2007/05/30

天皇、皇后両陛下のレセプション

先日5月27日ロンドンの中心地グリーンパークにある日本大使館に於いて天皇、皇后両陛下のレセプションが野上駐英大使によって催された。両陛下はリンネ生誕300周年を記念して先にスウェーデンとバルト3ヶ国を歴訪され、最後に英国に立ち寄られた訳である。

生物学者としてとりわけ分類学に大きな足跡を残したリンネの生誕300周年に天皇陛下が出席された事は陛下ご自身が英国リンネ協会の名誉会員であることも大きな理由であろう。海外の研究者は50名が会員として認められて居るとの事で、天皇陛下はハゼの研究者として分類学に貢献が認められて名誉会員として学術的な訪欧目的でもあったようである。

5月の初めに日本大使館より両陛下のレセプションに招待を受けた時、何故自分が選ばれたのかと聞いてみた。大使館の担当者からの説明では2000年11月に当時の駐英全権大使から頂いた日英交流の表彰状受賞者が選考の一つであったらしい。

日本国内に居ればこの様な機会自体も頂く事は無いと思い出席する事にした次第である。家内も同伴して大使館まで行ったがロンドンには珍しく朝から強い雨が時々降っていた。この天気にも関わらず、すでにかなりの人達が大使館のレセプションに到着していた。


頂いた招待状の中に、「携帯電話とカメラの持参は御遠慮してください」と書かれていたので、写真撮影は出来ない事は承知していたが、一応状態が許せば撮らせてもらおうとカメラを持っていった。

レセプションが始まる前に大使館関係者からどこに両陛下が立たれ、報道陣がどの様に入って、レセプションが進められるかのオリエンテーションが招待者になされた。50名ほどの招待者と配偶者で合計約100名くらいの出席者であったが、さすがに天皇、皇后陛下のレセプションともなると式次第のA to Zまでがかなり詳細に決められている事に感心した。

時間きっかりに両陛下が大広間に入場され、歓談していた我々も先のオリエンテーションどおりにレセプションが進んで行った。両陛下は分かれてそれぞれのゲストと歓談されている。間近で見る両陛下は長旅のお疲れも見せられず一人一人とお話を続けられている。

それぞれのゲストは初めに大使館から名前と所属する組織の役職が書かれた名札を手渡されて居たので、名前を言って何を英国でやっているのかを説明する事になる。結構限られた内容の話であるがお二人は真摯に耳を傾けられている。人事ながら国家元首と言うものの大変な仕事の一端が垣間見られた様に思う。

英国には小生よりも長く武道を教えている指導者も数多く居る。今度の両陛下のレセプションには色々な分野の人達が招待されていたが、スポーツや武道の分野では自分一人だけだった。この様な名誉な機会を頂いた事に感謝したいと思う。そして少林寺拳法を通してこれまで以上に日本と英国の交流発展に少しでも貢献できればと考えている。

今回のレセプション参加の顛末は次回のOB会で皆さんにお会いした時に直接お話できればと思う。

2007/05/27

成熟した車製造国日本 ~その2~

学生の時友人でスカイラインGTRに乗っている奴がいた。

当時サニーやカローラが60万円台で買えた時代に180万円もした車である。メカニカル ノイズがもの凄くその車が来るとかなり離れていても直ぐ分かったほどである。今ではレース界で伝説となったそのスカイラインGTRの50連勝が始まった当時のことである。

自分はと言えば日産サニーを親から買ってもらい、それで鈴鹿サーキットに良くレースを見に出かけた。当時のレースでのGTRは圧巻だった。鈴鹿の最終コーナーで観戦していると甲高いGTR独特のエキゾースト音が先に聞こえてくる。

車が現れると運転している高橋、黒澤、北野といった日産のワークス ドライバーが片手運転でカウンター ステアをあてながら出てくる、『すごいなー!』というのがその時の印象だったが、現在のグランプリドライバーであるアロンソやライコネンに感嘆する若者と同じ様なものだったのかもしれない。

そんな自分が卒業後就職して最初に買った車がフェアーレディーZだった。
新車を受け取り親父に見せると『二人しか乗れないのか?』と言うのが最初の感想だった。当時日本社会での車に対する価値観はおそらくこの親父の言葉が象徴するようにスポーツカー等はまだまだ肩身の狭い存在であったように思う。


今では世界中で日本車の優れた性能は認められ、世界で最も売れる車を製造する国となった。それでは日本人の車に対する認識はどう変わったのであろうか? 

ミニバンを改良して作った7人乗りのMPVなどが一時期随分と流行った。小生もアウディの大きめなセダンに乗っているので時々思う事がある。

5人乗りの車でもほとんどの場合(8〜9割)が一人で乗っている訳である。他の4座を使わないのならスマートのような2座席か、スポーツカーの2座席の方がより効率的ではないのか? もし何人も乗る事になれば、その時レンタカーでも借りた方が良いのではないか?と。

万が一の利便性を考えて5人乗りのセダンや7人乗りのMPVやSUVを買うと言う事は、あれから35年以上も経つのに日本人の車に対する価値観はあまり変わっていないのではと思うがどうであろう。

ガソリンエンジンの車と言うものが人に使われ始めて120年経ち、地球温暖化も話題になり、その影響か日本の作るハイブリット車はこのところ日本車のイメージ向上に大きく役立っている。

しかし本質的な意味で環境負荷を考える時ハイブリッド車に使われるハイテック技術が、必ずしもこれまでのガソリン車やディーゼル車よりはるかに優れた環境技術であるかどうかはいま少し時間が必要であろう。

くしくも日本のメーカーにおされ気味の欧米の車メーカーもハイブリッド技術を日本から買ったり又新しく開発研究を急いでいる。これは単にビジネスでこれ以上日本に立ち遅れると負けてしまうからとりあえずハイブリッド車も作ろうとしている訳で、本当の意味で地球の温暖化対策や環境問題を考えてのハイブリッド化とは違うように思えてならない。

アフリカを講習会の都度訪れ、その地域で古い日本車が元気で?走り回っている様子は日本人として誇らしく感じたものだが、良く考えて見ると2月にこの欄でも誰かが指摘されたとおり、日本で使えなくなった古い車の処理場(墓場)としてそれらの国に中古車を輸出していると考えられなくも無い。

そうであれば今後出てくるより環境負荷の高いハイブリッド車(バッテリー等)がこれらの途上国に輸出される事も時間の問題であろう。そうなった時我々はこれまでと同様に中古車を輸出し続けても良いのであろうか。『日本が輸出しなくても他の国が輸出するではないか』、と言う意見も当然ある事と思う。

しかし現在の最先端技術を自負する車の製造国、日本の先進国としての責任は、それらの技術が輸出された国でどのように最終処理をされるかを無視して輸出されるとしたら、将来に環境汚染やその被害者が出たときには、それに対する賠償や責任が日本に突きつけられる事になるのではないかと危惧するところである。

2007/05/24

成熟した車製造国日本 ~その1~

自動車のレースはヨーロッパではかなり歴史がある。1920年代にはすでに多くの地域においてレースが行われていた。

ガソリン自動車そのものの歴史はそれ程長くは無く120年くらいの歴史だが、日本も歴史の上では1920年代からすでに国産の車を作っていたと言うから、ヨーロッパと北米以外では数少ない生産国の一つであっただろう。

しかし、意外とこの様な事実は海外では知られていない。それどころか日本の自動車産業は戦後に始まったと考えている欧米人は数多い。

ガソリンエンジン車の起源についてはドイツとフランスがどちらも主張しているが、そこから40年後に日本でも外国からの技術輸入があった事は確かであろうが、生産が始まっていたことは当時の日本が世界でもかなり影響の強い国であった事がうかがい知れる。

最近でこそ日本は先端技術の国と言うイメージで見る外国人も多いが、自分が渡英した70年代中頃までは欧米の技術を取り入れて(コピーして)儲けた国だろう、くらいの印象だった。日本の技術体系はかなり進んでいて、世界的に見ても決して欧米のコピーばかりではないが、その事実を知る外国人は少なかった。

例えばテレビなどは日本人の発明によるブラウン管システムがその普及に大きく貢献した事をほとんどの英国人たちは知らない。それどころかTVそのものが全て英国人の発明だと信じて居る人達が大半である。

ではなぜ日本より早く普及しなかったのであろう。小生が渡英した74年当時すでに日本の家庭ではほとんどがカラーテレビになっていたが、当時の英国はまだ白黒テレビで、しかも比較的小型のテレビを家族全員で部屋を暗くして見ていたので驚いた記憶がある。

自動車産業も戦後の急成長はあるものの、車作りそのものは戦前から日本ですでにあった。只当時の英国やドイツ、フランスと言った国に比べればその発達段階が遅れた事は事実である。

彼等ご自慢のフェラーリやジャグワー、そしてポルシェと言えども歴史的には三菱やトヨタなどと大して変わらない。 名声と言う点ではこれらの車とは分が悪いが、これは車の作られた目的とするところが大いに異なる為である。

主に日本の車は量販車であり、フェラーリやポルシェはスポーツカーで超高価格車である。このところ日本車も高級車を作るようになり欧米のメーカーは相当苦戦を強いられている。

車好きの小生は日本車も好きだが、しかし全て日本車になってしまったら逆につまらなくなるような気がする。多様な個性があるから車も楽しいと思う。多様な個性と、そして選択があったほうが楽しいと思うのだが。

...その2へつづく

2007/05/21

皇太子殿下が観られた少林寺拳法デモ

英国では10年に一度日本年と称される日本大使館(政府)主催の日本を紹介するイベントが開かれる。

前回は2001年がその年であった、日本を紹介する催し物の一つとして日本の武道を企画した催しがロンドンの中心ハイドパークの一画で行われた。

計画は2年近く前から知らされていたが、我々も少林寺拳法を紹介する良い機会と捕らえWSKO本部も全面的に協力を約束した。同じ年に国際大会が初めて海外で行われ、フランス連盟が主管してパリで執り行われた。

このハイドパークでのデモンストレーションの為に本部からは公認デモティームが応援に駆けつけてくれた。少林寺拳法公認デモティームとは小生も浅からぬ因縁である。宗由貴WSKO会長に少林寺拳法の技術的側面をアピールできる優れた人材を全国から募り、少林寺拳法の広報活動の重要な一環として活用したいと相談したのが始まりである。そして東京や本部で全国から応募した拳士達の中から選ばれたのが初代公認デモティームの拳士達であった。

同年2001年には公認デモティームはパリ、キューバ、そしてロンドンと3都市へ派遣された。パリでの国際大会におけるデモティームの演出も素晴らしかったが、ロンドンで行われたデモティームの活躍は同時に参加した合気道や剣道と言った他武道の人達までもが称賛するほどの素晴らしいものであった。

我々のデモが終了する頃主催者を代表して皇太子殿下が英王室のプリンス チャールズと共にハイドパークに来られた。 武道のデモが行われていた場所には大使館関係者と共に厳重な警備がしかれる中、皇太子殿下が来られた。

日本大使館関係者から小生と英国剣道連盟の会長が紹介された。実は小生は皇太子殿下にお会いするのはこの時が2度目であった。

それより11年前に未だ殿下がオックスフォード大学に留学されており、帰国を前にされた直前であったが第1回日本祭りがアンジン会(日本にジェットの英語教師として行った人達)によってバタシーパークというテームズ川沿いにある公園で催された。その時少林寺拳法も唯一正式な日本武道のデモとして会場で演武を行ったが、その時最初から最後まで30分以上も当時の大使御夫妻と共に熱心に見学されていた。

その時はセキュリティー(警護)には婦警が一人だけと言うゆるいものであった。しかし時が移り11年後に再会した殿下は堅牢な男ばかりのセキュリテーが何十人も周りを固めているといった状況で驚いた。

紹介され殿下に握手をした折『11年前にバタシーパークでお会いしています』と言うと『アーッ あの時のバタシーパークですか、覚えています』と答えられた。妃殿下は丁度訪英直前に御懐妊が確認された為、残念ながら来られなかったが『この度はおめでとう御座います』と云うと『有難う』と嬉しそうに答えられたのが印象的であった。

この年の日本年に於ける少林寺拳法のデモンストレーションは北はエディンバラから南はサザンプトンまで5回ほど行った、その他にもハイドパークのデモを見た各地の人達から要請をされたが時間や人(拳士)の都合があり中々全部は応じられなかった。広報活動としてのデモティームは重要である。この年の彼等の活躍は我々英国連盟だけでなくそれを見た人全てに感動を与えた。

最後のデモンストレーションが終った後、他武道の剣道や合気道の人達が我々少林寺拳法の拳士を記念写真の中心に迎えて何枚も写していた事を思い出す。レベルの高いデモは少林寺拳法のイメージアップのみならず他武道からも好意的に受け入れられる事を目の当たりにした時は非常に嬉しかった。

2007/05/17

音の違い

オーディオの話である。
前にも書いたが音楽のジャンルによって好みの音があることはオーディオ ファイルの間では結構当たり前の事実である。

自分の場合はジャズが好きなのでどうしてもそのモダンジャズ全盛期の再生を中心に取り組む事になる。
モダンジャズと一口に言ってもレーベルの違いによる音の差(録音された)も無視できない。

よくクラッシックの録音でもドイッチェグラモフォンとロンドン デッカでは同じ演奏者でもかなり異なって聴こえると聞いた事がある。

ジャズの世界はこのレーベルによる個性はより一段と激しい、日本人が録音したジャズ ピアノのCDであったが、同じピアニストがスタンインウエーとベーゼンドルファーを比較しているものだが、明らかに小生にとってはスタインウエーで弾いてもらったほうが楽しめた。もしこれがクラッシック音楽の録音であったならば逆の印象になった可能性は充分にある。

ピアニストの好みもビル エヴァンスの折に触れたが、弾く方も好みがあり、それを意識して音を出している事を考えると再生する側にも出来るだけミュージシャンの意図するところを汲んでやりたくなる。

ジャズ レーベルの名門にブルーノートとコンテンポラリーがある事は有名である。

ルディ ヴァンゲルダーはブルーノート録音には無くてはならないレコーディング エンジニアである。彼が録った音とコンテンポラリーの録音技師ロイ ディユナンの録った音楽とでは同じミュージシャンでも随分異なった音が出る。

小生の個人的な好みを言えばヴァンゲルダーの音が最高だ。彼は特に素晴らしいシンバルの音を聴かせてくれる。エルヴィンジョーンズの叩くジルジャン(シンバル)の音はちょっと強調されすぎているかな?と思う事もあるがシビレル音である。

ジャズにはリズム セクション、特にドラムのシンバルの呻るような音や、ベースのピチカットの歯切れの良いビートは全体のノリを作り出す重要な要素である。こんな事を書くと当たり前のことをくだくだ書くなと言われそうだが、これらの音楽の持つ特徴を再現する事はそれ程簡単ではない。

なぜならばクラッシック音楽とジャズでは音楽に要求される要素が大きく異なるからだ。

クラッシック音楽では楽器の出す音の和音が重要だ。同じピアノでも余韻が長い方が音楽に厚みが出る。しかしジャズにはあまり余韻の長いピアノでは音がかぶり過ぎる。

確かにビッグバンド等ではある程度音のかぶり(ハモリ)はあったほうが全体としての音が良い場合もある。しかしクラッシック音楽のオーケストラが広い劇場等で出す音の広がりはこれとは比べ物にならないほど厚くて、長い余韻である。

歯切れの良さ、と余韻の長さは相反する要素である。その両方を追求すると1台のスピーカーでは不満が出る。 

初めに自分が気に入ったスピーカーは英国の老舗メーカー、タンノイであった。京都のジャズ喫茶でタンノイの音を聞いた時何と素晴らしい音だろうと感心した。しばらくして別のジャズ喫茶でJBLのスピーカーを聞いた。印象は随分硬い音質に感じたが、これはこれで良い音に聞こえた。又あるときは別の店でアルテックのスピーカーを聞き、これが欲しいと真剣に考えた。

かように個々のスピーカーを別々に聞くとその都度良い印象だったが、あるときハイファイの専門店でハイエンドのスピーカーを聞かせてもらうと、それぞれに随分違う音が出てきた。当たり前だが、その時初めてスピーカーにはそれぞれに得意な分野と苦手な分野があることが分かった。

小生が始めに感心したタンノイと言うメーカーは英国BBC放送のモニタースピーカーを制作しており、主にクラッシック音楽の再生では定評のあるスピーカーだった。又アルテックやそこから出たJBLなどのアメリカ系スピーカーは歯切れの良い音が信条でジャズにはうってつけのスピーカーだった。

同じ環境で聞くとその違いが驚くほど出てくる。これがハイエンドのスピーカーなのだと納得した。

自分は現在タンノイとJBLのモニタースピーカーを両方使っているが、少人数のジャズコンボを聞くような時にはJBLが最高だ。

又ジャズヴォーカルや時に気分転換で聞くクラッシック音楽の時にはタンノイを使う。ジャズヴォーカルばかりでなく家内の好きな"美空ひばり"も実に生々しい良い音だ。しかしこれでラッパやドラムはダメである。相反する要素が邪魔をしてしまいどうしても楽しめる音にはならないからだ。

しかしである、人の感覚など時としてあてにならない事を痛感する時がある。

i-Podの音が好きではないと以前に書いた事がある。
先日風邪を引き寝込んだ時にベッド脇にあるラジカセにi-PodからFMに音を飛ばして聞いて見たら、意外と良い音に聞こえるではないか。小音量であったせいかも知れないが一日中かけていたが聴き疲れする事も無く以外に感じた。

もしかするとオーディオなど、ようは聴く側の心理状態によりある種の自己満足かもしれない?と思いつつも、やはりヘッドフォウンを耳に入れて聴く音にはどうも抵抗がある。年のせいかナ?

2007/05/13

ためしてガッテン!

NHKのテレビ番組の話ではありません。少林寺拳法の教え方の事です。

技の指導をしている助教を観察すると実に様々である。
ある者は一つ一つの動作(形)にこだわるし、又別の者は非常に大雑把なアドバイスをする者も居る。これは仕方が無いことで、それぞれの拳士に個性があるように練習方法にも個性が出てくる。

助教が教えている時に自分が注意している事は"横から口を挟まない"と言う事である。一応任せて指導させている訳だから少々指導方法が偏っていても直さない。もし聞かれた場合や大きな間違いがあったときには指導する事は勿論あるが。

小生が気を付けている事は"教え過ぎない"と言う事である。
これがなかなか難しい。思わずかゆい所まで手が届くような指導をしてしまいそうになる。しかし、なぜそれがいけないのであろうか?

今日、少林寺拳法に限らず多くの武道やスポーツの分野においては、本やビデオ等色々なメディアを通じてそれらの上達する為の秘伝を伝えようとしている。しかし時として、それらを受ける側が本を読んだりビデオを見たりする事で技術が上達したり理解できると勘違いする事が起きる。

本で解説されて解かる事も確かにあると思う。
又ビデオ等の実際の動きを見ることが出来ればより一層のメリットがあるはずだ。しかしこれらはあくまでもメリットと理解しなければならない。なぜならば本やビデオで伝えられる事などは非常に限られた部分でしか無い。又、教える側と習う側のその技術に対する理解度や体験が全く異なる事も認識する必要があるだろう。

あるとき気が付いたのだが、少林寺拳法の指導者には教え魔が多い。
勿論親切心から出ている事は言うまでも無い。しかしこれは本当の意味で習う側のメリットになっていないと思う。それは習う側が問題点に気付く前に色々とアドバイスをしてしまうからだ。それはせっかく問題点を探す努力をしている者に『そんな事していると時間の無駄だよ。こうした方が速く上達するよ』と答えだけを教える事と変わりは無い。

25年くらいも前の話であるが、日本に行った時、たまたま地元の東海武専に出る事があった。指導員は新井先生(現財団法人会長)が担当されており、沢山の拳士達が熱心に技術指導を受けていた。先生の技術を見て皆感心しているが、実のところほとんどの拳士は貴重なアドバイスを授けられながら身に着けられなかったように感じた。

その頃の自分は現在のように毎年日本へ帰ると言うわけにはいかなかった。経済的理由が最も大きかったが、航空運賃も現在とは違い非常に高く2年か3年に一度くらいしか行く事が出来なかったのである。

その間、英国連盟の拳士から聞かれる技の質問には答えなければならない。とりわけ自分にとって自信の無い技に限って何度も聞かれることになる。それはそうだろう、教えている側が自信の持てない技に誰も簡単に納得するわけが無い。

その帰国できない2年間、3年間同じ技で悩む事になる。その悩む時間が長いほど良い答え(技)を見せられた時に習得する時間は短い事を実感した。多くの武専学生が首を捻っている事が不思議だった。なぜこんなに解かりやすく教えてくれているのに取れないのだろうと思った。

そして自分が簡単に理解できたのは、その2年の間に問題点がかなり掘り下げられ、焦点がはっきりしていたからだと気が付いた。もしこの時に新井先生の技が理解できなければ又次の2年間か3年間、同じ事で悩まなければならなくなる。

新井先生は武専の後小生の実家に泊まられた。先生の人柄か実家の親父もお袋もそれを期に新井先生ファンになった。

翌日、名古屋まで送ってゆく車の中で技に対する質問をぶつけて見た。『先生の技と解説で目から鱗と思える箇所がいくつかあった。でもアレはかなりの人達が理解出来ていなかったのでは?』と。先生曰く『良いんです、この次ぎ見たらもっと解かるようになりますから』 なるほど、流石に新井先生程にもなると指導方が上手いだけではなく、人の習性を良く解かった上で指導しているのだなと感心した。

いま一つは、小生が柔法習得の上で非常に参考になった森道基先生である。
先生はすでに亡くなられ今や伝説となってしまわれたが、実に見事な技を持っておられた。神戸の先生の道場にお邪魔して何度もご指導を受けた事も今となっては懐かしい思い出である。

講習会の指導員として英国に来られた折、小柄な先生が倍以上も体重のある拳士を軽々と投げられる様は、これが少林寺拳法の技なんだと皆息も呑まずに見入っていた事を思い出す。

森先生のすごさは体のデカイ人をあえて選んで投げているのではないかと思わせるが、先生が小柄だから余計にその様に感じたのだろう。右も左も関係なく、つかまれた手や腕を言葉ではなく、無造作に投げられる技術を見せる事のできた数少ない指導者だった。

そんな先生がいつも見せてくれたのは、同じ技でも必ずどこか工夫が加えられ少しづつ変わってゆく技の進化であった。あるとき先生に『前に先生から受けた説明と違っていましたが?』との問い掛けてみると『僕自身が何時も変わっているからだよ』と答えられた。

つまり先生自身が常に前進されていたことになる。
あれほどの達人が技に対してこれ程までに貪欲に技を追求している姿を知り、開祖が言っていた『昨日よりも今日、今日よりも明日、死ぬまで成長する』と言う言葉を真剣に実践されていた姿が自分にとってはかけがえの無い教訓となった。

『水野君教えすぎは拳士の為にならんョ!質問されたら理解できるように教える事は必要だが』と言う言葉を胸に、先ずポイントを教え、それが実際にどの様に作用するのか実験して(ためして)、方法も紹介する。そして理解(ガッテン!)すればある程度技がかかる事になるはずである。

2007/05/09

格安航空運賃は可能だ

日本へオーストラリアから格安を売り物にした航空会社が乗り入れるとニュースがあった。
確かに日本は航空運賃に関しての改革が先進国の中で一番遅れているようだ。

航空業界が完全自由化されたアメリカやEUでは恐ろしく安い価格の航空料金が実現している。

例えばロンドンからパリやローマ、バルセロナと言った都市に2ヶ月以上前にネットで予約すると運賃だけなら5p(約10円)。冗談のような値段ではあるが本当の値段である。

日にちが近くなれば高くなっては来るが大手の航空会社よりは余程安い運賃である。勿論これに空港税が別途必要になるが、それでも往復2,000円〜4,000円で行ける都市がほとんどだ。

確かにヨーロッパ内は距離も短い(1〜2時間のフライト)と言う事もあるが、それにしてもなぜこの様な格安航空運賃を打ち出す会社が急成長しているのだろうか。
 
ロンドンはヒースロー国際空港のほかに4箇所の空港がある。
ヒースローはロンドン市内からのアクセスは確かに便利であるが、その他の空港も電車を乗り継げば簡単に行ける距離である。

極端な例になるがこの様な格安航空券の料金はロンドンからバルセロナまでの往復運賃がロンドン市内の地下鉄やバスの料金より安くなってしまう事も現実に起きる。勿論、空港税が加算されるから合計ではバルセロナやニース、ミラノと言った都市へ行く値段の方が高くなる事は事実であるが、純粋な航空券の値段だけで言えば地下鉄料金よりも安くなると言う訳だ。

しかし、なぜこの様な事が可能であろうか?
日本でも東京〜福岡や大阪〜札幌間が往復3,000円で飛べると聞いたら信じられるだろうか。

ロンドンで買える格安料金の会社はライアン エアーとイージー ジェットの2社である。最近はその他にも増えてきていると聞いた事があるが、実際に自分で体験したライアン エアーと言う会社は隣国アイルランドの航空会社らしい。 

1年半ほど前にロンドンからイタリアのベニスにライアン エアーで行った。往復が空港税を含めて3,000円くらいであったのでどんなおんぼろ飛行機かな?と心配ではあったが、実際に目の前に現れた飛行機は真新しい小型の150人乗りくらいのジェット機であった。

航空券はインターネットでのE-チケットのみ、それを自宅からプリントして持ってゆく訳だ。パスポートを見せるとそのまま乗り込む事になり、まるで乗り合いバスの感じである。席なども決まっていなくて、乗った順に前から座ってゆく事になる。

飛び立ってもフリーの飲み物や食事のサービスは無い。欲しければ現金で機内販売をしている物を買うか、空港でサンドイッチ等を買っておけば良い。
2時間程度のフライトなら問題など全く無いと感じた。

さて、空港であるがロンドンは北にあるルートン空港、自宅から車で40分くらい掛かる距離である。又ベニスもメインの空港ではなく電車で20分くらいの都市トレヴィッソと言う町に着いた。トレヴィッソからベニスまでの電車料金は2ユーロ(約300円)だから英国航空などで行くよりもかなり安い。

乗って見て解かった事は往復のフライトがほぼ100%に近い搭乗率であった。空港税は一律である事から乗客全員が空港税を払えば必ずあまるはずである。加えて機材も150人から250人くらいのものが中心である事から無駄(空席)が無い。空港税の余った分で燃料費も人件費も賄えるというわけである。また空港税もヒースローに比べれば随分安いはずである。両方の空港とも少し不便ではあるがメインの国際空港を使わなければこの様なサービスが可能になると言う訳だ。

航空運賃は航空会社が我々に説明している燃料の値上げ、高い空港税、などを考慮してもなかなか納得できない事例を幾つも知っている。

あるとき航空会社のセールスに聞いた事がある。
『ロンドンからロスアンジェルスが安い時には往復で£250(55,000円)くらいで飛べるが、距離からするとロンドンから東京より少し遠いくらいである、となれば何時かはロンドン〜東京も£250くらいで飛べるかね』と質問したのに対して、『その様なことは先ず考えられない。まず空港税が高いし、そんな事態になればロンドンの事務所に日本人スタッフを置けなくなる』と言うものだった。

ロンドンに日本人スタッフが現状と同じ人数居る必要があるかどうかは別として、空港税と日本人スタッフの人件費『だけ』では納得できないと感じた。

別の時にはこの様にも聞いて見た。
『新聞やインターネットで売られている格安航空券では、ロンドンから東京までの往復運賃よりも同じ便を使って、東京で乗り換えてオーストラリアのシドニーまで往復する航空運賃の方が安いとはどう言った理由か?』

別に意地悪をしてこの様な質問をしているのでは断じてない。
ちょっと考えれば誰でも不思議に思うはずであろう。

ロンドンからシドニーを往復すれば2倍とは言わないまでも、それに近いくらいの飛行時間と燃料が必要になるはずである。また人件費も2倍近く掛かるし、食事や飲み物に掛かるサービスコストも2倍であろう。しかるに幾分でも高ければ無理に納得も出来るかも知れないが、それより短い距離の東京便の航空運賃の方が高い事の理由が小生には納得できなかった。

その時の答えも前と同様『なるほど』と言えるような答えは返ってこなかった。

あまり文句を声高に言わない日本人客には高い料金設定をして、権利意識が強い欧米系の乗客の料金をその分安くしているとしたら、日系の航空会社は今後日本人乗客から手厳しい批判を受ける事になるのではないか? 

それにしても航空運賃の値段は格安航空券のお陰でかなり安くなった事は事実である。自分が渡英した74年当時はとても毎年帰国できる様な値段ではなかった。当時の航空運賃は現在のCクラスチケット(ビジネスクラス料金90万円前後)に匹敵するだろう。

ロンドンからアメリカへのCクラス運賃は安くなっているのに、どうして日本行きには格安Cクラスチケットが出ないのであろう。そろそろこの分野にも格安料金が導入されはじめているが、日系の航空会社が、どうせ会社が負担するから高くても買うだろうと高をくくっているととんでもない事がおきないとは断言できないと思う。だって航空業界最王手だったパンナムやTWAは気が付いたらいつの間にか両社とも無くなっていた事をお忘れ無きよう。

2007/05/06

日本人と英語

外国語の得意な国民と言うのも確かにいる。

例えばスイスがその代表的な例である。スイスは自国の言葉が無いだけでなく,テレビ放送などもドイツ語、フランス語、イタリア語と3ヶ国語が公用語として使われている。厳密に言えばスイス国内で使われる言葉は全て外国語と言う事になる。

逆に外国語が苦手な国は日本、英国、アメリカ等であろうか。
英国とアメリカは外国語が苦手と言うよりは、英語が政治やビジネスの場で幅広く使われている為、我々には学ぼうと言う意欲が欠落していると自虐的に話している例を2,3度英国人から聞いた事があった。半分はその通りかもしれない。

逆に公用語として地域的に見ればスペイン語が一番であろう。又人口で数えれば中国語かもしれない。

しかしよくよく考えて見れば一つの国が完全に独立した言語を使っている国の方が少ないことに気が付く。

ご存知のように中南米はブラジルを除きスペイン語、ブラジルはポルトガル語、それ以外の地域でも同じ様なものでヨーロッパと言えどもオーストリア、ベルギー、ルクセンブルグ等も公用語と国名は異なっている。中近東もアラビア語が大半の国で通じるし、アフリカなどは旧宗主国の言語とそれぞれの部族語が混じっている。

日本語は世界で話される数としては知れている。幕末の開国以来、日本は英語を導入してきた。

学校教育の場に於いても義務教育の中学校で3年、半義務教育的になった高校も合わせると6年間も英語を勉強する時間がある。大学もいれるとそうとう勉強していることになる.そして日本国内を見れば、ほとんどの都市の駅前には外国語(英語教育)教室の看板が掛かっている。

これほど英語教育に力を入れている国なのに国民の英語に対する自信は非常に低いと言わざるを得ない。

なぜこれほど一生懸命に教育しているのに日本人は英語が苦手なのだろう。小生もロンドンに来た当初は全くと言ってよいほど話せなかったことは何度も述べた。

翻って英国やフランスで日本語を大学で勉強した学生はかなり話せる。
先ほどの英国人は外国語が苦手と言った事に矛盾すると言われるかもしれないが、これは一般的な例で大学や専門学校で日本語や他の外国語を勉強した人達は含まない。

勿論日本に行った事が無い学生達が流暢と言えるかどうかは別にして、しっかりと自分の考えを相手に伝える事が出来る者が多い。

では何処が日本の英語教育と外国での日本語教育との違いが有るのであろうか?
先ず日本の英語教育の根本的問題は、「使いもしない文法が中心」ということにあると思う。英文学を研究すると言うのなら話は別だが。

小生は会話には文法は(あまり)必要ないと思う。日本人は話すより先に文法的に間違っていないか?を自問する事になる。そんな事を気にしていたら会話にならない。話して会話する楽しみの前に、難解で使う事の無い文法で英語の成績が決められてしまうことにより、英語を勉強する目的や楽しみをそいできたのが実情ではないか。

その次には「恥の文化」である。
良くも悪くも日本人は恥を知る民族である。この恥ずかしいと言う感情が英語習得には邪魔をすると言う訳だ。それが証拠に恥を感じない10歳以下の子供たちの会話習得能力はすごい。これは日本人も何処の民族も変わらない。つまり大人になるまで海外に出るチャンスが無く、しっかり恥の文化を学習してしまった年齢の人達にとってはなかなか難しい英語である。

いま一つの問題はなぜ日本の公教育の段階で英語の文法ばかりが中心に授業が進められるのだろうか。

英語が実際に話せない(会話として使えない)教師が英語を教える事にも問題が無いとは言えない。海外で日本語を教えている日本語教師はほとんどが日本人と言う事もあるが、会話を中心に教えている。だから習った生徒も子供と同じ様に話せると言う訳だ。

最近では文科省もこの事に気が付き英語圏から英語教師の助士としてジェット プログラムを立ち上げ大学卒業生等を臨時で雇い入れて学校での英語教育に当てている。少しはこれで変わる事を期待したいものである。英国連盟からもこれまでに20名を超える拳士がジェットのプログラムで訪日している。

言葉は話せて初めて価値のあるものだと思う。
日本語において文法など考えて使った事など誰も無いはずである。これからの英語教師を目指す人達は、これまでの学校における英語教育の反省にたって使える英語を教えて欲しい。

幸いこのところロンドンにやってくる学生諸君を見ていると結構英語を喋ろうと努力している。この積極性は必ず将来の日本にも良い影響を与える事だろう。外国人と見ると何人であれ街の英語学校でアルバイトをさせてしまう(ビジネスは上手い)人達である。駅前留学など役に立たない事を早く気が付いて、その授業料で少しでも現実の英語圏に行き話してみることを進める。勿論少林寺拳士ならば尚一層の事、道着を持って旅行や留学先で道場にて練習してみる事を進める。

海外赴任の人達でもほんとは英語が苦手な人も結構居る。
そんな人達こそ少林寺拳法の道場に顔を出せば自然に英語も上達するはずである、なぜなら拳士は現地の人ばかりだから良い勉強になる事は請け合い。

いくら海外生活していても、いつも週末に日本人同士でゴルフなんてしてたら英語は上手くなりませんよ。

2007/05/04

人、人、人、すべては人の質にある

開祖宗道臣の残した『人、人、人、すべては人の質にある』と言う言葉を我々少林寺拳法の指導者は忘れる事ができない。

理想境なんて本当に出来るのだろうか?と何度も自問自答したことを前に理想境建設の談で書いたが、たびたび講習会で訪れた東アフリカで見た事を書いてみたい。

自分が最初にアフリカと関わったのは1986年の9月である。
その年は東アフリカに位置するエチオピアで大規模な飢餓騒動が起きた。多くの難民が連日マスコミのニュースとなってテレビに映し出され、新聞も多くのページを割きこれらの事を特集した。

丁度その年少林寺拳法創始40周年にあたり、少林寺拳法連盟として何か出来ないか?と言う議論が持ち上がった。ミュージシャン達はバンドエイドをやり食料や衣服を集めていたし、又ファッション業界でもデザイナー達によるによるファッションエイドがあったりで、世界中がこの状態を何とかしたいと立ち上がっている時だった。

そんな折の創始40周年である。
宗由貴総裁が『鍛えた拳は何処へ行く』とスローガンを立ち上げた。
自分も総裁と同時期に別のアフリカ諸国へ調査の為飛んだのであった。
一口にアフリカと言っても北アフリカから南アフリカまで、多様な国々が混在している。
文化も北アフリカのモロッコやチュニジアなどのイスラム文化圏の国から、ヨーロッパの植民地時代にクリスチャン文化を取り入れた南アフリカ共和国や、それ以外に土俗の宗教を持つ多種多様な民族が暮らしている。

われわれ日本人からするとなかなか区別が付かないが、ケニア1国でも200以上の異なった部族が住んでいると聞いた時には実感として分からなかった。

しかしその後何度もアフリカを訪れる事になり、現地の事情が少しづつ呑み込めるようになってきた。

先ず北アフリカの場合はほとんどヨーロッパと同じで、日本のパスポートであればビザも必要無い。予防接種の必要も無く比較的気軽に出かけられる。事実モロッコなどはロンドンから2時間~2時間半くらいで着いてしまう。

ところが東アフリカとなるとそう簡単には行かない。
先ずビザの取得が必要になる。それぞれの国の大使館に出かけ申し込みをする事になるが、速くても2~3日かかる。その他予防接種も必要だ。特に現地の国境をまたぐ場合政治的理由により(お互いの隣国を信用していない為)必要の無い黄熱病等の接種もしなくてはならない。

例えばロンドンからケニアのナイロビを往復する場合なら不必要である。しかし拳法の講習会と言う事になると、ケニアからタンザニアと言うように国境を越える必要が出てくる。この場合には黄熱病が何年も発生していないという現実があるのにも関わらず、接種の証明書(通称イエローカード)が必要である。

話を86年に戻すと、ロンドンからエチオピアのアジスアババ(アディスアベバとも言う)に到着した。街中には人があふれていた、地方から集まってくる人達でアジスアババの街は何処もごった返していた。

海抜2000メートルのこの首都は到着後しばらく高山病のような症状が起きる。小生も例外ではなく到着したその日は軽い頭痛がしていた。翌日はすっかり慣れてしまったが。

先ず小生はJVC(日本のNPOボランティア組織)のアジスアババ支局の案内で現状把握の為に動ける範囲で見て回った。他にも日本からは24時間テレビのリリーフワーカーや、JICA(海外協力事業団)も活動していると聞いた。

なぜその時のエチオピアは食糧危機が起きたのだろうか?
当初小生は天候不順で雨が降らず農作物が出来ない為!と思っていた。それも幾らかの理由であったことは否定できない。しかし自分が現地に行って見た事は驚きの連続だった。

当時のエチオピアは政府と共産主義ゲリラとの内戦状態であり、食料が足りなくなった時も、海外から届く援助物資を送る手段(鉄道や道路)のインフラが整備されておらず、結局は必要な難民たちに届ける事が叶わず多くの死者が出たと言う訳である。

英国のリリーフワーカー、セーブ ザチルドレン、オックスファーム等といった非政府組織のNPOも活動に限度を感じているようだった。せっかく世界中の善意で届いた毛布や食料が、国内で内戦がありそれぞれが縄張りを作り、勝手に移動する事がこれら実績のある団体すら不可能であった。

つまり、難民が数多く出たその理由は天候や自然災害がメインの理由ではなく、内戦による政府と共産ゲリラの勢力争いが主たる原因だったと言うわけである。

夜それらNPOの事務所を歩いて訪ねたが、歩道を歩いている時など寝ている人にぶつかる。街路灯もほとんど無く難民が道路に寝ていても暗いし、又彼等も肌の色が黒い為全く見えないような状態であり進むのに困惑した事を覚えている。

続いてタンザニアの首都、ダルエスサラームに移動した。ここではJICAから派遣されていた熊坂さんと言う電話の技術者に会った。

たまたまロンドンで日経を読んでいて、少林寺拳法の指導もやっているとの紹介記事を見つけたからだ。 電子メールなど無い時代である、手紙を書きタンザニアを訪問する趣旨を伝えると喜んで出迎えてくれた。

彼から現地での仕事内容や少林寺拳法の事など色々と情報を収集した。残念ながら熊坂さんは帰国後15年くらいして亡くなってしまったが、その時見聞きしたタンザニアや、ダルエスサラームの状態はアフリカ体験が始めての小生にとっては大変参考になるものであった。

そして、次にケニアのナイロビに移動しそこで総裁一向に合流した。総裁は初めにやはり難民キャンプ(ソマリア)を訪れてその実情を検分した後であった。お互いにそれまでの情報を交換して、その年に催された国際大会(40周年記念大会)で義捐金を募り、その収益金を日本のボランティア団体JVCに寄付をした。

このように最初のアフリカ体験は自分に非常に大きなカルチャーショックをもたらし、その後少林寺拳法を通してアフリカの拳士達と、どの様に向き合って行くか、非常に大きな体験となった。

その後5回のアフリカ講習会に指導員として行っているが、発展している国、逆に治安が悪化して不安定になっている国など、全く人の質の大切さを目の当たりにする思いである。

『人、人、人、すべては人の質にある!』 本当に真実を突いた言葉だと思う。


2007/05/01

ミネラル ウォーター スティル&スパークリング

自分がまだ学生の頃はミネラル ウォーター等は一般的ではなかった。幸い日本は水と安全がタダ(無料)と言うのが一般的な認識の国だったように思う。勿論現実は安全にもコストが掛かっていた事は充分想像できるが、それでも当時の欧米諸国よりは余程安全だった事も事実である。

ミネラル ウォーター等と言う物を飲んだのもそれ程古い話ではない。事実この国(英国)に住むようになってもしばらくは水道水を飲んでいたからだ。

英国もそれ程水が悪いわけではない。ただ日本と異なり硬水のため、やかんの内側にはびっしりとスケール(カルシュウム塩)が付いてうまくは無い。エビアン地方やボルヴィック地方の水が有名なフランスに行った時にはそれぞれ独特の味があることを知った。

当初話しに聞いていた事は『フランスは水が悪いからフランス人は水の変わりにワインを飲むのが習慣だ!』と言うものだったが、全く通説など本当に当てにならないと思った。少し慎重に考えて見れば解かる事だが、水代わりにワインを飲める訳がないと言う事だ。フランス全土が水質が悪いわけではなく、イギリス等より良質な水がふんだんに出るところが沢山ある。 

日本でミネラルウォータを出したのは飲み水ではなくウイスキー等の水割りにする為だった。普通の場合は水道水で充分用を足していたのである。しかしこれも世界では普通の事ではない。国によっては水は大変高価な場合がある。アラブの国などではガソリンの何倍も値段がする。事実ロンドンでもミネラルウォーターはガソリンより高い物もある。

日本人が海外に出かけると『水が変わると直ぐに下痢をする』という事は多いかもしれない。確かに日本ほど衛生的に質の高い水を飲める国は少ないであろう。国土の75%を越える面積が山間部である日本は水質については恵まれていると思う。

自分も講習会などで海外に行く場合にはミネラルウォーターしか飲まない事にしている。これは単なる旅行とは異なり、もし講習期間中に下痢などしたら練習の指導など出来なくなってしまうからである。特に途上国の講習会は気を付ける。食事も野菜サラダなどはなるべく食べない。水で洗ってあるからだ。暑い国でも氷等入れて水やコーラを飲むと厄介だ。氷はミネラルウォーター等で作っていないからである。現地の人達には免疫があり、生まれたときから飲んでいる為に大丈夫でも、我々短期に訪れる旅行者には絶対に気の抜けない注意事項が水であろう。

幸い何処の国にもペットボトルの水は売られているし、全てがミネラルウォーターではなくてもこの様な水は大丈夫である。

しかしながら日本から来た人に今一つ不人気なミネラルウォーターがある。英国ではスパークリング ウォーター(ガス入り)と言うが、慣れないとなかなか飲みづらいようである。小生も当初ギョとした事を覚えている。イタリア等ではガス入りウォーターは人気がある。食後さっぱりした清涼感がある為好まれるのであろう。これも何度か飲むうちに好きになってしまう。コーラやジュースは甘くて食事の最中や後では飲めないが、さっぱりしたガス入りウォーターは一度味を占めるとやみ付きになる。

人間やあらゆる生命体にとって水は空気同様欠かせぬ存在である。その水と空気が無尽蔵に安く大量にある日本は今こそその尊さを真剣にとらえ、その環境を守り続ける覚悟が必要であるように思われる。水の取り合いで戦争になった国は世界でいくらでもある事を肝に銘じて。