2007/05/04

人、人、人、すべては人の質にある

開祖宗道臣の残した『人、人、人、すべては人の質にある』と言う言葉を我々少林寺拳法の指導者は忘れる事ができない。

理想境なんて本当に出来るのだろうか?と何度も自問自答したことを前に理想境建設の談で書いたが、たびたび講習会で訪れた東アフリカで見た事を書いてみたい。

自分が最初にアフリカと関わったのは1986年の9月である。
その年は東アフリカに位置するエチオピアで大規模な飢餓騒動が起きた。多くの難民が連日マスコミのニュースとなってテレビに映し出され、新聞も多くのページを割きこれらの事を特集した。

丁度その年少林寺拳法創始40周年にあたり、少林寺拳法連盟として何か出来ないか?と言う議論が持ち上がった。ミュージシャン達はバンドエイドをやり食料や衣服を集めていたし、又ファッション業界でもデザイナー達によるによるファッションエイドがあったりで、世界中がこの状態を何とかしたいと立ち上がっている時だった。

そんな折の創始40周年である。
宗由貴総裁が『鍛えた拳は何処へ行く』とスローガンを立ち上げた。
自分も総裁と同時期に別のアフリカ諸国へ調査の為飛んだのであった。
一口にアフリカと言っても北アフリカから南アフリカまで、多様な国々が混在している。
文化も北アフリカのモロッコやチュニジアなどのイスラム文化圏の国から、ヨーロッパの植民地時代にクリスチャン文化を取り入れた南アフリカ共和国や、それ以外に土俗の宗教を持つ多種多様な民族が暮らしている。

われわれ日本人からするとなかなか区別が付かないが、ケニア1国でも200以上の異なった部族が住んでいると聞いた時には実感として分からなかった。

しかしその後何度もアフリカを訪れる事になり、現地の事情が少しづつ呑み込めるようになってきた。

先ず北アフリカの場合はほとんどヨーロッパと同じで、日本のパスポートであればビザも必要無い。予防接種の必要も無く比較的気軽に出かけられる。事実モロッコなどはロンドンから2時間~2時間半くらいで着いてしまう。

ところが東アフリカとなるとそう簡単には行かない。
先ずビザの取得が必要になる。それぞれの国の大使館に出かけ申し込みをする事になるが、速くても2~3日かかる。その他予防接種も必要だ。特に現地の国境をまたぐ場合政治的理由により(お互いの隣国を信用していない為)必要の無い黄熱病等の接種もしなくてはならない。

例えばロンドンからケニアのナイロビを往復する場合なら不必要である。しかし拳法の講習会と言う事になると、ケニアからタンザニアと言うように国境を越える必要が出てくる。この場合には黄熱病が何年も発生していないという現実があるのにも関わらず、接種の証明書(通称イエローカード)が必要である。

話を86年に戻すと、ロンドンからエチオピアのアジスアババ(アディスアベバとも言う)に到着した。街中には人があふれていた、地方から集まってくる人達でアジスアババの街は何処もごった返していた。

海抜2000メートルのこの首都は到着後しばらく高山病のような症状が起きる。小生も例外ではなく到着したその日は軽い頭痛がしていた。翌日はすっかり慣れてしまったが。

先ず小生はJVC(日本のNPOボランティア組織)のアジスアババ支局の案内で現状把握の為に動ける範囲で見て回った。他にも日本からは24時間テレビのリリーフワーカーや、JICA(海外協力事業団)も活動していると聞いた。

なぜその時のエチオピアは食糧危機が起きたのだろうか?
当初小生は天候不順で雨が降らず農作物が出来ない為!と思っていた。それも幾らかの理由であったことは否定できない。しかし自分が現地に行って見た事は驚きの連続だった。

当時のエチオピアは政府と共産主義ゲリラとの内戦状態であり、食料が足りなくなった時も、海外から届く援助物資を送る手段(鉄道や道路)のインフラが整備されておらず、結局は必要な難民たちに届ける事が叶わず多くの死者が出たと言う訳である。

英国のリリーフワーカー、セーブ ザチルドレン、オックスファーム等といった非政府組織のNPOも活動に限度を感じているようだった。せっかく世界中の善意で届いた毛布や食料が、国内で内戦がありそれぞれが縄張りを作り、勝手に移動する事がこれら実績のある団体すら不可能であった。

つまり、難民が数多く出たその理由は天候や自然災害がメインの理由ではなく、内戦による政府と共産ゲリラの勢力争いが主たる原因だったと言うわけである。

夜それらNPOの事務所を歩いて訪ねたが、歩道を歩いている時など寝ている人にぶつかる。街路灯もほとんど無く難民が道路に寝ていても暗いし、又彼等も肌の色が黒い為全く見えないような状態であり進むのに困惑した事を覚えている。

続いてタンザニアの首都、ダルエスサラームに移動した。ここではJICAから派遣されていた熊坂さんと言う電話の技術者に会った。

たまたまロンドンで日経を読んでいて、少林寺拳法の指導もやっているとの紹介記事を見つけたからだ。 電子メールなど無い時代である、手紙を書きタンザニアを訪問する趣旨を伝えると喜んで出迎えてくれた。

彼から現地での仕事内容や少林寺拳法の事など色々と情報を収集した。残念ながら熊坂さんは帰国後15年くらいして亡くなってしまったが、その時見聞きしたタンザニアや、ダルエスサラームの状態はアフリカ体験が始めての小生にとっては大変参考になるものであった。

そして、次にケニアのナイロビに移動しそこで総裁一向に合流した。総裁は初めにやはり難民キャンプ(ソマリア)を訪れてその実情を検分した後であった。お互いにそれまでの情報を交換して、その年に催された国際大会(40周年記念大会)で義捐金を募り、その収益金を日本のボランティア団体JVCに寄付をした。

このように最初のアフリカ体験は自分に非常に大きなカルチャーショックをもたらし、その後少林寺拳法を通してアフリカの拳士達と、どの様に向き合って行くか、非常に大きな体験となった。

その後5回のアフリカ講習会に指導員として行っているが、発展している国、逆に治安が悪化して不安定になっている国など、全く人の質の大切さを目の当たりにする思いである。

『人、人、人、すべては人の質にある!』 本当に真実を突いた言葉だと思う。


0 件のコメント:

コメントを投稿