2007/09/19

常勝の日本がそれ程喜ばしいか?

現在少林寺拳法は世界で32ヶ国まで広まってはいるが柔道や空手などと比べるとまだまだ少ない数である。歴史的に世界へのデビューがこれらの日本武道よりも遅かった事も影響している。

これまでの少林寺拳法の国際大会では日本がほとんどの部門で優勝している。別に優勝することが悪いわけではない。インドネシアも時々良い結果を出してはいるが、優勝はそのほとんどが日本の拳士が独占していると言っても過言では無いだろう。

よく空手の国際試合等で日本人選手が外国の選手に負けると『空手よお前もか』みたいな見出しが新聞などに出る事がある。日本人の心情としては理解できないことも無いが、現実的に考えれば世界的に普及したスポーツであれば例えそのスポーツを創造した国であっても常勝できることは考えられない。

イギリスはフットボール、ラグビー、クリケット、ゴルフ、テニス等世界でメジャーなスポーツとして定着ているスポーツを生み出した国である。しかしその多くがほとんどの国際試合やワールド カップ等の大会においてイギリス人選手がいつも勝つと言う事は無い。

つまりフットボールを例にとっても世界中で最も広く愛されるスポーツであり、どこの国でも統括組織が整備され、優秀な選手は国境を超えてプレーをしている。4年に一度のワールド カップにおいてもイングランドは強豪国の一つではあるが、優勝したのは1966年の自国開催の1回だけである。

このことはフットボールと言うスポーツがもはやイギリスと言う発祥国のアドバンテージが通用しないほど世界中に広まっている事を指し示している。言い換えるならばいつも毎回同じ国しか優勝しないようなスポーツは、その発展段階がまだまだ世界規模では無いという証ではないだろうか。

柔道もオリンピックでは毎回全てのカテゴリーで日本人選手が金メダルと言う事は不可能に近い。なぜならばオリンピック ゲームはどこの国でも政府が振興に力を入れている。日本からも優秀な指導者を招き技術力アップに余念が無い。その様なスポーツこそ世界中で認められた、言い換えれば市民権を得たスポーツと言えるのではないか。

その意味においては日本が常勝の少林寺拳法は、現時点においては残念ながら真の意味で世界中で認知されたスポーツ(武道)とは言えないように思う。逆の意味において空手が世界大会で勝てなくなって来た事は、それだけ空手が世界中で普及している証でもあり日本の一般市民の心情は別にして、空手家としては喜ばしいことであるとも言える訳だ。

ここで言いたい事は『だから少林寺拳法もオリンピック ゲームになるように努力するべきだ』と言う様な短絡的なことではない。少林寺拳法がオリンピック競技を目指していないことは承知している。しかしオリンピックの普及力を利用せずに、どうやってに少林寺拳法を発展させてゆくのか?その発展はどの様に世界中で広まることが好ましいのか?等のストラテジー(戦略)が必要ではないか。

オリンピック スポーツの持つネガティブ ポイントを単に羅列する事は簡単な事である。しかしながら『オリンピック競技でないからその害を受けない』というのは無理があると思う。我々少林寺拳法の指導者はオリンピックから何を学び、少林寺拳法がその様にならない為にはどうすべきかを提示しなければなるまい。

卑しくも少林寺拳法は『理想境建設に邁進す』と言う崇高な理想を掲げる団体である。その目指すところがいくら崇高なものであっても賛同者(この場合拳士)の数が少なくては実現は難しい。

また『世界の平和と福祉に貢献』しようとする団体であれば、世界中に少林寺拳法を修練する拳士が必要になる。こんな状況を見るとき国際大会において日本が常勝と云う事は余り嬉しくない現実ではないか。

本当の意味で世界中のあらゆる国に少林寺拳法が普及してゆけば国際大会での日本の常勝は無くなると思う。しかしその時こそ我々が掲げる理想にはいくらかでも近くなったと言えるような気がする。

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