2014/04/12

二重基準(ダブルスタンダード)

現代社会においてダブルスタンダードは、軽蔑の対象となるばかりではなく、信頼の失墜や反論の根拠となる事は言うまでもない。しかしながら注意深く観察すると諸々の分野で二重基準がいかに多く使われているかに驚かされる。

政治の世界はダブルスタンダードのオンパレードと言っても良いくらいだ。日本ばかりでなく、世界を見渡せば二重基準はいたるところで見受けられる。 本来であれば二重基準(この場合二枚舌と言うべきか)を最も戒めなければならない立場の政治家が、先進国から途上国までこの分野(政治の世界)では、厚顔無恥な輩が多い事は残念ながら事実かも知れない。

最近も日本のある政治家が、8億円もの入金について追及を受けていた。確か同じ人物が前都知事の献金や民主党政権時には、党首や幹部の献金では随分威勢よく追及していた事を記憶している。しかし事が自身の問題になると途端にトーンが変わってしまう、これでは国民から見限られても文句は言えないであろう。

現在世界中を騒がせている事件と言えば、ウクライナにおけるクリミア半島のロシア併合である事は言うまでもない。 ロシアの併合を声高に非難している欧米のリーダー達にしても、ボスニアの一件を持ち出されると途端に分が悪くなってしまう。 かつてソ連とは同じ共産圏であっても一線を画していたユーゴスラビアからNato軍主導の元、ボスニア・ヘルツェゴビナを軍事力で強制的に独立させてしまった。

結果としてそれぞれの民族ごとに国が割れてしまう事になり、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア共和国、スロベニア、クロアチアの6か国に分裂したことは記憶に新しい。 その記憶が今も多くの人々にあるにもかかわらず一方的にロシア非難をしても、お互いがご都合主義と言われても仕方がないであろう。

又以前にはアメリカが大量破壊兵器を保有していると言って、音頭を取り始めたイラク戦争も終わってみればその様な大量破壊兵器は見つからなかった。にもかかわらずその戦争に加担した国のリーダー達が、誰一人として責任を取ったと言う事を聞いた記憶は無い。

その後のリーダー達の言い訳は英米共に「イラクをサダムから解放して民主国家に導いた、結果はいずれ歴史が証明するであろう」と言うものであった。当初の大義(戦争をする理由)『大量破壊兵器』はどうなってしまったのか?プレスの度重なる質問に対して、上記の返答であったとすれば、これをダブルスタンダードと言わずしてなんと説明するのであろう。

日本でも同様な説明を良く聞く。いわく「出来るだけ原発に依存しない社会を作って行く」と言う首相が、原発の再稼働を容認するばかりか、インドやトルコに自ら売り込みを掛ける事をどう説明するのか不思議でならない。 自国民には原発を減らしてゆくと説明し、外国には安全だと言って売りつける。 もし本当にそう信じるのであれば日本国民にこそ原発推進を堂々と言うべきではないか。

外国に売りつけた日本の原発が事故を起こしたら、どの様な言い訳をするのだろうか。又その様な事態が万が一起きた時、日本への責任追及が絶対にないと言えるのか?そしてその事故から想定される環境汚染にはどの様に対処するのか等々、数え上げればきりがない。

これこそダブルスタンダード(二枚舌)どころか、トリプルスタンダード(三枚舌)と言っても過言ではない。一国の総理がこの様な方便を使い分けているとすれば、国民がダブルスタンダードに対して無関心になるか、不感症になるのか小生には想像できない。

政治の世界でのダブルスタンダードをいくつか例を挙げてみたが、ここでは異なった世界の例も取り上げてみたい。

随分前の話ではあるが、読売巨人軍の有名な選手が女性問題で騒がれた事がきっかけで、スキャンダルとしてマスコミの餌食となった事がある。これがきっかけで後にパリーグの球団へトレードされてしまったが、時を置いて今度は監督が同様な問題で話題に上った。 

多くの人が又同じ運命を予想したが、この時には親会社である読売新聞のトップが監督を擁護した為、監督には何の処分も無かった。

監督の事件では暴力団の関与も出ていた事を考え合わせれば、こちらの方がより厳しく社会的制裁を受けるのが普通であろうが、現実にはトップのツルの一声で判断が180度変ってしまう事に驚いた記憶がある。これ等も分野は違ってもダブルスタンダードが成立する事を如実に示していると言えるのではないだろうか。

いくつかの事例を取り上げてみたが、せめて少林寺拳法の世界だけでもダブルスタンダードはあって欲しくないと願うが、ナイーブ過ぎるのであろうか。

2 件のコメント:

  1.   
    合掌
    少林寺拳法のダブルスタンダードは沢山あります。卍を捨てて宗教法人、人を増やせと言ってカルチャーや体育館からの撤退、システムが出来れば会員数は右肩上がりと言って
    拳士数の減少など沢山あります。
    本来批評家は文句を言うときは強いですが
    自分で作り上げるのは弱いものです。
    我々は批評家ではなく創り上げることが
    求められます。それは宗 道臣先生の思想と技法を維持発展させることです。このことだけはダブルスタンダードにしてはいけないと思います。
                結手

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  2. 投稿有難うございました。
    ダブルスタンダードなどは自分達の少林寺拳法には関係が無い!と言う思い込みこそが一番危うい事かもしれません。ご指摘の様に仏教のシンボルである卍を止めて、ビジネスが主目的である商標登録(双円)で宗教法人と言う事には矛盾がありますね。
    どんなに素晴らしい教えであっても言っている事(教え)と、やって居る事(自身や組織としての行動)が伴わなければ、ダブルスタンダードと言われても仕方がありませんね。   
    今一度自分も原点に立ち返り見つめ直してみたいと思います。結手

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