2007/04/25

コンプライアンス

『コンプライアンス』という単語の一人歩きを良く聞く。

いったいこのコンプライアンス(compliance)とは何か、不祥事があった(発覚した)会社の幹部が例によって3人も4人も、時には10人近い人達が一列に並んで深々と頭を下げる光景をこのところ良く見る。

その都度繰り返される言葉がこのコンプライアンスなる単語である。実際使っている人はその意味するところを充分に理解した上でcomplianceと言っているのだろうか? 小生にはとてもそうは思えない。

第一なぜ何人もの良い年をした大人が並んで頭を下げるのか?
この人達は本当に反省してそうしているのだろうか。
だとすればちょっと不思議な気がするのは小生だけだろうか。

もし会社で何か不祥事があった場合、その最高責任者は言うまでもなく会社の社長だろう。従ってその最高責任者が一人で責任を明確にすれば良い事であろうに、例によって3人も5人も頭を下げる始末である。いったいこの様な企業文化は何時始まったのであろう。小生が日本で暮らしていたのは今から33年も前の事なので、その頃にこの様な光景を見た記憶があまり無い。 

多くの人が頭を下げればそれだけ沢山の反省をしていると世間の人は考えるのだろうか?

小生は逆だと思う。複数の人が頭を下げる事により本当に責任を取らなければならない人の責任がうやむやにされているように感じられてならない。

彼等のメンタリティーには頭を下げる事で事件(不祥事)そのものに幕を引こうとしているように見える。つまりその後に使われる都合の良いコンプライアンスと言う言葉で全てを終らせて、それ以上の責任追求をされないようにしているとしか思えない。

では本来のcomplianceとはいったいどの様な意味を持っているのであろうか。

"要求や命令への服従、法令遵守、企業がルールに従って公正・公平に業務を遂行すること、服薬遵守、処方された薬を指示どおりに服用すること、外力が加えられたときの物質の弾力性やたわみ強度"等などがその意味するところである。おそらく彼等の使いたい言葉は法令遵守と言う事なのだろうが、そうであれば日本語ではっきりと「法令遵守」と言うべきであろう。

コンプライアンス等と普段使わない英単語を無理に使う事自体おや?と感じてしまうのである。もしかして、要求や命令への服従(会社上層部への)と言う意味で使っているのではないですよね?

日本の武士道が海外に紹介されて久しい。その最も重要な『責任から逃げない』と言う部分が現代社会では欧米型に変わってきて、俺の責任ではない、悪いのは自分だけではない、式の責任逃れのようにコンプライアンスが使われていませんか。

武士道の最たる美学は切腹が象徴するように、責任から逃げない!これが基本であったはずである。
然るに毎度繰り返される、ぞろぞろと並んだ会社のどんな役職に着いているかも明確にされないまま単に頭を下げる儀式、あれはいったい何時から出てきたのだろう。

一人で責任を明確に出来ない組織が、複数の人が頭を下げたところで本当にその様な不祥事が繰り返されないと世間の人達は考えるであろうか。むしろ小生などは『これは何かおかしいな?』と疑問の方が大きくなってしまう。

学校でのいじめが大きな問題となっている。これは何も日本だけの問題ではない、世界中(主に先進国)でおきている問題なのだ。しかしその対処の仕方が日本と英国とでは大きく異なる。

英国はいじめはあるものだと言う前提でそれに対する対処をしようとしている。しかし日本のこれらの報道を見ると校長始め教育委員会、文科省までが責任を明確にしない。お互いにうやむやにしている。この中でコンプライアンス等といわれてもしらけるだけでしょう。

子供たちに学校や教師を信用しろと言ったところで誰が信じるのであろうか。子供が自殺した後で校長や何人かの人達が雁首そろえて頭下げても「責任体系がうやむや」では何も変わらないと思う。

一体日本の誇るべき武士道文化は何処へ行ったのであろう。それらが欧米で紹介され評価を受けている時にすでにその本国(日本)では欧米式の責任回避文化が定着してしまっている。

戦後アメリカ文化を際限なく受け入れてきた日本はその大切なアイデンティまでも無くしてしまったのだろうか。アメリカから言われるままに全てを受け入れてきたお陰で最近では歴史認識までもおかしくなりかけている。本当の歴史に向かい合う事の無かった(出来なかった)戦後世代に全ての責任があるわけではないが、少なくとも客観的事実に基づいた歴史認識を日本も取り返さなければならない。

そうでないと繰り返される一列に並んで頭ぺこぺこの格好の悪い文化が日本の姿になってしまうような気がしてならない。

2 件のコメント:

  1. 水野先生、日本に帰国されたときに、『国家の品格』という本を買われたら良いと思います。今回の水野先生の書かれていることに非常に近い話です。
    善悪なんかに理由なんかありません。自分で直感的に悪いことというのものがあって、それをやるか、やらないかということは法律が決めることではないですね、本質的には。
    日本人にはやはりバスケットボールのような反則もゲームの内として、互いに納得して行うゲームよりも、ゴルフのような自己申告制のゲーム方が会いますね。
    柔道でも国際ルールだと、技の賭け逃げなど見ていて釈然としないのは私だけでしょうか。
    諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意

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  2. 春木さんへ
    時代の変化と共にどこの国でも少しづつ考え方や価値観が変化している事は
    事実です。そんな中にあって日本の武士道精神は世界に誇れる稀有な精神文化だと思います。切腹ばかりに目が行って当初の底の浅い理解しか出来ない欧米人からは野蛮な文化の象徴ととらえられていた事もありました。しかし日本の
    世界に於けるプレゼンスが大きくなるにつけてこれまで見過ごされていた本当の意味での武士道のすごさが見直されつつあります。良くも悪くも江戸時代の
    300年近い鎖国時代に確立された日本特有のこれらの文化は日本人の中に深く影響を及ぼしていると思います。急激な時代の変化にある時こそ今一度個々の価値観を検証して見るのも必要ではないでしょうか。

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