2008/01/31

これまでに会ったグレイト ミュージシャン(その2)

本当に数多くのミュージシャンのautographを貰ったが印象に一番強く残っているのがアート ペッパーとビル エヴァンスの二人である。ビルは長年の自分にとってはアイドルだったが、日本で73年に始めて名古屋のコンサートホールで聞いて以来何度もチャンスはあったがほんの少しの事で聞き逃していた。

1980年8月にロンドンのロニースコット クラブにおいてビル エヴァンス トリオのギグがあった。満員のクラブにこれまでのLPを持って出かけた自分は初めのステージが終わり、控えのミュージシャン(なんとイギリス クラッシック ギター界の第一人者ジョン ウイリアムス!!くどいけど控えの奏者が)が弾き始めた時に楽屋を訪ねた。例によりクラブの席係りが声を掛けてくれたが中々顔を出さない。

しばらく楽屋裏からジョン ウイリアムスの演奏を聞いていたがそれでも何の変化も無かったので、ベースのマーク ジョンソンと話をしていた。『いつからビルとやってるの?』などと聞いていたが、そのうちにマークが楽屋の中に向って何か言っていると中からビル エヴァンスが顔を見せた。楽屋内に招かれたので持参した10枚以上もある重たいLPレコードを見せ、そしてポップスターに群がる少女ではないが(まあ同じようなものであろうけど)『あなたのautographが欲しい』と言うとOKと答え一枚一枚のレコードに(録音したとき)の思い出を語りながらサインしてくれた。

お礼を言って握手をすると『来月日本のコンサートで会いましょう』と言うので、必ず行くと約束して楽屋を後にした。その後の顛末は以前にも書いたとおりである。ニューヨークへ戻ったビルはファット チュズデーで演奏中に倒れ帰らぬ人となった。

これ以外にもロニースコット クラブの会員だった事もあり70年代80年代当時は頻繁に出かけた。そんな中にはオスカー ピーターソンのようにビルとは異なったピアノの巨匠もいる。そしてハービー ハンコックやキース ジャレットの様にマイルス スクールのピアニストやローランド ハナ、マッコイ タイナーと言ったピアニストも良かった。 タイナーはその後もジャズカフェ等でも3度程聞いた事がある。

他にも自分が好きなミュージシャンを中心にフレディ ハバード、同じくトランペット奏者のウィントン マルサーリス、アート ファーマー、毛色が異なったアルトロ サンドヴォールとロンドンに来る名だたるトランペット奏者は他にも色々聞きまくった。残念ながら長年最も好きだったマイルス デイヴィスはロニースコット クラブでのギグの期間中連日超満員で聞く事も無かった、1970年代に入ってからどんどん変ってしまったマイルスというミュージシャンに自分の中でそれ程強烈な聞きたいと言う願望が薄れた事も原因かもしれない。

ドラマーもジョン コルトレーン時代から好きなエルビン ジョーンズ、マイルス門下のトニー ウイリアムス、バディ リッチのビッグバンド、ジャック デジョネットなどなど。テナー サックスではデックスター ゴードン、バド シャンク、ソニー ロリンズは日本で1度とロンドンで2度聞いた。スタン ゲッツは良い時とそうでない時の両方、その差が大きかった事もゲッツと言うミュージシャンの繊細さが現れた事が要因なのかもしれない。

その他にも数えきれないくらいの数のミュージシャンに会った。彼らもまた人間である、調子の良いときや悪いときもある。そんな悪い時にたまたま当ってしまうとがっかりするが、それでも生のミュージシャンが発する魂のこもった音は時としてハッとするほど新鮮な驚きがある。こんな音が自分のスピーカーから出せないものかとケーブルを変えたりスピーカーの位置を動かしたりとまたまた悩みは尽きない。

2008/01/28

これまでに会ったグレイト ミュージシャン(その1)

これまでに何人もの偉大なミュージシャンに会った。自分の場合は主にジャズのミュージシャンが多いが、あえてここではミュージシャンと呼ぶ。人によってはアーティストと言う人も居るが確かに音楽を生業とする人達は芸術家かもしれないが、小生はミュージシャンの方がより親しみを持てるように感じる。

「アーティスト」 今一つピンと来ない呼び方だと思いませんか?

もし自分がミュージシャンだったらおこがましくて芸術家などととてもそんな風に呼んでもらいたくはない。時々これがアーティストか?と思うようなチャンチャラおかしいのをそう呼んでいるのを聞くと天の邪鬼の自分は余計にそんな輩と自分が愛するミュージシャンを同一的には呼びたくは無い。

かなり古い話だがまだ日本に住んでいた頃、フランク ロッソリーノと言うトロンボーン奏者に演奏会の直後、名古屋市内のジャズ喫茶で会った事がある。たしかカウント ベイシー楽団の一員として来日し名古屋でも演奏したのだが、彼が公会堂の舞台のあと自分が行き付けのジャズ喫茶に後援者と共に現れたのだ。

残念ながら当時は英語が全く喋れない時だった。隣の椅子に腰掛けているフランクに『演奏会は素晴らしかったねェ』と話し掛けたいが言葉が出ない。そのうちに何人か地元のミュージシャン達が店に集まって来た。小さな店だったがフランク ロッソリーノと言うトロンボーンの大御所と、名古屋在住のジャズ ミュージシャン達がお酒を酌み交わしながら始めたジャム セッションは非常に盛り上がった。

往々にしてジャズ ミュージシャンの場合、大きなコンサートホールよりもそのメイン イベントがはねた後のこの様な小さな酒場の方が盛り上がりやすい事を何度か見ている。当時の有名なジャズクラブはその多くがそれ程大きなステージやホールは無い。自分が見た80年代当初のヴィレッジ ヴァンガードは連日ジャズ ジャイアンツがプレーしていたがそれでも観客が100名も入れば一杯と言う感じだった。当時開店したばかりのおしゃれなジャズスポット ファット チュズデーにも行ってみたが店は大きくきれいだったがステージは結構狭かった。ある意味ジャズのミュージシャンは観客との距離感を大切にするのかも知れない。

マイクを通した音を大きなコンサートホールで聞かせるより自分の得意とするmusical instrument(楽器)の生の音を観客にぶつけているのだと思う。それによる観客とのコミュニケーションがジャズの持つ醍醐味だと言う事を一番良く知っているからこそ、ミュージシャンもジャズ好きなファンもコンサート会場での演奏会が終わるやいなや近くの小さくても名の知れた店に移動すると言う訳だ。そこでは好き者同士の第二幕(これが彼らにとっては本番かもしれないが)が始まり飛び入りがあったり、喝采や手拍子など大いに盛り上がる事を双方(ミュージシャンとファン)が知っている。お金を貰って演奏しているコンサート ホールよりも遥かに楽しそうな光景には、これが本心から音楽を楽しんでいるplayer演奏者とaudience観客が一体となった最高の環境なのであろう。

そんな中の一人がアート ペッパーと言うアルトの名手だ、彼にはロンドンのロニースコットクラブでの演奏会で会った。日本から持ってきた物を含め7枚くらいの彼のLPを持参した。最初のステージが終わり控えのバンド演奏が始った時に楽屋を訪ねた。この場合クラブの席係りにティプを渡しておいたので気軽に案内して紹介してくれた。まだロンドンに住み始めてそんなに長くない当時で英語も片言だったが『素晴らしい演奏だったヨ』と言うと彼の方から嬉しそうに握手してくれた。持参したLPにAutograph(サイン)を依頼すると一枚一枚に小生の名前とペッパーのサインをしてくれた。(その2に続く

2008/01/22

経済支援より教育支援

よく言われる世界情勢の一つに南北問題(経済格差)がある。この問題は何も昨日今日始った事ではない。

日本も政府や民間のNGOなどが色々と取り組んでいて成果も上がっている部分もあるが、色々と難問も抱えている事も事実であろう。

先日家内の親友から電話があり丁度、中米のグアテマラから帰国したばかりとの事であった。以前コーヒーの折に触れたがジャマイカにも2年JICA(国際協力機構)から派遣されヴォランテイアで活躍していた女性である。

今回はその実績が認められ短期間ではあるが専門家としての派遣だったようだ。ご本人は元々服飾デザイナーだが、ジャマイカやグアテマラでは生地の生産からデザインそして販売に至るまでの、仕事の仕方を指導する目的で派遣されたようである。

小生は1980年代中ごろからこれまでにアフリカを何度も訪れているが、これらの国々では先進国が如何に地元の人達に仕事を作り出してやれるかが大きな課題としてあった。ヨーロッパの植民地として長年その支配下にあったアフリカの国々では、自分達で仕事を作り出す必要は無かった。又宗主国側である先進国ヨーロッパも自分達の生産に必要なもの(資源)を労働力も含めて安価に調達し、本国で生産したものを一方的に売るだけでよかったために、これらの国では生産から販売までの工程がほとんど失われているのが現状である。

さらに悪い事にはその様な国のメンタリティー(思考)だ。先進国(経済大国)からの援助慣れが一般化しており、政府のみならず一般国民も豊かな国からお金や物資をもらうことが当然のようになっている国も見られた。

日本政府も過去においてアフリカのみならずアジアや世界中の途上国に経済援助やJICAを通じて人材を派遣しているが、なかなか成果を上げられていない。国を変えるというのは多くの時間と労力が掛かる。又円借款などの資金協力もヨーロッパの国々よりもより多額の拠出しているのだが、アフリカ諸国に点数を稼ぎたい(良い顔をしたい)G7の国々から、返済免除などと難題を吹っかけられるなど煮え湯を飲まされてきた事も事実である。

クリスチャン文化を背景に持つ欧米の国々よりこれらの経済援助や技術供与のプレゼンテイション(提示方法)が上手ではない事も確かにあるが、日本の貢献は他の先進国に比べて決して低いわけではないにも関わらず今一つ評価が芳しくない。

小生が過去に見た日本の援助の実態を紹介してみたい。
1986年に初めてアフリカの地を踏んだが前年にエチオピアやソマリアでは食料危機が起きて数多くの難民がでた。世界中のマスコミがこぞってニュースでそれらの映像を流した事がきっかけとなりエイド物資が国連を通して送られた。そのくだりは『人、人、人 すべては人の質にある』の項で触れたが、そのとき初めて知ったのが援助の難しさであった。

アメリカや英国からは民間NGOのリリーフワーカー(ボランティアで働く人達)が結構な規模で現地で活躍していたが、日本はといえば確かにアフリカという存在がヨーロッパの宗主国だった国に比べれば関係が薄い分だけ現状に対する掌握も低かった事は確かである。

そのときヨーロッパのNGOが推進した援助は飲み水の確保である。何千個もの手押しポンプを現地に送り、リリーフワーカーが先導してそれらの設置に当っていた。日本政府は確かにより高価な電動ポンプを設置し、単体の手押しポンプとは比べ物にならない程の飲み水は供給できたが、電気の通っていない(インフラ整備の行き届いていない)村には無用の長物でしかなかった。

又故障になった場合手押しポンプ程度なら現地の人達にも簡単に直せるが、より高度な部品や修理の為の工具が必要な電動ポンプは故障すれば現地人の手に負えないものであった。

日本政府が送ったトラクターや輸送用のトラックも同じで、新しいこれらの機材が使われずに野ざらし状態で放置されているのを見た時には、現地の実情を無視した(知らない)お役人(と無駄に高価な機材を売ろうとした商社)の決断がどれほど無駄になっているのか残念な気持ちになった事を記憶している。

そのとき感じた援助事業の難しさとは国としてやるべき仕事と、民間のNGOなどに任せた方が結果として良い(現地の人にもそして日本の貢献に対するイメージにも)という事を知った事である。

確かに道路や通信などのインフラ整備等大きな事業は国が援助しなければ出来ない事もある。しかし現地の人達のニーズにあった援助には民間のNGOに任せたほうがより効率的で低コストな事も事実であろう。

又長期的な観点から家内の友人がJICAから派遣されたような、現地の人々の暮らしに直接役に立つ教育や技術支援などはアフリカ、中東や中南米に過去のしがらみの無い(植民地政策をしてこなかった)日本にこそ、国際的評価を得る上でも重要な国としての支援のあり方が問われているように感じている。

2008/01/14

新しいCDデッキとオーディオの不思議(その2)

ハイエンド オーディオの機材はアンプにしろレコードデッキにしろ重量がある。そのソニー製SACDデッキは25キロもあった。

パワーアンプなどは50キロを越える物など珍しくない。一人でセッティングなどしているとそれらの機材の移動だけで腰を悪くしかねない。

SACDは確かに良い音ではあったが問題が無いわけではない!第一にソフトの数が少ない。日本ではある程度手に入るソフトがロンドンでは通販を除いてほとんど無理である。HMV等の大きな店でもSACDの売り場などは無い。これは日本も同じ様な状態であるが。それでも自分は日本に行った時にはせっせとSACDのソフトを買って来て聞いていた。

今度のデッキはマランツと言うメーカーだ。学生時代ヤマハビルで見たマッキントッシュやマランツと言う高級アンプに日本製とはどこか違ったデザインの高価な機器になんとも言えない想像をかきたてられたものだ。

これら外国製のアンプを何時か自分でも聞いて見たいと思っていたが、当時の小生にはとても手の届くような値段ではなかった。

何十年も過ぎて知った事はSACDの共同推進者はマランツらしいと言う事だ。マランツは今や日本法人でもある。このメーカーが作ったSACDデッキは英国でも評価は良い。ソニー製の以前のデッキとどの様な違いがあるか興味は尽きなかったが、いざ届いて箱を開けると期待にたがわぬソリッドなデッキが現れた。

最初にリモコンを手に取ったがずっしりと質量感がありデザインも良い、音を聞く前にこの様な感触は嬉しいものである。

今回のデッキは決してハイエンドではないがデザインとしては十分にそれに近い貫禄を持っている。はたして音は?

まず初めにソニーとの比較から普通のCDをかけてみた。澄んだ人工的な色付けのない良い音がした、次はSACDをかけてみた。

マイルスの聞きなれたKind of blueを最初に選んだ。ベースのピチカットの音も切れがいい。マイルスの抜けるようなトランペットとコルトレーンの力強いテナーのコラボレーションが実に見事に表現され息を呑む思いだった。

歴史の浅いSACDではプレーヤーの進歩も発展段階、その進歩は日進月歩10年前のソニーデッキの半額程度の価格帯の物が当時のハイエンド以上の音を出すのだから嬉しくないわけがない。

こうなるともういけない、ヴォーカルはどうかな?とダイアナ クラールのThe look of love声の肉質も良い。次は弓物を聞いてみようとヨーヨーマのKodalyをかけた。チェロなどそうそう聞く事はないが新しい機器が入るとついこの様に得手、不得手を調べるような事をしてしまう。ウーン今度のマランツは良いな!というのが夜明けまでついつい聞き続けた結論だった。

空が明るくなる時間に満足してベッドに潜り込んだが、早くも次の日に又何を聞いてやろうという事を考えているうちに寝てしまった。

考えてみればオーディオ ファイルの単純さはこの様に好きなものに向ったときには他の事が目に入らない。デッキの外観に目をやり中々良い選択だったと自己満足したり、興味の無い者からすれば実に単細胞極まり無い現象であろう。

アンプの時も同じようなものであった。それまでのアンプは日本製のDenonのハイエンド モデルだったのだが、ある時自分の家で真空管のアンプを聞く事になった。

それまでの印象では『たぶん懐古趣味の人が聞くアンプだろうなァ』くらいに考えていたが、自分のスピーカーから出てきた音を聞いて驚いた。それまでのソリッドステートのアンプの半分しか出力の無いアンプが分厚い底力のある音を出したときには耳を疑った。

それからどのアンプが良いか色々聞き比べてみたが結果的にイギリスのEARというアンプに決めた。たった35Wしか出力の出ないシングルエンドのアンプが腰が抜けるのではないかと思うほど重い。ウーハー(低域専用スピーカー)には同じEARの50Wをマルチドライブで使う事にした。

このEARというメーカーは小規模だが会社のオーナーは世界的に有名なアンプ デザイナー Paravicini氏、奥さんは日本人で古くからの小生の知り合いである。

そんな訳でアンプの真空管に掛かるカバーも特別にブリティシュ グリーンにしてもらった。初め懐古趣味的な音と決め付けていた真空管アンプと、最新技術を駆使して作られたスーパー オーディオCDデッキとのコラボレーションが織り成す音は正にオーディオの持つ不思議さを表しているように感じられてならない。

2008/01/10

新しいCDデッキとオーディオの不思議(その1)

先日新しいCDプレーヤーが届いた。これまで色々とCDプレーヤーを変えてきたが今度は初めてのメーカーだったので少し不安だったが、色々と写真を見たりこれまでの製品に対するリヴューを見ていると中々魅力的に思えた。

自分はSACD(スーパー オーディオCD)のソフトを結構持っているのでどうしてもそれらが再生できる機能を持ったデッキが必要になる。SACDは日本のソニーとオランダのフィリップスによって提案された新しいフォーマットのCDソフトで従来のCDデッキでは対応できない。

オーディオ ファイルとは厄介なものだ、新しい製品が出たりすると是非聞いてみたくなる。
CDがレコードに変わった当初自分はロンドンに住んでいた為LPしか聞いたことが無かった。1982年頃から発売されたCDの音を初めて聞いたのは80年代終り頃だったように思う。初めて手にしたCDソフト(人の物だったが)をどうしてかけるのかも分らなかったことを記憶している。初めは小さなラジカセのようなラジオもCDも聞ける機械だったが、なるほどLPレコードに比べれば便利なソフトだなと感心した。

当初聞いた情報ではCD はデジタル録音なのでレコードのような再生機材による音の違いは無い!というものだった。 そんなものかと思うくらいで、では高額なステレオ装置でなくても良い音で聞こえるのかな?と半ばどこかで信じられない気持ちだった。

やがて90年代に入りさすがにロンドンでもLPレコードの新しいソフトの数が目に見えて減ってきたので、自分でもCDプレーヤーを買ってそれまでの自分のステレオ装置で聞いてみた。 何だ?これは、変な音だな!と言うのが最初の印象だった。

初めて聞いたラジカセの時には感じられなかった不思議な音がした。レコードのほうが良い!とすぐさま思った。

初めに聞いた『CDは機材による音の差が無い!』と言う事を信じこんでいたので、これならLPレコードの方が随分音に関しては良いではないかと言う感じを持った。

後になって分った(知った)事であるが、当然CDでも機材による差は出てくる。初めのCDデッキは日本のメーカーの中級機だったが普通に音楽を聴くだけならそんなに不満は無かったが、集中して聞こうとするとどうも不自然さが出てくるのである。

シンバル等の楽器はそれ程問題という訳でもないが、ピアノはアクーステックなグランド ピアノがエレクトリック グランドに聞こえたりする(実際にはそれ程酷い物ではないが聞き方によっては)、又人の拍手などに表れる音はいかにも金属的で違和感があった。

そんな不満を抱いていたときCDウォークマンを聞いた。ヘッドフォンを耳に入れて聞くわけだから今のIpodと同じような物だが、その時メーカーの異なる2つの機材を聞き比べ『オヤ?ぜんぜん違う音じゃないか!』こんな小さいウォークマンタイプのCDプレーヤーがこんなに音が違うと言う事は、専用デッキにおいては特にハイエンドの機材では全く違った音が出るんじゃないか? とこれまでの疑問が氷解する感じだった。

当時90年代初めのロンドンではハイエンドと言えるオーディオは日本に比べれば無いに等しい状態だったので、日本に行った折には秋葉原や大阪の日本橋界隈のハイエンド オーディオが置いてある店に飛び込み聞いて回った記憶がある。

そして90年代も終り頃に今度はスーパー オーディオCDと言うこれまでのCDフォーマットとは異なるソフトが出ると言う情報が聞かれるようになった。それまで自分でLPとCDを自分の装置で聞き比べるとどうしてもLPの方が良い音がしていたのでスーパー オーディオCDには非常に興味を持っていた。

やがて98年ごろソニーからSACDのデッキが発売された。初めのモデルは当然ハイエンド機で50万円以上もした。少し後に同じ構造のハイエンドの姉妹モデルが発売になったので期待していたがロンドンでは全くその様な情報は聞かれなかった。

1年ほど後にやっとロンドンでも発売され始めたが姉妹機でも70万円近くのプライスタグが付いていた。 その後手に入れたソニーのデッキは確かに普通のCDを聞いてもそれまでのデッキとは全くレベルの違う良い音を聞く事が出来た。(その2に続く

2008/01/03

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。

このブログを昨年2月に書き始め早くも1年近くが過ぎた事になります。月により掲載にかなりばらつきがありますが、今年も宜しくお付き合いの程お願い申し上げます。

今年一年も感じた事を率直に書いていきたいと思っておりますが、ブログ立ち上げの折にも書きましたように、これはあくまでも自分の感じた事を独断と偏見も交えて書いておりますので、個々の件に付きましては読まれます方との見解の相違が生じることも充分に承知しております。その様な折にはどうか忌憚のないご意見やご批判もお書き下さい。

まずは年初めのご挨拶まで

結手