2007/09/27

自己責任型社会

ロンドンに来たばかりの日本人が先ず驚く事は、歩行者のマナーの悪さではないか?歩行者用の信号機が赤であるにも拘らず車が近くまで来ていなければ堂々と横断する。小生も当初良いのかな?と思いつつ何時の間にやら他の人達と同じ様に渡っている。

これは警察官が近くに居ても全く同じである。それを見た警察官が注意をする事など見た事がない。この様な街は多分ヨーロッパでも少数派であろう。なぜならばスウェーデンやフィンランド辺りから来た人達にも初めは驚きのようである。何も外国人ばかりでは無く英国の地方都市から来たイギリス人やスコットランド人にもこの様な習慣は無いようだ。

ではパリやローマと言ったヨーロッパの他の大都市ではどうかと言えば、やっぱりロンドンと同じ様に歩行者は赤信号無視の人達が多い。 さすがに車は信号を無視する事は少ない。なぜなら信号機の近くにはカメラが据え付けられている場合があり信号無視の車が通るとピカーッと来るからだ。後で罰金を払わされることでもあり一応ルールは機能している。

ロンドンの拳士が日本に行って先ず感じることは、東京のような大都会でも歩行者が赤信号で皆行儀良く待っている事だ。当たり前の事だがロンドンの交通システムに慣れている彼らには逆に新鮮に映るのかもしれない。『先生日本人は行儀が良いね』と聞かれた時には何とも答えようが無かった。

この習慣を考えて見ると日本では法律を厳格に運用しようとする。市民の便宜性よりも法律が優先される事は当然な事としても警察官が規則通り歩行者にも車と同様の取締りの対象とする事も歩行者が信号機を守る一因ではないかと想像する。

今一つ社会の中での人々の法律や官憲に対する信頼も大きな違いと言えるのかもしれない。ヨーロッパ人の彼らにとって法律は最後の手段であってそれが個々のケースで市民を守ってくれるとは考えていない事だろう。

自分の身は自分で守る、つまり交通環境の中にあっても車や機械(信号機)を100%は信用しない(信用できる機械を作っていないとも言えるかもしれないが)。事実ロンドンを車で走っていると点灯していない信号機を時々見かける事がある。

彼らにとって信号機を信じて青信号で横断中に車にはねられる事も自己責任の範疇(自損という意味で、治療費や慰謝料は支払われるにしても)に入るわけで、そうであるなら『赤で横断しても責任は自分にあるのだから文句は無いだろう』式の言い分だと想像する。

翻って日本人のメンタリティーとしては、法律がある限り法(お上や法律)が市民を守ってくれる式の信頼型、悪く言えば社会依存型メンタリティと言えるのかもしれない。

現実問題としていくら法整備が整っていても最終的に身を守る(交通事故から)のは自分自身だという事は日本もヨーロッパも同じはずだが、お上や機械に対する信頼がヨーロッパでは今一つ低いことも自己責任型社会の原因として挙げられるのかもしれない。

交通システムでその他気付いた事は東京などの大きな交差点で時々見かける縦横同時に車が止まり、横断歩道が交差点の真中にX字に書かれており、歩行者がどの方向にも自由に渡れる交差点はヨーロッパでは見たことが無い。

それに歩行者、なかでも特に視覚不自由者の為に音楽やヒヨコの泣き声が流される交差点も見かけない。横断歩道にはこれも視覚不自由者の為に歩道の一部にパターンがブロックに入っている事も親切なシステムだと思う。自分が視覚不自由者ではない為イギリスでのシステムがどの様に作られているか分からないが、日本のこの様な装置は小生がイギリスのシステムが分からないのと同様に外国人の健常者にもなかなか分からないと思う。

自己責任型の特徴を一つの事故が起きたことを例に見るとかなり異なる結果になる。例えば歩行者が携帯電話などに夢中で赤信号に気付かず横断歩道に入り車と接触する事故が起きたとすると、日本のシステムであれば歩行者に非があるこの様な場合でも車の運転者は前方不注意と言うペナルティを少なからず問われ、歩行者が怪我をしたような場合には治療費を支払うばかりではなくお見舞いにも行く事になるのではないか?

しかし自己責任型社会においては歩行者が携帯電話をしながら信号無視という責任が問われる為、状況にもよるので一概には云えないが運転者に責任が及ぶ事は考えにくい。もしその事故で歩行者が軽い怪我で、車にダメージが生じたとすれば歩行者に修理の為の賠償責任が課せられる事も充分にありうると云う事である。

この様に考えるとお上が守ってくれる(依存型)社会にあっては法律も強い立場(この場合歩行者よりも車)の方により厳しい責任を要求する事になり、自己責任型社会においては車(運転者)も人も同じ立場におかれると言うわけである。

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