2014/12/22

新体制をどの様に構築できるのか

私のこのブログには実に多くの方々から投稿を頂く様になった。何にもまして投稿者の真剣さが伝わって来るものがほとんどで、時には真剣に向き合う彼等の姿勢が少林寺の指導者となった当時の自分の姿とも重なり、何とか現状を打破する良いアドバイスが出来ないかと日々模索する毎日である。

現在の日本の少林寺拳法と言う組織は、多くの方々から何度も書き込まれている様に非常に疲弊した組織になって居る事が分かる。その大きな要因は組織の示す矛盾から発している事は明らかである。何が矛盾かと言えば、そもそも武道を売りものに発展してきた組織を、ある時を境に宗教が全面に打ち出される様になってしまった。これまでは青少年教育を唱え、年少者の拳士や保護者に対して武道の修練を通して健康な体と人格、社会性を植え付けて行くと捉えられていた。それが宗教団体を標榜する事で、これまでとは立場の異なった説明が必要になってしまった。

私がこのブログで何度も指摘した事は、武道教育を通して人格形成の一助とする事と、例えは悪いが武道という力を餌に宗教を刷り込む事は全く逆の手法であると言う事につきる。明らかに後者は超能力を喧伝したカルト的団体と類似した構図であると受け取られても仕方がない。それが事実かどうかは別として、現在、多くの指導者が口をそろえて言う「新入門者が居ない!」と言う言葉の重大さである。

彼等の言葉を借りれば、「何らかの理由で少林寺を辞めて行く者はこれまでにも居た」、しかしながら道場を何とか維持できていたのは「新入門者が入る事で辞めた拳士数と同等な数を維持する事が可能であった」からである。しかし現在では長い期間で新入門者が無いと言う現象が続き、道場での拳士数がかなり減ってしまった。結果として道院運営にも支障を来たす様になってきたとの説明であった。

これは一部の意見では無い。私が話を聞いたほとんどの指導者が同様の見解を口にした。それらを無視する事は簡単であろう、しかし今後もこの様な状況が改善されないとなれば少林寺拳法と言う組織そのものが崩壊してしまう事は目に見えている。その様な中で最近では本部と距離を置き、私やBSKFに直接連絡をくれる人達が居る。熱心な指導者ほど現状に居たたまれず、何とかしなければとの思いからであろうと想像する。

部外者の私に何が出来るか分からない。しかしながら私自身が直接関与するまでも無く、組織に疑問を感じた指導者達は自問自答を繰り返しながら考え続けて居るのであろう。その様な人達の中には自分達自身で解決の方法を見付け出し、行動を起こそうと言う人達も居る。仮にその事で将来的に少林寺拳法とは名乗れない結果に成ろうとも、過去に誇りをもって少林寺拳法を修練していた頃を思い出し、武道としての楽しさ、厳しさを指導の中で伝えて行きたいと言う情熱を本人から聞く事が出来た。

少林寺拳法は長い間『世界で一つ』と言い続けてきた。その根底には少林寺拳法をブランドとしてとらえ、『ブランドを守る事が教えを守る事である』と言うバカな論理がまかり通ってしまった事が原因であろう。『少林寺拳法』は本部にとっては商品かも知れないが、多くの指導者にとっては生きがいと夢でもあったはずである。その指導者の情熱が覚めた時に発展は望めない。

同時に少林寺拳法は『LOUIS VUITTON』や『SONY』という優れた商品を生み出す一般の会社では無い。商品であればブランドに対して人々は信用し少々高額な商品でも受け入れる。しかしながら一般の商品の場合とは異なり、武道やスポ―ツの類は人が教える訳であり、同じ武道を名乗る団体であっても個々の指導者に差が有る事は当たり前の現実であろう。

その事実を証明するまでも無く、同じ少林寺拳法の道場でもそれぞれに拳士数には大きな差が出ている。少林寺拳法と言う名称(ブランド)に初めは魅かれたかもしれないが、習うときには当然の事ながら指導者を選ぶ事になる。ブランドで人が呼べると言う事が事実であれば、どこの道場も同様に人が集まらねばならない。しかしながら現実には50名を超える門下生を抱える道場も存在すれば、10名にも満たない拳士数しか所属しない道場も有る。

これらの現実を前に『少林寺拳法をブランドとして守って行けば、将来も間違いなく発展して行ける』と判断した組織の責任者はどの様に答えるのであろう。一般の会社においては、経営判断を誤った者に対する責任を追及できるメカニズム(株主総会等)は存在する。少林寺拳法と言う一大武道組織(宗教組織?)の責任体系はあるのか。無いとすればその様な組織の改革と、それに伴う発展は将来も望めない事はハッキリしている様に思うが、この様な現実を多くの指導者はどうとらえているのであろうか。いま個々の指導者の質が問われている。

2014/11/07

己こそ己の寄るべ

沢山の人達が投稿してくれています、有難うございました、心から感謝したいと思います。

しかしこれで終わりではありません、ここからが本当の戦いが始まるのだと思います。 戦うと言う事は人を傷つける事も覚悟しなければなりません。 肉体的に怪我をさせると言う意味ではなく、親しい仲間や先輩、後輩とも時には意見の異なる場合が出てきます。その様な時でも怯む事無く自分の信念を貫く事が出来るのか?と言う事です。

ここで一つ明確にしておかなければならない事があると思います。色々な意見を述べている人達は少なからず少林寺拳法そのものに愛着や良い感情を持って居ると言う事です。無関心であれば意見など述べる必要もなく、組織がどうなろうと知った事ではないはずです。この前提を認識した上で、ある時には戦わなくてはならない場合が出てくる事も、充分考えられる事ではないでしょうか。

投稿の折りにも例を挙げて説明したマイケル・シャーマー(博士)の指摘するカルト理論に付いて書いてみたいと思います。

1. 指導者に対する崇拝聖人、あるいは神格に向けられるものとさして変わらない賛美。
2. 指導者の無謬(むびゅう)性、指導者は絶対に間違いを犯さないという確信。
3. 指導者の知識の広さ、哲学的な事柄から日常の些細なことまで指導者は広い知識がある。
4. 説得のテクニック、新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで手段はさまざま。
5. 秘密の計画、信仰の真の目的と計画が曖昧としている、あるいは新規入信者や一般大衆には、それらが明確に提示されていない。
6. 欺瞞入信者や信徒は、その頂点に立つ指導者や、集団の中枢部に関してすべてを知らされるわけではなく、また大きな混乱を招くような不備や厄介事に発展しそうな事件、あるいは状況は隠蔽されている。
7. 金融面および性的な利用入信者や信徒は、その金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得され、指導者には一人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている。
8. 知識絶対的な真理、さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見いだした究極なものに対する盲信。
9. 絶対的な道徳観指導者、あるいは集団が確立した、組織の内外を問わず等しくあてはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。
10. その道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる。

シャーマーは Skeptics Society(懐疑協会)を創設して科学、心理学、社会問題、宗教、カルト理論などをテーマとした講演を行っています。

上記の10項目の中で『日本の少林寺拳法』はいくつ当てはまるのでしょう? 1、2、3、5、6、8、9、10と私の個人的な見解ではこれらの8項目が該当するように感じます。 具体例をそれぞれの項目ごとに書き出して見る事にします。

1.は少林寺拳法の創始者(宗道臣)に対する組織の扱い。
2.に関しては宗教組織の代表が表現したと言われる最高解釈権者(=師家)に対する説明が一例として上げられると思います。
3.は現在の指導者ではなく、創始者に向けられた思いだと考えます。
4.に付いては拳士や指導者に向けた方法として寛大なものから威圧的なものまでさまざまな方法を見ていますが、意見の分かれる所も有ると思います。
5.は組織に不都合なものは隠蔽し、新入門者には宗教色を余り意識させない様な方法が見られる。
6.組織トップが目指す計画や方向性が明らかにされておらず、一般会員には真実は知らされない事が度々ある。
8.創始者に対する検証が許されない。
9.これも創始者が確立した価値観が、組織の内外共に普遍性があるとの盲信が見られる。
10.現在の組織そのものである。

以上の見解には異論もあると思われますが、あくまでも私の個人的見解である事お断わりして表記したものです。

人がどの様に見るのかではなく、一拳士、一指導者として『少林寺拳法』をどう考えるかが問われているのです。最後に問われるのは『自己確立』がどれくらいできているのか? そこにこそ『己こそ己の寄る辺、己をおきて誰に寄るベぞ』、今こそ明確に自身の判断を下す時にきて居ませんか?

2014/10/03

世界で一番強い武道とは

私が少林寺拳法という日本で生まれた武道を指導していると言うと、武道とは余り縁の無い部外者から「世界で一番強い武道は何か?」と聞かれる事がある。

門外漢からすれば世界で一番強い武道を練習したいと言うよりは、興味の対象として知識の一部にしたいのかも知れない。少し考えれば間の抜けた質問である事に気が付くと思うのだが、本人は案外真面目に聞いて居るのかも知れない。

その様な時、私の答えは「強い奴がやる武道が一番強い、但しそれはスタイルでは無い! どの様な武道でも良い」と答える事にしている。どの様な武道であれ『世界一強い』等と不遜な形容が付けられるものなどある訳がない。

アルティメイト・ファイト(究極の戦い)等と呼ばれ、檻に入った格闘家が大衆の前で戦う競技を映像で見た事がある。 筋肉隆々の厳ついファイター達が様々な技を繰り出し戦い勝敗を決める訳であるが、その「チャンピオンが修練した格闘技が世界で一番強い武道なのか?」と聞かれれば、単純に「Yes」とは言え無いであろう。たまたまチャンピオンになる資質を持った人間が良い指導者に恵まれ厳しい修練をしたからチャンピオンになった訳で、誰が修練しても同様にチャンピオンになれる訳では無い。

この様な例はいくらでもある。 100メートルを12秒台で走る人は一般社会ではかなり早い人であろう。しかしオリンピックに出てくるアスリートであれば10秒台で走れる選手以外はその対象にもならない。言うなれば限られた才能を持つ者だけに与えられた戦いの場なのだ。

2014/09/26

少林寺拳法は宗教団体? 宗教と言う名に潜む危険性とは

先月の40周年大会も無事終了してホッと一息付く間もなく、私に送られてくる問い合わせには色々と考えさせられるものがある。

その一つに少林寺拳法は『宗教団体』ですか?と言うものである。その様な質問は当事者の私にとって「いえ、武道団体です」と答える事にしている。 確かに日本の少林寺拳法は『金剛禅総本山少林寺』として宗教団体に属するグループも存在する。しかしながら話が一筋縄では説明のつかない複雑な事情も散見される。一般財団法人の日本少林寺拳法連盟は当然の事ながら宗教法人では無い。

学校の体育館や公共施設を使い道院として活動してきた少林寺拳法が、有る日を境に宗教法人と言う立場を鮮明にして、そこに通う子供やその父兄にまで「少林寺拳法は宗教団体です」と説明するようになったそうである。月謝や教費と言う呼び方はしない様にと指導され、お布施と呼ばなければならないとの事である。もしお布施と言う事が事実とすれば金額は当然の事ながら自由で、いくらでも良い事になる。仮に小学生のお小遣い程度の金額(どれ程か定かではないが)数百円でも文句は言えない事は明白であろう。もし金額が定められており一律と言う事であればおかしなお布施と言われても仕方がない。

少し考えてみれば分かる事であるが、少林寺拳法を習いたいと言う子供にしても、又習わせたいと願う父兄にしても、それを宗教活動と捉えて始める人達はごくまれでは無いだろうか。 私も高校生の時に開祖宗道臣の本を読んで少林寺拳法に入門した事は前にも書いた通りである。しかしながらその時少林寺拳法を宗教として認識して始めたとは思っていなかった。もしそのような事が事実であったとすれば親の承諾は得られなかったかも知れない。

2014/09/19

少林寺拳法は武道か宗教か

私が書いた『開祖のビジネスモデルはいつまで続く』と言うタイトルに寄せられた投稿で、「少林寺拳法は実態が武道であるものを宗教に舵を切り、武道が公共の場から発展しているものをその場から撤退してしまいました」又同時に「実際、ダーマ信仰についてどれだけの需要があるのだろうかと思うのですが」と述べられていました。

ダーマ信仰の需要が有るかどうかは別問題としても、開祖 宗道臣が少林寺拳法を創始した当時(戦後間もない頃)と、21世紀の今日では明らかに社会背景が異なって居ます。開祖も法話の中で「自分はなりたくてなった坊主では無い、政策坊主である」とはっきり述べています。裏を返せばGHQの統制下で武道の練習が禁じられていた社会情勢下での苦肉の策が、宗教法人格の登録と言う選択肢であったと理解しておりました。

しかしながら時間が経って社会情勢も変わり、人々が武道の練習も自由に出来る様になった今日において、改めて宗教法人を強調する事に何らかの不自然さを指摘する人が表れても当然の事だと思います。時代は今や海外においても日本の武道が見直され、日本文化の一つとして多くの国で評価されている事も見落してはいけないと思います。

それに対する私の見解は「ダーマ信仰は良いとしても、宗教家として自信を持ってそれらを説明できる指導者は少ないように感じます。なぜならば宗教が目的で少林寺拳法に入門した拳士は極めて少数派だと思うからです。私も武道としての少林寺拳法に魅力を感じ始めました。その様な中で開祖の説く哲学に共鳴して心境の変化があった事は事実です。」

「しかし同時に宗教として武道を教える事と、武道の指導の中で宗教心を説く事は似て非なるものだと思います。前者はオウム真理教と同じ理屈でヨガと拳法が違うだけです。後者は多くの武道教育で見られるものです」、続けて「果たして日本の少林寺拳法が目指す方向はどの様な世界なのでしょう? 私達(BSKF)が理想とする少林寺拳法は後者でありたいと思います」とも書きました、この見解は今も変わりません。

少林寺拳法を指導する立場の人は明確に自身の見解を持つ必要があると思います。それが無い指導者では少林寺拳法の指導など出来ない事は明らかです。門下生から「先生ダーマとは何ですか?」と聞かれたらどの様に答えるのでしょう。同時に小学生に対してダーマ信仰を説明しても理解が得られるかは難しい課題だと思います。指導者の皆さんの意見も聞いてみたいと思っています。

2014/09/12

英国少林寺拳法連盟40周年について思う (5)

除名処分と言う結論を受けBSKFの支部長会は商標登録をする事を決断した。
この問題にしても話し合いが持たれていればWSKOとBSKFが訴訟問題にまで至る事は無かったであろう。 我々が目指した名称登録はBSKFと言う団体名を登録する事が主題であったが、支部長達の結束はこれまでになく強固なものとなっていた。 私が口を挟むことも無く彼等が努力して集めた資料の中には、過去40年の膨大な資料の中から重要な証拠となる書類も含まれていた。 時代の最先端を生きる彼らの協力無くしては証拠書類収集のみならず、無報酬で係争を引き受けてくれる法廷弁護士も見つからなかった事であろう。 彼等はWSKOが依頼した弁護士事務所より何倍もの素晴らしい働きをして、想像以上の果実をBSKFとその拳士達にもたらす事となった。

2013年6月、英国のIPO機関はBSKF(British Shorinji Kempo Federation)の名称登録は全く問題が無い事を言い渡した。 少林寺拳法ユニティはそれに対して高等裁判所に不服の申し立てをした。 上告と言う判断は組織の面子に掛けても仕方がない事なのかも知れないが、この様なケース(国外での訴訟)には莫大な費用が掛かる事を考えると、最終的にそれらコストのつけは拳士一人一人に回って行く事は子供でも容易に理解できる。

2014年5月、英国の高等裁判所は我々が想像(期待)した以上の判決を下した。それは「少林寺拳法はゴルフや柔道と同様、『一般名称』である」と。当初のIPOが示したBSKFの商標登録どころか『Generic name(一般名称)』の判断が示された事で、WSKOと少林寺拳法ユニティが失ったものは非常に重大であると言わねばならない。『一般名称』と言う事が英国内は言うに及ばず世界中で広まる事になれば影響は計り知れない程重要な意味を持つ。

言うなればこれまでは少林寺拳法を離脱した人達や、その人達が立ち上げた武道のグループのみを監視して居れば事足りたであろうが、今回の判例が示す様に少林寺拳法は1 Activity(活動・競技)とされた事により、過去とは逆にあらゆる武道グループが少林寺拳法を名乗る事が可能となった訳である。パンドラの箱は開いてしまったと言う事だ。我々にとっても決して喜んでばかりでは居られない状況である。いったん開いたパンドラの箱は閉める事が出来ない、今後出現が予想される目を覆いたくなる様な少林寺拳法家が表れたとしても決して驚くまい。その様な事態にまで至る判断を下した者が何の責任も問われないとすれば、今後の組織運営は大変難しい舵取りが予想される。

2014年8月30日、英国少林寺拳法連盟は40周年の記念大会を催す事となった。
この大会には日本やヨーロッパ各国から拳士が駆け付けてくれ、大変充実した記念大会となった。多くの困難を乗り越え、私費で海外から参加頂いた指導者や拳士諸氏には心から敬意と感謝の言葉をお伝えしたい。私を含めBSKF の拳士達はこの熱い協力と友情を忘れる事無く、これからも40周年で示された情熱を力に変え、拳法グループの発展に邁進して行く覚悟である。 同時に各国から集まったリーダー達はこれを機に今後の協力も約束して、お互いに発展して行こうと誓いを新たにした。

少林寺拳法の開祖 宗道臣が書いた1冊の本から始まった私の拳法人生も、英国の地で40年を数えるに至り感慨深いものがある。最後にここに至るまでの道程で非常に多くの人々の協力を賜った、改めてここに感謝の意を表明したい。同時に今後共ご指導とご鞭撻をお願いして、後に続く拳士諸氏にも私同様暖かく見守って頂きたいと願うものである。

結手

2014/09/05

英国少林寺拳法連盟40周年について思う (4)

2008年12月WSKO臨時理事会に出席した私に思いも掛けぬ事態が待っていた。それまでの友好的な姿勢は一変した。私に掛けられた濡れ衣は渡航費の不正請求と言う嫌疑だった。本部の見解と私の見解が異なった事が原因であったが、その事でWSKOや少林寺拳法と言う組織に迷惑を掛けたくないと言う思いから、責任を取りWSKOの理事と指導員を辞任した。事の経緯はこのブログの3月『世界で一つの少林寺拳法とは』に詳しく書いたのでここでは省略する。

その後に分かった事ではあるが、本部ではそこに至るまでの過程で綿密な計画を持って私を退ける為の準備して居た事が拳士達からの報告で分かった。同年3月本部において昇段試験を受けた拳士達に対する質問では「水野は道着を横流しして不正な利益を得ているが知って居る事は無いか?」とか、「水野が居なくなった後、英国連盟をどの様に発展させていくのか?」等の質問がなされたと聞いた。余りにも馬鹿げた話だったのでそれ以上蒸返す様な事はしなかったが、結果的にそれが後に名称登録をめぐる訴訟問題にまで発展する事になろうとは想像もしていなかった。

2010年3月、BSKFの新規約変更をめぐるWSKOとの軋轢から、BSKFと私はWSKOから除名処分を受けるに至った。 当初は些細なボタンの掛け違いと考えていたが、事が進む中で色々な現実が見えてきた。 重要な事はこの様な時こそ、お互いに胸襟を開いて話し合いの中で一つ一つ解決していく姿勢ではないかと思うが、残念ながらその様な考え方は現在の少林寺拳法体制下には存在しないと言う事を理解した。

現在のWSKOを含む少林寺拳法体制は、世界の人達が物事を判断する上での価値基準からは随分かけ離れた価値観を持った組織だと考えられる。 現代の組織の多くは概ね民主的手段で結論を導き出す事が普通である、民主主義的な方法がベストな意見集約の手段かどうかの議論は別としても、その方法以外では利害や意見が対立した時の解決方法は手段としての説得力を持たない。

これまでWSKO理事会や評議委員会での会議には何度も参加したが、事前に決められた筋書(本部が決めた)どおりに議論が進められ、反対者の意見は無視されるか、論点をすり替えて収束させる事が度々あった。この様な状態は会議とは言えず、説明会か報告会と言う方が適切であろう。

問題になったBSKFの新規約移行をめぐるやり取りでも、彼等(WSKO)は英国人のメンタリティを全く理解して居ないと言う現実であった。 BSKFの支部長達の中にもWSKOの指示に対して盲目的に従う者も居たが、彼らが一番大切にした事は自分達の組織のルールは自分達で決めると言うごく当たり前の結論だった。 彼等の考え方の根底には国の法律で保障された自由は、その法律に反しない限り自分達で納得して決めると言う単純な事である。それを認めないとするWSKO本部との葛藤が、結果的にBSKFを組織から追放すると言う結論になった事は大変残念な結末と言わねばならない。

今一つ付け加えるとすればBSKF の支部長会は、真相が明らかにされた上で事の善悪を判断したいと言う思いから、本部から役員が来て支部長達を集め説明会を行う都度に私の同席を求めていた。残念なことに彼等は頑なに受け入れなかったそうである。出席した支部長から伝え聞く話では、役員達の説明には論理性が乏しく、私個人の悪口に終始し、彼等が納得できる説明が出来なかった様である。勿論充分に説得力を持った立場であれば私が同席して居ても問題が無い訳で、同席を拒んでの説明には合議制を重んじる英国人達の気質を理解せずに、日本の会議と同様に問題無く収められると見誤っていたのかも知れない。

2014/08/29

英国少林寺拳法連盟40周年について思う (3)

過去における少林寺拳法の世界大会や講習会には、殆んど例外なくBSKFの拳士は参加している。1997年に少林寺拳法創始50周年記念大会が日本武道館で催された。その大会には100名を超える英国連盟拳士が訪日し、大会の記念Exhibitionでは100名の英国連盟拳士による団体演武が披露された。当初は時間的に制約があると難色を示していた本部も結果的に了解して、無事参加拳士が全員武道館の舞台に上がる事が出来た。

1999年英国連盟は25周年を迎え、その記念式典ではヨーロッパから数多くの拳士を迎えヨーロッパ大会を盛大に行った。当時の高村正彦外務大臣から大会プログラムに祝辞も頂き、同時に駐英日本国特命全権大使の林貞行大使に大会名誉会長をお引き受け頂いた事は、これまでの大会に無い素晴らしい大会となった。

2000年11月には日本大使館より、『日本と英国の相互理解並びに友好親善に寄与した』と言う大変光栄な評価を頂き、第1回在外公官庁表彰を頂く事となった。 この時は英国各地から幹部拳士が日本大使館にまで駆け付けてくれた事は、私のみならず英国連盟にとりこれまでの様々な貢献が認められたと言う事で、皆が喜びを分かち合った事が昨日の様に思い出される。

その後私は少林寺拳法連盟に公認デモティームの創設を提案し実現を見るに至った。その時に決まったデモティームのメンバー諸氏は、その後少林寺拳法を日本国内は元より世界各地において紹介する上で非常に大きな役割を担う事となり、少林寺拳法の普及や評価には今も多大な貢献をしている。

2001年世界大会がパリで行われた。世界中から集まった拳士達の前で公認デモティームが初めて正式なデモを行った。この年はメキシコでも日本武道の一つとしてデモに加わり大いに評価されたと報告を受けた。また同年イギリスにおける日本年(10年毎に相互に自国を1年間かけて紹介するイベント)での開会アピールがロンドンのハイドパークで催され、この時も少林寺の公認デモティームは人気を独占した。この時私やデモティームのメンバーは視察に来られた皇太子殿下に公使から紹介され、お言葉を掛けられたことは今も強く印象に残って居る。

2004年英国連盟は30周年を迎えた。この時も日本やヨーロッパの国々から多くの仲間が集まって一緒に祝ってくれた。特に日本からは私の地元愛知県から先輩、後輩の先生達が奥様方を伴い参加して頂いた。普段の少林寺拳法の大会では中々機会の無いご婦人同伴の大会でこれまで経験した事の無い素晴らしい記念大会となった。

2007年5月リンネ生誕300周年の式典で、スウェーデン並びにバルト3国を公式訪問された天皇皇后両陛下は同時に英国を訪問された。その時に日本大使館で歓迎のレセプションが催され、私も家内と共に両陛下のレセプションにお招きを頂いた。

2014/08/22

英国少林寺拳法連盟40周年について思う (2)

1974年の9月中頃、後で触れるBKCCから紹介された大学で少林寺拳法部を立ち上げた。 その時日本から先生はじめ10名の先輩や後輩の拳士が応援の為に駆け付けてくれた。大学での入門式では奉納演武から式典まで日本と同様に行う事が出来た。この時に駆け付けてくれた師匠や同門の拳士達の事は今でも鮮明に蘇ってくる。

同年、英国南部の都市ボーンマスで吉田拳士が少林寺の指導を始めたと連絡を受けた。 吉田拳士もスウェーデンを旅行中に、ボーンマスで拳法のクラブを立ち上げた留学生が帰国するに当たり、後を引きついでくれる人を探している事を知った。そのクラブを引き継ぐ事を期に少林寺拳法本部に正式加盟を申請したとの説明だった。その後彼とは協力して英国連盟を発足させることになり、我々は合同で合宿や大会を定期的に始める様になった。

その当時の我々は労働許可証(ビザ)を取得しておらず滞在にも限界があった。 そこで私は当時オリンピック種目以外の武道団体を統括していた空手団体、BKCC(British Karate Control Commission)に相談した。ウイリアム氏はBKCCのコミッショナーとして親切にアドバイスをしてくれた。

空手の統括団体が主催する審査委員会の前で私が少林寺拳法の技を披露し、その結果審査委員会から認められ1975年に労働許可証を取得する事が出来た。ビザの滞在期限で困っていた吉田拳士にもそれを伝え、彼も翌年の審査を受け認められた。1976年に吉田拳士にも労働許可証が下りた事で、我々二人は英国で正式に少林寺拳法の指導員として合法的な足場を得る事となったわけである。

残念ながら吉田拳士は79年ごろ帰国する事になり、その後の指導はボーンマスやその他の支部も私が担当する事となった。1982年には英国において日本以外で初めて本部から指導員が参加して国際講習会が催された。現在とは異なり少林寺拳法がヨーロッパでは未だ支部の数も少なく、その時参加した国はイギリスとフランスだけだったように記憶している。

その頃を境にWSKOもより積極的に海外での指導に係るようになった。同時に当時BSKAと呼んでいた我々の組織もBSKFと変更した。理由は国の組織は連盟と呼ばれるようになり、英国においても英国少林寺拳法協会(Association)と名乗っていたものを英国少林寺拳法連盟(Federation)と変えた訳である。

1980年代は少林寺拳法が世界に発展し始めた時期でもある。 開祖亡き後、当初は色々なところで組織の分裂がささやかれてはいたが、指導者の結束はより強くなった様に感じられた。 この頃を境として私の活動範囲も海外が増え始め、北はスカンジナビアのスウェーデンやフィンランドから、ヨーロッパで活動するほとんどの国へ出かける様になった。 86年に起きたエチオピアの食糧危機をきっかけとしてアフリカの国々とも連絡が取れるようになり、この頃からアフリカへも指導に出かける事になっていった。

日本とアフリカはヨーロッパの国ほどアフリカ諸国とのつながりは大きくは無い。それは過去にアフリカ植民地国家の宗主国がヨーロッパに多く、その様な関係からアフリカ諸国が独立を果たした現在でも、国としての係りは日本に比べれば非常に大きいと言わざるを得ない。86年に初めてアフリカ大陸の大地を踏んだことが切っ掛けとなり、その後94年にはアフリカでの少林寺拳法普及の為に本部から正式に資格を持った指導員が派遣される運びとなった。

おそらく私はWSKO指導員の中で最も多くアフリカ講習会に行った事になる。 経済的には厳しい環境に置かれたアフリカの拳士達であるが、誇り高く成長して行って欲しいと願っている。

2014/08/15

英国少林寺拳法連盟40周年について思う (1)

今年は私がこの地ロンドンに少林寺拳法を紹介して40年になる。一口に40周年とは言え長くも有り、又振り返れば短くも感じられる。同時に良く続けてこられたものだと自分でも思う。当たり前の事ではあるが、ここに至るまでの自分や周りには色々な出来事があった。 40周年を期にこれまでの経緯を振り返ってみる事にした。

今から50年程前、高校生だった時に少林寺拳法との出会いがあった。同級生が始めていた事がきっかけで、彼が見せてくれた1冊の本『秘伝少林寺拳法』が少林寺拳法に入門するきっかけだった。

その本を借りて一日で読み終えた、後にも先にもこれ程真剣に短時間で読み終えた本の記憶は他にない、かなりのインパクトが開祖の本にはあった事になる。この本がきっかけで少林寺拳法に入門した訳であるが、当時は入門に当たっては自分がやりたいから入門したいと言うだけでは許されず、誰かメンバー拳士の紹介が必要だった。

この様に入門一つをとっても現在の基準からすれば随分と厳しい規定があった。にもかかわらず自分と同時に入門式に臨んだ者は20名を超えていた。ひと月の入門者が20名を超えた事は度々記憶しているが今から思えば隔世の時代であったと言える。

当時はまだ名古屋に道院が2か所しかなかった事も大きな要因だったと思う。少林寺拳法が最初に拡大期を迎えた時期で、その後の発展には目を見張るものがあった。 多くの道場が次々に活動を始め、自分も何時か少林寺拳法を指導できるようになりたいと思うようになっていた。

その様な環境の中で学生時代の一時期、愛知県内のある道場を先生の代行として任され指導する経験を得た。 今にして思えば元気なだけが取柄で未熟な指導者だったと思う。しかしこの経験がやがて海外で少林寺拳法の指導者を夢見る大きなきっかけとなった事は事実である。

大学を卒業後3年程働いてはいたが少林寺拳法との繋がりは切れなかった。

1974年の1月、25歳の私はロンドンに向かって旅に出た。横浜から船で当時はソ連のナホトカに向かった、そこからモスクワまで汽車の旅である。ロンドンへ着くのに10日以上も掛かったが、当時の貧乏旅行者の多くは同じルートで多くの若者達がヨーロッパにやってきた。

私にとってロンドンは全くの未開の地であった。『少林寺拳法の指導者になる』と言っても全くあてがある訳では無い。言葉は全く通じなかったが、しばらくはこの地の事を知ろうと毎日歩き回っていた。

ある日、空手の道場に顔を出した時に少林寺拳法を教えている日本人が居ると耳にした。会って話を聞きたいと道場を尋ねたが残念ながら会う事は出来なかった。何度か訪ねたがすでに帰国したらしいとの事であった。おそらく短期の滞在者で学生だったのであろう、この様な拳士がロンドン以外にも居た事は後に分かった。

2014/07/04

開祖のビジネスモデルはいつまで続く

どこの世界にもビジネスモデルは存在する。少林寺拳法の世界であっては、開祖宗道臣の説いた言葉(教え)が大きな指標である。
しかしながら時代の変化に伴い社会環境が大きく変わり、人々の生活も戦後に開祖が少林寺拳法を開いた当時とは様変わりしている。
Paradigm shift(概念的枠組みの変化)を無視して、今現在も発足当時と同じビジネスモデルを踏襲しているとすれば、現代を生きる人々に受け入れられる事は難しいと言わざるを得ない。

それは少林寺拳法の掲げる哲学の事を言っているのではない。哲学は変える必要は無いであろう、しかしながら戦後の何も無い時代と、今日の豊かで物のあふれた時代では人々が求めるものも当然の事ながら変化しているのではないか。


これ等の検証をする事も無く、自分達の価値観を一方的に押し付けて居ても人々の理解は得られない様な気がする。パソコンや携帯電話は言うに及ばず、電化製品から車に至るまで物があふれ返る現代であれば、人々の価値観(考え方)が70年近くも前の、戦後当時と変わらない事の方が不自然であろう。

2014/05/24

愛国心(Patriotism)と国粋主義(Nationalism)

良く似た意味を持つ言葉であるが、その意味するところは大きく異なる。

愛国心 Patriotismはそれほど抵抗なく受容できる言葉である。何処の国に生まれようと、又どの国に強く思い入れを感じようと人から非難される事は無い。 しかしながら国粋主義Nationalismは同じような意味合いを持っては居ても、受け入れる事がなかなか難しい言葉である。

一見同様に見える言葉ではあっても、両者は根本的に全く異なった意味合いを持って居る。愛国心は、自分の生まれた国や住んで居る国を愛する気持だ。そこには同時に他者(他国の人が同様に国を思う心)に対する理解も存在する。他方、国粋主義の根底には、自分達の国以外を認めない(他者を見下す)差別的な視線が含まれている。 

日本国内で行われているヘイトスピーチも、このところメディアを通じて海外で生活していても聞こえてくるようになった。残念ながらこれも愛国心と言うよりはナショナリズムといった方が正確であろう。

2014/05/02

何処へ向かうか少林寺丸

最近日本の友人達から少林寺拳法の道院運営に対する不満をよく耳にする様になった。現在の自分は日本の組織を離れた(除名された)身分であるから、その分意見を言いやすいのかも知れないが、事の発端はこの4月から始まった組織改革である。

少林寺拳法が誕生して60年以上が過ぎた。大きな発展を遂げた少林寺拳法の組織ではあるが、どうもこのところ組織が目指している方向性が見えなくなっている様に感じる。この4月から、道院運営に関して組織改革と呼ばれる新体制が導入され、宗教法人である以上、公共施設は使ってはならないという通達があったのだ。このため閉鎖に追い込まれた道院が幾つも有ると聞いた。

少林寺拳法という組織は、公私にわたって利益を度外視した各道院長の情熱で発展し、現在までそれが維持されてきた。と言っても決して過言ではあるまい。その最大の功労者に対して 「公共施設で宗教活動は出来ない。許可が取れなければ閉鎖しなさい」 では、あまりにも一方的である。道院長や拳士の個別の事情を無視した組織改革だと言わねばならない。

有名な言葉を思いだした。「国家は国民の利益の為に存在する、国家の利益の為に国民が存在するのではない!」 誰の言葉かは忘れたが、真理であろう。

これを参考にすれば「組織はそれを構成する会員の利益(利便)の為にのみ存在するが、会員は組織の利益の為に存在するのではない」と言う事もできる。これもまた真理と言えまいか。組織と会員の立場が逆転すると『カルト団体』と言われても仕方がない。

2014/04/25

冤罪事件は何故無くならないのか

先日トップニュースで、死刑が確定していた袴田巌さんの再審が認められ、釈放されるとの報道があった。 このニュースは日本国内のみならず英国でもBBCが取り上げて話題となった。

日本における冤罪事件が、以前より多く明るみに出る様になった事は積極的に評価できるが、一方でこれ程多くの冤罪事件が次から次に明るみに出てくる事で浮き彫りになってきたのは、以前の警察や検察の捜査や調書の取り方に、多くの問題があったという事ではないか。

日本はこれまで法治国家として犯罪に対する検挙率が高い事で知られていた。同時に検挙された被告に対して、裁判所での判断は、概ね警察や検察が描いた結果が判決として言い渡される事が多かった様に思う。 

2014/04/12

二重基準(ダブルスタンダード)

現代社会においてダブルスタンダードは、軽蔑の対象となるばかりではなく、信頼の失墜や反論の根拠となる事は言うまでもない。しかしながら注意深く観察すると諸々の分野で二重基準がいかに多く使われているかに驚かされる。

政治の世界はダブルスタンダードのオンパレードと言っても良いくらいだ。日本ばかりでなく、世界を見渡せば二重基準はいたるところで見受けられる。 本来であれば二重基準(この場合二枚舌と言うべきか)を最も戒めなければならない立場の政治家が、先進国から途上国までこの分野(政治の世界)では、厚顔無恥な輩が多い事は残念ながら事実かも知れない。

最近も日本のある政治家が、8億円もの入金について追及を受けていた。確か同じ人物が前都知事の献金や民主党政権時には、党首や幹部の献金では随分威勢よく追及していた事を記憶している。しかし事が自身の問題になると途端にトーンが変わってしまう、これでは国民から見限られても文句は言えないであろう。

2014/03/20

世界で一つの少林寺拳法 その2

前回の報告では世界で一つの少林寺拳法と題して所見を述べたが、少林寺拳法が『一般名称』として認知された事は、確かに我々英国連盟にとって喜ばしい事には違いないが、果たしてその事のみをとらえて全てが満足できるか?と言う現実に立ち返って考えてみたい。

武道の世界を見渡せば分かる様に、空手や柔術と言った団体には様々なグループが存在している。これはそれらの武道が『一般名称』として認知されて久しい事にも起因するが、少林寺拳法にも将来的に考えれば同様な問題が発生しないとは言い切れない。

日本国内の空手団体を見渡しても、伝統空手のグループからフルコン系の団体まで数えればきりがない。中にはもともと少林寺拳法をやって居たグループも含まれている。空手を名乗る理由は少林寺拳法と名乗る事により英国連盟と同様名称問題で訴えられる事を恐れた結果であると充分に考えられる。又同時に空手といわれる武道が個々の名称問題にあまり関心が無く、比較的おおらかに新しいグループも吸収していった事が主な理由かもしれない。

今一つ気になる事を柔術を例に挙げて考えてみたい、英国には日本を起源とする柔術以外に、諸々の格闘技を寄せ集めた『Jujitu(じゅうじつ)』と呼ばれるグループが数多く存在している。 彼らは日本から伝わった様に演出する事には熱心だが、真の武道と言うものを全く理解していない事が様々な機会に散見される。 

2014/03/13

世界で一つの少林寺拳法とは

永らくこのブログから離れてしまったが、これを機会に又再開したいと思う。

ほぼ2年間に亘り投稿しなかった事には諸々の事情が有った。最も大きな理由は、英国少林寺拳法連盟の名称登録をめぐって、少林寺拳法ユニティとの間で生じた係争である。

経緯を簡単に述べるならば、話は今から5年前にさかのぼる。WSKO理事会に出席の為、2008年の12月に訪日した私に対して、渡航費の請求が不当にあたるとして理事会で糾弾される事となった。

私の解釈と本部の解釈とが異なった事が主な原因だったが、「もし組織に迷惑が及ぶと言うのであれば、WSKOの理事並びに指導員を辞任してお詫びをしたい」と申し出たため、いったん事態は収束に向かったはずだった。

しかし、翌年1月になるとWSKO本部から、「水野は謹慎処分中の身であるためBSKFのいかなる行事に出席する事も許されない」と全支部長に通達があった。 「あれ、まったく話が違うな」と思ったが指導員辞任を受け入れた訳だから仕方ないと判断し、2009年には講習会や会合には一切参加しなかった。

そんな中、2010年に英国連盟は新しい連盟規約の更新に踏み切った。その時点でのWSKO本部との確認事項は、連盟内で民主的に採択された新規約はWSKOも尊重するというものであった。 ところが新規約への更新には、WSKOの事前承認が必要という連絡が入ったため、英国連盟支部長会は俄然反発を強めた。

彼等英国人の認識では、国の法律に反しない限り、自分達の組織(BSKF)の規約においては英国法が当然の事ながら優先されるべきであり、それに反していない以上、民主的過程を経て採択された新規約は、当然の事ながらWSKOでも追認されると信じていたからである。

以上の経緯から、新規約を認めないとするWSKOとの軋轢は益々大きくなり、2010年3月3日、とうとうBSKFはWSKOから会員資格(国の連盟として)を剥奪されてしまう事態に至り、私も同時に除名処分を受けた。