2019/05/22

右ハンドルのFordマスタング(アメリカ車)が意味するもの

最近ロンドンにおいて時々「おや!!?」と思ったのは右ハンドルのアメ車を見た時だ。なぜ「おや?」なのかと言えば、アメリカ車ではこれまで右ハンドルというものを見たことが無かったからである。もちろんドイツや英国で生産されたFordやGMの車は、英国で販売される場合においては確かに右ハンドルも普通に存在したが、それらは典型的な欧州車であり比較的小型車が多かったので特段気にも留めなかった。

しかし今日「おや!?」と思った車は典型的なアメリカ車を代表するようなFordのマスタングである。これらはヨーロッパで造られた車では無いのではないか!?と言う事が頭に浮かんだ。もちろんドイツや他のヨーロッパ諸国で造られていても何の不思議もないが。

以前にも述べたと思うが英国では左ハンドルの車は基本的に異端である。大陸から来る輸送トラックや、短期間旅行等で持ち込まれる大陸からの左ハンドル車は確かに時々見かけるが、英国に住むオーナーが左ハンドルの車を所有する事はクラッシックカーかビンテージカーを除けば見る事はまず無い。

単純な理由は日本と同じ交通ルールであれば、左ハンドル車の危険度は当然ながら右ハンドルに比べて高くなることは言うまでもない。保険料なども当然のことながら左ハンドルの車を所有していればかなり高くなる。以前ブガッティ―ヴェイロンの右ハンドルを見て驚いた事を紹介したが、何億円もする車でも右ハンドルは存在することを改めて認識させられた。

不思議な事に日本では現在でも街中で左ハンドルの欧州車に出くわす事が時々有る。 英国と同じ左側通行の国なのになぜ使いずらく、危険度も高い左ハンドルなのであろうか?もっとも最近ではメルセデスやBMW等でも比較的右ハンドルの車種が増えてきたと感じるが。

しかしである、それらの車であってもトップクラスの車種、メルセデスで言えばマイバッハやSクラスのAMG、BMWでも7シリーズなどの車種、はたまたフェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニ等と言った高価格車には相も変わらず左ハンドルが多い気がする。

ロンドンの街中でその様な車はまず見掛ける事は無い。日本では時々見かけるこの様な左ハンドルの車は運転上のリスクのみならず、駐車のつど道路際には寄せられず(ガードレール等でドアが開かない為)当然のことながら道路中央側にせり出して止める羽目になる。他車や自転車乗りには迷惑極まりない。

ではなぜ日本では未だに左ハンドルの車が大手を振ってまかり通っているのであろうか?車のオリジンが左ハンドルの国だったからそのまま受け入れているとは思えない。外車=左ハンドルと言う認識が高いせいか?

確かにヨーロッパのほとんどの国は左ハンドルであることは事実である。オリジナリティを壊したくないので不都合を受け入れている?その様な事を言う人達も居る。車のオリジナルのデザインが左ハンドルで設計されている為、右ハンドルに変えた車ではアクセルやブレーキペダルの位置が変わり、運転しづらいと言う意見もあった。だがそれが事実であったとすれば日本車がアメリカをはじめ左ハンドルの欧州諸国でこれ程までに支持されると言う事は説明できないと思う。

以前東京で左ハンドルのロールスやジャグアそしてMiniを見た事が有る、これらは何を意味するのであろうか?言うまでもなくロールスもジャグアもミニクーパーも英国オリジンの車であり右ハンドルのはずである。

人と異なる車(外車)に乗っている事をアピールする為には、左ハンドルの方が良いと思っているオーナーが多い事が本当の理由ではないのか? 最近でこそポルシェの右ハンドル車も時折見かけることがあるが、それでも少数派でしかない。

この様な現象をCar Graphicの初代編集長 小林彰太郎氏に質問した記者がいた、氏は間接的に否定的な意見を述べていた。言われてみれば外車を中心に編集されていたCar Graphicであれば、その広告の多くを外車の輸入元が占めていた事からも直接的な否定は難しかった事であろう。しかしその時の氏の返事は『言うまでもなく日本で左ハンドルの車を運転する事は危険なだけでは無く不都合な事が多い』と言うような内容であった。直接的な外車とそのオーナーの批判を避けたい事は雑誌の営業上の理由からも十分理解できた。

1960年代当時から英国や欧州各地でサーキット走行のみならず街中でも実際にハンドルを握り、テスト走行をされた経験が日本で左ハンドルの車を運転することが如何に無益な事かを肌で感じていたであろうことは容易に想像がつく。

その様に考えてみると日本の路上を走る外車(この場合は左ハンドル車)のオーナーはプライドと差別意識の中で、あえて不都合な部分には目をつぶっている事が考えられる。別の見方をすれば根底には相も変わらず外国車に対するコンプレックスがあるのか?と邪推したくもなる。日本の車が世界中で多くの賞賛と信頼を得て、世界で最も多くの車を生産する国の代表格でもある日本において相変わらず外車(左ハンドル車コンプレックス)と言うのでは余りにも情けないではないか。

ロンドンを走るマスタングにBritishはアメリカ車にも右ハンドルを要求している事が新鮮だった。アメリカとの貿易摩擦で日本車がそのやり玉に挙げられてはいるが、貿易不均衡を日本政府に言う前に、ではなぜアメリカで生産された車が日本で売れないのか?『もっと日本人の要求に合う車を作るべきだ!』と主張してみてはどうだろうか、その一つが『右ハンドルの車を生産しなさい』日本はアメリカや欧州のみならず輸出する国の実情に合わせて生産している事をMr.トランプにもはっきりと伝えた方が良いのではないかと想像したが、それでも中々売れないだろうなぁアメ車・・・それ(外車)を買う人達が左ハンドル車を有難がっているのが実情であれば。

2019/05/05

新たな門出、令和に少林寺拳法をどの様に伝えるのか

何度かこのブログを見ていると言って頂いた人たちから、『もう更新はしないのですか?』と問い合わせを頂いた事もある。まずは長らくこのブログを更新しなかった事をお詫びしたい。

最後にブログを更新した時からすでに2年もの時間が流れた事になる。時代はその間に平成から先日新たな元号の「令和」に代わった。我々の活動もその間においても続いていた事は変わりない。

毎年のことながらIKAの行事で加盟国の拳士を対象とした講習会や大会も開催されている。その様な中にあって参加国も少しずつではあるが増え、現在では9カ国になっている。

この間にIKA加盟国はインドネシア連盟(Porkemi)、香港が新しく加わり9カ国となった。これまでのIKABSKFを含めどちらかと言えば拳士数や支部数においても大きな国の連盟は無かった。

しかしながら昨年の11月に新たに加わったインドネシア連盟は支部数や加盟拳士の数においては圧倒的に大きな組織である。私もWSKO理事の時代には2度ほどインドネシアを訪問したことがあるが当時から組織も際立って大きく、立派な本部道場があり日本の組織に勝るとも劣らないナショナルな連盟であった。

組織運営においても連盟内にCongress(代表者による議会)が有り、すべての重要議案が民主的な運営で行われて居たことは強く印象に残っている。

開祖存命中から日本以外で最初に設立された国の連盟がインドネシアのPerkemi(兄弟姉妹と言う意味らしい)で1960年代中頃に活動が始まり現在に至っている。その様な長い歴史を持つインドネシア連盟がなぜWSKOから離れ,我々のIKAに加わる事になったのか?今もって定かではない。

ただ一つ言える事は、この度のIKA参加は、我々から彼らに働きかけたものではない。前のPerkemi時代に連盟会長職を長年務められたティンブルさんから、話を聞かせて欲しいと打診があった事がきっかけである。IKAの規約も送りその内容をCongressで話し合ってもらった結果、IKA加盟と言う結論に達した様である。

ティンブル代表はインドネシアでは最も名の知れた弁護士である。BSKFとWSKOとの名称問題についても十分理解されていた。その事も彼らが安心してIKAに加わる事を決断した大きな要因ではなかったかと思う。かつてお会いしたインドネシア連盟40周年記念式典の時にも、気軽に冗談を飛ばし周りを楽しい雰囲気に包む人柄であった。

まだまだ我々のIKAは発足後3年半と言う発展途上の団体である。しかしながら運営に於いてはインドネシア連盟も満足(納得)できるシステムである事は、今回の彼らの行動が如実に物語っている。

新しく立ち上げたインドネシア連盟はPorkemiと呼ぶとの事である。彼等の新組織が立ち上げになる式典にはインドネシアの国営放送局も取材班を送り、それをニュースとして流したようである。私も出席を要請されたが時間的制約もあり、ビデオメッセージと言う形で参加した。その時のニュースはYouTubeで誰でも見ることが出来る。

開祖宗道臣が残した少林寺拳法をどのような形で後進に残していく事が出来るのか、私達少林寺拳法関係者に課せられた大きな課題である。