2014/09/05

英国少林寺拳法連盟40周年について思う (4)

2008年12月WSKO臨時理事会に出席した私に思いも掛けぬ事態が待っていた。それまでの友好的な姿勢は一変した。私に掛けられた濡れ衣は渡航費の不正請求と言う嫌疑だった。本部の見解と私の見解が異なった事が原因であったが、その事でWSKOや少林寺拳法と言う組織に迷惑を掛けたくないと言う思いから、責任を取りWSKOの理事と指導員を辞任した。事の経緯はこのブログの3月『世界で一つの少林寺拳法とは』に詳しく書いたのでここでは省略する。

その後に分かった事ではあるが、本部ではそこに至るまでの過程で綿密な計画を持って私を退ける為の準備して居た事が拳士達からの報告で分かった。同年3月本部において昇段試験を受けた拳士達に対する質問では「水野は道着を横流しして不正な利益を得ているが知って居る事は無いか?」とか、「水野が居なくなった後、英国連盟をどの様に発展させていくのか?」等の質問がなされたと聞いた。余りにも馬鹿げた話だったのでそれ以上蒸返す様な事はしなかったが、結果的にそれが後に名称登録をめぐる訴訟問題にまで発展する事になろうとは想像もしていなかった。

2010年3月、BSKFの新規約変更をめぐるWSKOとの軋轢から、BSKFと私はWSKOから除名処分を受けるに至った。 当初は些細なボタンの掛け違いと考えていたが、事が進む中で色々な現実が見えてきた。 重要な事はこの様な時こそ、お互いに胸襟を開いて話し合いの中で一つ一つ解決していく姿勢ではないかと思うが、残念ながらその様な考え方は現在の少林寺拳法体制下には存在しないと言う事を理解した。

現在のWSKOを含む少林寺拳法体制は、世界の人達が物事を判断する上での価値基準からは随分かけ離れた価値観を持った組織だと考えられる。 現代の組織の多くは概ね民主的手段で結論を導き出す事が普通である、民主主義的な方法がベストな意見集約の手段かどうかの議論は別としても、その方法以外では利害や意見が対立した時の解決方法は手段としての説得力を持たない。

これまでWSKO理事会や評議委員会での会議には何度も参加したが、事前に決められた筋書(本部が決めた)どおりに議論が進められ、反対者の意見は無視されるか、論点をすり替えて収束させる事が度々あった。この様な状態は会議とは言えず、説明会か報告会と言う方が適切であろう。

問題になったBSKFの新規約移行をめぐるやり取りでも、彼等(WSKO)は英国人のメンタリティを全く理解して居ないと言う現実であった。 BSKFの支部長達の中にもWSKOの指示に対して盲目的に従う者も居たが、彼らが一番大切にした事は自分達の組織のルールは自分達で決めると言うごく当たり前の結論だった。 彼等の考え方の根底には国の法律で保障された自由は、その法律に反しない限り自分達で納得して決めると言う単純な事である。それを認めないとするWSKO本部との葛藤が、結果的にBSKFを組織から追放すると言う結論になった事は大変残念な結末と言わねばならない。

今一つ付け加えるとすればBSKF の支部長会は、真相が明らかにされた上で事の善悪を判断したいと言う思いから、本部から役員が来て支部長達を集め説明会を行う都度に私の同席を求めていた。残念なことに彼等は頑なに受け入れなかったそうである。出席した支部長から伝え聞く話では、役員達の説明には論理性が乏しく、私個人の悪口に終始し、彼等が納得できる説明が出来なかった様である。勿論充分に説得力を持った立場であれば私が同席して居ても問題が無い訳で、同席を拒んでの説明には合議制を重んじる英国人達の気質を理解せずに、日本の会議と同様に問題無く収められると見誤っていたのかも知れない。

3 件のコメント:


  1. 合掌

    先生のブログを楽しみにしています。
    相手の立場も考えるという点がまったくない
    組織なんて看板も中身も幻想だと思ってしまいます。邪魔者は消せ、水に落ちた犬はたたけなどどこぞの国のことわざのようなものが現実にあるのですね。成長してしっかりした意見を言うようになると喜ぶのではなく、邪魔な存在となるのですね。私は指導した者が成長するととても嬉しいのですが。

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  2. 投稿有難うございました。

    組織の掲げる教えの根本が『半ばは我が身の幸せを、半ばは他人の幸せを』でしたが、このところの少林寺拳法は哲学も変わってきたのかも知れませんね。

    ご指摘の様に指導者としては弟子の成長こそが楽しみの最たるもので、同時に自身の励みにもなると思います。それが出来ないと言うのであれば、指導者等返上した方が良いのではないでしょうか。

    40年も続けてこられた少林寺拳法です、感謝こそすれ文句を言う積りなど毛頭ありませんが、それには上記の様に心に響く教えが有ったからこそだと思います。その大切な哲学まで無くしてしまったのであれば文句を言う代わりに、自分達がそれを引き継ぎ次世代に残してゆく努力をしたいと思います。

    暖かな目線での投稿感謝しております、今後は厳しい視点でも投稿して下さい。 結手

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  3. 数年前日本少林寺拳法の館長や宗由貴さんと電話で話した時に、再宗教化の話がでてとても異常に思いました。僕が高校生の時にその時の館長と組手をして勝ち、仏教を外すことを提案したのでした。少林寺拳法に限らず、武術は科学の塊です。宗教的視点で見てしまうと原理を理解できません。昨夜から所属だった龍王道院の道院長とLineで話してますが、全く話しになりません。本部の頭の悪さ、非民主主義的手法をそのまま引き継いでいる感じでした。

    少林寺拳法は武術ですから、自分や善人を守る実力がなくては話になりません。強さを求めるのは基本です。それを勘違いして強さを求めることを否定するのはおかしいです。
    誰かに勝ったり負けたりすることも技の科学を理解するためには邪魔になるので避けるべき心の状態と思います。社会正義のための拳。そのために負けられないです。不屈になれるのです。

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