2015/04/07

新たなる旅立ち

年が改まったと思う間もなく早や4月である。新たな旅立ちをする人達が学校や社会に、希望に満ちた第一歩を踏み出そうとしている。 その様な季節なのかこのところの投稿欄にも、現在の少林寺拳法と言う組織が示す方向やあり方に疑問や不信を抱き、私にメールを送ってくる指導者が増えてきた。

その人達のほとんどは、これまで少林寺拳法の指導者として第一線で活躍してきた方々である。自分達が何十年も前に開祖の熱い思いに触れ、少林寺拳法こそ生き甲斐と信じ実践(指導)してきた指導者達である。 少林寺拳法の開祖宗道臣が説いた教えとはいったい何であったのか? どうして拳士はこの様に強い絆で結ばれ、少林寺拳法と言う武道に情熱を掛ける事が出来たのであろうか? 今一度原点に立ち返り検証してみる意味はあると思う。

開祖 宗道臣の教えは平たく言えば『理想境建設』である。その為の手段として人材の育成『人、人、人、全ては人の質にある』と言う名言を残した。少林寺拳法と言う武道を通して社会に貢献できる人材の育成が主目的では無かったのか? 言い換えれば良い社会作りに対する宗道臣の提言(提案)とも言える。

少林寺拳法の目指す究極の目的が『理想境建設』であり、その為の人材育成であるとすれば、富士山の頂上をめざし登山する方法論にもつながりはしないか。つまり『理想境』を富士山の頂上と仮定すれば、そこに至る一つの選択(道筋)であると言う事も出来る。 頂上にたどり着く為の道は一つでは無く、選択肢はいくつもある。これが宗道臣の提案であり「少林寺拳法だけが唯一絶対の道だ!」と言っている訳ではない。

政治も、経済も、科学も、文学や音楽やスポーツも、富士山の頂上『理想境』を目指す為の選択肢となり得るはずである。 開祖が残した言葉に真実(言いたかった事)を見い出すとすれば、少林寺拳法による人作りとは『半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを』を、行動で示す事の出来る人材の育成であった様に思う。この言葉は「我々は『少林寺拳法』と言う武道を通してその様な人材を育成したい」と言う、開祖からの提言と見る事も出来るのではないか。

指導者は自分達の組織の掲げる言葉に酔ってはいけない。少林寺拳法だけが社会に貢献できる人材を作る事が出来る組織と勘違いしては居ないだろうか? 開祖の言葉を釈尊の残した遺訓の様に感じ、現在でも教えを大切に伝えようと努力して居る指導者には敬意を表したい。しかし同時に教えが大切であればこそ、より多くの人達がその言葉(教え)に触れ、人生の指針として社会で必要とされる人材となり、活躍(実戦)して頂きたいと切に願うものである。

複数の指導者から問い合わせを頂き、私が個人的に感じた事は、情熱をもって指導してきたはずの道院長や支部長が、何故今の状況に矛盾と不満を感じるのであろうか。 それに対する私のコメントは答えでは無い! 一つの考え方と捉えて頂きたい。少林寺拳法と言う武道から得た教え(哲学)と経験(技)を、後進に伝える方法はいくらでもある。 名前(ブランド)にこだわって本質を見失っては意味が無い。利権と保身にこだわって居る組織に、良い指導など出来るはずがない。名称など何でも良い、本質を残したいと思う。

又武道の修行だけが教えを実践する方法とも思わない。投稿の中から素晴らしい体験や、少林寺拳法の哲学で得た教えを社会の中で実践している人達が居る事を知る事が出来た。教えを糧に社会の弱者に役立つ技術開発を、将来の夢として熱く語ってくれた拳士も居た。現在は異なった分野に進まれた拳士達ではあるが、開祖の教えを正に実践している人達である。このように私達の目指す(願う)社会貢献は、少林寺拳法と言う狭い世界の中にあるのではなく、いたる所にあるのではないだろうか。

8 件のコメント:

  1. ブラック・薔薇2015/04/11 8:33:00

    初めて投稿させて頂きます。
    いつも興味深く拝見して居ます。私も思うところがあって今年3月末で少林寺を辞めました。このところの少林寺拳法は何とも自分では表現できません。 拳歴はそれ程長くはありませんが何時かは道院長になりたいと願って続けてきました。しかし伝え聞いた話ですが、何らかの理由で道院を閉める事になった道院長に、過去における会計処理に問題が有るとクレームが付けられ、何百万と言う多額の金額を本部から請求されたと聞きました。道院を閉鎖しなければならない指導者にとって二重の苦しみでは無いでしょうか。その様な事を聞くといくら頑張ってみても最終的に道院が続けられなくなった時に、同じ様な問題が生じると思うと怖くて出来ません。何時からこの様な組織になってしまったのか本当に残念です。

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  2. ブラック・薔薇さん 投稿有難うございました。

    同じ様な状況で少林寺拳法に区切りを付けられた拳士の投稿をこれまでも頂きましたが、これらはおそらく氷山の一角の様な気がしています。長年続けてきた少林寺拳法をやめなければならない拳士の気持ちは、当人でなければ分からない事でしょう。

    何時かは道院長を目指して頑張ってこられたブラック・薔薇さんがどの様な経緯で辞められる決意をされたのか分かりませんが、紹介されている事例が事実であれば将来道院開設を考えて居る人達にとっても他人事では無いでしょう。

    以前に投稿頂いた拳士の方々からも理由はそれぞれ異なりますが、現在の組織が抱える問題が一つでは無く多くの課題を抱えて居る事が分かりました。そして何よりも残念な事は、熱心に少林寺拳法を続けてきた拳士が辞めると言う結果に行き着く事です。

    組織の改革が真に実現できなければ遠からずその様な組織は破綻すると思います。

    又の投稿を期待しています。

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  3. 匿名
    私は丁度1年程前に少林寺拳法をやめた者です。ここの投稿にも色々な方がコメントされて居ますが、可能であれば宗教色の無い拳法を続けたいと考えて居ます。どなたか東京で新たに拳法の道場を立ち上げられた方がおられますか?おられましたら教えて頂けませんか

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  4. 匿名さん 投稿有難うございました。

    多くの方から投稿や相談を頂きました。 只この場にそれらの方々の連絡先を出す事は差し控えたいと思います。

    もし可能でしたら連絡先とお名前を右上のアドレスまでお送りください、返事を差し上げます。

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  5. いつも読んでいます。私の思いはブログに投稿している皆様と同じです。
    何かをしなければならないと思っているのですが・・・先生が拳法だけでは無い、いろんなことで実践できると言われているので体の硬さが少し取れてきました。
    今すぐ出来るのは自分の地域に小さくても良いから拳法だと思います、これしかないです!拳法を通じていろんな活動にチャレンジします。
    先生私の活動に手助けをお願いします。

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  6. 匿名さん 投稿頂き有難うございます。

    確かにこれまで少林寺拳法の指導者として打ち込んで来た人にとっては、他に可能性を探すより『拳法の指導を通して』と言う事の方が現実的かも知れませんね。それはそれで価値のある事だと信じます。

    私が何か手助けできるとも思えませんが、これまでの私や英国連盟の経験をお伝えする事は可能かもしれません。但し課題も同時にいくつか挙げる事が出来ます。先ずはそれをどの様に解決するのかを考えて頂きたいと思います。

    私が最後に伝えたかったメッセージは『名前など何でも良い!』と言う事です。その様な事にこだわって居るとしたら、ブランド志向から離れられないこれまでの少林寺拳法と何ら変わりません。「BSKFはどう説明する、『英国少林寺拳法連盟』と名乗り『少林寺拳法』から離れられないではないか?」と言われるかも知れませんが。

    こだわったのは英国連盟の支部長達でした。自分達こそが英国の地で宗道臣の教えを伝える為に頑張ってきたとの自負があったのだと思います。私は正直どちらでも構いませんでした。ここのブログでも触れましたが、日本から来た代表に「我々は名称に拘って居る訳では無い!」、現に『○○○拳法』と変えた名前を伝えたら、握手して帰られた事を私以外の拳士も見ております。

    その後の経緯もこのブログで伝えたとおりですから、繰り返しになりますので控えます。詳しくはそのブログを読んで頂ければお分かり頂けると思います。つまり最後まで名称こだわったのは私やBSKFではなく『少林寺拳法ユニティ』だと言う事です。

    その上で申し上げるならば、英国連盟は裁判で名称登録を勝ち取りましたが、日本で同じ様な事が出来るとしても、多くの時間と係争費が掛かってしまいます。その様な無駄な労力とコストを考えれば、より現実的な方法(名前に拘らない)が良いのではと考えます。私が述べた『名前など何でも良い』とはその様な意味なのです。

    投稿頂いた拳士の中には、別の方法で我々以上に開祖の言葉を実践しておられる方々が紹介されました。言い換えれば開祖が目指した本当の姿かもしれません。私もその様な境地になってみたいと思います。

    何か個人的にお聞きになりたい事があれば、右上のアドレスに何時でも連絡して下さい。

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  7. 海の彼方から2015/04/23 14:35:00

    記事を楽しく読ませていただきました。同じことを考えている拳士、道院長はたくさんいるはずです。
    本部に対抗する必要はなく、開祖の真の遺志を継ぐ人がそれを後世に伝えていけば、組織のネームバリューなんて必要ないんです。我々は開祖の”志”に惹かれて入門したのであって、”少林寺拳法”という名前に惹かれたわけではないですから

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  8. 海の彼方から さん投稿有難うございました。

    全くご指摘の通りだと思います。我々は開祖の遺志を継ぐ訳であり、間違っても現在の『少林寺拳法』がやって居る事を継承する訳ではありません。ですからこれまでに問い合わせ頂いた方々には、名前にこだわる事無く続けて頂くようにアドバイス致しました。

    その様な中で自分達の信じる(目指す)道を追い求めて行けば良いと思います。楽しい雰囲気のグループであれば自然に同好者は増えて来る事でしょう。その様な環境下で宗道臣の志や技術を伝えて行く事が出来れば、現在の利権にまみれた少林寺と言う組織よりはより純粋な指導が出来るのではと思います。

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