2007/12/25

国家の品格

自分がこのブログを書き出してから、何人かの友人から『国家の品格』という本が売れている、いちど読んでみたら!と言う事を聞いた。何でも内容的には自分がブログ内で指摘した日本で現在起きている事象を似た視点でとらえていると聞かされたのだ。著者の藤原正彦氏は高名な数学者で自分などとてもおこがましくて対比されたものではないが、氏も長年英国やアメリカで暮らされた経験から日本の近況を見て、憂いて色々な視点から指摘されている事が良くわかる。

先月日本に行った折親しい友人からその著書を渡され、ロンドンに戻ってから読んでみた。なるほどさすがに洞察の鋭い!頭の良い人は文章も美しく、非の打ち所が無いほどの内容だった。自分でも『うん、うん』と頷いて直ぐに読みきってしまった。

この本は面白いし、一つ一つの指摘が日本人には痛快で全く言われるとおりだと思う。99%は同意できる内容だったが一箇所これはそうなのかな?と単純には頷けない箇所が自分にはあった。氏は自分の祖国を愛さない人間はぶっ飛ばす、ガーナ人でガーナを愛さない人間はぶっ飛ばす。『ぶっ飛ばさないまでもその様な人間とは付き合わない!』とまで言われている。

そう言った人達は氏の言い方を借りれば『根無し草』と言うらしいが、この箇所だけはどうも引っ掛かって心にスッと入らなかった。国家、国籍は大切ではあるが氏が指摘されるほど意識して愛さなければいけないか?又その人の人格はどこかの国一国を愛してさえ居れば信頼に足るのか?挙げ足取りのようで恐縮だが、人は願ってどこかの国や人(両親)の下に生まれてきた訳ではないのではないか。氏も海外での生活が長かったにも関わらずこの一文だけは自分とは異なる見解のようだ。

小生が教えている拳士を見ていると実に多彩な人達が居る。特にロンドンは人種と言う事においては世界でもニューヨークやパリと並んで多人種都市の筆頭であろう。自分の支部に居る純血種のイギリス人(失礼な言い方だが)は果たして何人居るのだろうか?、もしかしたら一人も居ないのではないか?何をもってイギリス人なのであろうか?等など、考え始めると藤原氏ほど頭の良くない自分には答えが見つからなかった。

イギリスの道場で教えているのにイギリス人(純粋な?)が一人も居ない等と信じられるだろうか。確かにほとんどの拳士メンバーは英国籍の人達が大多数である。しかしその中で純粋な(変な言葉ではあるが)と言うと日本のようにはいかない、10人居ても10人とも髪の毛や目の色から肌の色まで異なる事は珍しくない。

ヨーロピアンと言うカテゴリーで括れば、ほとんどがその範疇に収まるであろう。白人でも一人ひとりの肌の色は違っているし現在の国籍は英国籍でも両親がイタリア人とドイツ人等と言う例はいくらでもある。英国は多重国籍を認めている為、人によってはパスポートを3つ持っている者も特段珍しい分けではない。そんなことを考えているとはたして『イギリス人でイギリスを愛さない奴は信用ならないので友人にはしたくない!』と簡単には自分は言えないのだ。

自分の子供達にしても我々を両親と選んで生まれてきたわけではないと思う。たまたま自分の場合は家内も日本人であり比較的人種的な分類はわが子に限って言えば簡単かもしれないが。それでも『両親が日本人だからお前たちも日本を愛さなければならない!』とか、『我々は英国で生活しているから、英国を祖国と思って愛さなければいけない』とは言えないのだ。『それでは祖国愛が足りない』と言われればそのとおりかもしれないが、自分は日本人である事に誇りを持っているし、日本という国にも人一倍強い祖国愛も感じてはいるが。子供たちには彼らが何を(何処)よりどころとして生きるかによって、何処の国に親近感を感じ、何処の国に祖国愛を感じるかは彼ら次第のような気がする。

ケニア人とフランス人の間に生まれた子が、イギリスで教育を受け成長し英国に祖国愛を感じる事もあるであろうし、両親のどちらかの国か両方の国に好感情を持つことは自然な事だと思う。この様に人種による国籍や祖国愛の強制には自分としては今一つ納得できないのが正直な感想だった。

藤原氏の書かれた内容の99%以上に共鳴し、且つ又氏の日本や日本人に対する情愛も充分に感じられる名著である事には疑う余地も無い。久々に日本を憂う優れた見解に触れ本当に清々しい気分になれた事も正直な感想である。

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