2007/04/25

コンプライアンス

『コンプライアンス』という単語の一人歩きを良く聞く。

いったいこのコンプライアンス(compliance)とは何か、不祥事があった(発覚した)会社の幹部が例によって3人も4人も、時には10人近い人達が一列に並んで深々と頭を下げる光景をこのところ良く見る。

その都度繰り返される言葉がこのコンプライアンスなる単語である。実際使っている人はその意味するところを充分に理解した上でcomplianceと言っているのだろうか? 小生にはとてもそうは思えない。

第一なぜ何人もの良い年をした大人が並んで頭を下げるのか?
この人達は本当に反省してそうしているのだろうか。
だとすればちょっと不思議な気がするのは小生だけだろうか。

もし会社で何か不祥事があった場合、その最高責任者は言うまでもなく会社の社長だろう。従ってその最高責任者が一人で責任を明確にすれば良い事であろうに、例によって3人も5人も頭を下げる始末である。いったいこの様な企業文化は何時始まったのであろう。小生が日本で暮らしていたのは今から33年も前の事なので、その頃にこの様な光景を見た記憶があまり無い。 

多くの人が頭を下げればそれだけ沢山の反省をしていると世間の人は考えるのだろうか?

小生は逆だと思う。複数の人が頭を下げる事により本当に責任を取らなければならない人の責任がうやむやにされているように感じられてならない。

彼等のメンタリティーには頭を下げる事で事件(不祥事)そのものに幕を引こうとしているように見える。つまりその後に使われる都合の良いコンプライアンスと言う言葉で全てを終らせて、それ以上の責任追求をされないようにしているとしか思えない。

では本来のcomplianceとはいったいどの様な意味を持っているのであろうか。

"要求や命令への服従、法令遵守、企業がルールに従って公正・公平に業務を遂行すること、服薬遵守、処方された薬を指示どおりに服用すること、外力が加えられたときの物質の弾力性やたわみ強度"等などがその意味するところである。おそらく彼等の使いたい言葉は法令遵守と言う事なのだろうが、そうであれば日本語ではっきりと「法令遵守」と言うべきであろう。

コンプライアンス等と普段使わない英単語を無理に使う事自体おや?と感じてしまうのである。もしかして、要求や命令への服従(会社上層部への)と言う意味で使っているのではないですよね?

日本の武士道が海外に紹介されて久しい。その最も重要な『責任から逃げない』と言う部分が現代社会では欧米型に変わってきて、俺の責任ではない、悪いのは自分だけではない、式の責任逃れのようにコンプライアンスが使われていませんか。

武士道の最たる美学は切腹が象徴するように、責任から逃げない!これが基本であったはずである。
然るに毎度繰り返される、ぞろぞろと並んだ会社のどんな役職に着いているかも明確にされないまま単に頭を下げる儀式、あれはいったい何時から出てきたのだろう。

一人で責任を明確に出来ない組織が、複数の人が頭を下げたところで本当にその様な不祥事が繰り返されないと世間の人達は考えるであろうか。むしろ小生などは『これは何かおかしいな?』と疑問の方が大きくなってしまう。

学校でのいじめが大きな問題となっている。これは何も日本だけの問題ではない、世界中(主に先進国)でおきている問題なのだ。しかしその対処の仕方が日本と英国とでは大きく異なる。

英国はいじめはあるものだと言う前提でそれに対する対処をしようとしている。しかし日本のこれらの報道を見ると校長始め教育委員会、文科省までが責任を明確にしない。お互いにうやむやにしている。この中でコンプライアンス等といわれてもしらけるだけでしょう。

子供たちに学校や教師を信用しろと言ったところで誰が信じるのであろうか。子供が自殺した後で校長や何人かの人達が雁首そろえて頭下げても「責任体系がうやむや」では何も変わらないと思う。

一体日本の誇るべき武士道文化は何処へ行ったのであろう。それらが欧米で紹介され評価を受けている時にすでにその本国(日本)では欧米式の責任回避文化が定着してしまっている。

戦後アメリカ文化を際限なく受け入れてきた日本はその大切なアイデンティまでも無くしてしまったのだろうか。アメリカから言われるままに全てを受け入れてきたお陰で最近では歴史認識までもおかしくなりかけている。本当の歴史に向かい合う事の無かった(出来なかった)戦後世代に全ての責任があるわけではないが、少なくとも客観的事実に基づいた歴史認識を日本も取り返さなければならない。

そうでないと繰り返される一列に並んで頭ぺこぺこの格好の悪い文化が日本の姿になってしまうような気がしてならない。

2007/04/23

フィッシュ&チップスと英国料理

ロンドンに来た日本人から「美味しい英国料理は何か」と聞かれるが、こう質問された日本人ははたと困ってしまう。ローストビーフ、他に何があったかな? と考えながら『フィッシュ&チップス』と答えるであろうか。

ローストビーフも確かに家庭で時間をかけて焼かれたものは美味しい。しかしこれとて日本人の口に(特に来たばかりの人)美味しいかと聞かれると考え込んでしまう。

グレイビィ(ソース)以外に塩と胡椒、そしてヨークシャー プディングと言う今でも説明に困る物が付いている。ところによってはジャムを肉に付けて食べるところもある。これなどは日本人はもとより、他のヨーロッパ人にも驚きのようだ。

翻って日本の料理はこのところ世界の先進国では至るところで見かけるようになった。

ロンドンでも日本料理もどきを含めると200を超えるレストランがある。その中で伝統的(正統)なものは数えるほどしかないが、中にはとてもこれが日本料理とは認められないものも随分含まれている。そのほとんどが日本人以外の経営者である。
一見、日本レストランのような感じを出しているが良く見るとどこかおかしいことに気が付く。メニューの名前や字がでたらめだったり、ひどいのになると日本料理と中華料理の区別が付かないものや、韓国料理や全てミックスでも名前は日本料理店と言う所もある。

アフリカ講習会の折ナイロビに有る日本料理店に入った事がある。
店に入ると『いらっしゃいませ』と声が掛かった。中には多くの日本人客がいた。雰囲気が何処と無く変わっていて、良く見ると絣の着物を着た現地の女性が注文を取りに来た。店の奥ではやはり現地の料理人がテンプラなどを揚げている。味は確かに日本料理で、経営者は日本人だった。

この様に観察すると経営者が日本人以外の店は往々にして"もどき店"が多い。
自分が来た頃のロンドンには数えるほどの日本料理店しかなかった。又その様なレストランで食事をする機会もほとんど無かったが、たまに入ると確かに経営者は日本人と言っても、とても店で出すような料理ではない処も確かにあった。この場合は素人料理と言った方が適当かもしれない。

時代が変わり、日本人も70年代中頃の4,000人(在留届けした人数)から現在では50,000人をはるかに超えたと聞く。そんな状況を見るに日本料理店が多くなっても不思議ではない。又アメリカなどの日本料理導入の先進国等から日本料理は健康志向というイメージが入ってきた事も日本料理の普及に貢献している事だろう。

ところで日本人に不評の"もどき店"も日本人以外には結構好評のようだ。
実際に日本料理を食べた事の無い人達には雰囲気が日本料理と思わせるのであろうか?彼等に、実際に伝統料理の刺身を食べさせて"もどき店"で示した満足を得ることが出来るかと聞いても、おそらく“No”だと思う。なぜなら彼等は雰囲気に満足して「日本料理を食べた」と思っているわけで、本物の味が旨いとかそうでないとかの区別が出来るとは考えられないからである。

では元に戻って英国料理はどうか。
ロンドンに住み始めた当時は良くフィッシュ&チップスを食べた。合宿などでも昼食に毎日食べた事もある。当初はそれでも旨いと思って食べていたように思う。只イギリス人達が食べるようにモルトヴィネガー(酢)をチップスと魚のフライにかけ塩を振りかけた食べ方だけはどうしても出来なかった。我が家の子供たちは勿論ロンドンで生まれ育った事から全く英国式の食べ方が旨いようである。

英国料理と名の付く物が少ない代わりにロンドンには世界中の食材とレストランがある。
おそらくその種類の多さでは東京よりも余程多い事であろう。それはロンドンに住む外国人の種類が東京とは比べ物にならないくらい多いからであろう。そこに住む人達により料理も文化の一環として取り入れられている。そのお陰で色々な国の料理を味わう事が可能と言うわけだ。

料理は何処の国でも重要な文化である。単に口に合わないと言ってもそれはその人個人によるものであり別の人には旨い事も確かである。もし色々な国の文化を理解しようと思うのならば自分の好みの味を先ず無にして、好奇心で味わって見たらどうであろう。思ったよりも色々な国の味になじむ事が出来ると思う。自分の感覚だけが正しいと信じて、いつもそれを基準に他国の料理を判断していたら何を食べても難しいような気がする。

日本には確かに美味しいものは沢山ある(特に我々日本人にとっては)、しかし同じ様に他の国も、その国の人達にとっては何処の国よりも自分の国の食べ物が一番旨いと言うことも真実であろう。

2007/04/20

歴史教育?

最近の日本から入るニュースを見ていると、どうも変だな?と感じる時がある。

第二次大戦末期の沖縄戦で『米軍に捕虜になる前に自決するように』との指示や命令が“日本軍からあった”ことを教科書から削除する様に文科省が修正意見を出し、修正させたことが話題になっているらしい。

前にも書いたがこういうことは客観的事実に基づいた事例が大切である。
『公的に日本軍から指示があったという証拠がない以上、記載はすべきでない』という文科省の見解ももっともだと思うが,軍が公式に命令したかどうかに関わらず、軍の関与があったことは疑いようがないだろう。

現実に兵隊から命令された人が現在も生存して証言されている。この人達は自決の為に手榴弾まで渡され、事実それを使い自決した人達も数多く報告されている。
しかし、これらの事は昨年までの検定では問題になった事も無く、教科書にも明確に載せられていたという。今年になって、なぜ急に問題となって削除させられたのであろうか。

日本軍によると言われる南京に於ける被害者数に関しては小生も客観的事実が必要だと思う。
しかしその数が中国が主張するように30万人以上であったか、日本が主張する数万人が正しいのかは別として、南京において日本軍が数多くの死傷者を出す事件を引き起こした事実は消す事の出来ない歴史的事実である。

『指示した証拠がないから記載すべきではない』と言うともっともらしいが、うがった見方をすれば、『証拠さえ隠滅してしまえばどうとでもなる』という口実にならないか心配である。『直接的関与の証拠がないから、広島や長崎の原爆や東京大空襲も無かった』と言われる日が来なければいいが。

無差別に一般市民が犠牲になった東京大空襲や広島、長崎の原爆投下は隠しようの無い歴史的事実である。又南京事件そのものも有った事事態は事実として伝えなければならないと思う。

安部総理の唱える 『美しい国』なるものの正体が一体何を指すものなのか?
まさかこの様に少しづつ教科書の内容を変えて、戦前の日本国民のように自民党政府だけを信じさせるような教育をしようと言うのであれば小生はご免こうむりたい。又その様な政治家や政府を支持しない。
前にも書いたが「日の丸、君が代が好き」と言う事と、美化し右傾化した日本を信じることは別な事である。

現在の日本国憲法が随分矛盾した部分を抱えており、政府が何とか憲法(第九条)を改正をして自衛隊を軍隊に昇格させ、海外に展開させたいと考えている事は想像できる。 しかしその事が日本の本当のメリットになるかと問われれば疑問の残る問題であろう。

防衛庁が防衛省に変わった。自衛隊は紛れも無く軍隊であるし、その事を無理に『自衛隊』と言わせてきた事の方がおかしい事は言うまでも無い。何処の国であっても自国を守る軍隊は必要であろう。それが無い国の方がおかしい。日本は世界でも有数の軍備を持ち、何処の国から見ても立派な軍隊であった自衛隊を軍隊と言わせなかった事の方がおかしいと思う。

しかし国連の常任理事国になるために世界中の紛争地に日本人が駆り出されるのなら、そんな常任理事国等になる必要は無いと思う。一部の政治家の対面の為に戦争をやる事なんぞマッピラである。

イラク戦争に自衛隊が派遣された事は誰が何と強弁しても日本の為にならなかった事は明白である。
実際に派遣された自衛官の人達には申し訳ないし、ご苦労様でしたと言いたいが、アメリカの都合に付き合わされた(良い顔をした)小泉首相の判断は、イラクと北朝鮮問題を切り離して対処しなければならなかった事は時間が経てばよりはっきりしてくる事だろう。

国民は政府の為にあるのではなく、政府が国民の為にあることを考えれば本当の意味で美しい国とは国民の為に真摯に政治をやっている国(政府)であろう。決して政府の為に国民を戦争に巻き込もうとする国ではないはずである。

開祖が繰り返し説いた『おかしいことは、おかしい』と言える日本人でありたい。

2007/04/19

カーマスコット

カー マスコットと聞いて何を想像されるだろうか?
車の一番前、ボンネットの中央に位置する場所に会社のマークや、シンボル(ロールスのフライングレディー等)を見た事が一度や二度はあると思う。

小生もロンドンに住み始めた当初、車を買い替えられないのでこのカー マスコットと呼ばれるものを集めていた時期がある。 有名なものは先に書いたロールスロイスのフライングレディー(レディーと言うが実は男性らしい、今度見たら顔を確かめて見ては)、メルセデスのスリーポインテッド スター、ジャグアーの飛び掛る姿は有名だが、ヴィンテージ物にはフランスのラリーク製のクリスタルで作られた女性の顔や、コウノトリがシンボルであった超高級車イスパノ スイザやブガッティ ロワイアル等と言った戦前の名車には必ずと言って良いほどカー マスコットが付いていた。
集め始めるとなかなか面白く、毎週住んでいた近くのポートベローと言うアンティク マーケットに出かけては探していた。
しかし有名な物(ラリークやコウノトリ)等はほとんど出ない、たまに本で見かけたレア物が出てきても価格的に当時の小生には手の届かない値段が付いていた。
車好きの小生だったが正直言ってヴィンテージ カーにはほとんど興味がなかった、あるとき日本の友人からロンドンにあるヴィンテージカーのガレージに行って交渉するように頼まれた。 彼はそこにあったACと言うスポーツカーに興味があったようだ。
1920年代のACだったと思うが車体が真っ赤に塗られたその車は、78年頃の値段で350万円くらいしたと思う。その時見たACにきれいな車だなーと感心してしまった。

そんな時にプレスコットのヒルクライムに行く機会があった。ここは古い車で坂道を駆け上がるいわゆる"ヒルクライム"として有名なところである、言って見ればフォーミュラー1(F1)のサーキットがシルバーストーンやブラウンズハッチとして有名だがヴィンテージ カーの所有者には年に一度の晴舞台ヒルクライムとして有名だったようだ。元々は英国のブガッティ オーナーズクラブが主催したヒルクライムであるらしい。

そこに行って驚いたのは、戦前のブガッティやマセラッティ、アルファ、ベントレー等などそのどれもが有名なコーチビルダによって完璧にレストア(修復)されたピカピカの状態で、惚れ惚れするような美しさであった。
そんな高級車でしかも高額のレストアに掛かる費用を出したはずのドライバー達が、まるで子供のようにこれらウン千万円もするであろうヴィンテージ カーを、若者が暴走するごとく坂を駆け上がってゆく様はまるで別世界に来たような経験だった。
小生はと言えばそれらの名だたる名車の前に並んで写真を撮るくらいで、後はドライバーに『何処から来たの』と聞くくらいの英語力だったのだ。 参加者の半分以上が海外からの参加者(夫婦で参加して楽しんでいる人達も居た)で初老のジェントルマン(参加者のほとんどもヴィンテージ期の男たち)が皮製のヘルメット?にグラスが平面の為淵に段差があるゴーグルをして、真剣な顔で出番を待つ。
フレンチブルーのブガッティこんな高価な車を思い切り走らせ、(急坂をタイムトライアルで競う)もし壊れたらどうするのだろう?と人事ながら心配してしまった。

勿論この様な催しに出てくるような紳士、淑女にはウン千万円など心配の種にもならない人達なのだが、美しい戦前の名車達を間近に見てすっかり魅了されてしまった。
魅了されたからと言って直ぐに買えるような車ではなかったが、英国人たちの車好きの楽しみ方が少し分かったような気がした。
ヴィンテージ カーはなるべくオリジナルの部品を多く残している車を彼等は高く評価する、アメリカのハーラーズ コレクションの様な新車よりも綺麗なピカピカにクロームメッキを施された状態の車は、彼等にとってはあまり興味の対象とはならないようだった。
カー マスコットから興味を持ったビンテージ カーの世界も自身の経済的理由から眺めるだけの趣味とは言えないものだったが、ある時日本の友人からアルヴィスと言う車を買いたいので助けてくれないか?と連絡が来た。 アルヴィスなど聞いた事も無い名前だったが、そう言えばカーマスコットにウサギが立ち上がっているのがあったことを思い出した。
渡英した友人とその売りに出されていたアルヴィスを見に行った。 先ずオーナーが若いことに驚いた、普通この様なヴィンテージカーを趣味としている人は大半が経済的にゆとりがあるミドルクラス(英国の中流階級)以上の人達が普通だったので、30代中頃と思しきオーナーには正直言って驚いた。
彼の説明では古い車をベア シャシー(車体を支える骨組み)から錆を落とし、ペイントやクロームメッキを施し、ほとんどオリジナルな部品で仕上げたと自慢の車だった。
価格は150万円くらいでいくら70年代末とは言え驚くような安さであった。 そのオーナーはクラッシックカー レースが趣味で自分でくみ上げたアルヴィスでレースに出ていると言う。 『隣に乗るかい?』と聞くので好奇心旺盛な小生は二つ返事で乗り込んだ。
2座席のスポーツカーであったが、ギアはドライバーの右側、つまりドアの外側に位置していた。 ガリというギア鳴りもなんのその勢い良く走り出したアルヴィスは夕闇迫る細いB級道路(A,B等の記号で道路の区別がある)をもの凄い勢いで走ってゆく、勿論シートベルトなんぞは無い時代の車、必死に車体の前後を押さえつけて居た。 草むらや木々の小枝をものともせずになぎ倒しながら時速60キロから100キロ(サーキットではありません)と言うスピードで飛ばしてゆく。
自分のレストアした車の信頼性を証明したかったのか、はたまたこの様な古い車を自由に操れる腕を自慢したかったのかは、今となっては定かではないが、ともかく無事車庫に戻った時にはホッとしたことを覚えている。

その車も日本に売られていった、当時はまだこれらのヴィンテージ期の車達も今ほど高価ではなく、日本円が急激に強くなって居る時期と重なり自分が知っている友人だけでもかなりの数の車が日本に渡った。
その後英国南部にあるクラッシックカー博物館(ロード モンタギュー博物館)を訪れた事があった、戦前の英国はもとより世界中から集められた名車達が所狭しと並んでいた。 中には当時でさえウン億円と言われたイスパノ スイザが展示されていたので良く内容を読んで見ると、展示車の所有者はポール マッカートニー氏と書かれていた。
カーマスコット収集がせいぜいだった小生のヴィンテージカーとの付き合いも、その後は少しづつ薄れていった。 当時ため息が出るようなヴィンテージ カーを見て、『1台欲しいなァ』と考えた事もあったが、現実と希望との間にはあまりにも大きなギャップがその夢を覚ましてくれた事も事実である。

2007/04/14

右翼ではありませんが日の丸が好き

海外に長く住むと勢い日本という国を強く意識するようになる。
なぜか理由ははっきり分からないが例外なくあらゆる場面で日本を応援したくなる。

自分は英国に住んでいる時間の方が日本で過ごした時間より長くなってしまったが、さりとて頭の中までイギリス人になった訳ではない。両親が日本人だからそう思うのか?そうでは無いと思うのだが、生まれて大学を卒業、就職して25歳まで日本から出たことが無かった。

25歳で渡英して33年が過ぎたわけであるから、こちらでの人生の方が長いわけである。
勿論イギリスも今では自分にとっては大切な国である。しかしだからと言って日本人である事を忘れられるであろうか。初めに書いたようにあらゆる場面で日本が関わっている時には、理由の如何を問わず日本の側に立っている自分に気付くことが多い。

オリンピックなども日本選手が活躍すれば当然応援に力が入る。F1のレースを見ていても自然と日本人ドライバーの佐藤琢磨を応援する。彼がリタイアしたならば、ホンダやトヨタと言った日本のティームを自然に応援している。昨年のワールド ベースボール クラッシック等はインターネットで中継された試合を夜中に起きて応援したものだ。
この様に観察するとなぜそこまで日本を応援したくなるのか疑問を持たれる人が居るかもしれない。断わっておくが小生は決して右翼ではありません、むしろ嫌いな方である。共産主義や左翼思想も嫌いである。 ではなぜ日の丸に愛着を感じたり日本をそこまで応援できるのであろうか。

それは我々日本人が好むと好まざるとに関わらず国籍を意識せざるを得ない状況におかれているからではないだろうか。

3年ほど前にウズベキスタンと言う国に拳士10名くらいで行った事がある。
現地の日本大使館には英国連盟OBでオックスフォード大学少林寺拳法部創設者の高橋博史氏が公使として赴任中であった。我々の目的は日本大使館が催す日本文化月間のオープンに少林寺拳法のデモ(演武)をして、日本の文化と少林寺拳法を紹介する事であった。

さすがに日本大使館が催すだけにウズベキスタンの政府も副首相が挨拶し、日本の大使夫妻と共に見学されていた。

初めに国旗掲揚があり、君が代が鳴り出すと参加者の日本人拳士は自然と歌い出す事になった。同時に心の中に熱いものが湧き出ている事に感動を覚えた。これは自分だけかな?と思っていたが後で同行の拳士に聞いてみたら皆同じ様に感じていた事が分かった。

そればかりか異国の地で聞く君が代に『涙が出そうになるほど感動した』と女性の拳士から聞かされたときには何か分かったような気がした。日の丸を背負って何かをすると言う事の意味が!

オリンピックなどで金メダルを手にした選手が君が代が始まった途端に泣くシーンを見た事がある。初めは苦しかった練習に打ち勝って金メダルを得たことに感動して涙すると思っていた。
それも少しはあるかもしれないが、涙の主な理由はそうではないように感じる。海外で聞く君が代は、特に自身が日の丸を背負った時には大きな感動を呼び起こすと言う事だ。

そこには右翼とか左翼とかそんなものは一切無いと断言できる。
日本の代表として何かをする時、日本人として誇りを感じ又他の日本人に対して責任を感じるからではないだろうか。

これは何も日本人ばかりがその様に感じるのではないと思う。何処の国籍でも自分の生まれた国は誇りに感じたいものだと思う。そしてその代表者として何か事を成し遂げた時にはやはり国旗を振りかざし涙する姿は万国共通であろう。

現在、日本の教育現場では国旗掲揚と君が代の斉唱(また斉唱時の起立拒否)が毎年問題になる。
教育者が国旗、国歌を無視する姿もどうかと思うがそれを強要する国も感心したものではない。これらの教師は生徒達にどの様に教えるのであろうか?

『日の丸は先の大戦で戦争のシンボルとして使われたから国旗とは認めない』『君が代は天皇家のみが繁栄するという意味だから国歌として相応しくない』とでも言うのだろうか。

翻って英国の国旗は世界的にも有名なユニオンジャック、国歌はGod Save the Queen(神よ女王を護り賜え)。両方とも戦争の数では日の丸や君が代をはるかに凌いでいるだろう。しかるに英国民がユニオンジャックに中指立ててソッポ向いてる奴など見た事が無い。

もし英国旗をユニオンジャックから変えるとして、どの様なデザインが考えられるであろうか。現在の一目で英国と分かるユニオンジャックより優れた価値のあるデザインが簡単に出来るとは考えられない。

国旗のデザインとは国の歴史が作ってきたもので簡単に変えられるようなものではない。日の丸もユニオンジャックやアメリカの星条旗に劣らぬ世界的認知度が高い国旗である。これも長い歴史から作られたデザインであるからこそ世界中で認知度が高いと考えられる。

国旗は国を表すシンボル マークである。だからこそ、そのシンボルは大切だ。
シンボルが悪いイメージ(戦争)を持っているのなら国民はそのイメージを変える努力をしなければならない。只単に別のシンボル(国旗のデザイン)に変えたところで世界の人達は日本国民が変わったと信じるだろうか。その事を良く知っているからこそ英国は血で塗られたユニオンジャックでも変えることは無い。
そのユニオンジャックの元に良い事(国際貢献等)も何倍もやろうとしているわけだ。

国歌も同じで君が代が『天皇家のみが栄える』と言うのなら、英国歌は『神は女王だけを救う』とも解釈できるではないか。言葉尻をとらえたこの様な揚げ足取りは教育者として果して正しい事と言えるのであろうか。

真の教育者であるならば日の丸が世界中から尊敬に値する国のシンボルになるように、生徒達にその為の努力を教えるのが本筋ではないか、『共産主義の目指す社会には相応しくない』と言う反対では多くの支持は得られないだろう。

国も又しかり、国旗、国歌を強要する都度に見え隠れする戦争への不感症社会の地ならし。国を護ることは大切な事ではあるがそれは政府を護る事では無い。日本国民の生命と財産を護る事であり、政府の面子の為に海外の戦場に日本人を送り出そうと言うのならその様な政府はご免こうむりたい。

ともあれ小生はこれからも日本を、日本人を応援したい。
それが自分のアイデンティティに誇りを持てる最良の方法であると信じるから。

2007/04/11

日本人の行動パターン

最近のニュースで東京大空襲被災者ら、国に賠償・謝罪求め提訴と言うものを読んだ。

被災者自らが賠償、謝罪を求めると言うから、てっきりアメリカ政府を提訴か?と思ったがよく読むと日本政府を提訴となっているではないか。
アレ? と感じたのは小生だけだろうか。

東京大空襲で10万人を超える死者が出たことは知っている。
1日の死者数では広島や長崎の原爆による死者数を上回っている。
その事に文句の一つも言いたい気持ちは充分に理解できるが、その相手がなぜ日本政府なのだろうと不思議な気持ちになった。

歴史教育がなされていない事は今更言うまでも無いが、それにしても10万人にも及ぶ死者数を作り出したのは紛れも無くアメリカによる行為である。南京大虐殺の事件を中国は30万人以上が虐殺されたと主張するが、この数字には客観的事実は未だ示されていない。
東京大空襲や広島、そして長崎の被害者数は全て客観的事実に基づく数値である。

『なぜアメリカ政府ではなく日本政府が提訴の相手なのですか?』と、これを提訴した人に直接聞きたいと思った。もしかしてアメリカにはサンフランシスコ平和条約にて決着しているので提訴できないと考えての行動なのだろうか。

今一度海外事情を良く考えてもらいたい。
日本以外の国でこれをやったらお笑い種であろう。
もしかして広島と長崎に原爆を落とした張本人は日本人なのでは?等と勝手な言いがかりを付けかねられない。

当時戦争状態に無かったソ連(現ロシア)にも、北方領土の返還を言う前に原爆投下を機に参戦し、領土や財産のみならず捕虜として200万人を超える日本人を何年も働かせ、40万人近い死者を出している事実を先ず謝罪させる事の方が先決ではないか。

一体日本がソ連に対して第二次世界大戦でどれほど被害を与えたのか?
日ソ不可侵条約はソ連と連合国側の都合で一方的に破られた訳だが、それまで日本は第二次世界大戦においてはソ連に何一つ迷惑をかけていなかったのではなかったか。

そんな状況の日本人が戦後に捕虜として何年も捕られ多数の死者を出した現実には一切触れずに、人権問題を持ち出すのが日本以外の国のメンタリティーだと言う事を解かっていないと、100年経っても日本は世界の笑いものであろう。

歴史は昔から戦勝国によって作られてきた。
しかしながら現在も継続しているイラク戦争などは過去の一方的な歴史とは違い世界中が注目している。 客観的事実を無視した歴史認識など世界から相手にされなくなる事だろう。
客観的事実とは、被害者の名前、戸籍、領土問題であれば歴史的事実(記録等)が第三者によって確認できる事をさす。

東京大空襲も広島、長崎の原爆も被災者は99%が民間人と言う客観的事実がある。
被害を与えた国はアメリカと言う事も客観的事実である。 
現在の日本とアメリカはお互いに友好国であるが、現在の友好国には客観的事実を捻じ曲げて主張するべき事を言わないのが礼儀と日本人は考えていないだろうか。
ではなぜその友好国にアメリカから従軍慰安婦の人権問題が出されるのか。

日本の責任が無いと言っているのではない。
しかし日本と韓国の間で戦争状態があったわけではない。
1905年に日本は韓国を併合しているが、当時の国際連盟も承認している客観的事実は消す事の出来ない歴史的事実である。
台湾も1895年に日本の領土となっている。
当事国にとっては腹の立つことである事は充分理解できるが、それ(感情)と客観的事実は区別して考えないと混乱してしまう。

日本が犯した非は非として認める態度も必要だが、卑屈に客観的事実を捻じ曲げて主張すべき事も言わないという態度は世界基準からは先進国と言えるであろうか。

開祖が危惧し日本人に教えたかった言葉『正しい事は正しい』と言える人間で有りたい。同時に海外で指導する場合には『先ず相手の立場に立ってよく考えて』と言う事を指導者としては注意している。
両方(日本人とそれ以外の国での特徴が全く反対である為)の問題点がこれほどはっきり出てくる事も注意しないととんでもない逆の指導をする事になってしまう。

2007/04/05

忘れえぬ初期の弟子 モベア ジョマックの事

渡英してまもなく2つの大学で教え始めた事は前にも書いたとおりである。

半年くらい後に英語の全く出来ないフランス人が入ってきた。名前をモベアと言いフランスで少林寺拳法に入門していたが、英国にやってきたので小生の道場で入門しなおして練習に参加することになった。

彼の英語は全くイギリス人には通じなかった。
小生も英語は出来なかったがどう言う訳か、彼の英語は小生にだけは通じた。
それは彼にとっても同じ事であったのだろう、小生の英語がなかなかイギリス人には通じないのにモベアには小生が何を言いたいのか80%くらいは理解できたようだ。

これは今になって思えばお互いに英語が出来ない外国人同士、ほんの少しの単語でも想像力を働かせて、お互いに理解しようしたのだと思う。 
イギリス人にはさっぱり通じない小生の英語だったが、そんな中お互いを理解しあえる者に出会えて随分心強く思った。それはおそらくモベアも同じ思いだったのだろう。

しばらくして小生の住んでいるフラットにたずねて来た。
『強くなりたいのでどの様に練習したら良いかアドバイスしてくれ』と言うのである。

そこで、『拳立てを続けて100回出来るようになったら又来い』と言った。
はたしてどれくらいの期間で出来るのか?と想像していた。道着に着替える時に見る彼の体はウェート トレーニングをして鍛えたのだろう 筋肉の塊りのような立派な体であったので、少し時間をかければ100回くらいクリアーするだろうと考えていた。

1週間もしないうちに又やってきて、『100回出来たので次は何をしたら良いか?』ときた。
当時は小生も毎日拳立て300回の時代である。
『200回やれるようにして来い!』と言ったら素直にうなずいて帰って行った。

おそらくこれも時間の問題でクリアーするだろう事は容易に想像できた。練習日にどうだ?と聞くと毎日拳立てしていると言う。何セットやるのか聞いたら『時間があるときにいつもやっている』と答える。これだ、早い訳だ。

自分のトレーニングは拳立ても腹筋も2セットづつだった。しかし奴は暇な時に何回もそれをやっていた事になる。初めの100回が1週間も掛からなかったので、ウェート トレーニングで付いた筋肉のせいかナ?と思っていたが、現実は違っていた。

小生の拳立ての数は毎日2セットを、前日よりも1回でも上回るように続けた成果だった。結果的に増え続け300回を超えてしまった。しかしこの頃になると、これ以上続けても余り意味の無い練習だと思うようになった。時間を他の練習にも割きたかったのだ。

モベアの200回クリアーは3週間くらい後に実現した。
そして又フラットにやってきた。『200回クリアーしたので次の課題を教えてくれ』と言う訳だ。
半ばあきれたが、2,3のトレーニングメニューを教えて続けるように指示した。

元々彼は少林寺拳法に出会う前は柔道をやっていた、何でも父親がフランスの軍人で柔道が強かったらしい。 そんな訳で彼も幼い頃から柔道を習い、一人っ子ではあったが厳しく躾けられたようだった。

そのうち仕事を拳法中心に変えて、毎日昼間から小生のフラットにやってきた。行くところ、行くところ全て金魚の糞のようについてくるようになった。 これでは彼女にも会えねーじゃねーか! と思ったが不思議と我々は気が合った。
乱捕りもどんどん強くなってゆく、あるときフランスに1週間里帰りした。その時パリの青坂先生の道場を訪ね練習を付けてもらったようだった。

ロンドンに戻った彼は、『青坂先生は強かった!』 『法話は何を話しているのか余り理解できなかったが弟子はまじめに聞いていた』と報告した。
後になって先生本人から聞いた話だが、青坂先生も当時はフランス語が余り得意では無かったそうである。
『俺はフランス語を勉強する為にここに来たんじゃない!』
『少林寺拳法をそして俺を理解したければお前たちが日本語を勉強しろ。』
侍は居るものだ。 おそれいった。

その青坂先生の影響をタップリ受けて帰ってきた彼は『先生も法話をするべきだ』ときたもんだ。
『お前にしか俺の英語は通じないじゃないか?』と言ったが聞き入れない。『下手でもかまわないから法話をしろ』と事ある毎に言われる状態だった。

あるとき覚悟を決めて法話らしきものを、教範から読んだ事を話した。ほとんどの拳士は意味不明と言う感じだった。やっている方がめげそうだったが、聞く方も10倍くらい辛かっただろうと今にして思う。

英語の上達は小生も彼もほとんど同じようなスピードだった。
しかしモベアと言う良い理解者が出来た為、小生の英語(らしきもの)をしゃべる機会は圧倒的に多くなっていた。

道場では一番先輩格の彼は後輩にも良くアドバイスをしていた。
相変わらずフランス語訛りで英国人にとっては聞くことが難しい英語ではあったが、その上拳法用語は全て日本語ばかり、おまけに先生の英語が又怪しいときている。大変だったろーなァ、何しろこの世界は先輩の言う事は絶対で、真剣に聞かねばならないから。

そんな時期小生は1ヶ月ほど日本へ合宿参加の為に帰国した。久しぶりに本部での練習を終えた後実家に帰った。又しばらく帰る事の出来ない日本を満喫して、再びロンドンへ戻った。

戻って最初の練習日、協会の練習場はこの日もほとんどのメンバーが顔をそろえていた。が、モベア拳士の顔が見えない。今日は仕事が有るのだろうと気にも留めなかった。
練習を終えて着替えている時にスコットランドヤード(警察官)が2人入ってきた。何事か話しているがモベアの事のようだった。

要領がつかめなかったが、彼等が道場を出た後弟子の拳士に詳しく聞いて見た。小生がロンドンへ向かって飛んでいる丁度その日に『ドーバー海峡の絶壁から落ちて死んだ』と言うのだ。仲間の拳士達は拳を壁に打ち付けてうなだれている。言葉を簡単には理解できないモベアだったが、彼等の信頼は確かだった。

2週間が過ぎてもその事実を信じることが出来なかったが、両親が身柄を受け取る為にロンドンにやってきた。
何でも実家に変えるたび、少林寺拳法の事、二言目には小生の事を話していたと母親から聞いた時には
返す言葉さえ見つからなかった。

あれから30年、小生が曲がりなりにも今日まで少林寺拳法の指導者としてやってこられたのは、渡英直後の混乱機に小生をそして少林寺拳法を理解しようと懸命だったモベア ジョマックと言う拳士に出会ったからではなかろうか。

弟子と言うより、逆に指導者としてのあるべき姿をモベア拳士から教えられたように思う。

2007/04/01

Genius & Mad

『天才と何とかは紙一重』と言う事を聞いたことはあるが、世の中で天才と言われる人は確かに人と同じでは無いのかもしれない。

何年か前スペインのバルセロナを訪れた事がある。
以前からバルセロナにあるアントニオ ガウディーのサクラダファミリアをこの目で見て見たいと長年思っていたが、実際に見るサクラダファミリアは天を突くばかりの巨大な協会であった。

そして余りにも非現実的なその姿は数多くのキリスト協会を見慣れてきた自分にも異様な雰囲気の建造物であった。バルセロナに数多く残されたガウディーデザインの建物はそのどれもが「その異様さ」において群を抜いていた。

小生が子供の頃テレビで見たアメリカのホームドラマで「アダムズ一家」と言うコミカル物が有ったが丁度その中の館の雰囲気にぴったりの建造物なのだ。
そこには『すごい』と思わせる何かが確かにある。どうしてこの様な発想が出来るのだろうと考えたりもしたが、所詮凡人の自分に分かる道理も無い。

有名な服飾デザイナーがパリやニューヨークで行うコレクションの奇抜なデザインを身にまとったモデルが反り返って歩いている映像等を見ると、その服では実際に街中では歩けないだろー?と思うことが時々ある。そんなモデルが街に突然現れた様な感じがガウディーデザインの建物かもしれない。
ガウディー,服飾デザイナー双方に失礼な例えかもしれないが、アーキテクトの素養の無い自分にはどうしてもそう感じてしまうのである。

自動車業界はもっと切実である。
デザインの如何によって車の売れ行きに大きな差が出てくるからだ。又大量に生産される大衆車は町中で頻繁に見られるようになる。そうなるとガウディーや服飾デザイナーの非ではない。

一般的に大衆車は無難なデザインが選ばれる。しかし良く観察して見ると長く愛される車のデザインは実に無駄の無い優れたものである事がよく分かる。
Dr.ポルシェがデザインしたビートルの愛称で親しまれたヴォルクス ワーゲンやアレックス イシゴニスがデザインした初代ミニ クーパーなどは外観、内装、機関の全てにおいて長い年月に耐えられるだけの優れた特徴を兼ね備えていた。

残念ながら今のビートルやミニは全く興味がわかない。
スタイルのみを模造してその優れたコンセプトは無視、つまりそれらしく可愛らしさを前面に打ち出したノスタルジック頼みのスケベ根性が丸出しである。

この様に見ると同じデザイナーでも本当の天才(ガウディーやイシゴニス)と、形ばかりを優先させたフェイク デザインでは視覚に耐えられる時間の長さが全く異なる事に気が付く。

BMWが売り出したミニは数年でモデルチェンジである。一回り大きくなり、なるべくモチーフのイメージだけは壊さないようにほとんど同じデザインである。
ビートルに至っては売れれば良いのでコンセプト無しが丸見えだ。形だけでエンジンなんぞは古いゴルフの借用品。車のダッシュボードに花瓶なんぞいらない。安全までも軽視のこんなカッコ車は早く消えてもらいたいと思う。

そこへいくとフェラーリは素晴らしい。
いつも感心させられるのがそのスタイルと見せ方である。
セクシーと言う言葉が車のデザインに適当かどうかは別として(小生はセクシーだと思う)、浮世離れしたデザインは乗る人と見る人の両方を魅了する術を知っている。ついでに価格も浮世離れしているけどね。
車好きの人ならばフェラーリのエキゾーストから発せられる「クヲーン」と言う排気音を聞いただけでもゾクゾクすることだろう。

フェラーリをデザインするイタリアのカロッツェリアは色々あるがそのどれもが創始者エンゾ フェラーリの描く、フェラーリとしての哲学を形として表現しているのだろう。そうでなければあのようにモデルが変わっても均しく人々を引き付ける魅力を持った車を出せないのではあるまいか。

英国の自動車産業は残念ながら倒産やら身売りで見る影も無いが、決して彼等の技術レベルが低いわけではないと思う。

それの代表的な例がF1のデザイナー達である。
自動車とその機構を知り尽くした優秀なデザイナーの数は、世界中の国でおそらく一番多いのではないかと思う。残念ながら優れた技術や設計能力が製品としての一般車に結びつかない事が、英国の自動車産業が衰退した理由では無かろうか。

長年高級車として君臨してきた英国のロールス ロイスとベントレーは数年前にBMWとVWのドイツ勢に買収されてしまった。
買収後、両社から発売されたロールス ロイスとベントレーはその売れ行きの明暗が大きく分かれてしまった。

ロールス ロイスは先のミニやビートルのフェイクモデル路線をとり、かつてのシルバーゴーストのイメージを色濃く残した高級車路線(小生には霊柩車路線に見える)。一方のベントレーはかつてのルマンを制したビッグベントレーのデザイン戦略。スポーツカー顔負けのパワー路線(事実ポルシェやフェラーリ張りの早さを誇る)戦略である。

両社とも高級車路線は同じでもそのデザインは全く異なっている、今では街で50回ベントレーを見る事があっても、ロールス ロイスは1回程度になってしまった。元は同じ高級車であったロールス ロイスとベントレー、大衆車のイメージを嫌いVWに身売りする事を拒否したロールス ロイスはBMWからの経営方針にどう感じていることだろう。
大きく販売台数で成功したベントレーは今後どの様な車を出すのだろうか。 

両社の明暗が示すデザインとコンセプトの大切さを車社会を通して見ているこの頃である。