2008/04/20

本当の豊かな社会とは

現在日本のおかれている豊かさは国連開発計画(UNDP)による06年度の報告では世界で7番目というランキングらしい。
その報告書によれば、日本は米国、スイス、オランダより順位は上でフランス16位、イタリア17位、英国18位、ドイツ21位よりはるかに豊かな国と位置付けられている事になる。

しかしこの報告書は今一つシックリこない。現実の経済状態を見ても確かに『失われた10年』と呼ばれた一時期の経済状態からは抜け出したのかも知れないが、自分が感じる豊かさの実態がその様な事を言われても『うんそうか』とはうなずけないのだ。

ではなぜシックリ来ないのかといえば、長年見てきたヨーロッパ諸国の人々の生活ぶりである。カルチャーが違うので一概に比較は出来ないのかもしれないが、例えば昨年の少林寺拳法創始60周年記念大会に英国連盟からは26名の拳士が参加した。

そしてそのほとんどの拳士は2週間くらいの日本滞在時間を取り、少林寺拳法のスケジュール以外にも観光等を楽しむ計画をタップリ取っているのである。

ヨーロッパに住んで思うことは彼らのライフスタイルが実に自由気ままに、何処へでも出掛けて行ける時間的余裕を持っている事である。確かに日本の平均年収などと比べると額面では遥かに分が悪いと思う。しかしながら一方で少ない収入イコール惨めな人生では無いと考えるようになった。日本という国のGDPは確かに世界でも屈指の高さである事は間違いない。しかしその豊かさはもしかすると国民生活の犠牲においてのみ成り立った数値ではないかと考えてしまう。

年収の額面も確かに豊かさを図る一つの指針にはなるであろう。しかしながらである、例えば年収が1000万を超える人でもその収入をどの様に使うかも豊かさを見る上では指針になるのではないだろうか?何千万円もの高収入がある人でもそのお金を使えない(使う時間が取れない)とか、その代わりに豪邸を建てたり高級車を買ったり、資産を残したりだけでは本当に豊かな生活をしていると言い切れるであろうか?

ステータスのシンボルとしての豪邸や高級車では豊かな生活とは呼べないのではないか。その日の食べるものにも困るようではとても豊かな生活とは言えないが、豪邸や高級車は無くとも(持てなくても)好きなときに好きなところへ出掛け、自由に楽しむ為の時間を持つ人間のほうが豊かではないかと考えるようになった。

これも英国に住んで長年イギリス人やフランス人、イタリア人等のヨーロッパ人達の生き方を見て来たからかも知れない。彼らのライフスタイルは至ってシンプルな人が多い。勿論物に執着する人も居る事は否定しない(ある意味では日本人より多いかもしれないが)が、自分の生き方をある程度もったヨーロピアンは物よりも時間の使い方を大切にしているのではないかと思う。

なぜそう感じるかと言えば、先にも書いたが少林寺拳法という一つの楽しみの為に日本へ出掛ける拳士を何人も知っている。

彼らは勿論拳法の練習や、そこで出会う仲間達との交流も楽しみにしている。又観光もその楽しみの重要な要素ではあるとは思うが、観光だけが目的なら毎年異なった文化の国へ行った方が楽しいはずである。そこには少林寺拳法や友人、そこに暮らす人達の文化に対する共鳴等、拳士である彼ら彼女らが好きなものに時間とコストを惜しみなく掛けられる時間的、精神的な余裕のようなものを感じるのである。

そんな事を想うとき本当の豊かさとは、自分の好きな生き方が出来る人達が本当に豊かな人達ではないかと思うようになった。

経済的な指標も一つの目安かもしれない、確かにアフリカやアジアの途上国に比べれば日本は充分に豊かな国である事には疑問の余地は無い。しかし人はこの世に生を受けて死するまでの時間には限りもある事を考えると、生きている時間の中でどれくらい自分の満足できる時間を過ごしたか?が最終的な豊かさの基準ではないかとも思ったりしている。

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