2007/10/27

個性ある先生達

少林寺拳法はこれまで数多くの指導者を輩出しているが、草創期開祖の直弟子と呼ばれる人達には個性の強い先生達が数多く居た。それぞれに異なった個性の持ち主ではあったが個々に得意分野を持ち、それがまたそれぞれの先生達の大きな魅力でもあった。

ある先生が『もし開祖に出会っていなかったらどんな人生を歩んで居たか分からない』と言っていた事を思い出す。考えてみると開祖はそれだけ幅広い人材を受け入れる度量があったことが、結果としてそう言った人達を指導者にまで育て上げたわけである。

自分が少林寺拳法を始めて影響を受けた先生は結構な数になる。すべての分野で影響を受けたと言うわけではないが個々の先生や先輩から自分が感心したことや共鳴したこと等は、その後の少林寺拳法に対する自身のあり方にも少なからず影響している事は間違いない事実である。
多くの場合それらの先生から影響を受けるのは技の場合が多い。技と一口に言っても少林寺拳法は剛法、柔法、整法その他にも尺丈や如意棒等数が多い。それら自分が未熟な部分を満たしてくれる指導者には技術修練を通して技術と共に考え方まで学ぶ事が多い。

そんな中で『これは自分とは違うな』と感じることも勿論あるが、多くの場合素晴しい技に出会った時などそれに至る修練の過程でその先生が培われた経験などは大いに参考になることが多かった。

ある先生は整法や活法に大変秀でた実績があり講習会の都度当身や絞め技で手本を見せ、見事に甦生させて拳法の当身の仕方や活法のやり方まで指導して頂いた。学生合宿や国際講習会等どのような場所や相手でもその切れ味は変わらなかった。

当然急所の捉え方は的確で指1本で相手を制す圧法も見事であった。また同時にその先生は整法も深く研究されており多くの拳士が講習会の後で体調の悪いところを直してもらっていた事を思い出す。

また別の先生には柔法に対するヒントを数多く学んだ。直接手を取って指導頂いた時には長年悩んできた技が『眼から鱗が落ちる』とはまさにこの事か思うほど理解できた。とは言ってもすべての柔法の技が理解できた訳ではない。数多くの失敗や別の先生からのアドバイスでは理解できず悩んでいた技である。それが氷解した時のうれしさから余計にその先生の技に対する信頼とそこに至るまで技を極められた先生に尊敬の気持ちが強く感じられたものである。

総じてこれら開祖の直弟子と呼ばれる先生方は強面の人が多かった、顔が怖いと言うのではない。開祖から厳しく妥協の無い指導を受けた直弟子達の物事に対する姿勢、そこから醸し出される言葉や雰囲気が強面に感じられたのではないかと想像する。

その様な先生達が少林寺拳法の歴史を創ってきたと言っても過言ではない。少林寺拳法独特の剛柔一体の演武を完成させた先生方や尺上や如意と言った法器を得意とした先生も居る。この様な多様な個性の先生達をひとまとめに指導できた開祖宗道臣の偉大さには今更ながら感服させられる。

こうした多様性のある人達を擁する事が出来た少林寺拳法と言う武道が比較的短い歴史の中で組織がこれほどまでに急成長してきた主な理由ではないかと思う。

2007/10/16

ゲイ プライド

毎年夏になるとロンドンのマーブルアーチから始るデモンストレーションの一つにゲイ プライドと言うものがある。

当初は何のデモか分らなかったが何十万人ものゲイとレズビアンのデモだと分った。毎年この日にはハイドパーク沿いのパークレーンという道(ロンドン北部から南部へ行くための中心地を通る道)は2時間以上交通規制が敷かれ車の通行は完全に麻痺してしまう。

アメリカが発祥の起源らしいが、毎年この季節には世界中の都市でゲイ プライドと銘打ったパレードに何十万人ものゲイやレズが参加して祝うらしい。一種のお祭りなのであろう。

道場への道のりなのでこのデモにぶつかるとその日の練習には出られない。それ程延々とゲイ プライドは続くのである。

断っておくが、ゲイやレズの事をとやかく言うつもりはない。個人的な事で他人が傍から中傷するものではない事は充分承知しているが、同時に「それ程自慢(プライド等と)する事か?」とも思ってしまう。

ある時、道場で練習に遅れた理由を説明するときに『今日はゲイ プライドのデモがあるとは知らなかった。全く迷惑なことだ。』と言うような事を話したと思う。道場が終わって更衣室に行くときに一人の男の拳士から『先生、余り彼らの事を批判しないほうがいいと思います』と言われた。

自分はゲイの人達を攻撃したわけではなく、デモが迷惑であると言いたかったのだが、結果的に(聞き方によっては)ゲイそのものを批判しているように聞こえたのかも知れない。彼の言い分によるとゲイの人達は長年歴史的に差別されてきたので、この自由な時代において、自分達の権利(人権)をあのように主張しているのだという事だった。

それは理解できる。しかしそれでも性的指向をそれ程誇りを持ってこれ見よがしに主張するべきことなのか?小生には未だ正直なところ答えを出し切れていない。

ゲイの人権が大切と主張するのであれば、ストレート(普通人)の権利も大切であるはずだと思う。歴史的にキリスト教等では確かにゲイを認めてこなかった(違法だった)。特にカトリック教会等は避妊すら認めていない団体であれば、ゲイやレズといった存在を認められるはずもない。

しかしこれには理由が有るからではないのか。世の中の人達のマジョリティ(大多数)がゲイやレズになってしまえば、人類は滅亡に向う事は避けられないのではないか?

ゲイ プライドのデモを見ていると実に様々な人達がいるものだと認識できる。個人の人権が尊重される事は何の問題もなく、大切な事だと自分も思う。多様化する人間文化ではあるが果たしてこのままの価値観で良いのかどうか。考えても容易に答えは見つからないのが、この問題の難しさではないだろうか。

人類などと大上段に構えなくともヒトは間違いなく地球上のスピーシーズ(生き物)の一つである事には疑問の余地がない。生き物であれば種の存続には♂と♀という二つの異なった性の調和こそ『種』の存続や発展には欠かせない要素だと個人的には思うのだが。

2007/10/11

マルタという国

マルタ共和国 今年のホリデーで行った島(独立国)である。
マルタは地理的環境から古くは北アフリカのハンニバル、カルタゴの支配を受け後にアラブ人やノルマン人そしてスペインなどの支配を受けてきた。ナポレオンによるエジプト遠征時にはフランスの支配下におかれ、その後英国が支配するといっためまぐるしい変革を経てきている。
行く前には地中海の真ん中にあるし、イタリアのシシリー島に一番近いためイタリアの影響があって食事は上手いかな?と期待していたのだが、残念ながら期待していたとおりには行かなかった。

現在の首都は世界遺産にも登録されたバレッタで、城壁に囲まれた旧市街地は歴史的な建物に現代のビジネスが織り成す独特な雰囲気を醸し出している。

     

我々が滞在したところはバレッタとは島を挟んで反対側に位置するリゾート地であった。島の反対側といっても島(国)自体が淡路島の半分程度と小さい為バスの移動でも30分程度で行けることになる。我々は英国の旅行会社を通して行った為、滞在先のホテルや周りの観光客などはイギリス人ばかりでロンドンに居るのとそれ程変わった環境とはいえなかったが、唯一地中海のさんさんと注ぐ太陽だけは何ものにも代えがたい精神的喜びだった。

首都バレッタの市街地に入った時、目に飛び込んできたストリート名“Wembley St.”を見た時にいったい何処に居るのか?と一瞬迷った。(Wembleyはロンドンの家のある地区だ。)ホテルの食事はそのほとんどが英国からの年配のホリデー客と言う事もあって、朝はイングリッシュ ブレックファーストから始まり夕食もロースト ビーフやポテトがどっさりと言う典型的な英国料理で締めくくられるのには、イタリア料理等を期待していた我々を大いにがっかりさせた。

町に出ると道路はイギリスの植民地時代の名残か日本やイギリスと同じシステム、車は左側通行なので比較的道を横断する場合にも他のヨーロッパや北アフリカの国に比べて緊張する事も無かった。

交通システムの中では町を走るバスに興味があった。何十年も前のバスを思わせるデザインの車が現役で走り回っている事だった。何かに似ているなと考えていたら『となりのトトロ』に出てくるバスのイメージそっくりではないか!何枚も写真を撮った。愛くるしいノスタルジックを感じさせるバスであったが不思議にも1台として黒煙を上げているものには出会わなかった。おそらく外観をそのまま使っていてもエンジン等の動力機関は最新の物に交換してあるように思われた。



マルタ滞在中隣のゴゾという島にも渡ってみた。ゴゾ島はフェリーで25分と目と鼻の先に位置する小さな島である。こんな小さな島にも協会がいくつもあることには感心した。中でも一番古い教会は第二次世界大戦でドイツから空爆を受け協会の天井に穴が開いたが、落下した爆弾は不発(神の救いか?)だったらしくその爆弾(レプリカだと思う)が陳列されていた。

滞在先でもゴゾ島でも日本人観光客に何度も出くわしたが、こんな小さな島にまで数多くの日本人が観光に来るという。日本という国の豊かさはやっぱり近年特に経済力を付けてきた韓国や中国とは未だ格段の差が有るのかも知れない。

       

2007/10/06

高級車とは

車にことのほか思い入れが強かった自分はロンドンに来て驚いたことがある。英国には車を所有するのにガレージや保管場所を証明する必要が無い事である。その為夜になると路上のいたるところに(シングルイエロー、黄色の単線区域)には駐車した車で一杯になる。

昼間は駐車違反となるこの様なシングルイエローの道路も夜6時半を過ぎるとほとんどの場所で問題なく駐車可能である事も驚きだった。日本ならば昼間であろうと夜であろうと駐車違反の場所に車を留めれば何時でもレッカーのお世話になることだろう。さすがにロンドンでもダブルイエロー(黄色の二重線等)は厳しく何時でも取締りの対象となるが。

そんなことからロンドン中心地には多くの高級車が路上駐車をしているのを見たときには驚いた。今小生の道場があるメイフェアー地区はロンドン中心地でも一際高級車が多い。70年代には100メートルを歩く間にロールスやベントレー等の高級車が何台も留まっている光景を見かけた。このごろではSクラスのメルセデスやフェラーリも良く見る。

しかし本当の意味でイギリス人の彼らが高級車と認める車はロールス ロイスやベントレー アストン マーティン等のように一つ一つクラフツマン(熟練工)によって手作業で作られた車であることが説明を受けて分かった。この様な高級車は皮シートやウォールナッツのダッシュボードばかりでなく車のボディーも手作業で造られている。

ドイツ製高級車がウイング(フェンダー)からドアまでビシッとチリの合ったラインで極められているのに対してふっくらとしたラインでドアも緩やかなカーブを熟練工の手作業だけで打ち出したロールスやアストンの車体は日の光も時として柔らかな反射となる。チリの合わせ方などはドイツ車や日本車には及ばないが手で打ち出したシェイプはなんとも言えない高級感をかもし出す。

70年代まで作られたロールス ロイスのコーニッシュやアストンDB6くらいまでの英国製高級車には色濃くこの様な熟練工の技が見られた。残念ながら今日ではこの様な車を見かけることがなくなってしまったが、プレスによる何万台でも同じ形に型押しされた大量生産車が今では高級車の部類になってしまった事は少々寂しくもある。

もともと車はすべて高級車であった。フォードによる量産車の生産が車社会に革命を起こしたことは言うまでもないが、そのお陰で世界中で普通に誰でも車を所有することが出来るようになった。そういう意味では車における産業革命も感謝すべき事なのだろう。アメリカでT型フォードが成功する以前の車と言えば内燃機関のエンジンにコーチビルダーと呼ばれる馬車を作る熟練工に車体を作らせていたのだから、一般の庶民に買えるわけがなかった事は容易に想像がつく。

1920年代、30年代の車はどれも高級車だったことは言うまでもない。 ブガッティー ロワイヤル、イスパノ スイザ、昭和天皇が3台所有されたグロッサー メルセデス、どのクルマをとっても一般人が買える車ではなかった。

では現代の高級車はどうか? フェラーリ、ポルシェ、は言うに及ばずメルセデスやBMWそして日本製のレクサスまで高級車の範囲は広くなったがクラフツマン(熟練工)の技は残念ながら必要なくなってしまった。

マイバッハ(5200万円)やブガッティ ヴェイロン(1億7000万円)そして最近売り出されたロールスのファントムドロップヘッド クーペ(5200万円)等は現在の超高級車だが、さすがに70年代とは異なり、これまでのところ夜中の路上駐車でお目に掛かったことは無い 。