学校教育での英語教育の歪みは前にも書いた事があるが、日本人の英語教育に掛ける情熱は並々ならぬものを感じる。どうしてそれ程英語が大切か理解できない。確かに英語は話せないより話せた方が良い。しかしながら何か目的が有って英会話の勉強に打ち込むのなら理解できるが、海外旅行の為などが目的ならば余り意味を持たないのではないか。
ロンドンにおけるJSTV(日本語放送テレビ)の番組にも英会話の番組を少なからず見かける。もし真剣に英会話を身に着けたいのならば当地のTV(BBCや民法)番組の方が余程役に立つし、わざわざ高額な料金を支払って日本語の衛星放送を受信している人達は、イギリスやフランスで英会話の番組を見るために受信しているわけではない。それにもかかわらずいくつもの英会話番組には思わず『お金を返せ!』と言いたくなる。
日本人はなぜそれ程英語を話したいのであろうか?
一頃 cosmopolitan(国際人)と言う言い方がされたことがある。英語を話す事がその条件とでも考えているとしたらとんでもない勘違いも良いところだ。英語を話すだけならイギリスやアメリカの3歳児でも話す。しかしこの様な子供がいくら英語が話せても誰もコスモポリタンとは言わないであろう。
本当の意味で国際人と言われるような人ならば英語のみならず4カ国か5ヶ国語くらい話せなければ嘘くさくなる。これだけコンピュータや携帯電話が普及してきた世の中である。今少しすれば携帯端末サイズくらいの翻訳機が発売されても不思議ではない。そんな時になって高額な代金と時間を使って英会話を勉強してきた事が無駄にならねば良いと思うのだが。
大切な事は流暢に話せるか?では無く、何を話すか!と言う事ではないか。国家の品格の著者 藤原正彦氏の言葉を借りれば、英語が上手く話せれば話せるほどその話す内容が大切になってくる。もし中身の無い話を流暢な言葉で話せばバカを証明する事になってしまう。上手く英語が話せない人ならば黙っている事で日本人の謙虚さと受け取られる場合もあるが。藤原氏に言わせると英国人のインテリ層は日本の文化や歴史にも精通している者が多い。その様な連中の前で発音だけは上手に話せても、自国の歴史や文化を理解していなければ余計バカにされるだけだと言う訳だ。
確かに何年か前に自分も日本へ行く飛行機の中で、隣の席に座ったイギリス人のビジネスマンが日経を読んでいる光景に出会った事があるし、又別の機会には自民党政権の話や野党の政治家の名前をすらすらと織り交ぜて、日本の政局を流暢な日本語で話す人物にも会った事がある。こんな事を目の当たりに経験すると確かに英語(会話)を勉強する事も良いが、その前に日本の歴史や文化について一通りの知識は先に勉強しておかなければ、英語を話す事によって余計に恥ずかしい思いをする事があると言うのもうなずける話しである。
英国連盟に所属する拳士の中にもイギリスの大学を卒業して日本に研究者として留学した者や、人文社会学で日本の宗教体系から禅文化を論文に残したものが認められて博士号を取得した拳士まで居る。元々は少林寺拳法の武道としての魅力から入門してきた拳士達ではあるが、そこから日本に対する興味が進み研究対象になる事は自然な流れなのかもしれない。彼等の話す日本語には日常会話としてのレベルでは無い、一般の日本人が聞いても難しい専門分野内容の話が出てくることを思うと、英語の前に日本語を正確に勉強する事の方が大切だと思うようにも感じる。
本当の意味で国際人と言われるような人ならば英語のみならず4カ国か5ヶ国語くらい話せなければ嘘くさくなる。これだけコンピュータや携帯電話が普及してきた世の中である。今少しすれば携帯端末サイズくらいの翻訳機が発売されても不思議ではない。そんな時になって高額な代金と時間を使って英会話を勉強してきた事が無駄にならねば良いと思うのだが。
大切な事は流暢に話せるか?では無く、何を話すか!と言う事ではないか。国家の品格の著者 藤原正彦氏の言葉を借りれば、英語が上手く話せれば話せるほどその話す内容が大切になってくる。もし中身の無い話を流暢な言葉で話せばバカを証明する事になってしまう。上手く英語が話せない人ならば黙っている事で日本人の謙虚さと受け取られる場合もあるが。藤原氏に言わせると英国人のインテリ層は日本の文化や歴史にも精通している者が多い。その様な連中の前で発音だけは上手に話せても、自国の歴史や文化を理解していなければ余計バカにされるだけだと言う訳だ。
確かに何年か前に自分も日本へ行く飛行機の中で、隣の席に座ったイギリス人のビジネスマンが日経を読んでいる光景に出会った事があるし、又別の機会には自民党政権の話や野党の政治家の名前をすらすらと織り交ぜて、日本の政局を流暢な日本語で話す人物にも会った事がある。こんな事を目の当たりに経験すると確かに英語(会話)を勉強する事も良いが、その前に日本の歴史や文化について一通りの知識は先に勉強しておかなければ、英語を話す事によって余計に恥ずかしい思いをする事があると言うのもうなずける話しである。
英国連盟に所属する拳士の中にもイギリスの大学を卒業して日本に研究者として留学した者や、人文社会学で日本の宗教体系から禅文化を論文に残したものが認められて博士号を取得した拳士まで居る。元々は少林寺拳法の武道としての魅力から入門してきた拳士達ではあるが、そこから日本に対する興味が進み研究対象になる事は自然な流れなのかもしれない。彼等の話す日本語には日常会話としてのレベルでは無い、一般の日本人が聞いても難しい専門分野内容の話が出てくることを思うと、英語の前に日本語を正確に勉強する事の方が大切だと思うようにも感じる。