2012/03/12

東日本大震災から一年、大使館の追悼式典にて感じた事

3月11日は日本人にとって何年経とうが忘れる事が出来ない日となった、大震災から丁度一年の2012年3月11日、ロンドンは日本大使館において追悼式典が執り行なわれた。私も家内と共に参列し被災された人達や、多くの亡くなられた方々に黙祷して冥福を祈った。

一年前ニュースが24時間流され続けた、東北地方を襲った地震と大津波の惨状が脳裏に蘇った。思えば前日まで幸せな生活を送っていた善良な人達が、一瞬にして大切な家族や友人、そして家を失ってしまい、それに追い討ちを掛けるかのように原発災害が起きた。世界中が驚愕し、福島はその日を境に世界中にその名前が知られるようになってしまった。

連日TVのニュースには津波が押し寄せるホラー映画の様な映像と、原子力発電所が水素爆発を起こした映像とが繰り返し流され続けた事により、日本中が放射線に汚染されたのではないか?と言う様な印象を与えることになった。


政府が打ち出す対策も後手後手に回り、正確な情報がタイミング良く流されなかった事もあり、海外メディアは全く日本政府や記者クラブでの発表を信じなくなっていた。

あの時の惨事からすでに一年が過ぎた事になる 。もう一年と言うべきか、未だ一年と言うべきか、私にはどの様に表現してよいか判断が出来ない、想像するにその人が置かれた立場により、その時間的表現は変わってくるのであろう。

それに付けてもあの時のニュース映像は生涯忘れる事は無いだろう。恐ろしい地震や津波ばかりでなく、被災した日本人が見せた尊厳ある態度は世界中の人々を感動させ、世界中のメディアがこぞってその様子を伝え称賛した。

それに引き換え東京電力幹部や日本政府のうろたえぶりは何と見苦しかった事か。アメリカで残された原発事故に伴なう資料が7千ページにも及ぶ事が発表されると同時に、日本政府のそれに対する資料は、議事録さえも残されていない事が発覚するなど、想像を絶する様なうろたえぶりが発覚してしまった。

大地震や津波は自然災害としてやむを得ないと受け止める事も出来るが、こと原子力発電所の暴走は同列では語ることが出来ない災害である事は明白である。再三にわたり原発の安全神話を国民に刷り込んできた電力会社と政府の、この期に及んでの言い訳は聞くに堪えない。私も含め永年に渡りそれを信じ、検証もしてこなかった大部分の人達は反省する事はもとより、二度とこのような事故を起こさない為には何をすべきかが、一人ひとりに問われているのだと思う。

『日本が発展する為には原発が必要だ!』と、今現在も主張する人達が居るが、私はそうは思わなくなった。 もし原発が無ければ発展できないのであれば、その様な発展や社会は望まない!発展以前に、人間が安全に住める国の方が大切だと思う、原発など無くても人類はここまで発展してきたではないか。

原発は一旦暴走すると、現時点で人類がコントロール出来ない物である事が理解できた 。本当は遅すぎたのだが。チェルノーブル事故の時に悟らねばならなかったが、多くの日本人が『チェルノーブル型と日本の原発は異なる』とのプロパガンダに踊らされ、気が付くのが遅すぎた結果が今回の福島に繋がってしまった。政府や電力会社のプロパガンダにはもう決してだまされない 。今度また同様の原発事故が日本で起これば、確実に日本と云う国自体が崩壊することになる。

また同時にあのような世界中に放射性物質や汚染水をまき散らかせば、日本と云う国は何所の国からも信頼されなくなるであろう。世界中から賞賛を受けた日本人の忍耐強さや、他者を思いやる態度は、もしまた同じ様な事故が起きたならば180度違った評価になってしまう事は火を見るより明らかである。忍耐強さは単なる臆病者となり、他者を思いやる態度も責任転嫁といわれかねない、では我々には何が出来るか。

二度と原発事故を起こさない事!これに尽きる。その為には意見の異なる人とも同じ日本人として、胸襟を開いてディベートしなければならない。少なくとも人類が制御不可能な技術しか持ち得ない、現時点での原発再稼動を認める事は不可能だと思う。

政府や電力会社の発表は、こと原子力発電に関する情報には、常に疑問符を持って慎重に判断しなければならない。福島の原発を冷温停止状態にした事を、あたかも原発事故が終息をしたかの様な表現は、全く嘘の繰り返しでしかない。

原発事故により村を離れた人達は簡単には戻れない。除染が口で説明されるほど簡単なものではない事は皆分かっている。世界中が注視しているのは、もはやチェルノーブルではない。日本の福島とそれに対する日本人の分別(行動)が問われている様に感じている。

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