2015/05/04

新たなる旅立ち No.2

前回『新たなる旅立ち』として書いたが、今回はその後の動きを述べてみたい。日本からの問い合わせや支援者に対して私から直接的な働きかけはしなかった。 しかしその様な中にあってこれまで少林寺拳法の指導者として長年運営に関わってきた人達の中から、実際の行動を起こす人達が現れた時には新鮮な驚きと同時に大きな責任を感じた。

今年の初め頃から色々と相談を受ける中で、私自身が何かお役に立てる事があれば協力させて頂く事を伝えた。そうは言ったものの形として何かが形成されるまでにはかなりの時間と努力が必要で、組織としての形が出来上がるまでには、多くの人達の協力が有ったればこそ実現に至った事は言うまでもない。

私がこの場にも何度か書いた様に、新しく拳法の組織を日本国内で立ち上げようと考えるのであれば名前にこだわる必要は無いと言う事である。今回この様な考え方に共鳴して、護身術としての武術に思い入れを強く描く指導者達によって立ち上げられた組織に、相談役と言う形で関わる事が出来て光栄に思う。

『少林寺拳法は日本以外では一般名称である』と言う事がこのところ急速に知れ渡る事となり、様々な国で色々な形の『少林寺拳法』と呼ばれるグループが活動を始めている。私がこのブログで1年ほど前に指摘したように、WSKOがいくら主張しても、『世界で一つの少林寺拳法』とは言えなくなってきた事は現実が証明している。今日の様なインターネット社会であれば世界中にどれくらいの数の『少林寺拳法』を名乗るグループが存在するのか直ぐに分かる事であろう。

この事実が理解できていないと今後世界中で出現が予想される摩訶不思議な『少林寺拳法』に振り回される事になる。「その様なグループは少林寺拳法では無い」と主張しても、次々に出てくる同様なグループに対して打つ手は無くなるであろう。日本国内では知られて居ない無数の少林寺拳法が、世界では様々な国で現に出始めている。自分達で勝手に作ったと思われる、おかしな法衣(少林寺経験者から見れば)を着た先生が、靴を履いて真顔で指導しているビデオもYoutube で見る事が出来る。真っ黒の道着を着ている少林寺拳法の指導者も存在する。私が述べた『パンドラの箱』は開いた事が見てとれると思う。

この様な現実に目を背けているばかりでは何も変わらない。しっかりと眼を開き現実を見る以外には何も解決等出来ないであろう。 同時に日本で活動を始めた元少林寺拳士による『拳法』の団体も数多く存在している。 彼等は別派ではあっても偽物では無い!長年、少林寺拳法の指導者として携わってきた人達である。組織の示す方向と自分達の信じる方向が異なった為、やむなく別組織として活動を始めたと言う方が正しい解釈であろう。

世界は益々狭く感じる様になり、情報伝達のスピードも過去のものとは格段の違いを見せる時代である。この様な時勢において数十年前と同様のプロパガンダを繰り返すだけで拳士が納得するとは考えられない。

我々が望む拳法の姿とは『宗道臣の教え』を根底に持つ組織の結束ではないかと考える。いくら名前が『少林寺拳法』であっても靴を履いて練習し、形だけの法衣(らしきもの)を着ていても、同じ拳法グループとは認めたくない人達も居る。 又逆に名前は『少林寺拳法』とは名乗って居なくとも、正当に教えを貫いて居るグループであれば共に協力が出来るのではないかと考える。

要は名前が何よりも大切(前提)ではなく、『どの様な教えをしているか』が問われているのではないか。摩訶不思議な『少林寺拳法』は自分の目で確かめて頂きたい。それに対する私のコメントは必要ないであろう。個々の拳士や指導者が判断すれば良い事である。『名前』(少林寺拳法)を取るのか、『実』(実際の指導内容)を取るのか? 拳士それぞれが選ぶ時が近づいて居る様に感じている。

2 件のコメント:

  1. 失礼します。
    昨年の下記記事へ長文コメントしましたので、御覧くださいましたら幸いです。

    http://www.skmizuno.com/2014/03/blog-post.html

    返信削除
  2. Tairaさんの投稿は1年前の『世界で一つの少林寺拳法その2』に対する投稿でしたが丁度今回の『新たなる旅立ちNo.2』にも共通するところが沢山ありますのでこちらに転載させて頂き、私もカウンターを『・・・』で書きたいと思います。

    taira さんのコメント...

    合掌 はじめまして、私は休眠拳士です。

    『Tairaさん長文での書き込み有難うございました。』

    こういっては語弊があるかもしれませんが、と表現するのが的確な気がします。
    お気を悪くされたのでしたら、申し訳ありません。              

    『有難うございます。暖かい思いやりのある言葉を掛けて頂き感謝しております。』

    梶原道全先生が御生前、兵庫武専の尼崎開催月に頻繁に顔を出されていました。
    もう25年以上になるでしょうか、当時の本部の方向性によく疑問を投げかけられていたように記憶しています。
    「少林寺拳法は何だかんだ言っても格闘技や! 世界平和がどうのこうのも今の時代大事やが、格闘技の要素がなくなったら少林寺拳法やないんや!」と、事あるごとにおっしゃっていました。

    東京方面から派遣講師の先生がいらっしゃった際の実技指導に対しては、かなり辛辣に意見されていたのも記憶しています。
    その先生は、演武審査をいかに高得点に持っていくかというのを強調されていましたので、そういった部分への批判めいたところを感じることができました。

    その梶原先生の本部に対しての強烈な苦情について、最も印象に残っているのは、武専の卒業論文の最優秀に、「少林寺拳法の教義について」というのが選出されたときでした。
    梶原先生は、「少林寺拳法に教義など存在せん! 金剛禅にしか教義はないんや。本部にはキツく意見しておいたから。」と、おっしゃっておられました。

    『梶原先生は良く存じております。WSKOの講習会等でも厳しいコメントを歯に衣着せぬ物言いで凛とした姿を海外の拳士にも示された事を記憶して居ます。教範の編集に当たり、開祖からも全般の信頼を与えられていた梶原先生であれば開祖亡き後、組織が取った諸々の方針に苦言を呈せられたであろう事は容易に想像できます。』

    その後、信条の 「日本人とて・・・・」 が 「愛民愛郷の・・・」 に変更される前のことですが、変更にあたり本部内部での検討はあったようですが、「総裁が変えると決めたから変わる」と、武専での授業の際に鈴木先生がおっしゃっていましたので、そのときの話されぶりから察するに総意ではなかったようです。(私の主観です。事実かどうかはわかりません。)

    その後、USAの古い支部長の先生と懇意にさせていただいていたのですが、この先生は、信条の変更についてかなり苦言を呈されていました。
    開祖の教えの根幹は、「日本を復活させるために、若い人たちに自信を取り戻させる」、ということを強調されていたように記憶しています。

    ここまでで、私が何を述べたかったというと、水野先生や英国連盟の方々が、本部と決定的な対立をするまでに、これらの布石があったということなのです。
    「反対意見こそ貴重」 というのはどこの世界でもあると思いますが、本部内では、結局、総裁の考え通りにことが運ばれていったわけでして、これまでにいくつもの裁判がありましたが、本部にとって都合の悪い結果はあいまいにしか伝わってこなかったのが良い例ではないでしょうか?

    『ここへの書き込みで多くの方々が指摘されているとおり、現在はトップの判断に異を唱える事が許されない組織になって居る事す、その一例を示す言葉に「最高解釈権者」と言うそうです。何を決めても最高解釈権者の一言ですべてが覆されてしまうのであれば会議など意味を持たない事は明らかです。現に私がWSKOの理事をしていた時に驚いた事は、理事会での議事進行が議長の発言が一言一句、事前に決められていて、議長がそれを只読み上げて「異議なし」として次々に可決されていく実体でした。この様な事実から私は前にも「この様な会議は会議ではなく報告会だ」と批判した事があります。組織の最高議決機関(理事会)が『最高解釈権者』におもねって、振り回されて居るようでは重要な方向性を決められるわけがありませんね。』

    2000年前後から、世界中のあちこちに支部が設立される拡張路線に走って、その後の継続運営に支障が続出し、現在では、新規支部設立が該当国で最初になる場合は認めないという方針になっているようです。(ただし、本部の有力な先生方や、国会議員、在外公館等がバックについていれば例外が認められているのも新設支部が認められた時点で推測できます。例えばベトナム。)
    と、言いますのは、実際に該当国だけではなく周辺国も含めて支部がまったくない地域での支部設立を計画し、数年がかりで講習会や審査(日本を含め、住んでいる国の国外に出かけるため、多額の費用がかかる)を受けて準備して申請したものの、結局却下されたという事例を偶然その本人から聞いたからです。

    別のUSAの古い支部長の先生は、「本部はやたら、手続き手続きいいよるが、外人という立場の我々が生活しながら少林寺拳法をやり続ける大変さがわかっとらん。」と、おっしゃっていました。これは水野先生にも当てはまるのではないかと思いますが、いかがでしょうか?
    もっとも、連盟がUSAにもできましたし、電話とFAXと手紙しか通信手段がなかった時代に比べると、ずいぶんと経費もかからなくなってきているのですが・・・

    『前にこの場にも書きましたが、本部は我々の収入が天から降ってくると考えて居るようです。少林寺拳法に限った事ではなく、正式に合法的な手続きをしてその国で労働許可証を取る事の大変さを微塵も理解して居ません。それが改善されない限りWSKOが世界中で継続して発展して行ける事は無いと思います。』

    現在ほど情報が交錯していなかった入門後より、少しづつ見聞きも含め入手した情報を総合すると、開祖の時代と現在の2代目の決定的な違いは、政治家との関係だと思います。
    開祖の時代は、政治家が開祖を利用しようと近づいてくることが多かったようです。(私の入門前ですので、全て伝聞です。)

    『ご指摘どおりです』

    現在の2代目は、逆に政治家を、いわば泣きつく形で利用している、というのが実態のようです。ただ、政治家は選挙に落ちればただの人ですから、そのときは良くても、いずれ問題が大きくなったときに、さらに困ることになります。
    ここ10数年以内では、財団法人化の際や、宗教法人格死守のために、政治家を利用していますね。
    その結果、一番不便を強いられているのは、末端の指導者や拳士でしょうか?

    『最高解釈権者にとっての関心は末端の指導者や拳士に無い事は明らかでしょう。 関心が有るとすれば如何に税金逃れをするかであり、血脈での組織統治であると思います。その為には末端の指導者や拳士の都合など気にして居られないと言う事だと思います』

    ついでに、政治家拳士について不思議なことがあるので、追記しておきます。
    1.行ったはずのない昇段試験日と会場で、なぜか合格者名簿に氏名が載っている。
    2.所属名簿には記載があるだけで、稽古に来たのを見たことがないにもかかわらず、なぜか、特別昇段試験合格者名簿に氏名が載っている。
    しかも、有名な政治家の場合、会報にデカデカと載る。
    彼らは、いつ稽古してるんでしょう?
    不思議ですねぇ・・・
    我々一般拳士は、参座が足りないからと、受験申請が却下されることが、よくあるのですが・・・

    『政治家との(持ちつ持たれつ)の関係を維持する事で、全ての事が上手く運ぶと考えての組織判断でしょう。そこには(身内拳士に厳しく、外部には良い顔)の特徴が端的に見られると思います。身内から信頼を勝ち取れない組織が今後どの様に発展して行くのか見守りたいと思います。』

    水野先生が危惧されていらっしゃいます、「今後、変な自称少林寺拳法が出てくると予想される」という件ですが、既に日本国外に存在するのを、私は知っています。日本国内にも、少林寺拳法流空手や、不動全少林寺拳法などが昔から存在します。
    これらも含め、これから世界中で似て異なものがそれらしく広まっていくのでしょうね。
    ただ、そうなってしまった場合、その国で最初に始めたものがその国での 「本家」 になってしまいますので、ますますおかしくなっていくことでしょう。

    『残念ながら現在の体制ではこれらの現象を替えられませんね』

    開祖、宗道臣の思想・理念を継承する少林寺拳法が、今後どのようになっていくのか、休眠拳士としても興味があります。

    英国では、2つの少林寺拳法が存在するという、いびつな形が続き今後もいろいろとあるでしょうが、お体にだけはお気をつけてくださいませ。

    『長文での書き込み有難うございました。又私個人の体調にまでお気に掛けて頂き感謝の言葉もありません。一昨日イタリアのシチリアで行われた講習会から戻ってまいりました。それらの様子も又近日中にこのブログで紹介したいと思います。又コメント頂ければと思います。』  結手

    返信削除