2008/10/31

警察官から裁判官まで

アメリカと言う国は本当に不思議な国である。世界中の紛争地に何らかの理由を付けて関わる事を率先してやっているように感じる。

確かに世界のスーパー パワー国家であることは誰しも認めているところであるが、もしかするとこの様な態度(おせっかい)がアメリカ人が望んでいない反感を生みだし、その結果としてアメリカに於ける9.11のテロにつながったのではないか?と思える節が無いでもない。

アメリカ議会において日本の従軍慰安婦問題が議題に取り上げられたことについて、いったい彼らのメンタリティは何をしてこの様な他国の事案にまで首を突っ込むのか小生には理解出来ない。

前にも書いたが第二次世界大戦の結果、日本が無条件降伏をしたからといって歴史まで彼らが都合の良いように書くことまで承服したわけではない。

何度も書いたようにこれらの案件(双方の意見が食い違う)には『客観的事実が必要だ!』と言う事は真実を伝え続ける為にも大前提となる事は世界共通の理念ではあるまいか。

日本政府が従軍慰安婦(当時はその様には呼んでいなかった)に関する国の関与を示す記録は無かった(抹消された可能性はあるとしても)と正式に抗議しているがアメリカ議会は無視のようである。

今一つ明確にすべきは当時の朝鮮半島は独立した国家ではなく台湾と同様に日本の領土として国際的にも認められていた事である。兵士や軍属として強制的に狩り出された朝鮮半島の人達が不満を持つことは理解できるが、彼ら彼女らを『朝鮮人』として軍属や挺身隊に徴用したわけではない。

東京裁判(極東軍事裁判)は歴史的に見ても違法な裁判であった事がこのところ当時のこの裁判に関わった人達の供述からも証明されている。

ちょっと冷静に考えれば分かる事だが、国の代わりに個人を当てはめて考えれば答えは明らかであろう。AとBと言う二人が喧嘩をしてAが勝ったとする、普通裁判になる場合には仮にBに非があったとしてもAが裁判官や検事、弁護人までやる事(任命する)は無いだろう、そんな事をすれば誰も正統な裁判とは評価しないからである。

事実東京裁判においてインドのパル判事は『東京裁判は裁判にあらず、復讐の儀式にすぎない』と強く抗議し、裁判自体を違法として、根底から否定した事が記録として残されている。

パル判事から指摘された『原爆投下や東京大空襲の方が罪深い』(被災者の99%が非戦闘員の民間人)と言う事実には無視を決め込み歴史を自分達(戦勝国)の都合の良い様に書き換えてきたのがアメリカを初めとする当時の連合国である。

日本政府からの抗議『従軍慰安婦を国として強制した事実は無い』と言う主張にも無視を決め込むこの様な態度は、『自分たちは世界の平和や人権に貢献している』と自負して居ても、現実には期待とは裏腹に世界中の多くの国や民族に敵対心をあおっているとしか思えない。

歴史に向き合い日本政府に従軍慰安婦問題について正式な謝罪を要求するならば、まず先に広島と長崎に対する原爆投下を謝罪する態度こそがアメリカの取るべき姿ではないか。日本国民がテロ行為等の報復行動に出ることはまず考えられないが、価値観の異なった国であればテロも充分に考えられる。

教育、宗教政治体制等どれもがテロの可能性としては否定できない。アメリカ国民が意図しないこれらの政治や経済のプロパガンダが結果的に世界中に敵を増やしているとすれば割を食っているのはアメリカ国民かもしれない。

2008/10/17

車の二極化(その2)

現代社会の車の二極化の一方は経済的な要素をより多く持った車の台頭であろう。小排気量の車は勿論そうだが、昨今の環境やエコロジーブーム、そして究極的には原油高騰に伴うガソリンやディーゼルの値上がりが、ハイブリッド車や燃料電池車そして究極的には電気自動車へと開発を急がせている。

数年前にはある程度予想も出来たが、まさかガソリンの値段が1リットル£1-20を超える時代がこれ程早くこようとは多くの人が想像していなかったのでは無いだろうか。 

その1でも触れた様に自分がこのところ興味を持つ車の種類が変わってきた事である。ガソリン価格の高騰と言う事も確かに一因ではあるが、それだけが原因ではない。以前はほとんど興味がわかなかったディーゼルの車、それも小排気量車がやけに気になり始めた。

英国は日本に似ていて乗用車のディーゼル比率がそれ程高くは無い。ひるがえってヨーロッパ大陸の国々では車種によっては50%を超えるディーゼル乗用車も珍しくは無い。なぜこの様に英国とそれ以外のヨーロッパ諸国では差が出るのであろうか?

英国ではディーゼル燃料の価格が日本や他のヨーロッパ諸国の様に安くなく、無鉛ガソリンと同じ価格である。そんなことも今ひとつディーゼルエンジンの乗用車が普及しない要因ではないかと想像している。

一昔前のディーゼルエンジンは確かに良いイメージは無かった。パワー不足(加速が悪い)、黒煙を出す(環境に悪い)、エンジン音がうるさい、等がおもな理由だった。だったと言う事は過去形である!現在の洗練されたディーゼルエンジンの車に乗れば多くのディーゼル嫌いの人が考えを改めるのではないかと思う。

特に最近ではヨーロッパ大陸の国々ばかりではなく、英国でも積極的にディーゼル車を買う人達が増えてきた。ガソリンと値段の差が無い英国だが、これ程までに燃料代が上がってくると少しでも燃費の良い車にと思うのが普通の選択だ。ディーゼルはその点ガソリン車に比べればはるかに燃費は良い。1Lで走れる距離に大きな差があればかなりの人がディーゼル車に興味を持つことは容易に想像がつく。

そして最新のディーゼルエンジンに乗ってみれば、過去のディーゼルとの違いを改めて認識することになる。パワーもガソリン車に劣らなく、トルクが太いため加速も充分に楽しめる。エンジン音もほとんどガソリンのそれと区別がつかない位になっているし、黒煙を吐いて坂道に差し掛かったらヒイヒイ言うようなエンジンは最近のディーゼル乗用車では先ずお目にかからない。

その様な体験が自分の好みを変えてきた事も確かである。今ひとつは車の持つポテンシャルをフルに使い切ってみたいと思うようになった。その1でも書いたように大排気量のスポーツカーやリムジンでは乗せられている感覚が強く、自分で車をコントロールしている感覚が乏しくなる事である。

その点1000ccくらいのエンジン車ならばパワーも知れている。パワーアシストも高級車や大排気量車の様には付いていない。環境さえ許せば車の持つポテンシャルをフルに引き出すことができる。田舎の曲がりくねったB級道路(スピードカメラも無く、制限速度もゆるい)を飛ばす楽しさも味わえる。それが小排気量のディーゼルエンジンならばよりベターな感じがする。

その様な事を想像するに1000cc~1200cc位の、ディーゼルターボのエンジンを積んだ、マニュアル トランスミッションの小型車が欲しいと心から思うようになった。大きく振り回せない車に乗っている自分を想像すると、トヨタではないがいかにもIQが疑われそうでカッコ悪いイメージになりそうだ。

2008/10/11

車の二極化(その1)

このところ原油の先物相場の値上がりに引きずられ、ガソリンの値上がりが随分と高くなってしまった。そのせいもあって車の売れ行きが酷く落ち込み、アメリカやヨーロッパなどはこれまでのところ前年比でかなり落ち込んでいるようだ。

そんな中にあって車の二極化が目立つようになってきた。一方は高級車と呼ばれる種類の車で一台数千万もする車、もう一方は経済の方向性もあって小型の小排気量車と云う具合である。

高級車と呼ばれる車を買う人達はいつの時代もそんなに変わらないのかも知れない。年間生産台数が数百台にも満たない高価格なスポーツカーや、排気量が6,000ccを超えるリムジン等を買う人達にとっては、少々経済の風向きが下方修正されたからといってどうと云うことも無いのであろう。

しかし自動車会社が主な顧客としている一般人は大きく経済の動向に影響される事は云うまでもない。特に昨今の世界経済の不透明さや、原油価格の高騰に引きずられた燃料価格の高止まりは、これらの車を買う人達の心理状況にも大きく影響を与える事は今さら云うまでもない。

アメリカやヨーロッパの新車売れ行き状況は前年度比のマイナス15%~30%という具合で、昨年まで他の自動車メーカーが苦戦する中、独り勝ちの状態であったトヨタまでもが、今年の販売台数を大きく下方修正するほどである。

ハイブリッド技術を誇り、他のメーカーとはかけ離れて成功をしてきたトヨタであるだけにその影響は世界中の車メーカーに大きな不安を与えた事は事実であろう。そのトヨタが自慢のハイブリッド車ではなく、コンベンショナルな技術を使って小型車を発売しようとしている。名前はIQと云うらしいが、いかにもIQ(知能指数)が高いものが選ぶと云う様な斜に構えた見方は自分だけかも知れない。

以前の自分の好みは単純だった。ポルシェやフェラーリは今でも見ると良いなとは思うが、以前はこのようなスポーツカーに乗りたい!と心底思っていた。乗りたいと思っても簡単に買える様な車ではないことは充分に承知していたが、それだからこそ何時かは買ってみたい車であった。

そんな自分が最近興味を持つようになった車は全く逆な方向の車である。現在乗っている車も結構大きいが、この様な大きな車はガソリン代の高騰と云うだけが理由ではなく、何か車に乗せられている感じが強いのだ。

確かにパワーも有り、ほとんどの取り回しはパワーアシストが備わり、高速走行も安定しているし楽チン極まりない。しかしながら前述した車に乗せられている感はどうしても拭えず、車の持つポテンシャルをフルに使い切る場所など、ドイツのオートバーンかサーキット位しかない。

以前ドイツを旅したときメルセデスCクラスのレンタカーで時速200kmオーバーで1,500km程を運転した経験が有るがあの様な道路環境は他の国には存在しない。ドイツの整備されたオートバーンであっても時速200kmオーバーを連続して維持することは無理である。追い越し車線に出てくるトレーラーや小型車に行く手を阻まれてしまうからだ。

それでも合法的にその様な運転が許される国であれば、ポルシェやフェラーリも魅力的なチョイスであろう。経済的事情が許すのであれば本当に欲しい車だ。しかし現実に英国に住む自分にとってロンドン域内では30マイル制限も珍しくない。日本に比べればいくらかは道路事情がましかも知れないが、ロンドン市内や周辺の高速道路には至る所にスピードカメラが設置されている事を考えれば、高性能の車はもはや宝の持ち腐れに等しい。 

そればかりか普段の乗り方が車の持つポテンシャルの半分も使わないとすれば、エンジンやサスペンションに掛かるストレスも相当なもので車にもよろしくないことは言うまでもない。以前聞いた話だが、『日本で使われているメルセデスSクラスはエンジンが回らない!』と言うのが定説らしい。普段ショーファー ドリブンの車として使われ、車の持つポテンシャルの30%くらいの速度域が、日常使われるスピードの上限である事がその主な原因との事だった。(その2に続く