2015/04/28

タマ 今年9歳です

タマ1歳
タマ1歳
我が家で飼っている『タマ』、ジャックラッセルの♀は4月で9歳と4か月になった。相変わらず元気で病気や怪我もなく飼い主孝行の犬である。タマの名前の由来は背中の丸柄である。「ネコの様な名前だ」と名前を聞いた日本人からは笑われるが、日本人以外からはその様な指摘は無い!

今年で9年過ぎたと言う事は人間で言えば60代の中頃か? 小生と同年代に近い熟女になったと言う事か。しかし元気の良さは相変わらず、5、6年程前とほとんど変わる事は無いように感じられる。しかし良く観察すると顔の周りに白い毛が多くなっている。人間ならばさしずめ白髪が増えたと言う事か、自分の頭を鏡で見れば何のことはない、タマと一緒である。!

タマ3歳
タマ3歳
お互いこれからも元気で過ごしたいものだ。散歩はこのところ小生の方がくたばるのが早いかも知れない。奴は2時間でも3時間でも走り回って居るので出かけるのが少々億劫になってきた。とは言え天気の良い日には長時間の散歩に連れ出してやらねば。それがないと足腰が弱ってくるのは小生も同じかもしれない。

タマ5歳
タマ5歳
楽しく拳法を続けられるのもタマとの散歩が大きく貢献していると考え、出来るだけ夏の間は散歩に連れ出してやろうと思っている。タマ、後10年はお互いに現役で頑張ろう、宜しく。

タマ9歳
タマ9歳

2015/04/07

新たなる旅立ち

年が改まったと思う間もなく早や4月である。新たな旅立ちをする人達が学校や社会に、希望に満ちた第一歩を踏み出そうとしている。 その様な季節なのかこのところの投稿欄にも、現在の少林寺拳法と言う組織が示す方向やあり方に疑問や不信を抱き、私にメールを送ってくる指導者が増えてきた。

その人達のほとんどは、これまで少林寺拳法の指導者として第一線で活躍してきた方々である。自分達が何十年も前に開祖の熱い思いに触れ、少林寺拳法こそ生き甲斐と信じ実践(指導)してきた指導者達である。 少林寺拳法の開祖宗道臣が説いた教えとはいったい何であったのか? どうして拳士はこの様に強い絆で結ばれ、少林寺拳法と言う武道に情熱を掛ける事が出来たのであろうか? 今一度原点に立ち返り検証してみる意味はあると思う。

開祖 宗道臣の教えは平たく言えば『理想境建設』である。その為の手段として人材の育成『人、人、人、全ては人の質にある』と言う名言を残した。少林寺拳法と言う武道を通して社会に貢献できる人材の育成が主目的では無かったのか? 言い換えれば良い社会作りに対する宗道臣の提言(提案)とも言える。

少林寺拳法の目指す究極の目的が『理想境建設』であり、その為の人材育成であるとすれば、富士山の頂上をめざし登山する方法論にもつながりはしないか。つまり『理想境』を富士山の頂上と仮定すれば、そこに至る一つの選択(道筋)であると言う事も出来る。 頂上にたどり着く為の道は一つでは無く、選択肢はいくつもある。これが宗道臣の提案であり「少林寺拳法だけが唯一絶対の道だ!」と言っている訳ではない。

政治も、経済も、科学も、文学や音楽やスポーツも、富士山の頂上『理想境』を目指す為の選択肢となり得るはずである。 開祖が残した言葉に真実(言いたかった事)を見い出すとすれば、少林寺拳法による人作りとは『半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを』を、行動で示す事の出来る人材の育成であった様に思う。この言葉は「我々は『少林寺拳法』と言う武道を通してその様な人材を育成したい」と言う、開祖からの提言と見る事も出来るのではないか。

指導者は自分達の組織の掲げる言葉に酔ってはいけない。少林寺拳法だけが社会に貢献できる人材を作る事が出来る組織と勘違いしては居ないだろうか? 開祖の言葉を釈尊の残した遺訓の様に感じ、現在でも教えを大切に伝えようと努力して居る指導者には敬意を表したい。しかし同時に教えが大切であればこそ、より多くの人達がその言葉(教え)に触れ、人生の指針として社会で必要とされる人材となり、活躍(実戦)して頂きたいと切に願うものである。

複数の指導者から問い合わせを頂き、私が個人的に感じた事は、情熱をもって指導してきたはずの道院長や支部長が、何故今の状況に矛盾と不満を感じるのであろうか。 それに対する私のコメントは答えでは無い! 一つの考え方と捉えて頂きたい。少林寺拳法と言う武道から得た教え(哲学)と経験(技)を、後進に伝える方法はいくらでもある。 名前(ブランド)にこだわって本質を見失っては意味が無い。利権と保身にこだわって居る組織に、良い指導など出来るはずがない。名称など何でも良い、本質を残したいと思う。

又武道の修行だけが教えを実践する方法とも思わない。投稿の中から素晴らしい体験や、少林寺拳法の哲学で得た教えを社会の中で実践している人達が居る事を知る事が出来た。教えを糧に社会の弱者に役立つ技術開発を、将来の夢として熱く語ってくれた拳士も居た。現在は異なった分野に進まれた拳士達ではあるが、開祖の教えを正に実践している人達である。このように私達の目指す(願う)社会貢献は、少林寺拳法と言う狭い世界の中にあるのではなく、いたる所にあるのではないだろうか。