2011/10/23

サイプロス リーダーズ セミナー(指導者講習会2011)

10月も後半に入り、ロンドンも気温が一段と下がり、秋も終盤の気配がより一層深まった感じがする。永年ロンドンに住んでいるが、夏が終わると秋が一気に駆け抜けていく様な気にさせられる、これから来る長く寒い冬がその様な気持ちを一段と駆り立てるのかも知れない。

今月初めに17名の拳士と共にサイプロスに飛んだ。 サイプロス(Cyprus)とは英語読みで、日本語ではキプロスと呼ぶ方が一般的であるが、いずれにしても日本人には馴染みの薄い国である。
キプロスは独立した共和国ではあるが日本の大使館は無い、今は財政危機で騒がれているギリシャのアテネにある日本大使館が、キプロスの日本大使館も兼ねているらしい。又日本にもキプロスの大使館は無く、中国にあるキプロス大使館が日本の大使館を兼務していると聞いた。

キプロスは地中海の一番奥に位置している島国でギリシャ、トルコ、シリアなどの国に囲まれている。 元々はギリシャ系の民族が支配した国であったが、1974年小生が渡英した同年に隣国トルコが進駐して、約三分の一位の地域がトルコに占領されてしまった。
その後国連が境界線を警護しており、武力による紛争は無いがE.Uからはトルコ支配の地域は認められておらず、ユーロ圏ではあるが未承認の地域(北部キプロス)を抱えた複雑な政治情勢の国とも言える。


日本との結び付きが薄いと書いたが、町に走る車の6割以上は日本車である。
英国の植民地統治があり、独立した現在も交通システムは英国や日本と同じで、車は左側通行と言う事情もあり、日本の車がものすごく多い事には驚かされる。 日本では先ず見かけないほど古い初代のカローラや、1000cc時代のサニー トラックが現役で活躍しているのを見ると、車好きの小生には思わずこの国に親近感を覚えてしまう。

さて、車の話はこれ位にして何故ロンドンから5時間近くも飛行機に乗らねばならないキプロスで指導者講習会を開くのか?

これには色々と訳が有る。我々が拳法を始めた頃の1960年代中頃、開祖は四国の多度津で毎年指導者講習会を催された。愛知県に住んでいた我々は毎年のようにこの講習会に参加した。名古屋から香川県の多度津までの道程は、現在の様に新幹線を1回乗り継いでと言う様な簡単な旅ではなかった。岡山からフェリーを乗り継いで高松から又列車に乗り継ぐと言った10時間近くも掛かる旅程である。

しかし、今思い出しても当時のこの講習会は胸弾む楽しい経験だった。当時は自分は高校生で指導者では無かったが、休日を利用して出かける指導者講習会には全国から沢山の同士が集まり、朝早くから夕方までうだる様な暑さの中、緊張した雰囲気の講習会が行なわれた。


この様な経験と同時に、未だ自分が渡英して間もない1970年代後半から80年代前半に掛けての事を思い出すと、苦しい環境(肉体的、文化的、経済的)は人をより強くし、貪欲に物事を吸収する力を目覚めさせる効果がある事に気が付いた。

70年代の航空運賃は現在では比べ物にならない程高かった事を記憶している。今日現在1ポンドは約120円であるが、当時の為替レートでは800円もした。
ロンドンから東京までの距離も遠く、直行便等は無く、一番早いものでもモスクワ経由か、北米のアンカレッジを経由していた。 搭乗時間は18時間近くも掛かった事は、現在の直行便が11時間半位で飛べるのに比べたら雲泥の差である。

おそらく当時の航空運賃は現在の価格に換算すれば、ビジネスクラスはおろかファーストクラスに近い金額が必要だったことになる。その為簡単には日本へ渡航すると言う事はかなわず、自身の技術的な未熟さに気付いて居ても、誰かから教えを受ける事もままならず、何年もの間その事で苦しむ事となった。

経済的な理由が最も大きな理由で有った事は云うまでもないが、一度日本に帰国する機会が出来ると可能な限りの講習会に顔を出していた。その時々の指導員が見せる、とっておきの秘儀に出会った時には思わず『やった!』と心の中で叫んでいた。 また多くの拳士(指導者達)が何度も説明を受けながら上手く出来ない事が不思議に感じられた。

思い返せば英国で気付かされた技術の未熟さに長い間悩み抜いた事が、自分の技の問題点をより鮮明に絞り込んだ状態にさせ、一つのヒント(動作や言葉)がみるみる問題点を氷解させていった。 もしこのチャンスを逃したら、また次回の帰国まで、何年もの間悩まねばならない事は明白であった。その様な覚悟を持って全ての講習会に出ていた事が、偉大な先生達の技を人よりも早く吸収しようとする貪欲さに繋がったのではないかと想像している。


1990年代から数度キプロスで講習会を行なったことがある。 ある年は自身が柔法の師と尊敬する有名な師範に来て指導頂いた事があった。その先生は何故そんな遠くに行くのか小生に質問された、そこで自分はこれまでの経験を説明した。 『この技が今日習得できなくても、また来週先生に聞けば良い』と思っているうちは中々習得できない、心の中に言い訳が出来て、次回にまた練習して出来る様になれば良いと感じてしまう事が、人の持つ可能性(あらゆるものを習得する)を鈍くさせると感じた事があると説明した。先生はうなずかれて、その時の講習会は今思い出しても実に素晴らしい、眩いばかりの大変貴重な経験となった。

朝9時から始まる練習は12時には終了する予定だったが、拳士の視線は師範の技の素晴らしさに釘付けとなり、気が付くと毎日午後4時か5時と云う状態が1週間続いた。拳士の貪欲なまでの吸収力と旺盛な質問に、先生自身が時を忘れて熱心に指導されていた姿が昨日のように鮮明に思い出される。同時に指導者としての心構えもこの時師範にお手本を見せて頂いたと今も信じている。
その様な経緯から、昨年来10月にキプロス指導者講習会として年間行事に組み入れた訳である。

昨年は13名、参加拳士は昨年より多くなり今年は3カ国から17名が参加した。
1週間の休暇申請、渡航費や滞在費に加え講習会経費を合計すると結構な負担になる、その様な状況でも参加してくる拳士はさすがに熱心である。 自分も先の師範から受けた教えを教訓に可能な限りの知識を総動員して、それぞれの拳士のスキルアップ(技術の向上)の為、午前と午後共に3時間づつの指導を毎日行った。その様な状況があり、講習会終了後『又来年もやるのか?有るのであれば是非参加したいと』質問された時は嬉しかった。

それにしても彼らの体力には今更ながら驚かされる、キプロスの10月は快晴が続き、ロンドンの夏の様な快適な気候である、午後の練習が終了すると何人かの拳士は水着に着替えて勢いよく海に飛び込んでいく。

気候がよく、食べ物も美味くヨーロッパからのホリデー客は数多い、何度も訪れているが日本人には出有った事が無い。そんなキプロスにも今では寿司を出すレストランが盛況だ。 スリランカ人やフィリピン人の板さんらしい、さすがに小生には試す(食する)度胸は無いが、ホリデーで訪れる観光客には人気があるとの事である。

人の能力はその人の環境が厳しければ厳しいほど、それを克服しようとするより強い力(潜在能力)が湧いてくると信じる、その能力をいかに上手く引き出し、個々の拳士の技に対する自信を付けさせる事が出来るか、私自身に課せられた終生の課題だと思う、それにしても楽しみな拳士達である。

3 件のコメント:

  1. おはようございます

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  2. なぜ山に登るのですか?と聞かれてそこに山があるからだ!答えた人がいます。私は(へー )と答えようがなかったし、その様なものかと感じていました。しかし、拳法を少し習った私にとっては、と遠く離れた地に行ってわずかなことも好きな拳法の技を身に着けたいという思いは体にビンビン感じてきます。
    時間とお金を犠牲にしても価値のある行動なのですね。人と人の付き合い(人間関係)は一番難しいと思っていますから共通の話題で技に打ち込めるのは、今の私にとっては最高の贅沢だと今はそう思っています。
    その様な彼等(拳士)をうらやましくも思いますし、その中に入ってトレーニングしたいです。
    その様な姿を見るのは家族・友人は楽しみでしょうね。
    いつの日かそのようなときが来ればと楽しみにしています。
    青春は若い人だけの特権のように書かれていますが決してそうではありません!Panasonicの創業者松下幸之助は(青春とは心の若さです
    日々新たなる行動を続ける限り、青春とは永遠にその人のものである)

    先生の青春はこれからですね!

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  3. Yoさん 投稿有難う御座いました。

    10月のキプロスは気候も良く最高の環境でした。
    写真の中で海岸での尺丈練習風景を紹介していますが、回りには誰も居ない場所なのでこの様な練習も可能です。
    普段家の中で尺丈を振り回す練習は中々出来ませんが、海岸でのスペースを気にしなくて練習できる環境に皆喜んでおりました。
    ここはキプロスでもサンセットビーチで有名と言う事で最後にその写真も載せました。

    1週間の間には道場での練習は午前中の3時間、午後からは基本的に自由時間ですが、ほぼ毎日全員が海岸や山(キャンプ場ですがシーズン過ぎて人が居ません)での道場外での練習に参加しておりました。
    外で伸び伸び練習できる環境は素晴らしい体験だと感じました。

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