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2019/08/13

手軽に楽しめるYoutube、見る側が試される訳!

昨今の時代変化の一つにYoutuberが挙げられるかもしれない。映像を自分から発信して趣味の世界からプロの仕事まであらゆる映像を見ることが出来る。もちろん少林寺拳法の映像も沢山出て来るが、他のジャンルと同じで質の良いものからひどい内容のものまで千差万別の感がある。と言う事はどのジャンルでも見る側の知識(知恵)が必要であることは言うまでもない。

先の参議院選挙の時も実に多くの面白い映像が出ていた。それらの中にはこれまでの選挙ではありえなかった様なアジェンダ(公約)やキャッチコピーが出てきて、過去の選挙では見られなかった様な人達の活躍が目を引いた。NHKだけを標的としたアピールや、元号を幕末の新選組と組み合わせた名称など有権者に分かりやすい(選択しやすい)アジェンダを主張する事には、これまでにない新しい政治の動きが感じられた。これらの人達に共通する新しいアピールにYoutubeが大きな役割を果たした事は言うまでもない。

料理の映像も沢山ある。確かに鮮やかに料理をする映像にはいかにも旨そうな印象を受けるが、その出来上がった料理がどの様な評価を受けるのかは定かではない。見事に魚を捌く板前から寿司職人、そして和食、中華、洋食そしてストリートフードの様なあらゆるジャンルの露店料理まで、世界中の食文化の一片をそれらの中に見る事が出来る。ただ確かに見た目には旨そうでは有っても実際の味は食べてみるまでは定かではない事も確かである。

武道のYoutubeについても非常に興味深いものが沢山ある。日本ばかりではなく世界中の格闘技からボクシングや武道まで、あらゆる格闘技の映像が楽しめる。ただ先にも書いたようにこの分野も例外では無くひどいものが沢山ある。私は他の武道の事を評価するつもりは無いが、少林寺拳法の動画には指導者の一人として厳しい評価もしなければならないと考える。特に酷いと思うものは技の名称とやっている技がマッチしないものや、技術的観点からも、おそらく自身の弟子以外には通用しないであろうと思われる映像が度々あるのも事実である。日本以外の国の指導者が指導(説明)している技と名称が異なる事はある程度理解は出来るが、それでもそれらの間違った情報を元に指導を受けた拳士が世界で広まっていく事を考えると、簡単に諦めて良い問題ではないように思える。

諸々の分野の情報が簡単に手に入るYoutubeであればこそ、楽しむ側の知識とそれらの内容を吟味できる眼力が試されているのかもしれない。今Youtubeが面白い!

2019/08/06

最強の日本ウイスキー

最近のウイスキーはどれも旨いと感じるものが多い。特に日本のウイスキーがこのところ注目を集めて居るようである。以前のNHK連ドラでマッサンと言うのがあった、それがブームの火付け役かも知れないが、ともかく日本製ウイスキーが最近とても高額になり入手が困難な状態になりつつある。

なぜその様に日本のウイスキーが高騰しているのか?と言えば何もマッサンばかりが影響しているとは思えない。ウイスキーやブランデーの様な蒸留酒には何年もの時間が必要であることは知られている事実だ。しかしながら何らかのきっかけである銘柄のウイスキーが予想以上に沢山売れた事により、そのウイスキーを短時間で作る事が出来ないことが主な原因だと想像される。

近年ヨーロッパの名だたるウイスキーのコンテストで日本のウイスキーが優勝するなど良い成績を収めた事により、それ以前にはあまり注目をされることもなかった日本産ウイスキーが一躍世界中から注目されることになった事も原因ではないかと思う。

言うまでもなくウイスキーの産地はスコットランドやアイルランド、そしてアメリカではバーボンがありカナディアンも有名である。そこから作り出されるシングルモルトやブレンデッドのウイスキーはこれまでも大きな評価を得てきた。

以前の日本産ウイスキーは世界中でそれ程大きな評価は受けてこなかった様に思う。ところが近年の有名なウイスキーコンテストで高評価を受けた大きな要因には、ブラインドテスト(銘柄を明かさないテースティング)による優勝が挙げられる。我々が成人したころの日本産ウイスキーは評価も非常に低かった。スコットランドの無名な蒸留所のウイスキーを輸入して日本で造られた新酒とブレンデッドのウイスキーを作ったりしていた事もあった。それが全部悪いと言っている訳ではない、そこから学ぶ事も多かったと思う。

多くのスコッチウイスキーは結構個性が強い特徴があり、それがまた愛好家に支持される所以なのかもしれない。スコッチウイスキーはシングルモルトがその代表格だと思う。ハイランドやローランドモルトなどと呼ばれ、それらの蒸留所の場所からくる個性を特徴としている。

又は○○アイル等の島で生産されるウイスキーは結構強いスモーキーなフレーバーを特徴としているものが沢山ある。日本人の好みとはおそらく逆のテイストではないかと思うが、なんでもマッサンの主人公はスコッチのスモーキーなフレーバーにもこだわりが有ったとストーリーの中で紹介されていた記憶がある。そのこだわりから見つけた北海道の余市と言う場所がスコットランドの環境に似ていた事がその後のウイスキー生産に繋がったと言う事らしい。

偉そうに講釈を申し述べるほど小生にウイスキーの知識は無い。しかしながら今日世界が認めた日本産ウイスキーが次々に販売が中止になったり、プレミアの付いたウイスキーがとんでもない値段で取引されると言う現象には全く残念としか言いようが無い。 せっかく世界で評価された日本のウイスキーは買い占めなんぞしないで欲しい。それでなければこの様な時流(日本のウイスキーがもてはやされる)も一過性で終わる様な事も十分に考えられるのではないか。

最近ではロンドンのスーパーでウイスキーが並ぶ棚には日本産ウイスキーの銘柄も散見する。20年前では考える事も出来なかったことだ。世界を席巻する昨今の日本産ウイスキーが、将来的にも世界中から末永く愛され続けて欲しいと願うものである。これ等日本産ウイスキーもこだわりが生んだ日本の名産品として、オリジンを超える評価を後世に残して欲しいと願うばかりである。単なる呑兵衛の与太話にお付き合いいただき恐悦です。

2019/07/25

個々の嗜好を大切にしよう

人の嗜好には理由の付けられない(分からない)ものが数多く存在する。もちろん理論的に説明の付くものも有るが、そうでないものの方が多い。音楽や芸術等の世界においては特に個人的な嗜好(好き嫌い)が理由もなく存在することを認識したことがある。

音楽を例にとれば自分に合ったリズム(波長)などがあるのかもしれない。音楽のジャンルによっては聞く方の特徴も明らかに異なる光景を見る事が出来る。クラッシック音楽の場合には観客は静かに演奏を聴くことが普通である。立ち上がったり演奏中に拍手をしたりと言うようなコンサートにはあまりお目にかかった事は無い。

逆にポップスやロックコンサートでは観客が立ち上がり両手を挙げて体ごと自分達も楽しんで居ることを演奏者と一緒に共演している様な場面がある。同じようなコンサートでもジャズのライブコンサートではクラッシックコンサートと同様イスにかけて聞く場合が多いが、一つ異なっている特徴?は多くの観客はリズムに合わせ体をゆすったり、時々は『ヤァー、イエー』等と声を発したりしている光景も見かける。

絵画や味覚も人の好みとは実に様々な嗜好が存在している事は認識されて居る。では何故異なった好き嫌いが出るのであろうか?もしかするとこれらの異なった嗜好が、人類(ホモサピエンス)が他の生き物などよりもより高度な文化や種の発展に繋がって行ったのかも知れない。他の動物で人の様に個々の嗜好が異なる生き物が居るのか分からないが、好みの多様性はおそらくそれぞれの感性に合うものを見つけたり、追及した結果が今日の発展に繋がったのではないかと勝手に想像している。

そんな事を思うと異なる嗜好や趣味が実は我々にも大変重要な意味があるように感じられてならない。多様性のあるものの方が柔軟でより多くの可能性を生み出してきたのではないか?人々がすべて同じ方向を求め、そうでない者を排除しようとするならばその様な社会や国は早晩衰退するか滅びるのではないだろうか。

殆どの人は自由を尊び、その様な環境の中で自身に最も合った(好きな)ものを選び発展させてきたのではないか。そう考えると趣味や味覚、感覚等々自分達の好み(感性)に合ったものを見つけより深く追及することが、さらに物事を高い段階に導いてくれるような気がする。

スポーツも武道も絵画などの芸術や味覚なども個々の感性を大切にしたい、その様な中で自分が一番好きで納得できることをより深く追求していく事が、より大きな集大成として残っていくのだと思う。万物の霊長と言われる人類に与えられた一番の強みとは、この様な個々の違いこそが貴重な資源ではないだろうか。

もしそうであれば、より拳法にこだわりたい!柔法が好きな人は柔法に、剛法が好きな人は剛法に、圧法が好きな人は圧法に、錫杖が好きならば錫杖に、幸いなことに少林寺拳法には多くの選択肢がある。これは強みでも有るが単純に強みとなるのかどうかは、それにこだわって人より深くそれぞれの技を追及していけるのかどうかに係わっている。

ならば追求しよう、我々の先輩に続こうではないか、少林寺拳法の偉大な先生達に少しでも近づく為に!スペシャリストと言われる様な存在になれば、武道の種類を問わず強みと認識される事であろう。

2019/06/06

この強さは何だ!信じ難いボクシングKO劇

井上尚弥と言う稀代まれなボクサーが活躍している。

つい先日はグラスゴーで行われたWBSSの準決勝で、モンスターNaoya Inoueとのキャッチフレーズで紹介され注目していた。その試合は井上と言うボクサーの圧倒的強さを世界中のボクシングファンに強烈に認識させる場となった。井上尚弥 WBA世界チャンピオン 25歳16戦全勝14KO驚くばかりの結果ではないか。

日本は軽量級の世界では多くの世界王者を輩出しているボクシング大国である。しかしながら井上尚弥が見せるその強さは、観るものを感動させる凄さかもしれない。試合後の井上は普通の顔であざ等もほとんど見た事が無い。たった今世界王者戦を戦った選手の顔とはとても想像できない様なきれいな顔なのだ。

日本ボクシングが世界チャンピオンを輩出して久しいが、歴代王者の中にも優れたボクサーは確かに居た。しかし現在の様に多くのボクシング団体が出来てどれが本当の世界王者なのかが良く分からなくなっている。同じ階級の世界チャンピオンが2人も3人も居れば当然の事ではないだろうか。

井上はすでにWBC世界ライトフライ級王者、WBO世界スーパーフライ級王者、現WBA・IBF世界バンタム級王者と言う世界3階級を制覇したチャンピオンである。WBSS(World Boxing Super Series)において井上は準決勝の場においてまざまざとその強さを見せつけた。今や彼は極東の生んだ地味な世界チャンピオンではなく、紛れもなく世界から注目を浴びる最強の存在である。

ボクシングの4団体(WBC、WBA、IBF、WBO)が唯一の世界王者を!と言う理由からスタートしたと聞く。イギリスも過去に数多くの世界王者を輩出して来たボクシング大国である。目の肥えたファンも数多く、グラスゴーで催された今回の準決勝は世界中のボクシングファンの耳目を集めた事は言うまでもない。その本番で見せた今回の2ラウンドKO劇は改めて井上の強さを際立たせる結果となった。

今回対戦したIBF世界チャンピオンのエマヌエル・ロドリゲスも19戦全勝(12KO)と戦績はかなりのものである。そのロドリゲスが僅か2ラウンドでTKO負けをするとは戦前の予想は無かった様に思う。今後の戦いから益々目が離せなくなりそうだ。『岡山のおばーちゃん 大和魂』(ちょっと古いか!)と叫んでいた世界チャンピオンも居たが、次元が異なる強さを見せてくれた。

頑張れ井上尚弥。

2019/05/22

右ハンドルのFordマスタング(アメリカ車)が意味するもの

最近ロンドンにおいて時々「おや!!?」と思ったのは右ハンドルのアメ車を見た時だ。なぜ「おや?」なのかと言えば、アメリカ車ではこれまで右ハンドルというものを見たことが無かったからである。もちろんドイツや英国で生産されたFordやGMの車は、英国で販売される場合においては確かに右ハンドルも普通に存在したが、それらは典型的な欧州車であり比較的小型車が多かったので特段気にも留めなかった。

しかし今日「おや!?」と思った車は典型的なアメリカ車を代表するようなFordのマスタングである。これらはヨーロッパで造られた車では無いのではないか!?と言う事が頭に浮かんだ。もちろんドイツや他のヨーロッパ諸国で造られていても何の不思議もないが。

以前にも述べたと思うが英国では左ハンドルの車は基本的に異端である。大陸から来る輸送トラックや、短期間旅行等で持ち込まれる大陸からの左ハンドル車は確かに時々見かけるが、英国に住むオーナーが左ハンドルの車を所有する事はクラッシックカーかビンテージカーを除けば見る事はまず無い。

単純な理由は日本と同じ交通ルールであれば、左ハンドル車の危険度は当然ながら右ハンドルに比べて高くなることは言うまでもない。保険料なども当然のことながら左ハンドルの車を所有していればかなり高くなる。以前ブガッティ―ヴェイロンの右ハンドルを見て驚いた事を紹介したが、何億円もする車でも右ハンドルは存在することを改めて認識させられた。

不思議な事に日本では現在でも街中で左ハンドルの欧州車に出くわす事が時々有る。 英国と同じ左側通行の国なのになぜ使いずらく、危険度も高い左ハンドルなのであろうか?もっとも最近ではメルセデスやBMW等でも比較的右ハンドルの車種が増えてきたと感じるが。

しかしである、それらの車であってもトップクラスの車種、メルセデスで言えばマイバッハやSクラスのAMG、BMWでも7シリーズなどの車種、はたまたフェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニ等と言った高価格車には相も変わらず左ハンドルが多い気がする。

ロンドンの街中でその様な車はまず見掛ける事は無い。日本では時々見かけるこの様な左ハンドルの車は運転上のリスクのみならず、駐車のつど道路際には寄せられず(ガードレール等でドアが開かない為)当然のことながら道路中央側にせり出して止める羽目になる。他車や自転車乗りには迷惑極まりない。

ではなぜ日本では未だに左ハンドルの車が大手を振ってまかり通っているのであろうか?車のオリジンが左ハンドルの国だったからそのまま受け入れているとは思えない。外車=左ハンドルと言う認識が高いせいか?

確かにヨーロッパのほとんどの国は左ハンドルであることは事実である。オリジナリティを壊したくないので不都合を受け入れている?その様な事を言う人達も居る。車のオリジナルのデザインが左ハンドルで設計されている為、右ハンドルに変えた車ではアクセルやブレーキペダルの位置が変わり、運転しづらいと言う意見もあった。だがそれが事実であったとすれば日本車がアメリカをはじめ左ハンドルの欧州諸国でこれ程までに支持されると言う事は説明できないと思う。

以前東京で左ハンドルのロールスやジャグアそしてMiniを見た事が有る、これらは何を意味するのであろうか?言うまでもなくロールスもジャグアもミニクーパーも英国オリジンの車であり右ハンドルのはずである。

人と異なる車(外車)に乗っている事をアピールする為には、左ハンドルの方が良いと思っているオーナーが多い事が本当の理由ではないのか? 最近でこそポルシェの右ハンドル車も時折見かけることがあるが、それでも少数派でしかない。

この様な現象をCar Graphicの初代編集長 小林彰太郎氏に質問した記者がいた、氏は間接的に否定的な意見を述べていた。言われてみれば外車を中心に編集されていたCar Graphicであれば、その広告の多くを外車の輸入元が占めていた事からも直接的な否定は難しかった事であろう。しかしその時の氏の返事は『言うまでもなく日本で左ハンドルの車を運転する事は危険なだけでは無く不都合な事が多い』と言うような内容であった。直接的な外車とそのオーナーの批判を避けたい事は雑誌の営業上の理由からも十分理解できた。

1960年代当時から英国や欧州各地でサーキット走行のみならず街中でも実際にハンドルを握り、テスト走行をされた経験が日本で左ハンドルの車を運転することが如何に無益な事かを肌で感じていたであろうことは容易に想像がつく。

その様に考えてみると日本の路上を走る外車(この場合は左ハンドル車)のオーナーはプライドと差別意識の中で、あえて不都合な部分には目をつぶっている事が考えられる。別の見方をすれば根底には相も変わらず外国車に対するコンプレックスがあるのか?と邪推したくもなる。日本の車が世界中で多くの賞賛と信頼を得て、世界で最も多くの車を生産する国の代表格でもある日本において相変わらず外車(左ハンドル車コンプレックス)と言うのでは余りにも情けないではないか。

ロンドンを走るマスタングにBritishはアメリカ車にも右ハンドルを要求している事が新鮮だった。アメリカとの貿易摩擦で日本車がそのやり玉に挙げられてはいるが、貿易不均衡を日本政府に言う前に、ではなぜアメリカで生産された車が日本で売れないのか?『もっと日本人の要求に合う車を作るべきだ!』と主張してみてはどうだろうか、その一つが『右ハンドルの車を生産しなさい』日本はアメリカや欧州のみならず輸出する国の実情に合わせて生産している事をMr.トランプにもはっきりと伝えた方が良いのではないかと想像したが、それでも中々売れないだろうなぁアメ車・・・それ(外車)を買う人達が左ハンドル車を有難がっているのが実情であれば。

2015/04/28

タマ 今年9歳です

タマ1歳
タマ1歳
我が家で飼っている『タマ』、ジャックラッセルの♀は4月で9歳と4か月になった。相変わらず元気で病気や怪我もなく飼い主孝行の犬である。タマの名前の由来は背中の丸柄である。「ネコの様な名前だ」と名前を聞いた日本人からは笑われるが、日本人以外からはその様な指摘は無い!

今年で9年過ぎたと言う事は人間で言えば60代の中頃か? 小生と同年代に近い熟女になったと言う事か。しかし元気の良さは相変わらず、5、6年程前とほとんど変わる事は無いように感じられる。しかし良く観察すると顔の周りに白い毛が多くなっている。人間ならばさしずめ白髪が増えたと言う事か、自分の頭を鏡で見れば何のことはない、タマと一緒である。!

タマ3歳
タマ3歳
お互いこれからも元気で過ごしたいものだ。散歩はこのところ小生の方がくたばるのが早いかも知れない。奴は2時間でも3時間でも走り回って居るので出かけるのが少々億劫になってきた。とは言え天気の良い日には長時間の散歩に連れ出してやらねば。それがないと足腰が弱ってくるのは小生も同じかもしれない。

タマ5歳
タマ5歳
楽しく拳法を続けられるのもタマとの散歩が大きく貢献していると考え、出来るだけ夏の間は散歩に連れ出してやろうと思っている。タマ、後10年はお互いに現役で頑張ろう、宜しく。

タマ9歳
タマ9歳

2010/03/25

朝青龍時代の終焉

今場所から横綱朝青龍が居なくなった。

これまで色々な批判を浴びながら、それでも大相撲界を大いに盛り上げてきた事は確かである。残念ながら昨年末の暴力事件が公表されるに至り、ついに引退に追い込まれてしまった。

自分は朝青龍のスピード感あふれる、闘志むき出しの相撲が好きだった。人によっては彼の見せる闘志を前面に出した、強面の表情に『横綱としての品が無い』等と言い嫌う人も確かに多かった。又、優勝した時に両手を挙げてガッツポーズをした事が、横綱の品位を汚す等と批判を浴びた事も多々あった力士でもある。

2010/02/28

聴力のおとろえ

人は加齢により様々なものに変化が生ずる。体力の変化や視力の低下は勿論のこと聴力にも衰えは確実にやってくる。 勿論これは人間ばかりではなく、全ての生あるものに共通の変化である。仏教的に言えば生あるものに限らず、形あるものは全て変化する(色即是空)と言う事なのであろう。

年齢が若いときには聞こえた高音域の音が、年を取るにしたがって聞こえにくくなる事は、オーディオ ファイルの世界ではよく知られている。しかしながら観念的にその様な事を理解していても、普段聞いているスピーカーからの音が、ある日突然に高域が聞こえなくなる訳ではないので自身では中々気が付きにくい事も確かである。

以前この欄でiPodを良い音だと聞いている若い人達に、『良い音を聞いて、耳も鍛えた方が良い!』等と不遜なことを言った事を記憶しているが、それは今でもそうだと信じている。良い音とそうでない音の区別が付かない様な聞き方では、耳を鍛える事は出来ないと思うからである。

自分達が学生だった頃には街中にジャズ喫茶や、クラッシック音楽だけを聞かせる喫茶店が結構あった。その様な店では普段中々一般の人が買えない高価格のステレオ装置(ハイエンド機)で音楽を聴くことが出来た。 

ジャズばかり聴いていた自分は数多くの有名店と言われるジャズ喫茶に出かけ聞き回った事がある。その様な経験が同じミュージシャンの音でも随分異なった印象を受けた記憶が有る。 どこの喫茶店のマスターも自分の処の音が最高だ(傍目にはそう見えた)と信じてお客に聞かせている訳であるから、一般の家で聞く音とは一味も二味も違った音を聞かせてくれた。

ひるがえって最近ではこの様な喫茶店はビジネスの対象とはなりにくいのであろうか、多くのジャズ喫茶等は姿を消してしまった。その影響もあってか若者が音を純粋に聞きかじり、比較できる環境が減ってきてしまった事は非常に残念だと思う。 

iPod等と言う便利で比較的音質も良い機材が発売され、若者は元より小生のように還暦を過ぎたオヤジ層までが、その便利さから買い求める時代であるから、でかくて持ち運びの出来ない大きなステレオ装置など殆んどの人からは忘れ去られた遺物の様な存在になってしまった。

しかしながらその昔聞き比べたジャズ喫茶の音を思い起こしながら、少しでも生の音に近い音を出したいとスピーカーやアンプ、CDデッキ等をとっかえひっかえしたり、はたまたスピーカー コードからアンプの接続ケーブルに至るまで、良い音が出ないか?と挑戦する事などiPodだけを音源とする人には理解できない事なのかも知れない。

音の中でも特に低音域の再生には直径の大きなスピーカー(ウーファー)が必要になる。そしてその様なウーファーを入れるエンクロージャー(箱)も当然の事ながら大きくなる事は避けられない。小さいスピーカーでも良い音がするスピーカーも確かにある。しかしそもそも良い音等というものは怪しいものである事も事実であろう。何故ならば本来出せるはずの無い(物理的に)低域の音を、それらしく聞かせられると言う事は、いかにも現代のニーズに合っているとも言える訳だ。

iPodから出る音をイヤフォンを耳に突っ込み聞いている音に比べれば、小さなスピーカーの音でも結構新鮮に良く聞こえたりするものである。その音が現実の生の音と比較すると、とても聞けないような代物であっても、中々聞き分ける事は難しい。

最近ではデジタル放送が始まって、TVもプラズマやLCD(液晶)が大画面で高画質(HDハイデフニション)が一般的になってきた。それと平行してサラウンドシステムと言い5.1cなどと呼ばれる小型スピーカーをTVの両端や部屋の周りに置き、TVの後ろにサブウーファーを置いて臨場感を出せるようにしたシステムがある。初め電気の量販店でそのデモ(音)を聞いた時、酷い音だなと感じた。しかし不思議なもので映像と同時に聞くと迫力のある音に聞こえるし、臨場感は確かに普通のTVに内蔵されたスピーカーとは比較にならないくらい迫力がある。

これが音楽番組になるとトテモ気持ちが悪い音になってしまう。サブウーファーの音には誇張された違和感を覚えるし、小さなスピーカーから出る高域も金属的なデジタル音が強すぎてライブの音とは開きがある。映像を同時に見ると違和感は映像に、目(集中)を奪われそれ程酷く感じないものの、目を閉じると途端に違和感を感じる事からも、人の感覚のいい加減さが分かると言うものではないか。

スピーカーから出る低音域は実に難しく、それがスピーカー メーカーの技の見せどころなのであろう。いくらすごい技術を持っていても物理特性だけはどうにもならない。サラウンドの小さなスピーカーからは、どれ程お金を掛けても38cmウーファーの低域は出すことが出来ないのは明白である。サブウーファーも所詮それらしく音作りをしてはあるが、コストなどの制限もあり自然な音が出た物に出会った事が無い。

低域は年をとっても比較的聞こえるが、問題は高域である。先日音域特性を測るCDを手に入れたので実験してみた。人間の耳で聞こえる高域の限界が2万ヘルツであるらしい。よって普通のCD録音では高域が2万までしか入っていないらしい。SACD(スーパーオーディオCD)にはそれ以上まで入っているとの事だが、それを聞き分けられる人がそれ程いるとも思えない。
確かに人は耳ばかりでなく身体全体を使って、骨等でも音を聞いている事は知っているが、それでも実際には耳の役割が主なことは事実であろう。

自分の場合には13000khあたりから聞こえなくなった。何のことは無い2万もとても行かないではないか。若い人こそ高域は聞こえると聞いたので20代の息子に実験してみた。結果27歳の息子は18000ヘルツ辺りまで聞こえるらしい、悔しいが現実を受け止めるしかない。

加齢による聴力の衰えは誰にでも来るものだとあきらめて、出来るだけ自分が楽しめる音楽を最良の音で楽しむことにしよう。若者に耳を鍛えた方が良いのでは、と言うアドバイスは今でも信じてはいるが。

今度はもっと若い孫で実験してみようと考えている、10歳以下の子供ではどこまで聞こえるのか興味がある。しかしその様な子供では感じ取れない音楽の面白さ(音域だけではない深さ等)がオーディオ ファイルの楽しみの一つかも知れない、どうかな?

2008/11/19

ゴルフのブルーモーション

今年のホリデーは日本から来た学生時代からの友人二人と、自分と家内の4人でポルトガルへ出かけた。ポルトガルは今年2回目である。ポルトガルが初めてと言う友人達と行った訳だが、自分はこれまでに拳法の関係で5回ほど訪れており好きな国の一つである。

家内も4月に家族で訪れた時が初めてのポルトガルであったが、その時は南部のアルガーブ地方に滞在したので北部の観光地等は初めてだった。それがホリデーであれば一ヶ所に滞在して、のんびりする事が目的であるので問題は無かったが、それまでの自分が経験した『ポルトガルは日本人の好みに合った美味い食事!』と言うには4月のホリデーは正直がっかりした事を覚えている。

今回は日本から来た友人と観光旅行が目的だった為、北の町ポート(Port)にロンドンから到着した。ここはポートワインの由来の街である。

ロンドンのスタンステッド空港からライアン エアーという格安の飛行機で飛んだ。飛行時間は2時間半位だからたいしたことは無いがこれまで一度も利用したことの無いスタンステッド空港が驚くほど大きく斬新なデザインの空港であった事に少なからず驚いた。

さて、今回の話はポルトガルの旅行が目的ではない。Portの空港に到着してネットで予約しておいたレンタカーを受け取りに行き、予約ではトヨタ カローラのエステート(ワゴン)ディーゼル車を頼んでおいたのだが、我々のスーツケースの大きさ(特に日本からの2人)がカローラ エステートでは納まらないのでは?と言う事で急遽ヴォルクス ワーゲンのゴルフ エステートをあてがわれた。大きさは普通のゴルフと同じだったが荷室部分がはるかに大きい為問題なく収納できた。この車はブルーモーションと言う低燃費型のターボ ディーゼルのエンジンらしい。

英国は日本と同じ左側通行のため、初めのうちは右側通行とマニュアルのトランスミッション(右手操作)に慣れるべく慎重に走り出したがその軽快な運動能力に驚いてしまった。ポルトガルの高速道路はガラガラで飛ばすにはこれ以上の条件は無い。気持ちよくアクセルを踏み続ければスピードメーターは軽く150kmを超えてしまう。車内はそのスピード域でも声を大きくして話さなくても普通に会話が可能で、ガソリンエンジンの車と同等か、より静かに感じる程であった。

レブカウンターが1500回転を越える辺りからトルクの乗った実に気持ちの良い加速を味わうことが出来る。一昔前のディーゼル エンジンの特徴だった加速が遅い、エンジン音がうるさい、排気ガスが汚いと言ったイメージからは程遠い素晴らしい印象を受けた。ブルーモーションとは聞きなれない名前が付いていたが何でもvwのディーゼル車の中でも燃費効率の良い車種に付けられる名称らしい。4モーションと言うのは昔からvw車にはあったが、これは四輪駆動の車を意味していたのでブルーモーションは同社の新しい省エネ車、それもディーゼルエンジン車に付けられる名称で運転の楽しめる車の名称かもしれない。

今回のポルトガル縦断には自分のほか日本から来た友人も運転を楽しんだ。特にポルトガル中部の町エボラから高速道路を使って南部のアルガーブ地方までの区間は他のヨーロッパ諸国とは異なり、車の少ないこともあり快適なドライブだった。

150kmからでも加速を受け付けるターボディーゼルには本当に感銘した。燃費の良さが売りのエンジンだとは思ったが、仮に普通のガソリンエンジン程度の燃費率だとしても、自分は魅力的なエンジンだと思った。その主な理由は先程ものべたようにエンジン音が静かである。走行中の車内ではガソリン車よりも静かだと感じた。停止した車のアイドリング状態を車外に出て音を聞けばガソリン車の方が静かだと思うが、一旦走り出してしまうとエンジン回転の低さも手伝い、非常にスムーズで静かな印象だった。加速も申し分なく、一昔前のディーゼルエンジン車を知る我々の世代には、今日のそれ(優れたディーゼルエンジン)は以前スイスで乗ったルノーのディーゼル、メガーヌも含め格段の進歩を感じずにはいられない。

ロンドンへ帰ってからも目はついついブルーモーションを探すが、イギリスはアメリカや日本と同様にディーゼル嫌いの国で中々見つからない。

ディーゼル嫌いの日本でもガソリンに比べればディーゼル フュールの値段は随分安いのに、イギリスは逆に少しではあるが高い!こんな馬鹿な事が許されて良いのか。あれほど政府に口うるさいイギリス人は、なぜこの件(ディーゼルの高値)については文句を言わないのか自分には理解できない。

価格がヨーロッパ大陸や日本のように安ければもっと多くの人達がディーゼル車に乗ると思う。現在もEU圏内にありながら通貨はスターリング ポンドを貫きユーロ圏に加わらない。同じヨーロッパ域内でも好みや政策がこれ程異なった国々を、EUと言う枠で治めようという試みは、はたしてこの先どうなるのであろうか興味は尽きない。

来年の今頃はVWブルーモーションのゴルフに乗っているのかな?楽しみでもある。

2008/10/17

車の二極化(その2)

現代社会の車の二極化の一方は経済的な要素をより多く持った車の台頭であろう。小排気量の車は勿論そうだが、昨今の環境やエコロジーブーム、そして究極的には原油高騰に伴うガソリンやディーゼルの値上がりが、ハイブリッド車や燃料電池車そして究極的には電気自動車へと開発を急がせている。

数年前にはある程度予想も出来たが、まさかガソリンの値段が1リットル£1-20を超える時代がこれ程早くこようとは多くの人が想像していなかったのでは無いだろうか。 

その1でも触れた様に自分がこのところ興味を持つ車の種類が変わってきた事である。ガソリン価格の高騰と言う事も確かに一因ではあるが、それだけが原因ではない。以前はほとんど興味がわかなかったディーゼルの車、それも小排気量車がやけに気になり始めた。

英国は日本に似ていて乗用車のディーゼル比率がそれ程高くは無い。ひるがえってヨーロッパ大陸の国々では車種によっては50%を超えるディーゼル乗用車も珍しくは無い。なぜこの様に英国とそれ以外のヨーロッパ諸国では差が出るのであろうか?

英国ではディーゼル燃料の価格が日本や他のヨーロッパ諸国の様に安くなく、無鉛ガソリンと同じ価格である。そんなことも今ひとつディーゼルエンジンの乗用車が普及しない要因ではないかと想像している。

一昔前のディーゼルエンジンは確かに良いイメージは無かった。パワー不足(加速が悪い)、黒煙を出す(環境に悪い)、エンジン音がうるさい、等がおもな理由だった。だったと言う事は過去形である!現在の洗練されたディーゼルエンジンの車に乗れば多くのディーゼル嫌いの人が考えを改めるのではないかと思う。

特に最近ではヨーロッパ大陸の国々ばかりではなく、英国でも積極的にディーゼル車を買う人達が増えてきた。ガソリンと値段の差が無い英国だが、これ程までに燃料代が上がってくると少しでも燃費の良い車にと思うのが普通の選択だ。ディーゼルはその点ガソリン車に比べればはるかに燃費は良い。1Lで走れる距離に大きな差があればかなりの人がディーゼル車に興味を持つことは容易に想像がつく。

そして最新のディーゼルエンジンに乗ってみれば、過去のディーゼルとの違いを改めて認識することになる。パワーもガソリン車に劣らなく、トルクが太いため加速も充分に楽しめる。エンジン音もほとんどガソリンのそれと区別がつかない位になっているし、黒煙を吐いて坂道に差し掛かったらヒイヒイ言うようなエンジンは最近のディーゼル乗用車では先ずお目にかからない。

その様な体験が自分の好みを変えてきた事も確かである。今ひとつは車の持つポテンシャルをフルに使い切ってみたいと思うようになった。その1でも書いたように大排気量のスポーツカーやリムジンでは乗せられている感覚が強く、自分で車をコントロールしている感覚が乏しくなる事である。

その点1000ccくらいのエンジン車ならばパワーも知れている。パワーアシストも高級車や大排気量車の様には付いていない。環境さえ許せば車の持つポテンシャルをフルに引き出すことができる。田舎の曲がりくねったB級道路(スピードカメラも無く、制限速度もゆるい)を飛ばす楽しさも味わえる。それが小排気量のディーゼルエンジンならばよりベターな感じがする。

その様な事を想像するに1000cc~1200cc位の、ディーゼルターボのエンジンを積んだ、マニュアル トランスミッションの小型車が欲しいと心から思うようになった。大きく振り回せない車に乗っている自分を想像すると、トヨタではないがいかにもIQが疑われそうでカッコ悪いイメージになりそうだ。

2008/10/11

車の二極化(その1)

このところ原油の先物相場の値上がりに引きずられ、ガソリンの値上がりが随分と高くなってしまった。そのせいもあって車の売れ行きが酷く落ち込み、アメリカやヨーロッパなどはこれまでのところ前年比でかなり落ち込んでいるようだ。

そんな中にあって車の二極化が目立つようになってきた。一方は高級車と呼ばれる種類の車で一台数千万もする車、もう一方は経済の方向性もあって小型の小排気量車と云う具合である。

高級車と呼ばれる車を買う人達はいつの時代もそんなに変わらないのかも知れない。年間生産台数が数百台にも満たない高価格なスポーツカーや、排気量が6,000ccを超えるリムジン等を買う人達にとっては、少々経済の風向きが下方修正されたからといってどうと云うことも無いのであろう。

しかし自動車会社が主な顧客としている一般人は大きく経済の動向に影響される事は云うまでもない。特に昨今の世界経済の不透明さや、原油価格の高騰に引きずられた燃料価格の高止まりは、これらの車を買う人達の心理状況にも大きく影響を与える事は今さら云うまでもない。

アメリカやヨーロッパの新車売れ行き状況は前年度比のマイナス15%~30%という具合で、昨年まで他の自動車メーカーが苦戦する中、独り勝ちの状態であったトヨタまでもが、今年の販売台数を大きく下方修正するほどである。

ハイブリッド技術を誇り、他のメーカーとはかけ離れて成功をしてきたトヨタであるだけにその影響は世界中の車メーカーに大きな不安を与えた事は事実であろう。そのトヨタが自慢のハイブリッド車ではなく、コンベンショナルな技術を使って小型車を発売しようとしている。名前はIQと云うらしいが、いかにもIQ(知能指数)が高いものが選ぶと云う様な斜に構えた見方は自分だけかも知れない。

以前の自分の好みは単純だった。ポルシェやフェラーリは今でも見ると良いなとは思うが、以前はこのようなスポーツカーに乗りたい!と心底思っていた。乗りたいと思っても簡単に買える様な車ではないことは充分に承知していたが、それだからこそ何時かは買ってみたい車であった。

そんな自分が最近興味を持つようになった車は全く逆な方向の車である。現在乗っている車も結構大きいが、この様な大きな車はガソリン代の高騰と云うだけが理由ではなく、何か車に乗せられている感じが強いのだ。

確かにパワーも有り、ほとんどの取り回しはパワーアシストが備わり、高速走行も安定しているし楽チン極まりない。しかしながら前述した車に乗せられている感はどうしても拭えず、車の持つポテンシャルをフルに使い切る場所など、ドイツのオートバーンかサーキット位しかない。

以前ドイツを旅したときメルセデスCクラスのレンタカーで時速200kmオーバーで1,500km程を運転した経験が有るがあの様な道路環境は他の国には存在しない。ドイツの整備されたオートバーンであっても時速200kmオーバーを連続して維持することは無理である。追い越し車線に出てくるトレーラーや小型車に行く手を阻まれてしまうからだ。

それでも合法的にその様な運転が許される国であれば、ポルシェやフェラーリも魅力的なチョイスであろう。経済的事情が許すのであれば本当に欲しい車だ。しかし現実に英国に住む自分にとってロンドン域内では30マイル制限も珍しくない。日本に比べればいくらかは道路事情がましかも知れないが、ロンドン市内や周辺の高速道路には至る所にスピードカメラが設置されている事を考えれば、高性能の車はもはや宝の持ち腐れに等しい。 

そればかりか普段の乗り方が車の持つポテンシャルの半分も使わないとすれば、エンジンやサスペンションに掛かるストレスも相当なもので車にもよろしくないことは言うまでもない。以前聞いた話だが、『日本で使われているメルセデスSクラスはエンジンが回らない!』と言うのが定説らしい。普段ショーファー ドリブンの車として使われ、車の持つポテンシャルの30%くらいの速度域が、日常使われるスピードの上限である事がその主な原因との事だった。(その2に続く

2008/05/24

EV 電気自動車

温室効果ガスを如何に削減するかが車社会でも大きな課題となっている。EU域内で販売される車にも燃費基準は厳しくなる一方である。

そんな折日本では世界に先駆けて電気とガソリン エンジンを併用して車を走らせる、ハイブリッド車の開発をいち早く始め1997年にはトヨタやホンダが一般に売り出してしまった。日本車に対する世界での評価は信頼性と経済性は折り紙つき、この二点で日本車と張り合おうと言うメーカーは世界広といえども聞いた事がない。運転する楽しさをも含めた車に対する評価では個人差があるので、その車が持つ特徴により一言では難しいことも事実である。

そんな中三菱自動車からEV(電気自動車)が発表された。何でも2009年には売り出したいとの事でメーカーもかなり自信を持っているようだ。

考えてみればEVの歴史はガソリン車と同じくらい古いが、これまで実際には普及してこなかった。自分が渡英した1974年当時から英国では牛乳配達にEVが使われていた。当時は日本でもお目にかかった事は無かったので牛乳配達用のEVには正直言って驚いた。しかし航続距離の短さ等から当時の技術的限界としても使用範囲の限られた牛乳配達車御用達が限界だったのであろう。その点、内燃機関のエンジンはコストも安く(最近まで)性能やインフラ等の整備もいち早く世界中で整えられた事も、その発展に大きく寄与した事は言うまでもない。

しかしここに来て原油価格の高騰と環境破壊に加担する石化燃料に対する認識が大きく変わってきた。温室効果ガスの影響は地球の温暖化と言う人類共通の問題となった。楽しければ、安ければ良いと言う時代は『21世紀のモータリゼーション』と言うキーワードの上では通用しない時期に入りつつある。なぜならば温室効果ガスの及ぼす影響は宇宙船から見た地球そのものだからである。地球のどこかで排出された温室効果ガスはその国ばかりでなく、地球全体を取り巻くアトモスフェア(大気圏)内に留まり確実に地球と言う惑星に住むすべてのクリーチャ(生物)に影響を与えることになる。

そうなるとEVはある意味究極的な環境ヴィークル(エコ車)と言うことになる。料金の安い深夜電力を使えば現在のガソリン代より10分の1以下になるとの試算である。将来的にソーラ パワーも同時に(ハイブリッド)として取り入れられればさらに環境コストは低くなる事が考えられる。その為には優れた性能の蓄電池開発や家庭用電源のみならず、ガソリン スタンドの変わりに電源スタンドのインフラ整備やソーラ パワーやブレーキ回生パワーを併用したハイブリッド技術も必要となる。これは自分の想像を述べているので実際にこの様な事が技術的に可能かどうかも分からないが。近頃では隣国の韓国は言うに及ばず中国でもハイブリッド車を開発しているそうである、ハイブリッド先進国日本としては是非とも先に述べた『EVとソーラ パワーのハイブリッドを』と夢のような想像を膨らませている。

2008/04/04

F1GPは時代のニーズか逆行か?

昨今グランプリ サーカス(F1 GP)では話題も色々と賑やかである。シンガポールがグランプリの夜間レースを招致するとか、メルボルン市が夜間グランプリ拒否で2010年以後のオーストラリアGPが無くなるとかが紙面をにぎわしている。この環境問題が取り立たされて居る時にF1のレースはある意味において非常に時代錯誤の部分もあるが、そんな極端とも言える条件下で生み出される新たなテクノロジーは将来の車社会を救う事が出来るのかもしれない。

燃費や使われる資材、開発エンジニアーやドライバーに支払われるコストなど、どれ一つを取っても尋常なレベルではない。そして今度は昼間のレースでは飽き足らず、電気代も桁外れのコストが必要になる夜間レースときたもんだ。いったい彼ら興行者のメンタリティーは興味さえ引ければ何をしても良いと考えて居るのであろうか?GPレースが好きな自分でも夜間レースが新技術開発に寄与するとは考えられないが。

又同時に市街地で行われるレースにも今一つ納得がいかない。確かに一般道を使った方が実際の市販車により近い技術が開発されるのかも知れないが、これも夜間レースと同じ理由で技術開発よりも観客の興味が対象であることは明らかだ。100キロ以上のスピードでぶつかってもF1カーに施された諸々のセーフティ デバイスがドライバーを守ってくれるのは確かに素晴らしい技術ではある。しかしながら今日のF1カーに使われているテクノロジーが将来一般の市販車に使われる事があるのだろうか?と素朴な疑問がわいてくる。

カーボン コンポジットで作られたシャシーだけでも数十億円も掛かるコストは、市販車には縁の無い素材と技術(衝撃吸収のクラッシャブル構造)や、これまた桁違いのカーボン素材で作られたブレーキ(F1専用)等。ちょっと考えてみればすぐ分かる事だが一般車両で車両重量が600キロの車で、エンジンパワーが1000馬力を超える様な車等ありえないことである。日産マーチですら車体重量は800キロも有り、エンジンパワーは58馬力〜79馬力と言う事を考えてみれば、如何に浮世離れした現実味の無いコストを掛けているかが分かるはずである。

ホンダの創始者本田宗一郎氏は『F1は走る実験室だ』と言う有名な言葉を残した。確かにこれまでのガソリン エンジン車の発展においては市販車も含めてかなりのテクノロジーをF1から得ている事は認めよう。しかしながら今日の環境問題が問われる時代に過去と同じ様に内燃機関を中心とした車が生き残っていけるのであろうか?そこの定義も無く膨大な資源の消費と開発コストを掛け続ける事に少なからぬ疑問を押さえる事が出来ない。願わくば好きなGPサーカスが次世代の車社会に対する提言と方向性を示してくれる事を期待したい。

2008/03/06

最近の車の乗り心地

車のサスペンションと言うものはそれ自体が非常に乗り心地に大きく作用する事は誰でも知っている。

しかしながら昨今のモータースポーツ、とりわけフォーミュラー カーでのサスペンション開発は乗り心地以外にも重要な要素があるようだ。アクティブ サスペンションやリアクティブ サスペンション等と聞くとF1のサスペンションを想像するが、スプリングの代わりに油圧を使ったこれらのサスペンションは90年代にはいくつかのティームが採用し良い成績を収めたが、93年にはレギュレーションが変更され使えなくなってしまった。

油圧によるサスペンションはフランスのシトロエンが有名である。シトロエンが初めて油圧(ハイドロ ニューマティク)と呼ばれる窒素ガスと油圧による革新的なサスペンションをDSというシリーズで出した事を記憶しているが、実際にDSにはパリでタクシーに乗った事が1回だけある。そのときの印象は車と言うより舟に乗ったときの様な、路面からの突起に対する反応が実に柔らかだった事を覚えている。その後2度程CXというシトロエンにも乗ったがDSの時程の感激は感じなかった。

CXの後継車XMや一回り小型のGS、最新のC5など益々進歩したシトロエンのハイドロシステムではあるが、いつの間にやら優れたスチール製のスプリングを使ったサスペンションとの違いが気薄になってきたように感じるのは自分だけだろうか? 

最近では良くできた電子制御のエアー サスペンションが、いつの間にやらハイドロのサスペンションより乗り心地やハンドリングを含めて評判も良いようである。しかしながら1950年代中ごろにハイドロリックの優れた乗り心地をより簡素なシステムで実現したシトロエンの実績は少しも価値が下がるものではない。

確かにサーキット走行には柔らか過ぎる乗り心地であろうが、その作られた目的とするところが快適さの追求であれば現在でも充分に通用する技術であると思う。

20代くらいまではとんがった(硬い)サスペンションの車を良しとした時代もあったが、50代も後半に達する頃には価値観が大きく変わってくる。何より体が正直で速く走る車も確かに魅力ではあるが、長時間運転しても疲労感の少ない車が欲しくなる。

それにしても昔からフランスの車は大衆車にも関わらずシートやサスペンションに随分と優れたデザインを取り入れたものが多かった。ルノー サンク(5)やシトロエン2CVなど大衆車の先端にあるモデルでもなぜこんなに乗り心地が良いのか?と不思議だった。別に凝ったサスでもなかったのに。

そこへゆくと同年代の日本車の大衆車ときたら乗り心地は随分とひどかった。近年こそこれら欧州の大衆車と変わらぬまでになってはきたが、エンジンがハイブリッドや燃料電池に置き換えられる時代に車の持つ快適な移動手段としてのツールとは?という問いかけも重要な意味があると思う。静かでエアコンも有りステレオやカーナビだけが快適な移動手段のツールでは少々寂しくは無いか。

2008/02/05

ナンバー プレート カバー

最近見た日本からのニュースでナンバー プレート カバーの是非をめぐって国土交通省が色付きのカバーを規制すると言うものを読んだ。 『エ!』というのが最初の印象で、そんな物付けているドライバーが居るのか?と言うのが偽らざる感想だった。考えてみれば以前にも自分の車に彼女を乗せるときにも土足厳禁でスリッパを履かせるドライバーが居ると聞いた時には、『まさか』というのを通り越して一体日本人にとって車とは何だろう?という疑問がわいてきた。

国交省にしたところでナンバー プレートの目的とするところを押さえていれば、カバー等と言う物を初めから許可するほうがおかしいのだが。車文化が今一つおかしな方向に行っているのが日本かもしれない。車に乗るのに泥まみれの靴なら理由も理解できるが普通のきれいな靴でも脱がせる事など日本以外の国では理解できない事であろう。

以前ナンバー プレートでオートバイなどは半分から先をウイングのように上に折り曲げた状態の物や、走行中にプレートその物が動いて見え辛くするものなどナンバー プレートとは一体何の目的で付けているんだろうと思ったりした。

又スピード違反の取締りカメラのフラッシュに連動して逆光を起こし、ナンバー プレートを読めなくする装置などよく考え付いたものだと感心したが、官憲は一体どうして手をこまねいているのだろうと不思議な気もする。


スピード違反の取締りで英国は一番多いのがカメラである。そのカメラも走行中のドライバーの顔を写すことは無い!

日本では正面から撮られると聞いたが、人権問題にうるさいヨーロッパでは後ろからナンバー プレートを撮る。自分は運転していなかったと言っても通用しない。現実に運転していた人が自分であると証言しない限り車の所有者に罰金の請求が来る。ここら辺りが人権問題にうるさいヨーロッパの配慮といえばそうかもしれない。日本のように正面から顔写真を撮られたのでは失業や場合によっては家庭崩壊もあり得るからであろう。罰金さえ払えばそれ以外の個人的事情までは踏み込まないのが彼等流の人権保護かも知れない。

車で走行中の携帯電話は英国でも罰金が科せられるが、走行中の車でテレビを見ていれば事故につながる事は携帯電話以上に危険な事は言うまでもない。自分の車にもTVは付いているが走り出せば自動的に画面は消える。しかしながら日本の車アクセサリー専門店では走行中にもTVも見る事が出来るように、切り替え可能な装置を堂々と宣伝している光景には唖然とした。違法な事を承知で宣伝してもなんとも無いのかね?

GPS(カーナビ)がいち早く普及したのも日本が最初だった。日本の車文化がいびつだなと感じる事は、車そのものの走行性能よりも豪華なカーステレオやエアコン、そしてGPS等の確かに有れば便利な装置ではあるが車本来の目的(速く安全に目的地に着く)という事よりも車が家の延長線のような錯覚をするのは自分だけだろうか。

リバース(車庫入れ)の自動装置や運転中居眠りしても車が知らせたり、走行車線を外れないように前車との車間距離を保ちつつ自動調整するクルーズ コントロール等など数え上げたらきりが無い。そんなにくつろいで移動したいのなら電車やバスに乗ったほうがよほど安全だと思うが。

日本の道路事情を考えればノロノロ運転の道が多く、その移動中を快適に過ごすことも重要かも知れない。その様な観点からステレオ、エアコン、GPS等が他の先進国より早く普及した事は理解できる。家でリラックスした環境に近い状態で車の中での運転をとらえているとすればこれも随分危険な状態ではないか。その様なところが運転中はある程度の緊張(集中)を要求される欧州車と違うのかもしれない。

しかしながら日本車の成功体験が及ぼした影響は大きく、遅ればせながらヨーロッパの自動車メーカーもエアコンを装備したりカーステレオのアップグレードやGPSの導入(未だ少ないが)等日本の自動車文化の影響がじわりじわりと迫ってきている。

運転中のある程度の緊張と書いたがヨーロッパを走る車の80%以上はマニュアル車であることは、車自体の持つ楽しみと目的を最小限維持しようとしているのではないか?と最近は考えるようになった。

2008/01/31

これまでに会ったグレイト ミュージシャン(その2)

本当に数多くのミュージシャンのautographを貰ったが印象に一番強く残っているのがアート ペッパーとビル エヴァンスの二人である。ビルは長年の自分にとってはアイドルだったが、日本で73年に始めて名古屋のコンサートホールで聞いて以来何度もチャンスはあったがほんの少しの事で聞き逃していた。

1980年8月にロンドンのロニースコット クラブにおいてビル エヴァンス トリオのギグがあった。満員のクラブにこれまでのLPを持って出かけた自分は初めのステージが終わり、控えのミュージシャン(なんとイギリス クラッシック ギター界の第一人者ジョン ウイリアムス!!くどいけど控えの奏者が)が弾き始めた時に楽屋を訪ねた。例によりクラブの席係りが声を掛けてくれたが中々顔を出さない。

しばらく楽屋裏からジョン ウイリアムスの演奏を聞いていたがそれでも何の変化も無かったので、ベースのマーク ジョンソンと話をしていた。『いつからビルとやってるの?』などと聞いていたが、そのうちにマークが楽屋の中に向って何か言っていると中からビル エヴァンスが顔を見せた。楽屋内に招かれたので持参した10枚以上もある重たいLPレコードを見せ、そしてポップスターに群がる少女ではないが(まあ同じようなものであろうけど)『あなたのautographが欲しい』と言うとOKと答え一枚一枚のレコードに(録音したとき)の思い出を語りながらサインしてくれた。

お礼を言って握手をすると『来月日本のコンサートで会いましょう』と言うので、必ず行くと約束して楽屋を後にした。その後の顛末は以前にも書いたとおりである。ニューヨークへ戻ったビルはファット チュズデーで演奏中に倒れ帰らぬ人となった。

これ以外にもロニースコット クラブの会員だった事もあり70年代80年代当時は頻繁に出かけた。そんな中にはオスカー ピーターソンのようにビルとは異なったピアノの巨匠もいる。そしてハービー ハンコックやキース ジャレットの様にマイルス スクールのピアニストやローランド ハナ、マッコイ タイナーと言ったピアニストも良かった。 タイナーはその後もジャズカフェ等でも3度程聞いた事がある。

他にも自分が好きなミュージシャンを中心にフレディ ハバード、同じくトランペット奏者のウィントン マルサーリス、アート ファーマー、毛色が異なったアルトロ サンドヴォールとロンドンに来る名だたるトランペット奏者は他にも色々聞きまくった。残念ながら長年最も好きだったマイルス デイヴィスはロニースコット クラブでのギグの期間中連日超満員で聞く事も無かった、1970年代に入ってからどんどん変ってしまったマイルスというミュージシャンに自分の中でそれ程強烈な聞きたいと言う願望が薄れた事も原因かもしれない。

ドラマーもジョン コルトレーン時代から好きなエルビン ジョーンズ、マイルス門下のトニー ウイリアムス、バディ リッチのビッグバンド、ジャック デジョネットなどなど。テナー サックスではデックスター ゴードン、バド シャンク、ソニー ロリンズは日本で1度とロンドンで2度聞いた。スタン ゲッツは良い時とそうでない時の両方、その差が大きかった事もゲッツと言うミュージシャンの繊細さが現れた事が要因なのかもしれない。

その他にも数えきれないくらいの数のミュージシャンに会った。彼らもまた人間である、調子の良いときや悪いときもある。そんな悪い時にたまたま当ってしまうとがっかりするが、それでも生のミュージシャンが発する魂のこもった音は時としてハッとするほど新鮮な驚きがある。こんな音が自分のスピーカーから出せないものかとケーブルを変えたりスピーカーの位置を動かしたりとまたまた悩みは尽きない。

2008/01/28

これまでに会ったグレイト ミュージシャン(その1)

これまでに何人もの偉大なミュージシャンに会った。自分の場合は主にジャズのミュージシャンが多いが、あえてここではミュージシャンと呼ぶ。人によってはアーティストと言う人も居るが確かに音楽を生業とする人達は芸術家かもしれないが、小生はミュージシャンの方がより親しみを持てるように感じる。

「アーティスト」 今一つピンと来ない呼び方だと思いませんか?

もし自分がミュージシャンだったらおこがましくて芸術家などととてもそんな風に呼んでもらいたくはない。時々これがアーティストか?と思うようなチャンチャラおかしいのをそう呼んでいるのを聞くと天の邪鬼の自分は余計にそんな輩と自分が愛するミュージシャンを同一的には呼びたくは無い。

かなり古い話だがまだ日本に住んでいた頃、フランク ロッソリーノと言うトロンボーン奏者に演奏会の直後、名古屋市内のジャズ喫茶で会った事がある。たしかカウント ベイシー楽団の一員として来日し名古屋でも演奏したのだが、彼が公会堂の舞台のあと自分が行き付けのジャズ喫茶に後援者と共に現れたのだ。

残念ながら当時は英語が全く喋れない時だった。隣の椅子に腰掛けているフランクに『演奏会は素晴らしかったねェ』と話し掛けたいが言葉が出ない。そのうちに何人か地元のミュージシャン達が店に集まって来た。小さな店だったがフランク ロッソリーノと言うトロンボーンの大御所と、名古屋在住のジャズ ミュージシャン達がお酒を酌み交わしながら始めたジャム セッションは非常に盛り上がった。

往々にしてジャズ ミュージシャンの場合、大きなコンサートホールよりもそのメイン イベントがはねた後のこの様な小さな酒場の方が盛り上がりやすい事を何度か見ている。当時の有名なジャズクラブはその多くがそれ程大きなステージやホールは無い。自分が見た80年代当初のヴィレッジ ヴァンガードは連日ジャズ ジャイアンツがプレーしていたがそれでも観客が100名も入れば一杯と言う感じだった。当時開店したばかりのおしゃれなジャズスポット ファット チュズデーにも行ってみたが店は大きくきれいだったがステージは結構狭かった。ある意味ジャズのミュージシャンは観客との距離感を大切にするのかも知れない。

マイクを通した音を大きなコンサートホールで聞かせるより自分の得意とするmusical instrument(楽器)の生の音を観客にぶつけているのだと思う。それによる観客とのコミュニケーションがジャズの持つ醍醐味だと言う事を一番良く知っているからこそ、ミュージシャンもジャズ好きなファンもコンサート会場での演奏会が終わるやいなや近くの小さくても名の知れた店に移動すると言う訳だ。そこでは好き者同士の第二幕(これが彼らにとっては本番かもしれないが)が始まり飛び入りがあったり、喝采や手拍子など大いに盛り上がる事を双方(ミュージシャンとファン)が知っている。お金を貰って演奏しているコンサート ホールよりも遥かに楽しそうな光景には、これが本心から音楽を楽しんでいるplayer演奏者とaudience観客が一体となった最高の環境なのであろう。

そんな中の一人がアート ペッパーと言うアルトの名手だ、彼にはロンドンのロニースコットクラブでの演奏会で会った。日本から持ってきた物を含め7枚くらいの彼のLPを持参した。最初のステージが終わり控えのバンド演奏が始った時に楽屋を訪ねた。この場合クラブの席係りにティプを渡しておいたので気軽に案内して紹介してくれた。まだロンドンに住み始めてそんなに長くない当時で英語も片言だったが『素晴らしい演奏だったヨ』と言うと彼の方から嬉しそうに握手してくれた。持参したLPにAutograph(サイン)を依頼すると一枚一枚に小生の名前とペッパーのサインをしてくれた。(その2に続く

2008/01/14

新しいCDデッキとオーディオの不思議(その2)

ハイエンド オーディオの機材はアンプにしろレコードデッキにしろ重量がある。そのソニー製SACDデッキは25キロもあった。

パワーアンプなどは50キロを越える物など珍しくない。一人でセッティングなどしているとそれらの機材の移動だけで腰を悪くしかねない。

SACDは確かに良い音ではあったが問題が無いわけではない!第一にソフトの数が少ない。日本ではある程度手に入るソフトがロンドンでは通販を除いてほとんど無理である。HMV等の大きな店でもSACDの売り場などは無い。これは日本も同じ様な状態であるが。それでも自分は日本に行った時にはせっせとSACDのソフトを買って来て聞いていた。

今度のデッキはマランツと言うメーカーだ。学生時代ヤマハビルで見たマッキントッシュやマランツと言う高級アンプに日本製とはどこか違ったデザインの高価な機器になんとも言えない想像をかきたてられたものだ。

これら外国製のアンプを何時か自分でも聞いて見たいと思っていたが、当時の小生にはとても手の届くような値段ではなかった。

何十年も過ぎて知った事はSACDの共同推進者はマランツらしいと言う事だ。マランツは今や日本法人でもある。このメーカーが作ったSACDデッキは英国でも評価は良い。ソニー製の以前のデッキとどの様な違いがあるか興味は尽きなかったが、いざ届いて箱を開けると期待にたがわぬソリッドなデッキが現れた。

最初にリモコンを手に取ったがずっしりと質量感がありデザインも良い、音を聞く前にこの様な感触は嬉しいものである。

今回のデッキは決してハイエンドではないがデザインとしては十分にそれに近い貫禄を持っている。はたして音は?

まず初めにソニーとの比較から普通のCDをかけてみた。澄んだ人工的な色付けのない良い音がした、次はSACDをかけてみた。

マイルスの聞きなれたKind of blueを最初に選んだ。ベースのピチカットの音も切れがいい。マイルスの抜けるようなトランペットとコルトレーンの力強いテナーのコラボレーションが実に見事に表現され息を呑む思いだった。

歴史の浅いSACDではプレーヤーの進歩も発展段階、その進歩は日進月歩10年前のソニーデッキの半額程度の価格帯の物が当時のハイエンド以上の音を出すのだから嬉しくないわけがない。

こうなるともういけない、ヴォーカルはどうかな?とダイアナ クラールのThe look of love声の肉質も良い。次は弓物を聞いてみようとヨーヨーマのKodalyをかけた。チェロなどそうそう聞く事はないが新しい機器が入るとついこの様に得手、不得手を調べるような事をしてしまう。ウーン今度のマランツは良いな!というのが夜明けまでついつい聞き続けた結論だった。

空が明るくなる時間に満足してベッドに潜り込んだが、早くも次の日に又何を聞いてやろうという事を考えているうちに寝てしまった。

考えてみればオーディオ ファイルの単純さはこの様に好きなものに向ったときには他の事が目に入らない。デッキの外観に目をやり中々良い選択だったと自己満足したり、興味の無い者からすれば実に単細胞極まり無い現象であろう。

アンプの時も同じようなものであった。それまでのアンプは日本製のDenonのハイエンド モデルだったのだが、ある時自分の家で真空管のアンプを聞く事になった。

それまでの印象では『たぶん懐古趣味の人が聞くアンプだろうなァ』くらいに考えていたが、自分のスピーカーから出てきた音を聞いて驚いた。それまでのソリッドステートのアンプの半分しか出力の無いアンプが分厚い底力のある音を出したときには耳を疑った。

それからどのアンプが良いか色々聞き比べてみたが結果的にイギリスのEARというアンプに決めた。たった35Wしか出力の出ないシングルエンドのアンプが腰が抜けるのではないかと思うほど重い。ウーハー(低域専用スピーカー)には同じEARの50Wをマルチドライブで使う事にした。

このEARというメーカーは小規模だが会社のオーナーは世界的に有名なアンプ デザイナー Paravicini氏、奥さんは日本人で古くからの小生の知り合いである。

そんな訳でアンプの真空管に掛かるカバーも特別にブリティシュ グリーンにしてもらった。初め懐古趣味的な音と決め付けていた真空管アンプと、最新技術を駆使して作られたスーパー オーディオCDデッキとのコラボレーションが織り成す音は正にオーディオの持つ不思議さを表しているように感じられてならない。

2008/01/10

新しいCDデッキとオーディオの不思議(その1)

先日新しいCDプレーヤーが届いた。これまで色々とCDプレーヤーを変えてきたが今度は初めてのメーカーだったので少し不安だったが、色々と写真を見たりこれまでの製品に対するリヴューを見ていると中々魅力的に思えた。

自分はSACD(スーパー オーディオCD)のソフトを結構持っているのでどうしてもそれらが再生できる機能を持ったデッキが必要になる。SACDは日本のソニーとオランダのフィリップスによって提案された新しいフォーマットのCDソフトで従来のCDデッキでは対応できない。

オーディオ ファイルとは厄介なものだ、新しい製品が出たりすると是非聞いてみたくなる。
CDがレコードに変わった当初自分はロンドンに住んでいた為LPしか聞いたことが無かった。1982年頃から発売されたCDの音を初めて聞いたのは80年代終り頃だったように思う。初めて手にしたCDソフト(人の物だったが)をどうしてかけるのかも分らなかったことを記憶している。初めは小さなラジカセのようなラジオもCDも聞ける機械だったが、なるほどLPレコードに比べれば便利なソフトだなと感心した。

当初聞いた情報ではCD はデジタル録音なのでレコードのような再生機材による音の違いは無い!というものだった。 そんなものかと思うくらいで、では高額なステレオ装置でなくても良い音で聞こえるのかな?と半ばどこかで信じられない気持ちだった。

やがて90年代に入りさすがにロンドンでもLPレコードの新しいソフトの数が目に見えて減ってきたので、自分でもCDプレーヤーを買ってそれまでの自分のステレオ装置で聞いてみた。 何だ?これは、変な音だな!と言うのが最初の印象だった。

初めて聞いたラジカセの時には感じられなかった不思議な音がした。レコードのほうが良い!とすぐさま思った。

初めに聞いた『CDは機材による音の差が無い!』と言う事を信じこんでいたので、これならLPレコードの方が随分音に関しては良いではないかと言う感じを持った。

後になって分った(知った)事であるが、当然CDでも機材による差は出てくる。初めのCDデッキは日本のメーカーの中級機だったが普通に音楽を聴くだけならそんなに不満は無かったが、集中して聞こうとするとどうも不自然さが出てくるのである。

シンバル等の楽器はそれ程問題という訳でもないが、ピアノはアクーステックなグランド ピアノがエレクトリック グランドに聞こえたりする(実際にはそれ程酷い物ではないが聞き方によっては)、又人の拍手などに表れる音はいかにも金属的で違和感があった。

そんな不満を抱いていたときCDウォークマンを聞いた。ヘッドフォンを耳に入れて聞くわけだから今のIpodと同じような物だが、その時メーカーの異なる2つの機材を聞き比べ『オヤ?ぜんぜん違う音じゃないか!』こんな小さいウォークマンタイプのCDプレーヤーがこんなに音が違うと言う事は、専用デッキにおいては特にハイエンドの機材では全く違った音が出るんじゃないか? とこれまでの疑問が氷解する感じだった。

当時90年代初めのロンドンではハイエンドと言えるオーディオは日本に比べれば無いに等しい状態だったので、日本に行った折には秋葉原や大阪の日本橋界隈のハイエンド オーディオが置いてある店に飛び込み聞いて回った記憶がある。

そして90年代も終り頃に今度はスーパー オーディオCDと言うこれまでのCDフォーマットとは異なるソフトが出ると言う情報が聞かれるようになった。それまで自分でLPとCDを自分の装置で聞き比べるとどうしてもLPの方が良い音がしていたのでスーパー オーディオCDには非常に興味を持っていた。

やがて98年ごろソニーからSACDのデッキが発売された。初めのモデルは当然ハイエンド機で50万円以上もした。少し後に同じ構造のハイエンドの姉妹モデルが発売になったので期待していたがロンドンでは全くその様な情報は聞かれなかった。

1年ほど後にやっとロンドンでも発売され始めたが姉妹機でも70万円近くのプライスタグが付いていた。 その後手に入れたソニーのデッキは確かに普通のCDを聞いてもそれまでのデッキとは全くレベルの違う良い音を聞く事が出来た。(その2に続く

2008/01/03

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。

このブログを昨年2月に書き始め早くも1年近くが過ぎた事になります。月により掲載にかなりばらつきがありますが、今年も宜しくお付き合いの程お願い申し上げます。

今年一年も感じた事を率直に書いていきたいと思っておりますが、ブログ立ち上げの折にも書きましたように、これはあくまでも自分の感じた事を独断と偏見も交えて書いておりますので、個々の件に付きましては読まれます方との見解の相違が生じることも充分に承知しております。その様な折にはどうか忌憚のないご意見やご批判もお書き下さい。

まずは年初めのご挨拶まで

結手