2016/05/23

三菱自動車と東芝、組織の抱える悪しき文化

三菱自動車が起こした燃費偽装事件は会社の存続にまで係る様な大きな事件である。三菱自動車と言えば過去に2度もリコール隠しで非難を受け、当時も提携関係にあったダイムラー・クライスラーが提携を解消してしまった事は多くの人々の記憶にあるはずである。

しかるに今回も又同様な信頼を裏切るような事件を起こしてしまったことは、この会社の持つ企業文化と言われても仕方がない。事件が発覚してから三菱自動車の存続自体も危ぶまれ株価も暴落していた。

三菱自動車のみならず現在も経営再建中の東芝や、鴻海の傘下に入ったシャープも少なからず企業の持つ体質が影響していた事が共通の現況を招いたようにも思われる。

これらの世界に名の通った大企業でも、組織内の風通し(意見を言える体制)が良くない会社程、問題が起きた時の結果は悲惨である。創業者から引き継がれてきた企業文化であっても、会社が成長する段階で幾つも脱皮しなければならない事は数多くあると思う。第二次世界大戦以前から存在する東芝や三菱等と言う大企業であればその過程は学習していると思うのが普通ではないか。

しかしここで見落としてはいけない事がある様に感じる。これは日本社会が抱える一つの共通する問題点かも知れない。それは会社(組織)の上層部に対するものが言えない(言い辛い)社会構造かも知れない。勿論すべての会社がそうであると言っている訳ではない。ここでも言える事は組織の上に立つ人の質ではないだろうか。トップの考え方如何でその組織の風通しが良くも悪くもなってしまう。

三菱自動車の例からは、上からの命令には逆らえない体制や、無理な目標の達成には不正な方法にも目をつぶる。東芝の件も同様に企業経営者が自社の業績を良く見せたいと思う気持ちは、自身の評価とも相まって普通の心理だと思うが、それでも東芝の様な大企業であれば企業ガバナンスが働き、粉飾決算に至る前に何らかの社内メカニズムがそれらを防止出来てもよさそうなものである。

歴代社長3人が同様な手法で企業の業績を上方修正して、粉飾して居た事がニュースで世界中に配信され、株主の集団訴訟も動き出している様な報道もあった。言い換えると日本企業は世界で名の通った大企業でも、真っ当な企業ガバナンスが機能しない国なのではないか?と海外投資家の目に映っても不思議では無い。

もしそうであるとすればこれは東芝と言う一企業がこうむる評価ではなく、日本の企業全体にとって大きな信用の損失と言う事にもなる。そしてその結果として最初に影響(被害)を受けるのは、そこで働く末端の社員であることは言うまでもない。この例は三菱自動車や東芝に限った事ではなくすべての組織に言えるのではないか。上層部(企業経営者や組織のトップ)に組織の風通しを良くして、末端の社員からも重要な提案には耳を貸す度量が有れば、三菱自動車や東芝の様な結果は免れたであろうことは容易に想像できる。

少林寺拳法の指導者が幾度も耳にし、同時に拳士にも伝え自分達の教えの中核としてきた哲学がまさにこれである。『人、人、人すべては人の質にある』三菱自動車や東芝には世間の人々の目も厳しく注がれると思う。それによりそれらの企業が立ち直り再び信用を取り戻すことが出来るのかも知れない。もしそれでも同様な事件を繰り返すことになれば、大会社と言えども倒産は免れ得ないであろう。

企業には社会やステークホルダー(利害関係者)等の厳しい耳目が注がれる事になる。社外取締役や監査の導入も必然的に導入される事は珍しくない。それにより企業は立ち直り発展に繋げることも可能となる。言い替えれば何処かの組織の様な社会の目やステークホルダーが働かない組織であれば、内部(その組織に関わる)の人達以外にそれらを変える方法は無いであろう。『己こそ己のよるべ、己をおきて誰によるべぞ』今一度この言葉を噛み締めてみる事も無駄では無い様に思う。