2014/04/25

冤罪事件は何故無くならないのか

先日トップニュースで、死刑が確定していた袴田巌さんの再審が認められ、釈放されるとの報道があった。 このニュースは日本国内のみならず英国でもBBCが取り上げて話題となった。

日本における冤罪事件が、以前より多く明るみに出る様になった事は積極的に評価できるが、一方でこれ程多くの冤罪事件が次から次に明るみに出てくる事で浮き彫りになってきたのは、以前の警察や検察の捜査や調書の取り方に、多くの問題があったという事ではないか。

日本はこれまで法治国家として犯罪に対する検挙率が高い事で知られていた。同時に検挙された被告に対して、裁判所での判断は、概ね警察や検察が描いた結果が判決として言い渡される事が多かった様に思う。 

只残念な事にこれまでに起きた日本での冤罪事件を見ると、裁判においてもまだ自白や状況証拠にのみ頼っているケースが少なからず存在する事が分かる。今回の袴田事件でも、裁判所が「証拠も捏造されたおそれがある」とまで言っている事を考え合わせれば、状況証拠や自白にのみに頼ると言った前時代的な方法に依るのではなく、物的証拠や科学的に証明し得る証拠を如何に積み上げるかが当然の事ながら大切な要件となる。

証拠の一つとされた衣類に付着した血痕は、最新の科学捜査によるDNA鑑定では、犯人とされる人物のものであり、袴田さんの血痕ではなかった。裁判所はこの点に関し証拠捏造の可能性を指摘し、その結果袴田さんが釈放されると言う流れに至った事は重要な結果だと思う。

90年代の足利事件を始めとして、数え上げたらきりがない程、冤罪の可能性が否定できない事件が存在している。最近では、木村厚子さんが郵政不正事件に関わったとされた事件で、結果的には大阪地検特捜部の証拠改ざんが白日の下に曝されて、世間を驚かせたばかりである。この様に絶対あってはならないはずの不正義が警察や検察によって捏造される事を考えると恐ろしくなる。

長年弁護士会から求められてきた、取り調べの全面可視化も警察当局が色々な理屈を付けているために、いまだに実現していない。万が一自分の身に同様な冤罪事件が降りかかった事を想像すれば、他人事で済まされるはずは無い。これほど多くの冤罪事件が現実に起きて居る事を考えれば、取り調べ方法も含め何とかしなければならない事は、だれの目にも明らかだろう。

日本以外にもこの様な冤罪事件は存在している。アメリカでも過去には多くの冤罪事件があった事は知られている。何処の国でも起こり得るこの問題を我々はどの様に回避していくのか、真剣に論じる時にきているのではないか。 最新の科学技術による証拠の検証は勿論大切である。同時に重要犯罪であればより一層慎重に取り扱う必要がある。

日本の報道に覚える違和感の一つに、事件へのマスメディアの対応が挙げられる。真相を伝えるニュース番組以外においても、ストーリーを勝手に演出してワイドショーやお笑いのネタにしてしまっている事がある。又それらの話題に乗り遅れまいとする人達の心理に巧みに付け込んで、情報のリークが意図的に行われているとすれば、大衆の洗脳などはたやすい事であろう。もし、その様な思い込みを持った人達が裁判員となって審議に加わる事態が生じたら、マスメディアの責任も当然の事ながら追及されなければならない。

一方的な情報の垂れ流しのみならず、その出処も明かす必要が無い形での情報リークが横行している現状を鑑みるに、警察や検察のみならず官僚や社会的強者の情報操作が今後なくなるとは考えにくい。これでは冤罪事件がなくなると言う事自体、妄想の様にも感じられてしまう。

権力側が一方的に管理する情報には、我々は十分注意して対処する必要がある。これはなにも政治や殺人事件に限った事ばかりでは無い。何処の社会にも存在する問題なのであろう。 

少林寺拳法の世界でも冤罪を創り上げられたと主張する記事がインターネットで紹介されている事を考えれば、自分達が信じる情報を様々な角度から見つめ直してみる事で、これまでとは違った事実が見えてくるのかも知れない。 これこそが冤罪事件を無くして行ける一つの要因ではないかと考えるがどうであろう。

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