現代における価値観の変化は我々の世代には非常に大きな変化が起きていると言わざるを得ない。先ず我々の認識からすれば言葉のみならずその意味する事が結構異なる事が起きている。
自身の記憶なので100%正しいと言う自信は無いが、例えば今ではサッカーと呼ばれるスポーツは自分が小学生当時に先生が呼んで居た時はフットボールだった。それがいつの間にかサッカーが一般的になり、フットボールはアメリカン・フットボールを呼ぶときに使われるようになり、サッカーはおそらく区別する目的で使われ始めたのではないか?と思うが、現在でもJFA(Japan Football Association)は日本サッカー協会と訳されている。ちなみに国際サッカー連盟 FIFAは(Fédération Internationale de Football Association)が正式名称と言う事らしい。
自分が学生時代にはアメフトは当時アメラグと呼ばれていたと記憶している。これなどもボールの形やゲームのスタイルを考えればラグビーに似ている事から容易に想像できると思うのだが、今ではアメフト(American Football)が一般的な呼び名として使われておりアメラグとは呼ばれない様だ。
この様に考えると時代の及ぼす影響は大きく世界ではどの様に呼ばれているかと考えてみる事も面白いかも知れない。日本で非常にポピュラーな野球も例外ではない様に感じる。どこの国も自国の選手の活躍には野球(MLB)での活躍で超人気選手となった大谷選手のみならず、イングランドのサッカー プレミアリーグで活躍する日本人選手も日本国内では人気選手なのだろうと想像している。
これは野球やサッカーに限った事では無い。オリンピックを含め自国選手の活躍は何処の国にとっても喜ばしい事で特に日本に限った事では無いように思う。自国選手の活躍に国を超えて人々が熱狂する事は自尊心が与える影響ではないのか?オリンピック競技で自分達の国の選手が勝つことにより自分達も同様に自尊心が満たされるからでは無いだろうか。
スポーツ競技が作り出す自尊心はオリンピックや国際試合ばかりでは無い。甲子園の高校野球でも同様の現象は国単位と言う大枠ではなく、県単位でも同様な事が起きる事は何度も見てきた。その様な観点からどのように競技を体系化するかで、それらに直接関わって居ない人々まで巻き込んだ社会全体の幸福感(自尊心)も有り得るように感じるが如何であろうか?
2024/03/01
時代と環境の変化を感じるか?
この2回は少林寺拳法と言う武道が目指してきた宗道臣の哲学と近代オリンピック(クーベルタン男爵)の哲学に照準を当ててきた。先のIOCで2028年のロサンゼルスのオリンピック種目にどの様な競技が新しく選ばれたのであろうか、検証してみるのも無駄では無いと思う。
そんな新種目競技の一つにクリケットが有る。
クリケットと言えばイギリスで生まれ現在ではコモンウエルス(commonwealth)を中心とした旧英国の植民地であった国々で幅広く愛されている球技の一つである。残念ながら日本では馴染みの少ないスポーツかも知れない。
しかし世界におけるクリケットの競技人口は野球よりはるかに多いと言われている。野球はアメリカの影響を受けた国々で広まり、クリケットはイギリスの影響が強い国で盛んになった事は事実であろう。イギリスにも野球(baseball)連盟は存在する。しかし残念ながら日本とは逆に幅広くプレーされているスポーツとは言えない。イギリスに限った事では無くヨーロッパの国ではその多くが野球を知らない人達の方が多い事も事実であろう。
そんな中にあって来年のパリオリンピックで新種目に加えられた競技を見てみると、まさしく時代の変化が如実に表れていると感じるのではないか?
東京オリンピックのスケートボード、スポーツクライミング、サーフィンに加えてブレークダンスである。我々の古い世代のイメージからすれば『これがオリンピック種目?』と首をひねりそうな競技が並んでいる。その様な観点から見ればパリの種目からは外されてしまった『空手』の方が余程世界的な普及度やスポーツと言う観点からもふさわしい様に感じる。
私が英国に来て以来1980年代初めに空手をオリンピック種目にと言う話し合いが持たれた事が有る。81年の夏頃だったように記憶している。
MAC(マーシャルアートコミッション)と言う組織が有り、柔道(すでにオリンピック種目として認知されていた)を除く英国での武道の統括組織であった。当時の予想では空手が柔道に次ぐ武道のオリンピック種目に加わるのではと言う事で、ルールや統一組織の模索が何度もなされた事を覚えている。
その様な中で世界における競技人口が最も多かった空手は次のオリンピック種目としては最有力の武道で有った。しかし結果的には空手がオリンピック競技に選ばれる事は無かった。空手と一括りに相称していた武道だが現実には組織としてはいくつもの団体が有り、それぞれが自分達の団体を中心とした競技ルールを主張して折り合うことが出来なかった事が最も大きな障害であった様に思う。
そんな事実が有り、日本武道で世界中を席巻していた空手(WUKO)はオリンピック競技として認められる大きなチャンスを失う事となり、その後のソウルオリンピックでtaekwondo(テコンドー)が公開競技として認められた事により、はるかに競技人口が多かった空手はオリンピック種目入りが2020年東京大会まで見送られる結果となった事は有名である。先の東京オリンピックの公開競技として公開されたが、来年のパリ大会では消える事になってしまった事は同じ日本の武道に携わる者としては残念な気もする。
柔道も今のIJF(国際柔道連盟)の本部はスイスのローザンヌにあり発祥の地 講道館が有る日本ではない。伝統空手グループは(WUKOからWKF)と名が変わり現在の本部はスペインのマドリッドである。空手のフルコンタクト派はWKAとなり、現在では東京大会を機にWKFルールを受け入れ オリンピックの正式競技として認められるべく共に道を歩き始めている。
この様に見て来ると日本の武道はいずれも発祥の地であるはずの日本に本部が無い事が分かる。ソウルオリンピックで公開競技として始まったテコンドーはすでにオリンピックの公式競技として認められており、同種の競技(武道として)となる空手は正式競技化が難しい事も予測される。一般に区別の難しい(似通った)競技はオリンピックで認められるには余程の違いが見られないと難しいと言われている。
柔道も1964年の東京オリンピックでの公開競技の後、1968年のメキシコ大会では見送られた事が有った。その時柔道のオリンピック入りを強力に推奨した国がイギリスとフランスだった事は有名である。オリンピックもカラーTV放送化に伴い、競技者を見分けやすい国際試合での道着が白とブルーになった事はフランスの国色(ブルー)をオリンピック種目推進の貢献が認められ使い始めたと言うのも頷ける理由であろう。
この様に見てみると日本は武道家に限った事では無く、大局的な視線が乏しく結果的に世界中での発展にも支障をきたす事例は幾つも有る。それでも先に挙げたブレークダンス、スケートボード、スポーツクライミング等 果してこれがスポーツ?と感じるのはやっぱり古い日本人が出てしまったのかと反省する昨今である。
2024/02/01
少林寺拳法とオリンピックの目指すものとは
前の投稿で少林寺拳法を発展させるには何が必要か?と言う事に触れた。その中で述べたのは、開祖 宗道臣の法話の一部分を切り取って自分達の正当性を拳士たちに印象付け、組織そのものを都合よく私物化する旗印にしてこなかったかと言う問いかけであった。
少林寺拳法がそれ以前の日本武道と何が異なったのか?なぜ短期間で多くの拳士(支持者)を得られたのか?問われる事はまさにその一点に尽きる。
宗道臣の説いた哲学『人、人、人すべては人の質にある』人々の考え方を少林寺拳法の修練を通して徐々に変える事により、この世の中に平和で豊かな世界『理想境』を実現したい。道院・支部で説かれた『教え』、哲学の部分にも共鳴した人達が多かった事がこの一武道の急速な発展に寄与したのが容易に想像が出来る。
しかるに開祖 宗道臣はその法話の中で『オリンピック選手の中には自身が選ばれる為に自分と競合する仲間でも蹴落とさなければならないと考える者もいる、その様な考え方は我々の目指すものではない』と諭された事が有る。これはオリンピックに代表されるスポーツの競争原理の間違った例として、また自分達の教えがいかに大切であるかの指標としたのでは無いであろうか?
その様な言葉の切り取りが政治的に都合よく利用され、組織としての在り方を異なった方向に導く助けとなる事は理解している。
それでは宗道臣の説いた『理想境』建設とクーベルタン男爵が説いた近代オリンピックの考え方とはどこが異なるのであろうか。前に述べた開祖の言葉の切り取りで組織としての在り方をオリンピックやスポーツから切り離そうとしては来なかったか?
私は近代オリンピックの父として語り継がれるクーベルタンの説いたオリンピック憲章に付いて今一度検証してみたい。
以下はオリンピック憲章で謳われている文面である。
『 オリンピズムは、肉体と意志と知性の資質を高揚させ、均衡のとれた全人のなかにこれを結合させることを目ざす人生哲学である。オリンピズムが求めるのは、文化や教育とスポーツを一体にし、努力のうちに見出されるよろこび、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。』
他にもいろいろとオリンピックの目的など書かれているが最後に以下の様な記述がある。
《オリンピズムの根本原則1》
「オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化や教育と融合させるオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などに基づいた生き方の創造である。
これをもってしても少林寺拳法の哲学とオリンピック哲学は全く違うと断言できるのか? 今一度検証してみるのも無駄ではないように感じるが、如何であろうか。
2020/11/22
日本社会のガラパゴス化とは
ずいぶん前から『日本の常識は世界の非常識だ!』と言われることを聞いた事が有る人は結構居ると思う。それはある意味 日本では特に問題なく行なわれている習慣や思考方法(常識)が世界の基準とは異なる事を意味した言葉なのだと理解している。
ガラパゴスと言えば世界中の中でそこでしか生息しない生命体や、島の中で独特の進化を遂げた動植物が多い事で有名である。他の国や環境から隔離された場所で独特の進化を遂げた動植物であるがそれにも諸説ある事は承知している。
日本社会の中で今一般的に使われているガラパゴス諸島を起源とした呼び方に『ガラケー』(スマホが一般的に普及する前の携帯電話機などを指す)がある。しかし振り返ってみるとガラケーばかりではなく、かなり多くの分野で日本独特の進化や変化をしてきた工業生産物はいくつも見られる。
70年代後期にファクシミリが世に出た時の事は現在でも鮮明に記憶している。それまでの伝達方法は当然の事ながらEメールやSNS等は無く、オフィスにおける緊急時の伝達手段は電話かテレックスが主流であった。英語圏のみならずアルファベットが主流の国では、それもある意味それ程の不都合も無かったことが主な理由であろう。
しかしながら漢字文化の日本では容易にテレックスを漢字化する事は出来なかったし、和文のタイプライターも確かに存在したがその後のワードプロセッサーの出現によりそれも意味を持たなくなってしまった。当然の事ながらファクシミリの便利さはテレックスの比ではなく、漢字の文章のみならず写真まで送信可能となればテレックスに置き換えられる事は時間の問題で有った。
3.5型フロッピーディスクと言うのも日本で発明されたと聞いた。残念ながらより便利な記憶媒体が主流となりいつの間にか消えてしまった。そのような中にあって現在も尚日本のオフィスではFaxが厳然と生きのこっている様だ。多くの欧米のオフィスから消えてしまったFaxが変わらず日本の社会の中で生き残っているとすればこれもガラパゴス現象かも知れない。
その他にも最近の日本政府が言い出した『脱ハンコ』文化、これも日本社会でしか見られない独特の習慣文化であろう。良くも悪くもこれらの習慣を変えようとすると大きな抵抗勢力が有る事は知られている。ハンコ文化を守りたい勢力にはハンコ業界と深い繋がりのある政治家や、Fax同様にパソコンやスマホの苦手世代(我々世代)が上司で居る会社等が影響していることは容易に想像が付く。
今年の大きな特徴は中国から始まった武漢ウイルスであることは言うまでもない。一年中このコロナで世界中が振り回される事になってしまった。その様な環境下でイギリスやヨーロッパではロックダウン(都市封鎖)が始まり、オフィスでの仕事をオンラインで自宅からにする会社が増えてきた。
我々の拳法活動も例外ではなく支部長達は知恵を絞りZoomなどの会議ソフトを使いオンラインでの道場を運営している。哲学のみの時間や鎮魂行の座禅だけををするクラスもあるし、普段の道場での練習に近いストレッチングや基本の技をやっているグループもある。
いまはこの様に我々指導者の思考方法の柔軟性が試されているのかも知れない。『少林寺拳法の練習がオンラインなどで出来るはずが無い!』と言う事は簡単である。ではどの様な知恵(方法)なら それを必要としている人達に届けることができるだろうか? 我々指導者が『ガラパゴス先生』化しない為に!
ガラパゴスと言えば世界中の中でそこでしか生息しない生命体や、島の中で独特の進化を遂げた動植物が多い事で有名である。他の国や環境から隔離された場所で独特の進化を遂げた動植物であるがそれにも諸説ある事は承知している。
日本社会の中で今一般的に使われているガラパゴス諸島を起源とした呼び方に『ガラケー』(スマホが一般的に普及する前の携帯電話機などを指す)がある。しかし振り返ってみるとガラケーばかりではなく、かなり多くの分野で日本独特の進化や変化をしてきた工業生産物はいくつも見られる。
70年代後期にファクシミリが世に出た時の事は現在でも鮮明に記憶している。それまでの伝達方法は当然の事ながらEメールやSNS等は無く、オフィスにおける緊急時の伝達手段は電話かテレックスが主流であった。英語圏のみならずアルファベットが主流の国では、それもある意味それ程の不都合も無かったことが主な理由であろう。
しかしながら漢字文化の日本では容易にテレックスを漢字化する事は出来なかったし、和文のタイプライターも確かに存在したがその後のワードプロセッサーの出現によりそれも意味を持たなくなってしまった。当然の事ながらファクシミリの便利さはテレックスの比ではなく、漢字の文章のみならず写真まで送信可能となればテレックスに置き換えられる事は時間の問題で有った。
3.5型フロッピーディスクと言うのも日本で発明されたと聞いた。残念ながらより便利な記憶媒体が主流となりいつの間にか消えてしまった。そのような中にあって現在も尚日本のオフィスではFaxが厳然と生きのこっている様だ。多くの欧米のオフィスから消えてしまったFaxが変わらず日本の社会の中で生き残っているとすればこれもガラパゴス現象かも知れない。
その他にも最近の日本政府が言い出した『脱ハンコ』文化、これも日本社会でしか見られない独特の習慣文化であろう。良くも悪くもこれらの習慣を変えようとすると大きな抵抗勢力が有る事は知られている。ハンコ文化を守りたい勢力にはハンコ業界と深い繋がりのある政治家や、Fax同様にパソコンやスマホの苦手世代(我々世代)が上司で居る会社等が影響していることは容易に想像が付く。
今年の大きな特徴は中国から始まった武漢ウイルスであることは言うまでもない。一年中このコロナで世界中が振り回される事になってしまった。その様な環境下でイギリスやヨーロッパではロックダウン(都市封鎖)が始まり、オフィスでの仕事をオンラインで自宅からにする会社が増えてきた。
我々の拳法活動も例外ではなく支部長達は知恵を絞りZoomなどの会議ソフトを使いオンラインでの道場を運営している。哲学のみの時間や鎮魂行の座禅だけををするクラスもあるし、普段の道場での練習に近いストレッチングや基本の技をやっているグループもある。
いまはこの様に我々指導者の思考方法の柔軟性が試されているのかも知れない。『少林寺拳法の練習がオンラインなどで出来るはずが無い!』と言う事は簡単である。ではどの様な知恵(方法)なら それを必要としている人達に届けることができるだろうか? 我々指導者が『ガラパゴス先生』化しない為に!
2020/07/02
少林寺拳法とBlack Lives Matterについて
5月25日 アメリカはミネアポリスにおいて黒人のジョージ・フロイド氏への白人の警察官による過剰な逮捕映像が世界中に拡散されることになり、その事が人種差別によって引き起こされた事件との非難の声が上がる事となった。
その後 該当の警察官は殺人罪で逮捕され起訴されることになったが、同時にその場にいた3名の警察官も解雇され訴訟が起こされているようである。この事件はその後アメリカ大統領のSNS等の投稿が切り取られて表沙汰になることで、益々その問題の根深さが改めて市民の間で話題になっていることは多くを語るまでもない。これはアメリカ社会のみならず世界中の至るところで人種差別に反対するデモが Black Lives Matterとして取り上げられている事をテレビニュースからもうかがうことができる。
アメリカの都市のみならず、イギリスは元よりヨーロッパの多くの街や日本においてもBlack Lives Matterのデモは起きている。私が住んでいるイギリスでも奴隷貿易に関わった当時の貴族や貿易商人の銅像がデモの群衆により倒されたりするニュースが登場している。
日本ではこれまで比較的 人種差別による社会問題は起きた事は記憶に無いが、欧米には一時期において植民地政策がとられ、その事により奴隷貿易や砂糖、紅茶等の取引で巨万の富を築いた人達がいることは歴史上の事実である。
その様な中でBSKF(英国少林寺拳法連盟)は連盟としてBlack Lives Matterを支持する事を表明した。もちろん私にも連盟理事からそれらの決定に至る経緯の説明があったことは言うまでもない。その時 私が彼らに伝えたことは『私も個人的に理念には賛同する』だが同時に『偏ったプロパガンダや過激な組織に乗せられたりしないように』という二つの事である。
自分の人生でも経験した1960年の日米安保条約反対と、学生だった70年の大きな出来事を今でも記憶している。当時の私はそれらのデモに参加した事はなかったが、殆どのキャンパスには立て看板が立ち並び、連日のように学生達によるデモやアジテーションが繰り返されていた。現在ではその様な過激なデモは想像もできないであろうが、当時の日本で現実に起きていた事は紛れもない事実である。
開祖は『若者は純粋でエネルギーは有るが、時に物事の本質を見失う』と言う事を指摘されていた。 当時の自分は毎日が少林寺拳法で明け暮れていたノンポリ(Non Politicsの略、死語だね)の代表格で政治には全く興味がない(知識不足の)学生であった為、その様なデモ行進に参加することも無かった。
ある時 本部での指導者講習会で開祖の法話にそれが話題に上がった。全学連と呼ばれていた当時の安保条約反対のデモを組織していた学生団体について、『誰によって資金が提供されていたか』と言う裏話を披露された事がある。開祖の話では共産党の思想を理想として掲げる全学連に裏で資金を提供していたのは『アメリカのCIAである』と言うショッキングな内容であった。誰もが最初は『まさかその様なバカな事が』という反応だった。どこで仕入れた情報かは言われなかったが、その時の記憶では『安易に信念もなくその様なデモに加わってはいけない』と言う内容であった様に記憶している。しばらくして諸々の情報が明らかにされる時代になり、開祖の話が根拠のない作り話では無かったと言うことが理解できた。
翻って今回のBlack Lives Matter問題は日本国内で生活する人達や拳士には中々理解できない事なのかも知れない。少林寺拳法が掲げる『理想境建設』や『半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを』を挙げるまでもなく、社会正義に反する犯罪や差別には声を上げる事は大切な時ではないかと思う。日本の協調社会は世界でも例を見ない程に羨ましい国であることは多くの例が示している。ただ同時に行き過ぎた協調(同調)で他人の評価や眼差しを意識しすぎて行動に移せない人が多い事もまたその特徴かも知れない。
開祖が我々に伝えたかったのは『自己確立』、『良いと思ったら先ず行動せよ』と言う事ではなかったのか? 欧米社会には確かに日本より大きな人種に対する偏見や差別は存在する。私自身も英国における生活の中で経験もしたし目撃もした。故にBlack Lives Matterは黒人社会のみならずあらゆる人種に対する差別と社会正義の必要なことを我々に突き付けているのではなかろうか。であるならば私は今回のBSKF理事会には賛成である。人種差別に乗じた破壊活動や略奪などは全くの論外であることは言うまでもない。
支部長がんばれ!拳士がんばれ!『良い社会は君達の双肩にかかっている!』
以下にBSKF理事会が出したコメントを掲載しておきます。
Gassho We hope you are all staying safe and well.
The BSKF has rarely spoken out publicly on political matters. However we feel it is important to directly address recent events, as they have no doubt had an impact on all of us.
"I can't breathe"
On 25th May, George Floyd, an unarmed black man, was killed by a former Minneapolis police officer during arrest. The officer has since been charged with murder. His death and last words have become a catalyst for renewed momentum behind the Black Lives Matter movement around the world, and led to much needed dialogue and introspection on the subjects of race, discrimination and privilege.
The BSKF supports Black Lives Matter. We aim to be an inclusive organisation that welcomes everyone regardless of gender identity, race, background, ability or sexual orientation. We have always and will continue to stand against discrimination in all its forms. However if current events have taught us anything, its that it's not enough to simply take an inclusive standpoint. We all need to actively seek to understand, challenge and change bias, privilege and prejudices at personal and institutional levels. Shorinji Kempo's philosophy is one of personal responsibility and positive action, of self-awareness and respect for others. Equally the BSKF's leaders and branch masters are constitutionally bound to challenge discrimination or discriminatory behaviour within our organisation, wherever it may exist. As an organisation and as leaders we can always do better. We would also encourage all of our members to reflect on these events, and reflect on our philosophy, and ask yourselves what you can do differently too.
If any of our members have been affected by recent events and would like to talk, have feedback for us on what we can do to better address diversity and inclusion within our organisation, or have experienced discrimination within your own dojo, we encourage you to get in touch. You can talk confidentially to the directors (Kat, Ben and Michal), speak to your branch master, or message us via the BSKF website.
以下 Google翻訳
BSKFが政治問題について公に発表することはほとんどありません。しかし、最近の出来事は私たち全員に影響を与えたことは間違いないため、直接対処することが重要だと感じています。
「息ができない」
5月25日、武装していない黒人のGeorge Floydがミネアポリスの元警察官によって逮捕されました。その警官はその後殺人罪で起訴された。彼の死と最後の言葉は、世界中のBlack Lives Matter運動の背後にある新たな勢いのきっかけとなり、人種、差別、特権についての必要な対話と内省につながっています。
BSKFはBlack Lives Matterをサポートしています。私たちは、性同一性、人種、経歴、能力、性的指向に関係なく、すべての人を歓迎する包括的な組織を目指しています。私たちは常に、そしてあらゆる形態の差別に立ち向かい続けます。しかし、現在の出来事が私たちに何かを教えてくれたなら、それは単に包括的な立場を取るだけでは不十分です。私たちは皆、個人的および組織的なレベルでバイアス、特権、および偏見を積極的に理解し、挑戦し、変更することを求める必要があります。少林寺拳法の哲学は、個人の責任と前向きな行動、自己認識と他者への尊重の一つです。同様に、BSKFのリーダーと支部長は、存在する場所にかかわらず、組織内で差別または差別的行動に異議を唱えることが連盟規約上 義務付けられています。組織として、またリーダーとして、私たちは常により良いことをすることができます。また、すべてのメンバーにこれらの出来事を振り返り、私たちの哲学を振り返り、自分に何が違うのかを自問することをお勧めします。
その後 該当の警察官は殺人罪で逮捕され起訴されることになったが、同時にその場にいた3名の警察官も解雇され訴訟が起こされているようである。この事件はその後アメリカ大統領のSNS等の投稿が切り取られて表沙汰になることで、益々その問題の根深さが改めて市民の間で話題になっていることは多くを語るまでもない。これはアメリカ社会のみならず世界中の至るところで人種差別に反対するデモが Black Lives Matterとして取り上げられている事をテレビニュースからもうかがうことができる。
アメリカの都市のみならず、イギリスは元よりヨーロッパの多くの街や日本においてもBlack Lives Matterのデモは起きている。私が住んでいるイギリスでも奴隷貿易に関わった当時の貴族や貿易商人の銅像がデモの群衆により倒されたりするニュースが登場している。
日本ではこれまで比較的 人種差別による社会問題は起きた事は記憶に無いが、欧米には一時期において植民地政策がとられ、その事により奴隷貿易や砂糖、紅茶等の取引で巨万の富を築いた人達がいることは歴史上の事実である。
その様な中でBSKF(英国少林寺拳法連盟)は連盟としてBlack Lives Matterを支持する事を表明した。もちろん私にも連盟理事からそれらの決定に至る経緯の説明があったことは言うまでもない。その時 私が彼らに伝えたことは『私も個人的に理念には賛同する』だが同時に『偏ったプロパガンダや過激な組織に乗せられたりしないように』という二つの事である。
自分の人生でも経験した1960年の日米安保条約反対と、学生だった70年の大きな出来事を今でも記憶している。当時の私はそれらのデモに参加した事はなかったが、殆どのキャンパスには立て看板が立ち並び、連日のように学生達によるデモやアジテーションが繰り返されていた。現在ではその様な過激なデモは想像もできないであろうが、当時の日本で現実に起きていた事は紛れもない事実である。
開祖は『若者は純粋でエネルギーは有るが、時に物事の本質を見失う』と言う事を指摘されていた。 当時の自分は毎日が少林寺拳法で明け暮れていたノンポリ(Non Politicsの略、死語だね)の代表格で政治には全く興味がない(知識不足の)学生であった為、その様なデモ行進に参加することも無かった。
ある時 本部での指導者講習会で開祖の法話にそれが話題に上がった。全学連と呼ばれていた当時の安保条約反対のデモを組織していた学生団体について、『誰によって資金が提供されていたか』と言う裏話を披露された事がある。開祖の話では共産党の思想を理想として掲げる全学連に裏で資金を提供していたのは『アメリカのCIAである』と言うショッキングな内容であった。誰もが最初は『まさかその様なバカな事が』という反応だった。どこで仕入れた情報かは言われなかったが、その時の記憶では『安易に信念もなくその様なデモに加わってはいけない』と言う内容であった様に記憶している。しばらくして諸々の情報が明らかにされる時代になり、開祖の話が根拠のない作り話では無かったと言うことが理解できた。
翻って今回のBlack Lives Matter問題は日本国内で生活する人達や拳士には中々理解できない事なのかも知れない。少林寺拳法が掲げる『理想境建設』や『半ばは自己の幸せを 半ばは他人の幸せを』を挙げるまでもなく、社会正義に反する犯罪や差別には声を上げる事は大切な時ではないかと思う。日本の協調社会は世界でも例を見ない程に羨ましい国であることは多くの例が示している。ただ同時に行き過ぎた協調(同調)で他人の評価や眼差しを意識しすぎて行動に移せない人が多い事もまたその特徴かも知れない。
開祖が我々に伝えたかったのは『自己確立』、『良いと思ったら先ず行動せよ』と言う事ではなかったのか? 欧米社会には確かに日本より大きな人種に対する偏見や差別は存在する。私自身も英国における生活の中で経験もしたし目撃もした。故にBlack Lives Matterは黒人社会のみならずあらゆる人種に対する差別と社会正義の必要なことを我々に突き付けているのではなかろうか。であるならば私は今回のBSKF理事会には賛成である。人種差別に乗じた破壊活動や略奪などは全くの論外であることは言うまでもない。
支部長がんばれ!拳士がんばれ!『良い社会は君達の双肩にかかっている!』
以下にBSKF理事会が出したコメントを掲載しておきます。
Gassho We hope you are all staying safe and well.
The BSKF has rarely spoken out publicly on political matters. However we feel it is important to directly address recent events, as they have no doubt had an impact on all of us.
"I can't breathe"
On 25th May, George Floyd, an unarmed black man, was killed by a former Minneapolis police officer during arrest. The officer has since been charged with murder. His death and last words have become a catalyst for renewed momentum behind the Black Lives Matter movement around the world, and led to much needed dialogue and introspection on the subjects of race, discrimination and privilege.
The BSKF supports Black Lives Matter. We aim to be an inclusive organisation that welcomes everyone regardless of gender identity, race, background, ability or sexual orientation. We have always and will continue to stand against discrimination in all its forms. However if current events have taught us anything, its that it's not enough to simply take an inclusive standpoint. We all need to actively seek to understand, challenge and change bias, privilege and prejudices at personal and institutional levels. Shorinji Kempo's philosophy is one of personal responsibility and positive action, of self-awareness and respect for others. Equally the BSKF's leaders and branch masters are constitutionally bound to challenge discrimination or discriminatory behaviour within our organisation, wherever it may exist. As an organisation and as leaders we can always do better. We would also encourage all of our members to reflect on these events, and reflect on our philosophy, and ask yourselves what you can do differently too.
If any of our members have been affected by recent events and would like to talk, have feedback for us on what we can do to better address diversity and inclusion within our organisation, or have experienced discrimination within your own dojo, we encourage you to get in touch. You can talk confidentially to the directors (Kat, Ben and Michal), speak to your branch master, or message us via the BSKF website.
以下 Google翻訳
BSKFが政治問題について公に発表することはほとんどありません。しかし、最近の出来事は私たち全員に影響を与えたことは間違いないため、直接対処することが重要だと感じています。
「息ができない」
5月25日、武装していない黒人のGeorge Floydがミネアポリスの元警察官によって逮捕されました。その警官はその後殺人罪で起訴された。彼の死と最後の言葉は、世界中のBlack Lives Matter運動の背後にある新たな勢いのきっかけとなり、人種、差別、特権についての必要な対話と内省につながっています。
BSKFはBlack Lives Matterをサポートしています。私たちは、性同一性、人種、経歴、能力、性的指向に関係なく、すべての人を歓迎する包括的な組織を目指しています。私たちは常に、そしてあらゆる形態の差別に立ち向かい続けます。しかし、現在の出来事が私たちに何かを教えてくれたなら、それは単に包括的な立場を取るだけでは不十分です。私たちは皆、個人的および組織的なレベルでバイアス、特権、および偏見を積極的に理解し、挑戦し、変更することを求める必要があります。少林寺拳法の哲学は、個人の責任と前向きな行動、自己認識と他者への尊重の一つです。同様に、BSKFのリーダーと支部長は、存在する場所にかかわらず、組織内で差別または差別的行動に異議を唱えることが連盟規約上 義務付けられています。組織として、またリーダーとして、私たちは常により良いことをすることができます。また、すべてのメンバーにこれらの出来事を振り返り、私たちの哲学を振り返り、自分に何が違うのかを自問することをお勧めします。
2020/04/09
中国武漢ウイルスについて(おまけ)
昨日TVニュースで映し出された中国武漢からのニュースには驚かされた。
それは明らかに何らかの意図を感じずにはいられない異様な光景であった。
単純に見れば今度の新型コロナウイルスに打ち勝った!と言う喜びを世界に向けて発信したかっただけなのかも知れない。
一方で現在もなお、多くの国々で悲惨なウイルスとの戦いが続いて居る事は、中国政府も分かって居ると想像していた。いま各国で続けられるニュースの8割近くはこの武漢発祥のコロナウイルスである。
ヨーロッパ各国やアメリカでも、危機的な映像と共に紹介される現実を鑑みれば、いくら武漢での感染が終息したとは言え、あらゆるビルにネオンサインを輝かせて、花火まで打ち上げ祝福する映像に、素直に納得の出来ない感情が芽生えた事も正直な感想である。
長い時間ロックダウンで都市封鎖が続き、沢山の人が亡くなった事から感情として終息した事を喜びたい気持ちは、分からない事も無い。しかし元を正せば今回の新型コロナウイルスは当の武漢から発症したものである事も事実ではないか。そしていくら自分達の都市で、その問題が終息したとは言っても、現時点でも同じ問題で多くの感染者や死者が増え続けて居るニュースを、毎日目の当たりにしている人々にとって、あのようなお祭り騒ぎは中々単純には受け入れられない気分だった。
勿論これらの行事も『中国政府がウイルスに打ち勝った!』と言うプロパガンダである事は容易に想像が付くが、あまりにもド派手な演出で中国共産党が目的とするプロパガンダの効果が有ったとは思えない。この様なお祭り騒ぎの様な映像がもたらす結果が、今回のコロナウイルスでいま現在も戦っている多くの国の医療従事者や国民から、逆に反発が出る事は考えなかったのであろうか? 適切なアドバイスができる軍師(宰相)が、かの国のリーダーには居ない事が良く理解できた一幕だったのではないか。
そう言えば近隣のどこかの国でも、お友達で周りを固め、忖度政治で良識ある声が届かない環境をエンジョイしているリーダーにも同じ事が言えるのかもしれない。
それは明らかに何らかの意図を感じずにはいられない異様な光景であった。
単純に見れば今度の新型コロナウイルスに打ち勝った!と言う喜びを世界に向けて発信したかっただけなのかも知れない。
一方で現在もなお、多くの国々で悲惨なウイルスとの戦いが続いて居る事は、中国政府も分かって居ると想像していた。いま各国で続けられるニュースの8割近くはこの武漢発祥のコロナウイルスである。
ヨーロッパ各国やアメリカでも、危機的な映像と共に紹介される現実を鑑みれば、いくら武漢での感染が終息したとは言え、あらゆるビルにネオンサインを輝かせて、花火まで打ち上げ祝福する映像に、素直に納得の出来ない感情が芽生えた事も正直な感想である。
長い時間ロックダウンで都市封鎖が続き、沢山の人が亡くなった事から感情として終息した事を喜びたい気持ちは、分からない事も無い。しかし元を正せば今回の新型コロナウイルスは当の武漢から発症したものである事も事実ではないか。そしていくら自分達の都市で、その問題が終息したとは言っても、現時点でも同じ問題で多くの感染者や死者が増え続けて居るニュースを、毎日目の当たりにしている人々にとって、あのようなお祭り騒ぎは中々単純には受け入れられない気分だった。
勿論これらの行事も『中国政府がウイルスに打ち勝った!』と言うプロパガンダである事は容易に想像が付くが、あまりにもド派手な演出で中国共産党が目的とするプロパガンダの効果が有ったとは思えない。この様なお祭り騒ぎの様な映像がもたらす結果が、今回のコロナウイルスでいま現在も戦っている多くの国の医療従事者や国民から、逆に反発が出る事は考えなかったのであろうか? 適切なアドバイスができる軍師(宰相)が、かの国のリーダーには居ない事が良く理解できた一幕だったのではないか。
そう言えば近隣のどこかの国でも、お友達で周りを固め、忖度政治で良識ある声が届かない環境をエンジョイしているリーダーにも同じ事が言えるのかもしれない。
2020/04/07
新型コロナウイルスがもたらしたロックダウンとは
先のブログに引き続き新型コロナウイルスについてである。
現在私の住むロンドンは武漢から発した新型ウイルス感染者の激増により、ロックダウン(監禁状態)が数週間に及び続いている。この様な事はこれまで誰も経験した事の無い厳しさである事は言うまでもない。
大英帝国のモナーキー(王族)のチャールズ皇太子や、時の宰相ボリス・ジョンソン氏までもが感染して隔離される事態となった事で、ロックダウンは必然だったと理解される様になった。
先にヨーロッパで感染爆発を引き起こしたイタリアやスペインでは、さらに悲惨な状況となって居る事を考えれば、これらの決定は仕方がない選択肢なのかもしれない。その後事態はより深刻な状況となり、大西洋を挟んだアメリカ大陸でも同様な感染爆発が起きてしまい、ニューヨークでもロックダウンと言う措置が採られている。
ロックダウンと聞かされても実際にはどの様な状態かは中々イメージする事が難しいかも知れない。より一般的に言えば都市全体を封鎖すると言う状態である。多くの人達が自宅勤務となり、個人事業者等もスーパーマーケットやコンビニ、薬局を除いて全て閉まっている。
政府が出した命令である為、勝手に外出も出来ない。散歩やジョッギッング等は可能ではあるが、日に1回30分程で家の近所に限る。複数の人間が集まる事は家族であっても普段別の場所に住んで居れば許されない。等々非常に厳しいものである。勿論これらの事に違反すれば罰金や場合によっては逮捕される事もある。
この様な状況は自分の過去を振り返っても、日本、英国ともに経験がない。勿論私ばかりでなく殆どの人達には初めての経験であろうと想像する。
こんな状況になると一番心配になる事と言えば、生活する上での必需品の確保であろう。食料品は言うに及ばず薬やマスク、トイレットペーパーが買い占められると言う状況も見られた。
当然の事ではあるが、それらの必需品を手に入れる為にもお金は必要になる。英国政府はロックダウンを宣言した時に中小の事業者に対して、従業員を解雇させない為に休業手当分(給与の80%)を負担することを約束した。今回の新型コロナウイルス問題では世界中の経済が落ち込むことを想定して過去に例を見ない大規模な財政出動も明記されている。
今のロンドン市内は閑散とした状況下にある。街の通りには車の数も少なく、人通りもまばらである。息抜きのためにレストランやパブに行く事も出来ない(全て閉店)。この武漢ウイルスが何時収束するのか先は見えないが、今回の感染がもたらした変化と言えば、街中でマスクをする人が増えたと思う。『マスクは銀行強盗や手術医だけが付けるものでは無い!』と言う新しい文化が生まれたと言えるのかもしれない。早く終息宣言が出されることを期待したい。
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| 閑散な道路 |
大英帝国のモナーキー(王族)のチャールズ皇太子や、時の宰相ボリス・ジョンソン氏までもが感染して隔離される事態となった事で、ロックダウンは必然だったと理解される様になった。
先にヨーロッパで感染爆発を引き起こしたイタリアやスペインでは、さらに悲惨な状況となって居る事を考えれば、これらの決定は仕方がない選択肢なのかもしれない。その後事態はより深刻な状況となり、大西洋を挟んだアメリカ大陸でも同様な感染爆発が起きてしまい、ニューヨークでもロックダウンと言う措置が採られている。
ロックダウンと聞かされても実際にはどの様な状態かは中々イメージする事が難しいかも知れない。より一般的に言えば都市全体を封鎖すると言う状態である。多くの人達が自宅勤務となり、個人事業者等もスーパーマーケットやコンビニ、薬局を除いて全て閉まっている。
政府が出した命令である為、勝手に外出も出来ない。散歩やジョッギッング等は可能ではあるが、日に1回30分程で家の近所に限る。複数の人間が集まる事は家族であっても普段別の場所に住んで居れば許されない。等々非常に厳しいものである。勿論これらの事に違反すれば罰金や場合によっては逮捕される事もある。
この様な状況は自分の過去を振り返っても、日本、英国ともに経験がない。勿論私ばかりでなく殆どの人達には初めての経験であろうと想像する。
こんな状況になると一番心配になる事と言えば、生活する上での必需品の確保であろう。食料品は言うに及ばず薬やマスク、トイレットペーパーが買い占められると言う状況も見られた。
当然の事ではあるが、それらの必需品を手に入れる為にもお金は必要になる。英国政府はロックダウンを宣言した時に中小の事業者に対して、従業員を解雇させない為に休業手当分(給与の80%)を負担することを約束した。今回の新型コロナウイルス問題では世界中の経済が落ち込むことを想定して過去に例を見ない大規模な財政出動も明記されている。
今のロンドン市内は閑散とした状況下にある。街の通りには車の数も少なく、人通りもまばらである。息抜きのためにレストランやパブに行く事も出来ない(全て閉店)。この武漢ウイルスが何時収束するのか先は見えないが、今回の感染がもたらした変化と言えば、街中でマスクをする人が増えたと思う。『マスクは銀行強盗や手術医だけが付けるものでは無い!』と言う新しい文化が生まれたと言えるのかもしれない。早く終息宣言が出されることを期待したい。
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2020/03/28
新型コロナウイルスがもたらした世界の異変
現在世界中の話題を独占している大問題がCovid-19(新型コロナウイルス)である。中国 武漢から発症したウイルスは今や世界中に感染が広がり世界中のニュースは連日この話題に翻弄されている。
当初は中国から1月中頃にこの様なウイルスが武漢の市場で食用として取引される野生動物が原因で広まっていると紹介された。その時点ではその後これ程までに大きな問題になる事を指摘した論調は見られなかった。
しかるに中国の正月である春節辺りから東アジアでも話題になり始めた。後で分かった事は武漢の医師からこのウイルスの感染が昨年末には中国政府に報告されており、その後その医師は拘束され逮捕された事もニュースで知る事となった。2月にその医師が亡くなった事が知れ渡ると、今度はそれらの事実を隠ぺいした中国政府や共産党幹部に対する批判がSNS等で大きくなっていった。
2月に入り日本でも新型コロナウイルスの問題が取り上げられ始めた。中国はこれに先立ち武漢からの団体旅行を禁じる措置にでた、航空機や船舶でも中国からの団体旅行はそれを境にピッタリと止まってしまい、春節のインバウンドを期待していた日本の旅行業界からの悲鳴ともいえるニュースが伝えられ始めた。
イギリスに限って言えばそれまでの数か月はブレグジットが一番の話題であり、『今年の末までにEUとの交渉をまとめる事が出来るのか?』と言う様な論調が主なニュースであった。ところが武漢のウイルス問題が騒がれ始めると、この問題(ブレグジット関連)のニュースは消えてしまった。
イタリアの北部(ベニス、ミラノ等)で最初のアウトブレイク(集団感染)が伝えられると、瞬く間に患者がイタリア全土に広がってしまう事になり、その勢いはフランスやドイツそしてイタリアに次ぐ感染者を出すことになるスペインにも強烈なスピードで蔓延してしまった。当然の事ながら英国でもBBCのみならず全てのニュースメディアのトップは新型コロナウイルスで占められることが連日繰り返されるという前代未聞の状態となってしまった。その大きな原因の一つが、ヨーロッパの首脳達のみならずアメリカの大統領にまで『ウイルスとの戦争状態に入った』というフレーズが何度も聞かれた事である。
この様な状況は今年の初めには誰も想像すらつかなかったと考えられる。先程も少し触れたがこの武漢からのウイルスによりブレグジット問題は何処かへ吹っ飛んでしまった。 加盟国間の人、物、サービス、資本の自由な移動はEUの大きな理念(理想)であったはずだが、今回の新型コロナウイルスの拡散でいち早く各国が国境封鎖を始める事となり、自国民を除く人達は入国すら認められない!と言う国が殆どと言う状態になってきた。
只一つ今回のウイルス問題で救われたと解釈できることが有るとすれば、1月末にEUから離脱した英国には国内政策がいち早く実行できるようになったことが挙げられるのかもしれない。 首相のボリス・ジョンソンが表明した政府の方針『外出自粛・営業自粛を要請という「責任の曖昧なお願い」ではなく,営業禁止という政治的判断』をし,その責任として80%の給与保証をするという決断をしたことはのちには評価される事になるのかもしれない。
武漢発祥の新型コロナウイルスにより各国が抱える問題はこれからもしばらく続くことが予想される。くしくも先日『東京オリンピック2020』が延期される事が発表された。アメリカでも過去に例を見ない景気対策費として2兆ドル(220兆円)もの予算が民主、共和の党派を超えて採択される等と言う非常事態は、年初めには誰が予測できたのであろうか。
前代未聞の決断が要求される新型コロナウイルスが生んだ状況に日本のリーダーはどの様な決断を下すのであろうか?真価が問われている。
当初は中国から1月中頃にこの様なウイルスが武漢の市場で食用として取引される野生動物が原因で広まっていると紹介された。その時点ではその後これ程までに大きな問題になる事を指摘した論調は見られなかった。
しかるに中国の正月である春節辺りから東アジアでも話題になり始めた。後で分かった事は武漢の医師からこのウイルスの感染が昨年末には中国政府に報告されており、その後その医師は拘束され逮捕された事もニュースで知る事となった。2月にその医師が亡くなった事が知れ渡ると、今度はそれらの事実を隠ぺいした中国政府や共産党幹部に対する批判がSNS等で大きくなっていった。
2月に入り日本でも新型コロナウイルスの問題が取り上げられ始めた。中国はこれに先立ち武漢からの団体旅行を禁じる措置にでた、航空機や船舶でも中国からの団体旅行はそれを境にピッタリと止まってしまい、春節のインバウンドを期待していた日本の旅行業界からの悲鳴ともいえるニュースが伝えられ始めた。
イギリスに限って言えばそれまでの数か月はブレグジットが一番の話題であり、『今年の末までにEUとの交渉をまとめる事が出来るのか?』と言う様な論調が主なニュースであった。ところが武漢のウイルス問題が騒がれ始めると、この問題(ブレグジット関連)のニュースは消えてしまった。
イタリアの北部(ベニス、ミラノ等)で最初のアウトブレイク(集団感染)が伝えられると、瞬く間に患者がイタリア全土に広がってしまう事になり、その勢いはフランスやドイツそしてイタリアに次ぐ感染者を出すことになるスペインにも強烈なスピードで蔓延してしまった。当然の事ながら英国でもBBCのみならず全てのニュースメディアのトップは新型コロナウイルスで占められることが連日繰り返されるという前代未聞の状態となってしまった。その大きな原因の一つが、ヨーロッパの首脳達のみならずアメリカの大統領にまで『ウイルスとの戦争状態に入った』というフレーズが何度も聞かれた事である。
この様な状況は今年の初めには誰も想像すらつかなかったと考えられる。先程も少し触れたがこの武漢からのウイルスによりブレグジット問題は何処かへ吹っ飛んでしまった。 加盟国間の人、物、サービス、資本の自由な移動はEUの大きな理念(理想)であったはずだが、今回の新型コロナウイルスの拡散でいち早く各国が国境封鎖を始める事となり、自国民を除く人達は入国すら認められない!と言う国が殆どと言う状態になってきた。
只一つ今回のウイルス問題で救われたと解釈できることが有るとすれば、1月末にEUから離脱した英国には国内政策がいち早く実行できるようになったことが挙げられるのかもしれない。 首相のボリス・ジョンソンが表明した政府の方針『外出自粛・営業自粛を要請という「責任の曖昧なお願い」ではなく,営業禁止という政治的判断』をし,その責任として80%の給与保証をするという決断をしたことはのちには評価される事になるのかもしれない。
武漢発祥の新型コロナウイルスにより各国が抱える問題はこれからもしばらく続くことが予想される。くしくも先日『東京オリンピック2020』が延期される事が発表された。アメリカでも過去に例を見ない景気対策費として2兆ドル(220兆円)もの予算が民主、共和の党派を超えて採択される等と言う非常事態は、年初めには誰が予測できたのであろうか。
前代未聞の決断が要求される新型コロナウイルスが生んだ状況に日本のリーダーはどの様な決断を下すのであろうか?真価が問われている。
2020/02/24
文化の違い、護身の解釈
殆どの日本人は法を良く守る、これは多くの場合 美徳と言っても良いはずである。しかしながら護身(自分の身の安全を自分で守る)と言う場合を考えてみると海外とは少々異なった実態が見えてくる。
法律を守る事で身の安全が守れるか?と言う事を考えるとどうであろうか。確かに法を犯してまで他人に危害を加える事は一般的な人々はしないはずである。しかしながら犯罪者がそのカテゴリーに含まれない事は結果を見れば明白である。
自身の身を守ると言う事は、法律を守って居れば他者からは危害を加えられる事は無い、と言う事とは全く違うと言う事を認識しなければならない。『法律を守ってさえ居れば暴力を振るわれたりする事が無い!』と完全に保証されると言う事であればこの世の中で問題は起きない事になる。犯罪者は法に従わない、あるいはその様な事を無視する事が出来る者が犯罪者なのである。
よく日本の路上で見られる光景の一つに、歩行者が赤信号が緑に変わるまで忍耐強く待っている事を知って居る。これらは日本人社会の良い習慣である事には違いないが、ともするとこの様な認識は性善説が深く根付いている事がその一因の様な気がしてならない。この場合の信号機は法であり、『それを守る事により自身の身の安全を守る事が出来る』という考えは確かに一面においては真実である。しかしながらそこには自分で身を守る為の意識が箕臼と思えるような印象も感じてしまう。
ロンドンやパリではこの様な状況をあまり見かける事はない。警察官が居る前でも全く変わる事はない!東京や大阪で同じ事をしたら即座に警察官から注意をされるか、逮捕されるかも知れない。基本的な事実として『自分の身は自分で守る』あるいは『他者を信用しない』と言う事が根底にあるのかも知れない。法の解釈でも雲泥のさがあるのでは無いだろうか。即座に注意をする日本の警察官においても、目の前で歩行者が法(赤信号)を無視する事に対して注意する事は理解できるが、それにより歩行者が確実に守られると言う保証ではない。
決してロンドンやパリの歩行者を肯定している訳では無く、日本の信号に従う歩行者を揶揄している訳でもない。根底に流れる『自身の身は自分で守る』と言う意識が根底にあるか?無いか?と言う事を考える上で、一つの現象を指摘してみた訳である。
昨年の春ごろと記憶しているが、幼稚園児が道路わきで交通事故に巻き込まれ多数の子供が被害者となる痛ましい事故が有った。この様な状況では子供たちや保育士達に責任が有るとは思えない。しかし若し保育士達の中に、『万が一車が突然に突っ込んできたら』と考える人が居たら子供達を信号で待たせる時の場所(位置)も変わっていたのかも知れない。
基本的な意識の中に法が守ってくれる、と言う気持ちが無意識のうちに働いてはいないか。路上における自身の身(意識)の置き方のみならず、法が自分達を守ってくれる、と考えて居る人が多いのであればこの様な事故は今後も起きるかもしれない。逆に赤信号で渡っている人達の場合には警察官ではなく車を見てから道路を渡る習慣が付いて居ると言えなくもない。
国の安全もしかり、国際法を守らない国が攻め入ってきた時に、同盟国(警察官)や国際法が確実に守ってくれると信じている人達が大半であるとすれば、残念ながらノー天気国家と言われるかも知れない。この様な国の情勢(紛争や戦争)が世界の至る所で現実に起きている事を考えれば『法は必ずしも個人や国の安全を保障してくれるものでは無い』と言う事が理解できるのではないか。
法律を守る事で身の安全が守れるか?と言う事を考えるとどうであろうか。確かに法を犯してまで他人に危害を加える事は一般的な人々はしないはずである。しかしながら犯罪者がそのカテゴリーに含まれない事は結果を見れば明白である。
自身の身を守ると言う事は、法律を守って居れば他者からは危害を加えられる事は無い、と言う事とは全く違うと言う事を認識しなければならない。『法律を守ってさえ居れば暴力を振るわれたりする事が無い!』と完全に保証されると言う事であればこの世の中で問題は起きない事になる。犯罪者は法に従わない、あるいはその様な事を無視する事が出来る者が犯罪者なのである。
よく日本の路上で見られる光景の一つに、歩行者が赤信号が緑に変わるまで忍耐強く待っている事を知って居る。これらは日本人社会の良い習慣である事には違いないが、ともするとこの様な認識は性善説が深く根付いている事がその一因の様な気がしてならない。この場合の信号機は法であり、『それを守る事により自身の身の安全を守る事が出来る』という考えは確かに一面においては真実である。しかしながらそこには自分で身を守る為の意識が箕臼と思えるような印象も感じてしまう。
ロンドンやパリではこの様な状況をあまり見かける事はない。警察官が居る前でも全く変わる事はない!東京や大阪で同じ事をしたら即座に警察官から注意をされるか、逮捕されるかも知れない。基本的な事実として『自分の身は自分で守る』あるいは『他者を信用しない』と言う事が根底にあるのかも知れない。法の解釈でも雲泥のさがあるのでは無いだろうか。即座に注意をする日本の警察官においても、目の前で歩行者が法(赤信号)を無視する事に対して注意する事は理解できるが、それにより歩行者が確実に守られると言う保証ではない。
決してロンドンやパリの歩行者を肯定している訳では無く、日本の信号に従う歩行者を揶揄している訳でもない。根底に流れる『自身の身は自分で守る』と言う意識が根底にあるか?無いか?と言う事を考える上で、一つの現象を指摘してみた訳である。
昨年の春ごろと記憶しているが、幼稚園児が道路わきで交通事故に巻き込まれ多数の子供が被害者となる痛ましい事故が有った。この様な状況では子供たちや保育士達に責任が有るとは思えない。しかし若し保育士達の中に、『万が一車が突然に突っ込んできたら』と考える人が居たら子供達を信号で待たせる時の場所(位置)も変わっていたのかも知れない。
基本的な意識の中に法が守ってくれる、と言う気持ちが無意識のうちに働いてはいないか。路上における自身の身(意識)の置き方のみならず、法が自分達を守ってくれる、と考えて居る人が多いのであればこの様な事故は今後も起きるかもしれない。逆に赤信号で渡っている人達の場合には警察官ではなく車を見てから道路を渡る習慣が付いて居ると言えなくもない。
国の安全もしかり、国際法を守らない国が攻め入ってきた時に、同盟国(警察官)や国際法が確実に守ってくれると信じている人達が大半であるとすれば、残念ながらノー天気国家と言われるかも知れない。この様な国の情勢(紛争や戦争)が世界の至る所で現実に起きている事を考えれば『法は必ずしも個人や国の安全を保障してくれるものでは無い』と言う事が理解できるのではないか。
2019/09/18
日本と英国の共通点
日本と英国はどの様な共通点があるのか?
両国とも海洋国家(島国)である。大陸は間近な距離ではあっても繋がっては居ない。
明治維新後の日本は西欧の国々に多くの事を学び取り入れてきた歴史がある。
その様な中で面白い現象が有る。日本と英国は共に自国語で外国の地名や人名を語る。日本では中国の事を『チュウゴク』と呼ぶ。北京は『ペキン』習近平は『シュウキンペイ』現在世界が注目している香港行政府の長は林鄭 月娥『リンテイゲツガ』つまり漢字文化の中国は地名、人名等も日本読みが普通である。
イギリスでは漢字文化の国をオリジナルに近い発音で呼ぶことが普通である。中国は『チャイナ』北京は『ベイジン』そして習近平は『シージンピン』林鄭 月娥は『キャリー・ラム』と言う具合である。
逆にアルファベット文化の国に対して日本と英国では上記と逆になる。つまり日本がオーストリアの首都を言う時『ウィーン』、我々が指導者講習会をやった国は『キプロス』、チェコの首都は『プラハ』、ベルギーの首都は『ブリュッセル』と言うはずである。
ではイギリス人はオーストリアの首都を『ヴィエナ』、キプロスは『サイプロス』、チェコの首都は『プラグ』そしてベルギーの首都は『ブラッセル』と言う具合で若干ではあるが違っている。初めて聞いた時『ヴィエナ』が『ウィーン』だとは想像すらつかなかった。
日本はアルファベットの文化圏ではオリジナルに近い呼び方をとり、逆に漢字文化圏の地名や人名では、他国の人には通用しない意味不明な日本語読みになる。英国も漢字文化の国はオリジナル・アクセントに近く、逆にアルファベットが使われる場合には外国人には分かりづらい呼び方と言える。
それ以外の言語における特徴は分からないが、ともに島国の日本と英国は面白い共通点と言えるのかもしれない。
次の呼び方は何だか分かるかな?
1. コジェット Courgette
2. ヴィークル Vehicle
3. フローレンス Florence
4. ヴォラディヴォストック Vladivostok
5. ズーリック Zurich
両国とも海洋国家(島国)である。大陸は間近な距離ではあっても繋がっては居ない。
明治維新後の日本は西欧の国々に多くの事を学び取り入れてきた歴史がある。
その様な中で面白い現象が有る。日本と英国は共に自国語で外国の地名や人名を語る。日本では中国の事を『チュウゴク』と呼ぶ。北京は『ペキン』習近平は『シュウキンペイ』現在世界が注目している香港行政府の長は林鄭 月娥『リンテイゲツガ』つまり漢字文化の中国は地名、人名等も日本読みが普通である。
イギリスでは漢字文化の国をオリジナルに近い発音で呼ぶことが普通である。中国は『チャイナ』北京は『ベイジン』そして習近平は『シージンピン』林鄭 月娥は『キャリー・ラム』と言う具合である。
逆にアルファベット文化の国に対して日本と英国では上記と逆になる。つまり日本がオーストリアの首都を言う時『ウィーン』、我々が指導者講習会をやった国は『キプロス』、チェコの首都は『プラハ』、ベルギーの首都は『ブリュッセル』と言うはずである。
ではイギリス人はオーストリアの首都を『ヴィエナ』、キプロスは『サイプロス』、チェコの首都は『プラグ』そしてベルギーの首都は『ブラッセル』と言う具合で若干ではあるが違っている。初めて聞いた時『ヴィエナ』が『ウィーン』だとは想像すらつかなかった。
日本はアルファベットの文化圏ではオリジナルに近い呼び方をとり、逆に漢字文化圏の地名や人名では、他国の人には通用しない意味不明な日本語読みになる。英国も漢字文化の国はオリジナル・アクセントに近く、逆にアルファベットが使われる場合には外国人には分かりづらい呼び方と言える。
それ以外の言語における特徴は分からないが、ともに島国の日本と英国は面白い共通点と言えるのかもしれない。
次の呼び方は何だか分かるかな?
1. コジェット Courgette
2. ヴィークル Vehicle
3. フローレンス Florence
4. ヴォラディヴォストック Vladivostok
5. ズーリック Zurich
2019/08/13
手軽に楽しめるYoutube、見る側が試される訳!
昨今の時代変化の一つにYoutuberが挙げられるかもしれない。映像を自分から発信して趣味の世界からプロの仕事まであらゆる映像を見ることが出来る。もちろん少林寺拳法の映像も沢山出て来るが、他のジャンルと同じで質の良いものからひどい内容のものまで千差万別の感がある。と言う事はどのジャンルでも見る側の知識(知恵)が必要であることは言うまでもない。
先の参議院選挙の時も実に多くの面白い映像が出ていた。それらの中にはこれまでの選挙ではありえなかった様なアジェンダ(公約)やキャッチコピーが出てきて、過去の選挙では見られなかった様な人達の活躍が目を引いた。NHKだけを標的としたアピールや、元号を幕末の新選組と組み合わせた名称など有権者に分かりやすい(選択しやすい)アジェンダを主張する事には、これまでにない新しい政治の動きが感じられた。これらの人達に共通する新しいアピールにYoutubeが大きな役割を果たした事は言うまでもない。
料理の映像も沢山ある。確かに鮮やかに料理をする映像にはいかにも旨そうな印象を受けるが、その出来上がった料理がどの様な評価を受けるのかは定かではない。見事に魚を捌く板前から寿司職人、そして和食、中華、洋食そしてストリートフードの様なあらゆるジャンルの露店料理まで、世界中の食文化の一片をそれらの中に見る事が出来る。ただ確かに見た目には旨そうでは有っても実際の味は食べてみるまでは定かではない事も確かである。
武道のYoutubeについても非常に興味深いものが沢山ある。日本ばかりではなく世界中の格闘技からボクシングや武道まで、あらゆる格闘技の映像が楽しめる。ただ先にも書いたようにこの分野も例外では無くひどいものが沢山ある。私は他の武道の事を評価するつもりは無いが、少林寺拳法の動画には指導者の一人として厳しい評価もしなければならないと考える。特に酷いと思うものは技の名称とやっている技がマッチしないものや、技術的観点からも、おそらく自身の弟子以外には通用しないであろうと思われる映像が度々あるのも事実である。日本以外の国の指導者が指導(説明)している技と名称が異なる事はある程度理解は出来るが、それでもそれらの間違った情報を元に指導を受けた拳士が世界で広まっていく事を考えると、簡単に諦めて良い問題ではないように思える。
諸々の分野の情報が簡単に手に入るYoutubeであればこそ、楽しむ側の知識とそれらの内容を吟味できる眼力が試されているのかもしれない。今Youtubeが面白い!
先の参議院選挙の時も実に多くの面白い映像が出ていた。それらの中にはこれまでの選挙ではありえなかった様なアジェンダ(公約)やキャッチコピーが出てきて、過去の選挙では見られなかった様な人達の活躍が目を引いた。NHKだけを標的としたアピールや、元号を幕末の新選組と組み合わせた名称など有権者に分かりやすい(選択しやすい)アジェンダを主張する事には、これまでにない新しい政治の動きが感じられた。これらの人達に共通する新しいアピールにYoutubeが大きな役割を果たした事は言うまでもない。
料理の映像も沢山ある。確かに鮮やかに料理をする映像にはいかにも旨そうな印象を受けるが、その出来上がった料理がどの様な評価を受けるのかは定かではない。見事に魚を捌く板前から寿司職人、そして和食、中華、洋食そしてストリートフードの様なあらゆるジャンルの露店料理まで、世界中の食文化の一片をそれらの中に見る事が出来る。ただ確かに見た目には旨そうでは有っても実際の味は食べてみるまでは定かではない事も確かである。
武道のYoutubeについても非常に興味深いものが沢山ある。日本ばかりではなく世界中の格闘技からボクシングや武道まで、あらゆる格闘技の映像が楽しめる。ただ先にも書いたようにこの分野も例外では無くひどいものが沢山ある。私は他の武道の事を評価するつもりは無いが、少林寺拳法の動画には指導者の一人として厳しい評価もしなければならないと考える。特に酷いと思うものは技の名称とやっている技がマッチしないものや、技術的観点からも、おそらく自身の弟子以外には通用しないであろうと思われる映像が度々あるのも事実である。日本以外の国の指導者が指導(説明)している技と名称が異なる事はある程度理解は出来るが、それでもそれらの間違った情報を元に指導を受けた拳士が世界で広まっていく事を考えると、簡単に諦めて良い問題ではないように思える。
諸々の分野の情報が簡単に手に入るYoutubeであればこそ、楽しむ側の知識とそれらの内容を吟味できる眼力が試されているのかもしれない。今Youtubeが面白い!
2019/08/06
最強の日本ウイスキー
最近のウイスキーはどれも旨いと感じるものが多い。特に日本のウイスキーがこのところ注目を集めて居るようである。以前のNHK連ドラでマッサンと言うのがあった、それがブームの火付け役かも知れないが、ともかく日本製ウイスキーが最近とても高額になり入手が困難な状態になりつつある。
なぜその様に日本のウイスキーが高騰しているのか?と言えば何もマッサンばかりが影響しているとは思えない。ウイスキーやブランデーの様な蒸留酒には何年もの時間が必要であることは知られている事実だ。しかしながら何らかのきっかけである銘柄のウイスキーが予想以上に沢山売れた事により、そのウイスキーを短時間で作る事が出来ないことが主な原因だと想像される。
近年ヨーロッパの名だたるウイスキーのコンテストで日本のウイスキーが優勝するなど良い成績を収めた事により、それ以前にはあまり注目をされることもなかった日本産ウイスキーが一躍世界中から注目されることになった事も原因ではないかと思う。
言うまでもなくウイスキーの産地はスコットランドやアイルランド、そしてアメリカではバーボンがありカナディアンも有名である。そこから作り出されるシングルモルトやブレンデッドのウイスキーはこれまでも大きな評価を得てきた。
以前の日本産ウイスキーは世界中でそれ程大きな評価は受けてこなかった様に思う。ところが近年の有名なウイスキーコンテストで高評価を受けた大きな要因には、ブラインドテスト(銘柄を明かさないテースティング)による優勝が挙げられる。我々が成人したころの日本産ウイスキーは評価も非常に低かった。スコットランドの無名な蒸留所のウイスキーを輸入して日本で造られた新酒とブレンデッドのウイスキーを作ったりしていた事もあった。それが全部悪いと言っている訳ではない、そこから学ぶ事も多かったと思う。
多くのスコッチウイスキーは結構個性が強い特徴があり、それがまた愛好家に支持される所以なのかもしれない。スコッチウイスキーはシングルモルトがその代表格だと思う。ハイランドやローランドモルトなどと呼ばれ、それらの蒸留所の場所からくる個性を特徴としている。
又は○○アイル等の島で生産されるウイスキーは結構強いスモーキーなフレーバーを特徴としているものが沢山ある。日本人の好みとはおそらく逆のテイストではないかと思うが、なんでもマッサンの主人公はスコッチのスモーキーなフレーバーにもこだわりが有ったとストーリーの中で紹介されていた記憶がある。そのこだわりから見つけた北海道の余市と言う場所がスコットランドの環境に似ていた事がその後のウイスキー生産に繋がったと言う事らしい。
偉そうに講釈を申し述べるほど小生にウイスキーの知識は無い。しかしながら今日世界が認めた日本産ウイスキーが次々に販売が中止になったり、プレミアの付いたウイスキーがとんでもない値段で取引されると言う現象には全く残念としか言いようが無い。 せっかく世界で評価された日本のウイスキーは買い占めなんぞしないで欲しい。それでなければこの様な時流(日本のウイスキーがもてはやされる)も一過性で終わる様な事も十分に考えられるのではないか。
最近ではロンドンのスーパーでウイスキーが並ぶ棚には日本産ウイスキーの銘柄も散見する。20年前では考える事も出来なかったことだ。世界を席巻する昨今の日本産ウイスキーが、将来的にも世界中から末永く愛され続けて欲しいと願うものである。これ等日本産ウイスキーもこだわりが生んだ日本の名産品として、オリジンを超える評価を後世に残して欲しいと願うばかりである。単なる呑兵衛の与太話にお付き合いいただき恐悦です。
なぜその様に日本のウイスキーが高騰しているのか?と言えば何もマッサンばかりが影響しているとは思えない。ウイスキーやブランデーの様な蒸留酒には何年もの時間が必要であることは知られている事実だ。しかしながら何らかのきっかけである銘柄のウイスキーが予想以上に沢山売れた事により、そのウイスキーを短時間で作る事が出来ないことが主な原因だと想像される。
近年ヨーロッパの名だたるウイスキーのコンテストで日本のウイスキーが優勝するなど良い成績を収めた事により、それ以前にはあまり注目をされることもなかった日本産ウイスキーが一躍世界中から注目されることになった事も原因ではないかと思う。
言うまでもなくウイスキーの産地はスコットランドやアイルランド、そしてアメリカではバーボンがありカナディアンも有名である。そこから作り出されるシングルモルトやブレンデッドのウイスキーはこれまでも大きな評価を得てきた。
以前の日本産ウイスキーは世界中でそれ程大きな評価は受けてこなかった様に思う。ところが近年の有名なウイスキーコンテストで高評価を受けた大きな要因には、ブラインドテスト(銘柄を明かさないテースティング)による優勝が挙げられる。我々が成人したころの日本産ウイスキーは評価も非常に低かった。スコットランドの無名な蒸留所のウイスキーを輸入して日本で造られた新酒とブレンデッドのウイスキーを作ったりしていた事もあった。それが全部悪いと言っている訳ではない、そこから学ぶ事も多かったと思う。
多くのスコッチウイスキーは結構個性が強い特徴があり、それがまた愛好家に支持される所以なのかもしれない。スコッチウイスキーはシングルモルトがその代表格だと思う。ハイランドやローランドモルトなどと呼ばれ、それらの蒸留所の場所からくる個性を特徴としている。
又は○○アイル等の島で生産されるウイスキーは結構強いスモーキーなフレーバーを特徴としているものが沢山ある。日本人の好みとはおそらく逆のテイストではないかと思うが、なんでもマッサンの主人公はスコッチのスモーキーなフレーバーにもこだわりが有ったとストーリーの中で紹介されていた記憶がある。そのこだわりから見つけた北海道の余市と言う場所がスコットランドの環境に似ていた事がその後のウイスキー生産に繋がったと言う事らしい。
偉そうに講釈を申し述べるほど小生にウイスキーの知識は無い。しかしながら今日世界が認めた日本産ウイスキーが次々に販売が中止になったり、プレミアの付いたウイスキーがとんでもない値段で取引されると言う現象には全く残念としか言いようが無い。 せっかく世界で評価された日本のウイスキーは買い占めなんぞしないで欲しい。それでなければこの様な時流(日本のウイスキーがもてはやされる)も一過性で終わる様な事も十分に考えられるのではないか。
最近ではロンドンのスーパーでウイスキーが並ぶ棚には日本産ウイスキーの銘柄も散見する。20年前では考える事も出来なかったことだ。世界を席巻する昨今の日本産ウイスキーが、将来的にも世界中から末永く愛され続けて欲しいと願うものである。これ等日本産ウイスキーもこだわりが生んだ日本の名産品として、オリジンを超える評価を後世に残して欲しいと願うばかりである。単なる呑兵衛の与太話にお付き合いいただき恐悦です。
2019/07/15
面倒な事(リスク)は誰でも嫌い!それで良いのか日本人?
国立感染症研究所でエボラ出血熱のウイルスを輸入して研究する事への地元住民の反対者の意見をニュースが取り上げていた。この様な例はいくらでもある。頭では必要と分かっていても自分に近いところでその様なリスクを受け入れる事への嫌悪感である。
原発の出す使用済み核燃料の中間貯蔵施設(?)も変な名称からも分かるように、この場合は最終処分場ではない!中間貯蔵施設の設置が難しい段階で、最終処分場が決まる訳もない。しかし安い電力の為(?)に原発は必要である。福島の原発事故以来コストにおいても嘘がばれた訳ではあるが、現在でも経済界等はその様に主張している。
弾道ミサイル防衛システムの設置場所に関しても同様な反応が見られ、候補地として選ばれた市長から意見が出ている。北朝鮮や中国脅威論を振りかざすことで、「日本の国土を守る為にはこの様な防衛システムは欠かせない!?」と言う理屈でイージス艦やパトリオットPAC-3システム、THAADミサイル・システム等と言う、途方もない金額の防衛システムが次々と米国から出てくる。それらを買わされるのは日本政府ではあっても、それらの原資は国民の税金である事は言うまでもない。
今回はそれらの防衛システムが必要か否かと言う話ではない。それらのシステムが必要であると結論が出たと仮定して、ではそれらの配備をどこにするのか?と言う時の問題点の事である。弾道ミサイル迎撃システム(イージスアショア)設置が秋田市と山口県萩市と発表されると、地元の市長等から出された懸念や反対意見の事である。その様な防衛システムでもイージス艦の場合には同様な反対意見は少ない様に感じる。
とどのつまり頭では日本の安全や市民を守る為には病理研究の為の研究施設や防衛システムが必要と分かっていても、では自分達の地元にそれらの施設が作られる場合には反対すると言うDouble Standard(二重基準)に危険性は無いのか?との視点がその論拠である。
F35と言うステルス機能を持つ戦闘機が配備される。それらの戦闘機が『優れた戦闘能力を持つから日本の安全を守る為には必要である』と言う結論に達したとして、それらが配備されると決まった地域の人達がどの様な反応を起こすのか。オスプレーと言う飛行機とヘリコプターを足した様な兵員輸送のヘリが事故を起こした時にも同様な反応が出ている。普天間への配備には沖縄県民以外からはそれ程強い反対意見が出なかったが、それ以外の本土への配備計画が計画の段階で漏れた様なときには、それらの関係する地域からは猛烈な反対運動も起きている。
言い換えればこれが日本人のメンタリティかも知れない。遠い沖縄の事であれば自分たちの生活にはそれ程大きな影響もない!故にデモをする程の問題ではない。一旦それが自分たちの地元と分かると今度は強烈な反対運動が起きている。原発問題と同根なのだと言う事を多くの人達は気が付き始めているのではないか。
繰り返すが、原発が必要か否か、とか安全保障の為にステルス戦闘機やオスプレー、そして弾道防衛ミサイルが必要か否か?と言う事を言って居るのでは無い!そこにある自分達に影響(被害、リスク等)が無い場合には無関心、そして何らかの影響が出る場合には猛反発と言う二面性の事にフォーカスを当てている訳である。
これらの現象を実に上手く利用して居る事が政治の世界ではよく見られる。沖縄の普天間米軍基地の辺野古への移設問題を例にとって考えれば、ある程度ボヤっとしたものが見えて来るようには感じられるのでは無いのか?
そこには一国の総理大臣でも変える事が難しい大きな現実(力)が働いている事もおぼろげには分かるのではないか。
沖縄県民が抱える問題(不満)、米軍基地の70%が沖縄に集中していると言う現実を『少しでも変えたい!』と言い出した時の総理大臣の思い自体は間違っては居ないと思う。一国の首相でも変えられない力が働いている事を感じたのは、それらを何とか解決したい『移設先は海外か県外に』と言う言動が、官僚や他党の国会議員などから集中砲火を浴び、情報が意図的にリークされ続けた事にある。他県の島に移転先を模索しただけで、潰されてしまった現実を見て思ったことは『彼の主張はそれ程までに突拍子もない事なのか』と言う単純な理由から来ている。
もちろんこれらの裏事情にそれ程詳しい訳では無いが、政府間で取り決められた約束事であるかの如く、メディアもTVニュースも否定的にしか取り上げなかった。沖縄県民の民意は我関せずと全く無視をする他府県人の態度に対しての違和感だった。『日米地位協定で定められた事は、一総理大臣の力では変えられない』と言う事を知った時である。
日本の安全保障と言う事に関して言えば誰も必要性は認めるであろう。しかしその為に『自分達の住んでいるところに米軍基地が来る事には反対!』沖縄は自分たちの住んで居る所からは遠いので問題(影響)は無い、米軍基地は中国や北朝鮮からの軍事的脅威に対抗する為には位置的に沖縄に米軍の基地が必要である、『わが県にはその必要は無い!』と私には聞こえる。
先のブログで軍産複合体の事に少し触れた。一般の日本人もほとんどのアメリカ人にも関心の低い話題ではある。しかしながらその実態とは、ある意味では非常に残虐(悪賢い)で危険な複合体である事も近年少しづつ分かってきた。海外における日本の研究者は、日本に対してシンパシー(好感情)を持っている人ばかりとは限らない!と言う事を知る必要がある。ある一握りの研究者は日本の弱点ばかりを研究しているグループも確実に存在する。その様な人たちが出した報告書は戦略家(政治家)にとってはこの上ない好材料である事は言うまでもない。
日本が世界でアメリカだけから最も高い兵器や防衛システムを次々に買わされて居る現実はなぜなのか? 現実の問題は別としても、多くの日本人は近隣諸国の脅威が間近に迫っていると感じているのかもしれないが。しかしその様な現象を意図的に作り出している人達の事は中々一般の目には触れない。『恐怖も不信も非常に好都合な商売の道具になりうる』と言う事を私達に伝えたかったのが宗道臣(旧日本軍諜報員)ではなかったのか、今その言葉の意味するところ『眼光紙背に徹す』を思い出しているが、この言葉の意味するところは非常に重い。
他者への無関心、自身だけの都合、この様な現象はある種の人達には非常に使い勝手の良い(利用されやすい)材料を提供する事を、今一度心に止めておく必要があると思う。『半ばは自己の幸せを半ばは他人の幸せを』を死語にしない為にも
原発の出す使用済み核燃料の中間貯蔵施設(?)も変な名称からも分かるように、この場合は最終処分場ではない!中間貯蔵施設の設置が難しい段階で、最終処分場が決まる訳もない。しかし安い電力の為(?)に原発は必要である。福島の原発事故以来コストにおいても嘘がばれた訳ではあるが、現在でも経済界等はその様に主張している。
弾道ミサイル防衛システムの設置場所に関しても同様な反応が見られ、候補地として選ばれた市長から意見が出ている。北朝鮮や中国脅威論を振りかざすことで、「日本の国土を守る為にはこの様な防衛システムは欠かせない!?」と言う理屈でイージス艦やパトリオットPAC-3システム、THAADミサイル・システム等と言う、途方もない金額の防衛システムが次々と米国から出てくる。それらを買わされるのは日本政府ではあっても、それらの原資は国民の税金である事は言うまでもない。
今回はそれらの防衛システムが必要か否かと言う話ではない。それらのシステムが必要であると結論が出たと仮定して、ではそれらの配備をどこにするのか?と言う時の問題点の事である。弾道ミサイル迎撃システム(イージスアショア)設置が秋田市と山口県萩市と発表されると、地元の市長等から出された懸念や反対意見の事である。その様な防衛システムでもイージス艦の場合には同様な反対意見は少ない様に感じる。
とどのつまり頭では日本の安全や市民を守る為には病理研究の為の研究施設や防衛システムが必要と分かっていても、では自分達の地元にそれらの施設が作られる場合には反対すると言うDouble Standard(二重基準)に危険性は無いのか?との視点がその論拠である。
F35と言うステルス機能を持つ戦闘機が配備される。それらの戦闘機が『優れた戦闘能力を持つから日本の安全を守る為には必要である』と言う結論に達したとして、それらが配備されると決まった地域の人達がどの様な反応を起こすのか。オスプレーと言う飛行機とヘリコプターを足した様な兵員輸送のヘリが事故を起こした時にも同様な反応が出ている。普天間への配備には沖縄県民以外からはそれ程強い反対意見が出なかったが、それ以外の本土への配備計画が計画の段階で漏れた様なときには、それらの関係する地域からは猛烈な反対運動も起きている。
言い換えればこれが日本人のメンタリティかも知れない。遠い沖縄の事であれば自分たちの生活にはそれ程大きな影響もない!故にデモをする程の問題ではない。一旦それが自分たちの地元と分かると今度は強烈な反対運動が起きている。原発問題と同根なのだと言う事を多くの人達は気が付き始めているのではないか。
繰り返すが、原発が必要か否か、とか安全保障の為にステルス戦闘機やオスプレー、そして弾道防衛ミサイルが必要か否か?と言う事を言って居るのでは無い!そこにある自分達に影響(被害、リスク等)が無い場合には無関心、そして何らかの影響が出る場合には猛反発と言う二面性の事にフォーカスを当てている訳である。
これらの現象を実に上手く利用して居る事が政治の世界ではよく見られる。沖縄の普天間米軍基地の辺野古への移設問題を例にとって考えれば、ある程度ボヤっとしたものが見えて来るようには感じられるのでは無いのか?
そこには一国の総理大臣でも変える事が難しい大きな現実(力)が働いている事もおぼろげには分かるのではないか。
沖縄県民が抱える問題(不満)、米軍基地の70%が沖縄に集中していると言う現実を『少しでも変えたい!』と言い出した時の総理大臣の思い自体は間違っては居ないと思う。一国の首相でも変えられない力が働いている事を感じたのは、それらを何とか解決したい『移設先は海外か県外に』と言う言動が、官僚や他党の国会議員などから集中砲火を浴び、情報が意図的にリークされ続けた事にある。他県の島に移転先を模索しただけで、潰されてしまった現実を見て思ったことは『彼の主張はそれ程までに突拍子もない事なのか』と言う単純な理由から来ている。
もちろんこれらの裏事情にそれ程詳しい訳では無いが、政府間で取り決められた約束事であるかの如く、メディアもTVニュースも否定的にしか取り上げなかった。沖縄県民の民意は我関せずと全く無視をする他府県人の態度に対しての違和感だった。『日米地位協定で定められた事は、一総理大臣の力では変えられない』と言う事を知った時である。
日本の安全保障と言う事に関して言えば誰も必要性は認めるであろう。しかしその為に『自分達の住んでいるところに米軍基地が来る事には反対!』沖縄は自分たちの住んで居る所からは遠いので問題(影響)は無い、米軍基地は中国や北朝鮮からの軍事的脅威に対抗する為には位置的に沖縄に米軍の基地が必要である、『わが県にはその必要は無い!』と私には聞こえる。
先のブログで軍産複合体の事に少し触れた。一般の日本人もほとんどのアメリカ人にも関心の低い話題ではある。しかしながらその実態とは、ある意味では非常に残虐(悪賢い)で危険な複合体である事も近年少しづつ分かってきた。海外における日本の研究者は、日本に対してシンパシー(好感情)を持っている人ばかりとは限らない!と言う事を知る必要がある。ある一握りの研究者は日本の弱点ばかりを研究しているグループも確実に存在する。その様な人たちが出した報告書は戦略家(政治家)にとってはこの上ない好材料である事は言うまでもない。
日本が世界でアメリカだけから最も高い兵器や防衛システムを次々に買わされて居る現実はなぜなのか? 現実の問題は別としても、多くの日本人は近隣諸国の脅威が間近に迫っていると感じているのかもしれないが。しかしその様な現象を意図的に作り出している人達の事は中々一般の目には触れない。『恐怖も不信も非常に好都合な商売の道具になりうる』と言う事を私達に伝えたかったのが宗道臣(旧日本軍諜報員)ではなかったのか、今その言葉の意味するところ『眼光紙背に徹す』を思い出しているが、この言葉の意味するところは非常に重い。
他者への無関心、自身だけの都合、この様な現象はある種の人達には非常に使い勝手の良い(利用されやすい)材料を提供する事を、今一度心に止めておく必要があると思う。『半ばは自己の幸せを半ばは他人の幸せを』を死語にしない為にも
2019/06/10
日本は世界の先進国?
多くの日本人は概ね『日本は世界の最先端を行っている』と信じている人が多いのではないか。確かに工業製品やファッション等を見ればそれも一理あると思う。しかしながら現実の社会で起きている実態を目の当たりにすると「?」と思わされることが度々ある事も何度か見てきた。
つい最近では日本政府からの要請(指導?)で携帯電話の料金値下げがあった。これ等も本来の自由主義経済の先進国であればとっくの昔に自由な料金設定が選べることが普通である。しかしながら日本においては大手の携帯キャリアが独占的に料金を設定し、談合ではないと思うが明らかに利用者不利の料金体系がまかり通ってきた。
日本国内に住む友人に携帯電話に掛かる料金を聞かされ『なぜシムフリーの会社に変えないの?』と質問したことがある。その時の友人は『シムフリー』と言う事自体が理解できなかった様であったが、日本ではこの様な選択が殆ど紹介されておらず、ほとんどの携帯ユーザーは大手キャリアの料金設定を疑いもなく受け入れていた事になる。
私もそれ程携帯料金に詳しい訳ではないが自分の携帯電話の料金契約はシムフリーであり、1か月の料金は£7.50≒¥1,050と言う具合で日本の様な金額とは大きくかけ離れている事は言うまでもない。この様な携帯電話のキャリア選択肢は英国では非常に多い。ワイフの契約もシムフリーで1か月の料金は£3.50 ≒¥490でありもっと安い事になる。
海外旅行等に出かけた人達は日本とはかけ離れた料金の安さや、自由な選択が出来る事に気が付いた人も居たと思う。しかしながら日本国内においてそれらの安い料金体制を選択する余地が無い事が今日まで続いてきたことになる。最終的には政府の指導により大手キャリアがしかたなく従う構造(?)にはもしこのまま政府が動かなければまだまだ大手キャリアの傲慢な体制は続いた事であろうと推測できる。
携帯電話ばかりの話ではない。LCCと呼ばれる格安航空の世界も日本での登場は大変遅かった記憶がある。ヨーロッパやアメリカではこの様な格安航空は随分早く90年代中頃から始まっている。
当初はジーンズ姿のキャビンクルー(搭乗員)が登場して料金の安さと相まって随分と話題になった。冗談の様な料金でキャンペーンが度々あり、私も利用したことがある。確か2005年頃にキャンペーンでロンドンからイタリアのベニスまでの航空運賃が往復10ペンス≒15円であった。冗談の様な値段だったが普通の観光旅行には何の問題もなかった。私は息子と2人で参加したが自宅から飛行場までの電車賃の方が遥かに高かった。もちろんこれ等は格安航空が広告を目的としたキャンペーンであった事は言うまでもないが、それらの航空会社をその後も利用したが相変わらず大手の航空運賃に比べれば三分の一以下で飛べるものが沢山あった。
これらの情報は当然の事ながら日本の大手航空会社は知って居たであろう事は容易に想像できた。それらのLCC各社が成功をおさめその後も多くのLCCが登場したわけである。しかし日本のマーケットと言えばLCCが登場したのは遥か後の事で2010年頃まで待たねばならなかった。それも近隣諸国からのLCC乗り入れ圧力があって初めて日本の航空業界も動かざるを得なかったのだと思われる。
今一つはIT業界の話である。現在でこそスマホが中心となりLINE等のフーリートークやビデオ会話が日本の社会でも普及してきたが、私がSkypeと言う同様なサービスを使い始めたのは弟子の拳士に紹介された事が切掛けであった。確か2005年頃でありパソコンを使い無料でビデオ会話が出来ると言う事で早速使い始めたことを記憶している。当初はビデオの画質も悪く、通信回線も遅かった事もあり今ほど快適ではなかったが、いかんせんタダで日本や海外と映像を見てパソコン上で会話が出来ると言う事で日本の友人達にも勧めた。それ以前の国際電話料金の高さを考えると非常にありがたかった事を記憶している。
現在の環境はスマホが中心になり欧米での使用が多いSkypeやWhatsAppのみならずLINEが韓国主導により日本で開発されて日本人社会でも普通に使われる様になってきた。これ等は全くのパクリ文化の国が先にやった訳で日本もその恩恵にあずかっているわけであるが、NTTをはじめとする大手のキャリア等はとっくに欧米でのフリービデオ通話等の利用状況等は知って居たであろう。
この様に見てくれば日本社会が抱える問題点は、世界の先進国どころか近隣諸国の方が先に取り入れている事が分かる。これらは何を意味しているのか。日本国内の大手の事業者と官僚、政界の談合(癒着)の体質ではないだろうか? 一頃アメリカの同様な問題点を軍産複合体(Industrial military complex)と呼び批判的な日本のメディアが紹介する記事を何度か目にした事が有った。ネオコンと兵器産業そして政界の繋がりを意味した言葉ではあったが、見方を変えれば日本社会の現状も兵器産業でこそないが仕組みとしてはアメリカの軍産複合体と似たような構造である事が理解できる。
日本のマスコミがこの様な問題点を指摘している記事を見た事が無い。マスコミ関係者にとっても見て見ぬふりをするならば、それ等を言い換えれば『寄らば大樹の陰』と言う事なのであろうか? その様な一般市民の利益を代弁しない報道姿勢は、マスゴミやフェイクニュースと呼ばれるのが昨今の状況である。
つい最近では日本政府からの要請(指導?)で携帯電話の料金値下げがあった。これ等も本来の自由主義経済の先進国であればとっくの昔に自由な料金設定が選べることが普通である。しかしながら日本においては大手の携帯キャリアが独占的に料金を設定し、談合ではないと思うが明らかに利用者不利の料金体系がまかり通ってきた。
日本国内に住む友人に携帯電話に掛かる料金を聞かされ『なぜシムフリーの会社に変えないの?』と質問したことがある。その時の友人は『シムフリー』と言う事自体が理解できなかった様であったが、日本ではこの様な選択が殆ど紹介されておらず、ほとんどの携帯ユーザーは大手キャリアの料金設定を疑いもなく受け入れていた事になる。
私もそれ程携帯料金に詳しい訳ではないが自分の携帯電話の料金契約はシムフリーであり、1か月の料金は£7.50≒¥1,050と言う具合で日本の様な金額とは大きくかけ離れている事は言うまでもない。この様な携帯電話のキャリア選択肢は英国では非常に多い。ワイフの契約もシムフリーで1か月の料金は£3.50 ≒¥490でありもっと安い事になる。
海外旅行等に出かけた人達は日本とはかけ離れた料金の安さや、自由な選択が出来る事に気が付いた人も居たと思う。しかしながら日本国内においてそれらの安い料金体制を選択する余地が無い事が今日まで続いてきたことになる。最終的には政府の指導により大手キャリアがしかたなく従う構造(?)にはもしこのまま政府が動かなければまだまだ大手キャリアの傲慢な体制は続いた事であろうと推測できる。
携帯電話ばかりの話ではない。LCCと呼ばれる格安航空の世界も日本での登場は大変遅かった記憶がある。ヨーロッパやアメリカではこの様な格安航空は随分早く90年代中頃から始まっている。
当初はジーンズ姿のキャビンクルー(搭乗員)が登場して料金の安さと相まって随分と話題になった。冗談の様な料金でキャンペーンが度々あり、私も利用したことがある。確か2005年頃にキャンペーンでロンドンからイタリアのベニスまでの航空運賃が往復10ペンス≒15円であった。冗談の様な値段だったが普通の観光旅行には何の問題もなかった。私は息子と2人で参加したが自宅から飛行場までの電車賃の方が遥かに高かった。もちろんこれ等は格安航空が広告を目的としたキャンペーンであった事は言うまでもないが、それらの航空会社をその後も利用したが相変わらず大手の航空運賃に比べれば三分の一以下で飛べるものが沢山あった。
これらの情報は当然の事ながら日本の大手航空会社は知って居たであろう事は容易に想像できた。それらのLCC各社が成功をおさめその後も多くのLCCが登場したわけである。しかし日本のマーケットと言えばLCCが登場したのは遥か後の事で2010年頃まで待たねばならなかった。それも近隣諸国からのLCC乗り入れ圧力があって初めて日本の航空業界も動かざるを得なかったのだと思われる。
今一つはIT業界の話である。現在でこそスマホが中心となりLINE等のフーリートークやビデオ会話が日本の社会でも普及してきたが、私がSkypeと言う同様なサービスを使い始めたのは弟子の拳士に紹介された事が切掛けであった。確か2005年頃でありパソコンを使い無料でビデオ会話が出来ると言う事で早速使い始めたことを記憶している。当初はビデオの画質も悪く、通信回線も遅かった事もあり今ほど快適ではなかったが、いかんせんタダで日本や海外と映像を見てパソコン上で会話が出来ると言う事で日本の友人達にも勧めた。それ以前の国際電話料金の高さを考えると非常にありがたかった事を記憶している。
現在の環境はスマホが中心になり欧米での使用が多いSkypeやWhatsAppのみならずLINEが韓国主導により日本で開発されて日本人社会でも普通に使われる様になってきた。これ等は全くのパクリ文化の国が先にやった訳で日本もその恩恵にあずかっているわけであるが、NTTをはじめとする大手のキャリア等はとっくに欧米でのフリービデオ通話等の利用状況等は知って居たであろう。
この様に見てくれば日本社会が抱える問題点は、世界の先進国どころか近隣諸国の方が先に取り入れている事が分かる。これらは何を意味しているのか。日本国内の大手の事業者と官僚、政界の談合(癒着)の体質ではないだろうか? 一頃アメリカの同様な問題点を軍産複合体(Industrial military complex)と呼び批判的な日本のメディアが紹介する記事を何度か目にした事が有った。ネオコンと兵器産業そして政界の繋がりを意味した言葉ではあったが、見方を変えれば日本社会の現状も兵器産業でこそないが仕組みとしてはアメリカの軍産複合体と似たような構造である事が理解できる。
日本のマスコミがこの様な問題点を指摘している記事を見た事が無い。マスコミ関係者にとっても見て見ぬふりをするならば、それ等を言い換えれば『寄らば大樹の陰』と言う事なのであろうか? その様な一般市民の利益を代弁しない報道姿勢は、マスゴミやフェイクニュースと呼ばれるのが昨今の状況である。
2017/05/11
素晴らしいIKAスペインの大会と講習会
ゴールデン・ウィーク真只中の4月の29日、30日の二日間スペインはバスク地方にあるベアサインと言う街で2017年度のIKA大会と国際講習会が催された。
昨年度のチェコから引き続き、今回のIKA大会にもヨーロッパ各地のIKA加盟国や日本からも9名の参加があり非常に盛大な催しとなった。
ベアサインと言う所は日本では馴染みの薄い場所であるにもかかわらず、この様に日本からも応援に駆け付けてくれる指導者や拳士が居る事に、主催するリーダーや拳士達の喜びは、我々にもひしひしと伝わってくるものが有った。
海外から高段者の先生達が参加してくれた事に主催する指導者が喜んでくれる事は過去に幾度も経験して理解していたが、今回のベアサインをあげての歓迎は指導する側の我々にも色々な驚きと新しい発見が有った。この様な経験は参加した拳士のみならず、IKA指導者にとっても非常に大切な経験値となる事は間違いないと思われる。
前回のベアサインは25年程前に訪れていて、当時はWSKO指導員、理事としての訪問だった。その当時から一所懸命に少林寺拳法の普及に努めていたバストス支部長が私に自身の道場を見せ、少林寺拳法の普及を熱く語っていた事を記憶している。海外の指導者には珍しく早くから専有道場をもって拳法の普及に努めていた姿を思い出していた。
あれから年月が過ぎ、我々は共にWSKOとは異なった組織で拳法を指導する立場になった。海外から多くのIKA指導者や拳士の参加に加え、彼の支部が35周年を記念することも重なり、大いに充実した催しとなった。指導者である我々が一番に感じた事は、拳士の年齢バランスが非常に良い事だった。大会には年少者から年配の拳士まで幅広く参加しており、彼らの運営の素晴らしさを日本から参加した指導者のみならずヨーロッパの指導者達も実感したと思う。
今回の大会の中で地元新聞社(リンク先)やTVメディアの取材も有った。私もTVでのインタビューを受けた。永らく日本からの指導も受けられなかった彼らが、ここまで少林寺拳法を技術のみならず、教え(哲学)においてもしっかりと伝えていた事を評価したいと思う。大人から子供の拳士に至るまで幅広い年齢層に受け入れられる為には、しっかりとした哲学が無ければ続けて来られなかったであろう。
満席の観客からも惜しみない声援が送られていた事は大変印象的であった。指導者の信念は大会の運営にも見る事が出来た。会場の正面には開祖宗道臣の写真が飾られ、彼らの創始者に対する敬意の程が伝わってきた。どこの講習会や大会に行っても同様な光景は共通した思いである。今では日本の方がこの様な行動は少ないのではないかと感じる程である。
大会は無事終了して、講習会も大変熱心な取り組み方である。私は有段者の2段以上を指導する機会を得たが、痛い技が連続する練習にも尻込みする事もなく皆必死の形相で休憩する拳士は一人も居なかった。指導する側のこちらが気合を入れられて居る様なもので、ついつい指導にも熱が入って練習時間はあっと言う間に過ぎて行った。この様な経験は自分達が少林寺拳法を始めた当初の指導者講習会を思い起こさせる様で懐かしくも嬉しい時間であった。
2日間の日程も無事終了して、我々は次の都市バルセロナに向かった。日本から今回のIKA大会に参加していた日本護身拳法連盟の吉永代表一行は、バルセロナ市と姉妹都市関係にある神戸市から『神戸市を代表して表敬訪問し、民間交流の絆を深める』と言う重大なミッションも担っていた。来年が姉妹都市提携35周年に当たると言う事で、我々の訪問は民間交流(社会貢献)と言う拳法の理念にも叶うとの思いもあり、IKAもその一翼を担うことが出来嬉しかった。
拳法と言う共通の理念の下、IKAはこれからも宗 道臣の掲げた『理想境建設』を忘れる事無く一歩一歩前進して行く所存である。バルセロナ市庁舎を訪問する前に日本総領事からもお招きがあった。IKAの由来を聞かれ、拳法ファミリーとしてBSKFも日本護身拳法も同じ教えの下、協力して社会貢献できる人材の育成の為皆が努力している事を説明した。総領事からは『これからも民間交流でより一層盛り上げて頂きたい』との言葉を頂いた。
我々IKAに託された役割は益々大きくなってきた様に感じる。拳法ファミリーとして恥ずかしくない様今後とも頑張っていきたい。
昨年度のチェコから引き続き、今回のIKA大会にもヨーロッパ各地のIKA加盟国や日本からも9名の参加があり非常に盛大な催しとなった。
ベアサインと言う所は日本では馴染みの薄い場所であるにもかかわらず、この様に日本からも応援に駆け付けてくれる指導者や拳士が居る事に、主催するリーダーや拳士達の喜びは、我々にもひしひしと伝わってくるものが有った。
海外から高段者の先生達が参加してくれた事に主催する指導者が喜んでくれる事は過去に幾度も経験して理解していたが、今回のベアサインをあげての歓迎は指導する側の我々にも色々な驚きと新しい発見が有った。この様な経験は参加した拳士のみならず、IKA指導者にとっても非常に大切な経験値となる事は間違いないと思われる。
前回のベアサインは25年程前に訪れていて、当時はWSKO指導員、理事としての訪問だった。その当時から一所懸命に少林寺拳法の普及に努めていたバストス支部長が私に自身の道場を見せ、少林寺拳法の普及を熱く語っていた事を記憶している。海外の指導者には珍しく早くから専有道場をもって拳法の普及に努めていた姿を思い出していた。
あれから年月が過ぎ、我々は共にWSKOとは異なった組織で拳法を指導する立場になった。海外から多くのIKA指導者や拳士の参加に加え、彼の支部が35周年を記念することも重なり、大いに充実した催しとなった。指導者である我々が一番に感じた事は、拳士の年齢バランスが非常に良い事だった。大会には年少者から年配の拳士まで幅広く参加しており、彼らの運営の素晴らしさを日本から参加した指導者のみならずヨーロッパの指導者達も実感したと思う。
今回の大会の中で地元新聞社(リンク先)やTVメディアの取材も有った。私もTVでのインタビューを受けた。永らく日本からの指導も受けられなかった彼らが、ここまで少林寺拳法を技術のみならず、教え(哲学)においてもしっかりと伝えていた事を評価したいと思う。大人から子供の拳士に至るまで幅広い年齢層に受け入れられる為には、しっかりとした哲学が無ければ続けて来られなかったであろう。
満席の観客からも惜しみない声援が送られていた事は大変印象的であった。指導者の信念は大会の運営にも見る事が出来た。会場の正面には開祖宗道臣の写真が飾られ、彼らの創始者に対する敬意の程が伝わってきた。どこの講習会や大会に行っても同様な光景は共通した思いである。今では日本の方がこの様な行動は少ないのではないかと感じる程である。
大会は無事終了して、講習会も大変熱心な取り組み方である。私は有段者の2段以上を指導する機会を得たが、痛い技が連続する練習にも尻込みする事もなく皆必死の形相で休憩する拳士は一人も居なかった。指導する側のこちらが気合を入れられて居る様なもので、ついつい指導にも熱が入って練習時間はあっと言う間に過ぎて行った。この様な経験は自分達が少林寺拳法を始めた当初の指導者講習会を思い起こさせる様で懐かしくも嬉しい時間であった。
| バルセロナ市庁舎 |
| バルセロナ市を表敬訪問 |
拳法と言う共通の理念の下、IKAはこれからも宗 道臣の掲げた『理想境建設』を忘れる事無く一歩一歩前進して行く所存である。バルセロナ市庁舎を訪問する前に日本総領事からもお招きがあった。IKAの由来を聞かれ、拳法ファミリーとしてBSKFも日本護身拳法も同じ教えの下、協力して社会貢献できる人材の育成の為皆が努力している事を説明した。総領事からは『これからも民間交流でより一層盛り上げて頂きたい』との言葉を頂いた。
我々IKAに託された役割は益々大きくなってきた様に感じる。拳法ファミリーとして恥ずかしくない様今後とも頑張っていきたい。
| 在バルセロナ日本総領事と |
2017/03/22
フェイクと真実
アメリカの大統領選挙から始まり、新しい大統領に選出されたドナルド・トランプ氏が既存のメディアに対して、フェイクニュース(偽のニュース)を流されるとしてインタビューを拒否している姿が報道され、多くの人達が驚きの視線で事の成り行きを見守っている。CNNやNew York Times、Washington Postと言った大手のメディアに対するこの様な態度はこれまでの政治家では見た事が無い。
トランプ氏の言い分では彼の言葉を正確に伝えない、又氏と意見が異なる場合においては、事実認識が異なる全てのメディアが『フェイク』と言う事らしい。大統領の発言や真意を伝える主席報道官にも厳しい質問が浴びせられるが、大統領のお眼鏡にかなった(政権に肯定的なメディア)以外はすべて蚊帳の外である。
どの様な政府や組織であれ、少なくとも民主主義国家や組織において、全てのメディアがトップの思いのままに動くとすれば、もはや民主主義など成り立ちはしない。この様なやり方は中国や北朝鮮そしてシリア等の独裁国家を見れば明らかな事ではないか。意外にトランプ氏と中国、北朝鮮のリーダー達は同類な性格で、気が合う人達なのかも知れない。
日本のマスメディアも結構フェイクを見かける。
先日も日本のテレビ番組で紹介されていたフェイクは南太平洋のサモアが紹介された『日本のタクシーがなぜ多いのか?』と言う番組。中古車として輸入されている日本のタクシーが多い理由を『サモアは世界でも珍しく、数少ない日本と同じ右ハンドルの国』と言う解説が有った。これ等も完全にフェイクである。世界中ではアメリカやヨーロッパの国々を始めとして、左ハンドルの車を使う国の方が多い事は事実ではあるが、『日本と同じ右ハンドルの国は珍しい』等と言う事がいかにフェイクか。
イギリスも勿論右ハンドルの国である、隣のアイルランドもヨーロッパでは数は少ないが右ハンドルの国である。私達が毎年指導者講習会で訪れるキプロス共和国もマルタ共和国も同様、少し考えれば旧英国の植民地だった国は殆どがイギリスと同じ右ハンドルと言う事になる。オーストラリア、ニュージーランド、アジアの国でもマレーシア、インドネシア、インド、シンガポール他いくつもある。アフリカも英国が宗主国だった国は多く皆同じ右ハンドルである。
世界中では50か国近く、世界で三分の一以上の国では右ハンドルが使われており『世界でも珍しい数少ない右ハンドルの国!』等と言うフェイクは、日本人に刷り込みを助長している以外何物でもない。英国は日本の宗主国ではないが、交通システムとしては左側通行の英国方式を導入したのであろう。
今世界中を騒がせているマレーシアでの正男氏暗殺事件でも、これ程映像ビデオや情報が公開されているにもかかわらず、北朝鮮側の言い分は滑稽と言うには余りにもお粗末な言い訳にしか聞こえない。
この国の国民には如何に自由や人権が無視されて居るのか、世界中が見守っている事は言うまでもない。一般市民から政府高官そして外交官に至るまで亡命者が出て居る事を見れば、北朝鮮が如何に酷い人権侵害を犯しているのか子供でも理解できる。自国民のみならず、他国にも同じようなフェイク情報が通じると本気で信じているとすれば、その様な政権の将来は長くは続かないのではないかと思う。
そういえば何処かの団体も『○○○KempoはそのStyle(競技・種類)を示すGeneric Words(一般名称)である』と言う裁判結果が出た後も、『その様な裁判はやって居ない!』と主張されていた様であるが、これなども言ってみればフェイク情報では無いだろうか。
今の時代この様な情報を検証する事は非常に簡単である。『私の言う事が真実である、信じない者は許さない』もしこの様な事が本当にまかり通っているとすれば、何処かの怪しげな団体と同じ評価を下される事にもなるだろう。それがどの様な主張であれ受け取る人達の判断に任せる他は無いが、真実が明らかになった時にそれらを主張した人達はどの様な言い訳をするのか大変興味深い。
トランプ氏の言い分では彼の言葉を正確に伝えない、又氏と意見が異なる場合においては、事実認識が異なる全てのメディアが『フェイク』と言う事らしい。大統領の発言や真意を伝える主席報道官にも厳しい質問が浴びせられるが、大統領のお眼鏡にかなった(政権に肯定的なメディア)以外はすべて蚊帳の外である。
どの様な政府や組織であれ、少なくとも民主主義国家や組織において、全てのメディアがトップの思いのままに動くとすれば、もはや民主主義など成り立ちはしない。この様なやり方は中国や北朝鮮そしてシリア等の独裁国家を見れば明らかな事ではないか。意外にトランプ氏と中国、北朝鮮のリーダー達は同類な性格で、気が合う人達なのかも知れない。
日本のマスメディアも結構フェイクを見かける。
先日も日本のテレビ番組で紹介されていたフェイクは南太平洋のサモアが紹介された『日本のタクシーがなぜ多いのか?』と言う番組。中古車として輸入されている日本のタクシーが多い理由を『サモアは世界でも珍しく、数少ない日本と同じ右ハンドルの国』と言う解説が有った。これ等も完全にフェイクである。世界中ではアメリカやヨーロッパの国々を始めとして、左ハンドルの車を使う国の方が多い事は事実ではあるが、『日本と同じ右ハンドルの国は珍しい』等と言う事がいかにフェイクか。
イギリスも勿論右ハンドルの国である、隣のアイルランドもヨーロッパでは数は少ないが右ハンドルの国である。私達が毎年指導者講習会で訪れるキプロス共和国もマルタ共和国も同様、少し考えれば旧英国の植民地だった国は殆どがイギリスと同じ右ハンドルと言う事になる。オーストラリア、ニュージーランド、アジアの国でもマレーシア、インドネシア、インド、シンガポール他いくつもある。アフリカも英国が宗主国だった国は多く皆同じ右ハンドルである。
世界中では50か国近く、世界で三分の一以上の国では右ハンドルが使われており『世界でも珍しい数少ない右ハンドルの国!』等と言うフェイクは、日本人に刷り込みを助長している以外何物でもない。英国は日本の宗主国ではないが、交通システムとしては左側通行の英国方式を導入したのであろう。
今世界中を騒がせているマレーシアでの正男氏暗殺事件でも、これ程映像ビデオや情報が公開されているにもかかわらず、北朝鮮側の言い分は滑稽と言うには余りにもお粗末な言い訳にしか聞こえない。
この国の国民には如何に自由や人権が無視されて居るのか、世界中が見守っている事は言うまでもない。一般市民から政府高官そして外交官に至るまで亡命者が出て居る事を見れば、北朝鮮が如何に酷い人権侵害を犯しているのか子供でも理解できる。自国民のみならず、他国にも同じようなフェイク情報が通じると本気で信じているとすれば、その様な政権の将来は長くは続かないのではないかと思う。
そういえば何処かの団体も『○○○KempoはそのStyle(競技・種類)を示すGeneric Words(一般名称)である』と言う裁判結果が出た後も、『その様な裁判はやって居ない!』と主張されていた様であるが、これなども言ってみればフェイク情報では無いだろうか。
今の時代この様な情報を検証する事は非常に簡単である。『私の言う事が真実である、信じない者は許さない』もしこの様な事が本当にまかり通っているとすれば、何処かの怪しげな団体と同じ評価を下される事にもなるだろう。それがどの様な主張であれ受け取る人達の判断に任せる他は無いが、真実が明らかになった時にそれらを主張した人達はどの様な言い訳をするのか大変興味深い。
2017/03/04
日本と海外、文化と習慣の違い
昨今の日本は2020年に東京オリンピックが催されることもあり、数多くの旅行者が日本を訪れる様になってきた。私がロンドンへ渡る前の時代を考えれば画然たる相違がみられる。自分が住んでいた当時(1970年代の前半)では外国人を街で見かける機会はそれ程多くは無かった事を記憶している。翻って現在の日本では外国人を見かけない事の方が難しい程である。
そんな視点から日本人の文化や習慣等が以前より少し理解されてきた様に思う。
海外から観光などで日本へ行った人達が驚く事の一つに、『天気が良く快晴であるにも関わらず傘を差している人が居る事』があげられる。言わずと知れた日傘であるが日本で生まれ育った者には理解も容易い。日本の女性は特に日に焼ける事を気にする傾向にある。色白が美の重要な要点として尊ばれるのが最も大きな一因であろう。
これとは逆に欧米の(特に北ヨーロッパの国)では、太陽が出て居る時は日焼けをする大変貴重なチャンスである。この機会を逃すと体調管理にも支障をきたす事にもなる。理由も分からなかった渡英直後の頃は、初夏の肌寒い様な日でも、男女を問わず太陽が出ている日には公園のいたる所で水着で日光浴をしている人達を見て驚いた経験が有る。
日照時間が日本等の国と比べれば圧倒的に少ない北ヨーロッパの国々ではこの様な機会を逃す事は無い。又日焼けした人達は健康的に見えるだけではなく、自分にはホリデーを取り地中海やカリビアンのリゾート地で優雅に過ごすことが出来るミドルクラスである、と経済的余裕もアピールして居ると感じているのかも知れない。
逆に日照時間が多く、暑い期間の長い日本や東南アジアの国々では、日焼けして褐色になる事の方が嫌がられる傾向が強いのでは無いだろうか?皮膚がんが心配と言う人も居るかもしれないが、生まれつき日照時間の多い日本や東南アジア、アフリカ等の国々で生まれた人達には、メラニン色素が白人より多い事は科学的にも証明されておりその様な心配が原因とも思えない。自分が学生の頃には日本でも日焼けした男女が幅を利かせた時期も有ったように記憶しているが、今どきの学生達にとっては色白の方が魅力的に感じて居るのであろうか。
欧米文化圏の人達から見て『?』と感じる事でもう一つ、『マスクをする人の数が多い事』が有る。欧米の社会でマスク姿は街中では見かけない。飛行機で日本からロンドンに到着した旅行者が、日本と同じようにマスクをしたまま街中を歩くと怪訝な視線で見られている事が多くの日本人には理解できないのでは無いだろうか。
欧米社会でマスクをする人は、手術をする外科医又は銀行強盗くらいの者だと思った方が良い。『花粉症がひどいので』と言う理由も、日本では理解されても欧米の社会では中々理解されないのではないか。ここロンドンでもヘイフィーバー(花粉症)で悩んでいる人は多い、しかしながらその人達がマスクをしている事は殆ど見た事が無い。飲み薬や目薬で大抵は済ませている。
口元を隠す(手で覆い隠す)しぐさも、日本人の女性にはよく見られるハニカミの文化では無いだろうか。街中で突然インタビューされた女性が、恥ずかしさを表現する時に口元を手で隠すことを普通にする事が、マスク文化につながっているのかも知れない。近頃では韓国や中国、東南アジアの国々でも空気が汚染されている事もあり、マスクをする人達が多いと聞く。日本の文化(習慣)が伝搬された結果と言えるのであろうか?
口元で気が付く欧米文化との違いの一つは、日本では八重歯の人達が男女を問わず多い事も特徴の一つではないか。口元を覆う仕草やマスク文化の人達がなぜか八重歯を堂々と見せ、大笑いしている姿は欧米人には理解できない様である。「なぜ日本人は八重歯を矯正しないのか?」と聞かれた事がある。八重歯の人にはまことに申し訳ないが、欧米文化圏でイメージされるのはあの有名な『ドラキュラの牙』だからだ。日本にドラキュラは居ないので、その様な否定的なイメージが無い事も八重歯文化(?)を残している理由ではないだろうか。
この様に見てみると改めてそれぞれの国には異なった習慣や文化が存在する事が良くわかる。何気なくやって居る習慣が異文化圏の人達には不思議な視線で見られたり、時には嫌悪感を持たれたりする場合もある。ただ日本には『郷に入れば郷に従え』と言うことわざがあり、余り海外でもめ事を起こすと言う事は聞かない。宗教観の異なる国では時には難しい判断(妥協)が必要になる事もあるが、幸いにと言うべきか多くの日本人は一神教の人が少ない事もあり、何処の国でも暮らして行けると思う。
そんな視点から日本人の文化や習慣等が以前より少し理解されてきた様に思う。
海外から観光などで日本へ行った人達が驚く事の一つに、『天気が良く快晴であるにも関わらず傘を差している人が居る事』があげられる。言わずと知れた日傘であるが日本で生まれ育った者には理解も容易い。日本の女性は特に日に焼ける事を気にする傾向にある。色白が美の重要な要点として尊ばれるのが最も大きな一因であろう。
これとは逆に欧米の(特に北ヨーロッパの国)では、太陽が出て居る時は日焼けをする大変貴重なチャンスである。この機会を逃すと体調管理にも支障をきたす事にもなる。理由も分からなかった渡英直後の頃は、初夏の肌寒い様な日でも、男女を問わず太陽が出ている日には公園のいたる所で水着で日光浴をしている人達を見て驚いた経験が有る。
日照時間が日本等の国と比べれば圧倒的に少ない北ヨーロッパの国々ではこの様な機会を逃す事は無い。又日焼けした人達は健康的に見えるだけではなく、自分にはホリデーを取り地中海やカリビアンのリゾート地で優雅に過ごすことが出来るミドルクラスである、と経済的余裕もアピールして居ると感じているのかも知れない。
逆に日照時間が多く、暑い期間の長い日本や東南アジアの国々では、日焼けして褐色になる事の方が嫌がられる傾向が強いのでは無いだろうか?皮膚がんが心配と言う人も居るかもしれないが、生まれつき日照時間の多い日本や東南アジア、アフリカ等の国々で生まれた人達には、メラニン色素が白人より多い事は科学的にも証明されておりその様な心配が原因とも思えない。自分が学生の頃には日本でも日焼けした男女が幅を利かせた時期も有ったように記憶しているが、今どきの学生達にとっては色白の方が魅力的に感じて居るのであろうか。
欧米文化圏の人達から見て『?』と感じる事でもう一つ、『マスクをする人の数が多い事』が有る。欧米の社会でマスク姿は街中では見かけない。飛行機で日本からロンドンに到着した旅行者が、日本と同じようにマスクをしたまま街中を歩くと怪訝な視線で見られている事が多くの日本人には理解できないのでは無いだろうか。
欧米社会でマスクをする人は、手術をする外科医又は銀行強盗くらいの者だと思った方が良い。『花粉症がひどいので』と言う理由も、日本では理解されても欧米の社会では中々理解されないのではないか。ここロンドンでもヘイフィーバー(花粉症)で悩んでいる人は多い、しかしながらその人達がマスクをしている事は殆ど見た事が無い。飲み薬や目薬で大抵は済ませている。
口元を隠す(手で覆い隠す)しぐさも、日本人の女性にはよく見られるハニカミの文化では無いだろうか。街中で突然インタビューされた女性が、恥ずかしさを表現する時に口元を手で隠すことを普通にする事が、マスク文化につながっているのかも知れない。近頃では韓国や中国、東南アジアの国々でも空気が汚染されている事もあり、マスクをする人達が多いと聞く。日本の文化(習慣)が伝搬された結果と言えるのであろうか?
口元で気が付く欧米文化との違いの一つは、日本では八重歯の人達が男女を問わず多い事も特徴の一つではないか。口元を覆う仕草やマスク文化の人達がなぜか八重歯を堂々と見せ、大笑いしている姿は欧米人には理解できない様である。「なぜ日本人は八重歯を矯正しないのか?」と聞かれた事がある。八重歯の人にはまことに申し訳ないが、欧米文化圏でイメージされるのはあの有名な『ドラキュラの牙』だからだ。日本にドラキュラは居ないので、その様な否定的なイメージが無い事も八重歯文化(?)を残している理由ではないだろうか。
この様に見てみると改めてそれぞれの国には異なった習慣や文化が存在する事が良くわかる。何気なくやって居る習慣が異文化圏の人達には不思議な視線で見られたり、時には嫌悪感を持たれたりする場合もある。ただ日本には『郷に入れば郷に従え』と言うことわざがあり、余り海外でもめ事を起こすと言う事は聞かない。宗教観の異なる国では時には難しい判断(妥協)が必要になる事もあるが、幸いにと言うべきか多くの日本人は一神教の人が少ない事もあり、何処の国でも暮らして行けると思う。
2016/08/25
応援団に正坐して礼をしたブラジルの柔道選手
リオデジャネイロ・オリンピックが終わった。ほとんど何処の国でも自国選手の活躍に最も関心が高い事は当然の現象ではあるが、その様な中で私が大いに感心させられた柔道選手がいた。残念ながら日本人の選手ではないが、開催国ブラジルのラファエラ・シルヴァと言う黒人女性の柔道選手がとった金メダルだった。
彼女はリオ郊外のスラム(貧民街)に生まれ育ったと紹介されていた。その様な環境の中で育った女性が、地元開催のオリンピックで金メダルに輝いた事はブラジルのみならず、柔道と言う文化を伝えた日本にとっても非常に素晴らしい出来事ではないだろうか。金メダルが確定した試合の後、脱力した様にゆっくり正座して応援者に礼をする(頭を下げる)姿は、欧米や地元のブラジルでは見られない文化である。
経済的にも貧しい環境では犯罪に走る若者も多いと聞く。社会格差と人種差別の困難を柔道で乗り越えたとすれば、ブラジルのみならず貧富の格差に苦しむ途上国の人々に希望を与える『努力すれば報われる』と言う、大きな貢献をした事になったのではないか。一方で五輪の輝かしい実績を持ちながら虚偽の事件を騙り、自国に戻った後も国内外から批判される選手も出た。経済的な富や名声も十分にありながら被害者を装い、ブラジル国民のみならず自国民のアメリカ国内からも糾弾されるに至った水泳の選手には同情の余地もない。
同じ金メダリストでありながらブラジルの柔道選手と真逆の結果を招いた選手が出た事は、ドーピング問題も含めて今後の五輪が解決しなければならない人間教育と言う重い課題であろう。オリンピックで金メダルを捕った選手にも称賛ばかりではなく、社会正義に反する行為には厳しい社会的制裁も当然の事ながら避ける事は出来ない。オリンピック選手である以前に一社会人としての規範が問われる事になる。
『平和な社会造りに貢献できる人材を輩出したい』とする団体は少林寺拳法ばかりではない。オリンピックの抱える否定的な側面にのみフォーカスを当てるのではなく、そこにこそ『人、人、人すべては人の質にある』と言う少林寺の掲げる哲学が生かせるのではないだろうか。オリンピック競技に批判ばかりで背を向けて居るだけでは何の進展もない。自分達が少林寺拳法と言う武道を通して描く未来の姿も、これを機会に立ち止まり今一度考えてみる事も無駄では無い様に思う。
何処の国でも自国の選手に声を枯らして声援を送る。金メダルを取った選手が見せる涙には国を背負って戦った者でなければ理解できない重さがある。私は日の丸をまとい喜びを爆発させる選手には思わず拍手を送ってしまう。アスリート達が見せる涙や、関係者に寄せる敬意の言葉にも心を揺さぶる力が有ると感じた。
今年のリオ五輪では日本人選手の活躍が数多く見られ嬉しかった。ロンドンでのテレビ放映では残念ながら、日本人選手の活躍が生中継では見られるチャンスは非常に少ない。どこの国でも自国選手の活躍が最も重要なニュースソースである事は洋の東西を問わない。そんな訳で翌日の日本から送られてくるTVニュースに毎日一喜一憂した2週間でもあった。
2020年に開催される東京オリンピックでは日本の得意な野球やソフトボールに加え、永年の念願だった空手も新しく種目に加えられることが決まった。勿論それらの代表選手達には世界中から声援が送られる事であろう。国を背負ったアスリート達の熱い戦いには、理屈を超え見るものを魅了する力がある。これからも日の丸を背負って戦う選手達を私は応援したいと思う。
彼女はリオ郊外のスラム(貧民街)に生まれ育ったと紹介されていた。その様な環境の中で育った女性が、地元開催のオリンピックで金メダルに輝いた事はブラジルのみならず、柔道と言う文化を伝えた日本にとっても非常に素晴らしい出来事ではないだろうか。金メダルが確定した試合の後、脱力した様にゆっくり正座して応援者に礼をする(頭を下げる)姿は、欧米や地元のブラジルでは見られない文化である。
経済的にも貧しい環境では犯罪に走る若者も多いと聞く。社会格差と人種差別の困難を柔道で乗り越えたとすれば、ブラジルのみならず貧富の格差に苦しむ途上国の人々に希望を与える『努力すれば報われる』と言う、大きな貢献をした事になったのではないか。一方で五輪の輝かしい実績を持ちながら虚偽の事件を騙り、自国に戻った後も国内外から批判される選手も出た。経済的な富や名声も十分にありながら被害者を装い、ブラジル国民のみならず自国民のアメリカ国内からも糾弾されるに至った水泳の選手には同情の余地もない。
同じ金メダリストでありながらブラジルの柔道選手と真逆の結果を招いた選手が出た事は、ドーピング問題も含めて今後の五輪が解決しなければならない人間教育と言う重い課題であろう。オリンピックで金メダルを捕った選手にも称賛ばかりではなく、社会正義に反する行為には厳しい社会的制裁も当然の事ながら避ける事は出来ない。オリンピック選手である以前に一社会人としての規範が問われる事になる。
『平和な社会造りに貢献できる人材を輩出したい』とする団体は少林寺拳法ばかりではない。オリンピックの抱える否定的な側面にのみフォーカスを当てるのではなく、そこにこそ『人、人、人すべては人の質にある』と言う少林寺の掲げる哲学が生かせるのではないだろうか。オリンピック競技に批判ばかりで背を向けて居るだけでは何の進展もない。自分達が少林寺拳法と言う武道を通して描く未来の姿も、これを機会に立ち止まり今一度考えてみる事も無駄では無い様に思う。
何処の国でも自国の選手に声を枯らして声援を送る。金メダルを取った選手が見せる涙には国を背負って戦った者でなければ理解できない重さがある。私は日の丸をまとい喜びを爆発させる選手には思わず拍手を送ってしまう。アスリート達が見せる涙や、関係者に寄せる敬意の言葉にも心を揺さぶる力が有ると感じた。
今年のリオ五輪では日本人選手の活躍が数多く見られ嬉しかった。ロンドンでのテレビ放映では残念ながら、日本人選手の活躍が生中継では見られるチャンスは非常に少ない。どこの国でも自国選手の活躍が最も重要なニュースソースである事は洋の東西を問わない。そんな訳で翌日の日本から送られてくるTVニュースに毎日一喜一憂した2週間でもあった。
2020年に開催される東京オリンピックでは日本の得意な野球やソフトボールに加え、永年の念願だった空手も新しく種目に加えられることが決まった。勿論それらの代表選手達には世界中から声援が送られる事であろう。国を背負ったアスリート達の熱い戦いには、理屈を超え見るものを魅了する力がある。これからも日の丸を背負って戦う選手達を私は応援したいと思う。
2016/05/23
三菱自動車と東芝、組織の抱える悪しき文化
三菱自動車が起こした燃費偽装事件は会社の存続にまで係る様な大きな事件である。三菱自動車と言えば過去に2度もリコール隠しで非難を受け、当時も提携関係にあったダイムラー・クライスラーが提携を解消してしまった事は多くの人々の記憶にあるはずである。
しかるに今回も又同様な信頼を裏切るような事件を起こしてしまったことは、この会社の持つ企業文化と言われても仕方がない。事件が発覚してから三菱自動車の存続自体も危ぶまれ株価も暴落していた。
三菱自動車のみならず現在も経営再建中の東芝や、鴻海の傘下に入ったシャープも少なからず企業の持つ体質が影響していた事が共通の現況を招いたようにも思われる。
これらの世界に名の通った大企業でも、組織内の風通し(意見を言える体制)が良くない会社程、問題が起きた時の結果は悲惨である。創業者から引き継がれてきた企業文化であっても、会社が成長する段階で幾つも脱皮しなければならない事は数多くあると思う。第二次世界大戦以前から存在する東芝や三菱等と言う大企業であればその過程は学習していると思うのが普通ではないか。
しかしここで見落としてはいけない事がある様に感じる。これは日本社会が抱える一つの共通する問題点かも知れない。それは会社(組織)の上層部に対するものが言えない(言い辛い)社会構造かも知れない。勿論すべての会社がそうであると言っている訳ではない。ここでも言える事は組織の上に立つ人の質ではないだろうか。トップの考え方如何でその組織の風通しが良くも悪くもなってしまう。
三菱自動車の例からは、上からの命令には逆らえない体制や、無理な目標の達成には不正な方法にも目をつぶる。東芝の件も同様に企業経営者が自社の業績を良く見せたいと思う気持ちは、自身の評価とも相まって普通の心理だと思うが、それでも東芝の様な大企業であれば企業ガバナンスが働き、粉飾決算に至る前に何らかの社内メカニズムがそれらを防止出来てもよさそうなものである。
歴代社長3人が同様な手法で企業の業績を上方修正して、粉飾して居た事がニュースで世界中に配信され、株主の集団訴訟も動き出している様な報道もあった。言い換えると日本企業は世界で名の通った大企業でも、真っ当な企業ガバナンスが機能しない国なのではないか?と海外投資家の目に映っても不思議では無い。
もしそうであるとすればこれは東芝と言う一企業がこうむる評価ではなく、日本の企業全体にとって大きな信用の損失と言う事にもなる。そしてその結果として最初に影響(被害)を受けるのは、そこで働く末端の社員であることは言うまでもない。この例は三菱自動車や東芝に限った事ではなくすべての組織に言えるのではないか。上層部(企業経営者や組織のトップ)に組織の風通しを良くして、末端の社員からも重要な提案には耳を貸す度量が有れば、三菱自動車や東芝の様な結果は免れたであろうことは容易に想像できる。
少林寺拳法の指導者が幾度も耳にし、同時に拳士にも伝え自分達の教えの中核としてきた哲学がまさにこれである。『人、人、人すべては人の質にある』三菱自動車や東芝には世間の人々の目も厳しく注がれると思う。それによりそれらの企業が立ち直り再び信用を取り戻すことが出来るのかも知れない。もしそれでも同様な事件を繰り返すことになれば、大会社と言えども倒産は免れ得ないであろう。
企業には社会やステークホルダー(利害関係者)等の厳しい耳目が注がれる事になる。社外取締役や監査の導入も必然的に導入される事は珍しくない。それにより企業は立ち直り発展に繋げることも可能となる。言い替えれば何処かの組織の様な社会の目やステークホルダーが働かない組織であれば、内部(その組織に関わる)の人達以外にそれらを変える方法は無いであろう。『己こそ己のよるべ、己をおきて誰によるべぞ』今一度この言葉を噛み締めてみる事も無駄では無い様に思う。
しかるに今回も又同様な信頼を裏切るような事件を起こしてしまったことは、この会社の持つ企業文化と言われても仕方がない。事件が発覚してから三菱自動車の存続自体も危ぶまれ株価も暴落していた。
三菱自動車のみならず現在も経営再建中の東芝や、鴻海の傘下に入ったシャープも少なからず企業の持つ体質が影響していた事が共通の現況を招いたようにも思われる。
これらの世界に名の通った大企業でも、組織内の風通し(意見を言える体制)が良くない会社程、問題が起きた時の結果は悲惨である。創業者から引き継がれてきた企業文化であっても、会社が成長する段階で幾つも脱皮しなければならない事は数多くあると思う。第二次世界大戦以前から存在する東芝や三菱等と言う大企業であればその過程は学習していると思うのが普通ではないか。
しかしここで見落としてはいけない事がある様に感じる。これは日本社会が抱える一つの共通する問題点かも知れない。それは会社(組織)の上層部に対するものが言えない(言い辛い)社会構造かも知れない。勿論すべての会社がそうであると言っている訳ではない。ここでも言える事は組織の上に立つ人の質ではないだろうか。トップの考え方如何でその組織の風通しが良くも悪くもなってしまう。
三菱自動車の例からは、上からの命令には逆らえない体制や、無理な目標の達成には不正な方法にも目をつぶる。東芝の件も同様に企業経営者が自社の業績を良く見せたいと思う気持ちは、自身の評価とも相まって普通の心理だと思うが、それでも東芝の様な大企業であれば企業ガバナンスが働き、粉飾決算に至る前に何らかの社内メカニズムがそれらを防止出来てもよさそうなものである。
歴代社長3人が同様な手法で企業の業績を上方修正して、粉飾して居た事がニュースで世界中に配信され、株主の集団訴訟も動き出している様な報道もあった。言い換えると日本企業は世界で名の通った大企業でも、真っ当な企業ガバナンスが機能しない国なのではないか?と海外投資家の目に映っても不思議では無い。
もしそうであるとすればこれは東芝と言う一企業がこうむる評価ではなく、日本の企業全体にとって大きな信用の損失と言う事にもなる。そしてその結果として最初に影響(被害)を受けるのは、そこで働く末端の社員であることは言うまでもない。この例は三菱自動車や東芝に限った事ではなくすべての組織に言えるのではないか。上層部(企業経営者や組織のトップ)に組織の風通しを良くして、末端の社員からも重要な提案には耳を貸す度量が有れば、三菱自動車や東芝の様な結果は免れたであろうことは容易に想像できる。
少林寺拳法の指導者が幾度も耳にし、同時に拳士にも伝え自分達の教えの中核としてきた哲学がまさにこれである。『人、人、人すべては人の質にある』三菱自動車や東芝には世間の人々の目も厳しく注がれると思う。それによりそれらの企業が立ち直り再び信用を取り戻すことが出来るのかも知れない。もしそれでも同様な事件を繰り返すことになれば、大会社と言えども倒産は免れ得ないであろう。
企業には社会やステークホルダー(利害関係者)等の厳しい耳目が注がれる事になる。社外取締役や監査の導入も必然的に導入される事は珍しくない。それにより企業は立ち直り発展に繋げることも可能となる。言い替えれば何処かの組織の様な社会の目やステークホルダーが働かない組織であれば、内部(その組織に関わる)の人達以外にそれらを変える方法は無いであろう。『己こそ己のよるべ、己をおきて誰によるべぞ』今一度この言葉を噛み締めてみる事も無駄では無い様に思う。
2015/12/11
ゼロからの出発
先に紹介したIKA(国際拳法協会)の初めての試み、日本セミナーは大変好評であった。主催者自らが言う評価は別としても、参加して頂いた日本の指導者達がどの様に感じたのかは私自身にも大いに関心がある。そして又この様な講習会を取り仕切って成功に導いた日本護身拳法連盟の指導者は、単なる趣味を超越した情熱が随所に感じられ永年同じ道を共に歩いてきた者として大いに共感を覚えた。
かつては少林寺と言う大きな組織に所属して、共に教えを広める事に喜びを感じ頑張ってきた指導者達である。 その様な熱心な拳法指導者達が何故それまでの組織を飛び出し、新しい組織を立ち上げたのであろうか。 現在も大きな組織に属している人達からすれば裏切り行為の様に思われるかも知れない。しかし彼等は望んでその様な行動をとった訳では断じて無い。やむにやまれぬ気持ちでそれまでの活動に区切りを付け、何とか自分達の目指してきた教えを後進に伝えて行きたいと願う強い思いから、立ち上がったと言うのが現実の姿ではなかろうか。
「その様な事は組織内でやるべきである」と言う人達も居るであろう。そう信じる人達はその様にすれば良いと思う。昨今の組織の衰退が彼等によってもたらされた訳でも無い! ほとんどの指導者は気が付いて居る事であろう。気が付いては居てもそれを公に口に出して言えない事を多くの人達が指摘して居る。かつては何十人も拳士が居て活気に満ち溢れていた道院が、10名にも満たない拳士しか集まらない状態になってしまった事を何と説明できるであろう。
日本護身拳法連盟を立ち上げた指導者達には、現状を変える以外に方法が無かったのではないか。もしそこにより優れたアイデアが組織から示されて居れば、彼等はあえて別の組織を立ち上げる必要など無かったはずである。組織が言う名称『少林寺拳法』だけを守って居ても、人が集まらない事は随分前から実証されている。問題はその様な現実を前にしてどの様に行動が出来るのか? 私は現在日本護身拳法連盟の相談役と言う立場になっては居るが、英国ではBritish Shorinji Kempo Federation(英国少林寺拳法連盟)の責任者でもある。その様な立ち位置の私から見ても、日本護身拳法連盟の指導者達はより宗道臣の教えに忠実な人達に見えてしまうから不思議である。
『自己確立』と言う言葉を何度も耳にした。しかし本当の意味で自己確立が出来た人は日本護身拳法連盟の指導者として独立した先生達ではないだろうか。大きな組織から独立し色々な批判も覚悟の上で、自分達の信じる道をゼロから追及しようと言う事は並大抵の決心では出来ないと思う。それでも立ち上がる事を決意した人達に誰が批判できようか。もしそれでも批判を口にする人が居れば「自分の心に照らして恥ずかしく無いですか?」と聞いてみたい。
日本護身拳法連盟の指導者達は今非常に燃えている、少林寺と言う組織の束縛から解き放たれた自由と、やる気に満ちた姿勢には彼等が成さんとする思いが言葉の一つ一つから感じられる。この清々しさは何処から来るのであろうか? 不満をぶつけ合うのではなく、自分達の信念を貫き、護身拳法と言う新しい道に希望も情熱もささげられると言う喜びが、10月のセミナーでも感じられた。今回の第一回IKAジャパン・セミナーの成功が、大きな自信につながったのであればそれ以上の喜びは無い。
『人は一旦決意すると強いな』と言う事を、私も彼等の言葉や行動から学んだ。そうは言っても全く新しい組織を発展させて行く事は傍で言うほど簡単では無い。何処の世界でも同じであろうが、とりわけ武道の数が多い日本では新しい武道を目指す事が簡単であるはずも無い。しかしながらそこには共に信頼できる仲間と、共通の夢を語れる拳士が居る。希望の無い組織から解き放たれた彼等が、これからどの様に思い描く理想の武道を追及して行くのか、私も一緒に見守って行きたいと願っている。
まもなく年が改まる。来るべき新しい年がこのブログにお付き合い頂いた方々、そして投稿頂いた皆様にとって、希望に満ちた素晴らしい一年となるよう願ってやまない。
2016年も宜しくお願い申し上げます。
BSKF 水野 結手
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| BSKF(英国連盟)の拳士 |
「その様な事は組織内でやるべきである」と言う人達も居るであろう。そう信じる人達はその様にすれば良いと思う。昨今の組織の衰退が彼等によってもたらされた訳でも無い! ほとんどの指導者は気が付いて居る事であろう。気が付いては居てもそれを公に口に出して言えない事を多くの人達が指摘して居る。かつては何十人も拳士が居て活気に満ち溢れていた道院が、10名にも満たない拳士しか集まらない状態になってしまった事を何と説明できるであろう。
日本護身拳法連盟を立ち上げた指導者達には、現状を変える以外に方法が無かったのではないか。もしそこにより優れたアイデアが組織から示されて居れば、彼等はあえて別の組織を立ち上げる必要など無かったはずである。組織が言う名称『少林寺拳法』だけを守って居ても、人が集まらない事は随分前から実証されている。問題はその様な現実を前にしてどの様に行動が出来るのか? 私は現在日本護身拳法連盟の相談役と言う立場になっては居るが、英国ではBritish Shorinji Kempo Federation(英国少林寺拳法連盟)の責任者でもある。その様な立ち位置の私から見ても、日本護身拳法連盟の指導者達はより宗道臣の教えに忠実な人達に見えてしまうから不思議である。
『自己確立』と言う言葉を何度も耳にした。しかし本当の意味で自己確立が出来た人は日本護身拳法連盟の指導者として独立した先生達ではないだろうか。大きな組織から独立し色々な批判も覚悟の上で、自分達の信じる道をゼロから追及しようと言う事は並大抵の決心では出来ないと思う。それでも立ち上がる事を決意した人達に誰が批判できようか。もしそれでも批判を口にする人が居れば「自分の心に照らして恥ずかしく無いですか?」と聞いてみたい。
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| イタリア、チェコの拳士 |
『人は一旦決意すると強いな』と言う事を、私も彼等の言葉や行動から学んだ。そうは言っても全く新しい組織を発展させて行く事は傍で言うほど簡単では無い。何処の世界でも同じであろうが、とりわけ武道の数が多い日本では新しい武道を目指す事が簡単であるはずも無い。しかしながらそこには共に信頼できる仲間と、共通の夢を語れる拳士が居る。希望の無い組織から解き放たれた彼等が、これからどの様に思い描く理想の武道を追及して行くのか、私も一緒に見守って行きたいと願っている。
まもなく年が改まる。来るべき新しい年がこのブログにお付き合い頂いた方々、そして投稿頂いた皆様にとって、希望に満ちた素晴らしい一年となるよう願ってやまない。
2016年も宜しくお願い申し上げます。
BSKF 水野 結手
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