2015/02/20

少林寺拳法の道院長は真の宗教者か

宗教法人を名乗る組織が日本には18万2千以上も団体が有ると聞き驚いた。世界広しと言えども一つの国に18万もの宗教を名乗る団体が存在する国は聞いた事が無い。ただしこの数字は国(文科省)に届け出たものと、地方自治体に登録したものとがあり中には重複している団体も有るらしい。

のっけからこの様な驚くべき数字になってしまったが、勿論日本ばかりではなく世界各国では様々な宗教が数多く存在している事も事実である。その中には前のブログでも書いた様にカルト的性格の強い団体も多く含まれている。只一つ言えるとすれば日本の様に18万もの宗教団体が存在する国は無いと言う事だ。

その主な理由は多くの国で一神教が多く、仮にその国で一般的に信じられている宗教とは異なった宗教の人達が居たとしても、百も二百も異なった宗教が出て来る事が難しいのが実体であろう。クリスチャン(キリスト教徒)が中心の国でも、カソリックからプロテスタント、ギリシャ正教まで色々あるが、その国内に20も30も違うキリスト教の団体があると言う国は聞いた事が無い。

テロ国家ISの問題で一躍日本国内でも存在が注目を集めているイスラム教徒だが、イスラムの国においてもキリスト教が中心の国と概ね、宗教団体の有り方(数)は同じである様に思う。前にも書いた様にこれら一神教の国々では中々異教徒(異なった宗教)を認めない人達が多い事も、宗教団体が派生しない主な理由なのかも知れない。

日本では逆に土着の宗教(神道)が諸々(八百万)の神々を認める事から一神教とは全く異なった宗教観が培われた。仏教やキリスト教が海外から入ってきた宗教にも関わらず、問題なく共存して行けるのは神道的価値観が根底にあったせいとも言えなくもない。八百万の神々という信仰からすれば18万余りの宗教団体等どうってことは無い現象なのであろうか。

そこで今、宗教団体を標榜する少林寺拳法と言う組織の道院長にあえて確認しておきたい事がある。貴方はご自身の事を「私は宗教家である!」と自信をもって言えますか。

私も開祖 宗道臣の本は一通り読んではいるが、とても自分の事を胸を張って「宗教家です」とは言えないからである。もしその様な道院長がおられるとしたら色々と伺ってみたい事がある。

逆に「私は宗教家では無い」と言われるのであれば、では宗教法人であるはずの少林寺拳法という組織は、宗教団体として何を教えている団体なのか是非伺ってみたい。

43 件のコメント:

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  2. ご隠居拳士2015/02/22 4:08:00

    隠居の思い。
    日本語において、「~家」とはその道の人、多くはその道にすぐれた人を言います。
    自分から「~家」と言うことは、俺は優れていると明言する訳です。
    少なくとも、普通の(慎み深い)人は、言わないでしょう。(笑い)
    迫られても、隠居としては微笑む(ホホエム)しかありません。

    道衣に着替え、マークを貼り付けながら、「今日もやるぞ」と胸を押さえ活を入れます。
    相手に触れ、相手の体温を感じながら技を掛けあう事が「易筋行」であり金剛禅活動であると信じてきました。
    私は、これが出来ている人は全て門信徒の資格があると思います。開祖の弟子です。
    逆に言えば、どんな立派な人でも「易筋行」をしない人は門信徒の資格はありません。
    xx法王もxx界の大御所も、人格的にどんなに立派であっても、門信徒ではありません。
    「おまえ立派だから、門信徒だ」と云ったら、きっと迷惑(怒られる!)でしょう。(笑い!)
    「技を通じて相手を感じ合う」、少林寺拳法の原点です。
    練習では、相手の動きを感じ、こちらの動作を伝える所作を繰り返します。
    相手と触れ合うことで、コミュニケーションが成立します。(だから剛法は当て止めです、笑い!)
    「何を教えているか?」、あえて言えば、お互いに幸せになる方法を模索しています。
    みんな価値観(目的)が違います、それを認め合った場合、一律に詰め込む物などありません。
    釈尊の教えを聴きたい人が居ても構いませんが、座学を重視するのであれば他の方法をお勧めします。
    易筋行以外に、自分を、そして回りの人を幸せにする方法はいっぱいあります。
    易筋行を行って立派になった人のほうが少ない?あたりまえです、たった六十数年です。
    「人を変える事は難しいが自分が変わることはできる」とよく言われます。
    若い拳士は、しなやかに、したたかに、力強く生きてほしいと思います。

    では年寄はどうするのか?  どうこう言われても変われないのが年寄です。
    せめて、若い人の邪魔にならぬよう、気配を消して(場所を変えて)、楽しみましょう!
    そうそう、このあいだ、お遍路の無料説明会に行ったら、年寄りが、狭い会場に250名以上も集まりました。
    『この寒いのに、、、怪我が無いように、、、』と主催者側の人が、あわてていました。
    本や小物が次々完売、皆さん小銭を持ってますな~(笑い!)
    私は、皆さんの勢いに圧倒され、何も買えませんでした。 実戦は場数です、次頑張ります。(笑い!)
    結手

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  3. 云白さん 何かのお話のネタになりましたか。なれば幸いです。

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  4. ご隠居拳士さん 投稿有難うございました。

    私は自分に対して、貴方の職業は何ですか?と聞かれたら「少林寺拳法と言う武道を教える武道家です」と答えます(すみません、慎み深くありませんので)、それ以外に自分の事を表現出来ないのです。40年も英国で住んで居るとメンタリティも外国人に近くなると言う事かもしれません。「金剛禅と言う禅を説く(指導する)宗教家(者)ですとは残念ながら答えられません。これはキリスト教の牧師に職業を聞いた場合においても、こちらでは「私は宗教家(者)です」等の答えが返って来る事と思います。慎み深い日本の牧師さんは何とご自身の事を説明されるのかは分かりませんが。

    少林寺拳法を『易筋行』と理解して修練している拳士であっても、自分は『金剛禅と言う宗教活動の一環(手段)として拳法をやって居る』と考える人より、少林寺拳法を単に『武道』と捉えている拳士の方が多いと想像したからです。  拳法の練習に子供を通わせている親にしても、我が子に宗教活動をさせていると認識している親御さんの方が少数派ではないかと思います。

    勿論これは私の想像なので、拳法をやって居る子供でも、自分は「金剛禅を修行している」と主張する子が居る事も考えられます。大学の拳法部で活動している拳士が「金剛禅運動の一環として少林寺拳法を修行しています」と答える学生が出てきても否定はしません。しかし繰り返しになりますが、これらの子供や学生そして親の方が少数派と言うのが実態ではありませんか?

    その様な中にあって、少なくとも自前の道場を持ち金剛禅運動の指導者(リーダー)を自負する道院長であれば、自分のやって居る事に誇りと自覚があると思った事が今回のテーマとして取り上げた理由です。信心深い道院長の揚げ足取りを目的にしたものでは無い事をご理解下さい。

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  5. 水野先生
    いつもありがとうございます。
    「少林寺拳法の指導者は真の宗教者か?」
    二年程前に、改革の会議の中で、上記とまったく同じ問いかけを他の道院長へした事があります。前提として私は宗教家や仏教指導者などとは決して言えないし、そのような事を言う事自体、他の真剣に宗教活動をしている方たちに失礼な話だし、笑われる話であるという事をいったのですが。
    なにがなにが、発言をする道院長は、お前がおかしい。我々は立派な金剛禅の指導者であるのだから、自信をもって仏教指導者として布教活動をすれば良いのだと。それが、できないのなら金剛禅の指導者でないのだから辞めてしまえと。かなりの批判を受けました。
    まあ、その会議で発言する道院長は3割程度であとの7割の道院長はただ沈黙なだけですが、
    だから、水野先生の問いかけに、発言するような道院長は自信をもって、「そのとうり」である。と言う答えでしょう。(その答えをする事自体が、宗教に対して無知な証拠であるのですが)
    発言しない道院長は、心の中では違うよなって思っていても、決して表に出すこともできない指導者と呼ぶべき人でもないのでしょうけど、
    失礼いたしました。

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  6. 内戦派さん コメント感謝します。

    自分達の組織を宗教団体として認識しているのであれば、当然の事ながらその指導者たる道院長は「宗教家(者)です」と答える事になると思います。只ご指摘の様に少林寺拳法を教えている指導者にしても宗教的知識はおそらく限られたものだと想像します。

    「我々は『立派な金剛禅の指導者』であるのだから、自信をもって『仏教指導者』として布教活動をすれば良いのだ」と言われた指導者に宗教観を伺ってみたい思いです。『仏教指導者』と自信をもって言われるからには仏典も相当読んでおられ、釈尊の教えにも精通しておられるのだと思います。金剛禅のみの知識であれば『仏教指導者』と言うには余りにも仏教を軽んじた発想ではないでしょうか。真摯に宗教に取り組んでいる人達からすれば随分と思い上がった団体と捉えられてもいたしかたありません。

    「自分達は『金剛禅』こそが仏教であるからそれ以外は必要ない!」と言うのであれば原理主義的宗教観と言われかねません。原理主義的宗教とは極端に表現すれば『カルト的宗教観』と言う事になります。 オウム真理教(仏教)や現在世界を騒がせているアルカイダ等のイスラム教を極端に解釈した宗教観とも共通するところです。勿論少林寺の指導者が「他の宗教は一切認めない」等と言う事は無いと思いますが。自分達こそ『真の仏教徒』との見方は、思い上がり以上に危うさを感じます。

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  7. 金剛禅は釈尊の正しい教えを理解して現代に活かす事を説いているのですから、その布教活動の指導者たる者、教典の聖句の原典である法句経(Dhamma-pada)についても正しく理解している事が求められます。

    正しく理解していれば、その指導者たる者、「尊敬を受けるに値する聖者」である阿羅漢の境地に至っている必然性を自覚している筈ですし、釈尊の正しい教えを学んでいるならば、自らを阿羅漢の境地に至ったと言う人を阿羅漢とは言わない事を知っているはずです。

    つまり、「我々は立派な金剛禅指導者だ」と言う人は、立派な金剛禅指導者では無いという事になるという事を、金剛禅指導者たる者は自覚しているはずだと思います。ですから皆を前にして堂々とその様に言い切れる方は、そもそも金剛禅指導者では無いと思います。

    そして、私がこれまで接してきた金剛禅の指導者たるべき道院長や幹部の方々の中に、この様な自覚があると感じた方は、本当に限られていました。

    では釈尊の正しい教えを学びながら、自らを宗教家であり、宗教指導者であると言える方は何になるのかという事になります。

    これは私個人の考えですが、宗教法人という組織から与えられた役職者に過ぎないという事であり、つまりは本当の宗教指導者では無いと思うのです。

    私は宗教家でも宗教指導者でも無いので金剛禅を退会しました。釈尊の正しい教えに帰依する身ですので、組織から役割を与えられようが、どうしても自身をそうであると自認出来ないからです。

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  8. 云白 さん コメント有難うございました、又厳しいご指摘恐れ入りました。

    そもそも阿羅漢足り得る人物が少林寺拳法の指導者に存在しているとは中々想像が付きません。おおせのとおり「我々は立派な金剛禅指導者だ」と言う人は今一度自らの言葉の持つ意味を確認して欲しいと思いますね。これらの指導者から受ける宗教(仏教)教育がどれ程の意味を持つのか、信心深くない私には評価できませんが。

    少林寺拳法の指導者として組織から与えられた役職(道院長)は、ある意味「武道の指導者」と言う分においては何も問題は無いと思います。もしそこに何らかの精神性(金剛禅)を求めるのであれば、武道(拳法)教育の中で金剛禅としてのあり方を追求すれば良いのではないでしょうか。自身がそれ程宗教(仏教)に付いて詳しい知識も無いのに、金剛禅を全面に出して教えを垂れる事は私には恥ずかしくて出来ません。

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  9. 矛盾を感じ退会した拳士です2015/02/26 5:09:00

    私は、昨年12月をもって退会しました(退会時、副道院長でした)。
    一言で言えば、宗教法人を全面に出した組織改革に納得できなかったからです。

    入門時は武道団体という認識があり、その中に「金剛禅」という宗教的な要素があって…
    という程度の認識でしたから。

    上記のご意見の中にありますが、
    「道院長は、宗教法人という組織から与えられた役職者」
    全くその通りだと思います。

    また、少林寺拳法の教えの中の
    「己こそ己の寄るべ…」
    「…半ばは他人の幸せを」
    「自己確立」
    等々…

    言うまでもなく、これらは、人が生きて行く上で重要な課題です。
    宗教が云々という前に、少林寺拳法の拳士達は、上記のことを本当に実践しているのでしょうか…

    例えば、武専の本部派遣教師の中には、

    ・仕事を辞めて生活に困窮し、女房に苦労掛けた…
    ・少林寺拳法の魅力に取りつかれて高校へ行かず…
    ・少林寺拳法を続けたいので、転職を繰り返す…

    このような、方々もいらっしゃいます。
    歯を食いしばって、社会を生き抜くことこそ大変な修行です。
    少林寺拳法の技ができたからって、社会的には何も認められません。
    この先生方が、「宗教家/武道家」として青少年に何を教えられるのでしょうか?!

    先日、大手企業の重役の知り合いが嘆いてました。
    「部下に少林寺拳法の道院長っていうのがいるんだけど、
     仕事が立て込んでる時に、練習があると言って帰るんだよね。」

    それで、私が言ったのは、
    「そんな部下、降格するか、どっかに転勤させれば…
     無責任な奴が道院長語るなんか、恥ずかしい限りだ!」

    これが現実だと思います。
    まずは、社会人として、親として、尊敬されるような人間にならないといけませんよね。

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  10. 『矛盾を感じ退会した拳士です』さんは云白ですか? コメント有難うございます。もし別の方でしたら失礼しました、お許しください。

    少林寺拳法の指導者たる道院長は拳法の修練を通して技術の上達と共に人格向上につなげられる様な指導を求められていると思います。少林寺に限った事ではなく、他のスポーツや芸術でも優れた指導者は一芸に秀でただけの人材ではなく、一般社会でも尊敬される人材(人格)の形成に力を注ぐものだと思います。

    プロ野球の監督や大相撲の親方が、野球選手や力士として以前に社会人として受け入れられる人間になるよう指導する話しを聞いた事があります。これらの事実からも分かる様に道院長に求められる資質は、少林寺拳法の拳士としてのみ優れた技量を有する人材ではなく、社会人としての普遍性のある人材育成ではないでしょうか。

    そこにこそ金剛禅としての視点が生かされると考えます。あくまでも前提となる少林寺拳法の修練があり、その過程で金剛禅の哲学を指導する事は有益な事であろうと信じます。金剛禅と言う宗教団体の門信徒になる事が前提であり、副産物が拳法であっては本末転倒になってしまうように感じています。

    この様な解釈には異論もあろうかと思いますが、その様な方々には是非思われる処を投稿して頂ければと思います。

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  11. 私ではありませんが、長年、道院幹部を務めさせて頂き、同じ様な思いで同じ月に退会いたしましたので、やはり同様に辞められた方も多いのでは無いかと感じました。

    以前、道院長になった兄弟子から、「少林寺拳法の道院長は、仕事においても優秀である事が求められる」と教えられました。

    この理由は、理想社会の実現を目指す我々が、少林寺拳法の活動を理由に職場の組織や同僚に迷惑を掛けるのは本末転倒であるという点、そして活動の時間を確保するためにも、仕事の段取りや前捌きなど、人よりも早く多く職務を果たす事が必要であるという点です。

    この話はもう20年近く前の話ですが、当時、いつの日にか道院長・支部長の立場で、より多くの子供たちに教えを伝えたいと考えていた身でしたので、非常に納得させられた事を覚えております。

    そしてまた、師も含めて家庭への影響が大きい実状を見させて頂きましたので、本当にこの道を進むのであれば、家庭を持つ事は諦めなければならないかもしれないと、考えた事もあります。


    今現在、感じていることは、道院長・支部長という立場でなくとも、そして金剛禅に属さなくとも、自分が関わる職場や家族をはじめとする社会において、開祖の教えを実践し、広める事はできるという事です。

    会社組織で部下を持つ身となってから、ミーティングや面談などで、ついつい法話や説法の様な指導となる事が良くあります。
    対顧客だけでなく、対上司、対後輩、対協力会社に向かう姿勢や心構えについて、結局は「半ばは〜」という話になってしまいますし、その為の自己研鑽の在り方を説いてしまいます。

    今のところ、有難いことに部下からは、それまでの上司の時より納得して仕事ができ成長も実感できると、主に飲み会の場ではありますが話してくれています。

    こんな時、少林寺拳法をやっていて良かったと実感するのと同時に、教えを説く為に宗教である必然性が全く無いという事を再認識させられます。

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  12. 云白 さん 投稿有難うございます。そして私のカウンターコメントが『云白』 ですかと呼び捨ての様な書き方になっており大変失礼しました。

    不思議なものですね、同じ様な時期に少林寺を退会される方々がほぼ同様な理由で拳法に区切りを付けられた事に、多くの指導者は何とも感じないのでしょうか? もし何も感じないと言うのであれば指導者としての資質を疑わずにはおられません。真摯に少林寺拳法に向き合ってきた拳士ほど最近の組織の示す方向に矛盾を感じて居る事は明らかです。

    本質的な議論が無いまま少林寺拳法と言う組織が当初の目的から大きく変わってきている事が、今日の矛盾を引き起こして居る事は明らかです。開祖が目指した拳法の目的は、それを修練する過程で得られる友人(同志)であり、修練の過程で哲学を学ぶ事により少林寺拳法以外の世界でも普遍的に社会に貢献して行ける人材の養成だったと思います。そこには宗教的寛容さも当然含まれますが、宗教団体を盾にした税金逃れの組織形態では無かったはずです。

    組織が抱える矛盾によって、失ってはいけない多くの大切な人材が組織を見限り去って行く事は大変残念な事態です。この様な組織を開祖が望んでいたとは私には考えられません。

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    1. 合掌

      現役の拳士です。同感です。
       たまたま、次の転勤先の道院を探していましてこちらにたどり着き読ませていただきました。私は大学から始め、道院と全自に加盟していることから道院事情はあまりわかりませんが、私も感じていることが多数書かれており、嬉しく思います。
       

      人格、つまりは 質 だから、開祖はあくまでも少林寺拳法は手段 だといわれたのでしょうが、
      いまは本部によるビジネス手段のようで残念でなりません

      結手

      削除
  13. 矛盾を感じ退会した拳士です。2015/02/28 6:01:00

    水野先生、云白様、コメントありがとうございます。
    矛盾を感じ退会した拳士です。

    水野先生が云白様と間違われたということは、云白様と私が同じようなご意見、お考えをお持ちだということでしょうか。

    私事になりますが、32歳の時に10年間務めた国家公務員を退職し、
    当時培った自分の技術力を試したく、無謀にも1991年にコンピュータのソフトウェア開発会社を興しました。

    実績も人脈も無い状況下で、起業間もなくバブルが弾け、
    それから家内と2人の幼い娘を抱え、途方もない不安を打消すため、毎日昼夜を問わず狂う程勉強し、技術の向上に努めてまいりました。
    それから24年間、本当に山あり谷あり、人には言えない苦労をしてきたと思います。

    その中で、12年前(45歳の時)に少林寺拳法に出会い、開祖の教えに感動し、苦しい時には、「自分に負けるな!」と発破をかけ、頑張ってまいりました。
    週2回の修練も殆ど休まず出席し、武専にも入り、修練のある日は毎回ボロ雑巾のようになって帰宅しておりました。
    (しかしながら、技については、まだまだ未熟なままです(汗)

    会社を経営しながら、どうにか自分の時間を作り、ここまでやってこれたのは、言うまでもなく、家族、社員、パートナー様のお陰です。
    なお、私が少林寺拳法をやってることなど、パートナー企業の方々は殆ど知らないことと思います。
    当たり前のことですが、少林寺拳法をやっているということは、ビジネスには関係ないのです。

    水野先生が仰るとおり、全てにおいて「人格」が重要だと考えます。
    要は、「人間としてどう生きるか(生きてきたか)!」だと考えております。

    私は、今年57歳になりますが、同世代は一線を退く年代です。
    現役で動けるのもそう長くありません。
    そこで、3年前から、私が培ってきた技術力を社会に貢献するため、身体・知的障害児者の自立支援に繋がる機器、ソフトウェアの開発に没頭しております。

    「信念と行動力があれば、人は動かせる!」

    ということを、開祖のお言葉の中で凄く感じ取っております。
    今では、色々な方面で協力者も増え、会社経営は(従来通り)苦しい中、楽しみながらやっております。
    少林寺拳法からは離れますが、これからも自分の力を試すべく、可能性を信じて別の道で精進してまいります。

    誰かが言っておりましたが、

    「成功とは、幸せになること。
     幸せとは、人の力になり、人に喜んでいただけること。」

    だと。

    「金剛禅運動」を「幸福運動」と置き換えれば、まずは、自分が幸せにならなければなりません。
    自分が(少林寺拳法の技だけではなく)力を身に付けること、
    そして、その力を家族・社員が幸せになれるように活用し、ビジネス面では本気でパートナー様の利益を考える。
    もし、困った方々がおられるなら、少しでも力になれるよう頑張ること。
    これこそが「半ばは自己の幸せを、半ばは人の幸せを」ということではないでしょうか。

    そこに、宗教的な知識は関係無いと考えております。
    「自分の生き方に誇りを持てるか?」という問いかけを、
    常に自分に《正しく》投げかけていれば答えは見えてくると思います。

    若い世代には、いつもこう言ってます。

    「夢持って、希望持って、明るく、楽しく、元気良く!」


    以上、乱文にて失礼いたしました。

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  14. 矛盾を感じ退会した拳士さん コメント有難うございました。

    人が少林寺拳法を始める切っ掛けは色々あると思います。私は高校生の時に始めましたので強さにあこがれて入門しました。友人が貸してくれた『秘伝少林寺拳法』を読んですぐ入門しました。しかし正直なところ開祖の書かれた教えよりも拳法の持つ神秘性や技に対する魅力の方が大きかった事は事実です。

    その様な動機で始めた拳法でしたが、のめり込む程に少林寺拳法の教えに感化され、気が付けば日本から遠く離れたロンドンで少林寺拳法を教えると言う選択をしておりました。国籍を超えた多くの友人ができ、日本の組織から除名処分を受けた後も変わらず支援してくれる友人は何人も居ます。

    矛盾を感じ退会した拳士さんに劣らず『山あり谷あり』の人生でした。もしそれらの友人が居なければ私の拳法人生もとっくに終わって居た事でしょう。開祖宗道臣が残した教えは図らずも私に掛け替えのない友人達を残してくれました。
    英国で支援してくれる人達も沢山いました。彼等の支えが無ければ今日私がロンドンに残って少林寺拳法を引き続き教える事も適わなかった事でしょう。

    少林寺拳士としての生き方が試されるのは何も拳法だけではありません。貴方が言われる『私が培ってきた技術力を社会に貢献するため、身体・知的障害児者の自立支援に繋がる機器、ソフトウェアの開発に没頭しております。』素晴らしい志だと思います。『「信念と行動力があれば、人は動かせる!」』これに尽きますね。

    同じ様な貢献者をご隠居拳士さんが『己こそ己の寄るべ』への投稿で1月4日に、『本物の活動をしている人』として紹介して居ます。
    それへのカウンターで書いた事ですが、残念ながら拳法バカの私はその様な境地にまで至っておりません。人にはそれぞれに与えられた使命があると信じて現在私に出来る拳法の指導を続けて行きたいと思います。同時にそこにも書きましたが『早く私も技等、さらりと捨てられる境地になってみたいと思います。』これも本音です。

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  15. 矛盾を感じ退会した拳士2015/02/28 17:03:00

    水野先生、早速のお返事ありがとうございます。
    矛盾を感じ退会した拳士です。

    実は、少林寺拳法から離れるかどうか悩んでいる時に、水野先生のこのブログを見つけました。
    本当に、勇気付けられました。

    少林寺拳法を学んだのは、たかだか10数年です。
    拳技については、言うまでもなく先生方の足元にも及びません。
    しかし、開祖のお考えは、恐れながら私なりに確りと受け止めているつもりです。

    水野先生が(2015/01/07)仰られているとおり、
    『少林寺拳法で得た生き方で人として行動する』
    これは、現役拳士でなくとも実践することができると考えております。

    ご隠居さんの下記コメントにも、強く感銘を受けております。
    ---------------------------------------------------------------------
    助けを求めている人は、探すまでもなく、回りに大勢います。
    その方々との間で必要なのは、コミュニケーション、心を開いて接することです。

      その時、少林寺拳法(の技)が必要か?
      何のために、技を教えるのか?
      なぜ人集めに奔走するのか?
      大きな組織は、本当に必要なのか?

    その方のブログに以下の記述があります。

    「少林寺拳法から何かを学び、離れる人がいたっていいじゃないか。
    どこへでも行き、何をしながらでも、少林寺拳法で得た生き方で人として行動する。
    そして周囲の人たちとまた団結し助け合っていく。
    これが私の考え方だし、これでいいと思う。」(開祖語録)
    ---------------------------------------------------------------------

    障害者・その家族と接するうちに、彼らから逆に大きな元気を頂いております。
    何故そこまで前向きに頑張れるのか…
    実は、彼らにとって障害はハンディではないのです。
    彼らから発せられるパワー、メッセージは、凄い力を持っています。
    これも、彼らが長年経験(修行)してきた、ある意味《技》なのだと思います。

    少林寺拳法で学んだこと、沢山の素晴らしい先生方、仲間とのご縁は、
    私のこれからの人生にとって、間違いなく大きな推進力になることと確信しております。

    「テクノロジーと福祉の融合」プロジェクト、必ず成功させます!

    度々の不躾なコメント、失礼致しました。

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  16. 矛盾を感じ退会した拳士さん 引き続いての投稿有難うございます。

    『テクノロジーと福祉の融合プロジェクト』必ず成功させます、と目標をはっきり定められた貴方のプロジェクトを私も応援したいと思います。同時に素晴らしい社会貢献だと思います。

    同時に貴方からの投稿で私も開眼した言葉がありました。『彼等(障害者)にとって障害はハンディではない』この言葉は衝撃的でした。確かに健常者との比較で物事を我々が勝手に判断しているのだと言う事に気付かされました。

    『障害者が長年経験(修行)してきた《技》』と言う言葉も説得力がありました。自分の目線しか持てない人間が『半ばは人の』等と言う言葉を使っても心に響く事は無いと思いました。

    矛盾を感じ退会した拳士さん、貴方の様な拳士が少林寺拳法を去る事は大変残念ですが、逆に貴方が少林寺拳法に関わってくれた事に感謝したい気持ちです。そしてプロジェクトを成功させ大いに活躍して下さい。それが宗道臣の残した教え(理想境)を実践している人が現実に居る事を証明すると信じるからです。

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  17. 矛盾を感じ退会した拳士2015/03/02 7:13:00

    水野先生、いつも素早いカウンターありがとうございます。
    こうして、水野先生と直接やりとりできること、本当に光栄です。

    少林寺拳法の修業の中で、拳技はもとより人生哲学について、本当に素晴らしい勉強をさせていただきました。

    「自分が力を付けて、社会に貢献する!」

    こういう道を進むことになったのは、間違いなく開祖の教えの影響です。
    少林寺拳法に巡り合わなければ、まずこういう活動をすることは無かったと思います。

    障害者と向き合った時、自分の価値観、視野の狭さに大きな自己嫌悪を感じたのも事実です。
    少林寺拳法でいうところの「八方目」が足りない?
    また、「組手主体」で直接障害者・家族と触れ合うことの重要性!
    その他、諸々…
    技も教えも、全てに通じるものがあると思います。

    開祖の教えは、人生を強く・正しく生き抜く上での、言わば「哲学」だと考えております。
    私は、これを「宗教」とは考えられません。
    ですので、副道院長(金剛禅の布教者)として少林寺拳法を続けることの矛盾を感じ、辞めることを決断致しました。
    本当に、苦渋の決断です。
    私が所属していた道院も、この3月で休院となります。

    全国に我々のような拳士が多数いることは事実でしょう。

    「人、人、人、全ては人の質である」
    という意味を、本山の上層部および、彼らに賛同されてる道院長達に「自問自答」していただきたい。

    少林寺拳法からは離れますが、開祖の教えは生涯心に留め、生きて行く所存です。
    最後に、皆様のご活躍を心から祈念致します。

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  18. 矛盾を感じ退会した拳士さん 引き続いてのコメント有難うございました。

    私も全く同感です。少林寺拳法の教えをどの様に受け止めるのかは、人により異なる事はあるかも知れません。私やここに投稿される多くの方は哲学と捉える方が多い様に感じます。しかしながら同じ事を宗教と捉える人が居ても不思議ではありません。問題にしている事は全ての拳士や指導者の意思を確認する事も無く、自動的に宗教団体の門信徒としての扱いです。

    哲学の場合には個人のより大きな解釈の自由度が保障される様に思います。宗教となるとそこには宗教団体としてのルールが適用され、考え方の幅は哲学に比べれば遥かに限られたものになる事は諸々の事例が示しています。私は開祖の話がその人なりの解釈が許された事で、高校生から現在に至るまで考え方を成長させて来る事が出来たと捉えて居ます。

    一定の枠をはめられた宗教的な思考方法では、今日まで同様な精神的成長が出来たかどうか分かりません。多感な年代であればその様な事に反発して辞めていたかも知れません。又哲学であれば少林寺拳法と言う組織を離れた後も、自身の信じる道を生涯続けて行く事も可能です。宗教組織の場合は一旦崩れてしまうと中々関係修復が難しい事も、少林寺を含め数多くの事例が示しています。

    矛盾を感じて退会した拳士さん、哲学で良いのです。我々はフィロソフィとして開祖の教えをとらえ、自身の信じる道を生涯続けて行きましょう。    御健闘を祈ります。   結手

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  19.  しばらく静かな時間が流れました。
    三月末に知人から水野先生が日本で新しく結成された武道団体の相談役になられたと聞き、さっそくそのホームページを見せていただきました。ぜひ頑張っていただきたいと思います。またその団体が大きくなって活躍されることを心から願っています。
    私もそろそろ自分の思いを整理するときが来た気がします。その節はご指導よろしくお願いします。

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  20. 投稿有難うございました。

    ここしばらく書き込みがありませんでしたが、個人的には何人かの指導者の方々からメールを頂きました。 その中で「自分達が信じて続けてきた少林寺拳法を、何らかの形として後に続く人達に残したい」と言う強い思いを相談されました。 その様な方には「少林寺拳法と言う名前に拘らなければ良いのではありませんか?」とアドバイスしました。

    永年続けてきた少林寺拳法の指導者には、名称にとりわけ強い思い入れが有る事は良く理解しております。しかしそれにばかりこだわって居れば大切な時間を空費するばかりで何も伸展しないと思います。「それならば名称に拘る事無く、自分達が理想とする拳法を続けられる方法を考えた方がより建設的ではないでしょうか?」と答えました。

    今後も色々な形で、場所で、現在の少林寺拳法と言う組織の示す方向に疑問を持つ人達が新たな組織を立ち上げる事でしょう。 開祖宗道臣の思いは『少林寺拳法』と言う名前の武道だけが成し遂げられる課題だとは思いません。答えは「それを信じ日々の修練の中で『自己確立』を続けて行けるのか!」と言う事ではないでしょうか。

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  21. 拳法大好き2015/04/04 0:59:00

    匿名さん、私も同じ時間を共有できそうです。いろんな思いの中から決断の時が来とようですね。新しいことを得るには古い考え違いの事を残しては前に進めません。
    水野先生を介してあなたに連絡をしてもよいでしょうか?いや必ず連絡をしますね!
    一番大切にしたい(開祖の思い)実践していきたいです。

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  22. 拳法大好きさん 久々の投稿有難うございました。

    匿名さんへのカウンターでも書きましたが、このところ「自分達で何とか拳法を続けられないか?」 と言う相談を頂きます。 その様な時には私やBSKFが経験してきた事を元にアドバイスしております。 それ以上は重ねて申し述べる必要も無いと思います、前の匿名さんへのカウンターを参考にして頂ければと思います。

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  23. 矛盾を感じ退会した拳士です さん が記載された内容について、思うところがあったので、投稿させていただきます。

    例えば、武専の本部派遣教師の中には、

    ・仕事を辞めて生活に困窮し、女房に苦労掛けた…
    ・少林寺拳法の魅力に取りつかれて高校へ行かず…
    ・少林寺拳法を続けたいので、転職を繰り返す…

    このような、方々もいらっしゃいます。

    先日、大手企業の重役の知り合いが嘆いてました。
    「部下に少林寺拳法の道院長っていうのがいるんだけど、
     仕事が立て込んでる時に、練習があると言って帰るんだよね。」

    2015/02/26 5:09:00


    これらの内容は、日本国内だけではないと思いますよ。

    ヨーロッパのある国の中での話しですが、少林寺拳法にのめりこんだせいで、嫁や子供と別れざるを得なくなった拳士や支部長・幹部クラスを多く知っています。
    最初はいいんですよね、夢中になれることを持っている男性諸氏は 「ステキに見える し カッコイイ」 のです。
    しかし、結婚して子供が生まれ、生活を共にしていると、平日は仕事が終わったら稽古ばかり、休日は少林寺拳法の行事に出ずっぱり、という旦那に嫌気がさすわけです。
    で、結局、「少林寺拳法と家族のどっちが大事なのよ!」 ということで、離婚されてしまうのでした。
    当然、子供は嫁のものです。
    そのせいで、「幹部クラスはみんな家族破綻かよ。あまり少林寺拳法には、のめり込まないほうがいいかもな。」
    などと言うも門下生も何人かいましたね。

    日本とは違い、女もしっかり主張しますからね。
    日本は、まだまだ、女が我慢する国ですから・・・
    とはいっても、支配体制側に都合のよい戦後の愚民化・都合のよいフェミニズム政策がうまくいって、日本も女が強くなってきなってきました。
    そのせいで、未婚のままが多く少子化が進んでいるという見方は大袈裟でしょうか?

    私の、亡くなった復員軍人の元警察官の叔父の奥方が申しておりました。
    「忙しかろうが暇だろうが、少林寺拳法の稽古や行事があるからと、定時間外の勤務を全て断る○○さんのせいで、うちの主人は別の部署の応援を頼んだりして、休みなしやった。」
    少林寺拳法の指導者にとって、「少林寺拳法の指導他」は、ある種の免罪符的なものだったのかもしれませんが、世間の人達にとっては、いい迷惑だったいい例です。


    <先日、大手企業の重役の知り合いが嘆いてました。
    <「部下に少林寺拳法の道院長っていうのがいるんだけど、
    <仕事が立て込んでる時に、練習があると言って帰るんだよね。」

    この大企業というのは、予想がつきます。
    いまや過去の栄光とブランドにすがっている、英文字4つの会社ですね?
    これを仮定として記します。(間違っていたらすいません。)
    多分この人だと思うのですが、この企業の海外駐在責任者として日本を数年離れていた間、所属していた道院長に頼んで、
    「月謝やなんかの費用は払うから、籍を抜かないでほしい。」
    と頼んでいたそうです。
    「年間10万近くかかったけど、昇段やなんかで問題がおきなかったので、まぁ、よしということでしょうか。」
    とうことを、人に話していたのを聞いたことがあります。(聞いたのは私自身です。)
    と、いうことは、幽霊参座をしていたということでしょうかね?
    で、この人、今は、WSKO名簿に名前が出ています。
    アジアの少数言語を話せる唯一の人材ですから、無理もないですが、この組織から抜けることはないでしょうね。
    (バレますか? ここまでさらしたら?)
    一応、会社でも結構上の人みたいですよ。
    (だから重役が苦言を言うということにつながるのですかね? それより低い立場では意見できませんから。)

    以上までで、何が言いたかったというと、
    「利用できる人材(?)の多少の逸脱した行為は無視するが、気に入らないものは、強引な理屈をつけてでも排除する」
    という、ある種の 「恐怖政治団体」 になっているということを言いたかったのです。

    恐怖政治が蔓延ると、命の危険があるという例ですが・・・
    NYCに本部を置く 「S塾」 なる空手団体があり、その思想に共鳴した多くの人達の力により、今やUSA外にも支部を置くようになってきています。
    日本にも支部がありますね。
    ここの創始者は、もともと日本のワンマン空手団体のNY支部からスタートしたのですが、あまりに日本側からの要求が滅茶苦茶(特に金銭面の上納)なので、脱退したのですが、脱退の際に弟子たちが一緒に脱退したことで、日本のトップが激怒し、ヒットマンを雇って狙撃させたという例もあります。
    もっとも、殺す目的は達成できなかったので、現在があるのですが・・・
    ワンマンな 「恐怖政治」 って、怖いのですよ。
    平和ボケしている日本の皆さんには想像もつかないでしょうね。
    まぁ、たまたま、ここのトップはガチのプロレスラーとしてアメリカを放浪していたそうなので、その手の知り合いには不自由しなかったのでしょうが、裏社会につながった人も中にはいるのですよ。

    良識ある 「社会人」 であれば、何が正しくて何が間違っているかは判断できるはずです。
    この英文字4つの会社の人のように、後戻りできなくなる前に、自らの将来を選択しましょう。

    以上、乱筆乱文で失礼しました。




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  24. Tairaさん引き続いての長文の書き込み有難うございます。

    Tairaさんは海外事情にかなり精通した方の様ですが、少林寺拳法に打ち込む (打ち込み過ぎる?)ご主人に嫌気がさして離婚と言う結末になるのは残念ですね。これは何もヨーロッパや日本以外の国が対象と言う事では無いように思います。現在では日本も欧米もかなりの部分で共通の価値観を持つ時代ですから、ヨーロッパで起きる夫婦間の問題は、今の日本でも充分に起こり得る現象ではないでしょうか。

    『少林寺と家族とどちらが大事?』と言う理由で、仮に離婚訴訟となった場合でも、『当然子供は嫁のものです』と言うくだりは、一時代前の解釈になりませんか。現代の社会が抱える問題は『当然子供は嫁のもの』と割り切れる程、単純な位置づけでは無いように私には思えますが。

    何処の国の例かは判断しかねますが、『幹部クラスは家族破綻、余り少林寺にはのめり込まない方がいいのかな』という様な話は知りませんでした。

    『日本とは違い、女もしっかり主張しますからね。
    日本は、まだまだ、女が我慢する国ですから・・・
    とはいっても、支配体制側に都合のよい戦後の愚民化・都合のよいフェミニズム政策がうまくいって、日本も女が強くなってきなってきました。
    そのせいで、未婚のままが多く少子化が進んでいるという見方は大袈裟でしょうか?』 

    私は現在の日本国内の事情をそれ程詳しく知りませんが、欧米の女性と日本の女性との間に、以前ほど大きな価値観の開きがある様には思えません。『女性が強くなったから未婚が多くなった』そして『少子化が進んでいる』と言う見方も一方ではあるのかも知れませんが、先進国の共通した問題でもある様に思います。価値観の多様化、経済先進国ほど少子化は深刻ですね。途上国とりわけ最貧国では相変わらず子沢山な国は、いくらでも例に挙げる事が出来ると思います。

    『恐怖政治』で組織が将来にわたって治められるとは考えられません(民主主義が機能する国であれば)。 『平和ボケしている日本の皆さんには想像もつかないでしょうね』という表現は言い過ぎではありませんか。観念的に日本人全般をとらえ過ぎている様に思います。 日本人の中にも右から左まで幅広い知識や感覚(価値観)を持った人達は存在すると信じますので。

    『現在の少林寺拳法と言う組織が恐怖政治で治められている』と言うのであれば、かなりの拳士や指導者からも賛同はあるかも知れません。その様なやり方で組織が継続して発展して行けるとは思えませんが、それも組織の中の人達が決める事なのかも知れません。  

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  25. さっそくの返信コメントに恐縮いたします。

    前回のものに少し言葉足らず名部分があったので、補足させていただきます。

    「当然子供は嫁のもの」 というのは、当該国における離婚全般ではなく、あくまでも、少林寺拳法に旦那のほうがのめりこみ過ぎたのが原因の離婚に限ります。
    旦那が家嫁や子供という家族をないがしろにしたわけですから、子供は嫁に引き取られるのが当然の結果となる、ということです。

    「日本も女が強くなって」 「未婚のままが多く」 という部分は、「経済的に旦那の収入に頼らなくても生きていける」 経済的に 「強く」 なったというのが、理由の一つではないか、という趣旨です。
    男女間の給与・その他の待遇に差をつけることが禁じられた雇用機会均等法以降でしょうか?

    「恐怖政治」 という表現はかなり拒否反応が強かった表現かもしれませんが、現時点で、「最高解釈権者(で、よろしかったですか?)」 に、組織内部が逆らえない状態ということは、他にしっくり来る表現が内容に思います。
    「平和ボケ」 というくだりも、おそらく多くの方に拒否反応のある表現だと思いますが、もちろん、全ての人が当てはまるわけではないのは、おっしゃる通りだと思います。
    日本においては、ヤクザの世界でもない限り、組織に逆らったから殺されるということは、よほどのことがない限りないでしょうが、ないとは言い切れないと思います。
    私が直接知っているのは、N先生が降格や活動制限をかけられたくらいですが、宗教法人格を死守したい現在までに、現在の組織に見切りをつけた元指導者たちに対しての執拗な嫌がらせが聞こえてきますよね。
    「恐怖政治」 組織においていえるのは、「残るのも地獄、去るのも地獄」 ということでしょうか?
    「まぁ、上の言うことを聞いておけば、何とかなるやろう。」 という、自己判断をなくした結果の行き着いた先が 「平和ボケ」 につながっているのだと思いますが、いかがでしょうか?



    さて、ここからは新規に思うところを記載いたします。

    昔は、地方武専が各県にあったわけではなかったので、広い範囲の拳士間の交流がありまして、裁判所の判事(裁判官)、地方検察庁の検事、省庁の地方官僚、弁護士等々、結構色々な世界で活躍されている拳士の方々と交流ができていました。
    中には、持ち前の文章力を見込まれ、それを駆使して、道院長の昇格考試論文を代筆したりしてる人も聞いたことがあります。
    なお、この道院長は、この代筆拳士に頭が上がらなかったそうです。
    このころは、「少林寺拳法は人材が豊富だなぁ」 と、若輩者ながら感じていた私にとって、のどかな時代でした。

    で、現在感じるのは、「なぜ、豊富な人材を活用せずに、決まりきったことを外野目線でエラそうにのたまうコンサル会社なんかに大金をつぎ込んで、国税を敵に回したのか?」 と、いうことです。
    法律や政令には、解釈が曖昧なグレーな部分が、必ずといってよいほど、ほとんどのものに残してあります。
    それを、外野目線のコンサル会社が 「ここはこういう決まりだから、こう主張できる!」。
    というのを、信用したら、たいていの場合バカを見ます。
    官僚はバカではありません。上級国家公務員試験をパスしてきた自他共に認めるエリート集団です。
    コンサル会社の 「決まりはこうなっている」 に対しては、「それはこういうことです。」 と、いくらでも反証できる手段を法律や政令内で示すことができるのですね。
    そのために、曖昧な部分が残してあるわけです。

    昨今の、政治家に泣きついて対処したであろうと予想される件の数々の結末は、官僚が全力で反証して戦った結果だと思います。
    基本的に、官僚には、政治家が権力にものを言わせて事を進めようとすることに対して拒否反応を示す人達が結構いるというのは、過去の多くの事例が物語っています。
    しかも、彼らは、法律や政令といった明文化されたものを示し、理路整然と反論してきます。
    外野目線のコンサル会社の主張など、あっという間にひっくり返されるのがオチです。
    しかも、官僚がいったん出した決定は、裁判を起こして反証し、それが認められない限り、前例として踏襲され、将来も変わることは、まずありません。

    開祖が戦後のどん底から、本人の知恵や努力だけでなく、色々な人々の助けや援助と共に少林寺拳法という組織を育てて大きくしてきた過程がわかっている古い先生方は、まだまだ存中だと思うのですが?

    各界に影響力を持った拳士や拳士OBの方々に、官僚サイドから根回しをすることを助言した本部の先生方はいらっしゃらなかったのでしょうか?
    政治家だけに頼るリスクがわかっていなかった、最高責任者と、その周囲の幹部の判断ミスとしか考えられません。

    そもそもGHQの新規武道団体設立を認めないということに対し、「踊る宗教である」 ということで、うまく認めさせたという経緯を無視して、宗教法人の宗教活動には税金がかからない事を死守するために宗教法人を主要とする組織に無理やりしたという風にしか見えません。
    そこで、踊る宗教を前面に打ち出したことによる数々の疑問と、今後に起こりうるであろうと思われる矛盾を下記に記します。

    1.踊る宗教だから自ら公共施設から出て行くようにと、当の公共施設から追い出されたわけではないのに、自ら出て行って居場所をなくすんですか?
    2.だったら、武道団体であることを自ら放棄したということで、踊る宗教団体を名乗るのですから、武道館が踊る宗教を認めれば別ですが、踊る宗教団体は日本武道館からも脱退しなければ筋が通らないのですが?
       (一般道院は自前の踊る宗教施設がない以上、設置・活動禁止で、本部は武道館に武道として所属ができるというのは理屈の通らないダブルスタンダードでは? 武道館に携帯仏壇を持っていって飾るんでしょうか? )
    3.国際交流基金の、日本武道紹介プログラムの誘いなど、とてもではないですが、踊る宗教ですから誘いがあっても断らないといけなくなりますね?
    4.日本武道のロシアでの紹介プログラムに、金魚の糞のようについていったみたいですが、踊る宗教がロシアで披露されていいんですか?
       (もともと、プーチン露大統領と親しく、この関係により世界柔道連盟を追い出された山下泰裕氏の個人的な交流が発展したものなので、柔道を除いた武道はオマケみたいなもののはず)

    おそらく今後は、踊る宗教を前面に打ち出したことによる数多くの矛盾が噴出し、少林寺拳法を快く思わない人達や団体から、その点を中心にあらゆる角度から攻撃されるのは目に見えています。
    しかも、その情報は、またたくまに拡散します。その対応次第では、あっという間の炎上もありえますので、大変な時間と手間を浪費することになると思いますが、通常業務にまで支障が出てることになったら、どうするのでしょうか?
    特に、各省庁の利権が絡む官僚連中は手強いと思いますよ。なにせ、前例がないことは極力やらないくせに、利権が絡むと、いかに自分たちに有利な前例を作るかということに躍起になるのですからね。

    開祖をはじめとする先人が苦労して築きあげた少林寺拳法という財産を、「税金を払いたくない、もしくは払えない」、としか思えない、宗教法人の利点のみに偏った国内対応をしたことが、今後どのように舵を切っていくのか、休眠拳士としては、大変興味があります。

    少林寺拳法という看板の名前だけにすがっていくしかない、自己確立ができているとはいえないかもしれない(守・破・離の破まで到達しそうな、もしくは到達していない)人達は、おそらくそのままついていかざるを得ないでしょうが、本質を理解した(守・破・離の離まで到達、もしくは到達しかけている)人達は名前にこだわらずに独自の道を模索してゆくことでしょう。
    ただ、その名前すら、こだわるに値しない時代が来ないとも限りません。
    少林寺拳法に入門する際に、宗教を前面に打ち出して、一般の方々が躊躇しないとは考えられないと思いますが、今後の動向に注目ですね。

    乱筆乱文、失礼しました。

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  26. Tairaさん 引き続いての書き込み有難うございます。

    Taira さんのコメントは鋭過ぎて時々ハッとさせられます。『最高解釈権者』とは私の造語ではありません。ここの投稿に寄せられた中にあった表現ですが、見事に現在の体制を言い表している言葉だと思い私も引用しているのです。

    又別の投稿者からの指摘でありましたが、N先生の降格や活動制限で誰も反論や文句を言う者が居なかった事で、『最高解釈権者』が「何をやっても大丈夫だ!」と自信を抱いたとの見方を示された指導者がおられますが、私もそれが真実だと思います。これらの事は過去の投稿を読んで頂ければ出てきますので、現在の『最高解釈権者』なる存在を造らせた原因の一旦は現役の指導者にも有るのかも知れません。

    ご指摘の『現在の組織に見切りをつけた元指導者たちに対しての執拗な嫌がらせ』は私も色々な所から聞いております。正にご指摘どおり、現在の恐怖政治体制下では「残るも地獄、去るのも地獄」と言う表現は100%的を得た言葉だと思います。

    本当に私達が拳法を始めた当時は色々な人材が居ました。一言では表現できない程多種多様な人材が居た事は、組織の成長過程で大きな力を発揮した事は疑う余地も有りません。表現は悪いのですが、一癖も二癖もありそうな(他武道経験者)も回りに沢山いました。 同時に有能な人材も官僚を含めて数多く居た事は、少林寺拳法が戦後のゼロから始まった事を考えれば、それ等の人材が文武両面に果たした貢献は非常に大きなものが有ったと思います。

    『豊富な人材を活用せずに、決まりきったことを外野目線でエラそうにのたまうコンサル会社なんかに大金をつぎ込んで、国税を敵に回したのか?』との疑念には、N先生の処分で自信を付けた最高解釈権者が聞く耳を持たなくなった事が原因だと思います。本来ならば意見を具申するはずの古参の先生達までが、N先生の処分結果に恐れを無し、口をつぐんでしまった事が大きく影響して居るのではないでしょうか。それが原因で最高解釈権者がコンサル会社に乗せられてしまったと言う事では無かったかと思います。

    『各界に影響力を持った拳士や拳士OBの方々に、官僚サイドから根回しをすることを助言した本部の先生方はいらっしゃらなかったのでしょうか?』 目先の利益や後継者問題も絡み、気が付けば自分達が望んだ事とは全く逆の方向へ流れが進んでしまったと言う事ではないでしょうか。国会議員や大臣でも官僚の書いた筋書を無視しては事が運ばない日本と言う国のあり方を、少しでも判断出来るトップであればこの様な結末にはならなかった事でしょう。

    『開祖をはじめとする先人が苦労して築きあげた少林寺拳法という財産を、「税金を払いたくない、もしくは払えない」しか思えない、宗教法人の利点のみに偏った国内対応をしたこと』とのご指摘はこれから現実の問題としてじわじわと組織に重くのしかかって来る事でしょう。 少林寺拳法が武道を投げ出したら発展出来ないと言う事を、拳法経験が無い事を得意げに披露する様なトップでは、組織が崩壊するまで分からないのかも知れません。

    最後のコメント『本質を理解した(守・破・離の離まで到達、もしくは到達しかけている)人達は名前にこだわらずに独自の道を模索してゆくことでしょう。』正にこの事を自覚して日本でも新しく自分達で組織を立ち上げられた指導者が居ます。私も何らかの協力が出来ればと考えて居ます。只その後につづられている『その名前すら、こだわるに値しない時代が来ないとも限りません』と言う言葉には、正直言って私達にはつらい指摘です。BSKFは少林寺拳法本部との名称裁判で英国少林寺拳法連盟を勝ち取りましたので、その様な事態に至る事だけは回避して欲しい思いです。

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  27. 結手

    はじめまして、北海道の地方道院で修業しております。336期生になります。
    先生のブログは興味深く読ませて頂いております。

    道院長は宗教者か?と聞かれれば、私共の道院長はYESでしょうし、私自身もYESであります。
    私はナチュラリストとして、宗教の必要性を感じ信仰しております。
    その中に金剛禅も入っており自分の宗教観に大きな影響をもっております。
    多くの日本人は同じではないのでしょうか?

    しかし、宗教家であるか?と聞かれれば道院長も私もNOでしょう。
    残念ながらそこまでの勉強も研究もしておりません。
    そして金剛禅の道院長という資格がそれほどもものであるとも思ってはおりません。

    私が思うに金剛禅の道院長は、在家信者のリーダー的存在。ぐらいのものではないかと
    考えております。

    いろいろな方々の意見をみますと、「本部に対する不満」が先にあり根本的な問題の
    検証や、反省、これからの対応が薄くなっているように感じます。

    現役の拳士としての意見をのべさせていただきたいと思います。

    「道院長が宗教家でないこと」とで「少林寺拳法が宗教かどうか」ということを語られ
    るのは、少々乱暴に感じます。

    しかし、世界を考えますと日本人が持つようなナチュラリズムをもって組織づくりを
    してゆくことは簡単ではないと思いますので、水野先生はじめ海外で普及されてこられた
    先達の方々と本部の威光でと法縁が切れてゆくのはじゅくじゅくした思いがあります。

    世界においての普及を考えるとき、「ひとつの少林寺拳法であること」がどれほど国益に
    つながるかと考えると非常に残念でなりません。

    多くの方々が言われる税金問題ですがこれは払える払えないという問題では無く
    信徒香資としているのに手数料や消費税を拳士から取ってしまった結果でありましょう。

    これは、残念ながら本部もしくは本部の周りが宗教や税金課税について全く無知であった
    いうことでしょう。信徒香資であればもっとやり方もあったと思います。
    そしてそもそも在家信者のリーダーである道院長に集金をさせたりせず、各地に寺院を設け
    各寺院に僧侶を置くべきでしょう。

    もう一つの問題は少林寺グループのトップが「行」を行わないことでしょう。
    宗門が定める、鎮魂行も易筋行もしない幹部トップの組織を税務署も社会も宗教組織とは
    認めないのです。

    ではなぜしないのでしょうか?
    それは多くの拳士が、技術のあるなしを「トップの資質」と直結させるからではないので
    しょうか?

    禅宗においては行は「ただ行うもの」であるはずです。
    技が下手であれセンスがないであれ、行うことが全てであります。
    私が本部に望むのは「下手でもいいんだよ」「続けることが大切」という見本を見せて
    いただきたいと思っております。
    トップが剃髪し、鎮魂行と易筋行を毎日していれば少なくとも国内で「少林寺は宗教では
    ない」という批判はないのではないでしょうか?

    しかしまた、ただ強ければ良いのであれば少林寺拳法である必要はあるのでしょうか?

    私は今、自分が少林寺拳法をする意義をすごく考えます。
    「自分の名誉欲はないか?」「強いとはどういうことか?」「組織にいる意味は?」
    そういう中で、自分自身を含め「何事も見下さない」ということを気にかけております。

    先生のご意見により多くの方々に影響があると思います。

    すべての拳士が、自己確立をもって行動できますようにご指導ご鞭撻お願い致します。

    若輩者が長文の書き込み失礼いたしました。

    先生のブログ楽しみにしております。

    合掌

    返信削除
  28. Takahashi Hisashiさん 投稿有難うございました。

    長文のご指摘の中に私も考えさせられる部分が多々ありました。

    >私はナチュラリストとして、宗教の必要性を感じ信仰しております。その中に金剛禅も入っており自分の宗教観に大きな影響をもっております。多くの日本人は同じではないのでしょうか?しかし、宗教家であるか?と聞かれれば道院長も私もNOでしょう。残念ながらそこまでの勉強も研究もしておりません。

    謙虚な宗教に対する姿勢で敬意を表します。ご指摘の様に道院長や指導者以外の拳士もTakahashiさんと同じ様な気持ちで、少林寺拳法に取り組んでいるのだと思います。同時に多くの方々が指摘される事は、単純に武道と信じ入門した少林寺と言う組織が本人の意識とは関係なく自動的に『金剛禅門信徒』として扱われてしまう事への不安や不満ではないでしょうか? 自身が納得して門信徒を受け入れている拳士や父兄であれば全く問題はないと思います。

    >世界においての普及を考えるとき、「ひとつの少林寺拳法であること」がどれほど国益につながるかと考えると非常に残念でなりません。

    少林寺拳法と言う組織が『国益につながる』程の評価を受けているとは残念ながら私には思えません。その様な評価を受ける組織でありたいとは思いますが。また 『一つの少林寺拳法』と言われる事のみが、それ程大きな意味を持つ事なのかどうかも合わせて考える必要が有るのではないでしょうか。

    >もう一つの問題は少林寺グループのトップが「行」を行わないことでしょう。宗門が定める、鎮魂行も易筋行もしない幹部トップの組織を税務署も社会も宗教組織とは認めないのです。

    これは真実だと思います。ご指摘のとおり否定できない事は明らかです。

    >私が本部に望むのは「下手でもいいんだよ」「続けることが大切」という見本を見せていただきたいと思っております。トップが剃髪し、鎮魂行と易筋行を毎日していれば少なくとも国内で「少林寺は宗教ではない」という批判はないのではないでしょうか?

    全く同感です。

    >『下手でも良い、見本を見せる』

    と言う事はそれ程難しい事ではありません、本人がやろうと思えばいつでも可能です。

    >『トップが剃髪して鎮魂行と易筋行を毎日していれば』

    実現出来るとは中々想像が出来ませんが、次にご指摘の

    >『少なくとも国内で「少林寺は宗教ではない」という批判はないのではないでしょうか?』

    全く無くなるかどうかは分かりませんが批判が減る事だけは確かだと思います。

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  29. 何より若輩者の私に対しご丁寧な返信をいただき感謝にたえません。

    >単純に武道と信じ入門した少林寺と言う組織が本人の意識とは関係なく自動的に
    『金剛禅門信徒』として扱われてしまう事への不安や不満ではないでしょうか?

    と言うご質問に関しましては、

    私は、少林寺拳法の武道としてのアイデンティティの問題と考えております。
    (そもそもの武道論はおいておきますが。。。)
    私は少林寺拳法と他の武道の違いを尋ねられますと、「他武道は武士が殺し合いを
    するための武技が発祥」「忍術はスパイ工作員が発祥」「少林寺拳法はお坊さんが
    体を鍛え、寺を守るために出来たのが発祥」と答えます。
    「他武道は精神教育的(道徳や倫理含む)指導を神道や道教に因りますが、少林寺拳法は
    仏教に因ります。ですから仏教・禅宗(達磨)の勉強をするのです」と言っています。
    ですから、少林寺は自主寺院と宗教格を持っていると考え、説明に当てています。

    私の実家は、禅宗ですが自分の意思ではありません。しかし私の親族で禅宗の勉強など
    しているものはいません。葬儀をしていただくための信仰?でしかないのです。
    金剛禅も「少林寺拳法の昇格を受けるための信仰」と言うスタンスでかまわないのでは
    ないでしょうか?

    そもそもの問題は、『金剛禅門信徒』として扱われてしまう事ではなく、それが何か怪し
    げなことに利用されていることではないのでしょうか?

    宗教を前面に出すことが悪いことだとは思いません。
    しかし、その先に何を目指しているのかが理解できない。。と言うよりは「自分たちは
    ただ利用されている」と言う意識しかつくれない現状が問題なのではないかと思います。

    >少林寺拳法と言う組織が『国益につながる』程の評価を受けているとは残念ながら私に
    は思えません。

    評価は受けていないと私も思います。しかし、一番問題なのは「世界の平和と福祉」と
    言いながら行動しない・その意識もない組織・拳士なのではないでしょうか?
    その第一歩は、手を取り合い、技をかけあい、お互いに修業することで信頼をつくり
    学びあう。。これが少林寺拳法ではなかったのでしょうか?

    私たちは「世界の平和と福祉に貢献」と唱えます。
    それを裁判などと言う争いの場に持ち込んだことが迷走だと思います。
    鉾を止めるのが武道のはずの少林寺拳法が自ら争いで決着をつけようとするのか?

    たくさんの組織が出来ることが悪いとも思いません。
    しかしそれでも「少林寺拳法はひとつ」であると信じております。
    組織などどうあってもすべての拳士が宗道臣を開祖とする少林寺拳法で結ばれていれば
    よいのではないのか?と言う想いがあります。

    ここでも問題も。。
    「少林寺拳法はひとつ」というお題目が何のためなのか?ということに他ならないと
    思っております。

    長文失礼いたしました。

    返信削除
  30. Takahashiさん 引き続いての投稿有難うございます。

    すでにお気づきだとは思いますが、ここに投稿されるほとんどの方は非常にまじめに(真剣に)少林寺拳法と向かい合って居ます。そこには現在の組織を批判する意見を述べている方々も私は同じだと思います。ごく稀にまぜっかえしを企んで投稿して居た例もありましたが、他の誠実な投稿者が相手では中々難しいと思いました。

    Takahasiさんにも同様な誠実さが感じられます。同時に現状を何とかしたい(少しでも組織が良い方向に向かう様に)と言う信念を強く感じます。その一例が以下の文面から出ていると見ましたが違って居ますか。

    >そもそもの問題は、『金剛禅門信徒』として扱われてしまう事ではなく、それが何か怪しげなことに利用されていることではないのでしょうか?宗教を前面に出すことが悪いことだとは思いません。

    私も宗教を前面に出す事が悪い事だとは思って居ません。私が書いた『自身が納得して門信徒を受け入れている拳士や父兄であれば全く問題はないと思います』。問題にして居る事は貴方も指摘されている様に、『何か怪しげな事に利用されている』と感じる人が少なからず居ると言う事でしょう。少林寺の大会でありながら現在のトップが会場での挨拶で、一言も金剛禅や宗教に触れない事(堂々とした金剛禅の説明が無い)が、宗教法人に対する欺瞞性をより深刻にしていると想像して居ます。

    >私たちは「世界の平和と福祉に貢献」と唱えます。

    これは厳しい現実ですね。私も自分達の教えと、現実社会において我々が出来る事のギャップの大きさに、自身の非力さを感じてどの様に伝えるべきか随分悩んだ経験があります。そこから導き出した答えは、貴方の言われた『手を取り合い、技をかけあい、お互いに修業することで信頼をつくり学びあう』これしか出来ないのではないか?と言う結論でした。逆にこの過程無くして『世界の平和と福祉に貢献』等と言ってみても単なる大口(Big mouthのハッタリ団体)としかとらえかねません。

    >それを裁判などと言う争いの場に持ち込んだことが迷走だと思います。

    ご指摘どおりですね。少林寺関係の裁判は全て少林寺拳法サイドから起こされたものです。過去にいくつもの同様な裁判が繰り返されました。それは私達BSKFに対する名称訴訟においても同じです。 最近ではBSKFとの間に「名称訴訟そのものが無かった」と道院長研修会等で言っているようですが、不思議な論法の人達です。裁判結果は誰でも見られる様に英国の裁判所が記録として公表して居ます。

    >組織などどうあってもすべての拳士が宗道臣を開祖とする少林寺拳法で結ばれていればよいのではないのか?と言う想いがあります。

    私も100%同感です、要は内容ですね。何らかの理由により少林寺と言う組織を離れた人達でも敵では無いはずです。又いくら少林寺拳法と名乗って居ても一緒に出来ないグループも世界には沢山あります。

    >「少林寺拳法はひとつ」というお題目が何のためなのか?

    私が見てきた中で少林寺拳法世界連合(WSKO)と言う組織を離れたグループでも、開祖の写真を道場の正面に掲げ、鎮魂行や教えもしっかり指導している指導者は居ます。又これとは逆に少林寺拳法と名乗っては居ても、内容の全く伴わないグループも確実に存在しているのです。 個々の拳士や指導者が何を信じ、何を求めて行くのか?『自己確立』が真に問われている様に感じます。

    返信削除
  31. 早速返信に恐縮しております。

    >同時に現状を何とかしたい(少しでも組織が良い方向に向かう様に)と言う信念。。

    私の場合、その組織に本部は含まれていません。
    本部組織は私どもの地方道院拳士にはどうにもできないようです。
    情報も少ないですし、うわさ話や批判ばかりが先行してどうにもやりきれないことが
    多いです。

    私どもの問題は、肝心の拳士や道院がやる気を失っているのではないかということです。
    残念ながら各道院、地方連盟とも拳士獲得に向けても大会運営等事業運営に対しても
    熱意があるようには思えません。
    確かに本部の対応には?が多いのですが、同時に拳士の熱意のなさにも?が付きます。
    確かに大会時にさえ連盟を含め誰一人宗教には一つも触れません。と言うより「公的な施設借用時に宗教を出すなと本部より通達されている」と連盟幹部・各道院長・拳士が思っております。公的な施設(公営の体育館や公民館など)で広報せずにどうやって拳士獲得をするのか?」と皆が思っており。拳士募集にも二の足を踏んでいるのが現状です。
    道院改革の然りです。「道院施設を確立せよ」と言われましたが、「借金してつくるのか?」「道院辞めるときは?税金は?本部に寄贈でもするのか?」etc。。宗教法人法や税法の勉強もしていない道院長に対してはずいぶんと酷な改革命令でした。
    しかし、私が不思議に思ったのは道院長だけが悩み苦しみ、なかなか拳士が「みんなでやりましょう」とならなかった事です。
    これは私どもが入門した38年程前には考えられないことです。
    現在当地域では3道院が専有道院を持ちました。しかしそれは、本部に言われたからではなく「じゃやってやろうじゃないか」「文句ない様にしてやろう」という反骨心と、拳士を増やそう。もう一度OBも集めよう。と言う道院長を中心とした一人ひとりの熱意の相乗成果であると思います。

    私達が欲しているのは、仲間です。しかし、このごろの拳士は段位を取ることだけが目的であるような拳士も多くなっているような気がします。開祖が否定していた「怪しげなありえない秘伝や秘術」になんとなくよって来てるような気がしております。
    私が入門した頃は、皆仲がよく、年少部の拳士も一般学生も呼称は必ず拳士をつけて呼ばれました。
    大会を見学に来ていた極真指導者が、年少部のキッとした礼儀の良さに、自分の指導時間に「ああいうのを武道というんだ」と口走ってしまい内部問題となり内部分裂しました。
    それを、極真の門下生の同級生から聞き、私は「少林寺は道場破りなどしなくても年少部の合掌礼で道場を潰す」と自慢しておりました。

    「卍と合掌礼で全国どこへ言っても修業でき仲間がいる」というのが少林寺だと思っていました。(大学で東京に言ってからは色々な所があるとは思いましたが。。。)
    しかしそれは、個人個人が本当に人格的にも魅力的で、拳技の実力が無くてはできないと思っております。
    他人に認められるぐらいのことができなければ国内で転籍をし、拳法を続けることもできません。しかし、そのような中で培われた信頼であるからこそ強靭であると思います。

    水野先生方の様に、文化の違う国で普及されるのは大変なご苦労もあったと想像いたしますが、裁判に対する英国連盟の対応を鑑みますと「英国のほうが少林寺?」と感じてしまうところがあり、それが悔しいと言う思いがあります。
    日本で生まれた少林寺拳法を廃らせたくないのです。

    私たちは宗教家ではありません。しかし、精神修業の教義を仏教から紐解いている以上宗教の勉強もいたします。「本部が建物の修繕するからお布施して」と言われればしますし「定期的にしてよ」と言われればいたします。ただそれだけなのです。
    本部が宗教組織を表に出したければそうすれば良いだけです。トップが宗教家として生きたいなら、そうすることは素晴らしいと思います。剃髪し行をおこなうことは素晴らしいことです。
    私たち拳士は「お願いされれば」皆拳士なのですから、出来る人はやればよいと思います。しかし、命令や強制をされることは宗教でもありません。お布施に相場はあっても金額の強制などなく、慈善奉仕も強制などないのですから。

    私がやりたいのは宗教でも武道でもありません。私は、幼少の頃から親に合気道・柔道・居合い・詩吟・剣舞・空手と武道古流武術をやらせられました。開祖がおっしゃられた「武道に対する疑問」を私も持っております。

    私がやりたいのは少林寺拳法なのです。
    本部が間違っているのであれば「時のフィルター」がそれを綺麗にしてくれると信じます。

    まずは何より自分のこと、そして自分の周りから。。
    そしていずれ合掌礼ですべての少林寺拳士が会い見合えることが出来ることを期待しております。

    長文失礼足しました。

    返信削除
  32. Takahashiさん 引き続いての投稿有難うございました。

    数多くの投稿者が同様な悩みを述べておられます。

    >私どもの問題は、肝心の拳士や道院がやる気を失っているのではないかということです。残念ながら各道院、地方連盟とも拳士獲得に向けても大会運営等事業運営に対しても

    何故この様な現象が起きているのでしょう? Takahashi さんも指摘されている現象は、限られた地方や道院にのみ起きている事ではありません。日本全国、各地で同様に起きている現象だと思います。考えられる事の一つに組織運営に係る重要な案件にも不透明な事が多く、県連の理事長会で決まった事項も全国理事長会で真剣に討議される事が無い(民主主義的方法が機能しない)と言う矛盾した組織運営では無いでしょうか。

    >しかし、私が不思議に思ったのは道院長だけが悩み苦しみ、なかなか拳士が「みんなでやりましょう」とならなかった事です。

    別の投稿者も書かれていましたが、http://plaza.rakuten.co.jp/ayapp1559/diary/20150602/
    ある県連の理事長がその県連のホームページで述べられていた建設的な提言も、本部からの指示で掲示板に出す事を過去の記事も含めて止められた事が紹介されていました。この様な現実を見聞きすれば末端の道院長や拳士が、情熱を持つ事(モチベーションの維持)が難しい事は明らかです。

    >私がやりたいのは少林寺拳法なのです。本部が間違っているのであれば「時のフィルター」がそれを綺麗にしてくれると信じます。

    「時のフィルター」とは何を指すのでしょうか? 誰かがやってくれると思われますか?もしほとんどの指導者や拳士が同様な考え方であれば、それは無理ではありませんか。組織を変えられるのは部外者ではありません! 厳しい言い方になりますが、その組織を構成する人達以外に変える事が出来るとは思えません。

    >たくさんの組織が出来ることが悪いとも思いません。しかしそれでも「少林寺拳法はひとつ」であると信じております。組織などどうあってもすべての拳士が宗道臣を開祖とする少林寺拳法で結ばれていればよいのではないのか?と言う想いがあります。

    その想いに私も同感です。組織に見切りを付けた指導者で宗道臣の思いを、別の組織を創って実現しようとする動きも出始めています。又それとは逆に、この場に何度も投稿されている指導者の中には、内部に止まり改革を実現しようと必死に頑張っておられる指導者もおられます。私は両方の立場を尊敬します。何も行動を起さない人には、いくら素晴らしい知恵を持った人でも共鳴は出来ません。どの様な立場を取るのか、一人一人の指導者や拳士に突きつけられた重要な課題ではないでしょうか。

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  33. 水野先生 引き続いての返信誠にありがとうございます。
    先生からのご返信を受けるにあたり、自分の想いが明らかに成長していることを実感しております。

    >考えられる事の 一つに組織運営に係る重要な案件にも不透明な事が多く、県連の理事長>会で決まった事項も全国理事長会で真剣に討議される事が無い(民主主義的方法が機能>しない)と言う矛盾した組織運営では無いでしょうか。
    >この様な現実を見聞きすれば末端の道院長や拳士が、情熱を持つ事(モチベーションの>維持)が難しい事は明らかです。

    このような現状があるのは明らかです。数年前、組織トップが来道の際は「どこぞのHPが悪いとかで携帯電話で怒鳴っていた」と噂になり、こんな田舎の道院でも「HPは作らないほうが良いのでは?」と話になりました。
    しかし、国内での現状は「それを理由・言い訳に普及活動も修練も行もしていない」道院や拳士が増えた。。。と私は思います。
    現在国内に、汗をかくほどの修練をしている道院がどれほどあるのでしょうか?
    体育館や公営施設を借りているのを理由に鎮魂行をしない道院もたくさんあります。
    確かに本部の指導によれば公営施設での宗教活動は禁止?なので鎮魂行はできない?とも取れないことはないのですが。。。「本当はめんどくさいからやりたくないんどろう」と言いたくなります。
    汗もかかず、まるでピンクサロンでおさわりをするがごとくの修練を「技」と称して高段者となれば「達人」かのような名調子。そして運営は誰かに任せきり。。それが現状です。
    本部は高段者の昇格を増やせば儲かるかのような特別昇格考試の大盤振る舞い。
    しかし、本部の批判だけは裏で言うのです。男らしくないことこの上ない。。
    このような方たちが多くなってしまったことが、「行動する少林寺」「実際に活動しようとする人たち」の邪魔をしていると強く感じます。
    当然そうではない道院拳士もおりますが、そのような道院にはちゃんと人が集まっているように思います。
    組織トップが迷走を続ける原因のひとつは、本当に信じられる仲間がいないからなのではないでしょうか?(それなら自分で「行」を行えば良いのに。。というのが個人的な意見ですが)

    当地域にも問題があり、本部に色々な意見をさせていただきました。しかし、個人拳士では全く相手にもされず近隣道院長の協力の元、意見させていただきましたが。。なんにも変わりませんでした。

    しかし、それでも自分の信じる道を続けます。本部の迷走にも負けたくありません。
    「心が折れなければ負けてはいない」と開祖がおっしゃったからです。
    私はこの地で、「開祖のひらいた本当の少林寺拳法はここにある」と胸を張っていえる組織を作りたいと思っています。

    そして同じ思いを持つ同士と手を繋ぎたいと思っています。

    >「時のフィルター」とは何を指すのでしょうか? 誰かがやってくれると思われますか?

    言葉足らずで申し訳ありません。「時のフィルター」とは「時間が経った後の評価」を言います。現代アート普及の中でアートディレクターがアートを説明するときに使い出した言葉です(私はアート教育のNPOをしております)。現在の評価と未来の評価は違います。
    同じような評価になる時もありますが、評価というものは、大概低くなるか高くなるかです。そこには、制作だけでは無く努力や行動は当然必要です。それがなければ評価自体がありえません。「自分たちが正しく行動すれば、時間がかかっても必ず、少なくとも悪しきことは払拭されるはず」という意味になります。

    >もしほとんどの指導者や拳士が同様な考え方であれば、それは無理ではありませんか。組織を変えられるのは部外者ではありません!

    これは私の個人的な意見ですが、組織を本当に変えることができるのはトップだけだと思っています。これは悲観的な意味ではないのですが、ダメなトップであればダメな組織でしかないのです。ですから本当に組織を変えたいのならトップを根っこから変えるクーデターしかないと思います。しかし、クーデターをする組織はやはり又分裂するんだという他ぶどうを見ていての思いもあります。
    私は、開祖の言われたリーダーは、何も組織トップである必要も何かの役職に付く必要もないと思っています。家族で言えば一番下の子供が家庭のリーダーにもなり得ると思っています。ですからトップがダメな組織を変えようとするよりも各地域や道院支部が別組織を練り上げえば良いと思っています。例えば当地域では小教区長が中心になり、昇格考試の資格を持つもので委員会を作りました。この他にも幹事を決め小教区での行事+飲み会を進めています。これからは、拳士OB会+後援会の発足を目指しています。
    「組織内での組織づくり」細胞を新陳代謝するかのような活動を目指したいと思います。

    >その想いに私も同感です。組織に見切りを付けた指導者で宗道臣の思いを、別の組織を創って実現しようとする動きも出始めています。又それとは逆に、この場に何度も投稿されている指導者の中には、内部に止まり改革を実現しようと必死に頑張っておられる指導者もおられます。私は両方の立場を尊敬します。

    水野先生からそのようなご意見を拝聴できたことを本当に喜ばしく心強く思います。
    先生のところの拳士諸氏と一緒に修業できるように「本当に強くなれるように」修業いたします。

    本ブログにあります。「道院長は真の宗教者か」という題に対しまして、私は「道院長は武道家か?」という問も持っております。
    私が思う「~家」(例えば美術家・研究家)の条件は
    1)自称すること(自分にその意識がある)
    2)社会的に認められること(他人が自称する内容を認める)
    3)それにより収入を得られること(2)の内容を証明する)
    なのですが、少林寺の国内道院長の規定にはあてはまりません。
    道院長は少林寺拳法の修業者でしかなくなります。
    先生は海外で1から3までの条件を満たされております。
    本部や古参の先生も当てはまる先生がいらっしゃいますが、先生からはどのように見えられますでしょうか?

    返信削除
  34. Takahashiさん 長文の投稿には思いの丈(情熱)がほとばしって居ます。失わないで(諦めないで)頂きたいと思います。

    >私はこの地で、「開祖のひらいた本当の少林寺拳法はここにある」と胸を張っていえる組織を作りたいと思っています。そして同じ思いを持つ同士と手を繋ぎたいと思っています。

    ここへの投稿者3番目の『内戦派』さんも、Takahashiさんと同様な考えの指導者だと思います。又それとは別の道を選択された指導者もおられます、19番目の『匿名』さんと、21番目の『拳法大好き』さんの様にこれまでの組織と決別して、自分達で理想とする組織を立ち上げようと言う人達です。そして8番目の『矛盾を感じて退会した拳士』さんは、開祖の教えを実社会の中で役立てようと頑張っておられる拳士もいます。 目指す方向は少しづつ異なりますが、私はそれぞれの方々の行動に心から敬意を表します。 Takahashiさんもこの様な方々であれば同志として手を繋ぐことは可能ではありませんか。

    >これは私の個人的な意見ですが、組織を本当に変えることができるのはトップだけだと思っています。

    私はこの考え方とは少し異なった見解です。

    >ダメなトップであればダメな組織でしかないのです。

    これとも異なった見解です。今一度宗道臣の言葉を思い出してみて下さい。「私の意見でも間違っていると思ったら遠慮なく言いなさい!」この様な言葉を言えるトップであれば、ダメな組織になろうはずがありません。問題はダメなトップと知りつつ目をつぶり、自分の立場だけを守ろうと汲々と従っているだけの人達の居る組織なのだと思います。その様な人達に組織の改革など出来るはずがありません。一人でも戦う(挑戦する)気概がある人が立ち上がれば、その人を中心に同じ様な考え方の人が集まるのだと思います。

    >先生のところの拳士諸氏と一緒に修業できるように「本当に強くなれるように」修業いたします。

    有難うございます。本当に何時か一緒にお会いして練習に汗を流したいですね。

    >本ブログにあります。「道院長は真の宗教者か」という題に対しまして、私は「道院長は武道家か?」という問も持っております。

    最後になりましたが、この問いに対する私の答えはこの場では控えたいと思います。長くなりますので、何時かお会いする機会があれば充分に時間を取りお話したいと思います。開祖から直接頂いたアドバイスもお伝えできればと思います。

    返信削除
  35. 拳法大好き2015/06/24 10:33:00

    久しぶりに投稿します。Takahashiさん私もまったくの同意見です。私はどうしたらいいのか悩んでいました。
    本部に帰山していろんな人たちと話して、汗をかいて一つの技に多くに意見が飛び交う、笑いながら真剣なまなざしに思わず涙して感激したものです。数年前ですが道院長研修のときに、機構改革と言ってから話すことが多くなり技術はほんの少し、拳士の立場ではなく本部の都合で拳士の事はどうでもいいように感じました。宗教法違反として即刻道院の活動停止、調査して道場の余剰金を請求するこの様な事が本当に行われていました。
    そんな時に思い出されたのは宗道臣の言葉(拳法を離れたっていいじゃないか!)小さい力ですが出来るとこらからはじめよう!少林寺拳法の船を降りました。今少しの仲間ですが新しく始めています。
    どうか連絡を下さい!先生のブログの右上のアドレスにください連絡をします。一歩踏み出さないと見えない事もあります。思いも共有できますよ!

    返信削除
  36. 何より、私などの末端拳士に礼を尽くてくだされる先生のご対応に、感謝の思いと尊敬の念を抱かずにはいられません。本当にありがとうございます。

    私はあまり組織というものを信じません。
    組織とはトップそのものだと思います。
    開祖がトップであれば、その組織は開祖であると思います。
    私はそれに惚れ込みました。

    私が組織そのものを信頼出来ない理由としては
    1)開祖高弟の武階の降格
    2)その後の高弟の先生方の付き合い

    私はN先生を降格させた本部組織には武道団体として何の期待もできません。
    開祖から頂いたN先生の段位を、誰が降格できるのでしょう?
    宗教組織として道院長資格を剥奪したとしても、先代が認めた武道段位を、その弟弟子や孫弟子が剥奪とは、社会的にも武道社会においても理解されないことだと思います。

    しかし、「絶対に理屈に合わない」という意見もたくさんありN先生を担いでの別派立ち上げの動きがあったことも聞きましたが、N先生は「少林寺に派閥なし」と言われお話されたと聞いております。N先生の色々なご事情は私などのには計り知れないものがあると思いますが、すべての空手団体が創始者亡き後分裂裁判を繰り返すのを見るにつけ、私は「何が武道?何が教育?」という想いが増してゆき、少林寺こそ武道であるという想いを強くしてゆきました。しかし、その後N先生の直系をいう拳士でさえが、「何故先生の段位を降格させた組織の先生の段位を受ける」のをみて?と言う疑問をもち。。「同時代の高弟T先生の1時降格処分の話」(講演時に開祖の若かりし頃のやんちゃ話をしたことが原因だそうです)などを加えて聞き、この組織は「武道団体としては崩れてゆくのでは?」と言う思いが強くありました。

    しかし、現実には高弟の先生方は、本部が何を言おうが何をしようがゴルフに集まったり交流をしているのではありませんか。。所詮やはり「人、人、人」でしかないことを見ます。
    自分がこだわっていることも「なあんだ」となりました。

    それでも水野先生が言われるように、「一人でも戦う(挑戦する)気概がないのか?」と言われればそんなこともありません。

    古い先生の中には私と同じように、組織にどうされよううが「開祖の開いた組織を守りたい」「N先生が守りたい」と言った組織を壊したくない。という想いがあるのではないかとも思います。
    そして、意見を言わない道院長・拳士の中には「3代目に期待」している人もいたと思っています。
    しかし、それも崩れました。数年前に鈴木先生から「3代目(次男)は東京の道院で修練している」と聞いていましたので私自身も期待しているところがありましたが本年の本部人事を見て愕然としました。もう私も本部のいうことを考えることもありません。
    自分の考える活動をすると決めました。

    PS.
    昨日の夜、京都の大森先生が破門になったという情報が入りました。理由は
    その一 研究会「参禅会」を本部の許可なく開催してはならない。(集会の自由は認めない)
    その二 発表した文章が本部批判をしている。(出版・表現の自由は認めない)
    「少林寺は本人が退会を申し出なければ休眠扱い」が原則です。ですから私はOB休眠拳士を中心にした新しい普及を目指していましたが、これからは休眠拳士の破門もありえるわけです。
    これは私の予想ですが、このような破門などは社会的な問題になると思います。
    個人の権利の侵害です。おそらく裁判も多数起こると思いますし、週刊誌やネットネタにもなるでしょう。研究会「参禅会」の本部監視をすると宗教法人としての組織内で厳しく処分するのとは全く違うのです。「組織内のルールをすべて社会に通用させることはできない」ことは安易に想像できると思うのですが。。残念です。。

    私はねちねちと自分の実力をつけ、ねちねちと人集めを続けます。
    少林寺という組織の名前ではなく、自分の魅力で集めれば、先生のところと同じように、組織が何を言おうが組織の思うようには動きません。

    私はわざと剃髪します。「宗教家であれば禅宗の坊主なんだから剃髪せいや」が私のすべての道院長そして組織トップに対する意見であり行動です。

    >有難うございます。本当に何時か一緒にお会いして練習に汗を流したいですね。

    先生からこのようなお言葉頂本当にありがたいと思っています。
    本当にそうなったときに恥ずかしくないように修練に励みます。

    >開祖から直接頂いたアドバイスもお伝えできればと思います。

    水野先生や青坂先生は私には海外普及をはたした憧れです。「開祖から直接聞いたアドバイス」ぜひお聞きしたいと思います。しかし、開祖が言われたように「間違っていると思ったら、憧れの先生にも意見がいえる」ぐらい強くなりたいと望んでいます。

    この地で今度は自分が人を集めます。
    組織に頼らない仲間づくりが目標です。


    返信削除
  37. 匿名 拳法大好き さま

    コメント頂き恐縮です。
    水野先生には、先生のブログにおきまして個人的なやりとりをさせていただきますこと
    誠に失礼を致しております。
    無礼をお許し下さい。

    私の連絡先はNPOの公認アドレスhokkaido@hokkaido.que.jpにいただければ結構です。

    返信削除
  38. Takahashi さん、拳法大好きさん 投稿有難うございます。

    今は明日からのチェコ講習会の準備に入って居て返信出来ません。ロンドンに戻りましたら又返信いたします。 チェコでのリポートも又このブログで紹介したいと思います。

    返信削除
  39. Takahashiさん カウンターが遅れて申し訳ありませんでした。 

    先月は中旬にアイルランドの講習会があり、月末がチェコでした。 少し疲れましたがいずれも充実した講習会でした。特にチェコは日本から応援に駆け付けてくれた先生が彼等の拳法に取り組む姿勢に大いに共鳴して頂き、私自身も責任の大きさを実感すると共にこれからも彼等の為になにが出来るかを摸索して行かねばと心を新たにしました。

    >宗教組織として道院長資格を剥奪したとしても、先代が認めた武道段位を、その弟弟子や孫弟子が剥奪とは、社会的にも武道社会においても理解されないことだと思います

    5月26日付けの『発展する会社(組織)と瓦解する会社(組織)』の最後に書きましたが、『自らを創業者と同等の能力が有ると勘違いしているとすれば、残念ながらそれらを救えるマジックは存在しないであろう』これに尽きると思います。 今日の『少林寺拳法』と言う組織の示すあり方が総てを物語っている様に感じます。

    >その一 研究会「参禅会」を本部の許可なく開催してはならない。(集会の自由は認めない)、 その二 発表した文章が本部批判をしている。(出版・表現の自由は認めない)

    いよいよ組織がオウム化してきたような印象を持ちました。 もし本気で上記の様な事を言っているとすれば、とても正気の沙汰とは思えません。個人の人権が保障された日本と言う国で、組織が一番してはいけない間違いでしょう。それでも「間違いでは無い!」と言う人が居れば、今一度日本国憲法を読み直した方が良いと思います。 それでもしつこく文句を言ってくるのであれば「貴方の言って居る事は、実は違法な事ですよ」と教えてあげましょう。

    >この地で今度は自分が人を集めます。組織に頼らない仲間づくりが目標です。

    組織に頼って居ても、今の少林寺では人は集まらない様に感じます。 自身の信念を貫き宗道臣が残した教えを拠りどころとして頑張れば、人は支持してくれると思います。

    アイルランドとチェコの講習会の様子も近日中に紹介したいと思います。気が付かれた事がありましたら遠慮なく指摘して下さい。

    返信削除
  40. 水野先生 ご丁寧な返信お心遣いに感謝いたしております。

    世界を飛び回るご活躍に尊敬の念を隠せません。
    何卒、ご健康にだけはご留意ください。

    さて、先週ですが本部に電話をさせていただき二つほど質問をさせていただきました。
    1)研究会「参禅会」を本部の許可なく開催してはならない。(集会の自由は認めない)
      と聞き及ぶにあたりましたが、OB会や後援会の結成は本部の許可がいるのか?
      また、それに寄り休眠の拳士が処分されることがあるのか?
      現役拳士を含む同士が集まり稽古するのにも本部の許可が必要なのか?
    2)本部が本部批判をしていると考える文章等が出れば、それに寄り拳士諸氏が処分
      される可能性があるのか?
    の2点です。質問に際し、その情報元を尋ねられましたがお断りいたしました。
    最初に対応していただいた方は、大層に横柄な態度で所属名名前を聞かれ
    「そんなことは所属長に聞け」と言われましたので「休眠中の拳士がどうやって聞くのか?」
    「民事上の問題ですので責任者に変わってください」ということで変わっていただきました。

    その方によりますと。。。。
    集会の自由は禁じていない。拳士及び休眠拳士が集まり稽古することも禁じてはいない。
    OB会後援会の結束も禁じてはいない。とのことでした。
    ただし、少林寺拳法の名前を出して結束するのであれば現在の組織規約に従っての活動を
    守っていただきたいので、各所属長や小教区長を交えて活動してください。とのことでした。

    当然のご返答だとおもいますが、最初に対応していただいた方の対応ですと、いささか感情
    論も入りますが「そんなものはできない」「本部は集会の自由も表現の自由も認めない」と
    捉えられかねない対応でした。

    本部職員の方の中には、地方の所属長や拳士を見下している方がいらっしゃるように
    感じます。これはどういうことなのでしょうか?昔からこうだったのでしょうか?

    私が帰山した30年ほど前は、そんなことは感じなかったのですが。。。。
    非常に残念でした。

    大森先生の権は聞きませんでしたが、「あくまでも所属長としての規約違反」
    「破門では無く自らの退会・下山」であると他の先生から聞きましたが、本部として
    は、「どういう内容だったのかを開示したくない」という意思が感じられます。
    それも又残念です。

    アイルランドとチェコの講習会の様子楽しみにしております。





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  41. Takahashoさん 返信が遅れまして恐縮です。

    今月はチェコから戻り、日本から応援に駆け付けてくれた先生が無事帰国された事を確認してホッとしているうちに時間が過ぎてしまいました。今月25日、26日の英国連盟夏季合宿まで体調を整え(現在体調が悪い訳ではありませんが)、精神的にも充実して迎えたいと思っています。

    >最初に対応していただいた方の対応ですと、いささか感情論も入りますが「そんなものはできない」「本部は集会の自由も表現の自由も認めない」と捉えられかねない対応でした。

    その様な対応をする本部の職員は自分達の役目が理解できていないのだと思います。又誰の為の職員で、何をする為に本部で働いて居るのかも分からないのでしょう。 ですからその様な横柄な言葉が出てきたのだと想像します。同時に自身に的確に答えられる知識がなく(どの様に答えたら良いか)応答出来ない事を押し隠すために、その様な態度に出たのではないでしょうか。

    >本部職員の方の中には、地方の所属長や拳士を見下している方がいらっしゃるように感じます。これはどういうことなのでしょうか?昔からこうだったのでしょうか?

    開祖の法話を直に聞いて居れば直ぐに理解出来る事です。大学を卒業と同時に本部の職員となった者の中には、講習会などで周りから「先生、先生」と呼ばれているうちに自分が見えなくなってきたのだと思います。開祖はこの様な態度を厳しく戒めておられた事を法話のみならず私も現実に見聞きして居ます。誰のおかげで本部の職員が続けられるのかと言う事が理解出来ていれば、この様な言葉は出てこないものと思います。

    >大森先生の権は聞きませんでしたが、「あくまでも所属長としての規約違反」「破門では無く自らの退会・下山」であると他の先生から聞きましたが、本部としては、「どういう内容だったのかを開示したくない」という意思が感じられます。それも又残念です。

    私も詳しくは知りませんが、「本部の下した決定にいちいち口を挟むな!」と言う事なのでしょう。組織にとっては掛け替えの無い人材を、くだらない理由をこじつけて切ってしまったのだと思います。残念ですね。
    又の投稿を期待しています。

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  42. asagi taroumaru さん 投稿有難うございました。

    奇しくも投稿を頂いた頃は日本に滞在しておりましたので、投稿があった事すら知りませんでした、返事が遅れ申し訳ありませんでした。

    このところブログへの投稿も中々進まず、せっかく taroumaru さんの様に興味を持って読んで頂いた方々には申し訳なく思っています。

    私が少林寺拳法を始めたきっかけは、純粋な武道としての魅力に取りつかれたからです。すでに50年以上も前の話ですが、時代の変化に伴い武道より宗教が強調される事に違和感を覚えます。

    武道として魅力があったからこそ多くの人がそれに惹かれ集まったのだと思います。同時にその様な拳士達にとって開祖の説かれた哲学は私達に多くの影響を与えた事も事実です。

    しかし逆の場合を考えてみると、ある程度の答えが見えてくるのではないでしょうか? 宗教活動として少林寺拳法に入門した人達はごく少数ではないかと想像しています、その思いがこの様な投稿になったのです。

    宗教を説く指導者には充分なる知識と確固たる信念が必要である事は言うまでも有りません。
    現在の組織の中心を占める年少の拳士にまで宗教観を押し付ける事が、果たして開祖の目指した少林寺拳法の本質的な価値観であるのかも問われて居るのではないでしょうか。

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