2007/03/27

Holiday or Sightseeing?

人生で始めて海外に出たのがロンドンへ来た時だった。

当時日本からヨーロッパへは直行便のフライトは無く、最短距離を飛んでもモスクワやアンカレッジ経由であった。
両方とも所有時間は16時間ほど掛かり、現在の直行便の11時間半に比べるとやっぱり長い飛行時間である。

自分で体験したロンドン-東京の片道最長時間は何と32時間だった。
いくら若かったとは言え、さすがに到着後はしばらく飛行機なんぞ見るのも嫌だった。

何しろ33年前と今とでは状況が色々な意味で違っている。
円が固定相場だったニクソン ショック以前の1971年までと違い、変動為替相場へ移行した73年以後、年々日本円の価値が高くなって行った。
74年当時のポンドレートは£1≒800円を超えていたし、東京からロンドンまでの航空運賃はモスクワ経由でも36万円(格安運賃など無い)もした時代である。
現在の金銭価値から言えば100万円を軽く超える金額になるだろう。

そんな訳で小生の渡航は飛行機ではなかった。
横浜からナホトカ行きの船に乗り込み、ハバロスクを経てモスクワまで列車の旅であった。その時の印象は実に強烈で真冬のハバロスクやモスクワも気温は-30℃であった。
渡英当時は色々なものが新鮮で、毎日朝から夕方までロンドン中を歩き回っていた。

ロンドンに住み始めても時々ここから海外に出かけた。
ヨーロッパ大陸は列車で国境を越えるだけで言語も文化も全く変わってしまう。
そこが面白くて旅行(この場合は観光旅行Sightseeingが主目的)によく出かけた。

何年か経った頃、英国人たちの使うホリデーに家族で参加したことがある。いわゆるパッケージ ツアーだ。
普段良く使うヒースロー空港ではなく郊外の空港だった。ロンドンにはヒースロー以外に4つの空港がある。それら空港はチャーターフライトやパッケージ ツアーの旅行客が主な利用客だ。

このツアーに参加して始めてヨーロッパ人のホリデーを体験した。
ホテルは朝食、夕食が含まれていて非常に便利だ。
ただ朝起きてから食事をすると何もする事が無い。

よく観察すると同じフライトだった英国人たちは海岸に寝そべったり、泳いだり、本を読んだりしている。昼間は近くに出かけたり、相変わらず日光浴だったり、テニスやゴルフに興ずるのが大方のスケジュールだった。

これが最低1週間続く、普通は2週間くらいのホリデーが多い。
2週間ボーッと毎日泳いだり、日光浴である。
週の中でいつでもエクスカーションと言って近隣の観光地等に出かけるバスツアーやボートツアーも別料金で行く事も出来るが。

初めのうちはどうして皆、何にもしなくて日光浴ばかりしているのだろう?と不思議だったが、そのホリデーが終わる頃になって何かリラックスした気分になってきた。

ハハーン多分これだな。ヨーロッパ人(特に北ヨーロッパ)の人達がホリデーに行く場合、実は渡り鳥と同じなんだ。
暖かいところへ行き、毎日何もしないで美味しいものを食べて日光浴!
これが目的なんだとようやく気が付いた。

日頃太陽に恵まれている日本人にはなかなか理解し難い行動である。
しかし自分もロンドンに住み始めて何年か経った頃、やたら太陽が恋しく感じた事がある。鳥や動物に限らず人間も確かに太陽の恵みを受けて生活している。その太陽の日照時間が日本に比べてロンドンや北ヨーロッパは格段に少ないのだ。だから皆、本能的に夏になると太陽のサンサンと輝く地中海地方にホリデーに出かけると言う訳だ。

このホリデーを2度3度経験してみると、確かに疲れが取れるような気がする。そしてそれ以後のホリデースタイルはそれまでの観光旅行から大きく変わってしまった。渡り鳥スタイルのホリデー型旅行が毎年のパターンになる。 すると逆に観光型の旅行は億劫になり少なくなった。

観光が嫌いな訳ではない。
しかしヨーロッパの文化はキリスト教がベースとしてあり、多くの共通点もある。一通り観光旅行に行き、まわってみると同じような観光地や協会よりも、リゾート型の旅行がありがたくなって来た。

最近マレーシアのリゾート地に観光に行った日本の友人から『ヨーロッパの年寄りが多いのに驚いた。自分もこの様な旅行をする年になった』とメールを貰った。
何のことは無い。小生は20年以上も前からこの年寄り型のホリデーがほとんどである。

太陽がいつも近くにあり、安全と水はタダ(この頃は日本もそうではなくなって来たが)の国に住んでいるとなかなかそのありがたさには気付かぬものだ。
北欧の自殺者(鬱病などが原因で)がスウェーデンやフィンランドの様な高福祉国家でも、毎年3万人前後の自殺者が有る事は、如何に太陽の恵みが人にとって精神衛生上大切か、うかがい知る事が出来るのではないか。

特に小生のようにアフリカ型人間には太陽は欠かせない。
アアッ、また太陽が必要になってきた。
今年のホリデーは地中海に浮かぶマルタ(共和国)にしようかな、確かここにも世界遺産があるらしいと、先日NHKの衛星放送でやっていたから。

2007/03/24

9.11について

9.11(neun-elf:ノイン エルフ)と聞き車好きの人はポルシェを連想するかもしれない。

今回の911は車ではなくSeptember 11th.つまり2001年9月11日同時多発テロの事である。

忘れる事が出来ないその日、つい前日に英国連盟の夏季合宿も無事に終了し、日本から応援に駆けつけてくれた指導員と共に彼等のショッピング(お土産等)に付き合っていた時の事だ。
スポーツ店のモニターにビルの火災が写っている。我々は最初映画のワンシーンかと思い見過ごした。しかし何分か後に相変わらずその画面が映し出されており、ニュースだと言う事が確認できた。

家に帰って再び見ると、今度は店先のモニターでは詳細が分からなかった事(同時テロ)が少しづつ判明してきた。その少し後にワールド トレード センターの大崩壊が起き、そのシーンが何度も繰り返しテレビ画面に映し出された。

当日はメイフェアー支部の練習の日であった。
街の中心地メイフェアーに位置するこの支部はアメリカ大使館と目と鼻の先、歩いて1分も掛からない。
そんな訳で確認の電話を入れると『今日はビルを閉める』と言う。
その時の街の人々の恐怖を想像すると『何処で何が起きるか分からない。』と言うのが正直な気持ちだったろう。

World Trade Centerと言えば小生が28年前に屋上まで登ったビルである。
綺麗なデザインのツインタワーは聞くところによると日本の会社(ゼネコン)も建設に関わったと聞いた事がある。屋上から見下ろす人や車が、豆粒よりもはるかに小さく見えた事をビルの崩壊する様子を見ている時に思い出していた。また110階の間を超高速で上下する日本製のエレベーターに、感心すると同時に嬉しい気持ちと誇らしい感情も同時に味わったことも。 

そのビルが衆目の注目する中、粉々に砕け散って崩壊する事など想像すら出来なかった。
下から見上げたビルは今でもはっきり記憶の中に残っている。規則正しく屋上まで真直ぐ伸びるスチールの窓枠はこれまで見てきたビルの中でもひときは綺麗なデザインであった。

そんな記憶も少しづつ薄らいできたこの頃、9.11の事件周辺がまたまた騒がしくなっている。
アメリカの大統領選挙が近づくたび、いつもの事ではあるが色々な情報が乱れ飛ぶ。 
イラクの戦況がはかばかしく無い昨今、ついに9.11の陰謀説が数多く流される状況がウェブ上にも少なからず出てきている。
これらの情報は確かにウーンとうならせる事実も含まれてはいるが、その意図とするところが今一つ見えて来ない。中には相当に手の込んだ、コストも掛かるであろうソースも見受けられる。

ではなぜこの様な情報が今となって出てくるのであろうか?
先にも触れたがアメリカの大統領選挙のネガティブ キャンペーンの一つかもしれない。これらの疑問にUS政府が真正面から答えてこなかった事にも責任の一端はあると思う。

しかしこの様な情報に一方的にさらされる一般の人達はその検証能力すら持たない。いわば情報の垂れ流し、言った者勝ち!の偏った情報も散見される。9.11に限った事ではない。ウェブ上に氾濫する情報に我々はそれらとどの様に付き合って行ったら良いのだろうか。

インターネットの便利さと危うさを認識した上で、少しでも人と触れ合う実体験の大切さを今ほど痛切に感じた事は無い。

2007/03/21

ネコじゃありませんがタマです


我が家の家族『タマを紹介します』と言うと『ネコ?』と言う反応の人が多い。
Noれっきとした犬である。

ジャックラッセルと言う犬種のメスで1歳と3ヶ月、運動量はものすごい。
どれぐらいすごいかと言うと、長さ30メートル、幅11メートルのうちの庭には芝生が生えていて,昼間はここに彼女を放しているが、その中をいつも同じ順路で行ったり来たりを繰り返すため、彼女の通り道はすっかり芝がはげてしまい完全にケモノミチと化している。

ジャックラッセルはもともとが狐狩りに使われていたフォックス テリアが原種らしい。
普通ジャックラッセルは足が短いものをさすが、タマは短い犬種ではない。日本ではジャックラッセルのパーソンと言うらしい。又それらの犬は普通断尾されていて短いが、どう言う訳かタマに限って言えば普通の長い尾っぽである。
ブリーダーが切るのを忘れたのかな?

ロンドンは狐が多い。家の近所にも野生の狐が何匹か住んでいる。隣の庭に狐が現れるとタマの動きはいよいよ激しくなる。一生懸命吠えているが2階から見下ろすと、隣の庭では狐が2匹悠々と昼寝をしている。
タマの声など全く気にしていない様子! フォックステリアの血筋もカタナシだ。
家から歩いて15分の距離には雑木林が残る丘がある。
パブリックのゴルフ場が併設しており散歩にはうってつけの所である。
そこへ行ってタマを放す、タマにとっては天国みたいなところだ。普段庭しか走ることの出来ないタマにとってここは自由に走り回る事ができる、冒険心の塊のようなタマには楽しい場所なのだろう。
30〜40分雑木林や丘、ゴルフ場を駆け回らせていると頻繁に他の犬に出会う。
それらの犬ともじゃれあって走り回っているが、大きな奴(犬)は苦手のようだ。

以前は秋田犬を飼っていた。
この犬は純粋種の秋田ではなく、アメリカに入った秋田犬の血統で日本の犬に何種類かの犬の血が混ざっているようだった。
その犬が我が家に居た時は空き巣など入った事もなかった。その犬が居なくなって途端に空き巣が入った。幸い大した被害は無かったが犬の存在を改めて感じた訳である。

しかし問題も多かった。家族以外の人が近づくとガブリ!とやる。
本人(この場合、本犬か?)は思い切り噛んでいるのでは無いのだろう。自分にとってうるさいのを追い払うと言うつもりでガブリなのであろうが、噛まれた方はたまったものではない。何しろでかい!立ち上がったら170センチ以上ある犬である。

散歩が又大変だった。公園等でも放す事が出来ないし、引く力(ちなみに彼の名前はリキだったが)ときたらものすごい。結局誰も散歩に行かないから小生が連れて行く事になる。帰ってくる頃にはグッタリ、こっちが散歩させられている感じだった。

そんな訳で家では飼えなくなり、新しい里親を探してもらう為にドッグハウスに相談した。動物愛護が徹底しているイギリスはそう言った相談にも乗ってくれる。

審査官(この場合ハンドラー)が『私にも噛み付くようならかわいそうだが薬殺だよ』と言ったので心配だったが、その人が首紐を引いたら尻尾を振っていたのでホッとした、もっと田舎で広い庭の環境の良いところで、伸び伸びと暮らして欲しいと9年間生活を共にしたリキに別れを告げた。

大きな犬に充分なしつけが出来ず、途中で別れなければなかった事を反省して、今度は小さいジャックラッセルと言う事になった。 家族は初め良い返事はしなかった。又途中でホッポリ出すのはかわいそう。それならば犬など飼わない方が良いと言う意見である。 しっかりしつけもする、最後まで面倒を見る!と約束して決めたのである。

しかし、しっかり躾けは出来たのかナ。
幸いメスで気性も荒くないタマは人を噛むことは無いが、家族の中で自分が一番下の序列だと感じているのかな?
もしそうであれば「ヨシヨシ、良い子、良い子」と言ってやりたくなる。

2007/03/18

理想境建設は可能か

今年は少林寺拳法創始60周年の記念すべき年である。

このお祝いすべき年に水を注すわけでは決してない。
ただ少林寺拳法が開祖宗道臣によって創始された最終的な目的は理想境建設であったはずである。
人の質を良くして、その様な人達を増やす事が良い社会(理想境)、国、世界につながると言う理論である。そしてその理念に賛同して我々は少林寺拳法を指導し、広める事に誇りを感じている。

しかし世の中の、言い換えれば世界中の人達のメンタリティーを変えることなど一武道団体に本当に可能だろうか?

世界中で今起きている紛争を見るにつけ、テロ、麻薬、貧困、宗教対立、環境問題、戦争等どれ一つとっても簡単に答えの出せる問題ではない。それでは我々少林寺拳法はどのようにしてこれらの問題に向き合おうとしているのであろうか?

10年ほど前に学生拳士にこの様な問題提起をした事がある。
『理想境とは何か?』 『理想境と戦争は相容れるか?』
『理想境に核兵器は必要か?』 など質問してみた。
ほとんどの拳士は『戦争状態と理想境は相容れない』また『核兵器も無いほうが良い』と答えた。日本でも同じような答えになるだろうと思う。

それではと続けて『英国も核兵器は放棄するべきか?』と質問に対して『これまでの平和は英国が核兵器を持っている事で維持されてきたので、これからも維持すべきだ。』と言う一人の男子学生の拳士がいた。

全員が同じような意見ではなく、この拳士の意見の方が少数派であると思ったが、少し意地が悪い質問とは承知で『英国は賢い国だからそれで他国を攻撃する事は無いが、国を守る為には核兵器を保持するべきだ。しかし他の国は馬鹿だから信用できない。よって彼らは核兵器は持たないほうが良い。と言うのが君の意見か?』と聞いたら首を横に振るだけで反論はなかった。

理想境と言うなら何処の国も核兵器なんぞ持たない方が良いに決まっている。
北朝鮮やイランにだけ、あるいは新しく核保有国になろうとする国にのみ、『お前たちは信用ならないから核兵器を持たせない!』と言う現核保有国の立場を代弁するとこう言う論法になる。

そんな訳でNPT(核拡散防止条約)もCTBT(包括的核実験禁止条約)も核保有国のエゴの論理で骨抜きにされてきたのではないか。

北朝鮮やイランのみが信用ならないのか?
現核保有国は理性があり(バカなリーダーは居ないし、将来も現れないので)絶対安心と言えるのか?
これらの答えが簡単には出せないのに理想境建設等とは軽々しく言えない。

少林寺拳法の教えに照らし合わせて、機会有る毎に自問自答しているが未だに答えを見つけられないで居ると言うのが正直なところだ。今自分たちに出来る事と言えば、一人でも多くの価値観を共有できる人達を増やす事だろう。

例えそれが全て少林寺の拳士でなくとも良い(世の中の人全てが拳士になる事など不可能である)と思う。我々の掲げる理想境(核兵器など無い社会)と言うものに普遍性が有れば、それに共鳴してくれる人達は確実に社会のマジョリティー(過半数)にいつかはなれるであろう。
その結果、社会や国は変わるだろうし、それが国際社会の趨勢になれば世界も又正しい選択をする事になるはずである。

膨大な気の遠くなるような時間が掛かる作業であろう。しかし理想を捨てないのなら、その為に一歩づつ地道な努力をしなければならないのではないか。

少林寺拳法は幸い先進国から途上国まで幅広いネットワークを持っている。このネットワーク(人の輪)こそ少林寺拳法の進むべき可能性を秘めた未来があるような気がしている。

2007/03/14

ブルース リーの功績

1970年代初期ブルース リー ブームが在った。

香港の生んだこの俳優は華麗なカンフーのテクニックをダイナミックに演出して瞬く間に世界中のヒーローとなり、若者の絶大なる支持を得た。
同時に日本を始め世界中でインフルエンザのように空手やカンフーの愛好家を増やして行った。 少林寺拳法も例外ではなく日本の道院や支部には映画を見てブルース リーに憧れ入門してくる多くの若者を生み出した。

小生が渡英した1974年当時の英国もまさにブルース リー ブームの真っ只中。
空手の道場には入りきれない程の若者達であふれていた。

ある日本人の空手の先生は『俺は1週間1500人の弟子に空手を教えている』と豪語していた。
その先生は一人1時間のレッスンで£1-(当時のレートで約800円)、1クラス30名が地下と2階の2つの道場で4時間、合計240人が毎日練習していると言う訳だ。
事実、彼はベントレーと言う高級車を乗り回していたし、この先生に限らずその他の空手やカンフーのクラスは満員御礼状態がしばらく続いた。

さて、そんな時期ロンドンにやってきた小生は初め2つの大学にクラブを開いた。
Shorinji Kempoと自分で手書きのポスターを作り、自分で写した写真を貼り付けて大学のクラブ紹介の掲示板に張っておいた。

初めての練習日、はたして何人の学生が集まるのか心配しながら行って見ると20名近くの学生が集まっていた。先ず彼等を道場に入れ、合掌礼を教えた。

言葉が出来ない時にいきなり20人の学生である。
日本語で始めるしか仕方が無い。
『構え!』 『突け!』
と声だけ張り上げていたが、それでも学生たちは見よう見まねでついて来た。

練習が終わると又大変である。
『道着は何処で買うのか?』
『お金はいくら掛かるか?』
『ブラックベルトになるまでにどれくらい掛かるか?』
などなど質問の連続である。
今の自分がその場に居たら随分違った対応が出来たのに、とつくづく思う。

しかし年齢的に彼等と近い為、ある種の安心感があったのかもしれない。
翌週は道場には入りきれない程の30名以上の学生が集まっていた。
その次の週もまたまた人数は膨れ上がり、いったいこの数は何処まで増えるのかと面白さと同時に不安に感じた。

その頃英文の“What is Shorinji Kempo”という本が出版され、その本を全員に買わせる事にした。
この本は内容も良く、本を読んで入門してくる人達の知的レベルは高かった。
また当時の身分証明書の裏側に印刷されていた聖句、誓願、信条の英訳文は誰が訳したのか間違いが多く、学生達から間違いを数多く指摘された。

一度想像してみていただきたい。全く言葉の通じない国へ行ったら指導者の皆さんはどの様に少林寺拳法を教える事が出来るのでしょう。
幸い英語の国であった事もあり、単語だけでも並べていれば何とか通じるものもあるが。

クラブ活動を始めて何ヶ月かした頃、日本人の留学生も入ってきた。
こうなるとコミュニケーションにおいては大きな助けとなった。
1年ぐらい経って一般の支部を開設する事となった。
学生のクラブに参加していた大学の教授の勧めもあり街の協会(キリスト協会)の中で、卍を胸に教え始めたわけである。

そこの牧師さんも初めに『それは何のマークか?』と聞いたが、まさか『ダーマと言い仏教のシンボルです』とは言えない。
そこで、キリスト教が好きな『愛のシンボルです』と答えたらその後は何も言わなかった。
まんざら嘘ではないはずです!
そんな訳でその協会で2年ほど教えた後、ロンドンで一番大きかった柔道場へ拳士と共に移った。

ブルース リーの映画のおかげで初めの道場(クラブ開設)が比較的運良く船出したくだりを紹介したが、映画の力のすごさを認識せずには要られなかった。

甘いマスク、鍛え抜かれた体、そしてなによりも見せる事を意識したダイナミックな演技。
それ以前のアクションスターがどう転んでもまねが出来なかった演技を、本物の武道の動きやヌンチャク等の武器を使って観客を魅了した事は疑う余地の無い事実であろう。

ブルース リーは「ジークンドー」と言う武道を残し今や伝説の人である。
彼が本当に映画と同じように強かったかどうかは又別の話であろうが、ともあれ1970年代に一大センセーションを巻き起こし29歳の若さでアッと言う間の短い生涯を閉じてしまった。
それ以後にも数多くの香港カンフースターを排出したが、その奔りを作った功労者は紛れもなくブルース リーだろう。

2007/03/11

My Idol Bill Evans

ロンドンに「ロニースコットクラブ」と言う老舗のジャズクラブがある。
ライブのJazzを聞かせるナイトクラブで、名前のとおりロニー スコットと言うテナー奏者の名前からきている。

ジャズと言っても小生の聞き方は非常に偏っていると思う。全てのジャズが好きなわけではない。
好んで聞くミュージシャンは限られている。勿論新しく好きになるミュージシャンもたまに出てくるが、大体は古い人達である。

古いと言ってもジャズの歴史は知れている。ビーボップ(1940年代)以前のデキシーやスイングと呼ばれるジャズはほとんど聞かないし、70年代以後のジャズロック、クロスオーバーと言われるジャンルも全く聞く事は無い。
つまり一口にジャズが好きと言っても、この様にほとんどのジャズ好きは自分の好みをかなり頑なに持っている。

ジャズの革命者の一人であるチャーリー パーカー以後のマイルス デイヴィス、ジョン コルトレーン ソニー ロリンズ、クリフォード ブラウン、そして多くの日本人が好きなビル エヴァンスと言った50年代から60年代に掛けての非常に短い間のジャズに偏っていると言う訳だ。

最近でこそヴォーカルもたまに聞くこともあるが、以前は全く聞かなかった。
勢いピアノ トリオ一辺倒と言う時期もあった。

特に好きだったのがビル エヴァンスだ。
日本には彼のファンがおそらく英国よりも沢山居ると思う。
彼のスタイル(繊細さ)が日本人の趣向に合うのだろう。

初めてビル エヴァンスのレコード "My foolish heart" と言う曲を聴いて、その繊細なタッチにこんなジャズピアニストが居るんだと、それ以後ビルのレコードを買いまくった。

そして73年初めて日本にやってきたビル エヴァンスのコンサートに行った。それ以後何度かチャンスはあったが何らかの理由でコンサートには行く事が出来なかった。

ニューヨークに行った時、長年の夢だったジャズクラブのメッカと言われるヴィレッジ ヴァンガードに行ったときのこと、なんと前日まで『ビル エヴァンス トリオのギグ』があったという。
何たる運の悪さよ、一日遅れじゃないか。

小生が行った日は今や伝説となった初代MJQ(モダンジャズ カルテット)がやっていた。日本のレーベルが80年代に作り出した今のMJQ(マンハッタン ジャズ クインテット)とは違いますョ!
ビル エヴァンス トリオは残念だったがMJQのグルーヴィーなミルト ジャクソンのヴァイヴを聞いて、これは又良かったなと満足してホテルに帰った事を覚えている。

この当時(80年代初期)のヴァンガードと言えば、この様なジャズ界のビッグネームが連日ギグをやっていると言った、東京やロンドンではちょっと考えられない様な豪華さであった。なにもクラブの設備や雰囲気がゴウジャスという訳ではない。入場料金もそのジャズ ジャイアンツたちの知名度からしたら、日本の何分の一であった事にも驚いた。
外車もガイタレも日本に来るとなぜそうも値上がりするのだろう?

目の前2〜3メートルの距離で聞けるジャズの生演奏、これはロンドンのロニースコットクラブの場合も同じだ。チュリップが正面を向いた時のトランペットの音圧たるや、ゴクリと生唾が出るほどである。
ドラマーで小生が好きなエルヴィン ジョーンズ(2年前に死亡)等はダイナミックなドラミングの折、その汗が飛んできても驚かない。

生演奏の醍醐味とはそんな距離(クラッシック コンサートは違うと思うが)かぶりつきでの生の音圧だろう。それをイメージして自分のオーディオをセットしているんだがなー、なかなか全ての音楽がそれと勝負できるところまでは行かない。
中には良いところまで迫るレコードもあるんだけどーッ! 生には負けると言う事にしておこう。

ビル エヴァンスで記憶に残る出来事は、80年のロニースコットクラブだ。
この時小生は手持ちのLPレコードを(それもビル エヴァンスのものばかり)10数枚を持って出かけた(重かった)。 生憎席は余り良い場所ではなかったが、最初のステージが終わった後に楽屋を尋ねた。

中に招き入れてくれたビルは彼の音楽と同様、非常に繊細そうな印象だった。以前に同じ楽屋で会ったアートペッパー(アルト奏者)が刺青の入った腕で、陽気にしゃべりながらサインをしてくれたのと対照的だった。
一枚一枚のレコードをコメントを加えて、その時の思い出を話しながらサインする姿は、まるで彼の音そのものと言う感じだった。

今でこそロニースコットのステージにはスタンウェーのグランド ピアノが使われているが、当時のステージはヤマハのグランドピアノだった。
彼のピアノに対するコメントは(小生が日本人だったので)日本のピアノならばどちらかと言えばカワイの音が気に入っている。(ヤマハに勤めている人ごめんネ、小生のコメントではありません)と言うことだった。あの一音にこだわるビルのテーストを尊重して、何年か後に我が子供たちがピアノを習い始めた時に買ったピアノはカワイだった。

全てのアルバムにコメントとサインをしてくれたビルに握手をして、次は『来月の東京コンサートで会おう』と楽屋を出た。その2週間後アメリカに帰ったビル エヴァンスは帰らぬ人となってしまった。
その時のロニースコットクラブでのギグは残されていないが、彼が亡くなってから発売されたレコードやCDは何枚か買って聞いてみた。

ミュージシャンの素晴らしさはクラッシックやジャズその他のジャンルを問わず記録媒体(LPやCD)に残された音楽が、たとえ本人がこの世に居なくなっても、何十年でも人々に感動を与え続けられると言う事ではないかと思う。

2007/03/07

UTSを振り返って


英国連盟で合宿と一口に言っても一般の拳士が行うサマーキャンプと、つい先週末に行われたUTS(学生合宿)の二種類がある。

どうして2種類あるのかは、前にも説明したが主に経済的理由と時期(学生は試験などもあり限られた時期しか出来ない)の課題が大きい。

学生がサマーキャンプに出ることは勿論可能だが、UTSには一般の拳士は基本的に参加できない。
今年は日本からの学生が参加してくれ大いに盛り上がったが、彼等にグラスゴーのUTSがどの様に写ったのだろうか。


ホームステイ先での朝食はホテルのフル ブレックファーストとは大きく違っただろう。
スコットランドではスコティシュ ブレックファーストと言う(当然イングランドではイングリッシュ ブレックファーストと呼ぶ。なんのことはない。ほとんど同じモノだ。)朝食の内容はソーセージ、ベーコン、焼きトマト、目玉焼き、ベークドビーンズ、ブラックプディング等が盛られた大皿に、トーストや丸パン、ミューズレー、ヨーグルト、そして紅茶かコーヒーが出てくる。

これはホテルの朝食の場合で、おそらくホームステイ先の学生たちはその様な手数を掛けるとはとてもじゃないが思えない。せいぜいトースト、ミルク、ミューズレー、コーヒーくらいが提供されるメニューではないかと思う。

昼食においてもいたって質素である。オフィスで働くいい年した大人がチョコバーを丸かじりしている光景は決して珍しいものではない。サンドイッチに紅茶かコーヒーで満足する人達が少なくない。

しかしこれは決して彼等がケチでやっているのではない。
普段の彼等の食生活がその様なものなのである。

逆に日本に行った拳士の食事に対する評は上々だ。しかしながら講習会の期間中、旅館の朝食に毎朝「納豆と焼き魚」が出るのには閉口した拳士が多い。
日本人の我々からすると温かなご飯に味噌汁、納豆、焼き魚、玉子焼きは「朝食の定番」 逆にそれらが無いと残念でもある。

現在の小生はブラウンフレークに果物少し入れて豆乳をかけて食べるくらいだから...アレ?何時の間にやら英国人の朝食になってしまっている。

ヨーロッパの拳士が集う合宿は実にその特徴が出てくる。当然食べ物にもそれは反映される。

総じて英国が主催したヨーロッパ合宿の場合、大陸から来た拳士(主にラテンの国)からは食事に対して評判が良くない。彼等の趣向からは全くと言ってよいほど理解できない味付け(塩と胡椒のみ)であり、食事に掛ける時間も短い。それに反してイタリアやフランスでの合宿となると昼食時にワインが出てくる。味も英国人拳士にも好評である。

我々日本人の感覚からは昼食時にワインはちょっと行き過ぎでは無いかと思うのだが、彼等にはこれが普通のようだ。イタリアでの合宿には昼休みの時間が4時間という時があった。こうなってくると講習会がメインなのか食事会がメインなのか、食事そのものには好評の英国人たちにも?マークがあるようだった。

31年前に自分が始めた合宿であるが、当初は早朝6時からジョッギングが始まり、その後、海岸で鎮魂行を行っていた。海岸と言うところは海に向かって大声を上げても誰も文句を言わない。実に早朝練習には都合の良い環境だった。朝食前に200本くらい突や蹴をやるわけである。

そんな環境で育てられた現在の幹部拳士にはそれが合宿での「重要なメニュー」として刷り込まれてしまった。あるときフランスやイタリアから来た拳士達に同じメニューをやったところ不評で、多くのフランス人やイタリア人の拳士は早朝練習には不参加だった。

これは彼等のライフスタイルの違いでもある。総じて北ヨーロッパ系の人達は体も大きく力も強い。それに比べラテン系の人達は一回り小柄であるが、日本人と同じ様に器用なところも確かにある。

思うに大きくて力の強い奴には余り細かな技術は必要無いのかも知れない。身を守るのでも大きな彼等に襲い掛かる人間はまれであろう。小さい人こそ技術は大切な要素であると思う。彼らには大きな人間に対処する為には技術が必要な事は直ぐに理解できると思う。勿論何処の民族でも例外はある。大きくて素早く、技術習得に長けた人も居るし、逆に小さくて不器用な人が居ても驚くに足らない。

話を戻すとライフスタイルの違いは、彼等が人生で何を一番重要と考えているかで行動パターンも変わって来るのだろう。4時間の昼食と昼休みが必要なイタリア人と、チョコレートバーとクリスプス(ポテトチップス)で昼食とするイギリス人ではその人生観は大きく異なっている事は用意に想像がつく。

よく冗談で『英国連盟の合宿も昼食にはワインを出すように、そして昼休みは4時間』と言うと皆大いに喜ぶ(笑っている)が一度も実現された事は無い。これまでのところその様な事が真剣に議論された形跡すらない。

俺は来る国を間違ったのかナ?と自問する。
最初に千本蹴りなんぞ教えた奴はいったい誰だ。こんな形態が英国連盟の伝統になってしまい昼食時間はたったの1時間! 自業自得とはまさにこの事であろう。
でも彼等、結構楽しんでいるように見えるんだがなー


2007/03/05

常識 その不可解なるもの

ひところ『日本の常識は世界の非常識』と言われた事がある。
その全てが非常識と言う訳ではないが、考えて見ると確かに多くの違いがあることに思い当たる。

例えば日本で美徳とされる謙譲さ、これ等はおそらく何処の国でもなかなか理解されにくい。
それどころか、意見の無い奴、優柔不断、能力不足などのレッテルを貼られかねない。
これは余りに極端な例と思われるかもしれないが、普段日本人が普通に思っていることが海外においては決して普通ではない事が間々ある。

最近は少なくなったが、インフルエンザが流行った時など多くの街行く人がマスクをしている光景がちょっと前まで見られた。これは勿論日本人の『風の菌を貰わない』『人にうつさない』と言う心理であろう。しかし、海外の事情を知らない人達には異様な風景に見えるようだ。


先ず『日本の大都会は余程空気が汚れているのか?』などと想像をするものが居る。確かに大都会は澄んだきれいな空気と言うわけではないが、これは何処も同じ様なもの、途上国の街より余程東京の方がきれいであろう。

また人によっては多くの人が顔を覆うマスクを掛けている事を不気味な国だ、と思うかもしれない。
小生など渡英した直後は街で見かけるアラブ系女性が深々と掛ける黒い布やマスクが気味悪く感じられた記憶がある。しかしイスラム文化圏では女性が街中で素顔を出す事が法律で禁じられて居る国も少なくない。

かように国による常識と、価値観は大きく異なる事を知らないと、同じ行動がとんでもない誤解を生む事も出てくるであろう。

政治家は世界的に見ても英語を話す人が多い。
しかし事外交に関する事案にはもろもろの誤解を招かない為、母国語を使う事が常識である。
仮に相当達者な人でも通訳を挟んだコミュニケーションが一般的だ。

これは随分前の話だがこちらの新聞に載ったある種の笑い話である、日本の首相の英語力をユーモラスを通り越して皮肉った内容である。

名誉の為名前は伏せるが(その人が本当に発言したか不明な為)、アメリカのクリントン元大統領が日本を公式訪問した時の顛末である。
普段余りその総理は英語が達者と言う評判は聞いたことが無い人であったが、個人的サービスのつもりでしゃべったのかもしれない。あるいは大統領到着前に外務省の役人あたりに事前に英語のレクチャーを受けたかどうかは知らないが。その時の会話の様子が報じられた。

総理: Who are you?(あなたは誰ですか?)

本来 How are you?(ご機嫌いかがですか)と言うべき所を間違えたのだろうが、アメリカ大統領を前にしての発言だけにまわりには緊張が走った。

大統領は『あなたは誰?』と聞かれたのでユーモアのつもりか,あるいは場を和ませようとしたのか

大統領: I am Hillary's husband!(ヒラリーの亭主です)

と答えたと言う。総理はレクチャーで『"I am very well thank you and you?"(有難う御座います、あなたは?)と言われると思うので、こう答えるように』と言われていたのだろう。

総理: Me too. (私もです)

と発言した と言うものであった。

事実かどうかは本人しか分からない事であるが、この様な記事が出てしまうのである。
政治家の使う言葉は基本的に母国語であるべきと言う事がこの様なジョークのネタにされるくらいなら未だ笑い話で済むが、国家の利害が絡んだ会話には余程注意が必要だと言う事なのであろう。
少々語学が得意でも政治家の先生には是非この際慎重にご発言願いたい。

また欧米のメディアは往々にしてこの様にキツイ皮肉を極東のリーダー達には向ける事も常識の範囲として知っておく必要もあるのかもしれない。日本では外国のリーダーの失言の揚げ足を取り、ましてや笑い話の種にするなど彼等の常識では考えられない事であろう。

こう考えると日本とそれ以外の国では共通点する常識などほとんど無いと考えた方が無難な気もする。

2007/03/04

今年の学生合宿UTS

今年のUTSも先週末滞りなく終わった。

今年に限って言えば大変大きな収穫と進展があった合宿となった。
何が大きな収穫であったか?
以前にも書いたが大学拳法部間の姉妹クラブ宣言書の署名である。

今年の学生合宿には日本から18名もの参加があった。
監督、学生共に力を合わせて署名にやっとこぎつける事が出来た。
何事でもそうだが一つのことを成し遂げようとすると非常に大きなエネルギーが必要になる。今年の場合も昨年来からの準備に大変な時間がかかった。

宣言書の主将と監督による署名は最終段階、つまりセレモニーの段階である。
これに至るまではお互いの大学が監督から学生に至るまで幾つも課題を乗り越えなければならない。現役の学生拳士だけでは無くOB会などの協力も必要になる。

今回締結された宣言書には
 『両大学少林寺拳法部は少林寺拳法の教えと精神に則り、この宣言を所属学生はもとより関係者の絆を深め、相助け、相譲り、相互の交流を深め、より一層の発展を期す礎とする。
と書いてある。
大切な事は少林寺拳法を通じてお互いがより緊密に交流を図る努力も義務付けていることである。

日本からこの為に駆けつけてくれた学生諸君は「ある種のカルチャーショック」も経験した事であろう。

通常、英国連盟の学生合宿は大学の修学期間中に行われる。よってホームステイなども学生のフラットや寄宿舎が中心である。期間が2日間と言う事もあり、場合によっては寝袋持参であったり、拳士が多い場合にはキッチンなどが寝る場所になる事があると聞く。

事前に長旅の日本からの学生に対しては、なるべくベッドを用意するようにと指示は出しておいたが、はたしてどの様なコンディションであったかは定かではない。

小生はある意味において彼等日本の学生諸君にホームステイの実態を理解して欲しいと思っていた。真にお互いを理解するとはそのような「ありのままの姿」であり、特別にゲスト(この場合は学生拳士)の為に取り繕たもてなしでは長続きがしないと考えたからである。

もし英国の学生が日本に行き、同じ様な状況(ホームステイの提供)になった場合にはこの経験が大きな助けになるはずである。現実的な学生としての対応が無理なく出来るであろう。
その事に対して彼等は決して不満を言う事は無いはずである。むしろ家族全員でもてなすと言った過剰なホームステイの方が彼等にとっては負担に感じる事が有ると思う。

今回の大学拳法部姉妹クラブ締結に至るまでには、多くの人的な結びつきも必要であった。
ダラム大学と札幌学院大学のケースは2年前に福井で催された国際大会の後、札幌を訪れた我々を暖かく迎えてくれたのが旧札幌商大のOBと現在の札幌学院の学生拳士である。

同行のダラム大学監督と札幌学院大学OB会との間で、この訪問をきっかけにして姉妹クラブを立ち上げられないか? と言う話になった。 元々その様な交流を考えていた自分の構想と一致した事もありこの話は実現の運びとなった。

又同時に昨年夏と秋に北海道大学少林寺拳法部の野坂監督がグラスゴーを訪れる機会が2度有った。
丁度その北大においてもグラスゴー大学拳法部OBでロンドンでも小生の道場に通っていたアラン拳士が、5年以上も北海道大学で研究の傍ら少林寺拳法も続けている事から、彼の母校グラスゴー大学と北海道大学も姉妹クラブを締結しようと言う話になった。

今一つはロンドン大学UCLと南山大学瀬戸校である。
昨年の夏季合宿に参加して指導してくれた小生の先輩、佐々木先生(尾張瀬戸道院)の門下の濱寄監督が両拳法部の発展をと姉妹クラブを宣言するに至った。
UCLの少林寺拳法部に昨年から南山高校出身の女子学生が入部して居る事も偶然とは言え良い機会となった。

この様に偶然や又人々の願い、そして少林寺拳法に対する熱い情熱が無ければ決して実現までたどり着ける事は無かったであろう。彼等学生、監督、OBが一体となって努力した結果がこの様な形で身を結んだ事に敬意を表したい。又関係者の一人として大変嬉しく思う。
これからの学生拳士諸君の一層の活躍に期待している。

結手