2007/06/08

報道の文化の違い

外国と日本で大きく異なるものの一つに報道の違いが有る。

先日英国のブレア首相が自身の選挙区で首相の座を下りる事を発表した。これはすでに多くの国民にとっては意外性の無いニュースであったが、その折TVのニュースで流れるニュースを見て随分日本とは報道姿勢が違うなと思った。

以前にも海外の新聞記者の外国の首相や大統領等に対する報道姿勢を指摘した事があったが、日本のこれらの報道に携わる記者には相手が国家元首やそれに相当する人物の場合には、かなりディプロマティク(外交的辞令的)な質問の仕方をするのをよく見かける。

あまり辛らつすぎる質問は日本人の文化にはなじまないのかもしれない。しかし海外の報道に携わる記者の質問は実に際どいものがあったり、興味の対象をはぐらかす事無くズバリと聞くことにある。

トニー ブレア首相がイラク戦争でアメリカに賛同して積極的に英国の軍隊を派遣した事から、国内では彼の事をジョージブッシュのプードル(愛玩犬)と揶揄する記事が有った。アメリカを公式訪問したブレア首相が当のブッシュ大統領と共に記者会見に臨んだ席上で英国の記者から『ブレア首相はブッシュ大統領のプードルと呼ばれているが貴方はそれについてどう思うか』とTVニュースの前で質問するのを見た事がある。

この様な記者の姿勢は日本の報道では先ずありえないことではないかと思う。

日本の記者がブレア首相と同じ様に記者会見に臨んだ小泉前首相に同じような質問をしたら日本の視聴者はどう思うのであろうか?

おそらく日本人の感覚では『何もそこまで聞くことはないではないか。ましてや外国の国家元首の前で自国の首相の恥をさらすような事を!』との意見が出そうである。

こういったことは何も英国の記者ばかりではない。

少々古い話だが、ソ連崩壊と共に東ドイツが西ドイツと統合し喜びの記者会見が行われている中、コール首相に対して『貴方は東西ドイツ統一の為にロシアにいくら支払ったのか?』と質問した記者がいる。

質問されたコール首相は顔を真っ赤にして『1マルクも払っていない』とその記者を睨み返していた。
この様な辛らつな質問はヨーロッパの記者の間ではかなり普通に行われている報道姿勢だ。

文化の違いと言ったが、日本には報道においても「最後の一線を越えない」と言う暗黙の了解が、記者や報道される側にあるのではないだろうか?逆にヨーロッパにおいて平気な顔をして(その様に見える)当然のように辛らつな質問をする記者の姿勢も彼等の文化の裏返しであろう。

『知りたい事はとことんベールを引っぺがしても知りたい。』
『余りにグロテスクであったり国家元首の名誉を著しく貶める様な質問はしない。』
これも文化に合っている様に思うがいかがであろう。

今日のように世界中で起こる事件がその日の内に世界中を駆け巡る時代である。マスメディアも世界各国が競って情報を収集しようと懸命に動き始めている。

これらの情報収集にはコストが掛かる事は云うまでも無い。しかしながら偏った情報により国民が危うい方向に扇動されるとすれば、色々な角度からの報道は益々重要になってくる。

過去に於いては世界中に情報のネットワークを持ったアメリカや英国などから発せられる報道が、世界各国に大きな影響を与えてきた事も事実である。近年これらの事に気が付いた中国やアラブの国でも衛星放送に力を入れ、情報もアメリカやイギリスとは異なった角度から流し始めている。

そんな事を見ていると日本の報道姿勢がこれまでと同じやり方で良いのか?日本国内にも存在する菊、桜、鶴と言われる報道タブーも含めて検証してみる時ではないか。これまでの日本人の趣向に合った報道ばかりでは世界で起きている事件や真実から意図的に目をそらせているようにも思える。

開祖が指導者講習会の法話で『眼光紙背に撤す』と云うことわざを云われた事がある。「行間を読め」と言う事なのだが日本のマスメディアの報道姿勢には今一つ迫力が無いように感じる。

記者クラブを作り同じ様な記事ばかりが並ぶ日本の新聞では世界の本当の姿は半分くらいしか見えないような気がする。

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