2008/04/04

F1GPは時代のニーズか逆行か?

昨今グランプリ サーカス(F1 GP)では話題も色々と賑やかである。シンガポールがグランプリの夜間レースを招致するとか、メルボルン市が夜間グランプリ拒否で2010年以後のオーストラリアGPが無くなるとかが紙面をにぎわしている。この環境問題が取り立たされて居る時にF1のレースはある意味において非常に時代錯誤の部分もあるが、そんな極端とも言える条件下で生み出される新たなテクノロジーは将来の車社会を救う事が出来るのかもしれない。

燃費や使われる資材、開発エンジニアーやドライバーに支払われるコストなど、どれ一つを取っても尋常なレベルではない。そして今度は昼間のレースでは飽き足らず、電気代も桁外れのコストが必要になる夜間レースときたもんだ。いったい彼ら興行者のメンタリティーは興味さえ引ければ何をしても良いと考えて居るのであろうか?GPレースが好きな自分でも夜間レースが新技術開発に寄与するとは考えられないが。

又同時に市街地で行われるレースにも今一つ納得がいかない。確かに一般道を使った方が実際の市販車により近い技術が開発されるのかも知れないが、これも夜間レースと同じ理由で技術開発よりも観客の興味が対象であることは明らかだ。100キロ以上のスピードでぶつかってもF1カーに施された諸々のセーフティ デバイスがドライバーを守ってくれるのは確かに素晴らしい技術ではある。しかしながら今日のF1カーに使われているテクノロジーが将来一般の市販車に使われる事があるのだろうか?と素朴な疑問がわいてくる。

カーボン コンポジットで作られたシャシーだけでも数十億円も掛かるコストは、市販車には縁の無い素材と技術(衝撃吸収のクラッシャブル構造)や、これまた桁違いのカーボン素材で作られたブレーキ(F1専用)等。ちょっと考えてみればすぐ分かる事だが一般車両で車両重量が600キロの車で、エンジンパワーが1000馬力を超える様な車等ありえないことである。日産マーチですら車体重量は800キロも有り、エンジンパワーは58馬力〜79馬力と言う事を考えてみれば、如何に浮世離れした現実味の無いコストを掛けているかが分かるはずである。

ホンダの創始者本田宗一郎氏は『F1は走る実験室だ』と言う有名な言葉を残した。確かにこれまでのガソリン エンジン車の発展においては市販車も含めてかなりのテクノロジーをF1から得ている事は認めよう。しかしながら今日の環境問題が問われる時代に過去と同じ様に内燃機関を中心とした車が生き残っていけるのであろうか?そこの定義も無く膨大な資源の消費と開発コストを掛け続ける事に少なからぬ疑問を押さえる事が出来ない。願わくば好きなGPサーカスが次世代の車社会に対する提言と方向性を示してくれる事を期待したい。

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