2015/02/20

少林寺拳法の道院長は真の宗教者か

宗教法人を名乗る組織が日本には18万2千以上も団体が有ると聞き驚いた。世界広しと言えども一つの国に18万もの宗教を名乗る団体が存在する国は聞いた事が無い。ただしこの数字は国(文科省)に届け出たものと、地方自治体に登録したものとがあり中には重複している団体も有るらしい。

のっけからこの様な驚くべき数字になってしまったが、勿論日本ばかりではなく世界各国では様々な宗教が数多く存在している事も事実である。その中には前のブログでも書いた様にカルト的性格の強い団体も多く含まれている。只一つ言えるとすれば日本の様に18万もの宗教団体が存在する国は無いと言う事だ。

その主な理由は多くの国で一神教が多く、仮にその国で一般的に信じられている宗教とは異なった宗教の人達が居たとしても、百も二百も異なった宗教が出て来る事が難しいのが実体であろう。クリスチャン(キリスト教徒)が中心の国でも、カソリックからプロテスタント、ギリシャ正教まで色々あるが、その国内に20も30も違うキリスト教の団体があると言う国は聞いた事が無い。

テロ国家ISの問題で一躍日本国内でも存在が注目を集めているイスラム教徒だが、イスラムの国においてもキリスト教が中心の国と概ね、宗教団体の有り方(数)は同じである様に思う。前にも書いた様にこれら一神教の国々では中々異教徒(異なった宗教)を認めない人達が多い事も、宗教団体が派生しない主な理由なのかも知れない。

日本では逆に土着の宗教(神道)が諸々(八百万)の神々を認める事から一神教とは全く異なった宗教観が培われた。仏教やキリスト教が海外から入ってきた宗教にも関わらず、問題なく共存して行けるのは神道的価値観が根底にあったせいとも言えなくもない。八百万の神々という信仰からすれば18万余りの宗教団体等どうってことは無い現象なのであろうか。

そこで今、宗教団体を標榜する少林寺拳法と言う組織の道院長にあえて確認しておきたい事がある。貴方はご自身の事を「私は宗教家である!」と自信をもって言えますか。

私も開祖 宗道臣の本は一通り読んではいるが、とても自分の事を胸を張って「宗教家です」とは言えないからである。もしその様な道院長がおられるとしたら色々と伺ってみたい事がある。

逆に「私は宗教家では無い」と言われるのであれば、では宗教法人であるはずの少林寺拳法という組織は、宗教団体として何を教えている団体なのか是非伺ってみたい。

2015/02/02

実像と虚像の狭間で

日本の武道が世界に紹介されて久しいが、近代的な社会になってから初めに世界で名声を得たのは柔道ではないかと思う。勿論それ以前にも柔術や剣術があった事は知られてはいたが、世界から認知を得るのには時間が掛かった事も事実であろう。

その様な中で、2020年の東京オリンピックに向けて、空手が新しくオリンピック種目に加わる為のロビー活動がニュースで紹介された。空手は1980年代初めにもすでにオリンピック種目として検討されていた事は知られて居るが、当時の空手界は日本国内の各流派によるルール統一が難しく、見送られてきた経緯がある。その間に韓国のTaekwondo(テコンドウ)が先にオリンピック種目に加えられ空手界は今日までそのチャンスが無かった。

そのスポーツの普及度からすれば空手の方がテコンドウより遥かに競技人口が大きい事は事実ではあるが、これまで種目として認められなかった主な原因は異なった流派による綱引きが大きな理由であろう。ここにきて空手の世界も世界空手道連盟(World Karate Federation, WKF)がスペインのマドリードに本部を置き、東京オリンピックを契機にオリンピック種目に名乗りを上げたと言う事だと思う。

柔道も空手も日本から出た武道にもかかわらず、世界連盟の本部がフランスやスペインにある事は何を意味しているのであろうか。世界に誇る事の出来る日本文化が広く世界中で認められる機会を、日本と言う限られた世界での価値観によって自ら難しくして来た事実は否めない。その事が柔道や空手の団体をして世界組織の本部を海外に求めた一因ではないかと想像する。 

翻って我々の少林寺拳法を見てみれば世界へ普及する事の難しさをより一層感じずにはいられない。その最も大きな原因は組織の抱える不透明な構図ではないか。日本国内では宗教団体を標榜すると同時に一般財団法人(公益では無い)も運営している。世界連合(WSKO)は宗教法人では無いがその説明には当然の事ながら難しい問題を抱える事は言うまでもない。

今一つの問題は少林寺拳法と言う組織の掲げる矛盾は、海外に於いてさえ指導者に対してボランティアを要求する姿勢である。5年程前に私の事を糾弾するために支部長達を集めて行われた会議の席で「水野は少林寺拳法を指導して収入を得ている」との発言が有ったと報告を受けた。これには参加した支部長から「何故それが問題になるのか?」と逆に質問され、トップが答えに窮したと伝え聞いた。

質問した支部長に言わせれば「それがいけないとすれば、(組織のトップである)あなたや職員はどの様に収入を得ているのか」との思いがあったのであろう。「自分は特別な存在だから組織から給料を貰っても当然である、しかし他の支部長はボランティアなので少林寺拳法の指導で収入を得てはならない」。この様な論理が世界中で通用するはずも無い事は誰が考えても明らかである。それが少林寺拳法と言う武道が世界に発展する事を妨げている最も大きな原因ではないだろうか。

本音と建前を巧みに使い分けて組織を維持して行けるほど世界は甘くは無い。経済的に厳しい国も有る。その人達に対してもボランティアで指導を強要すれば確実に辞めてしまうであろう。先進国においてさえ同様な問題は存在している。海外で日本人が働く事の難しさを全く理解しない人達の机上の空論と言われても仕方がない。

日本人に限らないが海外で働くと言う事は先進国、途上国を問わず非常に難しい規制がある。先ず合法的に働くためには当然の事ながらその国で働く為の労働許可証を取得する必要が生ずる。私が労働許可証を取得した経緯はブログでも紹介したので繰り返さないが簡単な事では無い。労働許可証が幸い得られたとしても許可された勤務先の仕事以外から収入を得る事は許されない。少林寺拳法の指導員として得られた労働許可証で他の仕事をして検挙される事になれば国外退去は免れ得ない(もちろんその逆も)。

「私は少林寺拳法をボランティアで教えているので収入を得る事は出来ない、よって別の仕事で収入を得る必要があります」この様な理屈が通用すると本気で考えて居るとすれば、世の中の仕組みを全く理解して居ないトップが君臨する組織と言われても仕方がない。その様な組織が世界に発展して行けると多くの拳士は信じて居るのであろうか。

私が一例として挙げた組織の抱える矛盾は他にも数多くある。日本では当たり前の事が、世界でも普遍的に当たり前であるはずもない事は理解して頂けると思う。『実像と虚像の狭間で』とのタイトルで書き始めたが、実像以外に物事が発展して行く事はあり得ないと思う。残念ながら少なからぬ人達が虚像に怯え、本来の有るべき実像が見えていないと感じた事が今回の表現となった。

個々の表現で不快に感じられる箇所があったらお許し頂きたい。決して個人的な批判をしているのでは無い事をご理解頂ければと願っている。