2008/05/30

人種差別は無くならないのか

今年のスペインはバルセロナのカタロニア サーキットで異変が起きた。昨年英国においてGP旋風を巻き起こした黒人初のGPドライバー L・ハミルトンが酷い侮辱的な言葉を投げつけられたと報じられ、大きな人種差別問題にまで騒ぎは広がった。

人種差別とF1 グランプリ、どこか不釣合いな話題ではあるが、今日ではGPレースであろうがフットボールの試合であろうがEU域内における人種差別的発言や行動は間違いなく裁判沙汰になる。

それほどまでに厳しく人種差別が取り上げられ、糾弾される時代になった事に気が付いていない者がこの様な騒ぎを起こす。教養レベルの問題かも知れないが、近年人種的対立が表立って取り上げられた事のない(過去には有ったが)日本では想像できない事かも知れない。

ヨーロッパやアメリカは国内に異人種が入り混じって国を形成している場合が普通である。人種的対立を無くす事が国の発展や平和にとって欠くべからざる重要課題である。この様な人種的対立が比較的少なかった日本と言う国家は本当に幸せな国であると言わねばならない。

その事がある意味においては日本人が人種差別に対する問題点を認識するのに、理解を難しくしていると言えないことも無い。

国家間の人種差別的な発言の多くはナショナリズムの典型である。ナショナリズムは愛国心ではなく国粋主義である。敵対する国や民族に対する侮辱や差別的発言はいきおい強くなるのが一般的である。ではなぜGPドライバーのL ハミルトンがスペインで侮辱されたのであろうか?昨年、彼はGP社会ではルーキーだったにも関わらず、それまで2年続けてワールド チャンピオンの座にあったスペイン人のF・アロンソと同じティーム(マクラーレン メルセデス)になり、結果的にポイントの上では同じながら優勝回数で上回りハミルトン2位、アロンソは3位と言う結果になった。

この事(実力が拮抗したドライバーが同ティームで競う)がイギリスとスペインのメディアでゴシップ的扱いを受け、それぞれのナショナリズムに火を付けたと言う訳である。両国ともタブロイド紙(ゴシップ中心の大衆紙)が双方を非難する記事を書き続けた結果が、この様な人種差別的発言や行動に繋がったものだと想像できる。

自分達のヒーローをGPドライバーに重ね、ティームの代表ロン デニスに対するスペインからの批判もかなり有った。GPを管轄するFIAは厳しくこの問題を糾弾し、もしこの様な人種差別的発言や行動が修まらなければスペインでのGPを取りやめるとまで表明した。 EU域内でも人種差別に対する処罰は厳しく、学校教育の場等でも人種や国家、異文化、異宗教に対する侮辱は無くすよう指導されている。

patriotism(愛国心)は大切ではあるが、nationalism(国粋主義)は人類共通の敵である。似たような意味合いを持つ言葉ではあるが、間違えないようにしないととんでもない結果を招く事を肝に銘じておくべきだろう。

2008/05/24

EV 電気自動車

温室効果ガスを如何に削減するかが車社会でも大きな課題となっている。EU域内で販売される車にも燃費基準は厳しくなる一方である。

そんな折日本では世界に先駆けて電気とガソリン エンジンを併用して車を走らせる、ハイブリッド車の開発をいち早く始め1997年にはトヨタやホンダが一般に売り出してしまった。日本車に対する世界での評価は信頼性と経済性は折り紙つき、この二点で日本車と張り合おうと言うメーカーは世界広といえども聞いた事がない。運転する楽しさをも含めた車に対する評価では個人差があるので、その車が持つ特徴により一言では難しいことも事実である。

そんな中三菱自動車からEV(電気自動車)が発表された。何でも2009年には売り出したいとの事でメーカーもかなり自信を持っているようだ。

考えてみればEVの歴史はガソリン車と同じくらい古いが、これまで実際には普及してこなかった。自分が渡英した1974年当時から英国では牛乳配達にEVが使われていた。当時は日本でもお目にかかった事は無かったので牛乳配達用のEVには正直言って驚いた。しかし航続距離の短さ等から当時の技術的限界としても使用範囲の限られた牛乳配達車御用達が限界だったのであろう。その点、内燃機関のエンジンはコストも安く(最近まで)性能やインフラ等の整備もいち早く世界中で整えられた事も、その発展に大きく寄与した事は言うまでもない。

しかしここに来て原油価格の高騰と環境破壊に加担する石化燃料に対する認識が大きく変わってきた。温室効果ガスの影響は地球の温暖化と言う人類共通の問題となった。楽しければ、安ければ良いと言う時代は『21世紀のモータリゼーション』と言うキーワードの上では通用しない時期に入りつつある。なぜならば温室効果ガスの及ぼす影響は宇宙船から見た地球そのものだからである。地球のどこかで排出された温室効果ガスはその国ばかりでなく、地球全体を取り巻くアトモスフェア(大気圏)内に留まり確実に地球と言う惑星に住むすべてのクリーチャ(生物)に影響を与えることになる。

そうなるとEVはある意味究極的な環境ヴィークル(エコ車)と言うことになる。料金の安い深夜電力を使えば現在のガソリン代より10分の1以下になるとの試算である。将来的にソーラ パワーも同時に(ハイブリッド)として取り入れられればさらに環境コストは低くなる事が考えられる。その為には優れた性能の蓄電池開発や家庭用電源のみならず、ガソリン スタンドの変わりに電源スタンドのインフラ整備やソーラ パワーやブレーキ回生パワーを併用したハイブリッド技術も必要となる。これは自分の想像を述べているので実際にこの様な事が技術的に可能かどうかも分からないが。近頃では隣国の韓国は言うに及ばず中国でもハイブリッド車を開発しているそうである、ハイブリッド先進国日本としては是非とも先に述べた『EVとソーラ パワーのハイブリッドを』と夢のような想像を膨らませている。

2008/05/15

技の求道者

武道に限った事ではない。およそ技術の必要なものはスポーツであろうと芸術であろうと上達を望む者、技の求道者にならなければ上達はおぼつかない。野球でもテニスでも、そして絵画でも楽器演奏でも同じであると思う。

少林寺拳法に入門時、入門者が読む入門式願文には『大練せば大成し、小錬せば小成す』と言う文言が出てくる。直訳すれば人より多く練習すれば人より上達する。人より練習量が少なければ上達もそれに見合ったものになる!と言う事だと解釈している。つまり拳法の技は『上達するためには人一倍練習せよ』と新入門の拳士に教えている事になる。

そう言えば自分が学生だった頃、驚くほど才能に恵まれた拳士が居た。その拳士にとっては余り努力しなくても少林寺拳法の技がそこそこに出来てしまうのだ。自分はと言えば何とかその様になりたいと思い、人の何倍も努力しないと中々追いつけなかった記憶がある。

それでも何とかしたい(勝ちたい!)と思い、早朝に毎日ランニングを始めた。武道で俗に言う『己に克』などと言う立派なものではなく、その才能にあふれた先輩拳士に追いつき、『いつか乱捕りで勝ちたい!』と言う単純なものだった。

毎朝6時に起き1時間くらい走っていた。雨の日以外は毎日走って居た事になる。不思議なもので1年間くらい続けていると、何やら不思議な自信の様なものが出てくるのが感じられた。それが本当に強くなっていたかどうかは別として、自分もやれば出来る(続けられた)という自信と、拳立の数が1年前とは比較にならない(10倍以上に)増えた事などで精神的に高揚していたのではないかと分析している。

この様に人間の自信等と言うもの、特に単細胞の自分の場合は「体力的充実度」に直結していたとも思える。

ある時、昔から柔法の技で関心を持っていた森道基先生に指導を受けるチャンスがあった。それからしばらくして又森先生から同じ技でアドバイスを受けたが、前に言われた説明と異なって居る事に気が付いたので聞いてみた。

『先生は前はその様に説明されませんでしたよ!』

随分失礼な質問だが、柔法の技に精通していた森先生の答えは至って簡単だった。

『僕も上達しているんだよ』  『今の説明が前の時より進化した結果だ!』と言うものだった。

なるほど森先生ほどの達人でも日々努力してより技を進化させている。凡人の我々がただ言われた事を何も考えずに繰り返していても、『より以上の上達は簡単には出来ない』と言う結論に至った。

阪神大震災の年、夏に森先生とサイプロス(キプロス島、共和国)で合宿をし、10名ほどの英国連盟拳士が参加したが、全員非常に感銘を受けた事がある。1週間の合宿だったが、参加拳士が熱心に指導を受けた事は当然な事としても、森先生ご本人の口から『今日の練習は終り』と一度として言われなかった。小生や他の拳士が先生のコンディションを気使い『そろそろ昼食の時間ですから』と午後4時頃に切り出す毎日だった。

熱のこもった指導と練習好きは、森先生ほどの大家でも練習の都度研究されている(指導方法等も)のだと知らされた。まさに『技の求道者』と呼ぶにふさわしい大先生であった。

2008/05/07

コンジェスチョン チャージ

ロンドンの車環境は酷く、東京やパリなどと言った大都市と同じ様な問題点を抱えている。先ず渋滞は日常茶飯事いつ何処ででも発生する。

これにより中心地のシティやウエストエンドでは空気も非常に汚れている。日本と異なり夏の平均気温が30℃を超える日が少ない事もあり、日本が1970年代初頭に経験した光化学スモッグの発生も遅れた!と言うより、ほとんど発生しないため対策事態が遅れることになった。環境対策といえば無鉛ガソリン(unleaded petrol)の販売も遅れ、一般的に広まるには90年代中頃まで待たねばならなかった。

そんな環境ではあったが自分が来た当初のロンドンでは車の数も今と比べれば圧倒的に少なく、渋滞などもほとんど経験しなかったので環境破壊に対する認識は、日本に比べれば低かった事は紛れも無い事実である。しかしながらいくら夏の気温が日本に比べて低くとも車の数が増え、慢性的に市内のどこかで渋滞が頻発するようになると空気の汚れ具合には気づかされるようになってきた。

そんな事情があり道路整備が渋滞解消の重点目標であったが、5年ほど前のロンドン市長選挙で労働党(中でも左派)の急先鋒だった人物リビングストンが市長に選ばれるや、道路の整備や拡張を凍結してしまった。変わりに市長が持ち出したのがCongestion Charge(渋滞税)と言うやつだ。ロンドン中心部に乗り入れる車はすべてとられることになった。自分も二度これに引っ掛かった事がある。まさか通過した部分がこの区域に含まれて居るとは思わず何気なく通り過ぎてしまった。数日後に請求書(ペナルティ)が送られてきてアッと気付いたがもう遅い。仕方なくペナルティ(罰金)を支払ったのだ。

今年からこの範囲が広くなった。ロンドン市は渋滞が減った!と主張し範囲をより広く制定してしまった。これが成功したかどうかは別としても同じような名目で税金を取り始めた都市はデンマークやその他の国にも出始めている。何処の国や町も税源は確保したいので、この新種の税金には各国の主要都市からも見学が多いと聞いた。始めは1日£5(約1,100円)だったチャージが今では£8(約1,700円)もするようになり気が付けばすぐに£10(2,200円)と言う道をたどる事など用意に想像できる。財源など一度出来上がってしまえば何処の政治家も決して手放さない事であろう。丁度日本の道路特定財源の様に。

ましてや近年は環境問題が益々強くなってきている。施政者にとって渋滞税は実に都合の良い(言い訳のしやすい)租税である。東京あたりももしかして石原都知事も狙っているのかな?政治家としての信条はリビングストン氏は石原氏とは対極にあると思うのだが。それでも2016年東京オリンピック招致を目指す東京都にとっては新しい税収確保は大いに魅力的であろう。