2008/05/15

技の求道者

武道に限った事ではない。およそ技術の必要なものはスポーツであろうと芸術であろうと上達を望む者、技の求道者にならなければ上達はおぼつかない。野球でもテニスでも、そして絵画でも楽器演奏でも同じであると思う。

少林寺拳法に入門時、入門者が読む入門式願文には『大練せば大成し、小錬せば小成す』と言う文言が出てくる。直訳すれば人より多く練習すれば人より上達する。人より練習量が少なければ上達もそれに見合ったものになる!と言う事だと解釈している。つまり拳法の技は『上達するためには人一倍練習せよ』と新入門の拳士に教えている事になる。

そう言えば自分が学生だった頃、驚くほど才能に恵まれた拳士が居た。その拳士にとっては余り努力しなくても少林寺拳法の技がそこそこに出来てしまうのだ。自分はと言えば何とかその様になりたいと思い、人の何倍も努力しないと中々追いつけなかった記憶がある。

それでも何とかしたい(勝ちたい!)と思い、早朝に毎日ランニングを始めた。武道で俗に言う『己に克』などと言う立派なものではなく、その才能にあふれた先輩拳士に追いつき、『いつか乱捕りで勝ちたい!』と言う単純なものだった。

毎朝6時に起き1時間くらい走っていた。雨の日以外は毎日走って居た事になる。不思議なもので1年間くらい続けていると、何やら不思議な自信の様なものが出てくるのが感じられた。それが本当に強くなっていたかどうかは別として、自分もやれば出来る(続けられた)という自信と、拳立の数が1年前とは比較にならない(10倍以上に)増えた事などで精神的に高揚していたのではないかと分析している。

この様に人間の自信等と言うもの、特に単細胞の自分の場合は「体力的充実度」に直結していたとも思える。

ある時、昔から柔法の技で関心を持っていた森道基先生に指導を受けるチャンスがあった。それからしばらくして又森先生から同じ技でアドバイスを受けたが、前に言われた説明と異なって居る事に気が付いたので聞いてみた。

『先生は前はその様に説明されませんでしたよ!』

随分失礼な質問だが、柔法の技に精通していた森先生の答えは至って簡単だった。

『僕も上達しているんだよ』  『今の説明が前の時より進化した結果だ!』と言うものだった。

なるほど森先生ほどの達人でも日々努力してより技を進化させている。凡人の我々がただ言われた事を何も考えずに繰り返していても、『より以上の上達は簡単には出来ない』と言う結論に至った。

阪神大震災の年、夏に森先生とサイプロス(キプロス島、共和国)で合宿をし、10名ほどの英国連盟拳士が参加したが、全員非常に感銘を受けた事がある。1週間の合宿だったが、参加拳士が熱心に指導を受けた事は当然な事としても、森先生ご本人の口から『今日の練習は終り』と一度として言われなかった。小生や他の拳士が先生のコンディションを気使い『そろそろ昼食の時間ですから』と午後4時頃に切り出す毎日だった。

熱のこもった指導と練習好きは、森先生ほどの大家でも練習の都度研究されている(指導方法等も)のだと知らされた。まさに『技の求道者』と呼ぶにふさわしい大先生であった。

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