2015/12/11

ゼロからの出発

先に紹介したIKA(国際拳法協会)の初めての試み、日本セミナーは大変好評であった。主催者自らが言う評価は別としても、参加して頂いた日本の指導者達がどの様に感じたのかは私自身にも大いに関心がある。そして又この様な講習会を取り仕切って成功に導いた日本護身拳法連盟の指導者は、単なる趣味を超越した情熱が随所に感じられ永年同じ道を共に歩いてきた者として大いに共感を覚えた。

BSKF(英国連盟)の拳士
かつては少林寺と言う大きな組織に所属して、共に教えを広める事に喜びを感じ頑張ってきた指導者達である。 その様な熱心な拳法指導者達が何故それまでの組織を飛び出し、新しい組織を立ち上げたのであろうか。 現在も大きな組織に属している人達からすれば裏切り行為の様に思われるかも知れない。しかし彼等は望んでその様な行動をとった訳では断じて無い。やむにやまれぬ気持ちでそれまでの活動に区切りを付け、何とか自分達の目指してきた教えを後進に伝えて行きたいと願う強い思いから、立ち上がったと言うのが現実の姿ではなかろうか。

「その様な事は組織内でやるべきである」と言う人達も居るであろう。そう信じる人達はその様にすれば良いと思う。昨今の組織の衰退が彼等によってもたらされた訳でも無い! ほとんどの指導者は気が付いて居る事であろう。気が付いては居てもそれを公に口に出して言えない事を多くの人達が指摘して居る。かつては何十人も拳士が居て活気に満ち溢れていた道院が、10名にも満たない拳士しか集まらない状態になってしまった事を何と説明できるであろう。

日本護身拳法連盟を立ち上げた指導者達には、現状を変える以外に方法が無かったのではないか。もしそこにより優れたアイデアが組織から示されて居れば、彼等はあえて別の組織を立ち上げる必要など無かったはずである。組織が言う名称『少林寺拳法』だけを守って居ても、人が集まらない事は随分前から実証されている。問題はその様な現実を前にしてどの様に行動が出来るのか? 私は現在日本護身拳法連盟の相談役と言う立場になっては居るが、英国ではBritish Shorinji Kempo Federation(英国少林寺拳法連盟)の責任者でもある。その様な立ち位置の私から見ても、日本護身拳法連盟の指導者達はより宗道臣の教えに忠実な人達に見えてしまうから不思議である。

『自己確立』と言う言葉を何度も耳にした。しかし本当の意味で自己確立が出来た人は日本護身拳法連盟の指導者として独立した先生達ではないだろうか。大きな組織から独立し色々な批判も覚悟の上で、自分達の信じる道をゼロから追及しようと言う事は並大抵の決心では出来ないと思う。それでも立ち上がる事を決意した人達に誰が批判できようか。もしそれでも批判を口にする人が居れば「自分の心に照らして恥ずかしく無いですか?」と聞いてみたい。

イタリア、チェコの拳士
日本護身拳法連盟の指導者達は今非常に燃えている、少林寺と言う組織の束縛から解き放たれた自由と、やる気に満ちた姿勢には彼等が成さんとする思いが言葉の一つ一つから感じられる。この清々しさは何処から来るのであろうか? 不満をぶつけ合うのではなく、自分達の信念を貫き、護身拳法と言う新しい道に希望も情熱もささげられると言う喜びが、10月のセミナーでも感じられた。今回の第一回IKAジャパン・セミナーの成功が、大きな自信につながったのであればそれ以上の喜びは無い。

『人は一旦決意すると強いな』と言う事を、私も彼等の言葉や行動から学んだ。そうは言っても全く新しい組織を発展させて行く事は傍で言うほど簡単では無い。何処の世界でも同じであろうが、とりわけ武道の数が多い日本では新しい武道を目指す事が簡単であるはずも無い。しかしながらそこには共に信頼できる仲間と、共通の夢を語れる拳士が居る。希望の無い組織から解き放たれた彼等が、これからどの様に思い描く理想の武道を追及して行くのか、私も一緒に見守って行きたいと願っている。

まもなく年が改まる。来るべき新しい年がこのブログにお付き合い頂いた方々、そして投稿頂いた皆様にとって、希望に満ちた素晴らしい一年となるよう願ってやまない。
2016年も宜しくお願い申し上げます。

BSKF 水野  結手



2015/11/24

大きな成果を収めた 第一回IKA日本セミナー

前回の投稿から随分と日にちが過ぎてしまった。これまでに紹介した講習会から、今回はIKA(International Kempo Association)の日本における第一回講習会の様子を、私が感じたままを述べてみたい。

この度のIKA・JAPANセミナーは日本の指導者の協力無くしては語る事が出来ない事は明白である。 ヨーロッパの国々からは60名もの拳士達が参加した事で当初の予想をはるかに上回る海外拳士の協力は、講習会の成功をより一層引き立たせた。
第1回 IKA セミナー

この講習会に参加したからと言って昇級、昇段の試験が行われる訳でもない。そこには純粋に拳法を共通の喜びとして仲間達と練習したい!と言う明確な意思が有った。参加者が昇段試験を目的に講習会に参加するセミナーとは一線を画した心地よさが参加者全ての拳士から感じられた事は、何十年も前の講習会の本来あるべき姿を指導者達にも思い起こさせる良い機会となった。
神戸市役所 表敬訪問

また期間中には各国代表者による国際会議も並行して催された。参加者がそれぞれの思いを発言して、今後のIKAのあり方が熱心に議論された。 その中では毎年IKAとしてオフィシャルな大会と講習会を催して行く事も議題として取り上げられた。

神戸電子専門学校 表敬訪問

この度の講習会に参加した日本の拳士達からも数多くの賞賛と共鳴する意見が我々に寄せられた。 勿論海外から参加した拳士達は講習会のみならず観光や食事など日本ならではの貴重な体験を満喫した事は言うまでもない。 彼等の口から「次の日本での講習会はいつやるのか? 次回はより多くの仲間と共に参加したい」と聞かされた時には、今回のセミナーの成功が参加者から認められた事が感じられ、主催者の一人として大変うれしく思った。

最後に今回の講習会成功の為にご尽力いただいた日本の指導者の方々、そして又影の力として諸々のご協力を賜った総ての皆様に心より感謝の意を伝えたいと思う。皆さんの総力で今回のセミナーは大成功の内に終了することが出来ました、有難うございました。結手


姫路城
神戸ビーフ会食

京都観光

後夜祭

2015/07/10

講習会シーズン

毎年、春先は2月のBSKF学生合宿から始まり、4月からはヨーロッパでの特別講習会が控えている。今年は5月初めのイタリアはシチリアでの25周年記念大会と講習会、そして5月の終わりにはスイスでの講習会も紹介した。

6月中旬はアイルランドのディングルと言う場所で講習会が催された。その2週間後の6月最後の週末にはチェコの講習会があった。日本から応援に駆け付けてくれた指導員と一緒にチェコに飛び、講習会を無事乗り切る事が出来た。

この季節のヨーロッパは一年でも最も快適なシーズンを迎える。日本の様な梅雨は無く、日照時間も長く 午後の10時近くまでも明るいので一日の長さを有効に使うことが出来る。 イタリアから始まった今年の海外講習会も7月に入り山を越える事となった。アイルランドのディングルは大西洋に面した簡素な町である。その様な町にも日の長いこの季節、ヨーロッパのみならずアメリカやカナダ等からも観光客が訪れていた。

アイルランドと言えば世界記録のギネス・ブックで有名なギネス(黒ビール)の原産国である。ロンドンのパブで飲むギネスとは一味違ったドラフトのギネスが味わえるので、呑兵衛の小生には嬉しい場所でもある。練習後のパブではギネスを酌み交わしながらの食事となるが、地元のミュージシャンによるアイルランド民謡を聞きながらギネスのグラスが重ねられていく。昨年の講習会では地元のゲーリック語(アイルランドの言葉)専門のTVチャンネルが取材に来ていた。少林寺拳法の事を拳士や支部長が説明していたのだが、私には全く理解できなかった。


アイルランドの講習会から2週間が過ぎ、今度はチェコの講習会である。日本からの応援もあり今年も充実したセミナーとなった。 チェコはEU加盟の国ではあるが通貨はユーロではなくチェコ・クローナと呼ばれている。 1993年まではチョコとスロバキアは一つの国であった、現在では2か国に分裂し、それぞれが別の国家として国連にも加盟している。

どこの講習会でも感じる共通の印象と言えば、国は異なっても拳士の練習に取り組む熱心さである。1日の練習時間は概ね6時間位であるが、いつもながら驚かされるのは私ばかりでは無いようだ。6時間ぶっ続けての練習で不満を口にする事も無く、黙々と練習している10歳~14歳前後の年少拳士達の集中力には改めて感心してしまう。

今回のセミナーにはスロバキアから新たな参加者があった。元々は異なった武道をやって居たらしいが、少林寺拳法も少し習った事があるとの事で、今回の主催者に参加を申し込んだ様だった。その彼が当初 黒帯を締めて練習に参加して居たので、私が「君は何処で少林寺拳法を修行したのか?」と聞くと、「デンマークで武術を指導している日本人から少林寺拳法を習った」と答えた。

技の名前もいくつかは理解出来た様だが、天地拳第一をやらせてみると少し形が崩れて居る事が分かった。そこで「君は真剣に少林寺拳法をしたいのか?」と聞くと、「ここに参加してみて、もう一度最初から始めたいと思った」と言う答えが返ってきた。「では白帯に変えて参加しなさい」と言うと、翌日の練習には白帯を主催者から借りて練習に参加していた。今後 彼が少林寺拳法に対してどの様に取り組むのか、私もしっかり見守りたいと思う。

チェコ人に対する印象は非常に生真面目な人達が多いと感じる。ライフスタイルに派手さはないが、懸命に物事に取り組む姿勢はこれまで多くの異なった文化の拳士達を見てきた経験からその様に感じる事が多い。今回の講習会を主催した支部長にしても、チェコの地方都市(カルロイ バレー)からロンドンまで年に何度も往復して、1回の渡航では1週間程滞在し、毎日真剣に練習に取り組む姿勢が今も強く印象に残って居る。

彼は警察の幹部であると同時に、空手指導員の資格も有していた。そのまま続けていれば今頃は5段くらいの資格(実力)は充分に考えられた。しかし宗道臣の本(「思想と技法」)との出会いから、少林寺拳法を修行したいと私に連絡をしてきた事がきっかけである。丁度自分がカッパ・ブックスの『秘伝少林寺拳法』を読んで少林寺拳法にのめり込んでいった事を思い出させる。その後は講習会や合宿の都度、チェコからロンドンまで練習に通ってくる生活が始まった。初めの頃はいつまで続くのかと、半信半疑で見ていた英国連盟の拳士達も、講習会の都度見かける彼の姿に次第に共鳴するようになり、ホームステイ等の協力を申し出る拳士も出てきた。

空手指導員の経験があるとはいえ、剛法はともかく柔法の習得には他の拳士と同様 時間が必要であった。初段取得には彼がロンドンまで通い始めてから5年程掛かった事になる。その間 投げ出す事も無く懸命に練習に励む姿は、多くの英国連盟拳士達にも良い影響を与えた事は言うまでもない。そして彼に協力して少林寺拳法を首都のプラハで指導している拳士も一人居る。 彼は現在プラハの大学で教鞭をとっているが、ロンドンのインペリアル大学で研究者として勤めて居る時に少林寺拳法と出会った。

合気道3段の資格を持っており、チェコでは合気道の道場を続ける事も可能であった人物である。ロンドン滞在中はインペリアル大学の拳法部の練習に参加していたがそれだけでは物足りず、私の指導するメイフェア支部やシティ大学の拳法部にも参加する様になり、ほぼ毎日が少林寺漬けの生活であった。プラハへ帰る直前に初段に合格してからもBSKFの講習会や合宿には毎回顔を出すと言う熱心さである。ロンドンでの練習においてチェコ人二人の出会いがあり、首都のプラハでも支部を開設する運びになった。その後も事ある毎に協力し合いチェコでの少林寺拳法発展につながっている。

この様に一人一人の拳法にはそれぞれの出会いが有る。そこで何を学び、何を伝えたいのか? チェコの拳士達を見る都度、彼等の熱心な練習態度には教える側の自分がいつの間にか教えられる事に気付かされる思いである。



2015/06/09

スイス講習会について

先週末はスイスのヌシャテルと言う街で講習会があった、毎年この季節には招かれている。今年も良い天気に恵まれ、気持ちの良い2日間であった。今回はヌシャテルの姉妹都市(名前は忘れたが)との相互訪問と言うイベントが週末に催されて居た事も有り、普段よりも多くの人達が街に溢れていた。 いつも感じる事はスイスと言う国は街から村に至るまで、景観においては計算し尽された美しさを感じずには居られない。

現在スイスでの少林寺拳法は、名称が異なる5つのグループが共に協力して、スイス拳法ユニオンを形成している。元々はWSKOから国の連盟としての登録であったが、BSKFがWSKOから脱退した時と同じ頃、スイスも6支部あった内の4支部がWSKOから脱退してしまった。これは我々BSKFが働きかけたものでは無く彼等が自分達の判断でWSKOから離れた訳だが、たまたま時期が重なった為に私にそそのかされて脱退したと思われているのかも知れない。お断わりしておくが決してその様な事実はありません!

今回もシチリア同様に拳士の熱心さが随所に感じられる、気持ちの良い講習会であった。スイスと言う国は国内に異なった言語体系を有する珍しい国でもある。その中でもドイツ語を話す人達の割合が最も多く、6割の国民がドイツ語圏に住んで居る。毎年講習会が行われるヌシャテルは、フランス語圏に属しており3割前後と言われている。残りの1割くらいがイタリア語圏らしい。

今回もバーゼルから支部長始め拳士が数多く参加し、充実した講習会であった。彼等にしてみれば三段、四段以上の技を練習する機会は少ないのが実状であろう。その様な訳で講習会での技術科目も私が指導する科目は有段者が中心になるのが普通である。熱心な質問と同時に何とかコツをつかもうと皆真剣である。指導する私もついつい彼等の熱心な姿勢に、普段以上に力が入ってしまうから練習の後は体力的にも限界である。

皆で囲むレストランの食事もビールやワインが出され、こればかりは先月のイタリアや日本でも同様な楽しい一時である事は共通している。それぞれの国には異なった料理文化が存在するが、スイスの様に海に面して居ない国では日本の様な新鮮な魚料理と言う訳にはいかない。その代わりに肉料理やチーズ料理は豊富と言う事なのだと思う。

これを読まれた皆さんがスイスを訪問される機会があれば、是非練習に参加して少林寺拳法と言う共通の楽しみを現地の拳士達と共に味わって頂きたいと思う。きっと充実した楽しい時間が共有できると信じて居る。







2015/05/26

発展する会社(組織)と瓦解する会社(組織)

前回はイタリア、シチリアでの25周年記念大会と講習会の様子を報告した。その中で自分達がかつて同様な事(喜びとして)が出来た事を述べたが、少し掘り下げて考えてみたい。

戦後日本の武道と言う環境の中で、比較的短期間に大きな発展をとげた武道団体と言えば、宗 道臣の少林寺拳法と大山 倍達の極真会くらいであろう。両団体とも手法は異なるも、卓越した創始者が居たからこそ大きな発展に繋げられた事は疑う余地も無い。

しかしこの様な事が出来た組織が当たり前であるはずがない!そこには宗 道臣や大山 倍達に強く傾倒する指導者と拳士(弟子)が存在したからこそ、実現出来た話である。少林寺拳法に限って言えば、大きな理想をかかげて少林寺拳法を創始した宗 道臣が居たからこそ可能となった事実(発展)ではないだろうか。

もし仮に宗 道臣が居なかった少林寺拳法を想像してみれば分かると思う。数ある武道の中で短期的に、これ程大きな組織に発展する事が出来たであろうか?創始者で成功した者には、並外れた感覚と技術のみならず実行力があったからである。なにもそれは少林寺拳法の開祖 宗 道臣や極真会館の大山 倍達に限った話では無い。

目を実業界に向ければなお一層理解できるのではないか。 本田 宗一郎の居ない『HONDA』、井深 大と盛田 昭夫の居ない『SONY』、松下 幸之助の居ない『Panasonic』、国内に限った事では無い。スティーブ・ジョブスの居ないアップル、エンゾ・フェラーリの居ないフェラーリ、トーマス・エジソン(戦後ではないが)がもし居なかったら、そもそも現在まで続くGEは存在したのか。などなど数え上げればきりがない。

それらの創立者と呼ばれる人達の中には、非常にエキセントリックな人物も珍しくない。

普通の人が思いも掛けない事が出来たから、大きな成功も可能となったと言う方が正しいのかも知れない。しかし肝心な事は、その様な偉大な創始者を失った時、会社や組織がどの様に発展を続けられたのかと言う事を見てみれば、ある程度の答えは見つけられるのではないだろうか。

創始者亡き後も発展を続けることが可能となった組織や会社には、そのほとんどが多くの人知を結集して発展に繋げてきた事が見てとれる。逆の場合には組織や会社は倒産するか責任者が替る事で、その後の発展に繋げられた。

創始者亡き後も成功し発展する組織には、それらを可能にするメカニズムが存在するはずである。ほとんどの場合、創始者が実現したビジネスモデルを継承するプロセスは尊重される。武道組織の場合には中々難しい事が沢山ある。多くの組織が直面する後継者問題に複数の課題が存在する事は枚挙に暇がない。

武道団体の難しさは組織運営(経営能力)の前に、血筋や武道家としての実力等が、非常に問題を難しくしている事が挙げられるのではないだろうか。創始者は全てにおいて尊敬を集め、創始者その人が法律であっても問題は無い場合が多い。宗 道臣や大山 倍達が正にこれらに当てはまると考えられる。しかし後継者がそこを見失うと組織は崩壊に向かう事になる。この問題を克服した武道組織だけが、その後の発展に繋げられると言う事なのだと思う。

果たして現在の少林寺組織に発展に繋げられるメカニズムは存在するのか? 私には想像が出来ない。世界に多くの支社や従業員を抱える大企業でも、これらのメカニズムが機能しない会社は倒産する例を数多く見ている。もし二代目トップが、自らを創業者と同等の能力が有ると勘違いしているとすれば、残念ながらそれらを救えるマジックは存在しないであろう。

2015/05/12

イタリアのおもてなし


今年の講習会シーズンが始まった。
昨年8月のBSKF40周年記念大会に参加してくれた事がきっかけとなり、今年は彼等の25周年大会と特別講習会に行く事を約束していた。過去に何度も訪れているイタリアでの講習会ではあるが、今回の訪問はお互いがWSKOと言う組織を離れてからは初めての記念すべき? 講習会となった。

今回の大会並びに講習会には昨年のBSKFと同様に、日本からも指導者が駆け付けて頂いた事で大変に充実した催しとなった。参加したBSKFの拳士も3名の支部長初め10名を超える拳士の参加があった。その他にもスイスや新しく我々のグループIKAに加わったスペインからも、指導者のみならず拳士の参加が実現した事は大きな成功と自信をもたらす結果となった。


以前イタリア連盟が主催した講習会に比較すれば、拳士数においては比べるまでも無い。当時イタリア連盟は発展期に入っており初めてのヨーロッパ講習会を主幹する事で、国内やヨーロッパでの問題を封じ込める事に成功し乗り切った。ヨーロッパでの講習会としてはピークの参加拳士数を記録している。

その様な事情を知る者からすれば、今回のシチリア25周年の大会・講習会は実に意義深いものであった。 第一に参加拳士の笑顔が実にイキイキとした印象を与えていた。そこには上からの命令で強制的にさせられている大会ではなく、自分達の記念大会に海外から応援に駆け付けてくれた拳士達と、共に最大限に楽しみたいと言う気持ちを見てとる事が出来た。それは昨年8月に催されたBSKF 40周年記念大会と全く同じ雰囲気が再現されたものと思われる。



思い起こせばこの様な雰囲気の大会は何も昨年に始まった事ではない。開祖が存命中は毎年この様な雰囲気の大会が催されて居た事は、当時を知る指導者には理解出来ると思う。 大会も講習会も自分達が楽しむためにやって居る。そこには心から喜びを分かち合いたい仲間が居て、自然に協力する事があたりまえの様に出来た。仮に先生や先輩からの指示があったとしても、そこには自分に課せられた責任を喜びとして受けとめる事が普通であった。


今回の講習会に日本や海外から参加した指導者や拳士達にも、主催したイタリア拳士達のホスピタリティは充分に伝わっていた。 昼食時には美味いワインも添えられていた事をBSKFの支部長達には是非記憶しておいて欲しいものである。昼食時間はイタリア同様、3時間は必要ですぞ! 宜しく。


2015/05/04

新たなる旅立ち No.2

前回『新たなる旅立ち』として書いたが、今回はその後の動きを述べてみたい。日本からの問い合わせや支援者に対して私から直接的な働きかけはしなかった。 しかしその様な中にあってこれまで少林寺拳法の指導者として長年運営に関わってきた人達の中から、実際の行動を起こす人達が現れた時には新鮮な驚きと同時に大きな責任を感じた。

今年の初め頃から色々と相談を受ける中で、私自身が何かお役に立てる事があれば協力させて頂く事を伝えた。そうは言ったものの形として何かが形成されるまでにはかなりの時間と努力が必要で、組織としての形が出来上がるまでには、多くの人達の協力が有ったればこそ実現に至った事は言うまでもない。

私がこの場にも何度か書いた様に、新しく拳法の組織を日本国内で立ち上げようと考えるのであれば名前にこだわる必要は無いと言う事である。今回この様な考え方に共鳴して、護身術としての武術に思い入れを強く描く指導者達によって立ち上げられた組織に、相談役と言う形で関わる事が出来て光栄に思う。

『少林寺拳法は日本以外では一般名称である』と言う事がこのところ急速に知れ渡る事となり、様々な国で色々な形の『少林寺拳法』と呼ばれるグループが活動を始めている。私がこのブログで1年ほど前に指摘したように、WSKOがいくら主張しても、『世界で一つの少林寺拳法』とは言えなくなってきた事は現実が証明している。今日の様なインターネット社会であれば世界中にどれくらいの数の『少林寺拳法』を名乗るグループが存在するのか直ぐに分かる事であろう。

この事実が理解できていないと今後世界中で出現が予想される摩訶不思議な『少林寺拳法』に振り回される事になる。「その様なグループは少林寺拳法では無い」と主張しても、次々に出てくる同様なグループに対して打つ手は無くなるであろう。日本国内では知られて居ない無数の少林寺拳法が、世界では様々な国で現に出始めている。自分達で勝手に作ったと思われる、おかしな法衣(少林寺経験者から見れば)を着た先生が、靴を履いて真顔で指導しているビデオもYoutube で見る事が出来る。真っ黒の道着を着ている少林寺拳法の指導者も存在する。私が述べた『パンドラの箱』は開いた事が見てとれると思う。

この様な現実に目を背けているばかりでは何も変わらない。しっかりと眼を開き現実を見る以外には何も解決等出来ないであろう。 同時に日本で活動を始めた元少林寺拳士による『拳法』の団体も数多く存在している。 彼等は別派ではあっても偽物では無い!長年、少林寺拳法の指導者として携わってきた人達である。組織の示す方向と自分達の信じる方向が異なった為、やむなく別組織として活動を始めたと言う方が正しい解釈であろう。

世界は益々狭く感じる様になり、情報伝達のスピードも過去のものとは格段の違いを見せる時代である。この様な時勢において数十年前と同様のプロパガンダを繰り返すだけで拳士が納得するとは考えられない。

我々が望む拳法の姿とは『宗道臣の教え』を根底に持つ組織の結束ではないかと考える。いくら名前が『少林寺拳法』であっても靴を履いて練習し、形だけの法衣(らしきもの)を着ていても、同じ拳法グループとは認めたくない人達も居る。 又逆に名前は『少林寺拳法』とは名乗って居なくとも、正当に教えを貫いて居るグループであれば共に協力が出来るのではないかと考える。

要は名前が何よりも大切(前提)ではなく、『どの様な教えをしているか』が問われているのではないか。摩訶不思議な『少林寺拳法』は自分の目で確かめて頂きたい。それに対する私のコメントは必要ないであろう。個々の拳士や指導者が判断すれば良い事である。『名前』(少林寺拳法)を取るのか、『実』(実際の指導内容)を取るのか? 拳士それぞれが選ぶ時が近づいて居る様に感じている。

2015/04/28

タマ 今年9歳です

タマ1歳
タマ1歳
我が家で飼っている『タマ』、ジャックラッセルの♀は4月で9歳と4か月になった。相変わらず元気で病気や怪我もなく飼い主孝行の犬である。タマの名前の由来は背中の丸柄である。「ネコの様な名前だ」と名前を聞いた日本人からは笑われるが、日本人以外からはその様な指摘は無い!

今年で9年過ぎたと言う事は人間で言えば60代の中頃か? 小生と同年代に近い熟女になったと言う事か。しかし元気の良さは相変わらず、5、6年程前とほとんど変わる事は無いように感じられる。しかし良く観察すると顔の周りに白い毛が多くなっている。人間ならばさしずめ白髪が増えたと言う事か、自分の頭を鏡で見れば何のことはない、タマと一緒である。!

タマ3歳
タマ3歳
お互いこれからも元気で過ごしたいものだ。散歩はこのところ小生の方がくたばるのが早いかも知れない。奴は2時間でも3時間でも走り回って居るので出かけるのが少々億劫になってきた。とは言え天気の良い日には長時間の散歩に連れ出してやらねば。それがないと足腰が弱ってくるのは小生も同じかもしれない。

タマ5歳
タマ5歳
楽しく拳法を続けられるのもタマとの散歩が大きく貢献していると考え、出来るだけ夏の間は散歩に連れ出してやろうと思っている。タマ、後10年はお互いに現役で頑張ろう、宜しく。

タマ9歳
タマ9歳

2015/04/07

新たなる旅立ち

年が改まったと思う間もなく早や4月である。新たな旅立ちをする人達が学校や社会に、希望に満ちた第一歩を踏み出そうとしている。 その様な季節なのかこのところの投稿欄にも、現在の少林寺拳法と言う組織が示す方向やあり方に疑問や不信を抱き、私にメールを送ってくる指導者が増えてきた。

その人達のほとんどは、これまで少林寺拳法の指導者として第一線で活躍してきた方々である。自分達が何十年も前に開祖の熱い思いに触れ、少林寺拳法こそ生き甲斐と信じ実践(指導)してきた指導者達である。 少林寺拳法の開祖宗道臣が説いた教えとはいったい何であったのか? どうして拳士はこの様に強い絆で結ばれ、少林寺拳法と言う武道に情熱を掛ける事が出来たのであろうか? 今一度原点に立ち返り検証してみる意味はあると思う。

開祖 宗道臣の教えは平たく言えば『理想境建設』である。その為の手段として人材の育成『人、人、人、全ては人の質にある』と言う名言を残した。少林寺拳法と言う武道を通して社会に貢献できる人材の育成が主目的では無かったのか? 言い換えれば良い社会作りに対する宗道臣の提言(提案)とも言える。

少林寺拳法の目指す究極の目的が『理想境建設』であり、その為の人材育成であるとすれば、富士山の頂上をめざし登山する方法論にもつながりはしないか。つまり『理想境』を富士山の頂上と仮定すれば、そこに至る一つの選択(道筋)であると言う事も出来る。 頂上にたどり着く為の道は一つでは無く、選択肢はいくつもある。これが宗道臣の提案であり「少林寺拳法だけが唯一絶対の道だ!」と言っている訳ではない。

政治も、経済も、科学も、文学や音楽やスポーツも、富士山の頂上『理想境』を目指す為の選択肢となり得るはずである。 開祖が残した言葉に真実(言いたかった事)を見い出すとすれば、少林寺拳法による人作りとは『半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを』を、行動で示す事の出来る人材の育成であった様に思う。この言葉は「我々は『少林寺拳法』と言う武道を通してその様な人材を育成したい」と言う、開祖からの提言と見る事も出来るのではないか。

指導者は自分達の組織の掲げる言葉に酔ってはいけない。少林寺拳法だけが社会に貢献できる人材を作る事が出来る組織と勘違いしては居ないだろうか? 開祖の言葉を釈尊の残した遺訓の様に感じ、現在でも教えを大切に伝えようと努力して居る指導者には敬意を表したい。しかし同時に教えが大切であればこそ、より多くの人達がその言葉(教え)に触れ、人生の指針として社会で必要とされる人材となり、活躍(実戦)して頂きたいと切に願うものである。

複数の指導者から問い合わせを頂き、私が個人的に感じた事は、情熱をもって指導してきたはずの道院長や支部長が、何故今の状況に矛盾と不満を感じるのであろうか。 それに対する私のコメントは答えでは無い! 一つの考え方と捉えて頂きたい。少林寺拳法と言う武道から得た教え(哲学)と経験(技)を、後進に伝える方法はいくらでもある。 名前(ブランド)にこだわって本質を見失っては意味が無い。利権と保身にこだわって居る組織に、良い指導など出来るはずがない。名称など何でも良い、本質を残したいと思う。

又武道の修行だけが教えを実践する方法とも思わない。投稿の中から素晴らしい体験や、少林寺拳法の哲学で得た教えを社会の中で実践している人達が居る事を知る事が出来た。教えを糧に社会の弱者に役立つ技術開発を、将来の夢として熱く語ってくれた拳士も居た。現在は異なった分野に進まれた拳士達ではあるが、開祖の教えを正に実践している人達である。このように私達の目指す(願う)社会貢献は、少林寺拳法と言う狭い世界の中にあるのではなく、いたる所にあるのではないだろうか。

2015/02/20

少林寺拳法の道院長は真の宗教者か

宗教法人を名乗る組織が日本には18万2千以上も団体が有ると聞き驚いた。世界広しと言えども一つの国に18万もの宗教を名乗る団体が存在する国は聞いた事が無い。ただしこの数字は国(文科省)に届け出たものと、地方自治体に登録したものとがあり中には重複している団体も有るらしい。

のっけからこの様な驚くべき数字になってしまったが、勿論日本ばかりではなく世界各国では様々な宗教が数多く存在している事も事実である。その中には前のブログでも書いた様にカルト的性格の強い団体も多く含まれている。只一つ言えるとすれば日本の様に18万もの宗教団体が存在する国は無いと言う事だ。

その主な理由は多くの国で一神教が多く、仮にその国で一般的に信じられている宗教とは異なった宗教の人達が居たとしても、百も二百も異なった宗教が出て来る事が難しいのが実体であろう。クリスチャン(キリスト教徒)が中心の国でも、カソリックからプロテスタント、ギリシャ正教まで色々あるが、その国内に20も30も違うキリスト教の団体があると言う国は聞いた事が無い。

テロ国家ISの問題で一躍日本国内でも存在が注目を集めているイスラム教徒だが、イスラムの国においてもキリスト教が中心の国と概ね、宗教団体の有り方(数)は同じである様に思う。前にも書いた様にこれら一神教の国々では中々異教徒(異なった宗教)を認めない人達が多い事も、宗教団体が派生しない主な理由なのかも知れない。

日本では逆に土着の宗教(神道)が諸々(八百万)の神々を認める事から一神教とは全く異なった宗教観が培われた。仏教やキリスト教が海外から入ってきた宗教にも関わらず、問題なく共存して行けるのは神道的価値観が根底にあったせいとも言えなくもない。八百万の神々という信仰からすれば18万余りの宗教団体等どうってことは無い現象なのであろうか。

そこで今、宗教団体を標榜する少林寺拳法と言う組織の道院長にあえて確認しておきたい事がある。貴方はご自身の事を「私は宗教家である!」と自信をもって言えますか。

私も開祖 宗道臣の本は一通り読んではいるが、とても自分の事を胸を張って「宗教家です」とは言えないからである。もしその様な道院長がおられるとしたら色々と伺ってみたい事がある。

逆に「私は宗教家では無い」と言われるのであれば、では宗教法人であるはずの少林寺拳法という組織は、宗教団体として何を教えている団体なのか是非伺ってみたい。

2015/02/02

実像と虚像の狭間で

日本の武道が世界に紹介されて久しいが、近代的な社会になってから初めに世界で名声を得たのは柔道ではないかと思う。勿論それ以前にも柔術や剣術があった事は知られてはいたが、世界から認知を得るのには時間が掛かった事も事実であろう。

その様な中で、2020年の東京オリンピックに向けて、空手が新しくオリンピック種目に加わる為のロビー活動がニュースで紹介された。空手は1980年代初めにもすでにオリンピック種目として検討されていた事は知られて居るが、当時の空手界は日本国内の各流派によるルール統一が難しく、見送られてきた経緯がある。その間に韓国のTaekwondo(テコンドウ)が先にオリンピック種目に加えられ空手界は今日までそのチャンスが無かった。

そのスポーツの普及度からすれば空手の方がテコンドウより遥かに競技人口が大きい事は事実ではあるが、これまで種目として認められなかった主な原因は異なった流派による綱引きが大きな理由であろう。ここにきて空手の世界も世界空手道連盟(World Karate Federation, WKF)がスペインのマドリードに本部を置き、東京オリンピックを契機にオリンピック種目に名乗りを上げたと言う事だと思う。

柔道も空手も日本から出た武道にもかかわらず、世界連盟の本部がフランスやスペインにある事は何を意味しているのであろうか。世界に誇る事の出来る日本文化が広く世界中で認められる機会を、日本と言う限られた世界での価値観によって自ら難しくして来た事実は否めない。その事が柔道や空手の団体をして世界組織の本部を海外に求めた一因ではないかと想像する。 

翻って我々の少林寺拳法を見てみれば世界へ普及する事の難しさをより一層感じずにはいられない。その最も大きな原因は組織の抱える不透明な構図ではないか。日本国内では宗教団体を標榜すると同時に一般財団法人(公益では無い)も運営している。世界連合(WSKO)は宗教法人では無いがその説明には当然の事ながら難しい問題を抱える事は言うまでもない。

今一つの問題は少林寺拳法と言う組織の掲げる矛盾は、海外に於いてさえ指導者に対してボランティアを要求する姿勢である。5年程前に私の事を糾弾するために支部長達を集めて行われた会議の席で「水野は少林寺拳法を指導して収入を得ている」との発言が有ったと報告を受けた。これには参加した支部長から「何故それが問題になるのか?」と逆に質問され、トップが答えに窮したと伝え聞いた。

質問した支部長に言わせれば「それがいけないとすれば、(組織のトップである)あなたや職員はどの様に収入を得ているのか」との思いがあったのであろう。「自分は特別な存在だから組織から給料を貰っても当然である、しかし他の支部長はボランティアなので少林寺拳法の指導で収入を得てはならない」。この様な論理が世界中で通用するはずも無い事は誰が考えても明らかである。それが少林寺拳法と言う武道が世界に発展する事を妨げている最も大きな原因ではないだろうか。

本音と建前を巧みに使い分けて組織を維持して行けるほど世界は甘くは無い。経済的に厳しい国も有る。その人達に対してもボランティアで指導を強要すれば確実に辞めてしまうであろう。先進国においてさえ同様な問題は存在している。海外で日本人が働く事の難しさを全く理解しない人達の机上の空論と言われても仕方がない。

日本人に限らないが海外で働くと言う事は先進国、途上国を問わず非常に難しい規制がある。先ず合法的に働くためには当然の事ながらその国で働く為の労働許可証を取得する必要が生ずる。私が労働許可証を取得した経緯はブログでも紹介したので繰り返さないが簡単な事では無い。労働許可証が幸い得られたとしても許可された勤務先の仕事以外から収入を得る事は許されない。少林寺拳法の指導員として得られた労働許可証で他の仕事をして検挙される事になれば国外退去は免れ得ない(もちろんその逆も)。

「私は少林寺拳法をボランティアで教えているので収入を得る事は出来ない、よって別の仕事で収入を得る必要があります」この様な理屈が通用すると本気で考えて居るとすれば、世の中の仕組みを全く理解して居ないトップが君臨する組織と言われても仕方がない。その様な組織が世界に発展して行けると多くの拳士は信じて居るのであろうか。

私が一例として挙げた組織の抱える矛盾は他にも数多くある。日本では当たり前の事が、世界でも普遍的に当たり前であるはずもない事は理解して頂けると思う。『実像と虚像の狭間で』とのタイトルで書き始めたが、実像以外に物事が発展して行く事はあり得ないと思う。残念ながら少なからぬ人達が虚像に怯え、本来の有るべき実像が見えていないと感じた事が今回の表現となった。

個々の表現で不快に感じられる箇所があったらお許し頂きたい。決して個人的な批判をしているのでは無い事をご理解頂ければと願っている。

2015/01/24

現状維持が快適か

昨年の40周年の大会以来ヨーロッパの国は元より、日本からも多くの方々から問い合わせを頂く様になった。また同時にこのブログにも沢山の書き込みを頂いたが、現状に対する不満は直接話を伺った指導者の方々にも共通して『組織の示す方向性』についてのものであった。 私の知り合いも昨年からの組織改革の名の下に道場を閉める結果となり、長年続けてきた努力の結果がこの様な結末となった事に大いなる不満を口にしていた。


少林寺拳法と言う武道団体が発展することが出来た大きな要素は、他ならぬ個々の指導者の努力の賜物である事は言うまでもない。その様な指導者は組織の発展の為に自己犠牲は元より、家族や友人にも協力(理解)を仰いだことであろう事は容易に想像できる。その様な努力が報われるどころか、1通の通達でこれまで心血を注いできた道場を閉めなければならない事態を簡単に納得できる訳もない。


今一つ私が不思議に感じる事は、上記の様な現状に対して非常に大きな不満を口にする指導者が数多いにも関わらず、なお組織に留まろうとする人達が多いという事実である。物事を簡単には割り切れない事は理解できるが、自身がそれ程までに不満を口にするのであれば何故変えようとしないのであろうか? 別の見方をすれば、何故それ程までに理不尽な扱いを受けても、組織に留まるのか?と言う疑問である。この様な不満を抱いた道院長では現組織に対する忠誠心が強いとは到底考えられない。何かにつけての不満は周りにも聞こえてくる。


それでも道院長と呼ばれる事にそれ程大きな魅力が有るのだろうか、私には理解できない。組織外の者が口を挟む事では無いかも知れないが、現状を知るにつけ益々理解不可能な状態と思える様になってきた。単純に組織の外(武道とは無関係の者)から見たとき、少林寺拳法の道院長が、それ程大きく評価をされているとは思えない。武道の世界で『先生、先生』と呼ばれる事が、単にその武道の先駆者とは見られても人格評価には繋がらない事を開祖は法話で述べられて居た事を思い出す。


現状に不満が有り、何とかそれを打破したいと願うのであれば、自ら行動を起こす以外に変える事など出来るはずもない。私が日本へ行った折、多くの指導者とお会いし話をする機会を得た。そこで得た印象は少林寺拳法と言う団体は過去のものとは様変わりしており、全く別の組織(団体)になったという事である。 名前こそ同じではあっても、過去の武道から得た名声とは裏腹に、現在はかけ離れた存在の団体になってしまったと言う印象だった。


その様な折、何人かの指導者から「自分達で出来る事を考えたい!」と相談を受けた。私に何が出来る訳でもないが、私達の経験が何か参考になるのであれば喜んで協力させて頂くと伝えた。自分達だけで色々考えて居ても、なかなか次の段階に進む事は難しい事も理解できる。その様な人達にはこの投稿欄にも述べた様に日本国内は元より、海外においては日本の優れた指導者が必要とされている事をお伝えした。 組織の一翼を担ってきた指導者の努力(武道としての技術の指導)を、単なるパフォーマンスとしか評価しない現組織では、多くの指導者の研鑚と努力は将来も陽の目を見る事は無い。


「自分に正直になって考える時に来ていませんか?」私はそんな質問をぶつけてみた。指導者と呼ばれる人達はパフォーマンスをする為に少林寺拳法を続けてきたのでしょうか。 自分に嘘をついて続けたとしても、同様な境遇の仲間に合えばついつい本音が出てしまいます。「そのような状態をこれからも続けて行けますか?」 少林寺拳法に対する情熱が「自身が入門した時と同じ、熱い思いが湧いてきていますか?」 私にはなかなか想像出来ません。拳士数が増えない最も大きな原因がそこにある様に思えてなりません。

2015/01/15

中々見えない自画像

世界は今『シャルリ』のオンパレードの様な感が有る。言うまでも無くテロリストによって襲撃されたシャルリ・エブドの被害者に対する支援の声である。世界中にニュースが配信される今日では、本物の銃撃シーンが人々に与える影響も計り知れない程大きい事は言うまでもない。

17人もの人が短時間に殺されてしまう現実を目の当りにした世界中の人々が受けた衝撃は、東日本大地震や原発事故にも相当するインパクトが有った。勿論自然災害とテロリストの事件は異なってはいるが、単純に人々が感じたショックの度合いからすれば共に大きな事件と言えるのではないだろうか。

事件の直後に世界中から50か国を超える首脳・閣僚がパリに集まり、370万人とも言われたデモの先頭に立って連帯を訴えた事がその衝撃の大きさを物語っている。同時にやり場のない怒りと、これからも身近で起きる同様なテロに対する恐怖感に連帯する事こそがテロに屈しないと言う、一般市民と世界のリーダー達に出来るせめてもの表現(デモンストレーション)だったのかも知れない。

テロとの戦いは今に始まった事では無い。大きな転換は2001年のニューヨーク、ワールド・トレード・センターの9・11(同時多発テロ)からである。それ以前にも日本においてオウム真理教が引き起こしたテロ(地下鉄サリン事件)があった。その後のロンドンでのG8サミット期間中の地下鉄やバスでのテロや、スペインでの列車内でのテロ事件等が直ぐに思い起こされる。ヨーロッパの国々に限った事ではなく、アジアでもインドネシアのジャカルタやバリでの事件、そして北アフリカ諸国でもテロの数が多い。

そのほとんどにイスラム教過激派勢力が絡んでいる。イスラム教は日本人には馴染みの薄い宗教ではあるが、過激派(原理主義派)にとっては欧米型社会のシステム其の物に反発しているグループが多く、何処の国であっても攻撃の対象となる。日本人がこれらのテロに巻き込まれた数は少ないが、2013年の1月にアルジェリアの天然ガスプラントで起きた事件は記憶に新しい。

何故イスラム原理主義はこれ程までにテロを起こすのか? だが先ず初めにイスラム教徒とイスラム原理主義者を区別して理解する必用が有る。イスラム教徒のすべてがテロ事件に絡んで居る訳では勿論無い! 原意主義と言われる宗教であればイスラムに限った事ではなく、キリスト教や仏教(オウム真理教)でも同様の事件が過去にも起きている事を考えれば、極端な教義の解釈はどの様な宗教でも原理主義になり得ると言う事を理解しないといけない様に思う。

確かに一神教の方がどちらかと言えば過激な行動に至りやすいと言う事が言えるのかもしれないが、ここで宗教の源流をたどって行くとキリスト教、イスラム教等の一神教はユダヤ教を源として居る事が分かって居る。 共に同じ源を共有しているにも関わらず一神教を貫く両派(キリスト教、イスラム教)は共にお互いを認めようとしない人達が多い事も事実である。

八百万(やおよろず)の神々を信じる日本人からすると理解できない事なのであろうと想像する。又それが神道と仏教の共存を可能にしている日本の大きな特徴なのかも知れない。世界から見たときその様な日本人は非常にまれな宗教観を持った国民だと思う。ほとんどの日本人の宗教観は、彼等一神教の人達から見れば無宗教者であると思う。第二次世界大戦の後に連合国から突き付けられた戦前の神道イズムの否定から、無宗教者が増えた事も一因かも知れない。

学校教育の場から宗教性が消され(宗教に対する中立性が求められ)、多くの場合で宗教そのものを学習する機会は少ない事も無宗教を助長している原因と考えられる。これとは逆にイスラム教の国では学校教育の現場でも当然の事ながら宗教教育は行われている。 これらの理解無くして単に自分達の価値観を一方的に押し付けても解決の糸口は中々見えてこないのではないだろうか。

フランス政府は今回のテロを受け、国会で首相が『フランスはイスラム国とテログループ(アルカイダ等)と戦争状態になった』と発言するに至った。  フランスは国旗の三色旗が示す様に『自由、平等、博愛』を国是として来た国である。その首相が戦争状態になった事を宣言した事は本当に深刻な状態になった事を意味している。 同時にこれらのテロはフランスに限った事ではなく世界中で何時でも起こり得る事を理解する必要があるのではないか。

今回の事件を受けて人々が繰り返す『自由』と言う言葉に、時々このままで良いのか? 『報道の自由が大切だ』と言う気持ちは理解できても、その自由な表現(風刺画)により、傷つく人達も居る事を理解した上での『自由』なのであろうか私には理解できない。

イスラム原理主義者のみならず、自分達が命よりも大切と信じる存在(モハメッド)を風刺画により貶める事も表現の自由であるとの主張が、一般のイスラム教徒から理解される事は難しいのではないか。 自分や家族が同様な辱めを受ける事を考えれば、ある程度彼等(ごく一般のイスラム教徒)の気持ちも理解できるのではないかと思うが、感情が激高した今の欧米の雰囲気では中々静まりそうもない。人の事はよく見えて批判できても自画像は中々見る事が難しいのかも知れない。