2014/10/03

世界で一番強い武道とは

私が少林寺拳法という日本で生まれた武道を指導していると言うと、武道とは余り縁の無い部外者から「世界で一番強い武道は何か?」と聞かれる事がある。

門外漢からすれば世界で一番強い武道を練習したいと言うよりは、興味の対象として知識の一部にしたいのかも知れない。少し考えれば間の抜けた質問である事に気が付くと思うのだが、本人は案外真面目に聞いて居るのかも知れない。

その様な時、私の答えは「強い奴がやる武道が一番強い、但しそれはスタイルでは無い! どの様な武道でも良い」と答える事にしている。どの様な武道であれ『世界一強い』等と不遜な形容が付けられるものなどある訳がない。

アルティメイト・ファイト(究極の戦い)等と呼ばれ、檻に入った格闘家が大衆の前で戦う競技を映像で見た事がある。 筋肉隆々の厳ついファイター達が様々な技を繰り出し戦い勝敗を決める訳であるが、その「チャンピオンが修練した格闘技が世界で一番強い武道なのか?」と聞かれれば、単純に「Yes」とは言え無いであろう。たまたまチャンピオンになる資質を持った人間が良い指導者に恵まれ厳しい修練をしたからチャンピオンになった訳で、誰が修練しても同様にチャンピオンになれる訳では無い。

この様な例はいくらでもある。 100メートルを12秒台で走る人は一般社会ではかなり早い人であろう。しかしオリンピックに出てくるアスリートであれば10秒台で走れる選手以外はその対象にもならない。言うなれば限られた才能を持つ者だけに与えられた戦いの場なのだ。

少しくらい運転の上手いドライバーとGP(F-1)ドライバーでは全く異なったレベルのドライビング・スキルが必要な事は素人でも分かる。学生相撲のチャンピオンが総て大相撲の横綱になれる訳では無い。ごく限られたタレント(才能)を持った者が良い指導者に恵まれて厳しい練習に耐え、結果としてチャンピオンや金メダルに輝く事を理解すれば、スタイルによるアルティメイト(究極)の武道が存在しない事は理解できるのではないか。

しかしながら人は『世界一』と言う言葉に簡単に乗せられてしまう様である。昨年の東京都知事選挙では「東京を世界一の都市にする」等と言う摩訶不思議なアジェンダが発せられた。少し考えれば「何を持って世界一とするのか(定義付け)」が明確にされて居ない。漠然とした言葉「全ての分野で世界一の都市」等と言うものがある訳もない。余りにも人を食ったスローガンだと思ったが当の候補者は至って真剣そうであった。

世界一の経済規模を誇る都市、世界で一番人口が多い都市、世界で一番の高層ビルがある都市、世界で一番歴史がある都市、等々数え上げればきりがない。そもそもすべてにおいて世界一の都市など存在するわけがない。ロンドン、ニューヨーク、パリ、北京、ローマ、ドバイ等それぞれに異なった分野おける世界一はあると思うが、どの都市を取り上げても全ての分野において世界一等と言うことが不可能な事は明白であろう。

その様な事を考えれば「東京を世界一の都市にする」と言う言葉が、いかに中身の無い表現か理解できると思う。ただ残念ながらこれらの現実味を伴わない『世界一』と言うキーワードは、人々の関心を集める事には便利な表現である。

世界一の会員数を誇る武道、世界で一番トーナメントの多い武道、と言うのであればまだ例を挙げられるのかも知れない。しかし武道としての強さを測るメカニズムが存在しない以上、私が言う「強い奴がする武道が一番強い、弱い奴がいくら同じ武道を修練しても一番強い武道とはなり得ない」も一つの真実とは言えないだろうか。

一つ言えるとすれば、少林寺拳法はおそらく世界の武術の中では最も技の数が多い武道の一つであると思う。その技の総てが有効かどうかの検証は別にしても、数においては確かに多くの技が存在する事は事実であろう。その武術としての技を学ぶ過程において、人格の向上に寄与する哲学の指導がある事は素晴らしい事だと思う。逆に武道の指導を餌に宗教としての思想を刷り込むのであれば、何度も言う様にカルトの評価は免れ得ないであろう。

11 件のコメント:

  1. こちらにもコメント寄せさせていただきます。
    ボクシングにも、空手にも組んで戦う技があったようですが、いまはほとんどなく、こちらの武道は
    当身、組技ともにあるというめずらしい存在になっていると思います。それだけに習得に時間が
    かかるような気もしますが、習得に時間がかかるという面から来ているかもしれませんが、宗教だから強さを求めない、強さより心の修養が大事というような思想が出て来ているような気もします。

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  2. Emptyさんへ

    いつも注意してブログ見て頂き感謝しています。

    私が取り上げたかった『世界で一番強い武道』というタイトルですが、少林寺拳法に関わっている人達が見れば「何を馬鹿げた事を」と思われるかも知れません。その様な事は充分に承知の上であえて書きました。

    「少林寺拳法をやった事がある」と人前で言う事が何の価値も無いとしたら、私は残念に思います。胸を張って「私の経歴の中で少林寺拳法をやった事が大きな心の支えとなって居ます」と言える様な武道でありたいと思うからです。

    「我々は宗教団体だからその様な評価(格闘技の世界チャンピオン)は有難くない」と言う人が居たとすれば、その様な捉え方こそ一般社会の常識からはかけ離れたものの見方だと思います。

    又投稿して下さい。 結手

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  3. ご隠居拳士2014/10/04 11:36:00

    ”世界で一番強い武道”については、語る言葉を持ちませんが、
    水野先生のコメントにある「少林寺拳法をやってきたことの誇り」については感じることがあります。

    少林寺拳法への評価が変わっても、
     過去、現在の経験を上手く未来につなげれる人にとって、過去の経験は宝物です。
    今は、少林寺拳法以外の事に夢中になっていても、
    今日があるのは、過去の経験によるものだという意識があれば、
    誇り高き過去を否定する事はありません。
    もっとも、少林寺拳法への評価が高まれば、経験した者にとって
    これほど、うれしい事は無く、思わず披露したくなるものです。

    しかし、自分の誇りを他人に認めさせようとすると、価値の共有が必要となり他人の評価が気になります。
    外国人と日本人はもちろん、日本人同士でも価値観は違います。
    世界中で同じ様な(高い)評価を受ける事は、難しい問題です。
    隠居の歳になると、心の支えは自分の問題、他からなんと云われようが、変わりません。(頑固)
    日本には、昔から、八百万(ヤオヨロズノ)の神々が祀られており、外来の仏様もおわします。
    隠居(私)は、外人になんと言われようと、「初詣」も「お盆の行事」もやめるつもりはありません。

    最近、留守番をしていると、「ピン~ポ~ン」、印鑑片手にドアを開けると、
      『あなたは、神を信じますか~』、  オ~ノ~サンキュ~、難しい事ダメ!お昼寝させて!!
    結手

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  4. ご隠居拳士様
    いつも書き込み有難うございます。
    今日はキプロス指導者講習会の為、リマソルと言う街に来ております。

    iPadでの書き込みせすから詳しくは書けませせん。
    12日にロンドンに戻りますので、その後に書き込まれた皆様にお答えしたいと思います。

    それまでは同様に書き込んで頂ければ嬉しく思います。

    キプロス指導者講習会のリポートもお知らせする予定です。

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  5. Blogger skmizuno さんは書きました...
    隠居拳士さん 何時も投稿有難うございます。

    サイプロス(キプロスの英語読み)講習会が無事終わり昨日ロンドンに戻りました。 滞在中は終日快晴に恵まれ、非常に充実した一週間を過ごす事が出来ました。 同じ頃日本では二週続けて台風に見舞われて居る事を帰宅後にニュースで知り、申し訳なく感じる程素晴らしい天候でした。

    サイプロスは長い歴史の有る国の一つで、至る所に遺跡が見られ何千年にも亘る時間の経緯を感じます。又ギリシャ神話に見られる力の象徴としてのヘラクレスは、人類普遍の強さへの憧れである事の証しだと思います。

    現代の武道はギリシャ神話とは異なった価値観の元に確立されたものですが、その様な現代社会においても人々が武道に期待する大きな要素は、修練する事によって得られる健康と精神力(自信)ではないでしょうか。同時に強くなれる事への単純なる思いも世界で共通の感覚ではないかと思うのです。

    古代ギリシャのスパルタカス(選ばれた戦士同士の戦い)とは違い、弱者が必要最小限に身を守る為に武道を習う事は、科学が大きく発達した現代においても価値が有る様に感じています。

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  6. ご隠居拳士2014/10/14 23:55:00

    「年寄りの冷や水」か?

    近年になって、開祖の技は痛くなかった」と云う方がいる。
    私は、開祖から直接技をかけて頂いたことが無いので、なんとも言えない。
    ただ、昔、高弟の方々の技は、死ぬかと思うほど痛かった。
      当時の開祖は、高弟の方々に何を教えたのか? 何も教えなかったのか?

    教範や科目表の変遷を見れば分かるように、技も変化しています。
    ☆逆小手説明「小谷」→急所図の名称に「小谷」は無い。「中渚?」
    ☆「圧法」→「羅漢圧法」、「急所の図」→「経絡秘孔の図」、名称と共に内容が大きく変化。
    昔は、急所の名称に「攻」をつけると、「圧法」の名称だった。
    興味のある方は、調べてみて下さい。
    教範が全てだと言うものの、教範に無い技が科目表にあります。
    ☆押受蹴、逆手固、 切返固、等々
    ということは、技の変化・増減は開祖にとっても想定内の出来事だという事です。
    最近できた、武術ではない(間合いを無視)を体現した体操みたいな運動(コース制)は、
    科目表に入れて下さい。(気に入らないけど----)
    最近できた、痛くない武術は、「羅漢合気」とでもして「羅漢圧法」の次に入れて下さい。
    坂東先生の技術と同格? 「合気拳」として、「羅漢拳」、「五花拳」等と同格?それは無いでしょう!
    なんでもありのヤケクソです。(自虐的な、大笑い)
    私(隠居)の回りにも、技の途中、ゆるみをとって行く過程で、倒れる(受身をとる)人たちがいる。
    私(隠居)の技を信用してくれる、ありがたい人たちだ。  高度な受身は、実に美しい。
    私(隠居)は、すでに美しい環境(関係?)にひたっていたい年だが、
    暴漢(受身をとらない)相手に必要な、「気迫と技量」を磨き続けたい気持ちもある。
    「年寄りの冷や水」と言われても、牙(キバ)は磨いておきましょう。

    少林寺拳法公式サイトの「拳士の広場」に、思わず微笑む投稿が載っています。
    ここまでできる拳士がどれだけ(残ってor増加して)いるか?
    大勢、居る事を期待します。

    *「少林寺拳法公式サイト 拳士の広場」、「名古屋広路道院の道院長は、実践派です!」で検索。

    結手

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  7. ご隠居拳士様

    コメント楽しく読ませて頂きながらウン、ウンとうなずいておりました。

    初期の開祖の指導を体験した高弟の先生方から伺った話ですが、例の5畳半の道場に一人づつ招かれ(中に入れられ)、「今日はこの技を教えてやる」と言われ、「ここを持ってみろ」と指示されたところをつかんだ瞬間「ギャ!」と言う程痛い技を掛けられたそうです。

    「分かったか?」と聞かれ、1回では当然分からないので「分かりません」と答えると、又同じ様に「持て」&「ギャ!」と言う痛さの繰り返しだったそうです。その様な押収が5回ほど続けられ、余りの痛さにそれ以上は体が耐えられず、「分かりました」と答える事しか出来なかったと聞いたことがあります。

    その間(指導中に)開祖から技に対する詳しい説明は殆んど無かったそうです。複数の先生方から同様な話を聞きましたので、おそらく当初の指導はこんな風景だったのでしょう。

    現在の懇切丁寧な指導方針からすれば、全くの想像外な指導スタイルではないでしょうか。私は逆に開祖が追及されていた(実践された)武道としての少林寺拳法がそこにはあったと感じます。

    又逆にそうでなければ新参者の少林寺拳法が数ある武道の中で、これ程短期間に存在感を増す事など不可能だったのではないでしょうか。皆さんはどう感じられたでしょう?

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  8. ご隠居拳士2014/10/20 1:30:00

    ほんとに使える技の重要性。

    少林寺拳法を学んだ拳士のうち、練習以外(実戦)で技を使う人は、何人いるでしょう。
    ほんの一握りだと思います。
    トータルで考えた時、実戦で負傷する確率より、練習で負傷する確率の方が高ければ
    危ない(使える)技を教えるより、怪我をしない(使えない)技を練習させた方が良いことになる。
    勿論、どんなに有効な技でも、伝えるために、多数のケガ人をだす事は許されません。
    しかし、護身術と言われ(強くなりたく)て始めた人は、(使えない技など)納得できないでしょう!!

    この議論、静かに余生を暮らしたい隠居の気持ちとしては、悩ましいな~。
    技の指導は、相手を見てする事ですな。
    しかし、自分の牙(キバ)は、常に磨いておきましょう。
    結手

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  9. ご隠居拳士様

    またまた難問を突き付けられました。

    現代社会における武道の修練には単に技が実戦向きかどうか、と言う課題よりも武道をスポーツの一環としてとらえ、ゲーム(試合)による優劣を競う事に重きを置く方が一般的です。

    試合(ゲーム)を否定しては現代武道の強さを測るメカニズムは存在しません。試合で勝つための技術が護身(実戦)で有効か?と聞かれれば、ほとんどの場合試合で負ける選手より、勝てる選手の方が強いのではと考える方が自然でしょう。

    但し武道には(特に少林寺には)演武と言うゲームが存在します。これを例に出されると返答に困ってしまいます。 

    科目表にある内受突を練習する場合、対構で相対して、攻者が逆突で突いてくる事を前提に漫然と構えている練習を良く見かけますが、これ等は全くの茶番で演武にすぎません。守者側は常に相手が順、逆どちらで突いて来ても受けられる体制を作る必要があると思うからです。

    演武だけの試合で優勝しても、それで実戦を前提とした技術の習得が出来ると勘違いすると、とんでもなく危険である事を知る必要がある様に感じます。

    ゲームである以上ルールが存在します。私が例に挙げたアルティメイト・ファイトと言われる様なケージの中で争われる試合でも、審判(レフリー)とルールの下に試合が成り立って居る訳です。

    ですからこれとても真の強さを競っているのかと聞かれれば、ルールの中でのチャンピオンであることは確かです。では彼等(優勝者)が弱いか?と言えば、やっぱり強いと言うのが一般的ではないでしょうか。

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  10. Message body




    初めて投稿します。

    内戦派さんが言われるマインドコントロールとはどんな意味でしょう。

    何か得体のしれない怖さを感じます。 本部がこれまで支部長や拳士に対してやってきた事がマインドコントロールなのでしょうか? これではオウム真理教と同じではありませんか。

    知り合いからこのサイトを教えられ読んでみて驚きました。 これまで色々と疑問はありましたが、それ程大きな問題とは思ってもみませんでした。

    でも投稿で言われているような最高解釈権者と言う方の一言ですべてが決まるとすればカルトですね。 良い友達も居て残念ですが私は拳法をやめます

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  11. Wind 様 初めての投稿有難うございました。

    投稿の場所が違うと思いますが、一つ前の『少林寺拳法は宗教団体?・・』の投稿欄ではないでしょうか?

    初めて投稿する人から、「難しい」と言われる事も有りますが、これに懲りず又投稿して頂ければと思います。

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