2007/07/10

官僚主義(bureaucratism)

一般的に「官僚的」と言う言葉は否定的な意味の時に使われる方が多い。それはどの国でも官庁や市役所等が民間の企業と比べて効率が悪い事や、権威主義的な立場や存在がその様に言われる事が多いからであろう。勿論総ての国家機関や公務員が非効率や権威主義と云う訳ではないが、立場的に民間より強いことの方が多いことからその様に言われるのではないだろうか?

官僚主義の問題点は数多いが、意思の疎通の悪い事もその代表例の一つではないか。言い換えれば自分の所属する部署以外とのコミュニケーションが不得手と言うかうまく行かない事を指している。
 
そして今一つ官僚主義のいただけない所は、本来ならば国民や市民の為に働く事が目的であるはずの省官庁などが、いつの間にか市民の便宜や国民の利益(国益)よりも自分の所属する省庁などの利益を優先させている事を度々見聞きすることでは無いか。

省庁や地方自治体に働く公務員を“civil servant”と英語にするとより立場が明確になる。 civilとは一般市民、servantはそのまま訳せば家来, 従者, しもべとなる訳で、市民の為に奉仕する事を目的とした仕事が公務員の立場だったはずである。しかるになかなか市民のしもべとまでは言わないが、市民も公務員の方もその様な意識は気薄のような感じがする。

昔からの日本の習慣なのか、あるいは公の仕事に対して『お上の言う事には逆らわない』みたいな感覚が作用しているのかどうかは分からないが、面と向かって公務員に文句を言う人は少ない。そんな事をすると、いざ助けが必要になった時に便宜を図ってもらえない といった意識が一般市民の中にはあるのではないかと思う。

又公務員の間にも責任を取りたくないと言った自分勝手な無責任感覚が強く、特に初めての事案についてはなかなか事が進まない事がままある。すでに何らかの経験や過去の資料があり、それにそった事例や解決方法であれば問題ないが、こと個人の判断が必要であったり、又前例が無い場合の様な時には簡単な事でもなかなか前に進まない。 

その様な行動や判断が官僚主義と言われ一般から揶揄されるのではないか?反対に企業業績が優れた企業にあっては他社よりも少しでも早く開発したり無駄をなくす努力をしている。又そうでなければ厳しい競争社会で生き延びる事は叶わず、業績も優れた結果を残す事は出来ない。

デミング博士が提唱したクウォリティー コントロールは今では日本企業のお家芸、その最も最先端をトヨタなどの超優良企業が指し示している。枯れ雑巾を絞ると言われる企業文化はいかにもトヨタの情け容赦ない態度のように言われるが、実のところ系列企業をつぶしてしまう企業では世界で伸びてゆく事は不可能ではないか。

別にトヨタの肩を持つものではないが不況になれば簡単にredundancy(=余剰人員。日本における「リストラ」)と言って社員の首切りをしてきた欧米の自動車会社の方が余程ドライで官僚主義ではないかと思う。会社経営に失敗したCEOが何億もの退職金を貰ってやめるのと、組立作業ラインの従業員が不況で首になるのとでは全く状況が異なる。 

トヨタの成功からこのところ「カンバン方式」を学ぼうとする欧米の企業経営者も少しは居るが、彼等の報酬を見ればまだまだトヨタ並みの経営には程遠いと言うのが本当の姿であろう。トヨタや日本の有料企業の経営者がいくら給料を貰っているかは知らないが、一般従業員の100倍1000倍の給料を貰う社長や会長は居ないのではないかと想像する。

しかし欧米における業績優良企業にあっては100倍等別に驚くに足らない金額である。彼等のメンタリティーには『好業績が出たのは自分の経営判断が優れていたからだ!』と言う自負(?)がある。そのメンタリティーには従業員にも少しは還元して企業に対する忠誠心も高めようと言うような少林寺拳法で言う『半ばは人の~』と言う部分が完全に欠落している事を良く見る。 

この様に企業文化が異なる背景にはこれまで社会が築いてきた歴史や国の文化も大きく影響しているのであろう。例えば経営側のドライな首切りや労働条件を何とかしたいと言う理由から始まったスト権は、労働者にとっては非常に重要な権利である。

日本におけるストライキは組合側も適当なところで妥協し、自分たちの会社が立ち行かなくなるほど長く厳しいストは行わないのが一般的だ。ところが欧米企業では多くの経営者と労働者は敵対関係にあり、ストがかなり徹底的に行われる。やはりこれは歴史的に労働者をどの様に扱ってきたかの文化の違いであろうし、一般社会のストに対する理解も日本とは大きく異なっている。

日本企業には労働者であっても従業員を家族のように考える経営者は少なくない。一時期、終身雇用制度や年功序列はもはや古い経営だと云われた事があるが、企業文化の異なった欧米式の経営方法が日本企業に対しても同様に最高の方法とは言えないと思う。

国や社会が長い年月をかけ築いてきたシステムには同じ事を他国がそのまま取り入れても上手く機能しない事も沢山ある。日本には日本の経営文化があり、欧米にも彼等の歴史と企業文化があることを考えれば、そのどちらにもそれなりの理由が有るのが普通ではないか。 

官僚主義というタイトルからは文脈が少々離れてしまったかもしれないが、民間企業にしても各省庁の公務員であっても、暖かさの感じられるメンタリティーがいま強く求められているように感じるのは自分だけであろうか?もしそうであれば少林寺拳法の説く『半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを』と教えた開祖宗道臣の言葉の重みが理解されるのではないかと思っている。

2 件のコメント:

  1. お久しぶりです。この記事を読んでの感想ではなく申し訳ないのでうが、先日お話していて思う事があり、その事を少し書かせて頂きたいと思いました。
    それは人と議論をする・・と云う時のその人のあり方についてです。日本人の多くはその中身事柄より、感情が前に出てしまい感情に走ってしまう事が多い・・・そんな話だったかと記憶しています。この事はとても大切な大きな事のように改めて思いました。一人の人間として一人前の大人として、そこら辺がきちんと出来ないと、やはり一人前の大人と言えないのではないかと思いました。私もいろんな人と話をする機会が多く、ミズノさんの話を聞いて、又改めて初心に返る心境になる事が出来ました。その事を本当に心してやって行きたいと思い、今、それの実践中の毎日です。お話出来て、本当に良かったと思い、こうして記事とは全然関係のない事なのですが、是非お知らせしたくコメントさせて頂きました。又、機会がありましたら、色々聞かせて頂きたいと思っております。
    これからも、どうぞ宜しくお願い致します。

    返信削除
  2. Yamamoto さん 

    コメントありがとうございました。 
    小生を含めて日本人はコミュニケーションが下手です。とりわけディベートと言う様な討論には慣れておらず会議等の席でも余り積極的な意見を言う人をみかけません。文化的な背景もあるのでしょうが、相手の意見と異なった場合には意見を言わないか、意見とは関係のない人格否定になる事も時々みかけます。年長者や立場が上の人が発言した場合など同意見なら自分の発言を控える等の事も度々見ております。同時に日本以外の多くの国ではこの様な行動はとらず同じ意見であれば積極的な意見や支持を言葉としても表しますし、異なる意見であれば自身の言わんとする事を論理的に説明しようと努力する事は当たり前の事です。残念ながら以心伝心などの言葉が示すように相手の立場や対面を考慮して踏み込んだ討論ができないと言う現状は次世代の人達には変えて行ってもらいたいと思います。

    返信削除