2011/08/27

民主主義が根付き辛い土壌とは

世界中で先進国と呼ばれる国では、民主主義がその建前となっている事は今更言うまでもない。日本もG7と呼ばれる経済大国の一つであり、政治形態を含めて民主主義国家と自他共に認められている国ではある。

何故この様な回りくどい表現をしたかと言えば、よく観察すると前にも書いたように先進国の基準(常識)からは、少しばかり?マークが付く事が多すぎるのではないかと思ったからである。

これが、現在民主化で揺れている永年独裁者が支配してきたリビアやシリア、そしてイスラム教が政治をも支配するイランなどの国か、共産党一党独裁体制の中国や北朝鮮の様な国であれば?マークは付くはずも無く、『近代的な民主主義国家ではない!』と結論付ける事も容易である。
しかるに日本はと言えば、世界の経済大国と呼ばれるG7メンバーの国家としては、余りにも不思議なカルチャーを持った国であると言わなければならない。

前にも書いた『トップの暴走に何も感じない?、日本の常識が問われる事件』の様に、民主主義が定着した先進国であれば、当然批判や糾弾されるべき事件であっても、特に何も起きない(糾弾や批判等)事が、果して真の先進国や民主主義国家と呼べるのか?と言う事がその主とする疑問である。今回改めて考えてみると、その他にも日本ならではの特徴的な民主主義が存在している事に思い至った。


日本人はディベート(討論)が苦手なのかも知れない、意見が異なった場合でも直接的な反対意見を述べる事を回避するために事前に根回しをし、会議以前に意見の集約が図られる事は良く知られて居る。しかしながら根回しは何も日本だけの特徴ではない、国連や先進国同士の会議等でも外交官や政治家は多数派工作をする為に、根回しが行われている事は誰でも知っている。

しかしながら、その上で一端会議が開かれれば、自分の意見を表明して、異なった意見には討論を避けず、相手より論理的に説明する事が重要な条件である事は疑う余地も無い。その結果、例え事前工作(根回し)が功を奏さず、会議の主導権を握る事が出来ずに相手側に負けたとしても、それを引きずる事は無い。

IWC(国際捕鯨委員会)で日本が欧米各国との綱引き(双方が根回しで多数派工作)をしている事は有名な事例である。又、マグロの資源保護を理由とした昨年の国際会議において、日本が多数派工作に成功たことは前にも書いたと思う。

この様に根回しは世界中いたるところで行われているが、それ以上に討論の結果も重要視されている。日本人はディベートが苦手?と書いた訳は、今一つ別の理由があると思うからである。

それは、意見を戦わせた後に、最終段階で投票により決まった様な場合にも、敵対した相手(反対意見者)の人格を批判する場面に、何度か立ち会った経験である。

これではまともなディベート等は期待できるはずも無い、幾ら論理的に説明しても、異なった意見の持ち主には、影で全く議題とは無関係な事を持ち出して人格批判をする。その事があたかも当然であるかの様に人格を否定して、自分の意見の正当性を引き出そうとするやり方は、ディベートが重要な意思決定の場である欧米の社会では、決して理解を得られないカルチャーだと思う。普段は仲の良い友人でも、意見の異なる例は偶に有る。その都度人格を否定していたのでは真の友人など出来るはずがない。

一頃日本で民度と言われる言葉が使われた事があった、その民度と言う単語を使った総理大臣は、自分の意見に反対する人達は民度が低い(国民の質が悪い)と言っていた様に記憶している。つまりこれも反対意見の人達に対する人格批判である事は言うまでもない。

この様に一国の総理大臣や、一般社会の中にあっては強い立場にある会社の社長が、論理ではなく立場を利用して自分に従わせようとする、ハラスメントが何の批判も受けない社会や国が、真の民主主義社会や国家と言えるのか?

第二次世界大戦の敗戦により、欧米から与えられた民主主義は、それを戦いにより勝ち取ってきた国の人々の価値観とは、少なからぬ違いを感じるのは自分だけであろうか。

2 件のコメント:

  1. 日本人は単一民族とか言われますが、確かに行動パターンや価値観のばらつきが小さいと思います。中国人などは同じ中国人でもいろいろな人がいて、そのばらつき幅は日本人の比ではないと思います。この日本人の単一性は日本人同士での結束の強さのような形で見られるのではないでしょうか。震災時、皆で助け合い、秩序を維持する日本人の姿が世界中で報道されましたが、驚きをもって受け取られたと思います。
    同時にこの単一性は、多様性の欠如ということでもあり、これはマイナスです。自然界に目を向ければ明らかなように、多様性は強さの源ですし、多様性なくして集合知は形成されません。民主主義の強みの一つに多様性があるのも間違いないでしょう。
    自分と異なる意見は自分にはないものをもたらしてくれる貴重な存在、という視点が日本人には欠けているのだと思います。こうした視点を持つことは、日本人の強みである結束力と相反しないと思うのですが、そういう見方を身につけるのはなかなか難しいのでしょうね。ばらつきの小さい世界では多様性を尊重することから恩恵を得る経験をすることも少なく、そうした視点が育たないのかもしれませんね。

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  2. hsさん 投稿有難う御座いました。
    ご指摘のように見方を変えれば、日本と云う国はばらつきの少ない世界でも稀有な国だと思います。

    震災時の整然たる態度は、世界中に少なからぬ驚きとカルチャーショックを与えた事は紛れも無い事実です、つい最近起きたロンドンの暴動を見ればその違いは明らかです。
    世界の殆んどの国では、一端暴動が起きてしまえば英国と同様な行動パターンになる事が普通です。

    良し悪しは別として、『多様性が強さの源と』表現されたhsさんのご指摘、全く同感です。同時に『自分と異なる意見は自分に無いものをもたらしてくれる貴重な存在』、そして又
    『こうした視点を持つ事は、日本人の強みである結束力とは相反しない』と看破された事に100%共感しております。

    願わくばこれから日本を担って行く新しい世代の人達には、もっともっと世界の異なった文化の人達と交わり、摩擦も経験して、生きるたくましさ(暴動ではなく)を身に着けて欲しいと思います。
    そんな中から、異なった意見を民主主義の多様性として、受け入れられる土壌が育つ事を期待したいと思います。
    貴重なご意見有難う御座いました。

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