2007/11/19

英語の読み方は難しい

英語表記の中で読み方が未だに難しいと感じるのは地名である。

外国人、特にアルファベットを母国語に含まない国民にとって名前や地名は本当に複雑なルールがあるようだ。確かに日本語でも漢字文化で教育を受けている小生にも名前や地名には難しくて読めないものはある。こう考えると、どこの国でも人名、地名は無理やり付けた読み方が定着したと言えるかもしれない。

ロンドンに来た当初住んでいたフラットの近くにGloucester Road(グロスター ロード)と言うのがあるのだが、どうしてもグロセスター ロードと読んでいた。また別の駅でFulham Broadway(フラム ブロードウェー)というのも、どうしてもフルハム ブロードウェーと呼びたくなる。その他にもHampstead(ハムステッド)やEuston(ユーストン)など簡単そうで、その実なかなか難しい。

あるとき日本人の友人が「エドガワ ロード」と言うので何所かナァと詳しく聞いてみるとEdgware Road(エッジウェアー ロード)の事だった。確かにエドガワと読みたくなるのも分かるが...地名や駅名の読み方は30年以上過ぎた今でも正直苦労する。 それはおそらく学校教育をこの地で受けていないからであろう。ある種のルールがあるのであろうが日本でいい加減な勉強しかしてこなかった報いがこの様な形で現れるものなのであろう。

このところ会話には余り不自由する事は無くなったがそれでも苦労する事は、人によって大きく異なるアクセントの癖と方言だ。初めてグラスゴー大学に講習会で行ったときは8割くらいの会話が理解できなかった。その後何回も行くうちに少しづつ独特のアクセントも理解できるようになってきた。何よりもグラスゴー出身の大学OB拳士が小生の支部に転籍して来てから大いにその癖のある訛りにもやっと聞き取れるようになってきた。

日本でも地方により方言や訛りが強い地域があるが、グラスゴーも地域の言葉(アクセント)に強いプライドを持って居るのかもしれない。しかしその独特のアクセントを初めて耳にする外国人が聞き取りに苦労する事は言うまでもない。

英語の発音で耳学から入った自分は時としてTVや映画でアメリカ物を見ると相変わらず聞き取りに苦労する。幸いにして、ホリウッドの映画はそれ程ストーリが複雑ではないため大方の会話や成り行きは映像で理解は出来るが、瞬間的な言い回しが英国のそれと異なった発音の時には理会出来ないときもある。

ヨーロッパで英語に非常に強い国はオランダやスウェーデンが筆頭であろう。オランダ人の話す英語は普通に聞き流していると英国人の会話と区別がつかないほどだ。スウェーデンはどちらかと言うとアメリカン アクセントの方が近いのではないかと思うが、子供から年配者まで実に流暢に英語を話す。その点フランス人やイタリア人、スペイン人の人達の英語には少なからず癖がある。その多くはすぐ何処の国か分るほどに違っている。フランス人の話す英語とイタリア人の英語では聞き間違える事は少ない、もちろん両方とも完璧な発音が出来る人達も居るので例外は付き物だが比較的分りやすいと思う。

それは我々日本人が話す英語も他の国の人にとっては同じであろう。中国人の話す英語と同じ東洋人でも日本人の英語では少し癖がでる。それは母国語のアクセントが大きく影響しているからであろう。これは何処の国でも言える事なのでとりたてて問題にするほどのことでもないと思う。

母国語にアルファベットを使っている国でも英語の読み方は難しいらしい。我々日本人に比較的容易に発音できたり、読む事がローマ字読みに近いスペイン語やイタリア語等は、逆に英国人には難しいようだ。前にも別の項で書いたと思うがどうしても自分達(母国語)の読み方や発音の仕方(癖)が出るからだろう。同じアルファベット表記でも英語とフランス語、イタリア語ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、ギリシャ語などなど全く違った言い回しや表記になる事は珍しくは無い。そんな事が何処の国の言葉でも一筋縄では習得できない難しさではないのだろうか。

2007/11/11

イメージ重視

日本人の外国に対する何らかのイメージが存在することを時々認識することがある。

それは日本で発刊されている本の内容や、外国を紹介するTV番組の映像なども限られた情報を発信していることに気がついたからである。

例えばイギリスの事を紹介した本ではそのほとんどに礼賛本が多く、現実の姿をかなり誇張した部分的なことをステレオタイプのイメージで事実よりも良く紹介する例が多いからである。

それらの著者は日本人でしかもイギリスをよく知っていると自画自賛している人達である。そして極端な例で日本と英国を比較して日本を揶揄したり、英国を礼賛したりと言ったことをよく見かける。英国人が自国の事に誇りを持って良く紹介することは理解できる。しかしながら日本人が薄っぺらな知識で単純に特定の現象や例外的な事柄をとらえ、いかにもその事をして英国が素晴らしく、日本は未熟な社会であるなどと言う決め付けは読んでいても片腹痛い。

『バカも休み休み言え』と小生等は思ってしまう。

しかしよくよく考えてみると英国通を自認する人達がなぜその様な陳腐な英国礼賛を繰り返し書くのであろう。これは日本人の中にこの様な内容の本を好む人達が多いからではないだろうか。別の言い方をすれば正直(正確)な現実だけを取り上げて書いても誰も喜ばないし、そのような本は売れないからであろう。ちょっと落ち着いて考えればどこの国にも日の当る部分と日陰の部分がある事はすぐに分かるはずである。

しかしこれらの本を買って読もうという人にはファンタジー(幻想)の世界を期待して居る人達が多いようで、現実をそのまま紹介したものや日本と共通する問題などには興味が無いのではないかと思われる。

TVでの取り上げ方も本とよく似ている、まず映像として美しいものや珍しいものに偏ることはある程度理解できるが、現実の世界には世界中どこの国でも影の部分は存在する。政治的に関係が上手くいっていない国の取り上げ方を見ればより見えてくると思うが、日本のマスメディアで取り上げられる北朝鮮の映像や情報には否定的な表現が多い。これはメディアにしても国民の感情やテイストを無視することが出来ない為であろう、特に民放等はこの様な傾向がより強く出ることが度々感じられる。

では公共放送を謳うNHKはどうかと言えばドキュメンタリー番組などでは中々見ごたえのある番組にも出会うこともあるが、全体的な印象はやっぱり大多数の日本人の趣向に合わせた番組作りをしていることには変わりない。また英国でも同じ立場となるBBCと比較すると世界に発信する情報のプレゼンス(存在感)に大きな差がある事は残念ながら認めなければならない。

NHKに言わせれば『お金の掛け方が違う』と言うかもしれない。確かに英国では公共放送に対する受信料拒否は許されていない。

不払いが発覚すれば有無を言わせず自動的に罰金となるから徴収漏れは日本より少ないかもしれないが、それだけで番組に対する信頼が上がるとは思われない。日本のメディアが民法そして公共放送を問わず日本人の趣向に合った番組作りをしている以上海外で多くの信頼(支持)を得ることは中々難しい事ではないか。

現在の日本のTV番組の中で世界中に圧倒的なプレゼンスを持っているものが有るとすればそれはアニメーションではないか。

これは世界でもっとも進んだ制作技術を持っており、且つ又日本人が得意とするファンタジーの世界を扱っているからだと思う。

優れた漫画家や製作者が世界でも最も多い国が日本であることは世界中が認めている。しかし残念なことに世界が認めたアニメーション技術の素晴らしさや、世界中に進出しているこれらの作家やプロダクションの日本国内での認識度は今一つ低いのではないか?

日本がいち早くこの分野で成功を収めたプロダクションも現在ではアメリカのウォルト ディズニー社が筆頭株主である。その優れた作品が生み出す巨額の利益を世界で娯楽をビジネスにする巨大企業ウォルト ディズニーが見逃すはずがない。

ここにも日本の社会が持つ自分達の文化に対する認識度が外国よりも低い事が分かるのではないか、外国企業に乗っ取られる前に先に日本国内からこれらの優れたアニメーション作品を認める風潮がおきなかった事を残念に思うのは小生だけだろうか?

アニメーションの趣向も確かにアメリカと日本では異なる。アニメの中で歌や踊りが必ず登場するディズニー作品とストーリー重視の宮崎駿氏の作品には、アメリカ人と日本人のアニメーションに対するテイストの差が見て取れるが、この差こそが実は日本アニメのアイデンティティー(身分証明)なのではないか。外国から認められなければ本物では無いと多くの日本人が考えているとしたら書籍やメディアに限ったことではなく永久に日本人のアイデンティティーは世界で認められる事は無いと思う。