2007/07/16

拳士は日本の応援団

長年海外で少林寺拳法を指導していると拳士の日本に対する感情を直に感じることがある。何のスポーツでもそうだと思うが自分が一生懸命取り組んでいるものが生まれた国の影響は大きい。

例えば野球が好きな者にとってアメリカはある意味で特別な国であろう。例え自分がメジャーリーガーになれなくても自分の好きなベースボールが生まれた国であるから、他の国よりはある意味で特別な感情を抱いても不思議ではない。ゴルフの好きな人が一度はスコットランドのセントアンドリュースでプレイを夢見る気持ちと同じではないか。

フットボール(サッカー)のようにあまりメジャーになりすぎるとどこの国で生まれたか分からないかもしれないが、プロフェショナルのフットボール選手ならイギリスのプレミア リーグでプレーする事も一つの理想かもしれない。

フットボールで思い出したがワールドカップではそれぞれの国が地域予選から勝ち残ってくるわけだが、英国はこのゲームが生まれた国と言う理由で非常に不思議な特例が認められている。なんとイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドがそれぞれ別の国として参加できると言う事だ。

つまり簡単に言えば4倍ワールドカップに出られるチャンスが多いことになる。日本で言えば、本州と北海道それに四国、九州がそれぞれの国として別々にワールドカップ出場を掛けて戦うようなものなのだ。そうは言っても、イングランドが出場するのをスコティッシュ(スコットランド人)が我がことのように喜ぶとは思えない。日本でいう夏の高校野球における県民感情のようなものと言えば伝わるだろうか。

オリンピックでは勿論その様な特例は無く「グレートブリテン」としてしか参加できないと言うのに、FIFA主催の大会では大英帝国を特別扱いしている事になるが、特に問題にはなっていない。 (現在、2012年のロンドンオリンピックでの「開催国枠」を得ているので、「開催国枠を辞退するか? それとも予選を戦う必要がないので4ヶ国合同のチームを結成してはどうか?」との声が上がっている。)

『まあ、フットボールが生まれた国だから仕方ないか?』と言うのがこの様な不公平を知りつつ世界中で容認している理由かもしれない。別の見方をすればこれもフットボールが生まれた国に対する敬意と言い換えることが出来るかもしれない。

この様に見ると少林寺拳士が何故日本に親近感を持つのかも少しは理解できるのではないか。何も少林寺拳法に限った事では無い、柔道、空手、合気道そして剣道を愛好している人達にとっても多かれ少なかれ日本に良い感情を持っているような気がする。

その理由の一つにはフットボールと同じ様に、そのスポーツや音楽が好きであればあるほどそのスポーツや音楽が生まれた国に良い感情を抱くのではないか。ビートルズが出た頃夢中になった我々の世代には今もイングランドやリバプールと言った街に好感を持っている人は少なくない。言い換えればそれらの国や街、又人が居なければその様なスポーツや音楽も生まれなかったかもしれない。その様な要素がそれらを愛好する人達に特別な感情を持たせてもなんら不思議ではないと思う。

たまたま自分は少林寺拳法の指導員をしている為、どこの国へ行っても拳士の感情や趣向が見えるように思う。拳士が乗る車には英国が右ハンドルと言う理由ばかりでなくスウェーデンでもフィンランドでも、一般のその国の平均よりはるかに高い確率で日本車を愛車としている拳士をよく見る。

他の工業製品でも同じ様な性能であれば日本のメーカーを選ぶ拳士は多い。この様に観察すると少林寺拳法をやっている拳士はただ単に少林寺拳法と言う武道を楽しんでいるのではなく、少林寺を入り口に日本に対する親近感や身内のような感情を無意識のうちに持っているのではないかと思うのである。

これはなかなか現実を見たものでないと理解できないかもしれない。又日本製品を何気なく使っている拳士にその様な意識があるかどうかも分からないが、現実にその様な例は多い。

文化やスポーツの国際交流が盛んになることは非常に好ましい事である。ベースボールやテニス、フットボール、バスケットボール、ゴルフ等のスポーツは言うに及ばずクラッシックやジャズそしてポップスの音楽等、それぞれの分野で日本の選手やミュージシャンが活躍する事も多いであろう。

一流のスタープレーヤーが人々を引きつけ魅了する事も確かにある。そしてそのスタープレーヤーが日本人であったとしても、そのスーパースターに対する人気や高感度は上がってもそれが直ぐに日本に結びつくとは限らない事も事実であろう。

イチローや松井、松坂がメジャーリーグで活躍しても彼等の個人的人気や高感度が日本に結びつく事は少ない。むしろ彼等の活躍はメジャーリーグやアメリカと言う国に我々日本人の関心を向かわせる事の方が多いのではないか。
 
そしてそれらのスポーツや音楽等の多くは外国から入ってきた文化であるのも事実だ。日本の伝統文化で海外において普及して認められているものはそれ程多いわけではない。確かに歌舞伎や能、邦楽といった日本独特の文化も紹介されそれなりの評価も得ているが、それらを勉強して自分達もその様になりたいと努力している海外の人はそれ程多くは無いと思う。それを考えた時、日本武道は世界中で数多くの国で紹介されそれに取り組む人達も多い文化である。

先進国は言うに及ばず途上国においても大きな支持を得ているのが武道である。確かに少林寺拳法は草の根レベルの交流かもしれないが、本来の交流とはこの様な市民レベルでの交流が本当の意味で重要ではないかと思う。政府が行うような大きな規模での交流は出来ないかもしれないが、一般市民一人ひとりが自分達の意思で好きなものを通して交流する事が結果的には大きな意味を持つと思う。そしてその架け橋に少林寺拳法や日本武道がなれるのではないかと思うのである。

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