2008/01/22

経済支援より教育支援

よく言われる世界情勢の一つに南北問題(経済格差)がある。この問題は何も昨日今日始った事ではない。

日本も政府や民間のNGOなどが色々と取り組んでいて成果も上がっている部分もあるが、色々と難問も抱えている事も事実であろう。

先日家内の親友から電話があり丁度、中米のグアテマラから帰国したばかりとの事であった。以前コーヒーの折に触れたがジャマイカにも2年JICA(国際協力機構)から派遣されヴォランテイアで活躍していた女性である。

今回はその実績が認められ短期間ではあるが専門家としての派遣だったようだ。ご本人は元々服飾デザイナーだが、ジャマイカやグアテマラでは生地の生産からデザインそして販売に至るまでの、仕事の仕方を指導する目的で派遣されたようである。

小生は1980年代中ごろからこれまでにアフリカを何度も訪れているが、これらの国々では先進国が如何に地元の人達に仕事を作り出してやれるかが大きな課題としてあった。ヨーロッパの植民地として長年その支配下にあったアフリカの国々では、自分達で仕事を作り出す必要は無かった。又宗主国側である先進国ヨーロッパも自分達の生産に必要なもの(資源)を労働力も含めて安価に調達し、本国で生産したものを一方的に売るだけでよかったために、これらの国では生産から販売までの工程がほとんど失われているのが現状である。

さらに悪い事にはその様な国のメンタリティー(思考)だ。先進国(経済大国)からの援助慣れが一般化しており、政府のみならず一般国民も豊かな国からお金や物資をもらうことが当然のようになっている国も見られた。

日本政府も過去においてアフリカのみならずアジアや世界中の途上国に経済援助やJICAを通じて人材を派遣しているが、なかなか成果を上げられていない。国を変えるというのは多くの時間と労力が掛かる。又円借款などの資金協力もヨーロッパの国々よりもより多額の拠出しているのだが、アフリカ諸国に点数を稼ぎたい(良い顔をしたい)G7の国々から、返済免除などと難題を吹っかけられるなど煮え湯を飲まされてきた事も事実である。

クリスチャン文化を背景に持つ欧米の国々よりこれらの経済援助や技術供与のプレゼンテイション(提示方法)が上手ではない事も確かにあるが、日本の貢献は他の先進国に比べて決して低いわけではないにも関わらず今一つ評価が芳しくない。

小生が過去に見た日本の援助の実態を紹介してみたい。
1986年に初めてアフリカの地を踏んだが前年にエチオピアやソマリアでは食料危機が起きて数多くの難民がでた。世界中のマスコミがこぞってニュースでそれらの映像を流した事がきっかけとなりエイド物資が国連を通して送られた。そのくだりは『人、人、人 すべては人の質にある』の項で触れたが、そのとき初めて知ったのが援助の難しさであった。

アメリカや英国からは民間NGOのリリーフワーカー(ボランティアで働く人達)が結構な規模で現地で活躍していたが、日本はといえば確かにアフリカという存在がヨーロッパの宗主国だった国に比べれば関係が薄い分だけ現状に対する掌握も低かった事は確かである。

そのときヨーロッパのNGOが推進した援助は飲み水の確保である。何千個もの手押しポンプを現地に送り、リリーフワーカーが先導してそれらの設置に当っていた。日本政府は確かにより高価な電動ポンプを設置し、単体の手押しポンプとは比べ物にならない程の飲み水は供給できたが、電気の通っていない(インフラ整備の行き届いていない)村には無用の長物でしかなかった。

又故障になった場合手押しポンプ程度なら現地の人達にも簡単に直せるが、より高度な部品や修理の為の工具が必要な電動ポンプは故障すれば現地人の手に負えないものであった。

日本政府が送ったトラクターや輸送用のトラックも同じで、新しいこれらの機材が使われずに野ざらし状態で放置されているのを見た時には、現地の実情を無視した(知らない)お役人(と無駄に高価な機材を売ろうとした商社)の決断がどれほど無駄になっているのか残念な気持ちになった事を記憶している。

そのとき感じた援助事業の難しさとは国としてやるべき仕事と、民間のNGOなどに任せた方が結果として良い(現地の人にもそして日本の貢献に対するイメージにも)という事を知った事である。

確かに道路や通信などのインフラ整備等大きな事業は国が援助しなければ出来ない事もある。しかし現地の人達のニーズにあった援助には民間のNGOに任せたほうがより効率的で低コストな事も事実であろう。

又長期的な観点から家内の友人がJICAから派遣されたような、現地の人々の暮らしに直接役に立つ教育や技術支援などはアフリカ、中東や中南米に過去のしがらみの無い(植民地政策をしてこなかった)日本にこそ、国際的評価を得る上でも重要な国としての支援のあり方が問われているように感じている。

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