2007/10/16

ゲイ プライド

毎年夏になるとロンドンのマーブルアーチから始るデモンストレーションの一つにゲイ プライドと言うものがある。

当初は何のデモか分らなかったが何十万人ものゲイとレズビアンのデモだと分った。毎年この日にはハイドパーク沿いのパークレーンという道(ロンドン北部から南部へ行くための中心地を通る道)は2時間以上交通規制が敷かれ車の通行は完全に麻痺してしまう。

アメリカが発祥の起源らしいが、毎年この季節には世界中の都市でゲイ プライドと銘打ったパレードに何十万人ものゲイやレズが参加して祝うらしい。一種のお祭りなのであろう。

道場への道のりなのでこのデモにぶつかるとその日の練習には出られない。それ程延々とゲイ プライドは続くのである。

断っておくが、ゲイやレズの事をとやかく言うつもりはない。個人的な事で他人が傍から中傷するものではない事は充分承知しているが、同時に「それ程自慢(プライド等と)する事か?」とも思ってしまう。

ある時、道場で練習に遅れた理由を説明するときに『今日はゲイ プライドのデモがあるとは知らなかった。全く迷惑なことだ。』と言うような事を話したと思う。道場が終わって更衣室に行くときに一人の男の拳士から『先生、余り彼らの事を批判しないほうがいいと思います』と言われた。

自分はゲイの人達を攻撃したわけではなく、デモが迷惑であると言いたかったのだが、結果的に(聞き方によっては)ゲイそのものを批判しているように聞こえたのかも知れない。彼の言い分によるとゲイの人達は長年歴史的に差別されてきたので、この自由な時代において、自分達の権利(人権)をあのように主張しているのだという事だった。

それは理解できる。しかしそれでも性的指向をそれ程誇りを持ってこれ見よがしに主張するべきことなのか?小生には未だ正直なところ答えを出し切れていない。

ゲイの人権が大切と主張するのであれば、ストレート(普通人)の権利も大切であるはずだと思う。歴史的にキリスト教等では確かにゲイを認めてこなかった(違法だった)。特にカトリック教会等は避妊すら認めていない団体であれば、ゲイやレズといった存在を認められるはずもない。

しかしこれには理由が有るからではないのか。世の中の人達のマジョリティ(大多数)がゲイやレズになってしまえば、人類は滅亡に向う事は避けられないのではないか?

ゲイ プライドのデモを見ていると実に様々な人達がいるものだと認識できる。個人の人権が尊重される事は何の問題もなく、大切な事だと自分も思う。多様化する人間文化ではあるが果たしてこのままの価値観で良いのかどうか。考えても容易に答えは見つからないのが、この問題の難しさではないだろうか。

人類などと大上段に構えなくともヒトは間違いなく地球上のスピーシーズ(生き物)の一つである事には疑問の余地がない。生き物であれば種の存続には♂と♀という二つの異なった性の調和こそ『種』の存続や発展には欠かせない要素だと個人的には思うのだが。

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