2007/05/06

日本人と英語

外国語の得意な国民と言うのも確かにいる。

例えばスイスがその代表的な例である。スイスは自国の言葉が無いだけでなく,テレビ放送などもドイツ語、フランス語、イタリア語と3ヶ国語が公用語として使われている。厳密に言えばスイス国内で使われる言葉は全て外国語と言う事になる。

逆に外国語が苦手な国は日本、英国、アメリカ等であろうか。
英国とアメリカは外国語が苦手と言うよりは、英語が政治やビジネスの場で幅広く使われている為、我々には学ぼうと言う意欲が欠落していると自虐的に話している例を2,3度英国人から聞いた事があった。半分はその通りかもしれない。

逆に公用語として地域的に見ればスペイン語が一番であろう。又人口で数えれば中国語かもしれない。

しかしよくよく考えて見れば一つの国が完全に独立した言語を使っている国の方が少ないことに気が付く。

ご存知のように中南米はブラジルを除きスペイン語、ブラジルはポルトガル語、それ以外の地域でも同じ様なものでヨーロッパと言えどもオーストリア、ベルギー、ルクセンブルグ等も公用語と国名は異なっている。中近東もアラビア語が大半の国で通じるし、アフリカなどは旧宗主国の言語とそれぞれの部族語が混じっている。

日本語は世界で話される数としては知れている。幕末の開国以来、日本は英語を導入してきた。

学校教育の場に於いても義務教育の中学校で3年、半義務教育的になった高校も合わせると6年間も英語を勉強する時間がある。大学もいれるとそうとう勉強していることになる.そして日本国内を見れば、ほとんどの都市の駅前には外国語(英語教育)教室の看板が掛かっている。

これほど英語教育に力を入れている国なのに国民の英語に対する自信は非常に低いと言わざるを得ない。

なぜこれほど一生懸命に教育しているのに日本人は英語が苦手なのだろう。小生もロンドンに来た当初は全くと言ってよいほど話せなかったことは何度も述べた。

翻って英国やフランスで日本語を大学で勉強した学生はかなり話せる。
先ほどの英国人は外国語が苦手と言った事に矛盾すると言われるかもしれないが、これは一般的な例で大学や専門学校で日本語や他の外国語を勉強した人達は含まない。

勿論日本に行った事が無い学生達が流暢と言えるかどうかは別にして、しっかりと自分の考えを相手に伝える事が出来る者が多い。

では何処が日本の英語教育と外国での日本語教育との違いが有るのであろうか?
先ず日本の英語教育の根本的問題は、「使いもしない文法が中心」ということにあると思う。英文学を研究すると言うのなら話は別だが。

小生は会話には文法は(あまり)必要ないと思う。日本人は話すより先に文法的に間違っていないか?を自問する事になる。そんな事を気にしていたら会話にならない。話して会話する楽しみの前に、難解で使う事の無い文法で英語の成績が決められてしまうことにより、英語を勉強する目的や楽しみをそいできたのが実情ではないか。

その次には「恥の文化」である。
良くも悪くも日本人は恥を知る民族である。この恥ずかしいと言う感情が英語習得には邪魔をすると言う訳だ。それが証拠に恥を感じない10歳以下の子供たちの会話習得能力はすごい。これは日本人も何処の民族も変わらない。つまり大人になるまで海外に出るチャンスが無く、しっかり恥の文化を学習してしまった年齢の人達にとってはなかなか難しい英語である。

いま一つの問題はなぜ日本の公教育の段階で英語の文法ばかりが中心に授業が進められるのだろうか。

英語が実際に話せない(会話として使えない)教師が英語を教える事にも問題が無いとは言えない。海外で日本語を教えている日本語教師はほとんどが日本人と言う事もあるが、会話を中心に教えている。だから習った生徒も子供と同じ様に話せると言う訳だ。

最近では文科省もこの事に気が付き英語圏から英語教師の助士としてジェット プログラムを立ち上げ大学卒業生等を臨時で雇い入れて学校での英語教育に当てている。少しはこれで変わる事を期待したいものである。英国連盟からもこれまでに20名を超える拳士がジェットのプログラムで訪日している。

言葉は話せて初めて価値のあるものだと思う。
日本語において文法など考えて使った事など誰も無いはずである。これからの英語教師を目指す人達は、これまでの学校における英語教育の反省にたって使える英語を教えて欲しい。

幸いこのところロンドンにやってくる学生諸君を見ていると結構英語を喋ろうと努力している。この積極性は必ず将来の日本にも良い影響を与える事だろう。外国人と見ると何人であれ街の英語学校でアルバイトをさせてしまう(ビジネスは上手い)人達である。駅前留学など役に立たない事を早く気が付いて、その授業料で少しでも現実の英語圏に行き話してみることを進める。勿論少林寺拳士ならば尚一層の事、道着を持って旅行や留学先で道場にて練習してみる事を進める。

海外赴任の人達でもほんとは英語が苦手な人も結構居る。
そんな人達こそ少林寺拳法の道場に顔を出せば自然に英語も上達するはずである、なぜなら拳士は現地の人ばかりだから良い勉強になる事は請け合い。

いくら海外生活していても、いつも週末に日本人同士でゴルフなんてしてたら英語は上手くなりませんよ。

2 件のコメント:

  1. 養老孟司が古館伊知郎との対談で、日本語と日本における語学観には、ユニークな特徴がある、と語っています。要約すると、以下の【A】~【D】の主旨です。この考察が「正しい」はどうかはともかく、自分は「なかなか面白い」と考えます。

    【A】脳の左右半球にかかる負荷分布のパターンが他言語の話者と異なる。原因は

    (1)まったく規則性のない「訓読み」があり、これはひたすら記憶するしかない
    (2)母音数が少ないため同音異義語が多い

    であろう。

    【B】「読み書き算盤」と言うが、これには「読み」が初級で「書き」が中級であり、とにかく「読み」を徹底的に習得せよ、という意味も内包されているのではないか。そのくらい日本語は「読み」の難易度が高く、外国人が日本語を学習するときも高障壁となっている。他方で「話す」が軽視されがち。

    【C】漢字とはもともと象形文字である。これを多数学習し記憶しておくのは脳にとって「疲れる」ことなのではないか。とすれば、若い連中がケータイで絵文字を多用するのに不思議はない。どちらも象形文字という記号(アイコン)なのだから。

    【D】言語とは、脳において視覚と聴覚の両者を必要とするものなのだが、日本は自らの言語が持つ特徴のゆえに、他言語の学習においても「読解」(視覚)を最優先してしまう悪癖があるのではないか。

    ちなみに、自分は音楽をやっていたこともありまして、聴覚を優先するクセがついています。

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  2. Rusher 殿
    角度の違った視点からの指摘面白く読みました。 自分にはご指摘の日本語と
    日本人の学習能力についての判断はつきませんが、日本語には漢字習得という
    難しい課題も確かに有ります。 漢字は英語で云えば単語になりますから日本人も英語を話すためには単語(ボキャブラリー)を増やした方が早道である事も確かです。それにしても自分の事を言うのも恥ずかしいのですが学校での英語の授業は進むにつれて苦痛になりました。本来であれば上級に上がれば少林寺拳法のように楽しくなるはずの授業でしょうが。このところのロンドンにやって来る学生達の積極的な姿勢にはそんな中にも希望が見えるような気がしています。
    又の投稿を期待しています。

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