2019/07/15

面倒な事(リスク)は誰でも嫌い!それで良いのか日本人?

国立感染症研究所でエボラ出血熱のウイルスを輸入して研究する事への地元住民の反対者の意見をニュースが取り上げていた。この様な例はいくらでもある。頭では必要と分かっていても自分に近いところでその様なリスクを受け入れる事への嫌悪感である。

原発の出す使用済み核燃料の中間貯蔵施設(?)も変な名称からも分かるように、この場合は最終処分場ではない!中間貯蔵施設の設置が難しい段階で、最終処分場が決まる訳もない。しかし安い電力の為(?)に原発は必要である。福島の原発事故以来コストにおいても嘘がばれた訳ではあるが、現在でも経済界等はその様に主張している。

弾道ミサイル防衛システムの設置場所に関しても同様な反応が見られ、候補地として選ばれた市長から意見が出ている。北朝鮮や中国脅威論を振りかざすことで、「日本の国土を守る為にはこの様な防衛システムは欠かせない!?」と言う理屈でイージス艦やパトリオットPAC-3システム、THAADミサイル・システム等と言う、途方もない金額の防衛システムが次々と米国から出てくる。それらを買わされるのは日本政府ではあっても、それらの原資は国民の税金である事は言うまでもない。

今回はそれらの防衛システムが必要か否かと言う話ではない。それらのシステムが必要であると結論が出たと仮定して、ではそれらの配備をどこにするのか?と言う時の問題点の事である。弾道ミサイル迎撃システム(イージスアショア)設置が秋田市と山口県萩市と発表されると、地元の市長等から出された懸念や反対意見の事である。その様な防衛システムでもイージス艦の場合には同様な反対意見は少ない様に感じる。

とどのつまり頭では日本の安全や市民を守る為には病理研究の為の研究施設や防衛システムが必要と分かっていても、では自分達の地元にそれらの施設が作られる場合には反対すると言うDouble Standard(二重基準)に危険性は無いのか?との視点がその論拠である。

F35と言うステルス機能を持つ戦闘機が配備される。それらの戦闘機が『優れた戦闘能力を持つから日本の安全を守る為には必要である』と言う結論に達したとして、それらが配備されると決まった地域の人達がどの様な反応を起こすのか。オスプレーと言う飛行機とヘリコプターを足した様な兵員輸送のヘリが事故を起こした時にも同様な反応が出ている。普天間への配備には沖縄県民以外からはそれ程強い反対意見が出なかったが、それ以外の本土への配備計画が計画の段階で漏れた様なときには、それらの関係する地域からは猛烈な反対運動も起きている。

言い換えればこれが日本人のメンタリティかも知れない。遠い沖縄の事であれば自分たちの生活にはそれ程大きな影響もない!故にデモをする程の問題ではない。一旦それが自分たちの地元と分かると今度は強烈な反対運動が起きている。原発問題と同根なのだと言う事を多くの人達は気が付き始めているのではないか。

繰り返すが、原発が必要か否か、とか安全保障の為にステルス戦闘機やオスプレー、そして弾道防衛ミサイルが必要か否か?と言う事を言って居るのでは無い!そこにある自分達に影響(被害、リスク等)が無い場合には無関心、そして何らかの影響が出る場合には猛反発と言う二面性の事にフォーカスを当てている訳である。

これらの現象を実に上手く利用して居る事が政治の世界ではよく見られる。沖縄の普天間米軍基地の辺野古への移設問題を例にとって考えれば、ある程度ボヤっとしたものが見えて来るようには感じられるのでは無いのか?
そこには一国の総理大臣でも変える事が難しい大きな現実(力)が働いている事もおぼろげには分かるのではないか。

沖縄県民が抱える問題(不満)、米軍基地の70%が沖縄に集中していると言う現実を『少しでも変えたい!』と言い出した時の総理大臣の思い自体は間違っては居ないと思う。一国の首相でも変えられない力が働いている事を感じたのは、それらを何とか解決したい『移設先は海外か県外に』と言う言動が、官僚や他党の国会議員などから集中砲火を浴び、情報が意図的にリークされ続けた事にある。他県の島に移転先を模索しただけで、潰されてしまった現実を見て思ったことは『彼の主張はそれ程までに突拍子もない事なのか』と言う単純な理由から来ている。

もちろんこれらの裏事情にそれ程詳しい訳では無いが、政府間で取り決められた約束事であるかの如く、メディアもTVニュースも否定的にしか取り上げなかった。沖縄県民の民意は我関せずと全く無視をする他府県人の態度に対しての違和感だった。『日米地位協定で定められた事は、一総理大臣の力では変えられない』と言う事を知った時である。

日本の安全保障と言う事に関して言えば誰も必要性は認めるであろう。しかしその為に『自分達の住んでいるところに米軍基地が来る事には反対!』沖縄は自分たちの住んで居る所からは遠いので問題(影響)は無い、米軍基地は中国や北朝鮮からの軍事的脅威に対抗する為には位置的に沖縄に米軍の基地が必要である、『わが県にはその必要は無い!』と私には聞こえる。

先のブログで軍産複合体の事に少し触れた。一般の日本人もほとんどのアメリカ人にも関心の低い話題ではある。しかしながらその実態とは、ある意味では非常に残虐(悪賢い)で危険な複合体である事も近年少しづつ分かってきた。海外における日本の研究者は、日本に対してシンパシー(好感情)を持っている人ばかりとは限らない!と言う事を知る必要がある。ある一握りの研究者は日本の弱点ばかりを研究しているグループも確実に存在する。その様な人たちが出した報告書は戦略家(政治家)にとってはこの上ない好材料である事は言うまでもない。

日本が世界でアメリカだけから最も高い兵器や防衛システムを次々に買わされて居る現実はなぜなのか? 現実の問題は別としても、多くの日本人は近隣諸国の脅威が間近に迫っていると感じているのかもしれないが。しかしその様な現象を意図的に作り出している人達の事は中々一般の目には触れない。『恐怖も不信も非常に好都合な商売の道具になりうる』と言う事を私達に伝えたかったのが宗道臣(旧日本軍諜報員)ではなかったのか、今その言葉の意味するところ『眼光紙背に徹す』を思い出しているが、この言葉の意味するところは非常に重い。

他者への無関心、自身だけの都合、この様な現象はある種の人達には非常に使い勝手の良い(利用されやすい)材料を提供する事を、今一度心に止めておく必要があると思う。『半ばは自己の幸せを半ばは他人の幸せを』を死語にしない為にも

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