2007/04/05

忘れえぬ初期の弟子 モベア ジョマックの事

渡英してまもなく2つの大学で教え始めた事は前にも書いたとおりである。

半年くらい後に英語の全く出来ないフランス人が入ってきた。名前をモベアと言いフランスで少林寺拳法に入門していたが、英国にやってきたので小生の道場で入門しなおして練習に参加することになった。

彼の英語は全くイギリス人には通じなかった。
小生も英語は出来なかったがどう言う訳か、彼の英語は小生にだけは通じた。
それは彼にとっても同じ事であったのだろう、小生の英語がなかなかイギリス人には通じないのにモベアには小生が何を言いたいのか80%くらいは理解できたようだ。

これは今になって思えばお互いに英語が出来ない外国人同士、ほんの少しの単語でも想像力を働かせて、お互いに理解しようしたのだと思う。 
イギリス人にはさっぱり通じない小生の英語だったが、そんな中お互いを理解しあえる者に出会えて随分心強く思った。それはおそらくモベアも同じ思いだったのだろう。

しばらくして小生の住んでいるフラットにたずねて来た。
『強くなりたいのでどの様に練習したら良いかアドバイスしてくれ』と言うのである。

そこで、『拳立てを続けて100回出来るようになったら又来い』と言った。
はたしてどれくらいの期間で出来るのか?と想像していた。道着に着替える時に見る彼の体はウェート トレーニングをして鍛えたのだろう 筋肉の塊りのような立派な体であったので、少し時間をかければ100回くらいクリアーするだろうと考えていた。

1週間もしないうちに又やってきて、『100回出来たので次は何をしたら良いか?』ときた。
当時は小生も毎日拳立て300回の時代である。
『200回やれるようにして来い!』と言ったら素直にうなずいて帰って行った。

おそらくこれも時間の問題でクリアーするだろう事は容易に想像できた。練習日にどうだ?と聞くと毎日拳立てしていると言う。何セットやるのか聞いたら『時間があるときにいつもやっている』と答える。これだ、早い訳だ。

自分のトレーニングは拳立ても腹筋も2セットづつだった。しかし奴は暇な時に何回もそれをやっていた事になる。初めの100回が1週間も掛からなかったので、ウェート トレーニングで付いた筋肉のせいかナ?と思っていたが、現実は違っていた。

小生の拳立ての数は毎日2セットを、前日よりも1回でも上回るように続けた成果だった。結果的に増え続け300回を超えてしまった。しかしこの頃になると、これ以上続けても余り意味の無い練習だと思うようになった。時間を他の練習にも割きたかったのだ。

モベアの200回クリアーは3週間くらい後に実現した。
そして又フラットにやってきた。『200回クリアーしたので次の課題を教えてくれ』と言う訳だ。
半ばあきれたが、2,3のトレーニングメニューを教えて続けるように指示した。

元々彼は少林寺拳法に出会う前は柔道をやっていた、何でも父親がフランスの軍人で柔道が強かったらしい。 そんな訳で彼も幼い頃から柔道を習い、一人っ子ではあったが厳しく躾けられたようだった。

そのうち仕事を拳法中心に変えて、毎日昼間から小生のフラットにやってきた。行くところ、行くところ全て金魚の糞のようについてくるようになった。 これでは彼女にも会えねーじゃねーか! と思ったが不思議と我々は気が合った。
乱捕りもどんどん強くなってゆく、あるときフランスに1週間里帰りした。その時パリの青坂先生の道場を訪ね練習を付けてもらったようだった。

ロンドンに戻った彼は、『青坂先生は強かった!』 『法話は何を話しているのか余り理解できなかったが弟子はまじめに聞いていた』と報告した。
後になって先生本人から聞いた話だが、青坂先生も当時はフランス語が余り得意では無かったそうである。
『俺はフランス語を勉強する為にここに来たんじゃない!』
『少林寺拳法をそして俺を理解したければお前たちが日本語を勉強しろ。』
侍は居るものだ。 おそれいった。

その青坂先生の影響をタップリ受けて帰ってきた彼は『先生も法話をするべきだ』ときたもんだ。
『お前にしか俺の英語は通じないじゃないか?』と言ったが聞き入れない。『下手でもかまわないから法話をしろ』と事ある毎に言われる状態だった。

あるとき覚悟を決めて法話らしきものを、教範から読んだ事を話した。ほとんどの拳士は意味不明と言う感じだった。やっている方がめげそうだったが、聞く方も10倍くらい辛かっただろうと今にして思う。

英語の上達は小生も彼もほとんど同じようなスピードだった。
しかしモベアと言う良い理解者が出来た為、小生の英語(らしきもの)をしゃべる機会は圧倒的に多くなっていた。

道場では一番先輩格の彼は後輩にも良くアドバイスをしていた。
相変わらずフランス語訛りで英国人にとっては聞くことが難しい英語ではあったが、その上拳法用語は全て日本語ばかり、おまけに先生の英語が又怪しいときている。大変だったろーなァ、何しろこの世界は先輩の言う事は絶対で、真剣に聞かねばならないから。

そんな時期小生は1ヶ月ほど日本へ合宿参加の為に帰国した。久しぶりに本部での練習を終えた後実家に帰った。又しばらく帰る事の出来ない日本を満喫して、再びロンドンへ戻った。

戻って最初の練習日、協会の練習場はこの日もほとんどのメンバーが顔をそろえていた。が、モベア拳士の顔が見えない。今日は仕事が有るのだろうと気にも留めなかった。
練習を終えて着替えている時にスコットランドヤード(警察官)が2人入ってきた。何事か話しているがモベアの事のようだった。

要領がつかめなかったが、彼等が道場を出た後弟子の拳士に詳しく聞いて見た。小生がロンドンへ向かって飛んでいる丁度その日に『ドーバー海峡の絶壁から落ちて死んだ』と言うのだ。仲間の拳士達は拳を壁に打ち付けてうなだれている。言葉を簡単には理解できないモベアだったが、彼等の信頼は確かだった。

2週間が過ぎてもその事実を信じることが出来なかったが、両親が身柄を受け取る為にロンドンにやってきた。
何でも実家に変えるたび、少林寺拳法の事、二言目には小生の事を話していたと母親から聞いた時には
返す言葉さえ見つからなかった。

あれから30年、小生が曲がりなりにも今日まで少林寺拳法の指導者としてやってこられたのは、渡英直後の混乱機に小生をそして少林寺拳法を理解しようと懸命だったモベア ジョマックと言う拳士に出会ったからではなかろうか。

弟子と言うより、逆に指導者としてのあるべき姿をモベア拳士から教えられたように思う。

2 件のコメント:

  1. 人は生まれてくることを選べません。死ぬことも選んではならないはずですね。残された選択は死ぬまでに、その命をどのように生きるかです。モベアさんも生きていれば、より多くの人に影響を与え、また影響されていたはずですね。彼の死の原因は判りませんが、私は行き抜くことがこそが少林寺拳法の教えと理解しています。合掌

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  2. 春木さんコメント有難う御座いました。
    随分と色々な事を渡英以来経験しましたが、初期の弟子で自分が言葉の壁が大きかった時代の弟子ですから、より一層大きな衝撃でした。真剣にあきらめて帰国しようかと思い悩んだ事が思い出されます。
    いつの間にか33年の時が過ぎ、第二、第三のモベアを作るように努力した積りですが中々現実はうまくいきません。その人の置かれた状況や環境がどんどん変化するわけですから、同じ状況が作り出せるはずもありません。モベアが気付かせてくれた指導者としてのあり方だけは、これからも生涯続けて行きたいと思っています。
    結手

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