2007/04/01

Genius & Mad

『天才と何とかは紙一重』と言う事を聞いたことはあるが、世の中で天才と言われる人は確かに人と同じでは無いのかもしれない。

何年か前スペインのバルセロナを訪れた事がある。
以前からバルセロナにあるアントニオ ガウディーのサクラダファミリアをこの目で見て見たいと長年思っていたが、実際に見るサクラダファミリアは天を突くばかりの巨大な協会であった。

そして余りにも非現実的なその姿は数多くのキリスト協会を見慣れてきた自分にも異様な雰囲気の建造物であった。バルセロナに数多く残されたガウディーデザインの建物はそのどれもが「その異様さ」において群を抜いていた。

小生が子供の頃テレビで見たアメリカのホームドラマで「アダムズ一家」と言うコミカル物が有ったが丁度その中の館の雰囲気にぴったりの建造物なのだ。
そこには『すごい』と思わせる何かが確かにある。どうしてこの様な発想が出来るのだろうと考えたりもしたが、所詮凡人の自分に分かる道理も無い。

有名な服飾デザイナーがパリやニューヨークで行うコレクションの奇抜なデザインを身にまとったモデルが反り返って歩いている映像等を見ると、その服では実際に街中では歩けないだろー?と思うことが時々ある。そんなモデルが街に突然現れた様な感じがガウディーデザインの建物かもしれない。
ガウディー,服飾デザイナー双方に失礼な例えかもしれないが、アーキテクトの素養の無い自分にはどうしてもそう感じてしまうのである。

自動車業界はもっと切実である。
デザインの如何によって車の売れ行きに大きな差が出てくるからだ。又大量に生産される大衆車は町中で頻繁に見られるようになる。そうなるとガウディーや服飾デザイナーの非ではない。

一般的に大衆車は無難なデザインが選ばれる。しかし良く観察して見ると長く愛される車のデザインは実に無駄の無い優れたものである事がよく分かる。
Dr.ポルシェがデザインしたビートルの愛称で親しまれたヴォルクス ワーゲンやアレックス イシゴニスがデザインした初代ミニ クーパーなどは外観、内装、機関の全てにおいて長い年月に耐えられるだけの優れた特徴を兼ね備えていた。

残念ながら今のビートルやミニは全く興味がわかない。
スタイルのみを模造してその優れたコンセプトは無視、つまりそれらしく可愛らしさを前面に打ち出したノスタルジック頼みのスケベ根性が丸出しである。

この様に見ると同じデザイナーでも本当の天才(ガウディーやイシゴニス)と、形ばかりを優先させたフェイク デザインでは視覚に耐えられる時間の長さが全く異なる事に気が付く。

BMWが売り出したミニは数年でモデルチェンジである。一回り大きくなり、なるべくモチーフのイメージだけは壊さないようにほとんど同じデザインである。
ビートルに至っては売れれば良いのでコンセプト無しが丸見えだ。形だけでエンジンなんぞは古いゴルフの借用品。車のダッシュボードに花瓶なんぞいらない。安全までも軽視のこんなカッコ車は早く消えてもらいたいと思う。

そこへいくとフェラーリは素晴らしい。
いつも感心させられるのがそのスタイルと見せ方である。
セクシーと言う言葉が車のデザインに適当かどうかは別として(小生はセクシーだと思う)、浮世離れしたデザインは乗る人と見る人の両方を魅了する術を知っている。ついでに価格も浮世離れしているけどね。
車好きの人ならばフェラーリのエキゾーストから発せられる「クヲーン」と言う排気音を聞いただけでもゾクゾクすることだろう。

フェラーリをデザインするイタリアのカロッツェリアは色々あるがそのどれもが創始者エンゾ フェラーリの描く、フェラーリとしての哲学を形として表現しているのだろう。そうでなければあのようにモデルが変わっても均しく人々を引き付ける魅力を持った車を出せないのではあるまいか。

英国の自動車産業は残念ながら倒産やら身売りで見る影も無いが、決して彼等の技術レベルが低いわけではないと思う。

それの代表的な例がF1のデザイナー達である。
自動車とその機構を知り尽くした優秀なデザイナーの数は、世界中の国でおそらく一番多いのではないかと思う。残念ながら優れた技術や設計能力が製品としての一般車に結びつかない事が、英国の自動車産業が衰退した理由では無かろうか。

長年高級車として君臨してきた英国のロールス ロイスとベントレーは数年前にBMWとVWのドイツ勢に買収されてしまった。
買収後、両社から発売されたロールス ロイスとベントレーはその売れ行きの明暗が大きく分かれてしまった。

ロールス ロイスは先のミニやビートルのフェイクモデル路線をとり、かつてのシルバーゴーストのイメージを色濃く残した高級車路線(小生には霊柩車路線に見える)。一方のベントレーはかつてのルマンを制したビッグベントレーのデザイン戦略。スポーツカー顔負けのパワー路線(事実ポルシェやフェラーリ張りの早さを誇る)戦略である。

両社とも高級車路線は同じでもそのデザインは全く異なっている、今では街で50回ベントレーを見る事があっても、ロールス ロイスは1回程度になってしまった。元は同じ高級車であったロールス ロイスとベントレー、大衆車のイメージを嫌いVWに身売りする事を拒否したロールス ロイスはBMWからの経営方針にどう感じていることだろう。
大きく販売台数で成功したベントレーは今後どの様な車を出すのだろうか。 

両社の明暗が示すデザインとコンセプトの大切さを車社会を通して見ているこの頃である。
 

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