2007/04/19

カーマスコット

カー マスコットと聞いて何を想像されるだろうか?
車の一番前、ボンネットの中央に位置する場所に会社のマークや、シンボル(ロールスのフライングレディー等)を見た事が一度や二度はあると思う。

小生もロンドンに住み始めた当初、車を買い替えられないのでこのカー マスコットと呼ばれるものを集めていた時期がある。 有名なものは先に書いたロールスロイスのフライングレディー(レディーと言うが実は男性らしい、今度見たら顔を確かめて見ては)、メルセデスのスリーポインテッド スター、ジャグアーの飛び掛る姿は有名だが、ヴィンテージ物にはフランスのラリーク製のクリスタルで作られた女性の顔や、コウノトリがシンボルであった超高級車イスパノ スイザやブガッティ ロワイアル等と言った戦前の名車には必ずと言って良いほどカー マスコットが付いていた。
集め始めるとなかなか面白く、毎週住んでいた近くのポートベローと言うアンティク マーケットに出かけては探していた。
しかし有名な物(ラリークやコウノトリ)等はほとんど出ない、たまに本で見かけたレア物が出てきても価格的に当時の小生には手の届かない値段が付いていた。
車好きの小生だったが正直言ってヴィンテージ カーにはほとんど興味がなかった、あるとき日本の友人からロンドンにあるヴィンテージカーのガレージに行って交渉するように頼まれた。 彼はそこにあったACと言うスポーツカーに興味があったようだ。
1920年代のACだったと思うが車体が真っ赤に塗られたその車は、78年頃の値段で350万円くらいしたと思う。その時見たACにきれいな車だなーと感心してしまった。

そんな時にプレスコットのヒルクライムに行く機会があった。ここは古い車で坂道を駆け上がるいわゆる"ヒルクライム"として有名なところである、言って見ればフォーミュラー1(F1)のサーキットがシルバーストーンやブラウンズハッチとして有名だがヴィンテージ カーの所有者には年に一度の晴舞台ヒルクライムとして有名だったようだ。元々は英国のブガッティ オーナーズクラブが主催したヒルクライムであるらしい。

そこに行って驚いたのは、戦前のブガッティやマセラッティ、アルファ、ベントレー等などそのどれもが有名なコーチビルダによって完璧にレストア(修復)されたピカピカの状態で、惚れ惚れするような美しさであった。
そんな高級車でしかも高額のレストアに掛かる費用を出したはずのドライバー達が、まるで子供のようにこれらウン千万円もするであろうヴィンテージ カーを、若者が暴走するごとく坂を駆け上がってゆく様はまるで別世界に来たような経験だった。
小生はと言えばそれらの名だたる名車の前に並んで写真を撮るくらいで、後はドライバーに『何処から来たの』と聞くくらいの英語力だったのだ。 参加者の半分以上が海外からの参加者(夫婦で参加して楽しんでいる人達も居た)で初老のジェントルマン(参加者のほとんどもヴィンテージ期の男たち)が皮製のヘルメット?にグラスが平面の為淵に段差があるゴーグルをして、真剣な顔で出番を待つ。
フレンチブルーのブガッティこんな高価な車を思い切り走らせ、(急坂をタイムトライアルで競う)もし壊れたらどうするのだろう?と人事ながら心配してしまった。

勿論この様な催しに出てくるような紳士、淑女にはウン千万円など心配の種にもならない人達なのだが、美しい戦前の名車達を間近に見てすっかり魅了されてしまった。
魅了されたからと言って直ぐに買えるような車ではなかったが、英国人たちの車好きの楽しみ方が少し分かったような気がした。
ヴィンテージ カーはなるべくオリジナルの部品を多く残している車を彼等は高く評価する、アメリカのハーラーズ コレクションの様な新車よりも綺麗なピカピカにクロームメッキを施された状態の車は、彼等にとってはあまり興味の対象とはならないようだった。
カー マスコットから興味を持ったビンテージ カーの世界も自身の経済的理由から眺めるだけの趣味とは言えないものだったが、ある時日本の友人からアルヴィスと言う車を買いたいので助けてくれないか?と連絡が来た。 アルヴィスなど聞いた事も無い名前だったが、そう言えばカーマスコットにウサギが立ち上がっているのがあったことを思い出した。
渡英した友人とその売りに出されていたアルヴィスを見に行った。 先ずオーナーが若いことに驚いた、普通この様なヴィンテージカーを趣味としている人は大半が経済的にゆとりがあるミドルクラス(英国の中流階級)以上の人達が普通だったので、30代中頃と思しきオーナーには正直言って驚いた。
彼の説明では古い車をベア シャシー(車体を支える骨組み)から錆を落とし、ペイントやクロームメッキを施し、ほとんどオリジナルな部品で仕上げたと自慢の車だった。
価格は150万円くらいでいくら70年代末とは言え驚くような安さであった。 そのオーナーはクラッシックカー レースが趣味で自分でくみ上げたアルヴィスでレースに出ていると言う。 『隣に乗るかい?』と聞くので好奇心旺盛な小生は二つ返事で乗り込んだ。
2座席のスポーツカーであったが、ギアはドライバーの右側、つまりドアの外側に位置していた。 ガリというギア鳴りもなんのその勢い良く走り出したアルヴィスは夕闇迫る細いB級道路(A,B等の記号で道路の区別がある)をもの凄い勢いで走ってゆく、勿論シートベルトなんぞは無い時代の車、必死に車体の前後を押さえつけて居た。 草むらや木々の小枝をものともせずになぎ倒しながら時速60キロから100キロ(サーキットではありません)と言うスピードで飛ばしてゆく。
自分のレストアした車の信頼性を証明したかったのか、はたまたこの様な古い車を自由に操れる腕を自慢したかったのかは、今となっては定かではないが、ともかく無事車庫に戻った時にはホッとしたことを覚えている。

その車も日本に売られていった、当時はまだこれらのヴィンテージ期の車達も今ほど高価ではなく、日本円が急激に強くなって居る時期と重なり自分が知っている友人だけでもかなりの数の車が日本に渡った。
その後英国南部にあるクラッシックカー博物館(ロード モンタギュー博物館)を訪れた事があった、戦前の英国はもとより世界中から集められた名車達が所狭しと並んでいた。 中には当時でさえウン億円と言われたイスパノ スイザが展示されていたので良く内容を読んで見ると、展示車の所有者はポール マッカートニー氏と書かれていた。
カーマスコット収集がせいぜいだった小生のヴィンテージカーとの付き合いも、その後は少しづつ薄れていった。 当時ため息が出るようなヴィンテージ カーを見て、『1台欲しいなァ』と考えた事もあったが、現実と希望との間にはあまりにも大きなギャップがその夢を覚ましてくれた事も事実である。

2 件のコメント:

  1. 私も駐在中、よく田舎の博物館に遊びに来ましたが、英国ではヴィンテージカーに限らず、あらゆる古いモノを大切に、しかも大抵は動態保存しているのにはとても関心しました。
    日本、特に名古屋は戦災復興の街だからか、未だに少しでも新しいものがいいものという価値観が強いように思います。
    カーマスコットといえば、長久手のトヨタ博物館にルネ・ラリックのクリスタルカーマスコットのコレクションがありますが、ご覧になりましたか?http://www.toyota.co.jp/Museum/data/a03_07_1.html
    相当な数の作品が美しくライトアップされていますので、万一ご覧になっていなければ、ご帰国の際にお立ち寄りになるといいと思います。

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  2. Go さんへ
    嬉しい情報有難う御座いました。トヨタ博物館にラリークのマスコットがそれ程沢山あることに驚きました。是非一度訪ねて見たいと思います。
    小生が集めていた70年代終わり頃でもラリークは殆んど見ませんでした、本で見て綺麗なものだなと想像していましたが、どこかの場所(もしかしたらロードモンタギューの博物館かもしれません)で見た記憶があります。 想像以上に大きくて立派なものでした。
    日本ばかりでなく同じく敗戦国のドイツも最新技術信奉の傾向は強いと思います。その事がどうも我々の眼を過去よりも前(新し物好き)を向かせているように感じます。

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