2014/09/26

少林寺拳法は宗教団体? 宗教と言う名に潜む危険性とは

先月の40周年大会も無事終了してホッと一息付く間もなく、私に送られてくる問い合わせには色々と考えさせられるものがある。

その一つに少林寺拳法は『宗教団体』ですか?と言うものである。その様な質問は当事者の私にとって「いえ、武道団体です」と答える事にしている。 確かに日本の少林寺拳法は『金剛禅総本山少林寺』として宗教団体に属するグループも存在する。しかしながら話が一筋縄では説明のつかない複雑な事情も散見される。一般財団法人の日本少林寺拳法連盟は当然の事ながら宗教法人では無い。

学校の体育館や公共施設を使い道院として活動してきた少林寺拳法が、有る日を境に宗教法人と言う立場を鮮明にして、そこに通う子供やその父兄にまで「少林寺拳法は宗教団体です」と説明するようになったそうである。月謝や教費と言う呼び方はしない様にと指導され、お布施と呼ばなければならないとの事である。もしお布施と言う事が事実とすれば金額は当然の事ながら自由で、いくらでも良い事になる。仮に小学生のお小遣い程度の金額(どれ程か定かではないが)数百円でも文句は言えない事は明白であろう。もし金額が定められており一律と言う事であればおかしなお布施と言われても仕方がない。

少し考えてみれば分かる事であるが、少林寺拳法を習いたいと言う子供にしても、又習わせたいと願う父兄にしても、それを宗教活動と捉えて始める人達はごくまれでは無いだろうか。 私も高校生の時に開祖宗道臣の本を読んで少林寺拳法に入門した事は前にも書いた通りである。しかしながらその時少林寺拳法を宗教として認識して始めたとは思っていなかった。もしそのような事が事実であったとすれば親の承諾は得られなかったかも知れない。

2014/09/19

少林寺拳法は武道か宗教か

私が書いた『開祖のビジネスモデルはいつまで続く』と言うタイトルに寄せられた投稿で、「少林寺拳法は実態が武道であるものを宗教に舵を切り、武道が公共の場から発展しているものをその場から撤退してしまいました」又同時に「実際、ダーマ信仰についてどれだけの需要があるのだろうかと思うのですが」と述べられていました。

ダーマ信仰の需要が有るかどうかは別問題としても、開祖 宗道臣が少林寺拳法を創始した当時(戦後間もない頃)と、21世紀の今日では明らかに社会背景が異なって居ます。開祖も法話の中で「自分はなりたくてなった坊主では無い、政策坊主である」とはっきり述べています。裏を返せばGHQの統制下で武道の練習が禁じられていた社会情勢下での苦肉の策が、宗教法人格の登録と言う選択肢であったと理解しておりました。

しかしながら時間が経って社会情勢も変わり、人々が武道の練習も自由に出来る様になった今日において、改めて宗教法人を強調する事に何らかの不自然さを指摘する人が表れても当然の事だと思います。時代は今や海外においても日本の武道が見直され、日本文化の一つとして多くの国で評価されている事も見落してはいけないと思います。

それに対する私の見解は「ダーマ信仰は良いとしても、宗教家として自信を持ってそれらを説明できる指導者は少ないように感じます。なぜならば宗教が目的で少林寺拳法に入門した拳士は極めて少数派だと思うからです。私も武道としての少林寺拳法に魅力を感じ始めました。その様な中で開祖の説く哲学に共鳴して心境の変化があった事は事実です。」

「しかし同時に宗教として武道を教える事と、武道の指導の中で宗教心を説く事は似て非なるものだと思います。前者はオウム真理教と同じ理屈でヨガと拳法が違うだけです。後者は多くの武道教育で見られるものです」、続けて「果たして日本の少林寺拳法が目指す方向はどの様な世界なのでしょう? 私達(BSKF)が理想とする少林寺拳法は後者でありたいと思います」とも書きました、この見解は今も変わりません。

少林寺拳法を指導する立場の人は明確に自身の見解を持つ必要があると思います。それが無い指導者では少林寺拳法の指導など出来ない事は明らかです。門下生から「先生ダーマとは何ですか?」と聞かれたらどの様に答えるのでしょう。同時に小学生に対してダーマ信仰を説明しても理解が得られるかは難しい課題だと思います。指導者の皆さんの意見も聞いてみたいと思っています。

2014/09/12

英国少林寺拳法連盟40周年について思う (5)

除名処分と言う結論を受けBSKFの支部長会は商標登録をする事を決断した。
この問題にしても話し合いが持たれていればWSKOとBSKFが訴訟問題にまで至る事は無かったであろう。 我々が目指した名称登録はBSKFと言う団体名を登録する事が主題であったが、支部長達の結束はこれまでになく強固なものとなっていた。 私が口を挟むことも無く彼等が努力して集めた資料の中には、過去40年の膨大な資料の中から重要な証拠となる書類も含まれていた。 時代の最先端を生きる彼らの協力無くしては証拠書類収集のみならず、無報酬で係争を引き受けてくれる法廷弁護士も見つからなかった事であろう。 彼等はWSKOが依頼した弁護士事務所より何倍もの素晴らしい働きをして、想像以上の果実をBSKFとその拳士達にもたらす事となった。

2013年6月、英国のIPO機関はBSKF(British Shorinji Kempo Federation)の名称登録は全く問題が無い事を言い渡した。 少林寺拳法ユニティはそれに対して高等裁判所に不服の申し立てをした。 上告と言う判断は組織の面子に掛けても仕方がない事なのかも知れないが、この様なケース(国外での訴訟)には莫大な費用が掛かる事を考えると、最終的にそれらコストのつけは拳士一人一人に回って行く事は子供でも容易に理解できる。

2014年5月、英国の高等裁判所は我々が想像(期待)した以上の判決を下した。それは「少林寺拳法はゴルフや柔道と同様、『一般名称』である」と。当初のIPOが示したBSKFの商標登録どころか『Generic name(一般名称)』の判断が示された事で、WSKOと少林寺拳法ユニティが失ったものは非常に重大であると言わねばならない。『一般名称』と言う事が英国内は言うに及ばず世界中で広まる事になれば影響は計り知れない程重要な意味を持つ。

言うなればこれまでは少林寺拳法を離脱した人達や、その人達が立ち上げた武道のグループのみを監視して居れば事足りたであろうが、今回の判例が示す様に少林寺拳法は1 Activity(活動・競技)とされた事により、過去とは逆にあらゆる武道グループが少林寺拳法を名乗る事が可能となった訳である。パンドラの箱は開いてしまったと言う事だ。我々にとっても決して喜んでばかりでは居られない状況である。いったん開いたパンドラの箱は閉める事が出来ない、今後出現が予想される目を覆いたくなる様な少林寺拳法家が表れたとしても決して驚くまい。その様な事態にまで至る判断を下した者が何の責任も問われないとすれば、今後の組織運営は大変難しい舵取りが予想される。

2014年8月30日、英国少林寺拳法連盟は40周年の記念大会を催す事となった。
この大会には日本やヨーロッパ各国から拳士が駆け付けてくれ、大変充実した記念大会となった。多くの困難を乗り越え、私費で海外から参加頂いた指導者や拳士諸氏には心から敬意と感謝の言葉をお伝えしたい。私を含めBSKF の拳士達はこの熱い協力と友情を忘れる事無く、これからも40周年で示された情熱を力に変え、拳法グループの発展に邁進して行く覚悟である。 同時に各国から集まったリーダー達はこれを機に今後の協力も約束して、お互いに発展して行こうと誓いを新たにした。

少林寺拳法の開祖 宗道臣が書いた1冊の本から始まった私の拳法人生も、英国の地で40年を数えるに至り感慨深いものがある。最後にここに至るまでの道程で非常に多くの人々の協力を賜った、改めてここに感謝の意を表明したい。同時に今後共ご指導とご鞭撻をお願いして、後に続く拳士諸氏にも私同様暖かく見守って頂きたいと願うものである。

結手

2014/09/05

英国少林寺拳法連盟40周年について思う (4)

2008年12月WSKO臨時理事会に出席した私に思いも掛けぬ事態が待っていた。それまでの友好的な姿勢は一変した。私に掛けられた濡れ衣は渡航費の不正請求と言う嫌疑だった。本部の見解と私の見解が異なった事が原因であったが、その事でWSKOや少林寺拳法と言う組織に迷惑を掛けたくないと言う思いから、責任を取りWSKOの理事と指導員を辞任した。事の経緯はこのブログの3月『世界で一つの少林寺拳法とは』に詳しく書いたのでここでは省略する。

その後に分かった事ではあるが、本部ではそこに至るまでの過程で綿密な計画を持って私を退ける為の準備して居た事が拳士達からの報告で分かった。同年3月本部において昇段試験を受けた拳士達に対する質問では「水野は道着を横流しして不正な利益を得ているが知って居る事は無いか?」とか、「水野が居なくなった後、英国連盟をどの様に発展させていくのか?」等の質問がなされたと聞いた。余りにも馬鹿げた話だったのでそれ以上蒸返す様な事はしなかったが、結果的にそれが後に名称登録をめぐる訴訟問題にまで発展する事になろうとは想像もしていなかった。

2010年3月、BSKFの新規約変更をめぐるWSKOとの軋轢から、BSKFと私はWSKOから除名処分を受けるに至った。 当初は些細なボタンの掛け違いと考えていたが、事が進む中で色々な現実が見えてきた。 重要な事はこの様な時こそ、お互いに胸襟を開いて話し合いの中で一つ一つ解決していく姿勢ではないかと思うが、残念ながらその様な考え方は現在の少林寺拳法体制下には存在しないと言う事を理解した。

現在のWSKOを含む少林寺拳法体制は、世界の人達が物事を判断する上での価値基準からは随分かけ離れた価値観を持った組織だと考えられる。 現代の組織の多くは概ね民主的手段で結論を導き出す事が普通である、民主主義的な方法がベストな意見集約の手段かどうかの議論は別としても、その方法以外では利害や意見が対立した時の解決方法は手段としての説得力を持たない。

これまでWSKO理事会や評議委員会での会議には何度も参加したが、事前に決められた筋書(本部が決めた)どおりに議論が進められ、反対者の意見は無視されるか、論点をすり替えて収束させる事が度々あった。この様な状態は会議とは言えず、説明会か報告会と言う方が適切であろう。

問題になったBSKFの新規約移行をめぐるやり取りでも、彼等(WSKO)は英国人のメンタリティを全く理解して居ないと言う現実であった。 BSKFの支部長達の中にもWSKOの指示に対して盲目的に従う者も居たが、彼らが一番大切にした事は自分達の組織のルールは自分達で決めると言うごく当たり前の結論だった。 彼等の考え方の根底には国の法律で保障された自由は、その法律に反しない限り自分達で納得して決めると言う単純な事である。それを認めないとするWSKO本部との葛藤が、結果的にBSKFを組織から追放すると言う結論になった事は大変残念な結末と言わねばならない。

今一つ付け加えるとすればBSKF の支部長会は、真相が明らかにされた上で事の善悪を判断したいと言う思いから、本部から役員が来て支部長達を集め説明会を行う都度に私の同席を求めていた。残念なことに彼等は頑なに受け入れなかったそうである。出席した支部長から伝え聞く話では、役員達の説明には論理性が乏しく、私個人の悪口に終始し、彼等が納得できる説明が出来なかった様である。勿論充分に説得力を持った立場であれば私が同席して居ても問題が無い訳で、同席を拒んでの説明には合議制を重んじる英国人達の気質を理解せずに、日本の会議と同様に問題無く収められると見誤っていたのかも知れない。