣された隊員諸氏の真摯な取り組みも伝わってくる。

日本政府がアメリカの方針に協力した訳だが現在の憲法の制約上、人道復興支援といわなければ国民感情の上からも出せなかった事が時間の経過と共に分かってきたと言う事ではないか。これなどもまさに開祖が言いたかった『眼光紙背に撤す』と云う事がいかに難しい事であるかが良く分かる一例ではないかと思う。

より多くの正確な情報が普遍的に流されるという事が一般の国民にとっては大切な事である。しかし同時にこれはどこの世界であっても非常に難しい課題でもある。だからこそ我々は普段から確かな耳目を持つ努力をしなければいけないと理解している。

*注 正式には1980~1996年に1日以上滞在、1997~2004年に6ヶ月以上滞在した人が献血できない。

2007/08/15

Coffee or Tea?

自分はコーヒーが大変好きである。

コーヒーも沢山の種類があってそれぞれに味や香りに微妙な違いが有る。

前はインスタント コーヒーを飲んでいたが7年ほど前にコーヒーミルを買いそれで挽いたコーヒーをドリップ式のコーヒーメーカーで入れて飲むのが毎日の習慣になっている。コーヒーメーカーと言っても高価な機械ではなくセールで売っていた安い物だが充分に目的は果たしていると思う。

3年ほど前に家内がジャマイカへ行く事があった。
日本から協力隊のボランティアで仕事をしていた親友が帰国する事になり、彼女の帰国前に是非ジャマイカに行きたいと云うので急遽航空券を手配して渡航した。ジャマイカは世界でも有名なブルー マウンテンと言うコーヒーの産地である。ロンドンに帰る前に土産としてブルー マウンテン コーヒーを2キロほど買ってきた。日本の友人にもあげた様だが、小生も1キロのコーヒーがお土産だった。

コーヒー好きの小生だがいくら好きでもブルー マウンテンを毎日飲むことなど出来ない。なぜかって高価すぎて手が出ません。しかしこの時ばかりは100%のブルー マウンテンを毎日堪能した。

美味い! 日本の喫茶店で出される1杯千円のブルマンを飲んだ事があるが、そのほとんどが50%くらい?のブレンドではないだろうか。それまでのブルマンとは全く違っていた。香りが高価なハバナシガーを思わせるようななんとも云えない香しい、そして酸味の無い、ほど良い苦味にはブラックでしか飲まない自分にはほのかな甘みが感じられた。何という至福の時間であっただろう。

朝食後にマグカップに2杯並々と注いで味わいながら飲んでいると本当に時間の経つのを忘れる程である。そのコーヒーも中々ロンドンでは買うことが出来ない。高価なことも原因であろうが聞くところによるとジャマイカで作られるブルー マウンテンの90%が何と日本に輸出されるという。日本はやっぱり経済大国なんでしょうねェ。

コーヒーの産地は主に気候の温暖な所がほとんどである、しかしそんな国でも高価なコーヒーは平地で生産されている所は少ない。

ケニアやタンザニアはコーヒー産地としても有名である。キリマンジャロ コーヒーもブルーマウンテンに匹敵する有名なコーヒーである。これらの国に行って飲むコーヒーははっきり云って美味しくない。少林寺拳法の講習会で何度もケニア、タンザニアの両国には行っているが美味しいコーヒーを飲んだ例が無い。

初めは不思議だったが、よくよく考えてみれば質の良いコーヒーはそのほとんどが輸出される。コーヒーは貴重な外貨獲得の大事な産物である。そんな訳で国内で飲まれているコーヒーは生産国であるにもかかわらずまずく、海外に売ることの出来ない品質のコーヒーが出回る事になる。

英国はコーヒーと言うよりは紅茶の国である。この国で飲まれる紅茶のほとんどはセイロンやインド、中国などから輸入された物である。

その昔はこの紅茶を輸入して大もうけしたのが歴史的に悪名高い「イギリス東インド会社」である。勿論その当時の国際情勢は先進国の世界進出(植民地政策)は当たり前の事として普通に行われていたわけであるから、取り立てて英国のみが悪いと云う訳ではない。

後に中国でアヘン戦争などがあり東インド会社の評判は悪くなってしまったが、紅茶を輸入した代価をアヘンでまかなおうとした事が歴史の上で汚点を残す結果となった。これも紅茶ばかりでは勿論無かったが中国から大量の中国茶が輸入された事は事実である。

英国での紅茶はその飲み方がレモンティーではなくほとんどの場合ミルクを入れて飲む、初めのうちはレモンティー以外の紅茶を不思議に感じたが、ミルクを入れて飲むことが普通になると今度は入れないと変な感じがする。

英国の水は硬水のため日本茶はどちらかと言えば今一つ味がしっくりこない。日本で飲んだようなまろやかさが無いのである。これとは逆に紅茶は結構硬水にあっている。ロンドンで飲む紅茶の味は日本で飲む紅茶よりその風味が舌に残るような気がする。幾分ざらついた感じの硬水(勿論水そのものがざらついている訳ではない)の方が紅茶には合っていると感じる。

これはあくまでも小生の個人的感覚であるから、人によっては日本の水の方が美味しいと感じられても不思議ではない。 個人の味覚の問題なのでその事に意義を唱えるものではありません。硬水の国だからこそミルクティーが広まったのではないか? 勿論ミルクそのものが安かったと言う事はあるであろうが、それでもまずければ別の飲み方(レモンやロシアンティー等の様にウォッカを入れたり)の方が支持されるはずであろう。

Tea(紅茶)のイメージが強い英国でもCoffeeを飲む人が多くなった。食事の後などは紅茶を飲む人よりもコーヒーの方が最近では多いように感じる。

コーヒーは明確な香りがある、その香りを楽しむ飲み物でもある訳だ。紅茶はどちらかと言うとコーヒー程の強い香りのメッセージは無い。紅茶の入ったカップに鼻を近付けると香りもするが、そんな紅茶ではあるがアールグレーと言う紅茶が良い香りがするので好きである。この頃は紅茶も自分でブレンドしたもの(普通の紅茶とアールグレー)を一緒に入れたものが、香りと味の両方を楽しめて気に入っている。

アフタヌーン ティーと言う習慣は日本で言えば午後3時のおやつに当るものであろうか。初めてこれを店で頼んだときティー ポットいっぱいに入った紅茶の他に、スコーンやビスケットの他に大量のダブルクリームとジャムが出てきた。もう一つのポットには只お湯だけが入っている?これは何に使うのだろうと想像を働かせていたが、他のお客が注ぎ終わった紅茶のポットにそのお湯を注いで居るのをみてやっと意味が分かった。

一杯の紅茶ではスコーンやビスケットを食べた後ではおそらく満足できないのでしょう。口の中の甘ったるさから開放される為にも。であるから彼等(この場合英国人)は2杯も3杯も美味しそうに紅茶を飲むことが出来る。小生も最近では慣れてしまったが初めのうちは腹がジャブジャブして異常な感じだった。 

英国に来て『コーヒーにしますか、ティーにしますか?』と聞かれたらあなたはどう答えますか?

2007/08/11

他人の目が気になる日本人

日本をそして日本人を海外に居て眺めると、日本人ほど他人(他国)の目を気にする国民も少ないと思う事が時々ある。勿論現在の日本がおかれた立場を思えば、ある程度の外国からの意見や注文に対して注意を払う事は必要であろう事も充分に理解できるが。

その良い例が産業界の成功であろう。日本の企業は海外に於けるクレームや要望に謙虚に耳を傾け、対処してきた事が今日多くの分野で成功したその良い例ではあるまいか。

随分前の経済欄に載った車の製造にまつわる日本企業と海外の企業の有り方を紹介した記事だったと思うが、日本のユーザーからVW(ヴォルクス ワーゲン)輸入元に、ゴルフのインジケーター(方向指示器スイッチ)が『右ハンドル車のゴルフであっても左側(左手で操作)に付いているが、他の日本車同様に右側(右手操作)にならないのか?』と問い合わせが有った為、その件をVWのドイツ本社に伝えたところ、『右ハンドルの英国でもその様なクレームは付いた事が無い、単に慣れの問題でしょう』と答えが返ってきたと言う。

これが日本のメーカーであれば当然現地の意見として直ぐ採用されるかどうかは別としても、『設計変更が可能かどうか検討して見ます』くらいの返事はするであろう。又多くの車を輸出している国からの要望であれば当然その国の事情に合わせた見直しも行われる事であろう。この様な顧客からの意見やクレームに真摯に耳を傾け、それに応じた対応を取ってきた結果が日本車や工業製品が世界で強大な競争力を持つに至った要因ではないかと思う。

しかるに外国では事情が異なる事がよくある。彼等は他人(他国)の目を余り気にしていない(ように感じる)。先にあげた車メーカーの例ばかりではない。

政治においても、環境においても自分たちは間違って居ないと信じて居るようだ。アメリカ等は特にその傾向が強く自分達は世界の盟主とでも自負しているかの様な態度をよく見る。政府がその様に振舞うと言う事は国民の多くも同じ様な考え方の人が多いと思わなければならない。

外国からの視線を気にする日本人にあってよく頑張っているなと感じる事が捕鯨問題であろう。反捕鯨国の中心国のほとんどは以前には捕鯨大国であった。彼等の言い分はこれまでのところかなり場当たり的で一貫性の無い主張である。

IWCと言う国際捕鯨委員会は現在では反捕鯨の代表のような印象を受けるが、実際には鯨資源を管理して有効に鯨資源を使えるようにとの目的で設立されたものである。ところが1970年代中頃にはグリンピース等の環境保護団体に牛耳られてしまい80年代初めにはモラトリアム(一定期間の捕鯨禁止)が採択されるに至った事は有名である。

反捕鯨に関しては色々な説があるが、捕鯨そのものに反対する事に関してはほとんどの欧米人が好意的である。それが環境保護をうたい文句にしても、動物愛護にしてもだ。それに対して捕鯨を有力な資源と見ている国は日本以外ではノルウェーやアイスランド等があり、日本を除くそれらの国はIWCからすでに脱退している。

これら捕鯨推進派の国は環境保護団体と動物保護団体の両方から攻撃の対象となる訳だが日本以外の国が標的になったニュースを余り見たことが無い。新聞やテレビニュース等を見ていてもこれら反対派の行動は過激である。IWC総会が行われる国でも彼等の行動を厳しく取り締まる事を余り見かけない。もし捕鯨賛成派が同じ様な過激な行動を(取るとは思えないが)取ったとすれば、おそらくニュースで大々的に取り上げ糾弾する事はほぼ間違いない。

10年ほど前に拳士に捕鯨に対する考えを聞いたことがある。一人の拳士はグリンピースのメンバーであると言い『日本は捕鯨を再開させようとしているが鯨は絶滅の危機に直面している、だから獲るべきではない』と言う。そこで小生が『では充分な数が確認されれば君は捕鯨を再開しても良いと言う意見か』と聞き返すと、『日本は調査を名目に捕鯨を続けているがこれにも反対だ!』と答えにならない事を言う。付け加えるように『鯨は賢くてかわいい生き物だからそれを殺す事は許されない』ときた。おいおい。

だいたい想像通りの答えだったのでこう質問してやった。『君はウェーリング オリンピックを知っているか?その時(60年以前)英国は捕鯨大国でいつも金か銀メダルを取っていたよ、そのお陰でブルー ウェール(シロナガスクジラ)は絶滅寸前まで減ったが。』と聞いたがほとんどの拳士は知らなかった。グリンピースのメンバーでも自分たちの反対している運動が純粋にその目的の為になっているのか、単に都合よく一部の勢力に利用されているのかその元(本当)の理由を知らない人達が大半である。

小生は『鯨が絶滅する事を最も真剣に危惧している国は日本だ。なぜならばこれからも有効な地球資源として食べ続けたいのでね。』と言うと皆笑っていた。『それと君が意見を言う事は結構だが普遍性の無い主張ではこれからも日本人は納得しないよ。ところでグリンピースは環境保護団体か動物愛護団体かどっちかね?』と聞くと『環境保護団体です。』と答えた。ほんとかね?

環境保護団体と言っても簡単に信じることが出来ないのが現実である。南氷洋での調査捕鯨の船に火炎瓶や塩酸か硝酸の入った瓶を投げつけるシー シェパード等も人命軽視と言われても仕方が無い過激さである。人命軽視の団体に環境保護や動物愛護が言えるかと小生などは思ってしまうが、全体的に欧米における鯨、イルカに対する感情はハリウッドで作られた映画等の影響が大きく、賢くてかわいい動物とイメージは多くの共感を得ている。そこに政治的な目的に利用されやすい危うさも当然あるが、当の環境保護や動物愛護
を謳う団体に所属している人達はそのほとんどが洗脳されている事に当事者が気付いていない。

環境保護を云うのであれば自国の大統領(自身が所属する団体の利益の為)が京都議定書から逃げて、世界で一番環境破壊(地球温暖化)のCO2排出を黙認しているリーダーを先に糾弾するべきではないか?又動物愛護を唱える団体が人命軽視の行動をとり自分たちが食べる牛や豚、鳥などは問題にしないばかりか、狐狩りやキジ撃ちと称するブロッド(血)スポーツには伝統文化だと言う言い訳をするダブルスタンダード(二重基準)ではこれからも捕鯨を促進する日本人を説得する事は難しいと思うが。

捕鯨問題は完全に政治であって環境保護や動物愛護は良い道具として使われている。ハリウッドが果たす役目が大きい事を彼等政治に利用しようとする人達が見逃すはずが無い。自分たちの政治的失敗から目をそらせさせる目的の為なら10や20の環境や動物愛護のNPO法人を資金援助することなど造作もないことである。

日本人が他人(外国)の目を気にすると言う事を一番良く知っているのも又彼等欧米人である。又逆に他人(外国)の意見を無視する事や二重基準で言い逃れる事が得意なのも彼等のしたたかさであろう。

敵(相手)を知り己を知れば百戦怪うからず。孫氏の兵法を持ち出すまでもなく日本人も他人の視線ばかりを気にする必要は無いと云う事であろう。

2007/08/08

銃規制とは

先週の土曜日の昇段試験の前夜,試験会場であるBrixtonの地下鉄駅の近くで射殺事件があった。殺されたのは10代の少年であった。ここBrixtonでは去年からこのような事件が続いている。

少し前にアメリカと日本でも銃による残虐な事件が相次いだが、その様な事件が起きる都度言われる言葉が『銃規制』である。

日本には元々拳銃等の武器は一般には入手できない事になっている。アメリカは勿論銃規制は無いがヨーロッパでもフランス等の様に拳銃を買うことが出来る国もある。ただ弾が買えないらしい。


アメリカ社会で銃による凶悪事件や悲惨な現状がマスメディアに流されるたびに銃規制が叫ばれるが、現実には規制に対する強い抵抗があるようだ。我々日本人的な感覚からすれば銃など無い社会の方が平和で住みやすいと考えるのだが、アメリカ社会では未だにその様な考え方はマジョリティーにはなりえないようである。

これは歴史的背景も大きく影響しているのかも知れない。『自分の事は自分で守る』と言うアメリカ建国以来のフィロソフィーなのであろう。しかし時代はアメリカが独立した当時と現在では環境も大きく変わってきていると思うが、なかなか規制には大きな障害があるようだ。

日本の社会は本来なら銃そのものが禁止されており、猟銃でも規制が厳しく誰でも持てるわけではない。しかしこのところ頻繁に起きる銃による凶悪事件を見るに付け、いったい日本と言う国は本当に銃規制をやろうとしているのか疑問の方が大きくなってくる。

暴力団が持ち込む拳銃によって日本の至るところで問題が引き起こされる都度、何故警察は真剣に取締りをしないのか?現実には警察も手をこまねいて居る訳ではない筈であろうが、以前よりも頻繁に起きる銃による事件を見聞きすると銃規制はどうなっているのだろうと思うのである。

英国も日本同様個人の拳銃等は所持が認められていないが、ここでも近年銃による事件は増えている。こう考えると銃規制がなされて居る国においてさえ違法に持ち込まれた銃を規制することの難しさを改めて思い起こさせる。こんな現実をアメリカ社会では自分の身を守る為の口実として認めているのかもしれない。 

銃も核兵器も突き詰めた見方をすれば同じであろう、銃が無い社会の方が住みやすいと思うことは核兵器も無いほうが住みやすい事と同じではないか?包丁やベースボール バットでも使い方によっては凶器となる事は事実ではあるが、これらの道具は元々その作られた目的が人や動物を殺傷する為のものでは無いはずである。

拳銃や核兵器が人や生き物を殺傷する事を目的として開発されたものである事を考えれば、その様な人を殺す以外に目的の無い銃火器や核兵器を含む大量破壊兵器はやはり人間社会にとって無いほうがより平和ではないだろうか。

確かにイギリスや日本でもこのところ銃による事件が頻繁に起きている、しかしそれでもアメリカ等よりは余程銃による事件は少ない事も事実である。イギリスは警察官でさえ拳銃を持っていない。特殊任務の警察官は別として街で見かける警官は拳銃を持たないのが普通である。一般市民も拳銃を持たない警察官を支持しているようだ。

同じく銃規制のある日本の警察官は拳銃所持が普通である。ここで問題になるのは拳銃を持っている警察官がそれをなかなか使えない事かもしれない。現実に銃を持った犯人の取り締まりにさえ日本の警察官は慎重である。慎重であることは結構な事だが死傷者が出たり警官自身が被害に遭うまでなかなか銃を使えない事も問題ではないか。

ロンドン警視庁の特殊部隊(銃を持った)が出動する場合はためらい無く犯人を撃つことが許されていると聞いた。それだけ普段拳銃を持たない警察官ではあるが、ひとたび銃を持って事件の鎮圧に出向く時には状況に応じて個々の警官に発砲の権限があることも確かである。2年ほど前にロンドンの地下鉄の中でテロリストと間違えられたブラジル人が私服警官に撃ち殺される事件はまだ記憶に新しいが、撃った警察官が罰せられたと聞いた事は無い。人権団体から抗議もあり、又被害者家族には慰謝料も払われた事は言うまでも無いし、被害者には本当に気の毒な事件であったが警察官に発砲の裁量が任されていると言うよい例であろう。

又フランスの警察署長からも聞いたことがあるが、フランスでも銃火器を持つ特殊部隊が派遣される場合には確実に犯人を狙撃(射殺)する事を目的としているそうである。対外的には生命に問題が無いところを狙うという事らしいが、現実には確実な殺傷を目的として狙うそうである。当然の帰結だろう、下手な同情で足などを狙ってそれが原因で被害者が増えてしまってはよけいに特殊部隊を派遣した責任を問われてしまうであろう。

この様に銃に対する認識でも日本とそれ以外の国ではとらえ方(使い方)に大きな差がある、日本の警察官に同情するのは市民を守る為の有効な武器を持っていながら使えない(使い辛い)環境があることだろう。勿論簡単に拳銃を振り回せと言っているのではない。任務として警察官の拳銃所持を認めているのであれば市民生活を守る為にはある程度の警察官個人の判断が尊重されるべきではないかと思う。

市民を守る為の警察官の拳銃と、国を守る為の自衛隊の有する陸、海、空の戦力が同じ様にならないようにしっかりとした法整備が必要な時代になってきたのではないかと思う。

2007/07/31

車の色

街で見かける車の色が国により異なる事に気が付いたのはかなり前である。日本とヨーロッパでは違うし、同じヨーロッパでも国により少しづつ異なったテーストがあるようだ。これとは別にナショナル カラーと言う色が存在する事も確かにそれらの嗜好に影響を与えているのかも知れない。

以前は車のレース等で製造国のナショナル カラーを決めていた。英国のブリティシュ レーシング グリーン(オリーブ グリーンに近い濃い緑色)やフランスのフレンチ ブルー、そしてイタリアの鮮やかなイタリアン レッド等は有名である。ドイツはシルバー メタリックで日本は白がナショナル カラーとして認知されているらしい。

この様に見てみると確かに日本では白い色の車が他の国に比べて圧倒的に多いことに気がつく。英国などでは白色は車の色としては少数派である。曇り空が多い英国では日本のように太陽の光が強くない。光の反射による白特有の輝くばかりの魅力が出ない事になる。そればかりではないと思うが雨の日が多ければ車が汚れる事も白ではよく目立ち必然的に白い車対する需要は少なくなるのではないか。

英国ばかりでなく北ヨーロッパの国ではメタリック車が多い。グレーやベージュのメタリック カラーは雨や埃で汚れた車体をうまく目立たなくさせる事をこれらの国の人達はよく知っている。そんな理由からメタリック カラーの車の数が多いように感じる。

先に挙げたナショナル カラーがレースに使われる車の色として定着したのには色々と理由があったのであろう。それらの詳しいいきさつは知らないが1960年代くらいまでのグランプリ レーサーがブリティシュ グリーンやフレンチ ブルー、イタリアン レッドとして使われたことは有名である。グランプリばかりではなく耐久レースのル マン等で活躍した車でもこれらのナショナル カラーは使われている。

ブリティシュ グリーンのベントレーやアストン マーティン、フレンチブルーのブガッティからルノーそしてイタリアン レッドのアルファやフェラーリ、シルバーに塗られたメルセデスやBMWなどが活躍していた。では日本の白はどこから来たのであろうか?

60年代に生沢徹がヨーロッパで使ったホンダS800や、ホンダのグランプリカーの車に白が使われ、ヘルメットも白で車体と同様に赤い日の丸が入れられたと真実かどうかは不明だが聞いたことがある。そう云えばホンダのグランプリ カーで初めて優勝したリッチー ギンザーの65年メキシコ グランプリの車も白色にライジング サン(日の丸)であった。

最近ではナショナル カラーよりもスポンサーが重要になりどのティームもこだわってはいないが、今年のGPカーでもマクラーレン メルセデス、パナソニック トヨタ、マルボーロ フェラーリ、スーパー アグリの4ティームは何らかのナショナル カラーを残しているように見える。

国民に支持される色も確かにある。その全てが国旗からきている訳ではない。それが取り入れられた経緯は別として、数多くの人達からイメージされるその国(車)のシンボル カラー メルセデスやNSUのシルバーメタリック、フェラーリやアルファロメオのイタリアン レッド等など環境や歴史から作り出されたこれら車の色にもなにかしらのメッセージがこめられているように思う。

今年のグランプリ カーで日本のホンダが採用した宇宙から見た地球をデザインしたカラーには正直驚いた。残念ながら成績はこれまでのところ良い結果は出ていないが、人々に与えるメッセージとしてはこの様な環境破壊の象徴的なグランプリ カーにも『地球環境を考えていますよ』と言うメッセージになるならば一つの目的は果たしたかもしれない。

2007/07/28

環境と景観

日本の道路を車で走るたびに思う事がある。それは「景観の悪さ」で都心はともかく郊外の国道や県道は世界でも類を見ないほどひどい。

10年以上前になるが弟子の英国人拳士と車で旅をした。関西の国道を走っていた時に、弟子の拳士が『この辺りの道路は随分ひどい景観ですね』と言った。それまで日本の事を批判した事の無い拳士の言葉に小生が『何が?』と聞くと、国道沿いの立て看板や車のディーラー前に何本も立てられている原色のノボリ(宣伝の旗)、そしてあらゆる色のビルや統一性の全く無い建物や看板等の事だという。小生にもそれまで気にも留めなかった景観が突然異様な景色として目に入ってきた。

確かにどこの国でも看板や広告を見ることはある。しかしこの時拳士から指摘されて初めてその異様さに気がついた。日本の街の特徴は統一性の無さである。ネオン等はどこでも見られるし道路脇には電柱が有り、そこにも所狭しと広告や立て看板がある。総じてヨーロッパの国はネオン等も規制があり町の一部でしか許可されていない。電柱も街中ではほとんど見掛けない。

日本の国道を走っていると田んぼの中にも大きな広告を見かけることがある。電車や汽車に乗っている時でもこの様な光景は一般的でそれ程不思議に感じたことも無かったのだが、弟子の指摘がきっかけで街の環境(景観が特に)気になるようになった。注意して見ると確かにヨーロッパでは見かけない風景である。

ふと随分前に旅行したアメリカを思い出して、その時見かけた街や道路からの景観が日本と良く似ている事に気が付いた。現在のアメリカはどうか分からないが当時80年代前半のアメリカではこの様な光景はどこの町でも見ることが出来た。つまり日本の街や道路で見かける広告やネオンサインの不統一な光景の原型はアメリカから輸入されたのではないかと推測する。

ただ彼の国と日本ではスケールが全く異なる。アメリカで異様に感じなかった理由はおそらく非常に大きな空間(スペース)に広告を出しても周りの景色と一体となり余り目立たないと言う事ではなかろうか。しかしながら同じサイズの広告を日本の道路やビルの屋上、道路脇の田畑の中に所狭しと据えれば否応も無く目立つ事になってしまう。同じ様に不統一なビルや広告でもスペースが異なると印象は一変する。広告は人目について初めて価値があるものだが、その様な目的で立てられた看板やネオンサインが、他の広告やネオンよりもより目立つようにデザインされる事は当たり前であろう。

その事事態に文句を言うつもりは全く無い。問題は規制やルールが無いことではないか。ルールが確立されていればほとんどの日本人は決められた事を守る人達ではないだろうか。そしておそらく自分がそうであった様にほとんどの日本人はこの問題(道路環境、景観)に気が付いていないと想像される。

もしヨーロッパの町を旅行する機会が有ったらその事を自分の目やカメラに焼き付けて記憶して、帰国した後に日本の街を見て欲しいと思う。街で見かけるゴミなどはヨーロッパの方が多い事もあるかもしれない。この様な事は大なり小なりどこの国にもあることでそれ程問題ではない。小生が気になる事は景観である。電信柱は日本の街中でいまだ多く見られる。こららを地中に埋めるには大きなコストが掛かる事も承知しているが、街や村、道路の景観は国や地方自治体にとっても大切な資源である。その大切な資源価値が多くの人が気が付かぬ内にどんどん下がって行くとすれば、そこに住む人達はどう思うであろう。

『そんなもんどうでもいいじゃないか』と言う人が居るかもしれない。もしその様な人が居るとしたら是非一度自分の目で一度確かめて欲しいと思う。確かに経済的に貧しい途上国では日本よりはるかに酷い環境も見ている。しかし日本はそれらの国と同等の途上国ではない。世界の中では経済大国と呼ばれるG7のメンバー国の一つである。その様な経済大国を自任する日本であればこそ自国のインフラを含めた街の景観にもそろそろ気を配る余裕が欲しいと思うがいかがであろう。

毎年何百万人もの日本人がヨーロッパにやって来る。観光やビジネス等どの様な機会でも参考になる事があると思う。こればかりは一人や二人の力ではどうにもならない事は確かである。であるからよけいその様な機会を利用して街や村の景観デザインを見て欲しいと思うのだ。

何もヨーロッパのデザインをコピーしろと言っているのでは無い。日本には日本の家屋や山野の風景があり非常に素晴らしい財産がある。それにも関わらず現存する無計画なデザインのビルや目立つだけの広告塔を何とか工夫できないものかと言う事である。せっかく日本を訪れた外国人の旅行者が美しい日本の伝統的な風景に気が付く前に、ドギツイ原色のビルや道路脇でひらめく旗や立て看板に失望して帰るとしたら残念に思うのは小生だけではないと思う。

新幹線の窓から眺める富士山、天気の良い日には感動を味わうのは日本人ばかりではないと思う。その富士山の前に現れる立て看板何とかなりませんかネー?これなどは広告主が期待する宣伝効果よりも余程マイナス効果の方が大きいと自分は思ってしまうが、一般的な日本人にはそうは思わないのかな。

2007/07/23

与えられた民主主義

日本における第二次世界大戦後の民主主義は残念ながら日本国民自らが勝ち取ったものではない。いま改正が話題になっている憲法と同じ様に占領下にGHQ(連合国)から与えられたものである。このところ日本国憲法の改正が政府の重要な課題法案として出ているが、時々この民主主義や憲法が日本国民自らが勝ち取ったものではないために起こるおかしな現象を見聞きする。ここでは民主主義についてヨーロッパと日本の違いを比べて見たい。
 
日本の大都市ではバブル崩壊後より一段と多くの人達がホームレスとなり、色々なところでダンボールやビニールテントを見かける様になった。ホームレスそのものは世界中の先進国の都市ではそれほど珍しいものではない。行政や宗教団体、そしてボランティアに至るまでそれらの人たちを支援して社会復帰させるように努力しているところも有る。日本でも地方自治体が支援策の一つとして無償のホームを作りこれらの人達を社会復帰する手助けをしているところも有ると聞く。 

しかし、自分が感じた違和感は法治国家であるはずの日本におけるこれらホームレスの人達の無法振りである。何が無法かと言えば、彼等がダンボールやビニールテントを張って仮の住処としている場所の事である。

ロンドンでもこれらホームレスの人達は数多く居るが、彼等は一応寝泊りする場所を取り締まりの等の対象とならない所でしている。しかしながら日本のこれらの人達にはこの様なルールは無いものと想像する。時々公園等でブルーのテントを張って生活しているホームレスを見るが、何年か前には名古屋城の前のお堀端で堂々とブルーのビニールテントを張って生活している人を見た事がある。この様に公園や駅の構内等、公共施設であるにも関わらず、彼等にとっての便利さが優先されているように感じた。

もし同じ事をロンドンのハイドパークやケンジントンガーデン等の公園でやったら直ぐに公園を管理するポリスの厄介になる。ロンドンに限った事ではない、パリでもどこのヨーロッパの都市でも公共施設を私設の住処とする事は不可能である。スイスなどは駅のベンチで寝る事も許されない。警官から直ぐに事情を聞かれ場合によっては罰金を科せられる。

公共施設とは本来この様なものではないか。個人が勝手に住み始めても文句を言われない公園は先進国では日本くらいのものだろう。この辺に日本の「与えられた民主主義」と、欧米の「勝ち取った民主主義」の違いが現れているように思う。

公園や駅等でみる段ボール箱で囲いあたかも自分の所有地のような態度で住み続ける行為が許される国は日本だけではないか?それを官憲が排除しようとすると支援者と称する人達が『人権』を振りかざし抗議する姿も不思議である。はっきり云って公共施設を無断で占領したりする事が人権問題で許されるとすれば日本中の公共施設は無くなってしまう事になる。

ロンドンでも冬の寒い夜は時々地下鉄の駅が開放される事はある。しかるにその開放がずっと続く事は無く、一時的な救済策であり誰もその事に感謝しても文句を言うことは無い。暖かい食事の振る舞いも協会やボランティアによって行われる。しかしこれはあくまでも善意の施しであり強制されてやっている訳ではない。そしてその様なボランティアをしている人達がホームレスの自立支援をする事はあっても、公園や駅等の公共施設に入り込んだホームレスの人々を擁護したり、又排除しようとする警察官に文句を言うことは無い。

公共が無視されると言う事は大多数の人達の利益(人権)が少数者によって犯される事である。成田空港の反対運動も異常である。日本以外の先進国であのような事がまかり通る事は先ず考えられない。

当初の農家の人達による反対運動はある程度理解できる。
しかし、その後政治問題にすり替え人権闘争にしてしまった事がどう考えても理解できない。国の政治判断が一人でも反対者が居たらどうにもならないとは、いったい日本の民主主義とはどんな価値観において誰の為の民主主義なのであろうか。100人の人権よりも1人の人権の方が尊重される民主主義なぞ聞いたことが無い。英国やフランスで成田空港のような騒動は決して起きないだろう。

国の権力とはそれ程強いものである。国がマイノリティー(少数者)の意見に耳を傾ける事は悪い事ではないが、しかし民主主義とは最終的には意見の対立が解けないときには多数決を持って決める事が大前提では無かったのか?100人の意見の方が50人の意見より強いのが民主主義のルールではないのか。

民主主義が唯一最高の法則とは自分も思わない。場合によっては1人の優れたアイデアの方が100人の愚かなアイデアよりも良い事も考えられる。しかしこと民主主義を標榜している以上は100人の愚かなアイデアを採択する事が当然の帰結である。そうでなければ民主主義など成り立たなくなってしまう事になる。

小生が憲法を含む日本の政治体制が上(戦勝国)から与えられたと感じるのは、その最も基本的なルールであるマジョリティー(多数)よりも、権利や制度を逆手にとった個人的な感情やイデオロギーが疑問も無く優先されてしまう事である。成田闘争はどこから見ても民主主義を完全に無視した単なるテロ行為である。

こんな民主主義を取り巻く状況にも日本の常識が世界では非常識と云われる所以ではないかと感じている。

2007/07/16

拳士は日本の応援団

長年海外で少林寺拳法を指導していると拳士の日本に対する感情を直に感じることがある。何のスポーツでもそうだと思うが自分が一生懸命取り組んでいるものが生まれた国の影響は大きい。

例えば野球が好きな者にとってアメリカはある意味で特別な国であろう。例え自分がメジャーリーガーになれなくても自分の好きなベースボールが生まれた国であるから、他の国よりはある意味で特別な感情を抱いても不思議ではない。ゴルフの好きな人が一度はスコットランドのセントアンドリュースでプレイを夢見る気持ちと同じではないか。

フットボール(サッカー)のようにあまりメジャーになりすぎるとどこの国で生まれたか分からないかもしれないが、プロフェショナルのフットボール選手ならイギリスのプレミア リーグでプレーする事も一つの理想かもしれない。

フットボールで思い出したがワールドカップではそれぞれの国が地域予選から勝ち残ってくるわけだが、英国はこのゲームが生まれた国と言う理由で非常に不思議な特例が認められている。なんとイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドがそれぞれ別の国として参加できると言う事だ。

つまり簡単に言えば4倍ワールドカップに出られるチャンスが多いことになる。日本で言えば、本州と北海道それに四国、九州がそれぞれの国として別々にワールドカップ出場を掛けて戦うようなものなのだ。そうは言っても、イングランドが出場するのをスコティッシュ(スコットランド人)が我がことのように喜ぶとは思えない。日本でいう夏の高校野球における県民感情のようなものと言えば伝わるだろうか。

オリンピックでは勿論その様な特例は無く「グレートブリテン」としてしか参加できないと言うのに、FIFA主催の大会では大英帝国を特別扱いしている事になるが、特に問題にはなっていない。 (現在、2012年のロンドンオリンピックでの「開催国枠」を得ているので、「開催国枠を辞退するか? それとも予選を戦う必要がないので4ヶ国合同のチームを結成してはどうか?」との声が上がっている。)

『まあ、フットボールが生まれた国だから仕方ないか?』と言うのがこの様な不公平を知りつつ世界中で容認している理由かもしれない。別の見方をすればこれもフットボールが生まれた国に対する敬意と言い換えることが出来るかもしれない。

この様に見ると少林寺拳士が何故日本に親近感を持つのかも少しは理解できるのではないか。何も少林寺拳法に限った事では無い、柔道、空手、合気道そして剣道を愛好している人達にとっても多かれ少なかれ日本に良い感情を持っているような気がする。

その理由の一つにはフットボールと同じ様に、そのスポーツや音楽が好きであればあるほどそのスポーツや音楽が生まれた国に良い感情を抱くのではないか。ビートルズが出た頃夢中になった我々の世代には今もイングランドやリバプールと言った街に好感を持っている人は少なくない。言い換えればそれらの国や街、又人が居なければその様なスポーツや音楽も生まれなかったかもしれない。その様な要素がそれらを愛好する人達に特別な感情を持たせてもなんら不思議ではないと思う。

たまたま自分は少林寺拳法の指導員をしている為、どこの国へ行っても拳士の感情や趣向が見えるように思う。拳士が乗る車には英国が右ハンドルと言う理由ばかりでなくスウェーデンでもフィンランドでも、一般のその国の平均よりはるかに高い確率で日本車を愛車としている拳士をよく見る。

他の工業製品でも同じ様な性能であれば日本のメーカーを選ぶ拳士は多い。この様に観察すると少林寺拳法をやっている拳士はただ単に少林寺拳法と言う武道を楽しんでいるのではなく、少林寺を入り口に日本に対する親近感や身内のような感情を無意識のうちに持っているのではないかと思うのである。

これはなかなか現実を見たものでないと理解できないかもしれない。又日本製品を何気なく使っている拳士にその様な意識があるかどうかも分からないが、現実にその様な例は多い。

文化やスポーツの国際交流が盛んになることは非常に好ましい事である。ベースボールやテニス、フットボール、バスケットボール、ゴルフ等のスポーツは言うに及ばずクラッシックやジャズそしてポップスの音楽等、それぞれの分野で日本の選手やミュージシャンが活躍する事も多いであろう。

一流のスタープレーヤーが人々を引きつけ魅了する事も確かにある。そしてそのスタープレーヤーが日本人であったとしても、そのスーパースターに対する人気や高感度は上がってもそれが直ぐに日本に結びつくとは限らない事も事実であろう。

イチローや松井、松坂がメジャーリーグで活躍しても彼等の個人的人気や高感度が日本に結びつく事は少ない。むしろ彼等の活躍はメジャーリーグやアメリカと言う国に我々日本人の関心を向かわせる事の方が多いのではないか。
 
そしてそれらのスポーツや音楽等の多くは外国から入ってきた文化であるのも事実だ。日本の伝統文化で海外において普及して認められているものはそれ程多いわけではない。確かに歌舞伎や能、邦楽といった日本独特の文化も紹介されそれなりの評価も得ているが、それらを勉強して自分達もその様になりたいと努力している海外の人はそれ程多くは無いと思う。それを考えた時、日本武道は世界中で数多くの国で紹介されそれに取り組む人達も多い文化である。

先進国は言うに及ばず途上国においても大きな支持を得ているのが武道である。確かに少林寺拳法は草の根レベルの交流かもしれないが、本来の交流とはこの様な市民レベルでの交流が本当の意味で重要ではないかと思う。政府が行うような大きな規模での交流は出来ないかもしれないが、一般市民一人ひとりが自分達の意思で好きなものを通して交流する事が結果的には大きな意味を持つと思う。そしてその架け橋に少林寺拳法や日本武道がなれるのではないかと思うのである。

2007/07/14

バン?いいえエステートです

車社会が発展した日本において未だ混同される存在の車がある。
それは エステートワゴン と バン である。

90年代初期に家内が日本の食料品店をやっていた事があるが、長年エステート カーに非常に強い興味があった小生は『仕事に役に立つ!』と理由を付けてメルセデスの300TEと言うエステートを買った。
 
実際にはその車で店の仕事を手伝う事はほとんどなかったが、あるとき日本人の拳士から『先生が"バン"に乗るのですか』と言われた事がある。小生は『バンではない。エステートだ!』と言ったが、その女性の拳士にとってはバンもエステートも同じにしか見えないようだった。

なおも小生が『エステートはその車種の中では最高のステータス(高価格車)であるが、バンは仕事用専門車で価格も安い』と言ったが、『同じ形ではないですか』とノタマウではないか。

『云っておきますが、英王室のプリンス チャールズが乗る車はエステートであってバンではありません。大工や電気屋のオヤジが乗る仕事車がバンだ!(大工さんや電気屋さんに偏見はありませんので悪しからず)』と述べても 『同じ形じゃないですか』と切り返されてしまう。

女性相手に車の講釈を並べたところで所詮車好きの気持ちなんぞ分かってもらえない。仕方が無いのでプリンス チャールズを持ち出したのだが、これも変な理由だなと思い返していた。

事実、英王室の公用車の中にはロールスやデイムラーのリムジンばかりでなくエステートがある。日本で皇太子殿下や皇族がエステート ワゴンを使われる事は無いのであろうが英国の王室はエステート カーやランドローバー(SUVのレンジローバーではない)等を使うプリンスやプリンセスをTVニュースでも見たことがある。さしずめこの様な場合に先ほどの女性拳士なら、『王女がジープを運転するなんて』と言うのであろうか?

車文化とはその車が持つ目的を上手に生かして使っているかと言う事ではないかと思う。形で判を押したように決められてしまっては車もかわいそうと言うものだ。確かにエステート カーは車に無関心な人にとってはバンに見えるかもしれないけれど。

車の好きな人には分かってもらえると思うが、バンのサスペンションはリーフスプリング(板バネ)が多い。強くて重い物も載せる事が必要だからであろう。しかし乗り心地や運動性能(車の取り回し)は良くない。

反対にエステートカーは似たような上物(車体の形)でもコイルや最近では電子制御のエアーサスペンションが使われる事も珍しくない。乗り心地はその車種のサルーン カーより良い事があっても何の不思議でもない。車の後半分が同じ様な形をしていても、バンとエステートでは一目で分かるではないか。第一バンには後半分に窓ガラスが無いでしョ?

自分が乗っていた300TEも後輪にはハイドロリック(油圧)のサスペンションが付いており、後部ドアはそっとドアを下ろしてもゆっくりジワーッと閉まる半ドア防止の装置なども、その当時の車種(Eクラス)では唯一スタンダードで付いていた。

しかしこんな事を言っても先の拳士は分かってくれないのだろう。何しろ後半分の車体でバンと決め付ける人だから。

エステートで良かった事はスーパー等へ女房の買い物に駆り出された時の便利さである。そのバン!型スタイルは後部ドアを開ければ広大なラゲージスペース(荷持室)が広がっている。サルーンのブーツ(トランク)とでは広さや荷物の出し入れの容易さに雲泥の差があることは言うまでも無い。

ヨーロッパの国々はディーゼル車(乗用車)の普及が50%を超えている国がほとんどだ。軽油が日本同様にガソリンよりも安い事もあるが、環境にはガソリン車よりも優しいと解釈されている。

日本やアメリカではディーゼル車に対するイメージが黒煙(NOx)や騒音の問題があっていま一つ良くない。特に東京都が石原都知事自らペットボトルに入った黒煙の粒子をこれ見よとばかりにメディアで取り上げさせアピールした事もディーゼル車のイメージを悪くした大きな一つの要因であろう。これにより一般の人達に刷り込まれたディーゼルエンジンに対するネガティブ イメージは大変大きなものとなってしまった。

しかし都知事が自慢するような事がプロパガンダ以外に本当に実現したと言えるのだろうか?
これは日本中にそのネットワークを持つ宅急便のロンドン事務所の幹部から聞いた実話であるが、あの通達(ディーゼルトラックの触媒規制)が出た事により『それまで使っていた貨物車が関東地区1都3県で使えなくなった為、それらの車を地方の県に移動した』と言う事だった。

何のことは無い。公害の地方都市への押し付け、拡散である。その前にやる事があったはずではないか。

硫黄分の少ない黒煙を出さないディーゼル フュールの販売(現在はやっと販売されるようになったらしい)や触媒の開発、エンジンそのものの技術革新等など、現在ヨーロッパの自動車メーカーが取り組んでいるディーゼルエンジン車の開発は環境問題にも一石を投じる事であろう。

確かに日本もハイブリッド技術があり、世界中のメーカーもその技術を認めてはいる。
しかし時代はハイブリッド車の一時的時間稼ぎのメリットは認めつつも、エタノールエンジン車(これも時間稼ぎ技術ではあるが)や、もっと歴史の長いディーゼルエンジン車の開発を推し進めている。次世代の燃料電池車やEV(電気自動車)には今しばらく時間が必要である事を知っているからこそディーゼルに注目するわけだ。

去年スイスで乗ったレンタカー、ルノーのラグーナは本当に良い印象だった。
昔のディーゼル車の様にうるさい訳でもなく、低速からトルクが掛かった気持ちの良い加速、マニュアルミッションの車ではあったが僅か1900ccの車(ディーゼルエンジン)とは思えないような俊足ぶりだった。条件(ドイツのアウトバーンのような)さえ許せば、時速200キロ巡航走行も現実的なエンジンだったと言えば車好きの人ならば理解できると思う。

何故ヨーロッパではディーゼルエンジンが環境に優しいと言われるのであろうか。
事実EUの加盟国(英国も含む)間ではディーゼル車の環境税はガソリンエンジン車よりも低い。英国では毎年徴収される道路税に含まれる環境税は排気量の小さい車やディーゼル車は環境負荷が低く見積もられて安くなっている。

勿論日本(トヨタやホンダ)御自慢のハイブリッド車も環境税が低い事は事実であるが、その最終処理まで含めた環境負荷がディーゼル車より低いとは小生には中々信じられない。なぜってハイブリッド技術で使われる大量の希少金属やそれ等から作られたハイテックバッテリー等の回収に掛かるコストや環境負荷はディーゼル車より高いと思うのだが?

ともあれラグーナ搭乗経験が前から興味が有ったディーゼルのスポーツエステートに目を向けさせる今日この頃だが、アルファ159スポーツワゴン でディーゼルエンジンはないかな? セレスピードか6速マニュアルに女房殿はどう答えるであろう。『買い物に便利!』は通じそうに無い。

2007/07/10

官僚主義(bureaucratism)

一般的に「官僚的」と言う言葉は否定的な意味の時に使われる方が多い。それはどの国でも官庁や市役所等が民間の企業と比べて効率が悪い事や、権威主義的な立場や存在がその様に言われる事が多いからであろう。勿論総ての国家機関や公務員が非効率や権威主義と云う訳ではないが、立場的に民間より強いことの方が多いことからその様に言われるのではないだろうか?

官僚主義の問題点は数多いが、意思の疎通の悪い事もその代表例の一つではないか。言い換えれば自分の所属する部署以外とのコミュニケーションが不得手と言うかうまく行かない事を指している。
 
そして今一つ官僚主義のいただけない所は、本来ならば国民や市民の為に働く事が目的であるはずの省官庁などが、いつの間にか市民の便宜や国民の利益(国益)よりも自分の所属する省庁などの利益を優先させている事を度々見聞きすることでは無いか。

省庁や地方自治体に働く公務員を“civil servant”と英語にするとより立場が明確になる。 civilとは一般市民、servantはそのまま訳せば家来, 従者, しもべとなる訳で、市民の為に奉仕する事を目的とした仕事が公務員の立場だったはずである。しかるになかなか市民のしもべとまでは言わないが、市民も公務員の方もその様な意識は気薄のような感じがする。

昔からの日本の習慣なのか、あるいは公の仕事に対して『お上の言う事には逆らわない』みたいな感覚が作用しているのかどうかは分からないが、面と向かって公務員に文句を言う人は少ない。そんな事をすると、いざ助けが必要になった時に便宜を図ってもらえない といった意識が一般市民の中にはあるのではないかと思う。

又公務員の間にも責任を取りたくないと言った自分勝手な無責任感覚が強く、特に初めての事案についてはなかなか事が進まない事がままある。すでに何らかの経験や過去の資料があり、それにそった事例や解決方法であれば問題ないが、こと個人の判断が必要であったり、又前例が無い場合の様な時には簡単な事でもなかなか前に進まない。 

その様な行動や判断が官僚主義と言われ一般から揶揄されるのではないか?反対に企業業績が優れた企業にあっては他社よりも少しでも早く開発したり無駄をなくす努力をしている。又そうでなければ厳しい競争社会で生き延びる事は叶わず、業績も優れた結果を残す事は出来ない。

デミング博士が提唱したクウォリティー コントロールは今では日本企業のお家芸、その最も最先端をトヨタなどの超優良企業が指し示している。枯れ雑巾を絞ると言われる企業文化はいかにもトヨタの情け容赦ない態度のように言われるが、実のところ系列企業をつぶしてしまう企業では世界で伸びてゆく事は不可能ではないか。

別にトヨタの肩を持つものではないが不況になれば簡単にredundancy(=余剰人員。日本における「リストラ」)と言って社員の首切りをしてきた欧米の自動車会社の方が余程ドライで官僚主義ではないかと思う。会社経営に失敗したCEOが何億もの退職金を貰ってやめるのと、組立作業ラインの従業員が不況で首になるのとでは全く状況が異なる。 

トヨタの成功からこのところ「カンバン方式」を学ぼうとする欧米の企業経営者も少しは居るが、彼等の報酬を見ればまだまだトヨタ並みの経営には程遠いと言うのが本当の姿であろう。トヨタや日本の有料企業の経営者がいくら給料を貰っているかは知らないが、一般従業員の100倍1000倍の給料を貰う社長や会長は居ないのではないかと想像する。

しかし欧米における業績優良企業にあっては100倍等別に驚くに足らない金額である。彼等のメンタリティーには『好業績が出たのは自分の経営判断が優れていたからだ!』と言う自負(?)がある。そのメンタリティーには従業員にも少しは還元して企業に対する忠誠心も高めようと言うような少林寺拳法で言う『半ばは人の~』と言う部分が完全に欠落している事を良く見る。 

この様に企業文化が異なる背景にはこれまで社会が築いてきた歴史や国の文化も大きく影響しているのであろう。例えば経営側のドライな首切りや労働条件を何とかしたいと言う理由から始まったスト権は、労働者にとっては非常に重要な権利である。

日本におけるストライキは組合側も適当なところで妥協し、自分たちの会社が立ち行かなくなるほど長く厳しいストは行わないのが一般的だ。ところが欧米企業では多くの経営者と労働者は敵対関係にあり、ストがかなり徹底的に行われる。やはりこれは歴史的に労働者をどの様に扱ってきたかの文化の違いであろうし、一般社会のストに対する理解も日本とは大きく異なっている。

日本企業には労働者であっても従業員を家族のように考える経営者は少なくない。一時期、終身雇用制度や年功序列はもはや古い経営だと云われた事があるが、企業文化の異なった欧米式の経営方法が日本企業に対しても同様に最高の方法とは言えないと思う。

国や社会が長い年月をかけ築いてきたシステムには同じ事を他国がそのまま取り入れても上手く機能しない事も沢山ある。日本には日本の経営文化があり、欧米にも彼等の歴史と企業文化があることを考えれば、そのどちらにもそれなりの理由が有るのが普通ではないか。 

官僚主義というタイトルからは文脈が少々離れてしまったかもしれないが、民間企業にしても各省庁の公務員であっても、暖かさの感じられるメンタリティーがいま強く求められているように感じるのは自分だけであろうか?もしそうであれば少林寺拳法の説く『半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを』と教えた開祖宗道臣の言葉の重みが理解されるのではないかと思っている。

2007/07/07

The Way of the Warrior

1982年ごろBBC(英国の公共放送)のプロデュウサーから武道シリーズのドキュメンタリーを撮りたいので協力願えないかと相談があった。

ブルース リーのブームも一息ついた当時BBCのプロデューサーから『武道のルーツをインドから中国そして日本での発展までをドキュメンタリーとしてシリーズで紹介したい。ついては少林寺拳法も撮りたいので協力を願えないか』との依頼であった。早速WSKO本部に紹介して取材の協力を取り付けた。

取材は2年以上にもおよび、少林寺拳法以外にもインドの"カラリパイト" 台湾の"武術(ウーシュウ) "韓国の"テコンドウ" そして沖縄の"剛柔流空手" 日本本土からは"居合い道" "合気道"もシリーズとして取り上げられた。

取材陣はとりわけ少林寺拳法に良い印象を持ったようで、ほぼ一年を掛けて本部から全国大会までを満遍なく収録してきた。プロデュサーはもとよりダイレクターも少林寺拳法が最高の印象だったと英国に帰国後わざわざ小生に連絡してきた。『武道の持つ技術と哲学の指導と言う集大成を少林寺が武道専門学校として理想的な形で行っており、それを最後のシリーズで放映したい』と言うほどの熱の入れようだった。

我々も彼等(BBCの関係者)の説明とその満足度から放映されるシリーズに大きな期待を抱いていた。しかし実際に始まったこの武道シリーズ"The Way of the Warrior"は我々の期待を大きく裏切るものとなった。

当初聞いていたこのシリーズの最終回に紹介されるはずの少林寺拳法が、未だ多くの視聴者が注目をする前の第一回シリーズに放映されたからである。内容もプロデューサーが話していた感激した内容と随分かけ離れた事が紹介され、部分的には少林寺拳法のイメージを結果的に悪くする様な内容も含まれていた。早速WSKO本部と英国連盟から正式なクレームが出された事は云うまでも無い。

何故この様な結果になってしまったか?
83年当時、小生の弟子で初段を取った拳士で別派に走った者が居た。困ったことに彼は当時の英国に於ける武道統括団体"マーシャル アーツ コミッション"で事務局長と云う立場にあった。

BBCも当然ここを通して我々に依頼してきた訳であるが、タイミング悪く別派問題のこの男が破門と言う状態のときに放映が始まることになってしまった。そしてBBCがマーシャール アーツ コミッションに少林寺拳法の解説を求めたところ、その事務局長だったこの男が引き受けてしまった。

もちろん編集の段階で何度もプロデューサーに最終段階のものを放映前に見せてくれるように依頼していたが、何だかんだと理由をつけて実現しなかった。破門になった元拳士のコメントを引用したナレーションが少林寺拳法に好意的なコメントをするはずが無い。拳法シリーズを一変させたことは明らかである。最終回で紹介されると聞かされていた少林寺拳法が最初に出てくるのだから驚いたが、その内容にはもっと驚く結果となった。

それでも内容として、今は亡き板東先生の活法が出てきた。
放送後、見事に一撃で気絶させてしまう技を見た空手家の指導者から『すごい技を見せる師範がいるねェ。少林寺はすごい!』と電話を貰った。あのシーンだけはおそらくどの武道をやっている者でも驚いた事だろう。板東先生の技は絞め技もあり、わずか数秒で羽交い絞めで落して(気絶)しまうところも出てきた。

その後の映像に出てきた活法は小生も指導頂いた事があるが、完全にのびて(気絶)しまった人間を生き返らせる活法は少林寺拳法を修練する拳士にとって真剣に習得しなければならない技術であろう。この技を勉強しなくて不殺活人(勿論気絶した人間を起こす事のみに使う言葉で無いが)は成り立たない。

素晴らしい技が習えるのに突や蹴、そして柔法の技のみに目が行っているとすれば随分もったいない気がする。

2007/07/03

禁煙運動の高まり

このところ喫煙者には年々厳しさが増している。少し前に名古屋市内のタクシーが全面禁煙になったとニュースで見た。名古屋以外にも大分県や各地方自治体での規制が増えてきている。自分はタバコを吸わないので問題は無いが喫煙者には厳しい時代になってきたようだ。

ヨーロッパでは以前からかなり厳しい状態が始まっている。アイルランドは数年前からパブやレストランでの喫煙が出来なくなった。イギリスでもスコットランド、北アイルランド、ウェールズでは公共の場での喫煙が禁止されている。そしてこの7月からイングランドでも禁煙法が施行された。

非喫煙者を間接喫煙の被害から守ることを目的として法律で、禁煙の対象はパブやレストラン、映画館、オフィス、ショッピング・センターなどのほか、仕事に使う車も含まれると言ったかなり厳しいものだ。なにせ自宅以外で屋根のある場所はみな禁煙である。

先進国でタバコに対する規制が一番緩いのが日本だそうだ。WHO(世界保健機構)は日本政府の禁煙に対する取り組みが充分ではないと報告している。

どこの国でも税収確保は重要な課題である。タバコ税はその中でも税率が高く酒税やガソリン税よりも率で云えばはるかに高税率が掛けられて居る事になる。

欧米におけるタバコ税は日本とは比べ物にならないほど高い。この様な高税率になった背景にはタバコを規制して無くそうと言う政策が働いている。

タバコが原因で引き起こされる色々な健康被害が報告され、アメリカではタバコ会社に矛先が向けられ高額な賠償の訴訟裁判が起こされている。そして判決ではタバコを吸わない自分にも理解に苦しむ程の賠償金額が認められるなど喫煙に対しては厳しい目が向けられている。

吸わない自分が何故理解に苦しむのかと言えば、訴訟を起こした人達のほとんどはタバコが健康に与える危険さを承知で吸っているはずだと考えるからだ。ところが自身が何らかの病気になった途端に被害者としてタバコ会社を相手に裁判を起こすと言うこの感覚である。その上、裁判でタバコの危険を納得して吸っていたはずの人が勝ち、高額な賠償金を受け取ってしまうと言う事など日本やヨーロッパの国では先ず考えられない。

アメリカと言う国はある意味で裁判天国なのかも知れない。優れた弁護士を雇える裕福な人間であれば殺人罪を犯しても無罪を勝ち取れる事を幾つかの例で証明している。刑事判決で無罪となった同じ被告が民事裁判では賠償金を取られると言う矛盾も現実に起きている。

現在の欧米で売られるタバコにはどれもかなり大きなスペースで喫煙が健康に与える危険度を表示する事が義務付けられている。そしてタバコの値段も日本のそれの何倍もの高額な値段が付いている。ロンドンで売られているタバコの正確な値段は自分が吸わないので確かではないが、20本入りの場合£5(1,200円)はする。これでも北欧の国から比べれば半額以下と聞いた。 

これらの国でどれほどタバコの税収が減ったかは不明であるが、例えタバコの販売数が減ったとしても税収はそれに正比例して減るわけではない。なぜならば減った数よりも1本あたりで増えた課税額がかなりの割合で相殺できるからである。北欧のように高福祉国家であれば医療費に対する国家負担も無視できない。タバコが原因による健康被害者が減る事により医療費の国家負担を軽くできるわけである。

自分はモーターレースが好きでグランプリやWRC(世界ラりー選手権)もTVでよく見るが、これまで最大のスポンサーであったタバコ会社による広告が競技車両のF1やラりーカーの車体に出せない事が決まり、車体の色も今年から大きく変わってしまった。

昨年まではEU圏内やアメリカに於けるグランプリやラりーではスポンサーの名前を消した車両が走っていたが、日本や中国等規制が緩やかな国では相変わらず重要なマーケットであることから堂々と文字やロゴを車体に表示しているのを見かけた。

この様な姿勢がWHOをして日本がタバコ規制のゆるさを指摘されている所以であろう、先日のニュースで日本人男性の喫煙者が40%を下回ったと発表していたが、これなども小生にとっては未だそんなに吸う人が居るのかと驚きの方が印象として強かった。

日本のホテルで驚く事は禁煙室の無いホテルが地方には未だ有るという事だ。自分の経験で驚いた事は禁煙室として通された部屋に灰皿とマッチがテーブルの上に置かれていたことだ。当然レセプションに苦情を言ったが小生の入室前に消臭作業を確かにしたと言うだけの返事だった。

タバコを吸わない人間の状況を全く分かっていないか、または完全に無視しているのかは判断できないが世界広しと云えども灰皿とマッチを備えた部屋に「禁煙室です」といってゲストを通す国は日本くらいのものではないか!この件に関して日本の現状は途上国以下の状態にあることは残念ながら認めなければならない。勿論日本も大都市においてはこの様な事は無いのであろうが。

あるとき日本国内で禁煙の高速バスに乗った。バスの最後尾に乗っていたが明らかにタバコの臭いがするのでよく見ると前方でタバコの煙が見えるではないか。運転手も他の乗客も何も云わないので小生が『タバコやめろ』と言うと慌てて消した。

バスが終着駅に着くと先程のタバコを吸っていた、いかにもヤクザ風の男が『文句を言った奴は誰だ』と後を見回しているので、自分が『オイ、俺だ俺だ!何か文句があるか』と言うと何も言わずに下りていった。下りる時に小生がバスの運転手に『貴方が注意するべき事でしょう』と言ったが運転手は『すみません』と言うだけだった。 

日本の社会が持っている『事を荒げたくない』と言う一つの特徴かも知れない。どこの国でも争いは嫌なはずである。しかし欧米は同時に権利意識も強く自分の不快や被害には声高に権利を主張をする事も事実である。この事がタバコ離れに拍車を掛けている事も要因の一つではないかと思う。いずれにしても喫煙者には住み辛い社会になっていく事はこの先避けられそうも無い。

喫煙者の方には同情するがこの様な事態が進行している現在、思い切ってタバコをやめるという決断も考えられませんか?

2007/06/28

大きな成果を収めたヨーロッパ大会

先週末の23日〜25日、3日間に渡ってイタリアのノルチャで催された2007年度のヨーロッパ大会と講習会に行って来た。

ヨーロッパ大会は青坂先生と小生が80年代から始めた大会で、ヨーロッパで少林寺拳法を修練する拳士を対象にした4年に一度催される大会である。

初めのうちはフランスやイギリスの10周年とか15周年記念にあわせてやっていたが、定期的にヨーロッパの拳士達を対象にした大会も必要ということで青坂先生と相談の結果、国際大会の2年後に行うようになった。

又国際講習会も同時に催されるようになり、普段顔を合わせることの無いヨーロッパの拳士達が回が増す毎に参加者が増えてきた事はこの道を普及しようとする我々にとっては大変喜ばしい現象である。

イタリアがホスト国となったヨーロッパ大会は今回が初めてである。これまでにもヨーロッパ講習会などを催した経験は有ったが大会は今年が初めてであった。大会会場となったノルチャという町は古い街で、首都ローマから北東に位置し、バスで移動した我々は3時間くらい掛かった。

小生は講習会でこの町を訪れた事が過去に2度ほどあるが山の中にある街であるため大きな市では無い。この街はイタリア人が観光で訪れる様で歴史的な街の雰囲気を至る所で見かける。丁度英国に於けるコッツ ウォールズの村や街の様な存在の場所なのかもしれない。



イタリアは何時訪れても楽しい国である。先ず食べ物が美味い。『イギリスから出かければどこでも美味いだろう』と云われるかも知れないが、街で見かける小さなピッツリアのピザでも美味い。

始めの2日ほどはそれが良かったのだが、さすがに3日目くらいになると日本人はご飯が恋しくなる。青坂先生などは『お茶付けが食いたい!』と食事の度に零していたが、それは何も青坂先生に限った事ではなく自分もさすがにその頃には肉中心の食事には飽きて来た。

アンチパスタ(前菜)から始まる食事はパスタ、メイン(肉料理)と続きデザートとエスプレッソが出る頃には苦しいくらい満腹状態である。しかし毎日肉料理は本当に辛い、野菜料理は見事に出なかった。

アンチ パスタもプロシュート(生ハム)やサラミ等の肉料理だし、パスタはペンネやスパゲティー等の麺類でトマト味がベースで美味いけど辛い状態になる。海から遠いノルチャの街の事情も大きく影響している事は確かである。しかし野菜くらいはふんだんに出して欲しいものだ。最終日には何とかサラダも出てきたが、ともかく『お茶付け』と叫びたい気持ちは痛いほど共有できた。

ローマに移った最後のディナーは海老やイカ、魚の料理が専門のレストランに行ったが肉料理に辟易していた我々日本人には最高の料理だった。

大会は開催都市のノルチャが後援して大きく盛り上がった。600名を超える拳士の参加はヨーロッパでの大会や講習会に於ける参加人数としてはこれまでの最高を記録した。

22日ノルチャに到着した我々は市庁舎の前にある広場で参加国の拳士達が国旗を先頭に、異なった色のTシャツを着て行進し、見ていた市長をはじめ観光客も大いに喜んでいた。

ノルチャと言う小さな町にヨーロッパは元より日本、ロシアそしてアルゼンチンと言った国から参加した拳士達によって繰り広げられる踊りや音楽がそれらを盛り上げるのに大いに役立ったことは云うまでも無い。市庁舎のバルコニーから挨拶に立った宗由貴WSKO会長にも沢山の拍手が送られていた。

このような催しをさせるとイタリア人は天才的だ。盛り上げる事が実に上手い。ヨーロッパ大会も非常に成功だった。パソコンをリンクして集計から順位決めまで実に効率良く大会を進めて行く。これはヨーロッパの国では最初に全国大会を開いた英国より現在でははるかに運営が上手だと認めなければならない。

英国連盟も昨年から年間行事として大会を復活させているが、一度中断していた大会の運営と言うものが時間の変化と同じで現在ではなかなか効率的な運営と言うものが難しい。そこへいくと92年から毎年全国大会を運営しているイタリア連盟は今では参加拳士も多くなりヨーロッパでは最も大会運営が上手な国になったと思う。

        

大会の会場は日本やインドネシアと異なり、柔法マットの様な物を演武をする全てのコートに敷いて居る。その為どうしても派手な投げ技が多くなる傾向は否めない。主審をして気付いたが、級の女子拳士でも有段者の拳士の真似をし派手に飛んでいるのだが、膝から着地している様な場面に何度か出くわした。これは世界大会では出来ない演武だなと思ったが、他のヨーロッパの審判達には受けが良かったようだ。

フランスでの大会もマットを敷いていたがラテン系の拳士達にはこの方が好まれるのかも知れない、英国は初めから日本と同じコートと言う理由でマットを敷くことは無いが、これに慣れた拳士達にとっては早い動きの突や蹴からの柔法が難しい(足場が不安定に感じ)と言う不満も英国や北欧の拳士から聞いた。国際的なルール改定が進む中では重要な案件になる事も充分予想される。

少林寺拳法創始60周年を記念する今年、ヨーロッパ大会を成功に導いたイタリア連盟は今後益々自信を深めて行く事であろう。我々も負けては居られない。英国連盟拳士が一丸となって発展させて行かなければならない事を今回のヨーロッパ大会は指し示してくれた。

今一度大会の運営に裏方として大きく貢献したイタリア連盟の拳士達に『大会の成功おめでとう!』と同時に『有難う』とお礼を言いたい。



2007/06/25

刺青とタトゥ

日本社会で刺青をしていると一般社会ではなかなか受け入れられない。
就職なども一般的に難しい事であろうし、サウナや公衆浴場のように公共な場所では入場できない処がほとんどである。

ロンドンに住んでいると実にさまざまな人達が刺青をしている。
これはタトゥと呼ばれて若い女性でも平気で入れている。初めはオヤッと思ったがあまりにいろいろな人達が入れているのでそのうちに何も感じなくなった。

聞くところによると英王室は伝統的に軍隊に行かなければならないが、そこでの兵士に対する指揮官の勲章のような感覚で王室の中でもタトゥを入れている人が居ると聞いた事がある。

しかし一般的に見かける若者たちのタトゥは、日本のヤクザが入れる刺青とは全く違う安っぽい彫物である。

漫画のようなデザインがあったり、日本語の漢字が彫られていたりで、あるときイタリア人の拳士が"少林寺拳法"と漢字でタトゥを入れていたのを見て唖然とした事がある。

ガールフレンドかボーイフレンド等の恋人の名前をタトゥに入れている者もいるが、我々日本人の感覚からすると先ず第一印象が安っぽい。デザインもさることながら内容や漫画等とても刺青と呼べるような代物ではない。

しかし刺青は刺青である。タトゥはファッション感覚で気軽に入れるのであろうが、時代が変わって若いときに入れたタトゥが嫌になる事は無いのだろうか?この感覚だけは未だに小生には理解出来ない。

又彼等が日本に行って温泉やサウナ等に行った時、入場は拒否されるのであろうか?もし拒否されないならば刺青を入れたヤクザも入場を許されてしかるべきではないか。 

自分が子供の頃親から『決して大人になっても刺青など入れてはいけない』と強く諭された記憶がある。

それ事態がすでに古い考え方なのであろうか? 現在の若者がファッション感覚でタトゥを入れて楽しんでいる事をとやかく言うつもりは無い。しかしどう考えても一度刺青として入れてしまえば、それが死ぬまで消えない(手術で消せるとも聞いたが)事を考えるとそんなに簡単に自分の体を落書き帳にしたいとは思わない。

落書き帳とは言い過ぎに聞えるかも知れないが、漫画や自身で読めない漢字等、それも子供が書いたような字や絵であればなおの事そう思えてならない。

その点日本のヤクザがする刺青には一応ポリシーらしきものがあるように思う。彼等が入れる刺青はそのほとんどがプロの刺青師によって手で入れられたものである。若者が機械で簡単に入れるタトゥとは同じ刺青でも全く異なる。

芸術性も重要であろう、見るからに安っぽい図柄(漫画等)は先ず対象になる事は無いであろうし。見た人が『この人は一般の世界の人では無い』と一目で分かる事も、彼等の刺青が持つ意味としては重要な要素であろう。

若者のタトゥに対する認識は彼等、彼女等のヒーローやアイドルの存在も大きな要素であろう。アイドル達と同じ様なファッション感覚で簡単に刺青をしているとしたら、あまりにも短絡的と言わねばならない。 

タトゥはイヤリングやネックレスの様に簡単に取り外しや変更が利かないことを認識しなければ、入れた後で後悔する事になると思うが。

2007/06/19

LとRは難しい

LとRの発音は難しいと言うと「日本人の英語の発音の事か?」と言われそうだが、そうではない。英国人の彼等が難しいと言う話だ。エッと言う声が出そうだが、本当の話です。

昔から日本人の英語発音でLとRが難しい事は良く指摘される事だ。そんな事は分かっている。しかし日本人が難しいならイギリス人だって難しいと思うよ日本語のRで表す単語の発音は!

例えば我々が簡単に発音する『廻蹴』『流水蹴』『連反攻』を英文字で書くと"Mawashi-Geri" "Ryusui-Geri" "Ren-hanko"と書く事になるが、これを普通のイギリス人に読ませるととても日本人拳士が理解できる廻蹴や流水蹴と言う音は出てこない。それは我々日本人が苦労する英語独特のアクセント『LとR』で逆の現象が起こるからである。つまりイギリス人が日本語を発音する場合にも難しいと言うわけだ。

廻蹴の場合"Mawashi"までは普通に出てくる。しかし次の"Geri"はRが含まれているためGeに強いアクセントが来てしまう事になる。そして日本人の苦手な舌先を巻く"R"の発音が最後に強調される事で マワァシ ゲェィリィ と字にするとちょっと表現が難しいがこんな感じの音になるわけだ。単純に日本語で発音するところの蹴(Keri)や連反攻(Renhanko)のRの部分は英語での発音に関して言えば"L"で発音した方がより日本語の発音に近いと思う。

日本語に無い音Thをサと頑なに信じて新聞などでもF1レーサーの名前David Coulthardをデイヴィッド クルサードと書いて居るが実際にはクルタードである。クルサードでは誰か分からない。マイケルをミヒャエル、ロスバーグをロスベルグと書くのはドイツ語やフィンランド語発音をそのまま書いているのだろうと想像するが、はたしてドイツ人やフィンランド人がそのままのカタカナ読みで通じるかは不明である。

この様に見ると何も日本人だけが発音に苦労しているわけではない。単にその国(言語)の習慣や独特の発音や発声が、それらの音が無い国(日本におけるRやThやV等)の場合、イギリス人もついつい自分たちのクセをRの付いた日本語にそのまま使うので日本人には変な言葉(単語)に聞えてしまう事になる。

少林寺拳法用語は難しい。大車輪、足刀蹴、両手寄抜、等も発音が難しい名称だが、廻蹴三方受段蹴返などは日本人でも舌を噛みそうになるから外国人に発音させる事は至難の業である。

我々日本人にとって比較的発音が容易な国の言葉はイタリア語、スペイン語。両方とも親戚の様な言葉だがローマ字読みでかなり近い発音になる事もあり、イギリス人がそれらを発音する時より上手だと聞いた事がある。勿論これとて個人差はあるので一概に決め付けは出来ないが、ローマ字表記のものを読む場合にどうしても彼等は英語のクセが出るようだ。

日本人が中国語を読む場合と似ている、漢字で表される名前でも胡錦涛氏をコキントウと読んでフーチンタオとは中々読めないし北京でもペキンと読みベージンと読む人は少ないのと同じ現象ではなかろうか。

日本人だけが英語の発音が難しいと言うわけではない。と言う事を知っていれば少々問題があるアクセントでもそれ程気にする事は無いと思いますが、いかがでしょう。

2007/06/16

天才は居るか?

フォーミュラー 1(F1)グランプリが今年は面白い。その理由は新人ルイス ハミルトンだ。

黒人初のグランプリドライバーは何かと話題も大きい。今年のグランプリ シーズンを迎えるまでルイスの存在はそれ程騒がれると云うほどのものでは無かった。しかし開幕のオーストラリア グランプリで2位に入るやマレーシア、バーレン、スペイン、モナコと立て続けに2位を獲得した。これは驚くべき結果である。そして優勝も時間の問題と思われていた矢先、なんと先日のカナダ グランプリで見事優勝を飾ってしまった。

自分は車のレースやラりーが好きで日本に居た頃も鈴鹿サーキットまで見に出かけた事は前に触れたが、ロンドンに住むようになってからは余り行ってはいない。一度だけロンドンの郊外にあるブラウンズハッチというレース場にグランプリを観戦に行った事がある。

当時は未だセナやプロストが活躍する前の時代である。今ウイリアムズ トヨタにいるニコ ロスバーグのオヤジ ケケ ロスバーグやブラジルのネルソン ピケ、オーストリアのニキ ラウダと言う歴代のチャンピオン達が活躍して居る時だった。

彼等は皆非常に個性の強い人達だった。そしてそのドライビングスタイルも各ドライバーの個性同様に異なった特徴を持っていた事が自分にとってグランプリに非常に興味を持たせる事となった訳である。

現在のグランプリ ドライバーも結構個性は強い。自己主張も人一倍強くなければこの世界で伸してゆく事は難しいのだろう。しかし、同時に非常に繊細な面も持っていたのがアイルトン(セナ)だったように思う。彼は天才だと今でも思う。

マイケル(シューマッハ)に破られるまでP.P(ポール ポジション)の獲得数は圧倒的だった。事故で死ななければマイケルでもP.Pの数でアイルトンに勝つことは難しかった事だろう。P.Pのようにここ一番に掛けるアイルトンの勝負強さこそ天才と言うものではないかと思う。

87年〜88年に掛けて第二期ホンダ エンジンがグランプリに挑戦した時代があった。この時代ターボ チャージャーが付いたエンジンはわずか1500ccのエンジンで1000馬力を軽く超える出力のエンジンが普通であった。Q(予選)専用のエンジンにいたっては1500馬力とも云われる時代で、ホンダ エンジンが完全に他社を圧倒していた時期でもある。

87年のブリティシュ グランプリでは何とポデュム(表彰台)の3人では収まらず4位にも中島悟が入るという、ホンダ エンジンでなければ勝てない時代に突入していった。翌年は何と16戦中15勝、イタリア グランプリのアクシデントによるリタイア以外は全てがホンダ エンジン搭載車が勝つという日本人のグランプリ ファンにとっては痛快な年となった。

自分はアイルトンが天才だと思ったのは先に記したようにP.Pに於ける彼の圧倒的な強さだった。そして天才ドライバーはデビューの年にすでに何度かの優勝をしている。マイケルが出てきた時もそんな感じがした。

数多くのその他大勢のドライバー(彼らとて選ばれたドライバー達ではあるが)とはかけ離れた何かを持っているのが天才と呼ばれるゆえんであろう。残念ながらアイルトンとマイケルの対決は、マイケルがデビューした年にアイルトンの事故死によって決着がつかなかったが、もし彼が生きていればマイケルのP.P最多記録も変わっていた事も充分考えられる。

今年はマイケルも引退し、2年連続でチャンピオンに輝いたフェルナンド(アロンソ)がマクラーレンに移籍、そのティーム メイトがルイスである。その22歳のルイスが素晴らしい走りを見せている。

このところ自分も忙しくなかなかグランプリの中継も全てみる事が出来ないが、TVのハイライトで見たカナダ グランプリで見せたルイスの走りは紛れも無く次世代のチャンピオンを感じさせる何かを持っている。

ロバート(クビカ)の事故は衝撃的な映像だったが、こんな車の原形が分からない様な事故でも現代のグランプリカーはドライバーに軽い怪我しかさせない構造になっている。一昔前なら確実にドライバーはあの世行きだった事だろう。そして半数しか完走できなかった過酷なレースにおいてルイスが見せた走りは群を抜いていた。

聞くところによるとマクラーレン メルセデス ティームのボスであるロン デニスが12歳の時にカートをしていたルイスを見つけ経済的サポートもしたと言う事だ。当時からルイスは光るものを持った少年だった事になる。

元々がヨーロッパの貴族達によって楽しまれてきたグランプリ レースであるからメーカーにしてもホンダやトヨタはヨーロッパのメーカーに比べて何倍も努力している。その様な背景が分かるだけに個人的にはルイスを応援したくなる。

勿論タク(佐藤琢磨)を日本人として応援するのは当然だが、半分イギリス人(英国での人生の方が長いので)の自分としてはルイスも天才的要素を感じさせるだけに応援したいのだ。 

話は飛ぶが、日本で何かと批判の多い横綱朝青龍、自分は好きだ。彼の見せる勝負への執念、気迫、スピード溢れる技、そして優勝した時見せる涙、日の丸に面と向かって唄う君が代、プロ野球選手の外国人でそんなの見たこと無い。
 
横審とか云うわけの分からない年寄りがとるに足らない事に文句を言っているのを聞くと情けなくなる。 いったい貴方達はそれ程相撲に詳しいのかね。そして朝青龍と同じ年代の頃、何の欠点も無い人格者だったのかと聞きたくなる。

半分イギリス人だと言った自分でもユニオンジャックに向かって英国歌"ゴッド セーブ ザ クィーン"を唄った事は無い(唄えない、歌詞を知らない為)。君が代を唄える外国人は多くは無いであろう。自分が33年間もイギリスに住んでいるのに英国歌が歌えないことを考え合わせると、朝青龍の態度は立派だと思う。

何も日本の国歌を唄えるから立派だと言っている訳ではない。心が伴っていないと(その国に対し敬意や感謝する気持ち)ナショナル アンサム(国歌)などは簡単には唄えないものだ。 大衆の面前で堂々と日本の国歌を唄う朝青龍はそれ以前の横綱、曙や武蔵丸(彼らが悪い訳では決してないが)とは一味も二味も違う横綱だと思うが、皆さんの見方はいかがであろう。

新しい横綱も誕生し来場所からの大相撲は盛り上がりも期待できると思う。残念ながら二人とも日本人横綱ではないが、数多く居るその他大勢(良い例えではないが)の力士に比べ出世のスピードから見れば朝青龍も天才なのかもしれない。

グランプリ レースも大相撲も天才は見ていて楽しい!願わくば両方の世界で日本人の天才が現れて欲しいものである。

2007/06/12

海外生活でのストレス

今年でロンドンに住んでから33年目である。その間に沢山の日本人拳士も支部での練習に参加している。沢山といっても33年間に渡っての数であるから、一つの道場に5人も10人も居る訳ではない。

海外で生活すると言う事は色々な面で日本国内とは異なったストレスに出会う。最近では少なくなったが自分が渡英した当時は随分と人種差別もひどかった。現在ほど人種差別に対する教育が徹底されておらず、多かれ少なかれ有色人種に対する偏見や差別は存在した。

たまたま自分の場合は少林寺拳法と言う武道をやっていた事もあり暴力等の直接的な被害は無かったが、逆に加害者にならないように注意しなければ大変な事になる。相手が悪くてもこちらが訴えられてしまえば著しく不利になるのは当然である。

ごく初期の日本人の弟子で非常に誠実でまじめな拳士が居た。
道場には常に一番に来て他の拳士が着替える頃には床を掃いたり、作務も積極的にする模範的な拳士であった。日本から働く為の労働許可証も渡英前に取得し、働いていたホテルではその勤務態度が認められ、早い段階でセクションのマネージャーに抜擢されるような拳士であった。

あるとき日本に行った時にお土産として友人から貰った酒をいつも助けてくれている助教の日本人拳士2人を招いて一緒に飲んだ。

宴もそろそろ終る頃、そのホテル マネージャーの拳士がいつには無く真剣な表情で『先生、ロンドンの生活は辛い事が多いですね』と涙を流しながら言うのである。『どうしたの?』と小生ともう一人の助教の拳士が聞くと、仕事場でのトラブルで、彼の指示に従わない黒人の部下がいて、責任感の強い彼はその黒人の仕事も自分がやってしまっていると言うことであった。

その時は、おそらく日本人同士で呑んだ為に気が緩み愚痴が出たのだろうと深刻には受け止めなかった。

『では又今度の練習で』といって見送った後で、「彼はまじめだからなァ。いい加減な野郎とは人間関係がなかなかうまくやって行けないのだろうな。」と想像するくらいであった。

次の練習日にその拳士は連絡も無く参加しなかった。
急に仕事が入ったのかなとその時は気にも留めなかったが、その次の練習にも来なかったので、少し気になりもう一人の助教の日本人拳士に彼の仕事場まで訪ねてもらった。

それから1週間経って、助教の拳士から驚くべき事実が報告された。

我々が一緒に酒を飲んだ数日後『辛い』と涙を流した拳士は裸に近い状態で地下鉄のヴィクトリア駅に現れ、地下鉄のホームから飛び降りたそうである。

幸い電車が来る前に誰かに助け出され、命に別状は無かったが、その事を不振に思った警察が調べて行くうちに精神的な病では無いかと言うことになり、現在はロンドン郊外の精神病院に収容されていると言う情報であった。 

いったい彼に何があったのだろうと心配したが、ともあれ実情を調べなければならない。助教の拳士と共に収容先の病院を訪ねた。

精神病院を訪れるのは初めての経験であったが、中に入ると何処と無く異なった雰囲気である。彼の名前を告げ病棟を訪ねると名札のあるベッドに彼の姿は無かった。見回すうちにソファーの横にうずくまっている拳士に気付き声を掛けた。

小生を見返した拳士が『先生!』と呼ぶので、「これはそんなに深刻ではないな」と一瞬安堵した。しかし、次に彼の口から発せられた『今日、日本人が5,000万人殺されたと言うニュースが流れたが、知っていますか?』という言葉を聞いたときには、『え!』と思わず息を呑む思いだった。

その後色々と話し始めた彼が、黒人恐怖症のように一切黒人を信用しない言葉を次々に発するのを聞き、余程黒人に対して悪い印象を持っているなと分かった。仕事場での部下であったはずの黒人従業員との軋轢が生んだ悲劇であろう。

具合の悪い事は重なるものでそこに働く医者はほとんどが黒人であった。給仕をするスタッフも黒人であった事から彼は病院で出される食事には一切手を付けない状態が続いた。

もともと小柄な拳士であったが何日も食事を取らなかった事で彼の体は益々やせてしまい非常に危険な状態であった。毎日彼の為に家から食事を運ぶ事にも限界があった。

ある時『病院で出される食事を何故食べないか?』と聞くと、『先生、ここの食事には毒が入っているので自分は決して食べない』と答えた。

そこで小生が『何を馬鹿なことを言う。俺が目の前で食べるから見ていろ』と言って出されたパンと何かを口に運んだ。『やめてくれ!』と嘆願する彼の目の前で、食べ物を飲み込んで見せた。小生がてっきり死ぬものだと思っていた彼は、目の前の自分がいつまで経っても死なない事で出される食事が安全だと悟ったようであった。それから堰を切ったように食べ始めた。

2日後に訪れると食べている。安心した我々は次に少し様子を見るために時間を空け2週間後に再び病院に出かけた、今度は別の驚きが待っていた。

病院で出される食事が安全と分かった彼は、今度は逆に毎日食べ続け、運動不足も手伝ってわずか2週間前にやせ細っていた体が今度は太り始めたではないか。

その間小生は日本の彼の実家に手紙を書いて説明した。先ず自分の身分照会を本部で出来る事、そして現在の拳士の置かれた状態を説明する内容を書いた。早速返事が来て、兄弟が連れて帰る為にロンドンに来ると連絡があった。

ロンドンにやって来たお兄さんから聞いた話であるが、丁度同じ頃外務省からも電話が入り『息子さんが病院に収容されているから渡航の準備をするように、経費として100万円くらい必要だから』と名前も告げずに切れたと言う。初めに電話に出た家族はいたずら電話か?と思ったそうである。名前も告げずに『経費が100万円必要だ』と言われればそう考えても無理は無い。 

当初は『自分の顔を見れば元に戻る』と自信を見せていた兄も、病院に行き本人に会ってみて現実の重大さを悟ったようだった。

航空会社はこの様な場合本人と家族だけでは乗せてはくれない。本人以外に専任のドクターが同行する場合に限り乗せてくれる。その様な理由から兄は一先ず日本に引き返し、関係する諸経費(航空運賃等)を用意して2週間後に再びロンドンにやって来た。

思いもよらぬ展開ではあったが海外で暮らすと言う事は、日本国内で普通に生活する事よりも何倍も目に見えない数多くのストレスを受ける事は事実である。ロンドンで生活する日本人駐在員や家族の中にも精神の病にかかる人は少なからず居る。

現代社会は何処で暮らしてもそれ相応のストレスはつきものだが、外国と言う言葉が示すように日本と同じと考えると安易すぎるように思う。

これまでの33年間に拳士として接した日本人の中には、今一人危うく最初の拳士と同じ状態になる直前の兆候を示した拳士が居る。幸いと言ったら最初に病にかかった拳士や家族の方々には不謹慎であるが、この経験が小生に有ったから早い段階で帰国させ、同じ様な大事に至らなかったケースである。

この拳士はロンドンで入門した拳士であったが、ロンドンに来る前にフランス語が出来た為、アルジェリアで2年程アルバイトを日本の企業でやったそうである。その時に貯めたお金でロンドンにしばらく住んで英語を勉強して帰国する予定だった。

この拳士は不真面目と言うわけではないが、道場に来たり来なかったりと不規則な状態であった為、しばらく来ない事があってもそれ程気に留めていなかった。あるとき久しぶりに道場にやって来た彼の表情が異なった。話すうちにこれは何かおかしいな。と直感するものがあった。なにしろ話が矛盾していて辻褄が合わない。

彼は『自分のフラットの隣に住むアラブ人がマフィアで、部屋に置いてあったお金を獲られた。道場まで来る間も後をつけられていたが何とか巻いて逃げてきた』と言うではないか。『警察に行ったか?』と訪ねると『奴等もグルだから警察に届けたが相手にしてくれない』と答えた。

おかしいなと思ったが念の為に、『それでは俺が一緒に付いて行ってやるから帰りに警察に行ってみよう』と言うことになり、道場が終ってから本人と別の日本人拳士を伴って警察に行った。本人が住んでいる近くの警察署に行って話を聞くと、彼の言っている内容に矛盾が有る為に警察官も相手にしないという感じだった。

前の拳士と共通する被害妄想の気があったので、もう一人の日本人拳士に彼を一日預かってくれるように頼んで帰した。その日本人拳士は小生の言う事を理解出来なかった様で『本当ですか?』と言って不審顔だった。 

自宅に戻るとさっき別れたばかりの預けた拳士から電話が入った。『初めは分からなかったが今は怖くて一人にしておけない。窓から飛び降りる素振りをするので何とかして欲しい。』と言うのである。それ以上預かってもらえないと判断して、自分の住んでいた隣のフラットの一室を借りてそこに1日泊めさせる事にした。翌日何とか本人を説得して帰国させる事になり、我々はヒースロー空港までその拳士を連れて行き見送った。

帰国した本人から礼状とお菓子が入った小包が届いた時にはホッと胸をなでおろした事は言うまでも無い。初めに見抜けなかった自分の注意力の至らなさを虚しく感じて、申し訳ない思いであったが、その経験が有り何とか二人目の同様な結果を、回避することが出来て無駄な経験ではなかったと思えるようになった。本当は他にも居たのかも知れないが自分が掌握しているのはこの2件だけである。

精神の病は見た目が普通であるだけに判断が難しい。このように海外に住む事が不向きな人も確かに居る。ここに述べた2人の性格はかなり違う事を考えるとステレオタイプの性格付けは出来ないと思う。どんな性格の人でも海外に住む事による諸々のストレスはこのような精神障害を引き起こす可能性がかなり高くなると言う事だけは確かであろう。

2007/06/08

報道の文化の違い

外国と日本で大きく異なるものの一つに報道の違いが有る。

先日英国のブレア首相が自身の選挙区で首相の座を下りる事を発表した。これはすでに多くの国民にとっては意外性の無いニュースであったが、その折TVのニュースで流れるニュースを見て随分日本とは報道姿勢が違うなと思った。

以前にも海外の新聞記者の外国の首相や大統領等に対する報道姿勢を指摘した事があったが、日本のこれらの報道に携わる記者には相手が国家元首やそれに相当する人物の場合には、かなりディプロマティク(外交的辞令的)な質問の仕方をするのをよく見かける。

あまり辛らつすぎる質問は日本人の文化にはなじまないのかもしれない。しかし海外の報道に携わる記者の質問は実に際どいものがあったり、興味の対象をはぐらかす事無くズバリと聞くことにある。

トニー ブレア首相がイラク戦争でアメリカに賛同して積極的に英国の軍隊を派遣した事から、国内では彼の事をジョージブッシュのプードル(愛玩犬)と揶揄する記事が有った。アメリカを公式訪問したブレア首相が当のブッシュ大統領と共に記者会見に臨んだ席上で英国の記者から『ブレア首相はブッシュ大統領のプードルと呼ばれているが貴方はそれについてどう思うか』とTVニュースの前で質問するのを見た事がある。

この様な記者の姿勢は日本の報道では先ずありえないことではないかと思う。

日本の記者がブレア首相と同じ様に記者会見に臨んだ小泉前首相に同じような質問をしたら日本の視聴者はどう思うのであろうか?

おそらく日本人の感覚では『何もそこまで聞くことはないではないか。ましてや外国の国家元首の前で自国の首相の恥をさらすような事を!』との意見が出そうである。

こういったことは何も英国の記者ばかりではない。

少々古い話だが、ソ連崩壊と共に東ドイツが西ドイツと統合し喜びの記者会見が行われている中、コール首相に対して『貴方は東西ドイツ統一の為にロシアにいくら支払ったのか?』と質問した記者がいる。

質問されたコール首相は顔を真っ赤にして『1マルクも払っていない』とその記者を睨み返していた。
この様な辛らつな質問はヨーロッパの記者の間ではかなり普通に行われている報道姿勢だ。

文化の違いと言ったが、日本には報道においても「最後の一線を越えない」と言う暗黙の了解が、記者や報道される側にあるのではないだろうか?逆にヨーロッパにおいて平気な顔をして(その様に見える)当然のように辛らつな質問をする記者の姿勢も彼等の文化の裏返しであろう。

『知りたい事はとことんベールを引っぺがしても知りたい。』
『余りにグロテスクであったり国家元首の名誉を著しく貶める様な質問はしない。』
これも文化に合っている様に思うがいかがであろう。

今日のように世界中で起こる事件がその日の内に世界中を駆け巡る時代である。マスメディアも世界各国が競って情報を収集しようと懸命に動き始めている。

これらの情報収集にはコストが掛かる事は云うまでも無い。しかしながら偏った情報により国民が危うい方向に扇動されるとすれば、色々な角度からの報道は益々重要になってくる。

過去に於いては世界中に情報のネットワークを持ったアメリカや英国などから発せられる報道が、世界各国に大きな影響を与えてきた事も事実である。近年これらの事に気が付いた中国やアラブの国でも衛星放送に力を入れ、情報もアメリカやイギリスとは異なった角度から流し始めている。

そんな事を見ていると日本の報道姿勢がこれまでと同じやり方で良いのか?日本国内にも存在する菊、桜、鶴と言われる報道タブーも含めて検証してみる時ではないか。これまでの日本人の趣向に合った報道ばかりでは世界で起きている事件や真実から意図的に目をそらせているようにも思える。

開祖が指導者講習会の法話で『眼光紙背に撤す』と云うことわざを云われた事がある。「行間を読め」と言う事なのだが日本のマスメディアの報道姿勢には今一つ迫力が無いように感じる。

記者クラブを作り同じ様な記事ばかりが並ぶ日本の新聞では世界の本当の姿は半分くらいしか見えないような気がする。

2007/06/02

アフリカ地区講習会

80年代中頃からアフリカ地区との関わりを持つことになってから20年以上が過ぎた。

この間北アフリカへのホリデーは別として、東、南アフリカの国等6度ほど講習会で訪れた。そのどれもが自分が住む英国や日本とかなり異なり、経済状況が主な理由で環境、衛生、インフラ等どれもが先進国と比較すれば大きく立ち遅れている。

そんな中、東アフリカに位置するケニアはいち早く60年代に英国から独立を勝ち取り、アフリカの優等生と呼ばれた。事実自分が初めてこの国を訪れた1986年当時は首都のナイロビが非常に近代的で、街の風景などはヨーロッパ風のデザインで『綺麗な街だな』と言うのが率直な印象だった。残念ながらその後隣国のソマリアが政情不安定となった事から、難民やテロリスト、そして武器(拳銃等)が数多く持ち込まれた結果、随分荒れた街になってしまった。

最初の講習会で訪れた92年は日本政府のODAで建設されたジョモケニアッタ農工大学で講習会を行った。 その時に一人の16歳くらいの少年がタンザニアから参加した。タンザニアでの少林寺拳法は熊坂さんと言う拳士がJICA(青年海外協力隊)で電話の技術者として日本から派遣されている時、ダルエスサラーム大学で教え始めた事がきっかけであった。

その熊坂拳士とは86年に首都のダルエスサラームで会っており、その時参加した少年は彼の教え子であった。その時はケニアだけが講習会の対象であった為タンザニアからの参加者は想定していなかった。そんな時に母親と共にダルエスサラームからケニアのナイロビまで講習会に参加してきた事は驚きであった。詳しく状況を聞くにつけ少年と母親はバスでなんと30時間以上を掛けてやってきたと言う事だった。タンザニアでの練習内容や状況を詳しく聞きWSKO本部への報告とした。

ジョモ ケニアッタとはケニア独立の父といわれる人で、独立運動の指導者であり、又同時に初代の大統領でもあった。この名前は他にも国の英雄として色々なところに使われている。その名前を付けた農工大学には日本から教授陣が送り込まれていた。そんな事情もあり拳法部の部長には日本人の教授が引き受けてくれていた。キャンパスはナイロビから車で1時間ほど掛かる場所にあり、そこの講堂を借りて講習会を行った。キャンパス内の木々には綺麗な鳥が沢山巣を作っており如何にもアフリカの大学と言う雰囲気である。

ナイロビもそうだが海抜が1500メートルを越える地域にある大学での講習会は気候的に暑苦しいと言う訳ではなかった。その代わり高地トレーニングと同じで普段平地で練習している我々にとっては、同じ動きでもかなり苦しくなる時がある。

エチオピアのアジスアババに86年に初めて行った時、初日に軽い高山病にかかり頭痛がした事を経験しているので驚きはしなかったが、普段なんでも無い動作の動き(剛法の連反攻等)が少し続けてやると途端に息苦しく感じた。

この様な環境で普段走ったりしている彼等がマラソン等で良い成績を収める事は充分理解できる。少林寺拳法の演武でもこの様な場所でやると、平地でやるのとは異なりかなりしんどい思いをする事になる。

92年以後のアフリカ講習会では同時にタンザニアでも催される事になった。ケニアでもそうであったようにタンザニアでの少林寺拳法の発祥も、タンザニアで当時唯一の大学であったダルエスサラーム大学キャンパス内で始まった。

94年に担当指導員を伴いダルエスサラームの国際空港に降り立った我々は、WSKO事務局から連絡が行っているにも関わらず誰も出迎えに来て居なかった。後で分かった事は事務局から送られた手紙は古い住所に送られていて責任者には届いていなかった。当時はEメールも無く事務局と確認する事も簡単には出来ない時代であった。

86年に泊まったホテルを懸命に記憶をたどり、何とかチェックインを済ませた我々一行は、担当指導員の植林拳士が渡航前に得ていたわずかな情報、『毎日大学で4時から練習している』と言うたった一言の情報を頼りに大学へ向かった。小生もやっと連れてきた担当指導員を紹介も出来ないようでは面目も無かった。

そんな切羽詰まった状況で大学に着き、学生や職員に聞いて回ったが誰も少林寺拳法など知らなかった。何人も聞いた中で『キャンパス内のプール脇で空手の練習をしている』と言う情報を得た。何と場所は同じ大学のキャンパスとは言え山を一つ越えた反対側と言うではないか。タクシーを待たせておいて良かった。

早速言われた場所まで行きプールの周りを探したが誰も空手などやっていない。しばらく探し回っていた我々に時々気合のような音が耳に入ってきた。これは何だろうと顔を見合わせながら音の聞える方角に進んでゆくと、建物の入り口に突き当たった。音(気合のような)が聞えるようで聞えない。

ドアを開けると中に15人くらいの人達がこちらを一斉に見つめた。次の瞬間合掌礼が返ってきた。拳士だ!誰も道着を着ているものは居なかったが合掌礼とは紛れも無く少林寺拳士の証である。嬉しかった。そして小生の場合やっと責任の一端が少し下りた気がした。

それから練習が始まったが、しばらくして彼等の動きや顔がよく見えなくなってきた。普通の服であったし、電気も付いていない、『これでは練習できない』と言うと、『2階に電気が点く部屋が有る』と言うのでその部屋に移動した。そこも広い部屋ではあったが裸電球が一つである。

そんな中彼等の練習に合計4、5時間も付き合わされることになった。しかしそんな事より彼等に会えた事を喜びたかった、又次々に質問を浴びせ練習を続けようとする姿にも新鮮な感動があった。後で食事を共にしながら、これまでの彼等の歴史を聞いて驚く事ばかりであった。

86年に熊坂拳士が任務を終えて日本に帰国した後、残された拳士達はそれから毎日大学で少林寺拳法を練習していたと言う。『誰か教えてくれる人はいたか』と聞いてみたが誰もいないようだった。只、日本企業で働く人で学生達の相談に乗ってくれる人が居ると言うので、その人に会いに出かけた。日本のゼネコン鴻池組の現地法人タンザニア鴻池の宮崎所長がその人であった。

詳しく事情を聞くに付け『世界は狭いなァ』と思わずにはいられない気持ちになった。何と宮崎さんは学生時代日本大学の少林寺拳法部で活躍し、新井財団法人会長の後輩に当る人であった。そんな事から学生達の相談にのったりしていたと言う訳である。

我々が最も驚いた事はWSKO本部に登録もされていない状態の彼等が、86年以降94年までどうして少林寺拳法を指導者も居ない状態で続けられたかと言う事である。勿論昇級、昇段の試験なども無く、しかも毎日、2時間以上も練習していたと言う事事態に衝撃を受けた。少し考えて見れば想像が付くと思う、昇級試験も大会も無く、何を目標として練習していたのであろう。

後に会った日本大使館の人達からも、初めに少林寺拳法を指導した熊坂拳士の事、そしてその教えに従い毎日練習を続ける彼等に大変好意的であったことが印象に残っている。おそらく鴻池の宮崎所長も自身が少林寺拳法から遠ざかっていたにもかかわらず、彼等の相談にのって頂いた事が少林寺拳法を続けさせた原動力であったように思える。

この体験をWSKO本部に報告すると日本の学生連盟が中心になって、不要になった道着を集めタンザニアやケニアに送ってくれた。しかしながらこの様な古着の寄付であっても現地では輸入税が掛かってしまう、その事を知った宮崎所長から会社の輸送品として受け取って頂き、輸入税が掛からずに道着を拳士達に引き渡す事ができた。

その後の講習会では見違えるように全員が道着を着て練習している姿を見て感慨深く感じた。彼等の道着には襟の後ろに日本人の名前が書かれている事も、これらの道着が日本人拳士の好意によって送られた物である事を如実に物語っている。

『人、人、人全ては人の質にある』 開祖宗道臣の残したこの言葉を何度も繰り返し、少林寺拳法を続けてきた。拳法を修練する拳士が何処の国の人間であろうとも、この言葉の持つ普遍的真理は変わらないと思う。『人の心の持ち方(考え方)を変えよう!自分も大切にするが、他人の事も半分は考えよう。そしてその事が社会を良くしてゆく。』この言葉を死語にしては少林寺拳法を続ける意味が無いと思う。


2007/05/30

天皇、皇后両陛下のレセプション

先日5月27日ロンドンの中心地グリーンパークにある日本大使館に於いて天皇、皇后両陛下のレセプションが野上駐英大使によって催された。両陛下はリンネ生誕300周年を記念して先にスウェーデンとバルト3ヶ国を歴訪され、最後に英国に立ち寄られた訳である。

生物学者としてとりわけ分類学に大きな足跡を残したリンネの生誕300周年に天皇陛下が出席された事は陛下ご自身が英国リンネ協会の名誉会員であることも大きな理由であろう。海外の研究者は50名が会員として認められて居るとの事で、天皇陛下はハゼの研究者として分類学に貢献が認められて名誉会員として学術的な訪欧目的でもあったようである。

5月の初めに日本大使館より両陛下のレセプションに招待を受けた時、何故自分が選ばれたのかと聞いてみた。大使館の担当者からの説明では2000年11月に当時の駐英全権大使から頂いた日英交流の表彰状受賞者が選考の一つであったらしい。

日本国内に居ればこの様な機会自体も頂く事は無いと思い出席する事にした次第である。家内も同伴して大使館まで行ったがロンドンには珍しく朝から強い雨が時々降っていた。この天気にも関わらず、すでにかなりの人達が大使館のレセプションに到着していた。


頂いた招待状の中に、「携帯電話とカメラの持参は御遠慮してください」と書かれていたので、写真撮影は出来ない事は承知していたが、一応状態が許せば撮らせてもらおうとカメラを持っていった。

レセプションが始まる前に大使館関係者からどこに両陛下が立たれ、報道陣がどの様に入って、レセプションが進められるかのオリエンテーションが招待者になされた。50名ほどの招待者と配偶者で合計約100名くらいの出席者であったが、さすがに天皇、皇后陛下のレセプションともなると式次第のA to Zまでがかなり詳細に決められている事に感心した。

時間きっかりに両陛下が大広間に入場され、歓談していた我々も先のオリエンテーションどおりにレセプションが進んで行った。両陛下は分かれてそれぞれのゲストと歓談されている。間近で見る両陛下は長旅のお疲れも見せられず一人一人とお話を続けられている。

それぞれのゲストは初めに大使館から名前と所属する組織の役職が書かれた名札を手渡されて居たので、名前を言って何を英国でやっているのかを説明する事になる。結構限られた内容の話であるがお二人は真摯に耳を傾けられている。人事ながら国家元首と言うものの大変な仕事の一端が垣間見られた様に思う。

英国には小生よりも長く武道を教えている指導者も数多く居る。今度の両陛下のレセプションには色々な分野の人達が招待されていたが、スポーツや武道の分野では自分一人だけだった。この様な名誉な機会を頂いた事に感謝したいと思う。そして少林寺拳法を通してこれまで以上に日本と英国の交流発展に少しでも貢献できればと考えている。

今回のレセプション参加の顛末は次回のOB会で皆さんにお会いした時に直接お話できればと思う。

2007/05/27

成熟した車製造国日本 ~その2~

学生の時友人でスカイラインGTRに乗っている奴がいた。

当時サニーやカローラが60万円台で買えた時代に180万円もした車である。メカニカル ノイズがもの凄くその車が来るとかなり離れていても直ぐ分かったほどである。今ではレース界で伝説となったそのスカイラインGTRの50連勝が始まった当時のことである。

自分はと言えば日産サニーを親から買ってもらい、それで鈴鹿サーキットに良くレースを見に出かけた。当時のレースでのGTRは圧巻だった。鈴鹿の最終コーナーで観戦していると甲高いGTR独特のエキゾースト音が先に聞こえてくる。

車が現れると運転している高橋、黒澤、北野といった日産のワークス ドライバーが片手運転でカウンター ステアをあてながら出てくる、『すごいなー!』というのがその時の印象だったが、現在のグランプリドライバーであるアロンソやライコネンに感嘆する若者と同じ様なものだったのかもしれない。

そんな自分が卒業後就職して最初に買った車がフェアーレディーZだった。
新車を受け取り親父に見せると『二人しか乗れないのか?』と言うのが最初の感想だった。当時日本社会での車に対する価値観はおそらくこの親父の言葉が象徴するようにスポーツカー等はまだまだ肩身の狭い存在であったように思う。


今では世界中で日本車の優れた性能は認められ、世界で最も売れる車を製造する国となった。それでは日本人の車に対する認識はどう変わったのであろうか? 

ミニバンを改良して作った7人乗りのMPVなどが一時期随分と流行った。小生もアウディの大きめなセダンに乗っているので時々思う事がある。

5人乗りの車でもほとんどの場合(8〜9割)が一人で乗っている訳である。他の4座を使わないのならスマートのような2座席か、スポーツカーの2座席の方がより効率的ではないのか? もし何人も乗る事になれば、その時レンタカーでも借りた方が良いのではないか?と。

万が一の利便性を考えて5人乗りのセダンや7人乗りのMPVやSUVを買うと言う事は、あれから35年以上も経つのに日本人の車に対する価値観はあまり変わっていないのではと思うがどうであろう。

ガソリンエンジンの車と言うものが人に使われ始めて120年経ち、地球温暖化も話題になり、その影響か日本の作るハイブリット車はこのところ日本車のイメージ向上に大きく役立っている。

しかし本質的な意味で環境負荷を考える時ハイブリッド車に使われるハイテック技術が、必ずしもこれまでのガソリン車やディーゼル車よりはるかに優れた環境技術であるかどうかはいま少し時間が必要であろう。

くしくも日本のメーカーにおされ気味の欧米の車メーカーもハイブリッド技術を日本から買ったり又新しく開発研究を急いでいる。これは単にビジネスでこれ以上日本に立ち遅れると負けてしまうからとりあえずハイブリッド車も作ろうとしている訳で、本当の意味で地球の温暖化対策や環境問題を考えてのハイブリッド化とは違うように思えてならない。

アフリカを講習会の都度訪れ、その地域で古い日本車が元気で?走り回っている様子は日本人として誇らしく感じたものだが、良く考えて見ると2月にこの欄でも誰かが指摘されたとおり、日本で使えなくなった古い車の処理場(墓場)としてそれらの国に中古車を輸出していると考えられなくも無い。

そうであれば今後出てくるより環境負荷の高いハイブリッド車(バッテリー等)がこれらの途上国に輸出される事も時間の問題であろう。そうなった時我々はこれまでと同様に中古車を輸出し続けても良いのであろうか。『日本が輸出しなくても他の国が輸出するではないか』、と言う意見も当然ある事と思う。

しかし現在の最先端技術を自負する車の製造国、日本の先進国としての責任は、それらの技術が輸出された国でどのように最終処理をされるかを無視して輸出されるとしたら、将来に環境汚染やその被害者が出たときには、それに対する賠償や責任が日本に突きつけられる事になるのではないかと危惧するところである。

2007/05/24

成熟した車製造国日本 ~その1~

自動車のレースはヨーロッパではかなり歴史がある。1920年代にはすでに多くの地域においてレースが行われていた。

ガソリン自動車そのものの歴史はそれ程長くは無く120年くらいの歴史だが、日本も歴史の上では1920年代からすでに国産の車を作っていたと言うから、ヨーロッパと北米以外では数少ない生産国の一つであっただろう。

しかし、意外とこの様な事実は海外では知られていない。それどころか日本の自動車産業は戦後に始まったと考えている欧米人は数多い。

ガソリンエンジン車の起源についてはドイツとフランスがどちらも主張しているが、そこから40年後に日本でも外国からの技術輸入があった事は確かであろうが、生産が始まっていたことは当時の日本が世界でもかなり影響の強い国であった事がうかがい知れる。

最近でこそ日本は先端技術の国と言うイメージで見る外国人も多いが、自分が渡英した70年代中頃までは欧米の技術を取り入れて(コピーして)儲けた国だろう、くらいの印象だった。日本の技術体系はかなり進んでいて、世界的に見ても決して欧米のコピーばかりではないが、その事実を知る外国人は少なかった。

例えばテレビなどは日本人の発明によるブラウン管システムがその普及に大きく貢献した事をほとんどの英国人たちは知らない。それどころかTVそのものが全て英国人の発明だと信じて居る人達が大半である。

ではなぜ日本より早く普及しなかったのであろう。小生が渡英した74年当時すでに日本の家庭ではほとんどがカラーテレビになっていたが、当時の英国はまだ白黒テレビで、しかも比較的小型のテレビを家族全員で部屋を暗くして見ていたので驚いた記憶がある。

自動車産業も戦後の急成長はあるものの、車作りそのものは戦前から日本ですでにあった。只当時の英国やドイツ、フランスと言った国に比べればその発達段階が遅れた事は事実である。

彼等ご自慢のフェラーリやジャグワー、そしてポルシェと言えども歴史的には三菱やトヨタなどと大して変わらない。 名声と言う点ではこれらの車とは分が悪いが、これは車の作られた目的とするところが大いに異なる為である。

主に日本の車は量販車であり、フェラーリやポルシェはスポーツカーで超高価格車である。このところ日本車も高級車を作るようになり欧米のメーカーは相当苦戦を強いられている。

車好きの小生は日本車も好きだが、しかし全て日本車になってしまったら逆につまらなくなるような気がする。多様な個性があるから車も楽しいと思う。多様な個性と、そして選択があったほうが楽しいと思うのだが。

...その2へつづく

2007/05/21

皇太子殿下が観られた少林寺拳法デモ

英国では10年に一度日本年と称される日本大使館(政府)主催の日本を紹介するイベントが開かれる。

前回は2001年がその年であった、日本を紹介する催し物の一つとして日本の武道を企画した催しがロンドンの中心ハイドパークの一画で行われた。

計画は2年近く前から知らされていたが、我々も少林寺拳法を紹介する良い機会と捕らえWSKO本部も全面的に協力を約束した。同じ年に国際大会が初めて海外で行われ、フランス連盟が主管してパリで執り行われた。

このハイドパークでのデモンストレーションの為に本部からは公認デモティームが応援に駆けつけてくれた。少林寺拳法公認デモティームとは小生も浅からぬ因縁である。宗由貴WSKO会長に少林寺拳法の技術的側面をアピールできる優れた人材を全国から募り、少林寺拳法の広報活動の重要な一環として活用したいと相談したのが始まりである。そして東京や本部で全国から応募した拳士達の中から選ばれたのが初代公認デモティームの拳士達であった。

同年2001年には公認デモティームはパリ、キューバ、そしてロンドンと3都市へ派遣された。パリでの国際大会におけるデモティームの演出も素晴らしかったが、ロンドンで行われたデモティームの活躍は同時に参加した合気道や剣道と言った他武道の人達までもが称賛するほどの素晴らしいものであった。

我々のデモが終了する頃主催者を代表して皇太子殿下が英王室のプリンス チャールズと共にハイドパークに来られた。 武道のデモが行われていた場所には大使館関係者と共に厳重な警備がしかれる中、皇太子殿下が来られた。

日本大使館関係者から小生と英国剣道連盟の会長が紹介された。実は小生は皇太子殿下にお会いするのはこの時が2度目であった。

それより11年前に未だ殿下がオックスフォード大学に留学されており、帰国を前にされた直前であったが第1回日本祭りがアンジン会(日本にジェットの英語教師として行った人達)によってバタシーパークというテームズ川沿いにある公園で催された。その時少林寺拳法も唯一正式な日本武道のデモとして会場で演武を行ったが、その時最初から最後まで30分以上も当時の大使御夫妻と共に熱心に見学されていた。

その時はセキュリティー(警護)には婦警が一人だけと言うゆるいものであった。しかし時が移り11年後に再会した殿下は堅牢な男ばかりのセキュリテーが何十人も周りを固めているといった状況で驚いた。

紹介され殿下に握手をした折『11年前にバタシーパークでお会いしています』と言うと『アーッ あの時のバタシーパークですか、覚えています』と答えられた。妃殿下は丁度訪英直前に御懐妊が確認された為、残念ながら来られなかったが『この度はおめでとう御座います』と云うと『有難う』と嬉しそうに答えられたのが印象的であった。

この年の日本年に於ける少林寺拳法のデモンストレーションは北はエディンバラから南はサザンプトンまで5回ほど行った、その他にもハイドパークのデモを見た各地の人達から要請をされたが時間や人(拳士)の都合があり中々全部は応じられなかった。広報活動としてのデモティームは重要である。この年の彼等の活躍は我々英国連盟だけでなくそれを見た人全てに感動を与えた。

最後のデモンストレーションが終った後、他武道の剣道や合気道の人達が我々少林寺拳法の拳士を記念写真の中心に迎えて何枚も写していた事を思い出す。レベルの高いデモは少林寺拳法のイメージアップのみならず他武道からも好意的に受け入れられる事を目の当たりにした時は非常に嬉しかった。

2007/05/17

音の違い

オーディオの話である。
前にも書いたが音楽のジャンルによって好みの音があることはオーディオ ファイルの間では結構当たり前の事実である。

自分の場合はジャズが好きなのでどうしてもそのモダンジャズ全盛期の再生を中心に取り組む事になる。
モダンジャズと一口に言ってもレーベルの違いによる音の差(録音された)も無視できない。

よくクラッシックの録音でもドイッチェグラモフォンとロンドン デッカでは同じ演奏者でもかなり異なって聴こえると聞いた事がある。

ジャズの世界はこのレーベルによる個性はより一段と激しい、日本人が録音したジャズ ピアノのCDであったが、同じピアニストがスタンインウエーとベーゼンドルファーを比較しているものだが、明らかに小生にとってはスタインウエーで弾いてもらったほうが楽しめた。もしこれがクラッシック音楽の録音であったならば逆の印象になった可能性は充分にある。

ピアニストの好みもビル エヴァンスの折に触れたが、弾く方も好みがあり、それを意識して音を出している事を考えると再生する側にも出来るだけミュージシャンの意図するところを汲んでやりたくなる。

ジャズ レーベルの名門にブルーノートとコンテンポラリーがある事は有名である。

ルディ ヴァンゲルダーはブルーノート録音には無くてはならないレコーディング エンジニアである。彼が録った音とコンテンポラリーの録音技師ロイ ディユナンの録った音楽とでは同じミュージシャンでも随分異なった音が出る。

小生の個人的な好みを言えばヴァンゲルダーの音が最高だ。彼は特に素晴らしいシンバルの音を聴かせてくれる。エルヴィンジョーンズの叩くジルジャン(シンバル)の音はちょっと強調されすぎているかな?と思う事もあるがシビレル音である。

ジャズにはリズム セクション、特にドラムのシンバルの呻るような音や、ベースのピチカットの歯切れの良いビートは全体のノリを作り出す重要な要素である。こんな事を書くと当たり前のことをくだくだ書くなと言われそうだが、これらの音楽の持つ特徴を再現する事はそれ程簡単ではない。

なぜならばクラッシック音楽とジャズでは音楽に要求される要素が大きく異なるからだ。

クラッシック音楽では楽器の出す音の和音が重要だ。同じピアノでも余韻が長い方が音楽に厚みが出る。しかしジャズにはあまり余韻の長いピアノでは音がかぶり過ぎる。

確かにビッグバンド等ではある程度音のかぶり(ハモリ)はあったほうが全体としての音が良い場合もある。しかしクラッシック音楽のオーケストラが広い劇場等で出す音の広がりはこれとは比べ物にならないほど厚くて、長い余韻である。

歯切れの良さ、と余韻の長さは相反する要素である。その両方を追求すると1台のスピーカーでは不満が出る。 

初めに自分が気に入ったスピーカーは英国の老舗メーカー、タンノイであった。京都のジャズ喫茶でタンノイの音を聞いた時何と素晴らしい音だろうと感心した。しばらくして別のジャズ喫茶でJBLのスピーカーを聞いた。印象は随分硬い音質に感じたが、これはこれで良い音に聞こえた。又あるときは別の店でアルテックのスピーカーを聞き、これが欲しいと真剣に考えた。

かように個々のスピーカーを別々に聞くとその都度良い印象だったが、あるときハイファイの専門店でハイエンドのスピーカーを聞かせてもらうと、それぞれに随分違う音が出てきた。当たり前だが、その時初めてスピーカーにはそれぞれに得意な分野と苦手な分野があることが分かった。

小生が始めに感心したタンノイと言うメーカーは英国BBC放送のモニタースピーカーを制作しており、主にクラッシック音楽の再生では定評のあるスピーカーだった。又アルテックやそこから出たJBLなどのアメリカ系スピーカーは歯切れの良い音が信条でジャズにはうってつけのスピーカーだった。

同じ環境で聞くとその違いが驚くほど出てくる。これがハイエンドのスピーカーなのだと納得した。

自分は現在タンノイとJBLのモニタースピーカーを両方使っているが、少人数のジャズコンボを聞くような時にはJBLが最高だ。

又ジャズヴォーカルや時に気分転換で聞くクラッシック音楽の時にはタンノイを使う。ジャズヴォーカルばかりでなく家内の好きな"美空ひばり"も実に生々しい良い音だ。しかしこれでラッパやドラムはダメである。相反する要素が邪魔をしてしまいどうしても楽しめる音にはならないからだ。

しかしである、人の感覚など時としてあてにならない事を痛感する時がある。

i-Podの音が好きではないと以前に書いた事がある。
先日風邪を引き寝込んだ時にベッド脇にあるラジカセにi-PodからFMに音を飛ばして聞いて見たら、意外と良い音に聞こえるではないか。小音量であったせいかも知れないが一日中かけていたが聴き疲れする事も無く以外に感じた。

もしかするとオーディオなど、ようは聴く側の心理状態によりある種の自己満足かもしれない?と思いつつも、やはりヘッドフォウンを耳に入れて聴く音にはどうも抵抗がある。年のせいかナ?