2010/03/25

朝青龍時代の終焉

今場所から横綱朝青龍が居なくなった。

これまで色々な批判を浴びながら、それでも大相撲界を大いに盛り上げてきた事は確かである。残念ながら昨年末の暴力事件が公表されるに至り、ついに引退に追い込まれてしまった。

自分は朝青龍のスピード感あふれる、闘志むき出しの相撲が好きだった。人によっては彼の見せる闘志を前面に出した、強面の表情に『横綱としての品が無い』等と言い嫌う人も確かに多かった。又、優勝した時に両手を挙げてガッツポーズをした事が、横綱の品位を汚す等と批判を浴びた事も多々あった力士でもある。

しかし、大相撲と言えども興行されるスポーツであることには変わりない。

この様な言い方をすると『相撲はスポーツではない、国技である!』とお叱りを受けるかもしれないが、そもそも相撲が仮にスポーツでは無かったとしても、土俵上で行なわれる取り組みは、勝敗があって始めて楽しめるわけで、同じ興行とは言っても音楽や芝居のそれとは大きく異なり、性格上はスポーツのカテゴリーに入れても、それ程大きな間違いではないように思う。

もしそうであるならば、興行上もヒール(悪役)が居た方が絶対盛り上がると思うのだが。自分は好きだったのでヒールとは思わないが、多くの日本の相撲ファンにとって朝青龍は格好のヒール役だったように思える。

土俵上のマナーを云々言う割には、高見盛がやる取り組み前のパフォーマンスは概ね好感をもたれているようだ。見方によっては随分品の無いパフォーマンスに見えない事も無いが、余り彼のパフォーマンスが批判の対象になった事を聞いた事が無い。

朝青龍のガッツポーズが大相撲の品位?を汚すのであれば、高見盛のパフォーマンスも同じ様なものではないかと思ってしまうのは、朝青龍寄り過ぎるかな?

もし高見盛と同じパフォーマンスを、朝青龍か他のモンゴル出身力士がやったら(やるとは思えないが)、多くの相撲ファンは高見盛と同様な好感を抱くのであろうか。おそらくどの様なパフォーマンスであれ、朝青龍や外国人力士では批判の対象になってしまうような気がしてならない。

そこには中々優勝争いに絡めない日本人力士と、益々強くなってくる外国人力士に対する、嫉妬のような感情が全く無いと言い切れるだろうか。同じパフォーマンスでも批判される力士と、好感される力士(現に高見盛には優勝経験が一度も無いにもかかわらずスポンサーが付いている)を見れば、何となく朝青龍に対する否定的感情の真相も理解できると言うものだ。

勿論、朝青龍が引き起こした暴力事件は、決して許されるものでない事は言うまでもない。その事件が原因で朝青龍が引退に追い込まれた事は、残念ではあるが当然の帰結であろう。その事(暴力事件)を弁護する気持ちは全く無い!、しかしながら、一方で許されるパフォーマンスが、別の力士で禁止(批判)の対象となるダブルスタンダード(二重規範)は如何なものであろうか?

疑問の余地が残ると考えるのは、俺がイギリス人になっちゃったのかな?

3 件のコメント:

  1. 先ほどの件で付け加えます、朝青龍が引退してモンゴルに


    帰国した時に事件の事で殴るなどしてないと
    コメントしたのも人格がでたと思いますが、
    どうでしょうか。

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  2. 朝青龍の1人をマスコミ、など何かあるたびに
    各社は大体同じ事の報道でいい面で違う面が、
    有ってもいいと思う次第です。視野が狭いんで
    すがコメントします。この大相撲は江戸時代
    くらいから始まり、土俵の上に女性上がるのも禁止されて、神がかった事も、礼に始まり礼に
    終わるのもあるでしょうし、この事は柔道、
    空手にもうたって、少林寺拳法の教えに護身練胆と通じたのもあると思います。今の相撲協会、親方の行動、発言は可笑しいのも有ると、
    思います。相撲道の始まりが何で有ったかです。この事を総合して考えたいと思います。

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  3. Ohtoriさんコメント感謝します。

    今場所は白鵬の全勝優勝で終り、把瑠都が14勝1敗と言う、見事な成績で大関を手に入れました。 懸念された朝青龍が抜けた事によるしらけムードも、両力士の活躍で今場所に限って云えば何とか回避できた様に見えました。

    場所中にもはっきりと現れたように、外国人力士の活躍がこれからも益々膨張になってくる事は火を見るより明らかです。
    海外で拳法を指導している経験から言えば、大相撲が外国人に門戸を開いた時点で、この様な事は容易に想像出来ました。

    私が言いたかった事は、朝青龍一人の肩を持つことではありません。日本人だけでやっていた時には問題にならなかった様な事でも、外国の人達が加われば、当然の事ながら価値観も多様化します。もしそれが好ましくないと云うのであれば、初めから門戸を開かない方が余計な問題も少ない事でしょう。
    一端門戸を開いたのであれば、異なった文化背景を持った外国人力士には、よりきめ細かな指導や説明が必要な事は申すまでもありません。
    日本の文化だからお前たちが敬意を示して当然だ!と言うだけでは何の解決にも繋がりません。
    日本人力士が活躍しない事に、相撲ファンの苛立ちも分かりますが、外国人力士がやれば批判の対象となるようなパフォーマンスが、日本人力士にはスポンサーが付いたりと言う、ダブルスタンダードは海外では中々理解されない事だと思います。

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