2007/03/18

理想境建設は可能か

今年は少林寺拳法創始60周年の記念すべき年である。

このお祝いすべき年に水を注すわけでは決してない。
ただ少林寺拳法が開祖宗道臣によって創始された最終的な目的は理想境建設であったはずである。
人の質を良くして、その様な人達を増やす事が良い社会(理想境)、国、世界につながると言う理論である。そしてその理念に賛同して我々は少林寺拳法を指導し、広める事に誇りを感じている。

しかし世の中の、言い換えれば世界中の人達のメンタリティーを変えることなど一武道団体に本当に可能だろうか?

世界中で今起きている紛争を見るにつけ、テロ、麻薬、貧困、宗教対立、環境問題、戦争等どれ一つとっても簡単に答えの出せる問題ではない。それでは我々少林寺拳法はどのようにしてこれらの問題に向き合おうとしているのであろうか?

10年ほど前に学生拳士にこの様な問題提起をした事がある。
『理想境とは何か?』 『理想境と戦争は相容れるか?』
『理想境に核兵器は必要か?』 など質問してみた。
ほとんどの拳士は『戦争状態と理想境は相容れない』また『核兵器も無いほうが良い』と答えた。日本でも同じような答えになるだろうと思う。

それではと続けて『英国も核兵器は放棄するべきか?』と質問に対して『これまでの平和は英国が核兵器を持っている事で維持されてきたので、これからも維持すべきだ。』と言う一人の男子学生の拳士がいた。

全員が同じような意見ではなく、この拳士の意見の方が少数派であると思ったが、少し意地が悪い質問とは承知で『英国は賢い国だからそれで他国を攻撃する事は無いが、国を守る為には核兵器を保持するべきだ。しかし他の国は馬鹿だから信用できない。よって彼らは核兵器は持たないほうが良い。と言うのが君の意見か?』と聞いたら首を横に振るだけで反論はなかった。

理想境と言うなら何処の国も核兵器なんぞ持たない方が良いに決まっている。
北朝鮮やイランにだけ、あるいは新しく核保有国になろうとする国にのみ、『お前たちは信用ならないから核兵器を持たせない!』と言う現核保有国の立場を代弁するとこう言う論法になる。

そんな訳でNPT(核拡散防止条約)もCTBT(包括的核実験禁止条約)も核保有国のエゴの論理で骨抜きにされてきたのではないか。

北朝鮮やイランのみが信用ならないのか?
現核保有国は理性があり(バカなリーダーは居ないし、将来も現れないので)絶対安心と言えるのか?
これらの答えが簡単には出せないのに理想境建設等とは軽々しく言えない。

少林寺拳法の教えに照らし合わせて、機会有る毎に自問自答しているが未だに答えを見つけられないで居ると言うのが正直なところだ。今自分たちに出来る事と言えば、一人でも多くの価値観を共有できる人達を増やす事だろう。

例えそれが全て少林寺の拳士でなくとも良い(世の中の人全てが拳士になる事など不可能である)と思う。我々の掲げる理想境(核兵器など無い社会)と言うものに普遍性が有れば、それに共鳴してくれる人達は確実に社会のマジョリティー(過半数)にいつかはなれるであろう。
その結果、社会や国は変わるだろうし、それが国際社会の趨勢になれば世界も又正しい選択をする事になるはずである。

膨大な気の遠くなるような時間が掛かる作業であろう。しかし理想を捨てないのなら、その為に一歩づつ地道な努力をしなければならないのではないか。

少林寺拳法は幸い先進国から途上国まで幅広いネットワークを持っている。このネットワーク(人の輪)こそ少林寺拳法の進むべき可能性を秘めた未来があるような気がしている。

4 件のコメント:

  1. 理想境建設、ほんとうに難しいテーマですね。
    価値観や歴史文化の異なる国際社会での難しさは当然ですが、一方の日本では、子供のいじめや自殺が後を絶たず、田舎町のうちの近所でも子供を狙う不審者が出没しています。
    他人のことは一切気に掛けない若者や、自分の子供にそういう利己的な態度を薦める親もしばしば目にします。
    こうした現実を見るにつけ、理想境建設には程遠いかもしれませんが、自分も少しでも金剛禅の教義を実践し、「社会が今よりももっと悪くなるのを食い止める」ことに努力しなければ!と感じる今日この頃です。
    (取り留めのない感想ですみません…)

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  2. Goさんへ

    重いテーマですね。
    少林寺拳法も理想を掲げた団体だからこそ
    そのフィロソフィー(哲学)が大切だと思います。
    フィロソフィーは最終目標ではありません。
    それ(理想境実現)に至る為に必要なツール(道具)だと思うのです。
    力愛不二、拳禅一如も自他共楽、不殺活人も
    脚下照顧、守主功従も全て少林寺拳法の哲学
    では有りますが、これらの教え一つ一つが理想境建設の為の手段だと思うのです。
    ツールだからこそ大切にしたいと思います。
    自分を大切に出来ない人に、他人に思いやりがもてるとは思えません。自己を確立する為の教えの一つ一つを今一度見直して見る事も必要でしょう。
    開祖から聞かされた言葉を思い出しています。『小さな事が出来ない人間に、大きな事が出来る訳が無い』これも又真理をついた言葉です。
    世界の平和と理想境を語る前に、日本の平和と理想境があり、日本の平和の前には自分が平和であり、理想とする人生を送ることではないでしょうか。
    その実現の為に少林寺拳法の哲学が役に立つと思うのです。

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  3. 理想境とはすこしズレますが、善・悪ということで道訓にヒントがあると思います。『・・・悪念を断ちて、一切の善事を信心に奉行すれば・・・』
    善とは自分の心に一点の曇りなく信じることが出来る『善いこと』であって、他の誰もが判断も関係ない価値ではないでしょうか。少林寺拳法という輪の中で、その価値を共有できる人間は当然『善い人』ということですね。ただ、世の中複雑で一点の曇りも無く善いことだと思えることは余りないです。私などいつも右往左往しています。逆に言えば、すごく限られたことはついては、善ということを認識してます。例えば、ゴミを道に捨てない。『なんだ、そんなの当たり前じゃないか』というようなことです。でも、そんなことをついついやってしまうのです、悪いとは判っていても。
    最近、日本の社会で『法令順守』という言葉をよく耳にします。特に不始末をした会社の経営者が頭を下げた後に、この言葉を口にします。裏を返せば、『我社は今まで法律を犯していましたが、これからは最低限度の責任として法律は守ります』と声高らかに宣言しているのです。笑ってしまいます。法律を守るのは当たり前です。これは悪いことをしないということであって、善いことをするということではありません。そして、彼らを笑っている自分が恥ずかしくなるわけです。

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  4. 春木さんのコメントは正直に自身を表現していると思います。ほとんどの人間は悪い事をしようとは考えないはずです。只、事のはずみや置かれた状況が間違いをしでかす事も事実でしょう。
    開祖から聞かされた『間違った事(悪い事)をしたと思ったら、それを先ず直す。そしてその何倍も正しい事(良い事)をすればその間違いも許される。何もしなくて反省さえすれば過去のあやまちが許されるものではない』と言う言葉を思い出します。
    春木さんが指摘された『法令順守』は小生も感じるところがあり、いずれこの場で書きたいと思います。
    結手

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