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2024/01/07

BSKF並びにIKA設立の目的

合掌
 
2024年と言う新しい年を迎え新年のご挨拶と同時にこれまで自身のブログを中断していた事へのお詫びを申し上げたいと思いここに改めて記すことにしました。

先ず新年早々世界中を驚かせた能登半島での大地震で被災された多くの方々には心よりお見舞いを申し上げます。続いて2日には新たな悲劇が起きてしまいました。

被災地に救援に向かうはずだった海上保安庁の小型機と日本航空の旅客機による大変悲惨な事故を目の当たりにし、いったい今年はどんな一年になるのだろうと多くの人々は不安な気持ちになったのではと想像しています。

現在も続くウクライナとロシアによる戦火、そしてイスラエル国内のガザ地区の戦火。共に人の判断によって引き起こされたものであることは言うまでも有りません。

この様な時こそ少林寺拳法をこの世に創始した宗道臣の言葉『人人人すべては人の質にある』を思い起こすのは自分一人なのか?今一度検証してみるのも意味があるのではないかとの思いです。

British Shorinji Kempo Federation(英国少林寺拳法連盟)設立の目的はどの様な経緯と意味を持ち設立されたのか、これまでの歴史を振り返って整理してみました。

思えば小生が50年前に英国の地を踏んだのは、戦後に想起され最後発だった少林寺拳法と言う武道が破竹の勢いで組織を拡大していた時代です。その一員である誇りと同時に一助に成りたいとの願いから渡英するに至った経緯は偽りのない事実です。1974年当時にはまだ現在WSKOと呼ばれることになる組織は無く、世界に展開する少林寺拳法は数カ国だけの時代でした。

古くは柔術、そしてオリンピック種目にまで発展した柔道は言うに及ばず、空手や合気道そして剣道と言った日本古来の武道はすでに世界で紹介されており各地でその勢いを拡大している時代でした。しかしその当時においても最後発で有ったはずの少林寺拳法がなぜこれ程急速に発展できたのか?そこに少林寺拳法の持つ世界観(哲学)が多くの人々に共感を与えた事が要因ではなかったのかと考えたのです。

『単なる武道やスポーツではない!』そこに示された宗道臣の哲学、それ以前の日本武道では聞いたことも無い『理想境建設』と言う教えこそが急速に多くの支持を得たものと理解して居ます。

人々の質(考え方)を向上させることによって、この世界に平和で誰もが住みたいと思える社会を実現したい。第二次世界大戦で疲弊していた日本のみならず、世界から受け入れられる普遍性の高い哲学(教え)!が示された事が大きな要因では無かったのかと思えてなりません。

自分の思いは少林寺拳法の創設者『宗道臣』を一武道家で終わらせて良いのか? 柔道を世界中で認められるオリンピック種目にまで高め、歴史上もその名を留める加納治五郎と同等の功績は充分にあるとの強い思いです。

柔道と柔術の違いは何でしょう?
加納治五郎もかつては柔術を修練して居た事は歴史上の事実です。ではなぜ柔術は現在も続けられているにも関わらず柔道の様に世界中に発展出来なかったのでしょう、 加納治五郎の先見性と時代に即した考えがあったからではなかったのか?

今一度宗道臣の残した教え(哲学)を見直してみるのも良いのではとの思いから、自分なりに整理してみようと考えた訳です。

『少林寺拳法は単なるスポーツではない』と言う宗道臣の残した一言を切り取り、都合の良い解釈で現在の様な体系に変えてしまったのではないのか、拳士なら修練の都度 唱える道訓の最後(信条)に次のような二文が有ります。

「我等は正義を愛し、人道を重んじ、礼儀を正し、平和を守る真の勇者たることを期す。」

「我等は法を修め、心身を錬磨し、同志相親しみ、相援け、相譲り、協力一致して理想境建設に邁進す。」

この様な武道の修練を通して人の質を高める教えこそが『少林寺拳法は単なる武道やスポーツではない』と言わしめた哲学ではないのか?それこそが発展の一因である。自分にはその様に思えてなりません。

宗道臣を歴史に名を遺すような存在にしたい!偽らざる思いでBSKFが、またそのモデルを世界に広げる目的でIKAは設立されたのです。

結手

2020/07/02

少林寺拳法とBlack Lives Matterについて

5月25日 アメリカはミネアポリスにおいて黒人のジョージ・フロイド氏への白人の警察官による過剰な逮捕映像が世界中に拡散されることになり、その事が人種差別によって引き起こされた事件との非難の声が上がる事となった。

その後 該当の警察官は殺人罪で逮捕され起訴されることになったが、同時にその場にいた3名の警察官も解雇され訴訟が起こされているようである。この事件はその後アメリカ大統領のSNS等の投稿が切り取られて表沙汰になることで、益々その問題の根深さが改めて市民の間で話題になっていることは多くを語るまでもない。これはアメリカ社会のみならず世界中の至るところで人種差別に反対するデモが Black Lives Matterとして取り上げられている事をテレビニュースからもうかがうことができる。

アメリカの都市のみならず、イギリスは元よりヨーロッパの多くの街や日本においてもBlack Lives Matterのデモは起きている。私が住んでいるイギリスでも奴隷貿易に関わった当時の貴族や貿易商人の銅像がデモの群衆により倒されたりするニュースが登場している。

日本ではこれまで比較的 人種差別による社会問題は起きた事は記憶に無いが、欧米には一時期において植民地政策がとられ、その事により奴隷貿易や砂糖、紅茶等の取引で巨万の富を築いた人達がいることは歴史上の事実である。

その様な中でBSKF(英国少林寺拳法連盟)は連盟としてBlack Lives Matterを支持する事を表明した。もちろん私にも連盟理事からそれらの決定に至る経緯の説明があったことは言うまでもない。その時 私が彼らに伝えたことは『私も個人的に理念には賛同する』だが同時に『偏ったプロパガンダや過激な組織に乗せられたりしないように』という二つの事である。

自分の人生でも経験した1960年の日米安保条約反対と、学生だった70年の大きな出来事を今でも記憶している。当時の私はそれらのデモに参加した事はなかったが、殆どのキャンパスには立て看板が立ち並び、連日のように学生達によるデモやアジテーションが繰り返されていた。現在ではその様な過激なデモは想像もできないであろうが、当時の日本で現実に起きていた事は紛れもない事実である。

開祖は『若者は純粋でエネルギーは有るが、時に物事の本質を見失う』と言う事を指摘されていた。 当時の自分は毎日が少林寺拳法で明け暮れていたノンポリ(Non Politicsの略、死語だね)の代表格で政治には全く興味がない(知識不足の)学生であった為、その様なデモ行進に参加することも無かった。

ある時 本部での指導者講習会で開祖の法話にそれが話題に上がった。全学連と呼ばれていた当時の安保条約反対のデモを組織していた学生団体について、『誰によって資金が提供されていたか』と言う裏話を披露された事がある。開祖の話では共産党の思想を理想として掲げる全学連に裏で資金を提供していたのは『アメリカのCIAである』と言うショッキングな内容であった。誰もが最初は『まさかその様なバカな事が』という反応だった。どこで仕入れた情報かは言われなかったが、その時の記憶では『安易に信念もなくその様なデモに加わってはいけない』と言う内容であった様に記憶している。しばらくして諸々の情報が明らかにされる時代になり、開祖の話が根拠のない作り話では無かったと言うことが理解できた。

翻って今回のBlack Lives Matter問題は日本国内で生活する人達や拳士には中々理解できない事なのかも知れない。少林寺拳法が掲げる『理想境建設』や『半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを』を挙げるまでもなく、社会正義に反する犯罪や差別には声を上げる事は大切な時ではないかと思う。日本の協調社会は世界でも例を見ない程に羨ましい国であることは多くの例が示している。ただ同時に行き過ぎた協調(同調)で他人の評価や眼差しを意識しすぎて行動に移せない人が多い事もまたその特徴かも知れない。

開祖が我々に伝えたかったのは『自己確立』、『良いと思ったら先ず行動せよ』と言う事ではなかったのか? 欧米社会には確かに日本より大きな人種に対する偏見や差別は存在する。私自身も英国における生活の中で経験もしたし目撃もした。故にBlack Lives Matterは黒人社会のみならずあらゆる人種に対する差別と社会正義の必要なことを我々に突き付けているのではなかろうか。であるならば私は今回のBSKF理事会には賛成である。人種差別に乗じた破壊活動や略奪などは全くの論外であることは言うまでもない。

支部長がんばれ!拳士がんばれ!『良い社会は君達の双肩にかかっている!』



以下にBSKF理事会が出したコメントを掲載しておきます。

Gassho We hope you are all staying safe and well.

The BSKF has rarely spoken out publicly on political matters. However we feel it is important to directly address recent events, as they have no doubt had an impact on all of us.

"I can't breathe"

On 25th May, George Floyd, an unarmed black man, was killed by a former Minneapolis police officer during arrest. The officer has since been charged with murder. His death and last words have become a catalyst for renewed momentum behind the Black Lives Matter movement around the world, and led to much needed dialogue and introspection on the subjects of race, discrimination and privilege.

The BSKF supports Black Lives Matter. We aim to be an inclusive organisation that welcomes everyone regardless of gender identity, race, background, ability or sexual orientation. We have always and will continue to stand against discrimination in all its forms. However if current events have taught us anything, its that it's not enough to simply take an inclusive standpoint. We all need to actively seek to understand, challenge and change bias, privilege and prejudices at personal and institutional levels. Shorinji Kempo's philosophy is one of personal responsibility and positive action, of self-awareness and respect for others. Equally the BSKF's leaders and branch masters are constitutionally bound to challenge discrimination or discriminatory behaviour within our organisation, wherever it may exist. As an organisation and as leaders we can always do better. We would also encourage all of our members to reflect on these events, and reflect on our philosophy, and ask yourselves what you can do differently too.

If any of our members have been affected by recent events and would like to talk, have feedback for us on what we can do to better address diversity and inclusion within our organisation, or have experienced discrimination within your own dojo, we encourage you to get in touch. You can talk confidentially to the directors (Kat, Ben and Michal), speak to your branch master, or message us via the BSKF website.


以下 Google翻訳

BSKFが政治問題について公に発表することはほとんどありません。しかし、最近の出来事は私たち全員に影響を与えたことは間違いないため、直接対処することが重要だと感じています。

「息ができない」

5月25日、武装していない黒人のGeorge Floydがミネアポリスの元警察官によって逮捕されました。その警官はその後殺人罪で起訴された。彼の死と最後の言葉は、世界中のBlack Lives Matter運動の背後にある新たな勢いのきっかけとなり、人種、差別、特権についての必要な対話と内省につながっています。

BSKFはBlack Lives Matterをサポートしています。私たちは、性同一性、人種、経歴、能力、性的指向に関係なく、すべての人を歓迎する包括的な組織を目指しています。私たちは常に、そしてあらゆる形態の差別に立ち向かい続けます。しかし、現在の出来事が私たちに何かを教えてくれたなら、それは単に包括的な立場を取るだけでは不十分です。私たちは皆、個人的および組織的なレベルでバイアス、特権、および偏見を積極的に理解し、挑戦し、変更することを求める必要があります。少林寺拳法の哲学は、個人の責任と前向きな行動、自己認識と他者への尊重の一つです。同様に、BSKFのリーダーと支部長は、存在する場所にかかわらず、組織内で差別または差別的行動に異議を唱えることが連盟規約上 義務付けられています。組織として、またリーダーとして、私たちは常により良いことをすることができます。また、すべてのメンバーにこれらの出来事を振り返り、私たちの哲学を振り返り、自分に何が違うのかを自問することをお勧めします。

2019/12/31

2020 新年のご挨拶

皆さん明けましておめでとうございます。

年が改まり令和二年です。私達の国際拳法協会(IKA)も6か国で立ち上げた2015年の結成以来5年目に入りました。

その間にもIKAには参加する国が増え続け、昨年末に新しく加わったマレーシアを含め、現在では10か国が参加する組織にまで発展する事が出来ました。


これもIKA指導者の献身的な努力と、そこに参加する拳士相互の協力がもたらした結果ではないかと信じます。

私達IKAはこれからも発展して参ります。その精神は『伝統を継承しつつも、時代に合わせて進化していく!』と言う思いです。

旧年にも勝るご尽力とご協力をお願い申し上げます。

合掌


2019/07/11

今年のIKAヨーロッパ講習会を終えて

今年のIKA講習会のヨーロッパラウンドが終了した。

6月の最初の週末である7日と8日はチェコのカルロイバレーにおける講習会があり、私と日本から参加し新しくJSKFの代表に選出された川村先生が指導員として渡航した。チェコの講習会には海外からも参加があり、私の地元BSKFや隣国のスロバキアからも拳士が出席して技術の検証と交流を楽しんだ。




続く第2週の週末にはスイスで講習会が催され我々2人もチェコからスイスに飛んだ。スイスの講習会にはスイスの拳士のみならず、英国や新しくIKAに加わったインドネシアのPorkemiからも8名もの幹部拳士の参加があった。彼等は先ずローザンヌにあるIOC(国際オリンピック委員会)を訪問していて、少林寺拳法がオリンピックスポーツとして認証されるための条件などが話し合われた様である。




講習会も無事終了し、参加した拳士たちの満足げな顔が印象的であった。どの講習会においても今年の10月に神戸で催されるIKA大会と講習会に参加したいと言う拳士が多かった。前回の2015年以来4年ぶりの神戸における特別講習会には、久しぶりに訪日して旧知の拳士や新しい仲間と出会う事の出来る機会を非常に楽しみにしている様子であった。






私達の特別講習会はスイスでひとまず終了したが、引き続き第3週末には、スペインにおいてIKA講習会がベアサインで行われた。このセミナーにも日本から駆けつけて頂いた指導員によりスペイン拳士達の喜びの声が届いている。この様に講習会が催される都度感じる事は拳法の持つコミュニケーション能力の強さである。それぞれの言語や文化は異なっては居ても少林寺拳法と言う言語は同じである。またそれを求める拳士達の情熱にはついつい我々指導員もそれに答えようと普段以上の力が出て来る事を認識させられる。



6月は日も長くヨーロッパではホリデーシーズンを控え何かと落ち着かない時期でもある。その様なときにも関わらず参加する拳士達の真剣な眼差しには指導する側が、彼らの情熱に何とか答えようと力が入る事は紛れもない真実ではなかろうか。

今年は毎年催されるサイプロスでの指導者を対象としたリーダーズ・セミナーは行われない。変わって全参加国を対象としたIKAセミナーが神戸の地で催されるわけである。今一度この機会に少林寺拳法を見つめ直してみるのも良い機会である様に感じるのは私だけでは無いはずである。開祖宗道臣が残した剛法、柔法、圧法等、拳法の持つ武道としての魅力は日本人の我々よりも海外の拳士達の方が強く感じているのかもしれない。

初心に帰り今一度『少林寺拳法とは何か?』を自身に問いかけてみてはどうか。何かその先に見えてくるものがあるかもしれない。


2019/05/05

新たな門出、令和に少林寺拳法をどの様に伝えるのか

何度かこのブログを見ていると言って頂いた人たちから、『もう更新はしないのですか?』と問い合わせを頂いた事もある。まずは長らくこのブログを更新しなかった事をお詫びしたい。

最後にブログを更新した時からすでに2年もの時間が流れた事になる。時代はその間に平成から先日新たな元号の「令和」に代わった。我々の活動もその間においても続いていた事は変わりない。

毎年のことながらIKAの行事で加盟国の拳士を対象とした講習会や大会も開催されている。その様な中にあって参加国も少しずつではあるが増え、現在では9カ国になっている。

この間にIKA加盟国はインドネシア連盟(Porkemi)、香港が新しく加わり9カ国となった。これまでのIKABSKFを含めどちらかと言えば拳士数や支部数においても大きな国の連盟は無かった。

しかしながら昨年の11月に新たに加わったインドネシア連盟は支部数や加盟拳士の数においては圧倒的に大きな組織である。私もWSKO理事の時代には2度ほどインドネシアを訪問したことがあるが当時から組織も際立って大きく、立派な本部道場があり日本の組織に勝るとも劣らないナショナルな連盟であった。

組織運営においても連盟内にCongress(代表者による議会)が有り、すべての重要議案が民主的な運営で行われて居たことは強く印象に残っている。

開祖存命中から日本以外で最初に設立された国の連盟がインドネシアのPerkemi(兄弟姉妹と言う意味らしい)で1960年代中頃に活動が始まり現在に至っている。その様な長い歴史を持つインドネシア連盟がなぜWSKOから離れ,我々のIKAに加わる事になったのか?今もって定かではない。

ただ一つ言える事は、この度のIKA参加は、我々から彼らに働きかけたものではない。前のPerkemi時代に連盟会長職を長年務められたティンブルさんから、話を聞かせて欲しいと打診があった事がきっかけである。IKAの規約も送りその内容をCongressで話し合ってもらった結果、IKA加盟と言う結論に達した様である。

ティンブル代表はインドネシアでは最も名の知れた弁護士である。BSKFとWSKOとの名称問題についても十分理解されていた。その事も彼らが安心してIKAに加わる事を決断した大きな要因ではなかったかと思う。かつてお会いしたインドネシア連盟40周年記念式典の時にも、気軽に冗談を飛ばし周りを楽しい雰囲気に包む人柄であった。

まだまだ我々のIKAは発足後3年半と言う発展途上の団体である。しかしながら運営に於いてはインドネシア連盟も満足(納得)できるシステムである事は、今回の彼らの行動が如実に物語っている。

新しく立ち上げたインドネシア連盟はPorkemiと呼ぶとの事である。彼等の新組織が立ち上げになる式典にはインドネシアの国営放送局も取材班を送り、それをニュースとして流したようである。私も出席を要請されたが時間的制約もあり、ビデオメッセージと言う形で参加した。その時のニュースはYouTubeで誰でも見ることが出来る。

開祖宗道臣が残した少林寺拳法をどのような形で後進に残していく事が出来るのか、私達少林寺拳法関係者に課せられた大きな課題である。




2017/01/08

International Kempo Association(IKA) 年次予定

2017年、今年も我々IKA(国際拳法協会)にとっては希望に満ちた年明けとなった。昨年度はチェコにおいて国際大会並びに特別講習会が催され、日本やヨーロッパの国々からも多数が参加して充実した大会とセミナーが出来たことは大変喜ばしい出来事だった。

先立つ2015年の神戸で採択されたのは、IKA加盟国の中から毎年1ヶ国がIKAの公式行事として大会と同時に特別講習会を主催するという取り決めである。2016年はチェコがその役目を担う事になり主催するチェコの支部長達は非常に喜んで受け入れてくれた。

世界遺産の修道院
思えばチェコに少林寺の支部が出来る過程では、以前にも紹介したが、WSKOから受けつけられなかったカルロイバレーの現支部長が私に問い合わせてきた事がきっかけであった。彼は現職の警察幹部であるが、宗道臣の本を読み、それまで指導者として教えていた空手を辞め入門を問い合わせてきた。

当時の私はWSKO理事であり、自然の流れとしてWSKOを紹介した。その後本部に問い合わせた本人から再び連絡を受け、「WSKOとしては指導員を派遣する事は出来ない、近隣の支部(ドイツ又はフィンランド等)に入門して始める様に」と言われたそうである。その上で本人からは「国外の支部に行き修練するのであればロンドンまで通いたい」と言う申し入れだった。

そうは言ってもチェコからロンドンは飛行機でも2時間近く掛かる事になる。後に分かった事ではあるが彼の住む町、カルロイバレーは首都プラハから車で2時間半近くも離れた場所である。いつまで続けられるのか私にも分からなかったが、本人は実に真剣に取り組んでいた。初段になり黒帯を締めるまでは指導し始めて5年程の歳月が流れたが、大変うれしかったようである。

 カルロイバレーの街
その後地元で支部を開いた彼が、毎年BSKFの合宿や講習会には欠かさず参加して、技術や哲学の習得に努める姿は印象的だった。その後ロンドンのインペリアル大学で博士課程を学んでいた別の拳士(合気道三段)が有段者となり、帰国して首都プラハで支部を開設する事になり二人は共に協力してチェコの活動には大きな弾みとなった事は言うまでもない。

そんな歴史を持つチェコの道場には数多くの青少年達が集まる事になり、益々活発にIKAメンバーとして発展している。 2年前にはスロバキアから新しく支部を開きたいという者が現れた。彼も以前少林寺拳法を習ったことが有り、現在は柔術を指導しているとの事であった、講習会に黒帯で参加していたので、何処で少林寺拳法を習ったのか本人に詳しく聞いてみた。

その結果は、柔術を指導していた日本人の指導者が、少林寺拳法の技も出来ると言う事で指導を受けたと言う内容であった。何十年も前に少しだけ習った技は、残念ながら面影は残すものの随分崩れていた。そこで私が「君は真剣に少林寺拳法を始めからやり直す気持ちがあるのか?」と質問すると、「是非やりたいので指導してほしい」との返事だった。そこで私が「では白帯をして初めからやりなさい」と言うと、すぐにチェコの支部長から白帯を借りて練習し始めた。

大会記念のケーキ
その彼が昨年と今年2回の昇級試験を受け、現在3級となり頑張っているとの報告を受けた。彼がどの様に成長して行くのかは、現段階で私には何とも断言できないが、チェコの支部長達の成長を見るにつけ将来が楽しみな事でもある。特別講習会の折には参加しており、昨年のカルロイバレー大会にも参加して、講習会では一生懸命技術の習得に汗を流していた。

この様に見てくると、将来のIKAの前途には現時点では未知数ながら、大変将来性のある人材が育ってきて居る様な気がしている。今年はスペインがIKAの開催国として大会と特別講習会を取り仕切る事が決まっている。4月の大会には日本からの参加者も含め私達BSKFも大会出場や講習会に駆け付ける所存である。その他のIKA加盟国も近隣と言う事もあり多数が参加すると聞いている。

古代遺跡にて
その他には毎年秋に恒例のIKA指導者講習会がサイプロスで催される。指導者講習会と銘打って有段者を対象としたセミナーを初めて今年で8回目になる。毎年通い続ける拳士達は大変熱心な拳士である事は疑う余地もない。1週間の講習会では毎日午前と午後に3時間の技術指導が有り、参加者は国を超え毎年の再会を喜んでいるようにも見える。昨年度は日本からも指導者が駆け付けてくれ、参加した拳士達には指導内容も大変好評だった。

今年も未だ1月だと言うのにすでに参加したいと言う申し込みが届いて居る、嬉しい限りだ。昨年日本から参加して頂いた指導員の先生にも彼らの熱心さは伝わった様で、参加した事で指導する側にも彼ら拳士の拳法に対する取り組みが伝わった事を知り嬉しかった。

講習会の様子
今年も未だ始まったばかりである。この一年どの様な年になるのか?くしくも今年は宗 道臣が少林寺拳法を創始して70周年の記念すべき年でもある。私達の拳法は少林寺拳法の創始者『宗道臣』から出た武道であり、空手や合気道では無い。空手や合気道も流派は異なっても船越 義珍や植芝 盛平の流れを否定する空手家や合気道の指導者はいないと思う。それら日本の武道は結果として枝分かれしたとしても、創始者の偉業が傷つく事は無いはずである。我々のIKAグループもより切磋琢磨して日本武道の一担い手として今後とも社会に受け入れられるべく努力を惜しまぬ所存である。

修復された古代遺跡シアター

2017/01/04

国際拳法協会(IKA)年始のご挨拶

金明竹
年が明け、新たな一頁が始まりました。

これと言う理由もなく何故か嬉しい年明けの予感がしています。 WSKO(世界少林寺拳法連合)から離れすでに久しい年月が過ぎました。その様な環境下でも私達の活動に共鳴して協力を申し出てくれる人達が途絶える事がありません。

元々は開祖 宗道臣の考案した武道(少林寺拳法)とその教えに心身共に共鳴した人達なのです。その様な信念の有る人達が簡単に自身の考え・生き方を翻す訳が有りません。何年も悩み葛藤の末たどり着いた結論から導き出された選択なのです。

今年も私達国際拳法協会(IKA)は前進します。
志を同じくする拳士達とは努めて協力し、宗道臣の目指した理想境建設(平和で豊かな社会造り)を目指す覚悟です。
同時に私達は武道としての強さ、そして護身の技術としての有効性にも、当然の事ながらこだわり続けたいと考えております。
宗教法人、宗教活動という形に囚われず、日々の拳法の修練を通じて、社会に貢献できる人材育成が可能であることを追求(証明)したいと思います。

本年も私達International Kempo Association (国際拳法協会)の歩みにご理解とご協力を賜わります様お願い申し上げますと共に、新しい年が拳法関係者の皆々様にとりまして益々のご発展と成ります事を祈念致します。

結手

2017年の夜明け


2015/12/11

ゼロからの出発

先に紹介したIKA(国際拳法協会)の初めての試み、日本セミナーは大変好評であった。主催者自らが言う評価は別としても、参加して頂いた日本の指導者達がどの様に感じたのかは私自身にも大いに関心がある。そして又この様な講習会を取り仕切って成功に導いた日本護身拳法連盟の指導者は、単なる趣味を超越した情熱が随所に感じられ永年同じ道を共に歩いてきた者として大いに共感を覚えた。

BSKF(英国連盟)の拳士
かつては少林寺と言う大きな組織に所属して、共に教えを広める事に喜びを感じ頑張ってきた指導者達である。 その様な熱心な拳法指導者達が何故それまでの組織を飛び出し、新しい組織を立ち上げたのであろうか。 現在も大きな組織に属している人達からすれば裏切り行為の様に思われるかも知れない。しかし彼等は望んでその様な行動をとった訳では断じて無い。やむにやまれぬ気持ちでそれまでの活動に区切りを付け、何とか自分達の目指してきた教えを後進に伝えて行きたいと願う強い思いから、立ち上がったと言うのが現実の姿ではなかろうか。

「その様な事は組織内でやるべきである」と言う人達も居るであろう。そう信じる人達はその様にすれば良いと思う。昨今の組織の衰退が彼等によってもたらされた訳でも無い! ほとんどの指導者は気が付いて居る事であろう。気が付いては居てもそれを公に口に出して言えない事を多くの人達が指摘して居る。かつては何十人も拳士が居て活気に満ち溢れていた道院が、10名にも満たない拳士しか集まらない状態になってしまった事を何と説明できるであろう。

日本護身拳法連盟を立ち上げた指導者達には、現状を変える以外に方法が無かったのではないか。もしそこにより優れたアイデアが組織から示されて居れば、彼等はあえて別の組織を立ち上げる必要など無かったはずである。組織が言う名称『少林寺拳法』だけを守って居ても、人が集まらない事は随分前から実証されている。問題はその様な現実を前にしてどの様に行動が出来るのか? 私は現在日本護身拳法連盟の相談役と言う立場になっては居るが、英国ではBritish Shorinji Kempo Federation(英国少林寺拳法連盟)の責任者でもある。その様な立ち位置の私から見ても、日本護身拳法連盟の指導者達はより宗道臣の教えに忠実な人達に見えてしまうから不思議である。

『自己確立』と言う言葉を何度も耳にした。しかし本当の意味で自己確立が出来た人は日本護身拳法連盟の指導者として独立した先生達ではないだろうか。大きな組織から独立し色々な批判も覚悟の上で、自分達の信じる道をゼロから追及しようと言う事は並大抵の決心では出来ないと思う。それでも立ち上がる事を決意した人達に誰が批判できようか。もしそれでも批判を口にする人が居れば「自分の心に照らして恥ずかしく無いですか?」と聞いてみたい。

イタリア、チェコの拳士
日本護身拳法連盟の指導者達は今非常に燃えている、少林寺と言う組織の束縛から解き放たれた自由と、やる気に満ちた姿勢には彼等が成さんとする思いが言葉の一つ一つから感じられる。この清々しさは何処から来るのであろうか? 不満をぶつけ合うのではなく、自分達の信念を貫き、護身拳法と言う新しい道に希望も情熱もささげられると言う喜びが、10月のセミナーでも感じられた。今回の第一回IKAジャパン・セミナーの成功が、大きな自信につながったのであればそれ以上の喜びは無い。

『人は一旦決意すると強いな』と言う事を、私も彼等の言葉や行動から学んだ。そうは言っても全く新しい組織を発展させて行く事は傍で言うほど簡単では無い。何処の世界でも同じであろうが、とりわけ武道の数が多い日本では新しい武道を目指す事が簡単であるはずも無い。しかしながらそこには共に信頼できる仲間と、共通の夢を語れる拳士が居る。希望の無い組織から解き放たれた彼等が、これからどの様に思い描く理想の武道を追及して行くのか、私も一緒に見守って行きたいと願っている。

まもなく年が改まる。来るべき新しい年がこのブログにお付き合い頂いた方々、そして投稿頂いた皆様にとって、希望に満ちた素晴らしい一年となるよう願ってやまない。
2016年も宜しくお願い申し上げます。

BSKF 水野  結手



2015/11/24

大きな成果を収めた 第一回IKA日本セミナー

前回の投稿から随分と日にちが過ぎてしまった。これまでに紹介した講習会から、今回はIKA(International Kempo Association)の日本における第一回講習会の様子を、私が感じたままを述べてみたい。

この度のIKA・JAPANセミナーは日本の指導者の協力無くしては語る事が出来ない事は明白である。 ヨーロッパの国々からは60名もの拳士達が参加した事で当初の予想をはるかに上回る海外拳士の協力は、講習会の成功をより一層引き立たせた。
第1回 IKA セミナー

この講習会に参加したからと言って昇級、昇段の試験が行われる訳でもない。そこには純粋に拳法を共通の喜びとして仲間達と練習したい!と言う明確な意思が有った。参加者が昇段試験を目的に講習会に参加するセミナーとは一線を画した心地よさが参加者全ての拳士から感じられた事は、何十年も前の講習会の本来あるべき姿を指導者達にも思い起こさせる良い機会となった。
神戸市役所 表敬訪問

また期間中には各国代表者による国際会議も並行して催された。参加者がそれぞれの思いを発言して、今後のIKAのあり方が熱心に議論された。 その中では毎年IKAとしてオフィシャルな大会と講習会を催して行く事も議題として取り上げられた。

神戸電子専門学校 表敬訪問

この度の講習会に参加した日本の拳士達からも数多くの賞賛と共鳴する意見が我々に寄せられた。 勿論海外から参加した拳士達は講習会のみならず観光や食事など日本ならではの貴重な体験を満喫した事は言うまでもない。 彼等の口から「次の日本での講習会はいつやるのか? 次回はより多くの仲間と共に参加したい」と聞かされた時には、今回のセミナーの成功が参加者から認められた事が感じられ、主催者の一人として大変うれしく思った。

最後に今回の講習会成功の為にご尽力いただいた日本の指導者の方々、そして又影の力として諸々のご協力を賜った総ての皆様に心より感謝の意を伝えたいと思う。皆さんの総力で今回のセミナーは大成功の内に終了することが出来ました、有難うございました。結手


姫路城
神戸ビーフ会食

京都観光

後夜祭

2015/07/10

講習会シーズン

毎年、春先は2月のBSKF学生合宿から始まり、4月からはヨーロッパでの特別講習会が控えている。今年は5月初めのイタリアはシチリアでの25周年記念大会と講習会、そして5月の終わりにはスイスでの講習会も紹介した。

6月中旬はアイルランドのディングルと言う場所で講習会が催された。その2週間後の6月最後の週末にはチェコの講習会があった。日本から応援に駆け付けてくれた指導員と一緒にチェコに飛び、講習会を無事乗り切る事が出来た。

この季節のヨーロッパは一年でも最も快適なシーズンを迎える。日本の様な梅雨は無く、日照時間も長く 午後の10時近くまでも明るいので一日の長さを有効に使うことが出来る。 イタリアから始まった今年の海外講習会も7月に入り山を越える事となった。アイルランドのディングルは大西洋に面した簡素な町である。その様な町にも日の長いこの季節、ヨーロッパのみならずアメリカやカナダ等からも観光客が訪れていた。

アイルランドと言えば世界記録のギネス・ブックで有名なギネス(黒ビール)の原産国である。ロンドンのパブで飲むギネスとは一味違ったドラフトのギネスが味わえるので、呑兵衛の小生には嬉しい場所でもある。練習後のパブではギネスを酌み交わしながらの食事となるが、地元のミュージシャンによるアイルランド民謡を聞きながらギネスのグラスが重ねられていく。昨年の講習会では地元のゲーリック語(アイルランドの言葉)専門のTVチャンネルが取材に来ていた。少林寺拳法の事を拳士や支部長が説明していたのだが、私には全く理解できなかった。


アイルランドの講習会から2週間が過ぎ、今度はチェコの講習会である。日本からの応援もあり今年も充実したセミナーとなった。 チェコはEU加盟の国ではあるが通貨はユーロではなくチェコ・クローナと呼ばれている。 1993年まではチョコとスロバキアは一つの国であった、現在では2か国に分裂し、それぞれが別の国家として国連にも加盟している。

どこの講習会でも感じる共通の印象と言えば、国は異なっても拳士の練習に取り組む熱心さである。1日の練習時間は概ね6時間位であるが、いつもながら驚かされるのは私ばかりでは無いようだ。6時間ぶっ続けての練習で不満を口にする事も無く、黙々と練習している10歳~14歳前後の年少拳士達の集中力には改めて感心してしまう。

今回のセミナーにはスロバキアから新たな参加者があった。元々は異なった武道をやって居たらしいが、少林寺拳法も少し習った事があるとの事で、今回の主催者に参加を申し込んだ様だった。その彼が当初 黒帯を締めて練習に参加して居たので、私が「君は何処で少林寺拳法を修行したのか?」と聞くと、「デンマークで武術を指導している日本人から少林寺拳法を習った」と答えた。

技の名前もいくつかは理解出来た様だが、天地拳第一をやらせてみると少し形が崩れて居る事が分かった。そこで「君は真剣に少林寺拳法をしたいのか?」と聞くと、「ここに参加してみて、もう一度最初から始めたいと思った」と言う答えが返ってきた。「では白帯に変えて参加しなさい」と言うと、翌日の練習には白帯を主催者から借りて練習に参加していた。今後 彼が少林寺拳法に対してどの様に取り組むのか、私もしっかり見守りたいと思う。

チェコ人に対する印象は非常に生真面目な人達が多いと感じる。ライフスタイルに派手さはないが、懸命に物事に取り組む姿勢はこれまで多くの異なった文化の拳士達を見てきた経験からその様に感じる事が多い。今回の講習会を主催した支部長にしても、チェコの地方都市(カルロイ バレー)からロンドンまで年に何度も往復して、1回の渡航では1週間程滞在し、毎日真剣に練習に取り組む姿勢が今も強く印象に残って居る。

彼は警察の幹部であると同時に、空手指導員の資格も有していた。そのまま続けていれば今頃は5段くらいの資格(実力)は充分に考えられた。しかし宗道臣の本(「思想と技法」)との出会いから、少林寺拳法を修行したいと私に連絡をしてきた事がきっかけである。丁度自分がカッパ・ブックスの『秘伝少林寺拳法』を読んで少林寺拳法にのめり込んでいった事を思い出させる。その後は講習会や合宿の都度、チェコからロンドンまで練習に通ってくる生活が始まった。初めの頃はいつまで続くのかと、半信半疑で見ていた英国連盟の拳士達も、講習会の都度見かける彼の姿に次第に共鳴するようになり、ホームステイ等の協力を申し出る拳士も出てきた。

空手指導員の経験があるとはいえ、剛法はともかく柔法の習得には他の拳士と同様 時間が必要であった。初段取得には彼がロンドンまで通い始めてから5年程掛かった事になる。その間 投げ出す事も無く懸命に練習に励む姿は、多くの英国連盟拳士達にも良い影響を与えた事は言うまでもない。そして彼に協力して少林寺拳法を首都のプラハで指導している拳士も一人居る。 彼は現在プラハの大学で教鞭をとっているが、ロンドンのインペリアル大学で研究者として勤めて居る時に少林寺拳法と出会った。

合気道3段の資格を持っており、チェコでは合気道の道場を続ける事も可能であった人物である。ロンドン滞在中はインペリアル大学の拳法部の練習に参加していたがそれだけでは物足りず、私の指導するメイフェア支部やシティ大学の拳法部にも参加する様になり、ほぼ毎日が少林寺漬けの生活であった。プラハへ帰る直前に初段に合格してからもBSKFの講習会や合宿には毎回顔を出すと言う熱心さである。ロンドンでの練習においてチェコ人二人の出会いがあり、首都のプラハでも支部を開設する運びになった。その後も事ある毎に協力し合いチェコでの少林寺拳法発展につながっている。

この様に一人一人の拳法にはそれぞれの出会いが有る。そこで何を学び、何を伝えたいのか? チェコの拳士達を見る都度、彼等の熱心な練習態度には教える側の自分がいつの間にか教えられる事に気付かされる思いである。



2014/12/22

新体制をどの様に構築できるのか

私のこのブログには実に多くの方々から投稿を頂く様になった。何にもまして投稿者の真剣さが伝わって来るものがほとんどで、時には真剣に向き合う彼等の姿勢が少林寺の指導者となった当時の自分の姿とも重なり、何とか現状を打破する良いアドバイスが出来ないかと日々模索する毎日である。

現在の日本の少林寺拳法と言う組織は、多くの方々から何度も書き込まれている様に非常に疲弊した組織になって居る事が分かる。その大きな要因は組織の示す矛盾から発している事は明らかである。何が矛盾かと言えば、そもそも武道を売りものに発展してきた組織を、ある時を境に宗教が全面に打ち出される様になってしまった。これまでは青少年教育を唱え、年少者の拳士や保護者に対して武道の修練を通して健康な体と人格、社会性を植え付けて行くと捉えられていた。それが宗教団体を標榜する事で、これまでとは立場の異なった説明が必要になってしまった。

私がこのブログで何度も指摘した事は、武道教育を通して人格形成の一助とする事と、例えは悪いが武道という力を餌に宗教を刷り込む事は全く逆の手法であると言う事につきる。明らかに後者は超能力を喧伝したカルト的団体と類似した構図であると受け取られても仕方がない。それが事実かどうかは別として、現在、多くの指導者が口をそろえて言う「新入門者が居ない!」と言う言葉の重大さである。

彼等の言葉を借りれば、「何らかの理由で少林寺を辞めて行く者はこれまでにも居た」、しかしながら道場を何とか維持できていたのは「新入門者が入る事で辞めた拳士数と同等な数を維持する事が可能であった」からである。しかし現在では長い期間で新入門者が無いと言う現象が続き、道場での拳士数がかなり減ってしまった。結果として道院運営にも支障を来たす様になってきたとの説明であった。

これは一部の意見では無い。私が話を聞いたほとんどの指導者が同様の見解を口にした。それらを無視する事は簡単であろう、しかし今後もこの様な状況が改善されないとなれば少林寺拳法と言う組織そのものが崩壊してしまう事は目に見えている。その様な中で最近では本部と距離を置き、私やBSKFに直接連絡をくれる人達が居る。熱心な指導者ほど現状に居たたまれず、何とかしなければとの思いからであろうと想像する。

部外者の私に何が出来るか分からない。しかしながら私自身が直接関与するまでも無く、組織に疑問を感じた指導者達は自問自答を繰り返しながら考え続けて居るのであろう。その様な人達の中には自分達自身で解決の方法を見付け出し、行動を起こそうと言う人達も居る。仮にその事で将来的に少林寺拳法とは名乗れない結果に成ろうとも、過去に誇りをもって少林寺拳法を修練していた頃を思い出し、武道としての楽しさ、厳しさを指導の中で伝えて行きたいと言う情熱を本人から聞く事が出来た。

少林寺拳法は長い間『世界で一つ』と言い続けてきた。その根底には少林寺拳法をブランドとしてとらえ、『ブランドを守る事が教えを守る事である』と言うバカな論理がまかり通ってしまった事が原因であろう。『少林寺拳法』は本部にとっては商品かも知れないが、多くの指導者にとっては生きがいと夢でもあったはずである。その指導者の情熱が覚めた時に発展は望めない。

同時に少林寺拳法は『LOUIS VUITTON』や『SONY』という優れた商品を生み出す一般の会社では無い。商品であればブランドに対して人々は信用し少々高額な商品でも受け入れる。しかしながら一般の商品の場合とは異なり、武道やスポ―ツの類は人が教える訳であり、同じ武道を名乗る団体であっても個々の指導者に差が有る事は当たり前の現実であろう。

その事実を証明するまでも無く、同じ少林寺拳法の道場でもそれぞれに拳士数には大きな差が出ている。少林寺拳法と言う名称(ブランド)に初めは魅かれたかもしれないが、習うときには当然の事ながら指導者を選ぶ事になる。ブランドで人が呼べると言う事が事実であれば、どこの道場も同様に人が集まらねばならない。しかしながら現実には50名を超える門下生を抱える道場も存在すれば、10名にも満たない拳士数しか所属しない道場も有る。

これらの現実を前に『少林寺拳法をブランドとして守って行けば、将来も間違いなく発展して行ける』と判断した組織の責任者はどの様に答えるのであろう。一般の会社においては、経営判断を誤った者に対する責任を追及できるメカニズム(株主総会等)は存在する。少林寺拳法と言う一大武道組織(宗教組織?)の責任体系はあるのか。無いとすればその様な組織の改革と、それに伴う発展は将来も望めない事はハッキリしている様に思うが、この様な現実を多くの指導者はどうとらえているのであろうか。いま個々の指導者の質が問われている。

2014/09/12

英国少林寺拳法連盟40周年について思う (5)

除名処分と言う結論を受けBSKFの支部長会は商標登録をする事を決断した。
この問題にしても話し合いが持たれていればWSKOとBSKFが訴訟問題にまで至る事は無かったであろう。 我々が目指した名称登録はBSKFと言う団体名を登録する事が主題であったが、支部長達の結束はこれまでになく強固なものとなっていた。 私が口を挟むことも無く彼等が努力して集めた資料の中には、過去40年の膨大な資料の中から重要な証拠となる書類も含まれていた。 時代の最先端を生きる彼らの協力無くしては証拠書類収集のみならず、無報酬で係争を引き受けてくれる法廷弁護士も見つからなかった事であろう。 彼等はWSKOが依頼した弁護士事務所より何倍もの素晴らしい働きをして、想像以上の果実をBSKFとその拳士達にもたらす事となった。

2013年6月、英国のIPO機関はBSKF(British Shorinji Kempo Federation)の名称登録は全く問題が無い事を言い渡した。 少林寺拳法ユニティはそれに対して高等裁判所に不服の申し立てをした。 上告と言う判断は組織の面子に掛けても仕方がない事なのかも知れないが、この様なケース(国外での訴訟)には莫大な費用が掛かる事を考えると、最終的にそれらコストのつけは拳士一人一人に回って行く事は子供でも容易に理解できる。

2014年5月、英国の高等裁判所は我々が想像(期待)した以上の判決を下した。それは「少林寺拳法はゴルフや柔道と同様、『一般名称』である」と。当初のIPOが示したBSKFの商標登録どころか『Generic name(一般名称)』の判断が示された事で、WSKOと少林寺拳法ユニティが失ったものは非常に重大であると言わねばならない。『一般名称』と言う事が英国内は言うに及ばず世界中で広まる事になれば影響は計り知れない程重要な意味を持つ。

言うなればこれまでは少林寺拳法を離脱した人達や、その人達が立ち上げた武道のグループのみを監視して居れば事足りたであろうが、今回の判例が示す様に少林寺拳法は1 Activity(活動・競技)とされた事により、過去とは逆にあらゆる武道グループが少林寺拳法を名乗る事が可能となった訳である。パンドラの箱は開いてしまったと言う事だ。我々にとっても決して喜んでばかりでは居られない状況である。いったん開いたパンドラの箱は閉める事が出来ない、今後出現が予想される目を覆いたくなる様な少林寺拳法家が表れたとしても決して驚くまい。その様な事態にまで至る判断を下した者が何の責任も問われないとすれば、今後の組織運営は大変難しい舵取りが予想される。

2014年8月30日、英国少林寺拳法連盟は40周年の記念大会を催す事となった。
この大会には日本やヨーロッパ各国から拳士が駆け付けてくれ、大変充実した記念大会となった。多くの困難を乗り越え、私費で海外から参加頂いた指導者や拳士諸氏には心から敬意と感謝の言葉をお伝えしたい。私を含めBSKF の拳士達はこの熱い協力と友情を忘れる事無く、これからも40周年で示された情熱を力に変え、拳法グループの発展に邁進して行く覚悟である。 同時に各国から集まったリーダー達はこれを機に今後の協力も約束して、お互いに発展して行こうと誓いを新たにした。

少林寺拳法の開祖 宗道臣が書いた1冊の本から始まった私の拳法人生も、英国の地で40年を数えるに至り感慨深いものがある。最後にここに至るまでの道程で非常に多くの人々の協力を賜った、改めてここに感謝の意を表明したい。同時に今後共ご指導とご鞭撻をお願いして、後に続く拳士諸氏にも私同様暖かく見守って頂きたいと願うものである。

結手

2014/09/05

英国少林寺拳法連盟40周年について思う (4)

2008年12月WSKO臨時理事会に出席した私に思いも掛けぬ事態が待っていた。それまでの友好的な姿勢は一変した。私に掛けられた濡れ衣は渡航費の不正請求と言う嫌疑だった。本部の見解と私の見解が異なった事が原因であったが、その事でWSKOや少林寺拳法と言う組織に迷惑を掛けたくないと言う思いから、責任を取りWSKOの理事と指導員を辞任した。事の経緯はこのブログの3月『世界で一つの少林寺拳法とは』に詳しく書いたのでここでは省略する。

その後に分かった事ではあるが、本部ではそこに至るまでの過程で綿密な計画を持って私を退ける為の準備して居た事が拳士達からの報告で分かった。同年3月本部において昇段試験を受けた拳士達に対する質問では「水野は道着を横流しして不正な利益を得ているが知って居る事は無いか?」とか、「水野が居なくなった後、英国連盟をどの様に発展させていくのか?」等の質問がなされたと聞いた。余りにも馬鹿げた話だったのでそれ以上蒸返す様な事はしなかったが、結果的にそれが後に名称登録をめぐる訴訟問題にまで発展する事になろうとは想像もしていなかった。

2010年3月、BSKFの新規約変更をめぐるWSKOとの軋轢から、BSKFと私はWSKOから除名処分を受けるに至った。 当初は些細なボタンの掛け違いと考えていたが、事が進む中で色々な現実が見えてきた。 重要な事はこの様な時こそ、お互いに胸襟を開いて話し合いの中で一つ一つ解決していく姿勢ではないかと思うが、残念ながらその様な考え方は現在の少林寺拳法体制下には存在しないと言う事を理解した。

現在のWSKOを含む少林寺拳法体制は、世界の人達が物事を判断する上での価値基準からは随分かけ離れた価値観を持った組織だと考えられる。 現代の組織の多くは概ね民主的手段で結論を導き出す事が普通である、民主主義的な方法がベストな意見集約の手段かどうかの議論は別としても、その方法以外では利害や意見が対立した時の解決方法は手段としての説得力を持たない。

これまでWSKO理事会や評議委員会での会議には何度も参加したが、事前に決められた筋書(本部が決めた)どおりに議論が進められ、反対者の意見は無視されるか、論点をすり替えて収束させる事が度々あった。この様な状態は会議とは言えず、説明会か報告会と言う方が適切であろう。

問題になったBSKFの新規約移行をめぐるやり取りでも、彼等(WSKO)は英国人のメンタリティを全く理解して居ないと言う現実であった。 BSKFの支部長達の中にもWSKOの指示に対して盲目的に従う者も居たが、彼らが一番大切にした事は自分達の組織のルールは自分達で決めると言うごく当たり前の結論だった。 彼等の考え方の根底には国の法律で保障された自由は、その法律に反しない限り自分達で納得して決めると言う単純な事である。それを認めないとするWSKO本部との葛藤が、結果的にBSKFを組織から追放すると言う結論になった事は大変残念な結末と言わねばならない。

今一つ付け加えるとすればBSKF の支部長会は、真相が明らかにされた上で事の善悪を判断したいと言う思いから、本部から役員が来て支部長達を集め説明会を行う都度に私の同席を求めていた。残念なことに彼等は頑なに受け入れなかったそうである。出席した支部長から伝え聞く話では、役員達の説明には論理性が乏しく、私個人の悪口に終始し、彼等が納得できる説明が出来なかった様である。勿論充分に説得力を持った立場であれば私が同席して居ても問題が無い訳で、同席を拒んでの説明には合議制を重んじる英国人達の気質を理解せずに、日本の会議と同様に問題無く収められると見誤っていたのかも知れない。

2014/08/29

英国少林寺拳法連盟40周年について思う (3)

過去における少林寺拳法の世界大会や講習会には、殆んど例外なくBSKFの拳士は参加している。1997年に少林寺拳法創始50周年記念大会が日本武道館で催された。その大会には100名を超える英国連盟拳士が訪日し、大会の記念Exhibitionでは100名の英国連盟拳士による団体演武が披露された。当初は時間的に制約があると難色を示していた本部も結果的に了解して、無事参加拳士が全員武道館の舞台に上がる事が出来た。

1999年英国連盟は25周年を迎え、その記念式典ではヨーロッパから数多くの拳士を迎えヨーロッパ大会を盛大に行った。当時の高村正彦外務大臣から大会プログラムに祝辞も頂き、同時に駐英日本国特命全権大使の林貞行大使に大会名誉会長をお引き受け頂いた事は、これまでの大会に無い素晴らしい大会となった。

2000年11月には日本大使館より、『日本と英国の相互理解並びに友好親善に寄与した』と言う大変光栄な評価を頂き、第1回在外公官庁表彰を頂く事となった。 この時は英国各地から幹部拳士が日本大使館にまで駆け付けてくれた事は、私のみならず英国連盟にとりこれまでの様々な貢献が認められたと言う事で、皆が喜びを分かち合った事が昨日の様に思い出される。

その後私は少林寺拳法連盟に公認デモティームの創設を提案し実現を見るに至った。その時に決まったデモティームのメンバー諸氏は、その後少林寺拳法を日本国内は元より世界各地において紹介する上で非常に大きな役割を担う事となり、少林寺拳法の普及や評価には今も多大な貢献をしている。

2001年世界大会がパリで行われた。世界中から集まった拳士達の前で公認デモティームが初めて正式なデモを行った。この年はメキシコでも日本武道の一つとしてデモに加わり大いに評価されたと報告を受けた。また同年イギリスにおける日本年(10年毎に相互に自国を1年間かけて紹介するイベント)での開会アピールがロンドンのハイドパークで催され、この時も少林寺の公認デモティームは人気を独占した。この時私やデモティームのメンバーは視察に来られた皇太子殿下に公使から紹介され、お言葉を掛けられたことは今も強く印象に残って居る。

2004年英国連盟は30周年を迎えた。この時も日本やヨーロッパの国々から多くの仲間が集まって一緒に祝ってくれた。特に日本からは私の地元愛知県から先輩、後輩の先生達が奥様方を伴い参加して頂いた。普段の少林寺拳法の大会では中々機会の無いご婦人同伴の大会でこれまで経験した事の無い素晴らしい記念大会となった。

2007年5月リンネ生誕300周年の式典で、スウェーデン並びにバルト3国を公式訪問された天皇皇后両陛下は同時に英国を訪問された。その時に日本大使館で歓迎のレセプションが催され、私も家内と共に両陛下のレセプションにお招きを頂いた。

2014/08/22

英国少林寺拳法連盟40周年について思う (2)

1974年の9月中頃、後で触れるBKCCから紹介された大学で少林寺拳法部を立ち上げた。 その時日本から先生はじめ10名の先輩や後輩の拳士が応援の為に駆け付けてくれた。大学での入門式では奉納演武から式典まで日本と同様に行う事が出来た。この時に駆け付けてくれた師匠や同門の拳士達の事は今でも鮮明に蘇ってくる。

同年、英国南部の都市ボーンマスで吉田拳士が少林寺の指導を始めたと連絡を受けた。 吉田拳士もスウェーデンを旅行中に、ボーンマスで拳法のクラブを立ち上げた留学生が帰国するに当たり、後を引きついでくれる人を探している事を知った。そのクラブを引き継ぐ事を期に少林寺拳法本部に正式加盟を申請したとの説明だった。その後彼とは協力して英国連盟を発足させることになり、我々は合同で合宿や大会を定期的に始める様になった。

その当時の我々は労働許可証(ビザ)を取得しておらず滞在にも限界があった。 そこで私は当時オリンピック種目以外の武道団体を統括していた空手団体、BKCC(British Karate Control Commission)に相談した。ウイリアム氏はBKCCのコミッショナーとして親切にアドバイスをしてくれた。

空手の統括団体が主催する審査委員会の前で私が少林寺拳法の技を披露し、その結果審査委員会から認められ1975年に労働許可証を取得する事が出来た。ビザの滞在期限で困っていた吉田拳士にもそれを伝え、彼も翌年の審査を受け認められた。1976年に吉田拳士にも労働許可証が下りた事で、我々二人は英国で正式に少林寺拳法の指導員として合法的な足場を得る事となったわけである。

残念ながら吉田拳士は79年ごろ帰国する事になり、その後の指導はボーンマスやその他の支部も私が担当する事となった。1982年には英国において日本以外で初めて本部から指導員が参加して国際講習会が催された。現在とは異なり少林寺拳法がヨーロッパでは未だ支部の数も少なく、その時参加した国はイギリスとフランスだけだったように記憶している。

その頃を境にWSKOもより積極的に海外での指導に係るようになった。同時に当時BSKAと呼んでいた我々の組織もBSKFと変更した。理由は国の組織は連盟と呼ばれるようになり、英国においても英国少林寺拳法協会(Association)と名乗っていたものを英国少林寺拳法連盟(Federation)と変えた訳である。

1980年代は少林寺拳法が世界に発展し始めた時期でもある。 開祖亡き後、当初は色々なところで組織の分裂がささやかれてはいたが、指導者の結束はより強くなった様に感じられた。 この頃を境として私の活動範囲も海外が増え始め、北はスカンジナビアのスウェーデンやフィンランドから、ヨーロッパで活動するほとんどの国へ出かける様になった。 86年に起きたエチオピアの食糧危機をきっかけとしてアフリカの国々とも連絡が取れるようになり、この頃からアフリカへも指導に出かける事になっていった。

日本とアフリカはヨーロッパの国ほどアフリカ諸国とのつながりは大きくは無い。それは過去にアフリカ植民地国家の宗主国がヨーロッパに多く、その様な関係からアフリカ諸国が独立を果たした現在でも、国としての係りは日本に比べれば非常に大きいと言わざるを得ない。86年に初めてアフリカ大陸の大地を踏んだことが切っ掛けとなり、その後94年にはアフリカでの少林寺拳法普及の為に本部から正式に資格を持った指導員が派遣される運びとなった。

おそらく私はWSKO指導員の中で最も多くアフリカ講習会に行った事になる。 経済的には厳しい環境に置かれたアフリカの拳士達であるが、誇り高く成長して行って欲しいと願っている。

2014/08/15

英国少林寺拳法連盟40周年について思う (1)

今年は私がこの地ロンドンに少林寺拳法を紹介して40年になる。一口に40周年とは言え長くも有り、又振り返れば短くも感じられる。同時に良く続けてこられたものだと自分でも思う。当たり前の事ではあるが、ここに至るまでの自分や周りには色々な出来事があった。 40周年を期にこれまでの経緯を振り返ってみる事にした。

今から50年程前、高校生だった時に少林寺拳法との出会いがあった。同級生が始めていた事がきっかけで、彼が見せてくれた1冊の本『秘伝少林寺拳法』が少林寺拳法に入門するきっかけだった。

その本を借りて一日で読み終えた、後にも先にもこれ程真剣に短時間で読み終えた本の記憶は他にない、かなりのインパクトが開祖の本にはあった事になる。この本がきっかけで少林寺拳法に入門した訳であるが、当時は入門に当たっては自分がやりたいから入門したいと言うだけでは許されず、誰かメンバー拳士の紹介が必要だった。

この様に入門一つをとっても現在の基準からすれば随分と厳しい規定があった。にもかかわらず自分と同時に入門式に臨んだ者は20名を超えていた。ひと月の入門者が20名を超えた事は度々記憶しているが今から思えば隔世の時代であったと言える。

当時はまだ名古屋に道院が2か所しかなかった事も大きな要因だったと思う。少林寺拳法が最初に拡大期を迎えた時期で、その後の発展には目を見張るものがあった。 多くの道場が次々に活動を始め、自分も何時か少林寺拳法を指導できるようになりたいと思うようになっていた。

その様な環境の中で学生時代の一時期、愛知県内のある道場を先生の代行として任され指導する経験を得た。 今にして思えば元気なだけが取柄で未熟な指導者だったと思う。しかしこの経験がやがて海外で少林寺拳法の指導者を夢見る大きなきっかけとなった事は事実である。

大学を卒業後3年程働いてはいたが少林寺拳法との繋がりは切れなかった。

1974年の1月、25歳の私はロンドンに向かって旅に出た。横浜から船で当時はソ連のナホトカに向かった、そこからモスクワまで汽車の旅である。ロンドンへ着くのに10日以上も掛かったが、当時の貧乏旅行者の多くは同じルートで多くの若者達がヨーロッパにやってきた。

私にとってロンドンは全くの未開の地であった。『少林寺拳法の指導者になる』と言っても全くあてがある訳では無い。言葉は全く通じなかったが、しばらくはこの地の事を知ろうと毎日歩き回っていた。

ある日、空手の道場に顔を出した時に少林寺拳法を教えている日本人が居ると耳にした。会って話を聞きたいと道場を尋ねたが残念ながら会う事は出来なかった。何度か訪ねたがすでに帰国したらしいとの事であった。おそらく短期の滞在者で学生だったのであろう、この様な拳士がロンドン以外にも居た事は後に分かった。

2014/03/20

世界で一つの少林寺拳法 その2

前回の報告では世界で一つの少林寺拳法と題して所見を述べたが、少林寺拳法が『一般名称』として認知された事は、確かに我々英国連盟にとって喜ばしい事には違いないが、果たしてその事のみをとらえて全てが満足できるか?と言う現実に立ち返って考えてみたい。

武道の世界を見渡せば分かる様に、空手や柔術と言った団体には様々なグループが存在している。これはそれらの武道が『一般名称』として認知されて久しい事にも起因するが、少林寺拳法にも将来的に考えれば同様な問題が発生しないとは言い切れない。

日本国内の空手団体を見渡しても、伝統空手のグループからフルコン系の団体まで数えればきりがない。中にはもともと少林寺拳法をやって居たグループも含まれている。空手を名乗る理由は少林寺拳法と名乗る事により英国連盟と同様名称問題で訴えられる事を恐れた結果であると充分に考えられる。又同時に空手といわれる武道が個々の名称問題にあまり関心が無く、比較的おおらかに新しいグループも吸収していった事が主な理由かもしれない。

今一つ気になる事を柔術を例に挙げて考えてみたい、英国には日本を起源とする柔術以外に、諸々の格闘技を寄せ集めた『Jujitu(じゅうじつ)』と呼ばれるグループが数多く存在している。 彼らは日本から伝わった様に演出する事には熱心だが、真の武道と言うものを全く理解していない事が様々な機会に散見される。 

2014/03/13

世界で一つの少林寺拳法とは

永らくこのブログから離れてしまったが、これを機会に又再開したいと思う。

ほぼ2年間に亘り投稿しなかった事には諸々の事情が有った。最も大きな理由は、英国少林寺拳法連盟の名称登録をめぐって、少林寺拳法ユニティとの間で生じた係争である。

経緯を簡単に述べるならば、話は今から5年前にさかのぼる。WSKO理事会に出席の為、2008年の12月に訪日した私に対して、渡航費の請求が不当にあたるとして理事会で糾弾される事となった。

私の解釈と本部の解釈とが異なった事が主な原因だったが、「もし組織に迷惑が及ぶと言うのであれば、WSKOの理事並びに指導員を辞任してお詫びをしたい」と申し出たため、いったん事態は収束に向かったはずだった。

しかし、翌年1月になるとWSKO本部から、「水野は謹慎処分中の身であるためBSKFのいかなる行事に出席する事も許されない」と全支部長に通達があった。 「あれ、まったく話が違うな」と思ったが指導員辞任を受け入れた訳だから仕方ないと判断し、2009年には講習会や会合には一切参加しなかった。

そんな中、2010年に英国連盟は新しい連盟規約の更新に踏み切った。その時点でのWSKO本部との確認事項は、連盟内で民主的に採択された新規約はWSKOも尊重するというものであった。 ところが新規約への更新には、WSKOの事前承認が必要という連絡が入ったため、英国連盟支部長会は俄然反発を強めた。

彼等英国人の認識では、国の法律に反しない限り、自分達の組織(BSKF)の規約においては英国法が当然の事ながら優先されるべきであり、それに反していない以上、民主的過程を経て採択された新規約は、当然の事ながらWSKOでも追認されると信じていたからである。

以上の経緯から、新規約を認めないとするWSKOとの軋轢は益々大きくなり、2010年3月3日、とうとうBSKFはWSKOから会員資格(国の連盟として)を剥奪されてしまう事態に至り、私も同時に除名処分を受けた。

2011/10/23

サイプロス リーダーズ セミナー(指導者講習会2011)

10月も後半に入り、ロンドンも気温が一段と下がり、秋も終盤の気配がより一層深まった感じがする。永年ロンドンに住んでいるが、夏が終わると秋が一気に駆け抜けていく様な気にさせられる、これから来る長く寒い冬がその様な気持ちを一段と駆り立てるのかも知れない。

今月初めに17名の拳士と共にサイプロスに飛んだ。 サイプロス(Cyprus)とは英語読みで、日本語ではキプロスと呼ぶ方が一般的であるが、いずれにしても日本人には馴染みの薄い国である。
キプロスは独立した共和国ではあるが日本の大使館は無い、今は財政危機で騒がれているギリシャのアテネにある日本大使館が、キプロスの日本大使館も兼ねているらしい。又日本にもキプロスの大使館は無く、中国にあるキプロス大使館が日本の大使館を兼務していると聞いた。

キプロスは地中海の一番奥に位置している島国でギリシャ、トルコ、シリアなどの国に囲まれている。 元々はギリシャ系の民族が支配した国であったが、1974年小生が渡英した同年に隣国トルコが進駐して、約三分の一位の地域がトルコに占領されてしまった。
その後国連が境界線を警護しており、武力による紛争は無いがE.Uからはトルコ支配の地域は認められておらず、ユーロ圏ではあるが未承認の地域(北部キプロス)を抱えた複雑な政治情勢の国とも言える。

2011/05/27

マーシャルエイド Unite for Japan 2011

5月22日ロンドン西部のブレントフォード スポーツセンターにおいてマーシャルエイドが催された。
参加団体は我々BSKFをはじめ、空手が和道国際空手道連盟と紫空会空手道連盟の2団体、英国合気道連盟、英国弓道協会、無名士剣道道場(剣道連盟、居合道、丈道含む)が参加して、東日本大震災の被災者に日本赤十字社を通じて義援金を贈る事を目的に開催された。

地震と津波の被害、引き続いて起こった原発事故によるニュース報道は今も世界中の耳目を集めている。何かしなければと言う気持ちは我々武道関係者のみならず、誰もが抱く正直な感情であるように思う。日頃の教えの中心的なものの一つに、『半ばはわが身の幸せを、半ばは他人の幸せを!』と言う言葉を重く受け止めてきた拳士達にあっては、当然の帰結としてこの様なときにこそ、率先して何かしなければならないと感じた者も少なくない。